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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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やっぱ古事記大好き・・・!(´Д`;)ハアハア

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しっかし中車さんとなった香川氏がどんな気持ちで帝を演じているのかと思うと(つД`)最後の父ちゃん出てくるところとかさー。ホントむしろよく許せたよアンタ!でも、ヤマトタケル自身もだけど、子は親に対して「愛されたい、認めてもらいたい」っていう無償の感情を抱いてしまうものなのかなー、と何か余計切ない気持ちに(´;ω;`) 「良いの?これで良いの?ボクちゃんと出来てた?」って表情でお父さんとおじいちゃんの方キョロキョロうかがう団子くん見ちゃうと更に。全てのキッカケというか、親しいイトコに苦しい選択をさせてしまった猿之助さんの必死の、そしてやはり天才だなと感じさせる気迫のこもった演技にも本当に胸打たれて・・・自分がセクシュアリティ的に迷走して悩みまくってる時期でもあるからさー。彼が襲名と同時に背負おうとしているもの、その覚悟が強く見える舞台、ヤマトタケル像でした。
まぁこの精神状態だし、セリフが一々突き刺さるんだ、タケルの「生まれてこなければ良かったのだ!」とか、大好きな()弟橘媛(今回の呼び名はオトヒメ)の入水シーン。歌舞伎はホント「間」が良いよねぇ。他の舞台なら「おいおい一つの場面に時間かけ過ぎだろ(笑)早く死ねよワロタ^^」となるところが(ヒッデー。いや某ベルばらのアンドレ死ぬシーンとか凄くツッコミまく(以下略))、より登場人物の悲しみや覚悟や想いが伝わるよう、観客の感情を盛り上げる展開に持っていくために必要とされる時間へと化ける。愛する人に罪悪感を背負わせたくない、一方で最後まで彼の最大限の愛情を感じながら旅立ちたい、という複雑な女心が(つД`)ウワーン泣かせる、大好きー!ヅカ『MAHOROBA』でオトタチバナが美しい声で歌いながら海に消えていく演出も好きでしたけど。
あぁもうこの日本独特の「入水」という所謂自殺の表現を美しい物語として仕上げてしまう発想ってヨソの人からは評価されにくいだろうし、自殺大国呼ばわりされてたりで問題あるのかもしれないけどすごく好きなんですよねぶっちゃけ。夫が死んで妻が後追い入水エピなんか山辺皇女や勾当内侍等々わんさかあるし(最終的に統治時代の台/湾にまで伝わってしまったくらい・・・外代樹さん(-人-)合掌)、平家物語の二位尼「波の下にも都はございます」なんて、いくら幼い孫(しかもTenno)道連れでアカン系の話だとしても、弟橘の「海の大王の后となりましょう」と張るくらいとても綺麗な表現じゃないですか?やっべー原文で読み返したくなってきたわハスハス(^ω^) 何で他の島国にはこういうエピが少ないんや・・・?私のリサーチ不足?海はそこら中にあるのにー>< 自殺がご法度な宗教エリアが多いせいかな?
あとさ、こんだけ可哀想な目に合って最後は鳥になっちゃう儚さ?を持った人物を英雄として崇めちゃう日本人の精神性がすごくツボです^^ マジで景行天.皇はドSなの?そんなに憎い息子だったの?ってくらいイジメとしか思えない扱い受けてるもんなー。北へ帰る白鳥が昔は大和(奈良県)の神話に残るくらい日本各地に来てたんだなぁ、とか考えると温暖化・・・(´Д`)ってC O P 21にも思いを馳せられるし(笑)大和朝廷の権威の及ぶ範囲や順番、英雄としての「ヤマトタケル」像が何を象徴するものだったのか、とか妄想する上においても各地に残る白鳥神社の場所チェックしてみるだけで楽しいですよ!足を運ぶとなお良いね!(ちなみに村田は行ってきました。宮城は現在も白鳥が飛来すること、当時のヤマト勢力の北限ポジだったこともあってか、めっちゃ沢山この名前の神社があります。元は違う信仰の神を祀っていた可能性もあるけれど・・・創建順や規模を考えると思わず色々膨らんじゃうよね(´∀`))
