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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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Disunderstand』・『Misunderstand』関連作。赤の国の“王”の話。

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「私はもう縛られない。神にもヒトにも奪わせない、誰にも。私を、この目を、私の世界(・・・・)を」
 
そう言ってサンの目の前に現れた神は、神とヒトの領域を隔てし壁を焼き尽くした。八百万の神々の住まう赤の地に、一つの国、全ての神の統合を掲げて立ったその神の羽は、大きすぎるが故に常に土と砂に塗れていた。一国の主を名乗りだした彼の思惑は、神とヒトという垣根ではなく国と国として対等を望まんとする青の国の建前に迎合した。アルド――赤の“王”と認められた男は冷徹な目で、蹂躙されていく同胞を、奪われし者たちを見つめていた。最大の障害が取り払われた勢いに乗り神々の地へとなだれ込むヒトの群れ。哀れであり、滑稽でもある。文字通り赤に染まる大地。この様こそが、きっと正しい。
 
我々は失う、失い続ける、生きている限り何かを。神は畏敬を、人は尊厳を、草木はそこにあると主張する声を。小さなもの、弱いもの、力を持たないもの。我々の存在は世界の中で余りにも脆く、そこに紡がれる絆など取るに足りない、すぐに崩れ去る、あるいは断ち切られるものだ。灰と化した大地を眺めてアルドはひとりごちる。誰が、何がこの悲劇を生んだのか。息を吸うために彼らは空気を奪い汚す。食べるために草木の、あるいは獣の命を奪う。この世に存在する“力”の量は決まっているから。生きるために、手に入れるために彼らは争い合わねばならない。黙って佇んでいては失うだけ。戦わなくても、自ら危険に飛び込まなくても持っているものは奪われる――目を閉じたアルドの瞼に、浮かぶ一つの光景がある。
 
 
~~~
 
 
地が震える音がした。アルドがそれを感じ取った時、不吉な共鳴は獰猛なうなりに変わり激しく屋敷を揺さぶり出した。少年の彼にはどうすることもできない、圧倒的な力の放出。崩れ落ちる壁のレンガ、降り注ぐ天井のタイルから庇うように、彼に覆いかぶさったのは乳母のビルカだ。
 
「アルド、ぼっちゃま、ご無事で……?」
 
じっと佇んでいた彼が目を開けた時、ビルカは頭から血を流しその半身は倒れてきた壁の間に挟まれていた。怯えて泣く彼の頭を撫でていた手の動きが少しずつ鈍くおとろえていく。ふと辺りに漂う生臭い香りとペタリと濡れた感触に気付いた彼はハッとして乳母を見た。乳母の背中に広がっていた柔らかな羽が付け根から折れ曲がり、背中に大きな壁の破片が突き刺さっていた。
 
「ぼっちゃま、大丈夫ですよ、大丈夫……」
 
「ダメだ、ビルカ、だめだ! 次の金曜日、子どもに会えるって言ってただろう! あんなに喜んでいたじゃないか、どうして……!」
 
飛び上がろうにも空は見えず、少年の細腕で彼女を引っ張り出せるはずもない。アルドは声を張り上げた。けれどビルカは首を振り、ただ黙って主に向かい微笑んだ。そうするのが当然であるというように。アルドは泣いた。この瞬間にも、彼より彼女を必要とするヒトがいるだろう、彼女を愛する神がいるだろう。それでもビルカは、この乳母は全てを彼に捧げる気なのだ、彼女一人を救えない、ちっぽけな子供の神に。ただ彼が主であるというだけで、上位の神だというだけで。あたたかな少年の世界は一瞬にして終わりを告げた。ビルカの声が、微笑が止んだ。

数日前からオアシスが干上がり、水の神が水脈の異変を感じ取っていたと聞いたのは彼が助けられて十日ほど後のことだ。何故、彼らはその変化を教えてくれなかったのか――己が地に直接の影響を及ぼさないと知っていたからか。伝える手段がなかったからか。否、そうではない、伝える義務がなかったからだ。元より、この砂ばかりの地で水辺に暮らす彼らは己の優位を認めている。数は少なくとも他の神々が自分たちの存在なしには生きていけないことを理解し、時に見下すような態を取る者もいるとして少なからぬ反感を買っていた。だから、多数を以て街を築き上げた他の神々に多少の意趣返しを望んだのだろうか? いや、それはうがち過ぎた見方だと解っている。けれど。何も知らぬふりをして、気の毒顔で悔みを述べる輩。当然だという顔で、使用人の損失への見舞金を受け取る両親。何の権利も主張してこない乳母の遺族。ああ、この世界は――間違っている、本当に。強く強く、心に刻む。
 
 
~~~
 
 
「ヒトは良いな、欲望に素直だ」
 
過去へとたゆたう意識を目の前の暴虐に引き戻し、アルドは呟いた。その言を聞き、傍らにいた青の国の兵――サンは肩をすくめる。
 
「良きにしろ悪しきにしろ、ってことか? 褒め言葉だと受け取っておく、俺自身もそうだ」
 
肩にかけていた銃を降ろし、恋人のようにその身を撫でる青年の目に澱む恍惚にアルドの背筋を怖気が走る。欲望の先に待つのは狂気だ――いや、先ではない、それはいつ翻るか分からない表裏一体の伴侶なのかもしれない。アルドの中にもそれはある。生き残りたい(・・・・・・)という極めてシンプルな欲望が。単純であればあるほど理性という見せかけの中に埋もれさせ覆い隠すことが容易になるはずなのに、目の前の男は全くその危うさを隠しきれてはいなかった。恐らくは純粋すぎる鋭さのゆえに。彼は使える、アルドは気づき、息を飲んだ。
 
「乾杯だ、サン。そなたの名を覚えておこう。泉の奪還を祝して」
 
高く掲げられた血の色の盃に冷えた青い目がほころんだ。初めて師に認められた少年のように眩しい輝き。彼が英雄となった瞬間だ。水の神々の故郷を滅ぼし、大地の神である王の元に泉を”還した“正義のヒト――二つの盃を打ち鳴らす音は高らかに響き、三日月の照らす石段の上に大きな翼が影を作る。失うのなら埋めるまで。例え奪ってでも、生きるために。これは復讐ではない、愚かしい非生産的な行為と比べてはいけない。だから正義という飾りすらも必要ないのだ、本当は。誰に理解されようとも思わぬ。これは彼自身の、ただ一人のものである信条だ。
 
