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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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明かされる真実と選択。

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「……何じゃ、結局戻ることにしたのか」
 
今度は森のおばあさんの家に自ら出向いた私たち二人に、
おばあさんは少し残念そうな表情(かお)で溜息を吐いた。
何だか見透かされていたようで少し気まずい。
 
「ご、ごめんなさい……」
 
「ばばさま、ミチルは悪くないんだ。僕が、中々話さなかったから……」
 
「それで、元の世界に還る方法って本当にあるんですか?」
 
アーノルドに庇われているのが居た堪れなくなって、早口で本題を切り出す。
おばあさんはもう一度深く溜息を吐いてこう告げた。
 
「……ある。じゃがミチル、それにはお主の強い願いが必要だが、
本気であちらに戻る意思があるのじゃな?」
 
おばあさんの問いに、私はゴクリと息を飲み込む。
 
「あちらではどれほどの時が経っているかも、何が起こっているかもわからぬ。
お主の家、家族、仕事……想う男も、何もかも塵芥となり果てているかもしれぬ。
それでもお主は帰るのじゃな?
ここでの暮らしも、そこにいる夫も全てを捨てて、元の世に戻ると決めたのじゃな?」
 
捨てる。棄てる……嫌な言い方。
思わず眉を顰めるが、確かにおばあさんの言うことは正しい。
私は捨てるのだ。暁を取り戻すために、アーノルドを。
 
「……そうよ、おばあさん。私は帰る。そう決めたの」
 
「……最後まで悪びれぬか。本当に気持ちの良い女子(おなご)じゃ」
 
おばあさんは声を立てて笑った。傍にいるアーノルドが息を飲んだのが分かる。
 
「良いじゃろう、ミチル。できることならお主のような女子に、
この国の王妃になってほしかったが……。お主の願い、叶えよう」
 
「それで、方法は?」
 
隣で黙り込むアーノルドの顔が見れない。
私はどれほど残酷なことをしているんだろう、と今更ながら思い知った。
 
「薬指にしている指輪を外せ。それには王家の魔法がかかっている。
異界から来た花嫁を決して逃がさぬように、な……」
 
「……え?」
 
驚いてアーノルドを見上げる。薬指にしているのは、アーノルドの瞳と同じ色をした
青い石の指輪。結婚式で、他ならぬ彼が私の指に嵌めてくれた、結婚指輪だ。
この指輪が私を繋ぎとめているなんて、彼は一言もそんな話はしなかった。
私の眼差しに、アーノルド悲痛な面持ちで私から目を逸らす。
 
「なに、それアーノルド? 冗談でしょ?」
 
だって私をここに連れてきたのはアーノルドだ。
私に、元の世界へ帰りたい、という本当の気持ちを思い出させてくれたのも。
 
「……君を、試したかったんだ。僕の魔法を唯一解くことのできるばばさまの元で、
本当に元の世界を選ぶのか……それとも、僕を選んでくれるのか。
本当はね、“心納めの儀”なんて儀式は存在しないんだ……。
僕は、早く君に結論を出してほしかった。僕を受け入れてほしかった。
ただ、それだけのために無理やり君の心を暴いて、試したんだ」
 
アーノルドの言葉が右耳から左耳へスルリと滑ってゆく。傍らに立つ見慣れたはずの
美貌が、何だか得体のしれないものであるかのような冷たさを持って私の瞳に映り込む。
 
「そんな……!」
 
嘘でしょ? アーノルド。
優しかったアーノルド。いつも私を見守ってくれた、青い目の王子様。
 
「……本当は、君に元の世界のことなんか少しも思い出してほしくなかった。
早く、忘れてほしかった。
何もかも捨てて僕の傍に来てくれたら、いつだってそう思ってたよ……!」
 
力なく項垂れるアーノルドの絞り出すような叫びに、心がざわめく。
 
「ミチルよ、王子の言葉が本心だったとして、お主のすることに変わりはない。
先ほどの決意がまことなら指輪を外せ。魔法は解け、お主の願いは叶うだろう。
もし王子を選び、この国に留まるというのなら……
その耳飾りを外し、王子の生みだした“心納めの儀”を執り行うのじゃな。
そうしなければお主の心が壊れてしまう。
王家とて、何の考えも無しにそのような儀を設けはしない」
 
胸に突き刺さるような鋭い言葉。次々と明かされる驚愕の事実に、私はパニック寸前だった。
ずっと、捨てられることが恐怖だった。必要とされなくなってしまうことが。
そんな私が、今度こそ本当に、自分の意思で、自分一人の責任で誰かを、
何かを捨てなければならない。
そんなこと私にできるの?ああ、今までは助けられていたんだ。
あの言葉に、『君がそうしたいなら』、そう告げることで彼らは、私を守ってくれていた。
私だけが悪いんじゃない。そう、優しく私を甘やかしてくれていた……
今更、そんなことに気づくなんて。
 
何一つ困ることのない魔法の世界、不思議な生活、優しい夫……
懐かしい家族、忙しないけれどやりがいのある仕事、それから……
 
『シャープさんの傍にいたいから、この世界にいるんです』
 
私よりもずっと年下の少女の声が、脳裏を過ぎった瞬間。
私は左手の薬指から、指輪を抜き取っていた。身体が不思議な光に包まれ、浮き上がる。
 
――みちる! みちる!
 