あーとーは、とにかくお衣装がゴージャス過ぎて一々どんだけ金かかってんの!?(゜Д゜;)と目を見開きつつ感動してた@夢がないなぁ(笑)しかし何で熊襲(狩猟・採集民族のイメージ)にタコとカニ・・・?どっちかっつーと蝦夷の生息範囲にいるイメージだが、蝦夷の方が「山の民」っぽいイメージだったのかな?BGMも熊襲の場面のが津軽三味線ぽくて気になったんだよね。蝦夷は敵キャラの中ではインパクト弱かったかな。ヴィジュアルがスマート過ぎたのと、炎の場面のアクロバットに気を取られて(^^; 山神・姥神のお二人はさすがー!ここもお衣装凄かったね、「うわぁ、そんな使い方もったいねぇ!」みたいな細切れの布の豪華さよ・・・(´Д`;) 
女形の皆さんはさすがの可憐さでした。あのお衣装捌くだけで大変だろうな。オマケに重い鬢と冠(((>_<)))エヒメ(恐らくここは書紀エピと混ぜて梅原流に面白くアレンジした点かな?)も無理やり妃にされ、妹にも手を出されそうになりながらそれでも愛していた夫(大碓)の仇を取ろうとする情念の女性が小碓(ヤマトタケル)の清らかさに触れて浄化され、それが今度は正真正銘の濁り物(恐らく大碓に対しては憎しみや怒りも含まれていたと思うから)の混ざらない愛情に変わり、束の間の婚姻を経て皇子を授かり、何年もその帰りを待って・・・そのつらさや苦しみ、宮廷の冷たさや変節を見た果てに還ってきたものが夫の亡骸と、自分と同じ相手を愛してついていった妹の死という悲しすぎる結末。それでも、その期間があったからこそ、その事実を受け止めたからこそ母として悟りきった神々しさみたいなものが最後の場面に表れていて。登場のシーンや、小碓を殺そうとする場面の彼女とは全く異なるオーラを発していて度肝抜かれた。もちろんみやず姫の愛らしさも良かったけど(*^^*)
他に殯の宮の場面ではヘタルベの叫びが胸に響いて痛々しかったな。「ヤマトは嘘ばっかりだ!嘘つきばかりの国だ!」って皇子を全力で慕って追いかけてきた蝦夷の青年の叫びが(;_;)
あと正直ヤマトってやっぱ侵略者だなー、って一部熊襲・蝦夷視点で見ちゃったわ。ウチはどう考えてもそっちの要素の方が強い家系だと思うし(・・・)「過去の因習に固執して新しいものを受け入れなかったから滅びたのだ」って?アメ○カ人じゃないんだからさー(´Д`) 文明の利器をもたらして世界を進歩させたんだから良いだろって?侵略の肯定かよ。狩りや漁で命を獲るのが罪だとか?じゃあ捕鯨も今すぐ止めなきゃネ☆(^-^) 熊襲や蝦夷内部にも対立はあったし、確かに知恵を絞りきらなかったり、最終的に弱かったから、戦略的にヤマトに負けたからの現在だとは分かっている。日本中ほぼ混血はしているだろうし、今となっては日本の歴史の一部として大和朝廷の諸々も好きだし(田村麻呂と阿弖流為とかめっちゃ萌え燃えだよね!)、そのトップの地位を引き継いできたTennoの必要性も認めていて、神社巡りも大好きです。が、国つ神や熊襲や蝦夷に対してあんなセリフを吐かせた点だけは正直モヤッと来てしまった。蝦夷も熊襲も舟作ってかなり遠くとも交易してましたよ。違う土地の、所謂「新しいもの」をある程度ちゃんと取り入れてたと思うんですが。縄文土器から米粒出てきたの知らないのかな?(※縄文=主に蝦夷の先祖、弥生=主にヤマトの原形)いっそ東北の遺跡から鉄器出てきたら面白いのに。てかヤマトに決定的な勝利をもたらした要因がぶっちゃけ鉄の「武器」なんだよねぇ、と考えるといつの時代も(以下略)とつい黄昏たくなりますね・・・(´-`)
あっ、最後に右近さんの武彦、めっちゃ渋くてカッコ良かったー!(≧▽≦)


