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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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墓前』番外編。エドモンドの正妻・アマーリアのその後。

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「アマーリア、聞いてちょうだい! この娘(こ)ったら、新しいバリオーニ伯爵の花嫁になるのですってよ!」
 
「まぁお可哀想! あなたに続く、新しい犠牲者ね」
 
囃したてる仲間たちに促されてアマーリアが視線を向けると、そこにはそばかす顔の垢ぬけない娘が顔を真っ赤にして縮こまっていた。
 
「そう、それはおめでとう。バリオーニ領は良いところよ。アドルフォ様と仲良くね」
 
薔薇色の唇から紡がれた答えが余程意外だったのか、皆が呆気に取られたようにアマーリアを見つめる。
 
「ありがとうございます……! わたくし、アマーリア様に心から憧れておりました。あなた様のようになれるよう、精一杯努力いたします!」
 
すっかり感激した様子で瞳を潤ませながら胸の前で両手を組むその娘に、周囲からどっと笑い声が上がった。
 
「あら、それでは駄目よオルネラ。この人のようになったら、あなたまで一年と経たない内に都(ここ)に帰ってきてしまうわ!」
 
野次を飛ばす周囲に対し、アマーリアは黙って手にしていたグラスを傾ける。ざわめきの中、彼女の脳裏を過ぎるのは深い森と清らかなせせらぎ。澄みきった静寂、緩やかに流れる時間、果ての無い退屈。それらが今更になってどこか恋しく思える。だがその一方で、やはり心底それらを忌み嫌っていた自分にもまた気が付くのだ。
 
エドモンド。アマーリアのかつての夫。彼女は決して、彼を嫌って別れたわけではない。ただ、彼の心の深淵に住まうのが自分ではない、その事実に耐えられなかっただけなのだ。二人の間にあったものは一体何であったのだろうか? 花火のように一瞬で消え行く、激しくも儚い恋。けれどエドモンドの真実の愛は違った。熱を持っていることにすら気がつかない、永遠(とこしえ)に燻ぶり続ける埋み火だった。
 
「アマーリア! 麗しの我が従妹殿、おかえり、と言うべきかな?」
 
その時、一座を割って明るい声を響かせた青年がいた。
 
「ベルナルド! 雄々しきわたくしの従兄殿、随分意地悪な御挨拶ね」
 
無造作に背を流れゆく金の髪、少し垂れた目尻が妖しく艶めくベルナルドは、アマーリアの従兄にして侯爵家の世継ぎの君だ。懐かしい再会に、アマーリアは顔をほころばせた。
 
「少し話さないか? これでも君の帰りを待ち望んでいたんだ」
 
「まぁ、跡目殿の頼みでは断れないわね」
 
ベルナルドに差し出された手を取ってアマーリアが立ち上がると、群がる悪友たちは潮が引くように道を開けた。昔から、この従兄のさりげない心配りにどれだけ救われてきたことか。あの別れの日から初めて、今ようやくアマーリアの眦に熱い雫が込み上げた。 
 