……あぁ、私を呼ぶ声が聞こえる。あの人の声だ。誰よりも懐かしくて……愛しい、声。
 
「ごめんね……ごめんね、アーノルド」
 
やっぱり私は、彼が好きなの。
 
~~~
 
「みちるさん! みちるさん!」
 
目を覚ましたのは白い部屋だった。かすかに消毒液の匂いが漂う。きっと病院だ。
 
「倒れたと聞いて……とても心配しました」
 
枕辺に座っていたのは登吾さん。少し期待しすぎていたのかもしれない。
……ううん、違う。だって、視界の片隅に映るあの花は。
 
「みちるさん、薔薇がお好きだと伺っていたのでお見舞いに持って来たんです。
意識が戻られて本当に良かった」
 
にこりと笑う登吾さんに、私は布団の上に起き上がる。
登吾さんに……ううん、“彼”以外の全ての人に、薔薇が好きだと告げていた。
でも、本当に好きなのは……好きなのは、
 
「無理はしないでください! 丸二日寝たきりだったんですよ!」
 
そうは思えない。だって身体が疼くのだ。私はベッドから飛び降りた。
今更、何を言うんだろう、と思われるかもしれない。
彼は付き合いで私を見舞っただけなのかもしれない。でも、それでもいい。
振られたって、一番じゃなくたって、私が、一番好きな人のところへ行きたいから。
エレベーターへと乗り込む背中に、私は声を張り上げた。
 
「……暁っ!」
 
振り向いた彼が、目を丸くして私を見る。
 
「あんたっ……あんた馬鹿じゃないの!? 病院に鉢植えなんて!」
 
……第一声がこれって、明らかに失敗だ。
息を切らした私の頭を、大きな手が優しく撫でる。
 
「ん~……だって、おまえの好きなものって中々思いつかないし」
 
気が利かないし、結構単純だし、意外と臆病だし……でも、それでも、
 
「好き……」
 
彼のYシャツを掴みながら飛び出した決死の告白に、
彼がどんな表情(かお)で、どんな言葉をくれたのか――
それは、あの不思議な王国での体験と共に、私だけの大切な秘密なのだ。
 
 
~~~
 
 
「まぁた嫁を逃がしおって。これで六回目じゃ」
 
床に転がったサファイアの指輪を見つめて老婆が呆れた調子で呟くと、
青年は笑いながらそれを拾い上げた。
 
「じゃあ次は“らっきーせぶん”で、きっと素敵な女の子が来るよ」
 
「……お主は優しすぎる。何故いつも不安定な、迷い子ばかり拾うのじゃ?」
 
「可愛いじゃないか。此処と元の世界で揺れ動く彼女たちの瞳が好きなんだよ。
でも今回は……ちょっと、堪えたなぁ」
 
指輪を胸元にしまい込みながら溜息を吐いた青年を、
老婆は気遣うような眼差しで見つめた。
 
「……当たり前じゃ。いつものような軽口を叩きおって。
お主、ミチルのことは本心から……」
 
「やだなぁ、ばばさま。いつもの娘(こ)たちより年齢が上だから、
少し扱いが違っただけだよ。僕はこの国の世継ぎなんだ。
国のために、異界から少しでも優れた妃を迎える。義務のために……招いただけだよ?」
 
虚空を見るような彼の眼差しに、老婆は数度目の深い深い溜息を吐く。
 
「相変わらず素直ではないな。少しはミュージックキングダムの国王を見習ったらどうだ?」
 
「シャープ兄さんを見習うなんて、とんでもない。余計なお世話だよ、ばばさま……」
 
呟いた青年の瞳に滲んだ雫を見ぬふりをして、老婆は窓の外を見上げた。
青年の瞳と同じ色を宿して輝く、果ての無い空。
その向こうに、今度こそ彼の真の伴侶となるべき存在が現れることを祈って――




後書き
 



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すれ違いと本当の気持ち。

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歯車が狂ってしまったのは、一体いつからだったのだろう?
 
『主任が会社を辞める』
そんな噂が流れてきたのは、付き合いだして数ヶ月経った頃だった。
 
「……独立する、ってホントなの?」
 
向かい合って料理を口に運ぶ相手に問いかければ
 
「ああ、耳が早いな。来月いっぱいで退社しようと思ってる」
 
と淡々とした答えが返ってきた。
暁が会社を辞めてしまえば、今までのように毎日顔を見ることは叶わないかもしれない。
約束された将来を捨てて一から会社を興して、成功する保証だってないのに……。
不安で堪らなくて、私との出会いの場所を捨ててしまう暁を恨みがましい目で
見詰めてしまう。そんな私に、暁は笑って
 