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やっと半分くらいまで来たかな?読んでいて現実の諸々が過りすぎてつらい・・・極端な誇張もあるとはいえ、書かれてから70年近く経つのにまだそういう体制の国が一ヶ所じゃなく存在するとか、そのこと考えちゃったり関連する記事漁り出したりしちゃって(´;ω;`)

※以下かなり病み混じり、かつ後半ハルキ(のエロ描写。笑)批判なのでご注意願います。

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ウィンストンとジュリアの生きる抑圧された世界、愛し合う自由すらない苦しみの中で、逃げることなど不可能な現実に二人が選べる唯一の手段が心中しかないと分かっている。けれども二人はその選択肢を選ばない、なぜなら例え未来を持てない状況であっても、現在を引き伸ばしてしまうのが克服しえない本能だから、ってところがまさに今の自分の状態を表しているようで心底共感した(笑) いや私そこまでハードモードな世界に放り込まれてる訳じゃないけど、全く未来について考えられないし見通せない(自分のような存在があと何十年のうのうと生きながらえるとかゾッとするし意味がないとしか思えない)という点で(^-^;

ウィンストンが母親の記憶を取り戻すくだりでは、「愛する」という行為が最も素朴な人間性の原点で、彼はそれすらも、その感情や記憶や在り方すらも党によって奪われてしまっていたのか、って(つд`) 与えるものが何もなくてもただ愛を与える、それこそが高潔な母親の人間性だったんだ、ってジュリアとの出会いでやっと眠っていた人としての心を蘇らせることができたんだなぁ、と。

ついに出てきたブラザー同盟、明確な組織も同志愛もなく、ただ共有できるのは思想だけ、それだけは党にも誰にも奪うことができない、ってなー。世界中で反政府運動を闘ってる人が陥りがちな「組織の罠」を否定する、原点のような発想が良いと思った。全/体・共/産・社/会主義といった「大きな政府」に立ち向かうには、それらを否定する運動を繰り広げるにはまず第一に抵抗する側が「個人」であることを忘れてはいけない、と考えるから。一人一人違う考え方と記憶を持ち、「同じ」記憶や思考を押し付けられることを嫌う。そこを出発点にしていかないとダメだよね。(だから私、全く同一文体のキャッチコピー掲げてるデモ隊とかは生ぬるい目で見ちゃうし、まだ資本主義の方が支持できる。金持ちになるのも貧乏人になるのも建前上個人の選択の結果だし、下から上に這い上がれる正規のルートも一応あるから。色んな所得層ごとの商売が生まれたり、自由と多様性が感じられる社会の方が、党の区分で生活レベル振り分けられて永遠にそれに従って生きないといけない状態よりはずっとマシ。下から巻き上げた税金や賄賂で良い暮らししてるエリートより、どんな手段を使ってでも自分で稼いだ金でブイブイ言わしてる成金の方が好感持てるし)

あと最終的にハルキ苦手なのってその性描写のせいもあるな、とコレを読んでて気づいたかも・・・。抵抗・闘争の手段として、あるいは本能や欲望に基づく必死なセッ○スというものが、戦後の日.本人の感覚からは消え失せてしまったのかもしれない。だから戦後生まれの彼には文学の中に織り込む価値があるだけのソレが描写できないのかな、と。昨今の低出生率を見ても(もちろん子育てにかける時間やお金が足りないという問題はあるでしょうが)、現代の日/本人にとって、交わりは死ぬ前に子供(跡継ぎ)を残すための不可欠な儀式でもなければ、恋人や夫婦といった関係に互いを繋ぎとめる手段としての役割も失い、ただの「戯れ」に過ぎないものになってしまったんじゃないか? 三島や団○六世代ではそれを超える必死さが、どうしてもこの要素、エロスを組み込まなければ登場人物の生きる世界や相手への感情や屈折、作品として表現したいことが伝わらないのだ、というほとばしる情熱のようなものが感じ取れたんだけど。(あ、私Aセクですけどソッチ系のフィクション読んだり見たりは平気です(^^)b)
ハルキのはダメだ。訳しやすいんだか何だか知らないけど直接的過ぎて、個人的に淫ら故の興奮を内包する美も、それが故の虚無に伴う儚さや哀しさを全く感じられず気持ち悪いだけ。ただの好奇心から生じる「遊び」の延長線上の性に関するトラウマ持ちなので(とココでぶっちゃける\(^o^)/)余計にかもしれないけど、純文学の世界でエロスを持ち出すならトコトンその本能・美・罪を追求するか、登場人物にとって、あるいは物語の流れの上でどうしてもそれが必要だった、という情熱がきちんと伝わるように描いてほしい。元ネタ読む限り、ハルキVer.は今のとこ何で名前借りちゃったの?ってレベルの酷いパチモンとしか思えないなぁ(´・ω・`)