「……奥様はお元気? お変りなくお過ごしかしら?」
 
その涙を堪えるように、人気の無い屋敷の奥の庭に腰を降ろし冗談混じりに問いかければ、ベルナルドは溜息を吐いて肩をすくめてみせる。 
 
「君こそ意地悪だな。相変わらずさ。息子のことは可愛がっているようだがね」
 
「都一の美女を執心の果て射止めた、と評判だったくせに」
 
わざとからかうようにアマーリアが返事を返せば、ベルナルドはまた苦笑してこう答えた。
 
「彼女には他に想う男がいるのさ。家の名と金の力で彼女をものにした俺のことは、きっと一生許せないんだろうよ」
 
俯いた瞳に、疲労と寂寞が滲む。どちらもこの華やかな青年には似合わないものだ。
 
「そういうものかしら」
 
アマーリアが呟くと、ベルナルドは話題を変えるように彼女に水を向けた。
 
「……君のことは、そうだな、正直意外だったよ」
 
憐れみの籠った眼差しに自尊心を刺激されて、アマーリアは従兄を睨んだ。
 
「あなたは知っていたんでしょう? あの小屋に住まっていた女のことを。あなたは都にいた頃のエドモンドと、とても仲が良かった」
 
「女を囲っていることは聞いていたよ。幼い頃、親しくしていた家令の娘のことも」
 
「酷いわ、黙っているなんて」
 
仕方ない、といった風情で答えるベルナルドにアマーリアが唇を尖らせてみせるが、彼は少しも悪びれない態でこう告げた。
 
「よくある話さ。エドモンドは君に夢中だったし、君がそんなことで傷つくとも思わなかった」
 
「そうね……確かに私は、傷ついてなんかいないわ」
 
乾いた声音で呟かれたそれが本心であることに、微かな虚しさと、そして安堵を覚えてアマーリアは息を吐いた。
 
「ではエドモンドを、憎んでいるかい?」
 
そんな彼女を窺うように、ベルナルドは問うた。
 
「いいえ、そういう感情は全くと言って良いほど沸いてこないの。確かに初めは腹が立ったし、羞恥と屈辱を感じたわ。でも、あの赤ん坊の瞳……あの、汚れを知らない無垢な緑を見たら、嫉妬も、憤りも、悲しみすらも感じなくなった」
 
ドレスの裾を直しながら淡々と語るアマーリアにベルナルドは目を見開き、そして労わるように微笑んで従妹を見つめた。
 
「……俺は、汚れを知っている君の青い瞳が好きだよ」
 
「……ありがとう、ベルナルド」
 
その夜、二人の間にあったものは穏やかな静寂。互いの傷を慰め合うには、ただそれだけで十分だった。
 
 
~~~
 
 
それから、ベルナルドはアマーリアの行く先々に姿を見せた。王族の夜会、私的な会合、庶民の祭りに至るまで……いつしかその姿が心無い人々の口の端に上るまで。
 
ある日、人目につかぬ屋敷の一角で、アマーリアはベルナルドの妻テレーザが声を荒げて夫に食ってかかる様を見てしまった。
 
「お願いでございます……あなた、どうかこれ以上、私の名誉を傷つけないで下さいまし!」
 
彼女の懇願は悲痛だった。アマーリアは静かにその場を去り、その足で父の元へと駆けこんだ。三十も年の離れたジョルダーニ侯爵と彼女の再婚が発表されたのはその翌日のこと。報せを聞いたベルナルドは、憤慨した様子で従妹の屋敷を訪れた。
 
「あんな老いぼれと結婚するのか? 本気なのか、アマーリア!」
 
「そうよ……私は、エドモンドとのことで結婚に必要なものが愛ではなく、安定だと気づいたのよ。私はこの先も変わらずにありたい。今のままの暮らしを続けて、人生を楽しみたいわ。それを叶えてくれるのが彼なのよ」
 
アマーリアは強い瞳で従兄を射た。ベルナルドは、その眼差しに沈黙で返さざるを得なかった。去りゆく彼の背に見える果てなき孤独を、アマーリアだけが見つめていた。
 
 
~~~
 
 
それから三月も経たぬうちに、アマーリアはジョルダーニ侯爵夫人となった。老齢の夫と穏やかな暮らしを始めた彼女の屋敷に、ある日ベルナルドの妻であるテレーザが慌てふためいて駆けこんできた。
 
「アマーリア様、お聞き下さい。ベルナルドが、我が夫が遠征軍に志願すると……! 異教徒を東の果てまで追いやるための終りなき戦です。いつ戻るとも知れませぬ。どうか、どうかお止め下さい……!」
 
必死の形相で己に取り縋るテレーザを、アマーリアは驚愕を浮かべて見やった。
 
「……私は、私はあなたに浅ましい嫉妬の情を抱いておりました。侯爵家の令嬢で、私よりもずっとあの人の魂の近くに寄り添っていたあなたに」
 
『君を見ていると、俺はとんでもない過ちを犯していたような気がしてくる。……さようなら、アマーリア。君のこれからの人生の安寧を祈るよ』
 
その時、アマーリアの脳裏を過ぎったのはつい先日屋敷を訪れた従兄の姿。結婚を祝いにやって来たはずの彼は、果たして最後まで「幸せを祈る」とは言わなかった。ただ一つ、口にしたのは別れの言葉。ベルナルドは、アマーリアが真に望むものを知っていたとでもいうのだろうか。あれは彼の覚悟であり、決別であったのかもしれない。あるいは、彼を引きとめることすらしない彼女に絶望して死地に赴く決意を固めたのかもしれない。
窓辺に飾られた一輪の花を、アマーリアはそっと見やった。おそらくはこれが最後になるであろう、従兄からの贈り物。彼女がそれまでの人生で受け取ったものの中で最も粗末なものに分類されるその花は、吹き込む風にゆらゆらと揺れていた。そこから漂う微かな、ほんの微かな香りが、アマーリアの胸の内に沁みついて離れなかったあの緑の記憶を徐々に薄れさせていった。