「何だよ、そんな顔するなよ。
……今の十倍稼がないと、結婚は考えないって言ったのお前だろ?」
 
と告げた。
 
「え……?」
 
付き合う前、飲み会の席で理想の夫の年収を聞かれた時、
とんでもない額を答えた気がするけど……まさか、その時から?
戸惑う私に、暁は小さな包みを差し出した。
 
「会社が軌道に載ったら……、ちゃんと、ここにプレゼントするから」
 
テーブル越しに、彼が触れた薬指が熱い。
開いた小さな包みの中には、私の誕生石、赤いガーネットのピアス。
 
「うん……待ってる」
 
いつもなら言ってしまうような『何よ、安物じゃない』なんて憎まれ口も不思議と出てこなかった。
だって、嬉しかったのだ。もっと高価なプレゼントをくれた彼は、それまでにも沢山いた。
けれどその時の私には、ダイヤよりもルビーよりも、ガーネットの輝きが何より眩しかったのだ。
 
 
~~~
 
 
そんな思い出とも、もうすぐお別れ。
私だっていつかはこうしないといけない日が来る、って分かってた。
私は暁を裏切ったし、そもそも今は生きる世界だって違ってしまったのだ。
アーノルドはハンサムで優しいし、何よりお金持ちだ。
私は幸せになれる。彼を忘れることができれば……。
 
コンコン
 
刻限が来た。控えめにノックされたドアの向こうから、アーノルドが顔を覗かせる。
 
「ミチル? ……準備はいいかい?」
 
何かを問いたげな蒼い瞳に、微笑んで答える。
 
「ええ、大丈夫よ」
 
両耳のピアスを外し、私は立ち上がった。
 
『心納めの儀』に使われる封印の間には、
先祖の祖霊と話す?時に用いたのと同じような魔方陣が描かれていた。
そしてその中心に豪奢な飾りの付いた古々しい小さな箱が安置されている。
箱は不思議な淡い光を放っていた。あれがアーノルドの言うところの『心納めの箱』なのだろう。
 
「ミチル、いいかい? 君は今から一人であの中心まで行って、
神官が合図をしたらその『宝物』をあの箱の中に納めるんだ。一度あの箱の中に
納めてしまったら、持ち主が死ぬまで二度とあの箱は開けられなくなる……」
 
「ええ、分かった」
 
小さく頷いて、箱を見詰める。魔導師たちの詠唱が始まった。アーノルドがそっと私を促す。
箱の放つ白い光に向かって、私は魔方陣の中に一歩足を踏み出した。
 
 
~~~
 
 
「私と一緒にいても楽しくないの?」
 
「そんなわけ無いだろ?」
 
「じゃあどうしてあくびばっかりしてるのよ……」
 
「ごめん、ここマトモに最近寝れてなくてさ……」
 
始まりは、こんな会話からだったのかもしれない。
 
「どうして!? 約束したじゃない!」
 
「その日は打ち合わせがあってどうしても無理になったんだよ……」
 
「そう言って、先週も先々週もダメだったじゃない! 
一体いつから会ってないと思ってるの!?」
 
「ごめん……」
 
暁が、私に謝ることが増えた。会う時間が減った。
喧嘩の後、元気になるのではなく落ち込むことが増えた。
暁と一緒にいる自分が、自分と一緒にいる暁が嫌になった。
そんな時、登吾さんと出会った。彼は優しかった。甘ったるいお菓子のように。
今ここにいるアーノルドと、同じくらいに……。
 