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ようやく二部に突入。前半はまたヘ○トスピーチ()カテゴリーになってしまうかもしれないネタに何故か飛んでしまったので気になる方はご注意下さいm(__)m


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党によって記録された歴史は正しいものだったのか、「本当の過去」を知ろうとする主人公の姿に、日.本人としては戦後~最近の半島と台/湾の違いを思い起こさせられちゃったな(´・ω・`) 過度に日.本を美化しているようにも見える、一部皇/民派の台.湾人の話と、日/本統治期を褒めたことによって若者に殺されてしまった韓.国の老人の話。慰/安婦として集められ、その仕事に従事した女性たちの実像や経緯の多様性を明らかにしようとしたことによって書物の発禁を食らったばかりか、検察に起訴される事態にまで陥ってしまった大学教授の件。恐らくイデオロギーの境目が半島に置かれていなければ、ここまで激しい反応が70年も続き何故か時が経つほどに悪化することはなかったのではないか、というのは華夷秩序と儒教思想の浸透ぶりからやはり不可能な妄想だろうか?(民族が分断されてしまったが故に、共通の敵がいればまた一つに戻れるのでは、という願望が向けられた対象がウチ、という考えによる)
イヤでも彼ら、一時は(ジュリアのようにソレを上手く利用して生き抜いてやろうという魂胆だったのかもしれないけれど)大多数が日/本人になることを受け入れてた、というか普通になってたんだよなー。日の丸振って戦勝祝って、競い合うように軍隊に志願して、留学が決まればエリートとして羨ましがられたとか。人口が増えたことも、インフラや衛生環境が整えられたことも、身分制廃止や教育の普及といったものは間違いなくウチがもたらしたものじゃないのか。それによって救われた者は本当に全くいなかったのか? 知り合いの在.日一世の方は母国の学校に馴染めず落ちこぼれ扱いだった自分を日/本人の先生が説得して東/大に行かせてくれた、って話してたけどな。
半島を手に入れたのは確かに自分たちをロ○アの脅威から守るためだし、あわよくば工業地域や足りない食糧を補うための穀倉地帯にできるかも、って意図があってインフラ建設や土地の調査を実施したんだろうとは思う。けれどそれを全部まとめて収奪のため、って。あの時代一国で生き残る力が、軍隊が、教育が半島の人々や体制にあったとでも? 中/国ですら半植民地化と内戦でボロボロだったのに、清の配下でその舞台になってた方が良かった?恐らくもっと酷い飢饉や混乱が生じていたと思うけど。あるいはロシ○に民族浄化・強制移住させられて極寒の地で飢えるか、故郷を乗っ取られてそれこそ半数以上の女性が強.姦されて彼らの誇る「民族の純血性」が失われても良かったと?
私は前も書いたように帝国主義・植民地支配には抵抗を感じざるを得ない人間だけど、半島の「併合」 に関してその定義を当てはめるのは少し違うようにも考えているので、当時それを易々と認めた国の人間までが何を勘違いしているのか「日.本は何故WW2で半島にした酷いことについて謝らないのか」と言ってくるのには正直言って呆れ返るし素直な怒りを覚えます。彼らは主に当時日/本軍としてアンタらと戦ってた側だよ!ちなみに半島が一番酷い目にあったのは戦後米・ソの代理戦争の舞台になった時ですけど、当時U Nさんたち平気で慰.安婦利用してたくせに、ブーメラン心配しなくて良いのかね?戦勝国様は何しても許されるし、日.帝からの解放も北の南進阻止も全てアメリ○様のおかげで成り立ってる国だから別に良いのかぁ┐(´д`)┌、と言いたくなっちゃうわ思わず。あーもう靖/国の件で怒り心頭し過ぎて今日の自分はネト○ヨ()状態ですみません(笑)