後書き
 


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月下美人の咲く夜に』番外編。グロリアの弟・ロバート視点。拍手ログ。

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母が死んだ。第五王子の妃となった姉の葬儀を終えた翌朝のことだった。窓辺で首を吊り、ユラリユラリと揺れている母の亡骸を私は見つけた。
何も母娘(おやこ)揃って、こんなに外聞の悪い死に方をせずとも良いものを――
そう思いながら母の首にかかる縄を切り、傍にあったソファに横たえて声を上げた。
 
「誰か、父上をお呼びしろ! 母上が急に倒れられた!」
 
そうして慌てて父を呼びに女中が駆けてゆく間に、私は母の机の上に一通の手紙を見つけた。どうやら遺書のようだ。おそらくは父に宛てたものだろうが、残されたたった一人の息子である自分が読んでも特に差支えはないだろう、と考えた末、私はその封を開けた。


~~~
 
 
母の死は、姉と同じように“事故死”を装われ、密やかに葬儀が営まれた。国王とその実質的な後継者であると見なされていた王子の暗殺、そして暗殺の下手人と思われる“人質”の逃亡により、宮中は混乱していた。一貴族に過ぎない女の死など、誰も気に留めなかった。
 
「おまえ、あの手紙を読んだのか?」
 
葬儀を終え、数少ない弔問客を皆帰してしまってから、父が己に問いかけてきた言葉。
 
「ええ、読みました。全て」
 
静かに頷いた自分に、父は深い深い溜息を吐き出してみせた。
 
“王の寵臣”とも言われていた父が姉の無理やりな婚姻の際、一度も国王に意見を述べに行かなかったこと。自分を見つめる母の瞳がいつも、自分を通してどこか遠くを見つめていたこと。『ロバート』と名を呼ぶ声に交じる、今にも他の誰かの名前を叫んでしまいそうな切ない響き。父と母の間にいつも生じていた、微妙な距離感。ルパート王子と姉の関係を知った夜、取り乱す母を必死でなだめていた父の姿。
 
『大丈夫だ、きっと陛下が何とかして下さる。全て陛下の御心のままに、お任せしよう……』
 
『駄目です、それでは、あの子たちの心が壊されてしまいます! 陛下はそれをお望みなのです。陛下は、自らの手で育てた、何のしがらみも無いあの子を、己が後継者に仕立て上げようとなさっているのです……!』
 
『アメリア、それは妄想が過ぎる。陛下に対しても殿下に対しても無礼だ。大丈夫だ、きっとなるようになる』
 
『ではあなたは、このままあの二人の交際を黙って見守れとおっしゃるの!? 一瞬で散っていくことが解っていて、己の娘が傷ついても良いのですか!?』
 
『黙れ、アメリア!我々が今の地位にあるのはどなたのおかげと心得る!? おまえを娶ってやったのも、そもそもは陛下の……』
 
余りにも聞き苦しい二人の口論に嫌気が差して、私はその場を後にした。別に姉の恋が上手くいってもいかなくても、私は傷ついたりなんかしない。ただ、次期国王の有力候補である王子殿下との繋がりが薄れるのは残念に思うが……。
 
しかし、母の指す『あの子』とは一体誰のことか。まさか自分のはずがあるまい。一介の貴族が、国王の次期後継者などと! 母は妄想に取りつかれてしまったのだろうか? 恋の熱に浮かされる姉同様、己が身内に恥を感じ、同時に嘲笑した。
 
そして今ようやく、私は全ての真実を知った。
 
 
~~~
 