 
~~~
 
 
気がつけば、箱の前でポロポロ涙を流していた。私は愚かだ。本当は気づいていたのに。
登吾さんを、アーノルドを、この世界を理由に逃げていただけ。
あのひとをどうしようもなく好きだという想いから……。
 
「アーノルドッ……ごめんっ……もう私、無理だよぅ……!」
 
ピアスを握り締めたまま、箱の前にくず折れた私に、周囲がどよめく。
そんなざわめきを制して、カツカツと近づいてくる足音。
 
「ミチル」
 
私の傍らに彼がしゃがみこむ気配。そちらを見ることができずに、泣き濡れた顔を横にそらす。
アーノルドは私の両頬を挟み込むように持ち上げ、目を合わせるとにこりと笑った。
 
「ようやく、素直になったね」
 
その瞬間、私の喉から嗚咽が漏れた。優しく涙を拭う指が、
澄んだ蒼の瞳が、少しも責める響きのない声が堪らなく暖かくて……切ない。
 
「わたしっ……わたしっ……!」
 
「うん、うん、分かってるから。何も、言わなくていいから」
 
甘く、優しい、優しすぎるアーノルドの腕の中で、私は涙を流し続けた。
その場にいた全ての人々が、儀式の中止を悟っていなくなってしまうまで。
 
 
 
「ミチル、僕は君が好きだよ。好きだから、君を妃にと望んだし傍にいてほしいとも思ってる。
でも、それ以前に僕は君に幸せになってほしいと思ってるんだ。
何かに耐えているような哀しい顔で、傍にいてもらっても意味が無い。
僕は君に、笑っていて欲しいんだ。きっと、君には笑顔が一番似合うと思うから……」
 
泣き喚く私を抱きしめながら、アーノルドが耳元で囁き続けた言葉。
どうして、この人はこんなにも優しいのだろう?
どうして、この人はこんなにも欲しいものばかりくれるのだろう?
どうして私は、この人を一番に選べなかったのだろう?
 
「ミチル、君が一番望むものは何?」
 
泣き止んだ私を、アーノルドが真っ直ぐに見つめて問うてきた。
偽りを告げることは許されぬ瞳。もう、逃げるわけにはいかないのだ。
たとえ誰を傷つけることになっても、私が今まで一番大事にしてきた
自分自身が傷つくことになっても。
そう……今までの私は、結局自分を守ることしか考えていなかった。
そのことに気づかせてくれたのは……
 
「アーノルド……わたし……私は、帰りたい……」
 
掠れた私の呟き、いつも穏やかだったアーノルドの表情が一瞬強張ったのが分かる。
 
「う、ん……分かった」
 
アーノルドは一拍間を置いて頷くと、スッと踵を返した。
 
「アーノルド!?」
 
慌てて声をかけると、アーノルドは振り向かないまま
 
「ばばさまにすぐ連絡を取るよ。向こうの世界との繋がり方を把握してるのは彼女だけだ」
 
と片手を上げてみせた。
 
「それなら私も一緒に……」
 
と後を追いかけて、口を噤んだ。彼の肩が、小刻みに震えていることに気づいてしまったから。
 
「ミチル、ごめん。今は少し……独りにして」
 
アーノルドはそう呟いて扉を閉めた。私、本当にバカだ……!
唇を噛み、ピアスを手にした両手を握り締める。目の前には心納めの箱。
この中には、今までどのくらいの思い出が封じ込められてきたのだろう?
彼は気休め程度のもの、って言っていたけど、
本当に思い出を忘れたお妃様はいなかったのかしら?
もし、私が何も知らずにこの箱の中にピアスを放ってしまえたなら……
誰も、傷つくことなく全てが上手くいったのだろうか?
ぼんやりと箱を眺めながら考えても仕方のないことばかりが脳裏を過ぎる。
いいえ、アルは魔法の分からない私に説明も無くそんなことをさせたりなんかしない。
この期に及んで逃げ口上だなんて、やっぱり私は覚悟が足りない。
手の中のガーネットをじっと見つめる。これは私が決めたこと。
私は帰る。あのひとのいる世界に。例えあのひとが、私を待っていなくても。
 
「もっと良い石、もらわなくちゃね」
 
耳にピアスを付け直した瞬間、思わず微笑がこぼれた。




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過去。

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「もうっ! 信じらんないあのオトコ!私が目の前にいるってゆーのに、
お得意様がいたから、とか言って私を一人で帰したんですよ!?
サイテーだと思いません!?」
 
会社の飲み会の席で、既婚の先輩OLに前日のデートへの不満をぶちまけていた私に、
からかい混じりの声をかけてきたのは彼だった。

「なんだ葉谷、お前また振られたのか?」
 
「……森条主任! 違います、私は振られたことなんかありません~!
昨日の彼だって、こっちから終わりにしてやったんですよ!」
 
カッとなって怒鳴り返す私に、彼はますますおかしそうに声を上げて笑う。
いつも、こうなのだ。彼はいつも私をからかう。私は怒る。だからいつも、喧嘩する。
 
「あ~、みちるちゃんダメだわ。完全に出来上がっちゃってるわね……」
 
先輩が呆れたように呟くと、彼が苦笑しながら頷いた。
 
「そんなことないですよぉ? 私は全然フツーですぅ」
 
ムキになって言い返すと、いつの間にか後ろから腕を掴まれていて。
 
「野上さん、俺コイツ送ってきますから」
 
振り返ると、彼の顔があった。
 
「え!? なんで、私まだ平気ですって! もう少しここに……」
 
「アホか、そんな真っ赤な顔して」
 
「そうよ、みちるちゃん。今日はもう帰んなさい」
 
先輩が怖い顔をしてそう言うので、渋々彼の後について行かざるを得なかった。
 
「しっかし、お前も毎回毎回バカだよなぁ」
 
先輩の姿が遠ざかった途端、暁は案の定呆れたように私を眺めて溜め息を吐いた。
 
「何ですかそれ!? 大体私、一人でもちゃんと帰れます!」
 
ふらつく足取りで踵を返そうとすると、強い力で腕を引き寄せられる。
 
「そんなフラフラしててちゃんと帰れるわけないだろが。
ほら、こっち来い。タクシー捕まえるから」
 
時計を見れば、終電にはまだギリギリ間に合う時間。
あの時、いつものように意地を張って駅へ駆け込んでいたら、
こんな想いを知ることも無かったのだろうか。
 
「……何で主任も一緒に乗り込むんですか」
 
タクシーの車中、膨れっ面で隣に座る彼を睨みつければ、彼は
 
「ついでだ、ついで。大体そんな千鳥足で、無事に玄関まで辿り着けるかすら心配だ」
 
と再び溜め息を吐いて私を見た。その表情が余りにも優しげだったから……
それまで何度も座っていたはずの主任の隣という位置に、妙に胸が騒いだ。
 
「主任の家、逆方向じゃないですか。遠回りになりますよ」
 
流れる空気に居た堪れなくなって、ふいっと目をそらして憎まれ口を叩いた私に、
彼はチッと舌打ちをして面倒くさそうに呟いた。
 
「おま、ホント可愛くないな……! 人の好意は素直に受け取れって言われなかったか?」
 
「あら、私大抵の方のご好意は有り難く頂戴してますよ?
ただ、受け取りたくないものは無理に受け取らないようにしてるだけで」
 
「ほ~う、お前は優しくて男前な上司からの好意は受け取りたくないと?」
 
目が笑っていない暁の笑顔は、普通の人間なら逃げ出したくなるほど怖い。
 
「優しくて男前の上司とはどこのどなたのことでしょうか?
課長ですか? それとも部長でしょうか?
どちらも確かに素敵ですし、喜んでご好意を受け取らせていただいてますけど」
 
負けじと言い返してにっこり笑ってみせる頃には、酔っぱらっていた脳がすっかり
覚醒して、同時に失恋に落ち込んでいた気分も、何だか不思議なほどスッキリしていた。
 
「葉谷お前、覚えとけよ……!」
 
彼がそう吐き捨てて黙りこんだ頃、ようやくタクシーが私のアパートの前に止まった。
 
「今日はホントにどうも、ありがとうございました」
 
棒読みでそう告げてタクシーを降りようとすると、ギュッと手を掴まれた。
 
「お前、金曜の夜って空いてるか?」
 
「そりゃ別に……空いてますけど」
 
オトコと別れたばかりの女にそんな質問、しないでほしい
という抗議の意を込めて彼を睨めば、驚くほど真剣な眼差しとかち合う。
 
「絶対空けとけ。いいな!」
 
それだけ告げられバタンと閉められた扉。
遠ざかるエンジン音に、少しだけ熱を持った大きな手の平の感触。
初めて、「喧嘩相手の主任」を一人の男性として意識した瞬間だった。
 
 
~~~
 