金属類の供出の件などは戦前の日.本を思わせて、やっぱりあの時のウチは(Tenno・神/道を利用した特殊パターンとはいえ)全.体主義国家だったんかな、と。
「体制」の中で己の欲望や自由を最大限に追い求めようとするジュリアの奔放さと狡智さはやはりデイリーN Kさんで読んだ北のJDの記事を思い起こさせた。そしていつかその自由が、幸福が得られると信じたがっている若さが(つд`) 諦めきっている四十路間近の主人公に対して、反論する二十代半ばのジュリア。彼は彼女を愚かだと思いながら、そこに眩しさを感じて惹かれてしまうんだよね。愛情も本能も完全に統制された世界の中で、二人が、いや人がいかに孤独を感じて、他者との本心からの触れ合いに飢え、それを求めていたか、ということが転がり落ちるように進んでいく二人の関係からうかがえるようで(´;ω;`)ウッ
あと文化の抹殺みたいなものは旧ソ.連はむしろ積極的に(地下鉄の駅とか。笑)ゴージャスにしてったクチだから中/国に近いのかなー、と。中.国人の日/本観光って、爆買いだけじゃなくて失われた自分たちの過去の文化を見るため、という理由も大きいというネタをどっかで見たな、と・・・(´-`) 特に意味のない、非実用的な「資産家」が愛用していたような品の製造や所持は無駄であり罪も同然、って発想なのかな、あの世界では。丸い美しいガラスの文鎮の描写が目に浮かぶようで、それに不思議な懐かしさと親しみを覚えてしまうウィンストンに共感というかしんみりしてしまった。私も役に立たない小物とかガラクタ集めとか変な画集買っちゃったりするの好きだからさー(-_-;)政府変わった途端に蔵書全部処分な、とかいうのも耐えられそうにない。逆に元教会の博物館に何が展示されてるのかちょっと見に行ってみたいんだが@好奇心o(^o^)o
しかし1940年代後半には原爆食らった跡はそのまま廃墟になると考えられてたのね・・・(@_@;) まぁチェル○ブイリの例考えればそういう体制の国家ではそうなるのかもしれないけど、作者が生きてたらぜひ今の広島を見せてあげたかったな。
チャリントン氏の人間性や亡くなった奥さんにも興味を引かれますね。あと登場するそれぞれの歌の原文を読んでみたい思いがまた・・・韻とか訳との違いとかめっちゃ気になる!


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スケートGPと相撲の本場所のせいで中々読む時間が取れない・・・(;´д`)