 
姉は、ルパート殿下への想いを忘れられないが故に、恋のためだけに死んだのだと思っていた。そして母は、娘を失った悲しみ故に、ただそれだけの理由で逝ったのだ、と。どちらも無責任で愚かな死に様。しかし、もっと愚かだったのは……己の傍で母の形見の十字架に取り縋り、嘆き続ける父の姿をじっと見つめる。
 
「アメリア、アメリア、君の言った通りだった。陛下も、グロリアも、おまえも、私は全てを失ってしまった。なぁアメリア、どうすればいい? 私は……」
 
陛下の“お手付き”となり、王子を生んだ女官を下賜されることを唯々諾々と受け入れた父。心の奥底でその美しい女を愛しながら、権力におもねり、素直になれず、子を生した後も己が妻として心から彼女と――母と触れ合うことのできなかった、哀れな男。最後まで亡き国王の言うことをひたすら聞くだけの人形と化し、娘を利用されていることを知っていて異父兄との交際を黙認し、更にその恋を踏みにじることすら是とした。
 
庭に咲く月下美人の花をじっと見つめる。月下美人は一夜しか咲かない。そこで実を結ばなければ、永遠に実が生ることなく散っていくのみ。姉も、母も、この花のように美しく、儚かった。そして己の異父兄にあたるのだという、姉が心から愛していたあの王子もまた……。どうして己一人のみが、父親に似た容貌に生まれついてしまったものか。見下ろした父は、既に憎む価値もない脱け殻と化していた。白き花弁に消えない傷を残して、踏みにじった男。
 
「父上、私はリチャード殿下の元へ参ります。きっともう二度と、ここへ戻ってくることはないでしょう。……いえ、リチャード殿下がこの国を征された際は、どうなるか分かりませんが」
 
そう告げた己を呆然と見上げる、空虚な瞳。
 
「いかん、いかん、ロバート。私が、このウィルクス家をこの地位まで上げるために、どれだけの犠牲を払ってきたと思っておるのだ!? おまえはこの家の嫡男だ。駄目だ、おまえはこれから王太子殿下の元に……!」
 
「それは父上の勝手な望み。私は私の道を参ります。大体、あの愚鈍な王太子に、“身分低き”第六王子などに次期国王の座を奪われていたも同然の王子に、何ができます? 早晩この国は滅びるでしょう。父上も他国に亡命なさるなり、早く策を練っておいた方が良いかと」
 
そう言って微笑んだ己に、父の顔が幽霊でも見たように一気に青ざめていった。もしかしたら、滔々と言葉を紡ぐ私の姿に“誰か”を思い出してしまったのかもしれない――苦笑しながら庭に出、そこに咲く月下美人の花を一輪捥ぎ取る。
 
リチャード殿下は、月下美人がお好きだと聞いたな……。
 
彼の逃げ帰った故国に、この花は果たして咲いているのだろうか。一瞬、手土産に持ち行こうと考えたが、すぐにその愚かしさに気づいて止めた。どうせこの花は、明日の朝には散ってしまう。それに主に媚びて歓心を得ようとする父のような手法は、正直言って余り好みではない。行き場を無くした手の中の花をじっと見つめる。摘まれてしまったこの花は、どうせもう実を結ばない。ならば美しく咲き誇るこの姿のまま、葬ってやるべきではないのか? そう考えながらも、気がつけば私は無心に白き花弁をむしっていた。
 
いつもいつも、己一人が蚊帳の外。姉も、母も、父も、誰も己をまともに見てくれたことは無かった。思えば、あのルパート王子が、何の濁りもない真っ直ぐな眼差しを私に向けてくれた最初の人であった。
 
 
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『ウィルクス伯爵のご嫡男か……。大層、優秀だと聞くが』
 
『畏れ多いことにございます、殿下。私などまだまだ若輩者で……』
 
『良い目をしている。宮中に出仕する日が楽しみだな。その日が来たら、是非とも私の傍で補佐の仕事をしてもらいたいものだ』
 
そのとき、微笑んだ王子の顔が余りにも綺麗だったので、思わず赤面してしまったことを覚えている。
 
『おっ、それはずるいぞ、ルパート! 彼は軍に属すことを希望しているかもしれないじゃないか。ちょうど私の副官の席も開いているから、君がこんな書類仕事に嫌気が差す類の人間だったら、是非とも私の元に来てもらいたい』