 
~~~
 
 
バサバサと翼のはためく音がした。アルドの目の前に立ち塞がった男は、手荒な仕草でターバンをほどく。幼き日の面影をかすかに残した目の色はその母親によく似ていた。ビルカがあれほど会いたがった息子。金曜日の夜、父親に連れられて屋敷の裏戸をくぐってきた――
 
「久しいな、ナブウ。こんなかたちで見(まみ)えることになるとは残念だ」
 
表情を変えぬまま声をかけたアルドに、かつての幼なじみは歯をむき出して剣先を向けた。
 
「おまえは間違っている、アルド! 神々(われわれ)を“一つ”にすることに何の意味がある? 王などいらない、我らは“全て”にはなれないのだ!」
 
「ヒトは“全て”になれる。弱き者、力無き者であるからこそ。我々は持ち過ぎたのだ……そして驕った。壊れた時に初めて分かる」
 
神として在るだけではない、現(うつつ)に生きる命としての在り方を。告げたアルドにナブウは激しく首を振った。
 
「おまえは囚われ過ぎている。あの時母()失ったものに。だが、おまえが真実向き合わなければならなかったのは彼女()失ったおまえ自身の傷だろう」
 
アルドはわずかに目を見開いた。悲しみ、苦しみを消し去るための自己満足。“世界”を、その捉え方を作り直すことで彼は贖おうとした。彼女の喪失を、“世界”に対して。ならば自分に空いた穴は――? 壁の穴を漆喰で必死に塗り固めようとしたところで、その手が張りぼてなら掴む力を持たぬ指から乾いた土は崩れ落ち、重さのない身体ごとあっという間に風に飛ばされてしまうだろう。だとしても、だとすれば、
 
「他にどの道が選べたというのだ、あの後(・・・)の世界で」
 
遠い街に暮らしていた彼は知らない、あの時の恐怖を、絶望を、虚しさを。打ち勝てるわけがない、ただひたすら忘れたかった。そして二度と同じ思いをしたくなかった――生きられなかったのだ、そうしなければ(・・・・・・・)。ナブウの言は余りに核心を突いていた。“王”は歪な笑みを浮かべて、切り落とした首を踏みつけた。本当に許せないのは、押し潰された彼女の身体が、悲嘆に暮れる家族の嘆きが己の心を傷つけたこと。彼女は守るべきではなかった、アルドを傷つけないために。我々は、神々(われわれ)もまた生き延びたいという本能に、欲望に忠実に生きた方が世界は上手く回る(傷つかずに済む)――そう、ヒトのように。
 
 
~~~
 
 
「我々ならば贄を捧げる」
 
壁を燃やし、アルドが王となってから随分な時が流れていた。戦線は水の郷を奪って後思うように広がらず、ゲリラと化して激しい抵抗を繰り広げる輩の巣が見つからずに軍は業を煮やしていた。目覚ましい戦果を挙げて司令官の地位を掴んだあの日の青年が頭をかきむしる姿を見やり、“神”としてアルドは鋭く助言した。
 
「何だって?」
 
怪訝そうに動きを止めてこちらを見つめるサンに向かい、彼は不敵に言葉を続ける。
 
「山羊でも羊でも良い……要は餌だ、獣を誘い出す時と同じこと」
 
「神を獣と同等に扱うとは随分じゃないか、国王陛下?」
 
おかしそうに手を叩いた青年の目が悪戯に輝く様を、アルドは鋭く見据えていた。無邪気な残酷さは数年の殺戮を経て重みを纏うようになった――罪の意識、報復の恐怖を存分に味わいながら、それを正当化せんとする禍々しさを。彼にはそこまでするほどの、できるだけの理由があるのだ。欲望が、裏返った狂気が。ならばその対象が失われた時――“ヒト”は、彼らはどうなってしまうのだろう? 膨らんだそれは急速に萎み消えるのか、あるいはそれに飲みこまれるのか。そして“我々”は、一体どこに向かえば良いというのだろう。
 
「一つ忠告しておく、贄には“価値”がなくてはならぬ……けれど、己にとっての犠牲(・・)であってはいけない」
 
口にしたのはほんの気まぐれ、アルドの中にかすかに残る老婆心のせいかもしれない。さも良い考えに取りつかれたというように、鼻歌を口ずさみながら踵を返した若い男へ。分かっている、というように片手を挙げたサンに伝わらぬ意図を知りながら、彼は黙って羽持たぬ背を見送った。
 
「堕ちる時、そなたには何が見える……? (わたし)には見えないものか?」
 
知りたいと願うのは、アルド自身の欲望ゆえか。






後書き



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Disunderstand』関連作。サン視点。

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ヒトの治める青の国には政争、というものがあった。定められた王ではなく、絶対的な力の持ち主ではなく、人々の支持によって集められた代表が話し合いにより政を行う――という建前のもと成り立つヒトの世界では、互いの足の引っ張り合いが命のやり取りに発展することが頻繁にあった。初めて議員に当選したばかりの父親がその政争に巻き込まれて死んだのは、サンが七つの時だった。
 
「すぐに支度をなさい、白に逃げるのよ。あそこまでは追手も来ないし、赤の国からも遠いわ!」
 
きりきりと告げた母のその時の表情は強張っていた。夫の死にも涙一つこぼさず気丈に葬儀を執り行った彼女は、弔問客を見送るとすぐさま幼い子供の喪服を脱がし白への出立を急き立てたのだ。木々と獣たちの楽園への旅路は少年にとってとても長い、そして退屈なものだった。
 
初め、言葉を持たない彼らとの暮らしに好奇心旺盛で活発なサンは酷く苛立ちを感じた。緑の中にひっそりと佇む山荘は、青の国の都会から来た子供には余りに静かすぎたからだ。
 