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舞台設定が「革命」後のイギ○スと考えると、何故G H QがTennoを戦犯とせずに残したのか、という点について日.本人的に示唆を感じる内容だと思う。悪は資本家であり、その頂点に立っていたのが国王、というあの世界における常識。仮に戦後Tennoをそんな風に裁いていたら、確かに日/本は一気に全体が既得権益層の粛清を肯定する「革命」つまり共.産主義の方向に舵を切ってしまったかもしれない。距離で言えばアメ○カよりもソ/連に近く、G H Q内部にも隠れコミュ○ストはいたそうですし。あるいは戦前のあのTenno・神.道を利用した思想統制っぷりを考えると、怒り狂って今のイス○ム過激派状態になった連中と進駐軍、そしてコミュニ○トの三つ巴ゲリラ戦場(まさに今のシ○ア)化していたかもしれない。その辺り日/米の妥協は上手く行ったというか、少なくとも選択肢の中から最もマシなものを取ることに成功した、と言えるのでは? 何で他の国でこう立ち回れなかったのかアメ○カさん・・・(´-`) まぁヨー○ッパ時代から信仰する宗教同士が対立してきた歴史があるからっていう理由と、ぶっちゃけ宗教・国・民族がほぼ三位一体というウチのパターンが特殊だったから可能だったことなのかもしれないけど。私信仰は持てないわ、一般日/本人の宗教に馴染みはないわでコンプレックスの塊だけど、歴オタ日.本人として国にとってTennoが必要不可欠な存在だということは理解できる。正直人生丸ごと国というものに捧げていただいているようで同情(不敬にあたるのかもしれんが)と尊敬の念を抱いてもいる。だから今後もし何らかの戦争に巻き込まれることになった場合、やっぱり一番心配なのは彼らのことかな。引いては日/本人、国全体の在り方や統治形態に直結するので、頼むから扱いを間違えてくれるなよ、と自国の指導者にも関わっていくかもしれない敵?に対しても思う(´・ω・`)

上記の流れに関連して、M木さんが国家は幻想に過ぎない、と言ってた件について、歴史好きとして私はそうは思えない、というメモ。英語で歴史はHistory=His storyが語源だと言いますよね。ここで言うHeは誰か、って考えたら「国」や「地域」、あるいはそこに所属する意識を持った個人に帰結するのではないか、と思うから。登場人物(he)が一人だけでは物語(story)は生まれない。各々の国が自我を持って主張し、その内容を記してきた記録の集合体が歴史で、それは何で書かれたかって言えば「国」の成り立ちや所属意識をハッキリさせるためだったり、地域の歩みを残したいという思いによってではないのかと考えるから。そこに政治的な意図が混じるのはある意味で当然だし、その意図がなく記録自体がなされなかったとしたら私たちは過去について何も知ることも学ぶことも考えることすらできなくなってしまう。もし「国家」という境界線がなくなれば、多様な視点が失われてしまう可能性すらある。代替として宗教や民族にその枠組みを求めるようになったとしたら、I Sの例を見てももっと悲惨な世界が待ち受けているようにしか見えないし。今を生きる人間として、また色んな歴史のサイクルや人間の進歩?に楽しませてもらった者として、例え一見すると政治家の遊びに過ぎなかったとしても、独裁国家の主張と民主国家の議論、双方を聞いてこそ開ける考え方というものもある、と信じたい。決して政治としてだけではなく、一般国民含め「国家」間の問題を突き詰めていくことによって、人間が何を信じてどこに拠り所を見出すのか、ってずっと知りたかった問いの答えが次第に見えてくるような気がするから。
それとM木さんのような自称「コスモポリタン」路線で生きて行ける人とは違って、大多数の人間は誰もが国や民族や宗教といったものに頼らずにアイデンティティを確立できるほど視野が広かったり柔軟なわけじゃないと思う。彼はそもそも民族主義・集団意識のようなものを否定したいがためにこういう意見に至ったのかもしれないけど、家族→地域→自治体の延長線上の集団としての「国家」という概念を否定するということは、逆に言えば究極的な彼我の境界線の否定、世界総ボーダレス症候群に陥ってしまうことに繋がりかねないのでは? 「おまえと俺に壁なんか無いんだから、意見の相違もあり得ないはずだよな?」という一人一人の個性や個人主義の否定、ファ○ズムに近い状態に陥る危険だってある。自由の国・移民大国アメ○カで自らのルーツを探すサイトが存在する理由や、掲示板にFamily treeをさらすスレッドが絶えない件について一度考えてみてほしい。彼らにとって祖父母の出身地を指す「国家」、また自らが属するところとしての「国家」もまた、自己を語るうえで欠かせない存在であるのは確かだと個人的には感じたから。