 
それから、約束の金曜日までの数日を私は落ち着かない気分で過ごしていた。
彼はあれから別段変わった素振りを見せることもなく、相変わらず私には
“デキる上司だけど時々ムカつく憎まれ口を叩く嫌なヤツ”という態で接していた。

あの時、彼の表情(かお)に『男』を意識してしまったのは気のせいで、
単なる仕事の相談とか、なのかしら?
でも、あんな意味深な言い方されたら気になるじゃない!

喧嘩相手をそんな風に意識してしまう自分に戸惑い、金曜の具体的な連絡が無いことに
焦り、苛々した気分で迎えた木曜の夜、ようやく彼から一通のメールが届いた。

『明日午後7:00にPartenzaで。』

一度は入ってみたいと思っていた会社近くのイタリアンレストランの名に、
不思議と胸が踊る自分を認めないわけにはいかなかった。
大体、断ったら逆に意識してます、って打ち明けるみたいで気まずいわよね……。
仕事の話かもしれないし、食事するだけよ、食事だけ!
頭の中で必死に自分に言い聞かせながら、返信を打つ。

『分かりました。楽しみにしています。』

ディスプレイに“送信完了”の文字が浮かび上がってから、思わず漏れた独り言。

“楽しみにしています。”って何よ。まるで期待してるみたいじゃない」

ぶんぶんと頭を振りながら携帯をテーブルに置いた瞬間、
メールの着信を告げるメロディが鳴った。

『俺も、楽しみにしてる。』

高鳴る鼓動に携帯を握り締めたのは、何年ぶりのことだろう。
翌日の夜七時までの時間を、私はそれまでとは異なる種類の騒めきに包まれて過ごした。

ところがその日、余りにフラフラと過ごしていたせいか、
私は仕事で思わぬミスをやらかし、退社時間が遅れてしまった。
時計を見ると既に午後八時近く。慌ててエレベーターにから降りた私の目に、
飛び込んできたのは見慣れた長身のシルエットだった。

「葉谷、お疲れ。ホラ、行くぞ」

苦笑して私を見る瞳は、いつもより何だか少し優しい。

「しゅ、主任……? 何で、まだここにいらっしゃるんですか? 予約の時間は……?」

「オイ、おまえ俺を誰だと思ってるんだよ?
今日のお前のポカとそれに伴う+αくらいちゃんと把握してるっての」

キョトンとして問いかけた私の頭をコツンと叩いて、彼は溜め息を吐いた。

「予約の時間は変更してもらったから、今から行けばちょうどいい。
ボケッとしてないで行くぞ。バカ葉谷」

スタスタと歩き出した背中を、慌てて追いかける。

「ちょ、ご迷惑をおかけしたのは申し訳ないと思ってますけど、
バカとは何ですかバカとは!」

「本当のことだろうが。あっちフラフラこっちフラフラのろバカ葉谷~♪」

「もう、主任!」

変に緊張していた心が、彼の軽口でほぐれていく。
レストランに到着して、落ち着いた雰囲気のある椅子に着席した時、私の脳裏からは
地味に引きずっていた元彼のことも、主任に対する複雑な戸惑いも消え失せていた。
美味しい食事とワインに、普段は喧嘩相手のはずの彼との会話は楽しかった。
仕事の話、趣味の話、元彼の愚痴……酔っていたせいもあるのだろう、思わず漏れた弱音。