「もうやだ、ここは不気味だよ。家に帰りたい!」
 
ぬいぐるみを放り投げ、おもちゃのブロックを放り投げてかんしゃくを起こす彼を守り役は
 
「我々ヒトは彼らの“声”を聴けないのです。いずれ慣れますよ、ぼっちゃま」
 
と必死になだめようとした。そんな守り役の態度が気に入らず、一月が経ったころ、我慢の限界に達したサンはついに一人で山荘を飛び出した。門を出た彼の前に広がったのは一面の緑、深い森と険しい山、低く木霊する獣の遠吠え。どこか幻想的なその景色にブルリと身を震わせながら、振り返ることはできないという意地で足を進めると、突然彼の耳に“声”が届いた。ヒトが使うようなハッキリとした言葉ではない、小さな鳥のさえずりに葉のざわめく音、今まさに開こうとする花びらのかすかな身じろぎの音。そこには沢山の“声”が溢れていることに、やっと少年は気づいたのだ。
 
『あなた……どうしたの? 迷ったの? どこの子?』
 
必死に耳を澄ます内、自分に呼びかける小さな声が聞こえてきた。“声”の意味が理解できる――自分に語りかける“声”がある! 二重の驚きに、サンは思わず瞬きをしてその声の主を探した。グルグルと当たりを見回した彼の目に留まったのは、小さな白い花の傍に佇む少女だ。
 
『青い目、キレイね』
 
ふわり、彼女はそう告げて茶色の目元をほころばせた。その日から、彼が三日とあけず訪うようになった花の精――マリカはよくサンの髪を撫でながらそう言った。彼女と“話せる”ようになってから、少年の耳は少しずつ他の木や獣の声を拾い、理解することができるようになっていった。マリカはサンの話すほかの国の話を聞きたがり、彼は得意になって自分の生まれた青の国や、その隣の赤の国のことを話した。大人が子供に押し隠す、都合の悪い真実を彼自身もわからぬままに。
 
『いいなぁ、私も行ってみたいな。摩天楼も、砂漠の砂も、ここ以外の世界を自分の目で眺めてみたい』
 
じゃあ、自分が連れて行ってあげる――口にしかけて、少年は黙り込んだ。己の身ですら己で守れず、故国に帰ることもできないのに? 母に頼んでみたらどうだろう? いや、彼女は自分が守らなければ。彼自身が、もっと強くならなければいけないのだ。強く、賢く、彼女をどこにでも連れて行って、守ってあげられるように。強くなるにはどうすれば良い? 知をもって力を得ようとした父は銃によって殺された。ならば銃を取るしかない。武をもって、自分が変えていくしかないのだ。風が吹けば散ってしまう花を、何をはばかることなく傍に置いておけるような世界を。
 
『ぼく、来年には青の国に帰るんだ。センキョがあって、新しいトウリョウが決まるから。そしたらきっと、パパの敵も捕まるし……僕も学校に通わなきゃ』
 
サンが白の国に来て、既に三年が過ぎていた。二人の時間がもうすぐ終わる――根付いた場所から身動きの取れない花の少女が、その両足で己の元に駆けてくる少年を待ち続けていた時間は。
 
『そう……そうよね、サンはヒトだもの』
 
わずかに目を見開いて応じたマリカの声に潜む想いがいじらしくて、サンはそっと手を引いた。
 
『ぼくがいなくなったら、寂しい?』
 
小さな手を握りしめて、額を合わせる姿勢は“声”が一番よく響く。何度も試して、彼が見つけたやり方だ。彼女は声を発さずに、コクリと首を縦に振った。
 
『大丈夫、また会いに来るよ。沢山勉強して、自分を鍛えて、君を迎えに来る方法を考える。一緒にどこへだって行けるように……ぼく頑張るよ、必ず』
 
 
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「ぼうや、白の生き物はね……私たちの、ヒトの世界では生きていけないの。白の土と清浄な空気のあるところじゃないと死んじゃうのよ。それに考えてもみて? 良い年をした男の子が花に夢中なんて、格好悪いと思わない? あなたにはパパの意志を継ぐっていう大事な未来があるんだから」
 
国に帰って後、白の国でできた友達に青の国を見せてあげたい、そう告げた少年に母は苦い顔で首を振った。窓の外に広がるのは灰色の空気に覆われた摩天楼。高速で通り過ぎる沢山の車が、引っ切り無しにクラクションを鳴らす音が響いていた。少し前まで彼がいた場所の静寂が懐かしい。緑の広がる鮮やかな景色も、そこに佇む彼女の優しい微笑みも――
 
「とにかく、今のあなたがすべきことは勉強よ。学校に通って、早く遅れを取り戻さなくちゃ。ブランクのことは忘れなさい」
 
母は、白の国で息子が過ごした年月を文字通り空白期間――彼の人生にとって何の意味も無い時間だったと思っているのだ。ただ危険から逃れ、生きながらえるための屈辱的で無駄な時間だったと。神の力もヒトの文明も持たぬ“イキモノ”から得たものなど何も無いと。それは違う――いくらサンが唇を噛みしめたところで今この場所にマリカを呼ぶことは不可能だ。もっと大きくなって金を稼ぎ、花である彼女が生きられる温室ドームの建造と白の土の輸送を行えるような立場に就くまで。更にはもっともっと大きな地位を得て、工場の管理や土地の開発に口を出し、この国のシステムを完全に掌握できるようになったとしたら、きっとマリカやその仲間たちも多くが気軽にこの地を訪れるようになるだろう。そのためにやってやろう。例え母が、支持を取り付けるために時折自宅に招いている男が兵器工場の幹部でも。パーティで親しげに寄り添っていた紳士が国のエネルギー政策を担う役人だったとしても。父が殺された理由が、彼らに抗ったことであっても。サンは思いをより強くして、固く拳を握りしめる。
 
 
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約束と別れの日から十年の月日が流れた。赤の国の“王”と手を結び、邪神の拠点を破壊した英雄として名を馳せた年若い青年は、母の反対とそれを取り巻く周囲の人々の思惑をねじ伏せて白の地に降り立った。“英雄”の人気を使って勢力拡大を目指す軍部の支援を背景に、表向きは白の国との友好を取り持つ役目を仰せつかって。――その実、“イキモノ”が決してヒトに逆らうことなきよう、釘を刺し圧力をかけるための軍の派遣なのだと、よく分かってはいたけれど。
 