そうしてルパート王子の傍らに寄り添う影のように現れた、リチャード王子の姿。彼もまた、曇りのない笑顔を浮かべ、私に声をかけてくれた。あの頃、既にルパート王子は姉と恋仲にあった。彼は、“恋人の弟”という立場にある自分を、もっと利用しても良かったのではないか。会話の中で彼は一度も姉のことには触れず、ただ己に励ましの言葉をかけたのみであった。“姉の弟”としてではなく、一人の人間としての自分を認めてくれたのだ、と感じた。ルパート王子も、そしてまたリチャード王子も。
 
だから私は、リチャード王子を信じてみようと思う。ルパート王子へ注がれていたあの深く優しい眼差しを、姉へ向けられていたあの切なく暖かい眼差しを、そしてあの日私の心を射抜いた、あの真っ直ぐで力強い瞳を。
 
もうすぐ、夜が明ける。花弁を全て失った月下美人の茎を投げ捨て、私は馬に跨った。次に帰るときは、私がこの国を踏みにじるとき。私の母を、姉を、兄を踏みにじったこの国を、跡形もなく蹂躙するとき。そう己に言い聞かせながら、私は月下美人の散りゆく故国を後にした。







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弟の憎しみと、兄の決意。

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「何故だ!? 何故彼女は死んだ!? あなたはグロリアの夫ではなかったのですか!? 何故あなたは彼女を……グロリアを守らなかった!?」
 
グロリアの葬儀の場で己に掴みかかる弟に、リチャードは何も言えず俯くだけだった。あの日から、“父”からルパートとグロリアの真実を聞かされ、彼がグロリアを娶ることを申し出た日から、日に日に険悪さを増していった弟との仲。元々、『逆らう一族や属国は根絶やしにしてしまえば良い』という考え方のルパートと、『まずは相手の意見を聞き、話し合いで解決するべきだ』という発想のリチャードには戦場でも些細な対立がよく起こった。グロリアの件をきっかけにそれはますます悪化し、中央の政治の場でも表面化するようになり、宮中はいつの間にか次期国王を継ぐと見なされる二人のどちらにつくか――つまりルパート派とリチャード派に二分されていた。
グロリアを奪われた“第六王子”のルパートが“第五王子”リチャードからその妃を取り戻すためには、更にその上の位を……王位を手に入れるしかない。そのために本気を出したルパートに、王太子も他の王子たちも敵うはずがなかった。たった一人残された“王のお気に入り”であるリチャードを除いては。
 
リチャードとルパートは、陰謀・策謀の絶えない王族の中にあって、かつては誰よりも親しい兄弟だった。リチャードは本当のところ、王の実子ではない。属国より“養子”というかたちで送られてきた人質、それが一部の者だけが知るリチャードの真実だった。幼いルパートはそんなリチャードを慕い、いつもその後を追いかけて回った。リチャードを“人質”として見下し、遠巻きに眺める他の王子女たちとは違い、ルパートは母がいないせいもあってか不思議と彼に懐き、気がつけばいつも傍にいた。
そんな弟が初めての恋に落ちた時、リチャードは兄としてほんの少しの寂しさと喜びを覚えた。二人には“母”という存在がいない。そのためか女性に対する免疫が余りなく、軍隊に属し娼館に出入りする機会もあったリチャードはまだ良かったものの、なまじ女のような美貌を持つルパートは周囲に群がる女性たちにいささか辟易し、女というものを全般的に毛嫌いしている節があった。だから、弟が緩やかに波打つ栗色の髪に、薄い水色の瞳を持つ愛らしい少女を自分に紹介して見せたとき……リチャードは心からの祝福と、僅かな寂寞を感じたのだ。素直で可愛らしい気性のグロリアは彼にとってもすぐに妹のような好ましい存在になったし、出来ることならいつまでも似合いの二人の姿を眺めていたい、そう思っていた。
 