「時々、思うんです……私って、世間全体から見たらちっぽけで、
ちっとも誰からも必要とされてない存在だよなぁ、って。
だから、そこそこ世の中から必要とされてる人の一番になれたら、
少しでも私の存在意義みたいなのを見出せるんじゃないかなぁ、って。
でも、中々うまくいかなくて……って、当然ですよね、
誰かとお付き合いするのにこんな考え方じゃ」

暗い照明ごしに、彼はじっと私を見つめていた。
その真っ直ぐな瞳が、今の私の発言を軽蔑しているようで、
私はそっと視線を逸らし俯いた。

「葉谷」

低く響くテノールの声が、耳を打つ。
気まずいながらも顔を上げると、瞳がかち合う。

「俺じゃ、ダメなのか?」

「え……?」

「お前のこと一番にするの、俺じゃダメなのか?」

熱を帯びた眼差しが、嘘をついているとは到底思えなかった。
そのことに気づいた途端、まるで火が付いたように頬が、全身が火照り出す。

“暁”という名が私の中で特別なものになるのは、それから間もなくのことだった。






 



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お客さまの帰還と新しい儀式。

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開いた扉から、相変わらずムッツリした顔のオレサマ男(オトちゃんのダンナだから
ちょっと格上げ)と、にこにこ笑うアーノルドが入ってきた。

「シャープさん!」

「アーノルド……会議はもう終わったの?」

私の問いに、彼は笑顔のまま

「ああ……いつも以上に楽しい会談だったよ」

と答える。その視線の先には機嫌の悪そうなヤツの姿。

「シャープさん、何かあったんですか?」

心配そうに覗き込むオトちゃんに、

「……何でもない!」

と怒鳴るオレサマ男。

「……何があったの?」

こっそりアーノルドに問いかけると、

「実は父上や重臣たちにオトさんのことで散々からかわれてね……。
真っ赤になるシャープ兄さんは見ものだったよ」

と耳打ちしてくる。

「あ~、それで。私も見たかったな~」

ヒソヒソ話す私たちに、ヤツの殺気めいた眼差しが注がれる。
 
「オイ、そこのボケ夫婦! 全部聞こえてんだよ!」

……わぁ、地獄耳。なんて言葉は、口に出しませんでしたけどね。
そんなこんなで初めて迎えた他国の国王夫妻がお帰りになられたのは、次の日の朝。

 
「またいつでも遊びに来てね。何でしたらお一人でも」
 
にっこり微笑んでオトちゃんの手を取ると、彼女は大きい目をウルウルさせながら

「はい、ありがとうございます、ミチルさん……。
私、ミチルさんにお会いできて、ほんとに良かったです……」

と涙声で答えた。

「オトちゃん……!」
 
思わずひしっ、と抱き合うと、傍らで冷めた目で見ていたオレサマ男が
我慢できない、と言うように

「おい! オマエ『なんならお一人でも』って、むしろ俺は来んな、ってことだろ!
オトに変なこと言うんじゃねぇ! っていうか、離れろ!」
 
と怒鳴ってきた。渋々彼女から離れた私を、アーノルドが苦笑しながら見つめる。
 
「……じゃあシャープ兄さん、お元気で」

「ああ。お前も、頑張れよ……色々」
 
チラッとこちらに向けられる視線に、何よそれ! と負けじと睨み返す。

「……オトちゃんを余計なことに巻き込まないように、気をつけてくださいね!」
 
フンッ、とそっぽを向きながら吐いた言葉に、ヤツは驚いたようにこちらを見た。
 
「……ああ、わかってる」
 
ぶっきらぼうに呟かれた言葉。オトちゃんはそんな男に、優しく微笑む。

「アーノルドさん、本当に、お世話になりました。色々と、ありがとうございました」
 
私たちにペコリと頭を下げた彼女は、その夫と手を取り合って、部屋を後にした。
 しっかり斜め45°のお辞儀。……ちゃんと“王妃さま”してるんだなー。
 ボンヤリとバルコニーから二人の馬車を見送る私の背中に、降ってきたのはアーノルドの声。
 
「シャープ兄さん、再婚なんだよ」
 
「ええぇ!?」
 
驚いて声を上げ、アーノルドを見返すと、彼は少し複雑な表情を浮かべて
 
「オトさんがこちらにやって来た時は……シャープ兄さんは、前の奥方と婚姻中だった」
 
と言った。
 
「え……ってことは」
 
戸惑う私に、アーノルドはこう続けた。
 
「それには色んな事情があって……誰が悪いわけでもない。
今は、前の奥方も再婚して幸せに暮らしてるそうだし。
でもやっぱり、オトさんとの結婚には……沢山、問題も起こって……だから」
 
「でも……とっても、幸せそうに見えたわ」
 
思わず呟いた私の言葉に、アーノルドは微笑んで
 
「ああ、だから僕も安心した」
 
と告げた。
 
あんなに幸せそうで、私にないもの全てを持っていて、羨ましい――
そう思っていた彼女が、何を抱えていたのか。どれだけのものを、乗り越えてきたのか。
私、そんなのちっとも分かってなかった……
ごめんね、オトちゃん。
 