『マリカ、昇進したんだ、許可が下りた! 白の国の土と一緒に、やっと君をどこにでも連れて行ける。来てくれるだろう? 僕のいる場所なら、どこへでも』
 
己を抱きしめるサンの言葉に、長い間彼を待ち続けていたかつての少女は涙ぐんで頷く。清らかに芳しく成長した花の精にヒトは多くを語らなかった、その地位を得るために背負い込んだ憎しみと、くぐり抜けてきた熾烈な競争の数々、身内さえ切り捨てた事実を。過ぎ去った歳月を無かったことにはできるはずがない、けれど彼らは見て見ぬふりをしたのだ。風に乗って届いた噂も、かすかに漂う火薬の臭いも、何かを確かめるように細められる眼差しも、不自然なほどの無垢も――言葉だけでなく“声”すら封じた。輝かしい“あの時”に囚われるためだけに、彼らは真実を、“それ以外”を遮断したのだ。
 
 
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『彼女は……彼女は私の声が聞こえないみたい』
 
根腐れを起こしかけた足の先を気にしながら恋人が呟いた小さな声に、サンははっとして顔を上げた。指令として多忙を極める彼は、拠点である基地にマリカを住まわせていても小まめに面倒を見きれない――だから部下にその世話を任せていたのだが。普通の人間に花の声は聞こえない、迂闊だった。
 
『……余り気が進まなかったんだけど、神はあらゆる生き物の声を聴くことができるそうなんだ』
 
オアシスが枯渇し、争いが激化していくごとに厳しい暮らしを余儀なくされる神々にとって、商いによって豊かさを増す青の国は本来敵として対峙する相手ではあれ、糧を得るための取引相手にもなる。“王”に抗する勢力に与さず、青の国に協力し彼らに雇われる神もまた存在した。
 
『お願いします、サン』
 
甘えるように微笑んで身を寄せる恋人の意を汲んで、サンは少年の神を探し出す――何物にも染まらぬ白く柔らかな羽を持つ、純真な金の瞳の年若い神を。その名はラムル。水でありながら砂の名を持つ。その矛盾に気づいた時、彼は初めて気づくのだ。苦しみの真の在り処、終わらぬ憎しみの渦底に。






→関連作:『Nounderstand』(王視点)


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ファンタジー。雰囲気。シリアス。

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そこには三つの国があった。神の統べる赤の国、人の生きる青の国、木々と獣の白の国。力と言葉を巡って赤と青は争い、白は黙して佇んだ。
 
少年の名はラムル、砂と火と風の元に生まれた神の国の子。
男の名はサン、屋根と暖炉とシーツの間に産み落とされた人の国の子。
女の名はマリカ、土と水と光によって育まれた花の精の娘だった。
 
彼らは知らなかった――知らなかったのだ。互いが互いにもたらした、怒りと悲しみと喜びを。
 
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「ねぇ、触ってみても良い?」
 
間近で響いた声にラムルがハッとして顔を上げると、そこには種子のかたちをした美しい瞳があった。少年の持つ真白な羽を、興味深そうに眺める女の薄く色づいた背に彼と同じそれは無い。“ヒト”はこの姿を恐れ、近づいてなど来ないのに――しなやかにたゆたう緑の髪、キラキラと輝いて向けられる茶色の瞳。初めは恐ろしく見えたその顔がほころべば随分と印象が変わる。彼にとって、白の生き物と見(まみ)えるのは初めてのことだった。赤の国では他国の者と言えば、聖地を踏み荒らす邪悪な青の兵士たちしか見かけない。逆に言えば白の国の者たちにとっても、彼のような“神”を目にするのはとても珍しいことなのだろう。
 
「良いよ、少しだけなら」
 
震える声で小さく答えたラムルの羽に、恐る恐るといった調子で細い指先が触れる。思わずピクリと体を揺らした。
 
「わぁ、ふわふわ! とってもあったかいのね……」
 
素直にこぼれた感嘆の声に、思わず目頭が熱くなって少年は目を伏せた。もしヒトに、青の国の者に言われたらならば、きっと侮辱と受け取っただろう。これまでの自分なら、当然怒りを示したはずだ。けれど不思議とそんな気持ちにはならなかった。優しくなでるその指先は、彼に記憶の彼方へ眠る故郷への想いを思い起こさせた。ふわりと香る花の匂い、瑞々しい木の温もり――ああ、どうして自分はこんなところに来てしまったのか。
 
「これからよろしくね……ええと、ラムル」
 
ぎこちなく差し出された手を握る。するりとすり抜けていくその滑らかさは、彼女が異種であることを残酷に彼の前へと突きつける。これはヒトの、青の国の挨拶だ、けれど彼女はそれをした――高鳴る胸に冷や水を浴びせられたように、ラムルの心はうごめいた。彼女はあの男の伴侶、そのために己はここに潜り込んだ。木々は物言わず根付いた土の元、照らす日だけを一途に信じる。書類に記載された少年の身分と経歴が偽りであるなどと、平和と無関心の息づく白の国からやってきたマリカは露ほども疑っていなかった。
 
 
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ラムルの故郷は赤の国の砂漠、小さなオアシスの村だった。そこから湧き出る水を求めて水の名を持つ神々は争い、いつも小競り合いを繰り返してきた。だから彼は生まれてこの方、穏やかな暮らしなど経験したことが無い。静けさは激しい砂嵐の前触れ、枯れる泉に怯えながら育った幼い時代に終止符を打ったのは、富と争いの源であるオアシスを“国”の管理下に置かんと攻めてきた“王”を名乗る強大な神の攻撃だった。彼はあるまじきことに青の国のヒトと通じ、長年オアシスを守ってきたラムルの村を襲い、水の神々を皆殺しにした。幼い彼の目の前であの恐ろしいヒトの兵器・鉄の塊を短い間に次から次へと繰り出す銃を撃ち放った男がゴーグルを上げた瞬間の顔を、彼は生涯忘れない。あの男・サンは青の国において戦の雄となり、“邪神”討伐隊司令の座を得たのだという。許せない――心から憎い。国の名を体現したかのような青の瞳の冷たさを思い出すと、唇が切れそこから溢れた血の味が口の中を満たすほどに、ラムルは彼を憎んでいた、深く、深く。
 