 
~~~
 
 
「ルパートが最近熱を上げている、というウィルクスの娘……あれの母は、かつて朕が手を付けた女官なのだ。身分の低い女官に王子を生ませた……等と噂が立っては、との外聞を憚り、ルパートを生ませて後ウィルクスの元に下賜した。それがまさか、こんなことになろうとは……」
 
頭を抱えて蹲る王に、リチャードが憤慨しなかったと言えば嘘になる。大事な弟とその恋人を傷付ける原因を作り出した、人質である彼に戦場で数々の“武勇”を……属国を増やさせてきた。リチャードと同じ立場の者たちを、次から次へと生み出させてきた。愛するルパートの、聡明な頭脳まで利用して。
けれど“人質”の立場であるが故に、分不相応な恩恵を受けていることを知るが故に、王の命には逆らえなかった。何よりも、ルパートに人の道にもとる行為を犯させたくはなかったから。
 
「分かりました、陛下。それでは私がグロリアを娶りましょう。私はあなたの実子ではないとは言え、立場上はルパートより上の第五王子。私自らがグロリアとの婚姻を願い出たことにすれば、陛下とウィルクス伯爵夫人の過去も、ルパートとグロリアの真実も、わざわざ疑おうとする者はおりますまい」
 
「良いのか? リチャード。それではそなたとルパートは……」
 
初めからそのつもりでこの“秘密”を打ち明けておきながら、白々しく演技をしてみせる国王にリチャードは呆れ返った。
 
「それは、もうルパートが私と組んで戦場に出る機会は減る公算が高くなりますので、陛下の目指す野望を達成なさるには、幾らか予定より時間がかかることになってしまうやもしれませんが……」
 
と彼が嗤ってみせれば、国王は安堵したように息を吐き出した。
 
「何、それくらいどうと言うことは無い。確かにそなたとルパートが組めば、普通ならば一年かかる戦を一月で終えることが出来たが、“代わり”は用意しておいた。それに今後ルパートには、都に腰を落ち着けてこの位に着くための学問を学ばせねばならぬ、と常々考えていたからな」
 
予想通りの答えに、思わずリチャードは苦笑を漏らす。やはりこの男はルパートを王位に据える気だったのだ。だから、妹であってもなくても“伯爵令嬢”ごときを簡単に正妃の座に据えられては困る。関係を結べば有利になる何処かの大国の王女を、ルパートの正式な即位後に正妃として招くつもりであったのだから――と。
 
 
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「おやめ下さい、殿下。その方は……リチャード殿下は何も悪くありません。悪いのはわたくしと……畏れ多いことを申し上げますれば、お父上であらせられる国王陛下です」
 
リチャードの襟首に掴みかかるルパートの背後から、聞こえてきたのは亡き女(ひと)によく似た声音。ルパートと同じ黄金色の髪、グロリアと同じ薄い水色の瞳! 一度だけ会ったことのある、妃だった女の母。そして誰よりも愛するこの弟、ルパートの実の母! 彼女は全てを話してしまうつもりなのだと、リチャードは気づいた。
 
「あなたは……ウィルクス伯爵夫人?」
 
驚いたように自分を振り返ったルパートを、彼女はどこか痛ましげな、そして慈しむような眼差しで見つめる。
 
「そうです、殿下。わたくしはあの娘(こ)の……グロリアの母。そして、あなた様をお生み申し上げた母でもあるのです、殿下……」
 
泣き崩れた美しい女に、ルパートは絶句し、そして全てを悟ったようだった。
 
 
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「ルパート! 待て、ルパート! 何処へ行く気だ!?」
 
女の口から全ての真実が語られた後、いきり立つように歩きだしたルパートを必死に追ったリチャードがようやく彼に追い付いたとき、既に二人は王宮の入口まで迫っていた。
 
「父上の元だ! 全てを話して……そして、死んでいただく!」
 
激昂するルパートを必死に押しとどめようと、リチャードはその前に立ちはだかる。
 
「一時の衝動で全てを失う気か? 陛下はおまえに、いずれ位を譲ることを考えておられる。国王に即位してからでも、いくらでも復讐は可能ではないのか……?」
 
「誰が! こんな国の王位など、あんな男の後釜になど、座りたいと思うものか!」
 
叫んだ彼の落ち窪んだ瞳に宿る憎しみの炎。それと同じものを、かつてはリチャードも抱いていた。己の国を属国へと貶めたこの国の王と、刺し違えるつもりでこの国へ赴いた。そんなリチャードの荒んだ心を、救ってくれたのはルパートだった。元から細身だった身体が心労と激務で更に痩せさらばえ、荒れた肌と唇にかつて生き生きとした美貌を持て囃された弟の姿はどこにもない。
このようにしてまで、王はルパートを己が後継者に仕立て上げようとするのか? このような状態でルパートが王位についたところで、それは彼にとって“幸せ”と言えるのだろうか……? 愛するグロリアを失って、これまで信じてきた全てのものを粉々に打ち砕かれて……。
 
「ルパート、幼き日のおまえは私を救ってくれたな。だから今度は、私がおまえを救う番だ……」
 
そう告げて剣を抜いたリチャードを、ルパートは呆然と見上げた。
 
「安心して良い、国王は私が必ず斃す。おまえがこの国を憎むというのなら、私と、私の国の者たちが絶対に滅ぼしてみせよう。だからおまえは……先にグロリアの元へ逝け」
 
リチャードは己が刺し貫いたその身体を、地面にくず折れる前に抱きとめる。余りにも軽い、長い歳月を共に過ごした“弟”の身体。
 
「リチャード……あに、うえ……すまな、」
 
カクン、と事切れたルパートの身体をそっと抱き抱え、彼が赴くは誰よりも憎む男の佇む玉座。
 
「国王陛下、陛下を弑逆しようと王宮に入り込んだ賊を退治して参りました。どうか褒賞を願えませんでしょうか?」
 
ゴロリと床に投げ出したルパートの血塗れの亡骸に、王は瞠目して立ち上がり、そしてまたすぐに着座し不敵に笑ってみせた。
 
「いいだろう。してその褒賞には、何を望む?」
 
「ありがとうございます。褒賞ですか? それは勿論、あなたの首を――」

吹き飛んだ紅い血が、リチャードの顔を汚した。同じ血があのルパートにも流れていたとは、何とおぞましい。
汚らわしいその血を拭い去って、リチャードは王宮を後にした。外に出れば、辺りは既に暗闇の中。夜に咲く月下美人の花弁だけが、漆黒に映えて白く浮かび上がっている。そこに一瞬、彼が何より愛した美しい二人の面影が見えたのは気のせいだろうか――?

視線を上げ、むせ返るその香りを振り切るかのように、彼は馬を駆けた。目指すは彼の故国。これから、“本国”であったこの国との間に長い長い戦が始まるであろう、緑豊かな小国。月下美人は、果たして彼のふるさとにも咲いていただろうか? 忘れてしまった故郷の風景を必死に思い出そうとし、やがてその愚かしさに気づいて止めた。
自分は約束したではないか、いずれこの国を滅ぼすと。月下美人の咲くこの国を、己が国の領土として跡形もなく消し去ってしまうことを……。
 
 
~~~
 