私なら、乗り越えられただろうか。傍らにいるこのひとのために――
こちらを優しく見つめる蒼い眼差しを感じながら、私は己の心に
ずっと引っかかっている疑問を、再び思い返していた。
 
 
~~~
 
 
「心納めの儀?」
 
怪訝な表情で問い返した私に、アーノルドはにこにこしながらコクン、と頷いた。
結婚式から一ヶ月後に行われる、婚姻の儀式のオオトリ。
まだそんなものが残っていたのか……
と一ヶ月前のハードな日々を思い出し、少しゲンナリとした気分になる。
そんな私の表情に気づいたのか、アーノルドは慌てて
 
「ああ、そんな面倒な儀式じゃないから安心して! 魔法使うのもちょっとだけだし!」
 
と付け加える。ちょっとって……やっぱり使うんじゃない。
 
「それで? 何する儀式なの、ソレ」
 
ため息混じりに聞いてみると、彼はちょっと言いづらそうにモゴモゴと口ごもりながら
 
「あのね……花嫁が、実家から持ってきた宝物を心納めの箱に納めるんだ。
まあ箱にはちょっとだけ魔法がかかっていて……花嫁が、ホームシックにかかったり
しないように、その、実家での一番楽しかった思い出を閉じ込めるっていうか……」
 
と言った。
 
「ハァ!? 何よそれ!私に地球の思い出を捨てろって言うの!?」
  
思わずアルに詰め寄った私に、アーノルドはオドオドと怯えた表情のままこう続けた。
 
「魔法は極々弱い気休めみたいなもんだし、今までお妃で実際に思い出を忘れられた方は
いないよ。少なくともアナースの人間なら、二割もかからないくらいの魔法だ」
 
「でも……私は魔力の無い地球人よ。それに……地球のものなんて、今は一つも持ってないわ」
 
カバンも持たずに転がり落ちたんだもの。着ていた服はおばあさんが雑巾として
活用した後処分してしまったらしいし、他に身に着けていたものといったら……
 
「あるじゃないか、君の耳に。その赤い石のピアス、チキュウから付けてきたんだろう?」
 
「えっ……」
 
アーノルドの言葉に、私はハッとして自分の右耳を触る。そこには確かに、
片時も肌身離さず身に付けていたガーネットのピアスが、赤い輝きを放っている。
 
「でも……これは……っ」
 
戸惑う私に、アルは優しく微笑う。私の顔を火照らせる、あの甘くとろけそうな微笑。
 
「ミチルが好きに決めればいいよ、儀式を行うのか、やめるのか。
でも……もし心納めの儀を受けてくれるなら……」
 
真っ直ぐにこちらを見つめるサファイアのように青く光る瞳。アーノルドの顔から、微笑が消える。
 
「僕のことも、<本当に>受け入れて欲しい」
 
きっぱりと告げられた言葉、逸らせない瞳。
あのひとからもらった両耳の宝石が、ひどく熱を持っているように感じた。





 



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思わぬ邂逅。

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「オイ、どーしたんだよ、いきなり黙り込んで、気色悪ぃ」
 
突然掛けられた声に、私はハッとして調子を取り戻す。
 
「なんでもありません!」
 
プイッと顔をそらした私に苦笑しながら、アーノルドが
 
「シャープ兄さん、気にしないで。ミチルは時々こうなるんだ」
 
とフォローの言葉を入れた。
 
「……ご気分がお悪い、とかじゃないんですか?
さっきシャープさんがあんなこと言ったから……」
 
心配そうにこちらを見る可愛い少女に、私は慌てて笑顔を取り繕った。
 
「ううん、本当に何でもないのよ。ところで、オトさんて私と同じように
違う世界からアナースに来たんですって? 元いた世界はどんなところだったの?」
 
さりげなく話題を変えつつ、核心に迫る……THE☆一石二鳥! 私ったら、あったまいー!
 
「あ~、えぇっと、正確に申しますと太陽系第三惑星地球の日本国A県B市……」
 
「ストップ!」
 
私の手は震えていた。
彼女の真っ黒いつやつやの髪、くりくりした漆黒の瞳を見たときから、そうじゃないかとは思っていた。
いかにも東洋人なベビーフェイスといい、自然な白さの肌の色といい……
でも世界が多様なら人種も多様、あんまり期待しちゃいけないかしら、なんて……
でも……でも、ありがとう神様! (そんなの信じたことないけど!)
 
「キターーーーーーッッッ!!!」
 
私は思わず彼女の顔を指差して(幼稚園で一番最初にならう、
「他人様に向けてやってはいけないこと」その1)叫んでいた。
 
「は?」
 
キョトンとする彼女がもう可愛くて可愛くてたまらなかった。
 
「私もA県出身なの! 今は東京に住んでるけど……。
私、駅の階段から落ちて、気がついたらここに来ていたのよ!」
 
「ええっ!? ええっ……日本の方、ですかぁ……!?」
 
心底驚いて腰が抜けた様子の彼女を、ダンナが支える。
 
「大丈夫か、オト?」
 
「じゃあ、ミチルとオトさんは、やっぱり同じ世界から来ていたんだね」
 
ポツリと呟いたアルに視線を向けると、彼はどこか寂しそうな、けれど同時に
嬉しそうな微笑をこちらに向けてきた。その視線にチクリ、と胸が痛む。
 
「シャープ兄さん、僕らはそろそろ会談の時間だ。
ミュージックキングダム国王の話を楽しみにしている臣下も多い。
ミチルとオトさんは故郷のことで積もる話も沢山あるだろうし、
いまのところはミチルにオトさんのお相手はまかせて、そちらに移動しないかい?」
 
唐突に席を立ったアーノルドに、サイテー男はこちらに睨みを効かせながらも立ち上がった。
部屋を出る直前、ヤツはどこか不安げな眼差しで、オトさんのほうを振り返った。
それに気づいたオトさんは、優しい微笑を浮かべて、ヤツを見返す。
その、キラキラした、暖かい眼差し。ヤツはそれを見ると安心したようにふっと相好を崩して、
一瞬だけ微笑んだ。アーノルドが私に向けるのと同じような、とろけるような甘い微笑み。
あんな男でも、こんな顔できるんだ……! 驚くと同時に、少し羨ましくもある。
二人が本当に想い合っていることが、嫌でも伝わってきてしまうから。
この世界で、彼女は何を見たのだろう? そして何を、見つけたのだろう?
そんな疑問を抱きながら、私は思いもよらぬ場所で巡り合った同胞の少女をじっと見つめていた。
 
 
~~~
 