『そうだ、許すな。ヒトは我々の敵だ。我々の庇護の元に、我らの力を吸い上げながら裏切った。挙句神がヒトの上に立つのはおかしいと、我らの地にまで入り込み……傲慢で罪深い生き物だ、忘れてはいけない』
 
師の言葉を頼りに、ラムルは復讐するため神としての力を蓄えてきた。それだけを頼りに、今日まで命を繋いできたのだ。憎しみが深まれば深まるほど、人との絆によって得られる信仰の力が弱まっても、神としての己の正義が揺らいでも。許したい気持ちは日々戦闘に明け暮れる仲間の姿を見れば消え去る――そう、信じられる。欲に目がくらんだ“王”とヒトに粛清を加えるためにこの時があるのだと。この神々の輪に拾われなければ泉の滅亡と共に彼の命はとうに途絶えていただろう、と。例え、優秀な戦力を得るためだとしても、決して裏切らぬ忠誠に篤い手駒欲しさゆえだったとしても、ラムルは彼らに救われたのだ。だから後悔などしていない、彼は神だ、その使命を果たすまで。
 
『あの“花”は奴が連れてきた。そうでもなければこんなところに、白の者がいるはずないだろう』
 
肩をすくめながら呟く街人の声に、仲間たちは息を潜めて耳を傾けた。この砂漠の地では珍しい白の国の花の精。サンが、あの男が遠き地よりわざわざ招き世話をしていると聞いた彼らはほくそ笑んだ。ついに弱味を掴んだと――そして警戒されにくい少年を、彼女の元に送り込んだ。花の求める水の神であるラムルを。
 
『良いか、いずれあの女は人質として捕らえ、奴らを追い出す交渉の道具に使う。いざとなれば殺せ。最も大事なものを奪われたおまえにとって、最高の仇討ちだろう?』
 
マリカの元にやって来てから、ラムルは毎日その根に水を与え、伸びた髪を切って、花びらを美しく見えるように整えた。マリカは彼を信頼し、感謝の言葉を述べては白い羽をそっと撫でた。
 
「ありがとうラムル。本当におかしくないかしら? 私、ちゃんと良い香りはする? 今日はあの人が帰ってくる日ですもの」
 
不安そうにこちらを見上げる瞳に彼は触れた羽から本心が伝わらぬよう、注意を込めて奥歯を噛んだ。
 
「大丈夫です、マリカ。指令もお喜びになるでしょう」
 
新しい花を咲かせた彼女はその花と同じくらいほころんだ顔で、あの男を出迎える。今まさに赤の国に醜く苛烈な傷を与えてきたばかりの男を。争いを知らぬ白い花が、血に塗れた邪悪なヒトを。
 
「今戻ったよ、マリカ、ああ会いたかった!」
 
彼女を抱きしめ口づけの雨を降らせる男が、ラムルの故郷で犯した罪をマリカは知らない。赤と青の間に起きていることを何も知らず、白の土と共にこの地へ来たのだ。守られていると信じ切って、愛した男だけを頼りに。白い羽が黒く染まっていくようだ。己は一体何なのか、最早神ではなく――少年は苦悶した。時が迫っていたのだ、すぐそこまで足音を立てて。
 
 
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マリカは酷く衰弱していた。彼女の根は踏み荒らされ、土はこぼれて水も吸えない。グルグルと縛り付けられた両腕は痺れ、足には力が入らなかった。怒号と銃声が長い時間こだましている。バサバサと翻る羽の音が霞む頭に酷く響いた。ああ、まさかあの温かな羽を持つ神々が――あのあどけない少年が、裏切るなんて、“彼ら”を、誰かを、何かを憎んでいるだなんて! 負の感情に気付けなかった。遠い地で育ったせいか、盲目的に思い込んでいた、神というのは綺麗なものだと。常に許しを与えるものだと。憎しみを生む行いに、気づいていても見ぬふりをした。マリカはサンを、青の男を愛しているから、彼を信じ、そして許し続けなければいけないのだと――何も言ってはいけないのだと。驕り高ぶっていたのは自分の方だったのかもしれない。
 
「ラムル、何故……」
 
銃口を向ける少年の瞳に、滲んだ涙は美しかった。白い羽が煤で汚れている、初めて見た時は艶やかに輝いていたそれを、もったいない、と彼女は感じた。
 
「青の国は要求を呑まない! その白の女を殺せ!」
 
バンと大きな音を立てて扉が開き、入ってきた男が苛立たしげにラムルに叫ぶ。指示を出したのはサンのはず、彼女は見捨てられたのだ。
 
「彼女はヒトじゃない。殺さなくても、連れて行けば……」
 
「神でもない! 連れて逃げるだと? 我々の国にか? 花が、どうやって生きていける?」
 
躊躇うラムルに、師である神は鋭い視線を向けて問うた。茉莉花、芳しい花の精。彼女がじわじわと萎れ、枯れていくのを見るよりは――
 
「助けて、サン……!」
 
吹き荒れる砂嵐の中、閉じ行く花の唇からこぼれた言葉を聞いた瞬間、彼は真っ直ぐ引き金を引いた。ドン、ドンと放たれた銃声が花びらを、茎を、根を打ち砕く。もしもその名を呼ばなければ――もしマリカが、誰より憎い男の代わりにラムルの名を口にしていれば。少年は彼女を守っただろう、例え己が身と引き換えにしても、初めて恋した女の命を。
 
 
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焼け跡に降り立ったサンが真っ先に向かったのは、白の国の土を敷き詰めた花壇だった。その傍らに優しく佇んでいたはずの恋人は焼けこぼれた土と共に無残な姿で倒れていた。焼かれずに認識できる姿で遺されていたのは、恐らくはあの少年の想いゆえであったのかもしれない。それでも、だからこそなお許せないと彼の心は咆哮を上げる。
 