私も大人になるまで「本当はハーフかクォ―ターなの?」と余りにも聞かれるのが嫌で(子どもの頃は特に色素が薄めで、顔立ちが濃かったのと祖父母の信仰のせいもあったかもしれない(^-^;)、一回祖父に「もしどっか他の血が混ざってるなら教えてほしい(親も彫りが深かったし、出身地的にあり得ない話ではなかったから)」と聞いてみたことがあります。でも祖父は諭すように「おまえは日.本人だ。おじいちゃんもおばあちゃんも、その両親もずっとずっと日/本人だ」と言われて、やっとストンと落ち着いたというか安心できた経験があって。こういうところが日.本の排他性だのダメな点と言われてしまうのかもしれないですけど、その時に今自分がいる国が好きで、その歴史にハマっていて、ここに生まれてきて良かった、って感じているのは確かでそれが全てなんだな、ってようやく気づけたような気がしたんです。そう自分が思っているなら、仮に先祖がア○ヌだろうがス○ヴだろうがヤマトと蝦夷の混ざり者だろうが、結局子孫が日/本人としてある程度幸せに暮らしている現在を受け入れてもらえるんじゃないか、と。自分は日.本人で、何を言われてもただそう考えて生きていけば良いんだな、と素直に思えた。
まぁ宗教面に関してだけは中々コンプ抜けないけど・・・そうだよな、ソレ一つ取っても自我の確立って難しいんだもん、生まれた場所・ルーツの拠り所であるはずの「国」を取っ払うとしたらどんだけのカオスが生まれちゃうんだ?((( ; ゜Д゜))) それこそ宗教や民族ネタの戦争が勃発しまくりでメチャクチャな世界になってしまうのでは?とか考えてしまいました。エヴァの人類補○計画やギ○スのラグ○ロクじゃないんだから、私たちはもちろん「一つ」になんてなれないし、ならなくて良い。政治上でもそれに影響されてしまった国民同士でも、虐殺なのか事件なのか、連行なのか公募なのかトコトン喧嘩し合ったって良いやんけ。視点も利害も違うんだもん、当たり前のことだ。諍いを恐れる余りそれを否定してどちらかの見方しか認めないとする世界になったら、正直そっちの方が恐怖そのものな気がするわ。・・・ホ○エモンといい、「頭の良すぎる」人は他の人間のレベル考えないで暴言ぶっぱなすから怖いわー(´-`)


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1984ちびちび読んでての感想続きとか、後半政治ネタ含むのでご注意願いますm(__)m

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イングソックによるニュースピークの創造・進化に『シュトヘル』の主要なテーマがまさにこの言葉の破壊と創造(統合)の意味するところだな、と考えさせられた。サイムのキャラクターは非常に純文学的で魅力的。これが一応(体制のモチーフはソ.連を想起させるけれど)「共/産主義」ではなく「全/体主義」社会をテーマにした作品だということを思い起こさせる、党の主義・主張に対する忠誠心と純粋さが哀しくなるほど痛々しい。彼は本当に望んでいるし憧れているんだ、究極に単純化された言語と、それによって完全に矛盾や葛藤を超越した人々によって成り立つ理想の社会を。ナ○ズム・ヒ○ラーに傾倒した人々の動機も、最初はただこうした「崇高な理想の世界を作りたい」というものだったんじゃないかな、と思う。特定の民族への怒りや敵への憎しみが主体ではなく、理想を叶えるための後付けの言い訳・手段が目的化してしまい悲惨な結果を生んだのではないか、と。。すみません敗.戦国民の立場で、何か彼らを庇ってるように見えるコメントをしてしまって(-_-;) 最終的にナ○スを支配したレイシズムや自民族優越主義には明確に大反対の立場です。ある意味でそういう傾向に近づきがちな一部自国の人々についても恥ずかしく感じておりますm(__)m
いくらサイムが魅力的なキャラクターで、彼の考え方について一つ筋が通ったものであるかのように少しの共感というか理解を覚えても、私はやっぱり文学が好きで、自分で小話を書いたりもしていたから言語が単純化していくことは許せないし恐怖を覚えます。ブログのしょーもないグチ記事だってなるべく続けて同じ表現被らないようにしたいとか思ってんのに、「素晴らしい」と「申し分ない」を使い分けちゃいけないって!? 小学校から必死に教えてきた対義語・類義語の概念を全否定とか、先生たち超ヒマになっちゃうじゃん。(その分軍事教練とか思想教育に費やすのか?ああいうトコでは)何かホント蓮池さんやジェンキンスさんの本で読んだ北朝.鮮みたいだ。暮らしぶりとか・・・ロ○アは留学してた方の話では制裁で若干ヤバい状態ではあっても、一応今は「連邦制民主国家」ってことでそこまで酷くはないみたいだけど。
簡/体字の件は、まぁ知り合いが80后世代でこっちに留学来るようなタイプの人だったので今のもっと若い人たちとは感覚が違うのかもしれませんが、心底繁.体字の残る香/港や台/湾を羨ましがっていました。本来の意味が全く違うものが音が同じとか書きやすいって理由だけで一つの文字に統一されてしまっている、とか。そもそも文字として美しくないし、本来の成り立ち(元々が象形文字だったんだもんね)を台無しにしているとか。原著で読めばニュースピークに対してネイティヴの方が感じる感覚も似たようなものなのかな、と興味を抱いたり・・・(いやいや落ち着け自分?最近積ん読たまってんぞ?^^)