 
「え、学校の階段から落ちた?」
 
「はい、それで気づいたら、こっちに来てたみたいです」
 
「やっぱり、キーワードは階段か……」
 
お茶をすすりながらのんびりと説明されたのは、オトさん……ええっと、
もう「ちゃん」でいいわね、彼女がアナースにやって来た時の具体的な状況。
“それ”が起こったのは一年前……当時17歳の現役女子高生(マジ羨ましい)だったそうだ。
てことは今も18歳……見た目より大人で良かったけど、ホントならまだ高校生ってことじゃない!
あのロリコン男、犯罪よ! 犯罪!!
 
「あの……みちるさんは、日本に帰ろうと思ってらっしゃるんですか?」
 
またまた自分の世界に入り込んでいた私に、おずおずと掛けられた言葉に、
先ほど知らずに呟いた言葉を思い出し、少し慌てながら
 
「うっ、ううん、まさか! こっちにいれば贅沢できるし、仕事に追われることもないし。
日本なんかよりずーっと楽しい暮らしができるもの!」
 
と答える。しがないOLの私にしてみたら、ここでの生活はまさに夢のような日々だ。
けれど……
 
「オトちゃんは……何で、ここに残ろうと思ったの?」
 
若くて、可愛くて……純粋で。彼女なら日本でも、十分に欲しいものを
手に入れることができただろう。それなのに……
私の問いに、彼女は一瞬、沈黙した。
 
「……確かに、ここに来て最初の頃は、帰りたい、と思ってました。
家族や……向こうの人たちに会いたい、とは今でも思います。でも……」
 
パッと顔を上げて、こちらを見据えた彼女の瞳に、迷いは見えない。
 
「シャープさんの傍にいたいから、この世界にいるんです」
 
にっこり微笑んだ顔は、幼くて可愛らしい少女のそれではなく、私よりも
ずっと美しい女性の顔だった。その笑顔が、言葉が、私の胸に突き刺さる。
 
「あの男の……どこがいいの?」
 
「……シャープさんは、本当は優しいんです。私はいつも、助けてもらってばかりで……」
 
私の問いに、彼女は少しだけ顔を赤らめながら答えた。
 
「私もみちるさんみたいに綺麗で、大人だったら良かったんですけど」
 
寂しそうに呟かれた言葉に、彼女が置かれた<王妃>という立場の難しさが少しだけ感じ取れた。
 
「あのね、敵の数はいいオンナの証なのよ」
 
「え?」
 
私のせりふに目を丸くしてこちらを見つめる彼女に向かって、にこっと微笑む。
 
「私なんかこっちに来てまだ三ヶ月だけど、もう101人も敵がいるもの。
あ、ちなみに101人目はおたくのダンナ様だけど」
 
そう言うと彼女はぷっと吹き出した。うんうん、やっぱり可愛い子は笑顔でなくちゃ!
 
「アイツが選んだのはあなたなんだから、周囲の雑音なんか気にしないで、堂々としてればいいのよ」 
 
「……ありがとう、ございます」
 
返ってきたのは年相応のあどけない微笑みだった。
 
「みちるさんは、どうしてアーノルドさんを好きになったんですか?」
 
「えっ……」
 
思ってもみなかった問いに、固まってしまった私に向かって、オトちゃんは無邪気な言葉を続ける。
 
「みちるさんも、アーノルドさんがいるからアナースに残ろうと思ったんでしょう?」
 
純粋すぎる言葉が、私を貫く。
 
「え、ええ、もちろん……」
 
どこまでも真っ直ぐに、人を愛することができる彼女に対して、
ハッキリと頷けない自分が惨めで堪らなかった。私は、弱い。そして、醜い……。
 
バンッ!
 
黙り込んだ私にオトちゃんの不安げなまなざしが注がれた瞬間、部屋の扉が開いた。








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