「……だから忠告したであろう? 大切ならば餌には向かぬと」
 
あざ笑う声に振り向いた先は、大きな羽を持つ野心家の“王”を名乗る神。この地で珍しい白の者を連れて来れば、反王を訴える勢力が尻尾を出すかもしれないとサンに囁いたのは他ならぬ彼だったはずだ。いや、本当は気づいていた――あの少年の神の危うさと、彼女に対する想いには。だからこそ利用できると踏んだのだ、この結末は己の罪。サンはギリギリと唇を噛みしめる。全ては欲だ、ヒトの欲、彼の故郷である青の国の。神に認めてもらいたいという始まりの気持ちはいつの間にか醜く汚れて変化していた。それでもなお、止まらない国の正義に従って生きてきたツケがこれだと言うなら、運命とは残酷に過ぎる。遠き地に暮らす彼女を傍に置きたいという願い、手柄を掴んで更に高みを目指す野心、彼の中の餓えた欲望。全てに目がくらみ油断していた。恋心ゆえにラムルはマリカを守るだろう、彼の仲間を裏切るだろうと思っていた。けれど……なればこそサンへの憎しみは深くなり、その敵意は彼を想う彼女にもまた向いたのだ。
 
罪は誰にあったのだろうか。罪を知ってなお、終わらない憎しみの始まりは。ヒトを己の下に置いた神か、それを退けようとしたヒトか、物言わなかった生き物か。
 
「……殺してやる」
 
男は吐き捨てて立ち上がる。血だまりに、緑の葉と白い羽が重なるようにポチャリと落ちた。






→番外編『Misunderstand』(サン視点)
      『Nounderstand』(王視点)


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「サオ様の御帰還じゃ、サオ様があの野麻田を討伐してお戻りあそばした!」
 
大声で触れまわる臣たちの声を、ヒミコは暗い岩屋の内で聞いていた。一月ばかり前、生み落とした男児は侍女の手により抱く間もなく連れ出されてしまった。一人岩屋に籠り、何かを振り払うように禊に没頭する彼女の心の平安を打ち破る唯一の存在、サオ。彼が彼女の実の弟にして罪の子の父であることを、知っている人間は誰もいない。否、失われてしまったのだ。己を救おうとしてくれた大切な世話役の命を奪った弟のことを許してはならぬと思う一方で、彼の帰還を喜ぶ思いが沸き起こり、女王の心を嵐が襲った。サオはヤサカを殺した。ヒミコを騙して、子どもを生ませた。たった一人の身内、実の姉と弟でありながら。憎い、悔しい、恥ずかしい、恨めしい、そして、恋しい――会わぬと決めたはずの弟への思いが溢れ、ヒミコは思わず己の身体を抱きしめる。
 
「……何でも、サオ様は野麻田を退治して助けられた姫君を妻となされたとか。この中村にご到着の暁には、勝利の宴と共に盛大な婚姻の儀式も執り行うつもりであられるそうだ」
 
「そうなると当然、姉君にも祝福を願いたいところでしょうが……女王様は未だに岩屋にお籠りでいらっしゃる。どうなさるのでございましょうな?」
 
扉の外から洩れ聞こえる会話に、くず折れていたヒミコは小さく肩を揺らした。顔から血の気の引く己に気づいて、心の臓が凍りついてしまったかのように息が苦しくなる。
 
「……サオが、結婚」
 
かすかな呟きに、女王の瞳からは一筋涙がしたたった。ヒミコは驚きと共に自らの頬に触れ、雫を掬う。
 
「何故……?」
 
口に出した問いの答えを、既に彼女は知っていた。厚い岩戸の向こうで人の足音が響く。ヒミコはハッとして光の洩れる隙間に目を移した。
 
「……姉上、姉上、サオです。ただいま帰りました」
 
聞こえてきた声は今まさに彼女の脳裏を支配する弟のもの。すぐにでも扉に駆け出しそうな己の腕を押さえ、ヒミコは黙したまま瞳を閉じた。答えの返らぬ岩戸の向こうに、サオは俯いたまま静かに告げる。
 
「姉上にはまことに申し訳ないことをしたと反省致しました。もうご迷惑はかけません。……私は、西の地より連れ参った娘と婚儀を上げるつもりです。もしお許し願えるならば、姉上にも祝福をいただきたく存じます。……図々しい申し出をできる道理もないことは承知。せめてこの岩屋の前で披露の宴を催すことのみ、どうか……」
 
途切れた言葉に、無情の静寂が破れ岩屋の内からかすかに身じろぐ気配が洩れた。サオは口端を上げる。彼とシイナの婚儀は、目前に迫っていた。
 
 
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盛大な婚礼の儀式は、花婿の宣言通りヒミコの籠る岩屋の前で行われた。いつまでも姿を見せぬ女王に焦れた民たちが女王の唯一の血縁の祝いに一縷の望みをかけたせいでもあり、当の弟の邪な期待の所為でもあった。華やかな楽曲が辺りに響き、踊り女たちは舞い歌い、笑い声がにぎやかに岩屋の周囲を取り囲む。暗いその内で身を固くさせながら、ヒミコは幾度も扉を振り向く。彼女は気づいていた。一度扉を開けたら――弟と顔を合わせれば、己の決意も、ヤサカの死も、弟の婚儀も全てが無に帰してしまうことを。首を振って女王は俯き、耳を塞ぐ。陽気な楽の音が、人々の寿ぎの声が扉の前からかき消えてしまうまで。
 
「……姉上、何故です? 何故このようなめでたき日にまで、頑なに扉を閉ざされておいでなのです?」
 
全てが終わり闇を静寂が支配する深夜、それを破ったのは岩屋の前に木霊す哀しげな声音だった。その声の持ち主は、今宵花嫁と初夜を過ごしているはずなのに――ヒミコは岩屋の内で喉を押さえる。
 
「……分かっています、全て己が身から出た錆であると。そのために私は野麻田の地までさすらい、オロチを滅ぼした……この国の、あなたのために」
 
オギャアアアアッ!
 
その時、一筋の高らかな泣き声が闇を裂いた。ヒミコは息を止めて扉を見やる。サオは腕に抱いた泣き声の主を高く掲げ、岩屋の内に呼びかけた。
 
「聞こえますか、姉上? この泣き声は姉上の生んだ赤子の……我らが息子の泣き声です。大らかに、たくましく……母を求めて泣いています」
 
震える弟の声に、ヒミコはきつく目を瞑り、平らかな腹に手を当てた。その腹に宿していた我が子の姿を脳裏に思い描こうとし、叶わぬことに気づく。彼女は赤子を抱いていない。見てもいない。ずっと、考えぬようにして来た。罪の証、在り得るはずもなかった存在、愛すべからざるもの――では我が子を、その父をそう断じる母に罪は無いというのだろうか。何が“過ち”で何が“正しい”ことなのか、最早彼女には分からない――決めるのは“何”?
 