追記:
これ読み終わったら親の枕元にでもそっと置いておこうかなー。「もし仮に日/本K産党が政権を取った場合、こういう風な国家運営に陥らない絶対的な自信はあるのか?」という意味で(笑) とりあえず米との同盟は維持とか今のところ言ってるけど、どうだかねー。コミュアレルギーの共和政権なんかになれば真っ先に切られるだろうし。親含めぶっちゃけボンボン育ちの理想主義者がリアル学なしブルーカラーを実現不可能な甘い言葉で言いくるめて成り立っているような政党に、真っ当な国政が執り行えるのか甚だ疑問です。私、共/産主義って究極の平等を追求した思想で、差別の入り込む余地は全くないと考えてたんですよ。でもウチの親はハッキリ言って嫌いな相手やイデオロギー的な敵対者のことは平気で差別する。例えば現首相の学歴とか、O阪で引退するしない言ってる元市長の名字とかをネタに。名字からうかがえる先祖のルーツで他人をバカにする発想とか、マジで恐れ入るとしか思えないし相手の出身国で人柄を判断する極右と何が違うのか全く理解できない。私が左嫌いになったのって正直彼とお仲間の言動を見てきたせいだよ。党と「同志」のために尽くすのは当たり前だから、こっちがどんなに損を被っても詫びも返礼も一切なし。あとA新聞のしつっこい記者と勧誘な。まぁ子としての自分はハッキリ言ってそれ以上のロクデナシだし、親には尊敬すべき部分も、脆いところも両方あって感謝と申し訳なさの念が勝るのは確か。でもできることなら本当にソッチ系のイデオロギーからはいい加減目を醒ましてほしい。

まぁだからと言って自分にとっては右の方も、日.本の場合Tennoと国の成り立ち自体がどうやっても切り離せないくらい結びついていることを考えると、信仰持てない者が与するには絶対不可能だな、と距離を置いてしまうんですけどね。だって『古.事記』=神/道の聖/典、つまりどうやったって今でも「カミ」のトップに君臨する存在なんだもん、あの一族は(-_-;) 人.間宣言なんか全くの無駄だよ、歴史浅い+基本一神教の国のアメ○カさんにはこの根深く息づいてるウチ独特の価値観というかシステム(ちょっと危険な用語かもしれない(^^;)が理解できなかったのか・・・。うん、そうなんだろうな今のヤ○クニ問題の燃え広がりっぷり見る限り(´-`) 日/本人的に普段特に意識することもないだろうし、外では議論も憚られるタブー視されてることだけど、個人的には何か可哀想になっちゃって。あの家に生まれて、一生国という存在から逃れられないというか、教.皇のような自己の選択の結果でもなく「そうであり続けなければならない」彼らのことが。でも日.本の歴史を多少かじった身としては彼らの存在なしに国の安定や伝統の保持は不可能だな、とも感じるし、何つーかねー・・・ホント申し訳ない(-人-)という意味で尊敬していることはいるのですが、「信者」になることは無理なんだよなぁ。


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