「私は……私はもう神に仕えることも叶わぬ身となりました。……女王にもふさわしくありませぬ」
 
かすかに響いたすすり泣く声に、サオは顔を上げて岩屋を見た。姉の目に映らぬ場所で時初めて、不遜な面持ちが苦渋に歪む。
 
「……姉上、姉上にそのようなことを言わせた罪は私にあります。姉上は私にとって初めから巫女でも女王でもなかった。この世で唯一つ、敬い焦がれるべき光でした。だから私は、それを手に入れようと……あなたを、天から地へと引きずり降ろした」
 
ピクリとも動かぬ扉に向かい、サオは赤子を抱いたまま淡々と続けた。
 
「けれど姉上、あなたは地に落ちてなお輝きを失わず、眩い日であり続けました。その光が私の真実を照らした時――余りの醜さにあなたは堪え切れず、私の前から姿を消した」
 
「サオ……サオ、それは違う」
 
泣きながらかすれた声を漏らすヒミコに、サオは畳みかけるように続けた。
 
「何が違うと言うのです? 姉上、私はあなたを騙し“罪”に落とした。巫女としての禁忌、女王としての矜持、そして人としての倫……全てを破る罪を、あなたに犯させたのです」
 
目を細めて息を吐く弟の表情(かお)が苦しげに歪み、この場にそぐわぬ懐かしい影が――弟を案じる姉の気持ちが顔を覗かせ、ヒミコは振り払うかのように己が手を握りしめて前を向いた。
 
「何故……どうして?」
 
「罪は神が決めるもの、そして神とは人に創られるもの……欲しいものは人であっては手に入らぬものだと、あの日……あなたを奪われた日に、私は知りました」
 
弟の答えに、ヒミコは目を見開いた。
 
「おまえ……まさか本気で」
 
「神にしか許されぬことならば、神を創るのではなく神になってしまえば良い……そうではありませんか? 姉上」
 
ホギャア、オギャア!
 
月明かりの下に赤子の声が一層高く響き渡った瞬間、固く閉ざされていた岩屋の扉が開いた。漆黒に浮かび上がる白い影――純白の衣を翻すヒミコは、サオの目にどんな女よりも眩く清らかに、この日迎えたばかりの花嫁よりも遥かに美しく映り込んだ。
 
「私が神になれば、弟のおまえもまた神となる。神ならば“これ”は……“罪”では、ないのね?」
 
滑らかに歩み寄った白い手の平が、赤子の頬をそっと撫ぜる。サオは目を閉じ、頷いた。
 
「そうです……その通りです、姉上」
 
「私はおまえを……この子を愛しても良いの? この地に……天を築けば」
 
己が手を掴み取った弟の腕を拒むことなく、ヒミコは自ら唇を寄せた。潤んだ眼差しが、焼けるような衝動と共にサオの心を射抜く。
 
「……築きましょう、この地に。我らが、天を」
 
姉の身体を抱きしめながら、万感の思いを込めてサオは空を見上げた。陶然と紡がれた彼の言葉にヒミコは笑う。女王の威厳も、巫女の清廉も、姉の慈愛すら失った、哀しい神の微笑みだった。





後書き
 


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下された罰。

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神聖なる女王の館で殺生沙汰を起こしたサオは、長老連の話し合いの末、遠く野麻田(やまた)の里に遣わされることになった。山泰国の西の果てと領土を接する野麻田はここ数年台頭してきた一族であり、山泰国の村々を襲っては女子どもを攫って行く、との悪評が立っていた。野麻田を退治し、攫われた娘たちを助けることを課せられて、サオは守役を務める親友・クナギと共に西の地へ旅立った。
 
「しかしサオ、おまえ本当に良かったのか? ……身重のお身体の姉君を残して」
 
心配そうな面持ちで己を見やる親友に、サオは前を見据えたまま唇を噛みしめた。
 
「どうせお会い下さらぬ……あの日から、禊の岩屋に籠ったきりだ」
 
サオがヤサカを殺した次の日、穢れに触れたヒミコは禊をすると言ってそのための岩屋に入り、以来一度も民の前に姿を現していない。おそらくは妊娠した身体を皆の目から隠す目的もあるのだろうが、赤子の父である己にすら顔を見せぬ姉に――それも当然のことだが――サオは焦れていた。
 
「さもあろう。あのような男に身を汚されては……サオ、長老たちとておまえの罪に真なる理由があることを知っている。それなのに何故罰を請うたのだ?」
 
国の中枢にある一部の者にのみ知らされた女王懐妊は、殺された世話役ヤサカによりもたらされたもの――そしてその事実を知ったが故にサオが彼を裁いたのだと、国の者たちは信じていた。
 
「クナギ、俺は怖いんだ……姉上が子を身籠っている、その事実に燃えたぎるこの血が……。抑えがきかない。このまま傍にいて姉上の腹が膨らんでいく様を見れば、俺は何をしでかすかわからない……そう思うと、堪らなく怖い」
 
「サオ……」
 
押し殺すように紡がれた言葉の真実を知らぬまま、クナギは労わるように友を見た。
 
「帰るのは姉上が身二つになられてからだ。それまで……悪いが付き合え、クナギ」
 
「ああ、長老方も短期で済むとは思っていまい。西の地を綺麗にして、女王様へのせめてもの慰めとしよう」
 
「……姉上のために」
 
友を元気づけようと明るい声音を上げたクナギに、サオは微笑みを返した。その瞳の奥に宿る暗い輝きに、気づいた者は誰一人としていなかった。
 
 
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野麻田の里は深い森の奥にあった。サオがクナギと連れ立って森へ向かうと、入り口で泣き伏す一人の娘と行き会った。
 
「娘、何者だ? 何故こんなところで泣いている」
 
面を上げた娘は存外に小柄で、露に濡れた瞳の端には不思議な色香が漂っている。
 
「私の名はシイナ。この近くの山泰の村より、野麻田の里に贄として捧げられた者でございます。ああ、何と恐ろしいこと、あの獰猛な野麻田の民の元へ、これから一人で赴かねばならぬとは!」
 
怯えて震える娘の身体を支え、サオとクナギは顔を見合わせた。
 
「シイナよ、我が名はサオ。山泰国の女王ヒミコの弟。命を受け野麻田の退治に行くところだが、我らを案内してもらえるだろうか? そなたの身は、我らが守ろう」
 
「まぁ……女王様の弟御から、これは願っても無いお申し出」
 
サオの申し出にシイナは目を見開き、そうして嬉しそうに頷いた。
 
「どの道私は里へ戻れぬ身。このように頼もしき道連れは心強うございます」
 
軽やかに足を踏み出した娘に従い、サオは青々と茂る木々の間を前へ進んだ。そうして森の奥にぽっかりと口を開けた漆黒の洞穴を見つけた瞬間、その眼前に佇む蛇のように鋭い目をした男の姿を見出した。
 
「これはこれは、待ちかねた贄と共に招かれざる客をも招いてしまったようだな……」
 
「あれこそが野麻田の長、オロチですわ、サオ様」
 
耳元で囁く娘の声に、サオは小さく頷いた。
 
「招かれざる客とは心外な。私はサオ、山泰国の女王・ヒミコの弟。我が国は野麻田との融和を望んでいる。証に美酒を持参したが、賞味してはいただけぬものか?」
 
強く睨み据えたサオに男は喉の奥から響く笑いをこぼす。
 
「そなたの言う“美酒”とは何を示したものか……とくと吟味してしんぜよう。それが終わるまで……シイナ!」
 
「ええ、兄上」
 
不穏な言葉にサオが構えた途端、背後に庇っていたはずの娘の手が彼を捉え、喉元に刃が突き立てられた。
 
「サオ!」
 
声を上げたクナギもまた、音も無く現れた男たちによって取り押さえられる。
 
「そなた、やはり」
 
後ろを睨めつける彼に、シイナは妖しく微笑んだ。
 
「山泰国の民であることは半分真実よ。我が母はこの野麻田より山泰に攫われ……犯されて私が生まれた。おまえたちの国は野麻田から何もかもを奪った。兄上は、それを取り戻しているだけだわ」
 
遠くなる意識の中で、耳に木霊する悲痛な叫びと共に幼き日に経験した悲惨な情景がサオの脳裏を過ぎった。
 
 
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固い地面の上で目覚めた時、サオは切られたはずの喉元に思わず手を当て、そこに清潔な布地が巻かれ止血されている事実を見出し目を瞠った。
 
「……目覚めたか? 山泰国女王の弟よ」
 
格子を隔てた先に目をやれば、松明の明りに照らされて、野麻田の長たるオロチが佇んでいる姿が見えた。
 
「クナギはどこだ?」
 
「今頃別の囲いの中で、のうのうと眠りこけているだろうよ」
 
揶揄するように告げるオロチの目はどこまでも冷たく澄み、心の内を余さず射ぬこうとしているかのようだった。
 
「風の噂に聞いたのだが……山泰国の女王・ヒミコは巫女でありながら密かに子を宿したとか? そしてその父たる不埒者をそなたが殺した……」
 
「下らぬ噂だ」
 
蒼白な面持ちで視線を逸らしたサオに、オロチは下卑た嗤いを投げかけた。
 
「ならば何故そなたはここにいる? 女王の弟、戦で親を失った哀れな孤児、同じく幼い姉を唯一の縁(よすが)に漂いながら、結局は姉に捨てられた……中々どうして、腹の内に面白きものを抱えた男よ」
 
「黙れ……黙れ!」
 
サオの激昂を意に介す風も無く、オロチは真実を突く。
 
「侵すべからざる巫女、実の姉である女王を孕ませたのはそなたであろう?」
 
サオは動きを止め、息を飲んだ。今まで誰にも――あの忌々しいヤサカにしか気づかれたことの無かった罪が、見ず知らずの蛮族の長によって暴かれるとは!
 
「事実に気づいた世話役……憎い恋仇でもあったのか? そやつを殺し、姉に拒まれ、やるせなき憤りの炎を燃やしつくすべくこの地へさすらう……哀れよのぅ、サオ。故郷(さと)を焼かれ、母を奪われ、怨嗟の念だけでこの野麻田を作り上げた私と、そなたはよく似ている」
 
「……何が、言いたい?」
 
飄々とした中にふと混じる哀しげな響きに、サオが訝しげにオロチを見やれば、彼はニヤリと笑いながら牢の扉に手をかけるところだった。
 
「我は初めから山泰国に……そなたの愛しい姉君に弓を引く気は無い。我の望みは復讐のその一語。先ほども言った、酒の中身によっては、と。さぁどうする? そなたは我の悲しみに、どんな癒しを与えてくれるのだ?」
 
「……ならば一つ、おまえの故郷(さと)の仇共を」
 
ゴクリと唾を飲み込んで、冷徹な目でサオは答えた。オロチの目に、憎しみの炎が渦巻く様をしかと捉える。
 
「一では足りぬ、十寄こせ」
 
「相分かった。その代わり……」
 
サオの答えに、オロチは歪んだ笑みを浮かべた。
 
「望みが叶ったその日から、我らは山泰国の民となろう。……失われし十の村の者共に代わって」
 
そう言ってオロチが手を鳴らすと、松明の背後に広がる闇の中から見覚えのある華奢な影が現れた。
 
「シイナ、こちらへ。おまえはこれからこの御仁が、野麻田を滅ぼした証人として山泰国の中村に赴いてもらう。良いな? シイナ、兄の命だ」
 
「兄上……それが兄上の望みとあれば。この男が決して野麻田を裏切らぬよう、傍について見張りましょう」
 
口を挟む隙すら与えぬ問答に眉を顰めるも、拒むことは許さぬとでも言いたげな鋭い眼差しに異を飲み込み、サオはシイナに手を差し出した。
 
「分かった、シイナ。私はそなたを妻とする。共に来るが良い。野麻田を滅ぼし、そなたを助け出したのだと、皆に……姉上に知らせるために」
 
今ここに惨たらしい密約は成り、冷たい手と手が結ばれた。サオは英雄となって帰るのだ、美しい新妻を従えて――






 



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