 
それから十数年の後。国王と世継ぎを属国から迎えた“人質”により弑されたその国は、“リチャード”という
名の王が治める国に統括され、その後長きに渡り豊かな繁栄を築くこととなった。





後書き
    番外編『月下美人の散る朝に』(グロリアの弟・ロバート視点)
 


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秘密を知った女の結末。

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 “その日”が来たのは突然だった。王家からの使い。ルパートはグロリアが十六の年を迎えたなら、
是非自らの妃に迎えたい、と再三話してくれていた。そしてその時が来れば、必ず事前に自ら彼女に伝えに来る、とも。
お気が変わられて、わたくしを驚かそうとなさっているのかしら……?
呑気に構えていたグロリアに使者が伝えたのは、思ってもみない王の命であった。
 
『第五王子・リチャードとウィルクス伯爵令嬢・グロリアとの婚約を決定する』
 
と。リチャード王子はルパートが誰よりも信頼する異母兄。聞けばその使いは、これはリチャードが直々に国王陛下に願い出たことなのだと言う。
 
「それは……何かの間違いではございませんか?」
 
女のような美貌を備えたルパートとは違い、軍人として鍛え上げられたたくましい身体に、男らしく精悍な顔立ちをしたリチャードのことは、決して嫌いではなかった。
けれど、ルパートと自分のことをいつも暖かく見守っていてくれたはずの彼が、自分自身も兄のように慕っていた彼が、何故突然、このような!
 
「いいえ、間違いではございません。……ルパート殿下はリチャード殿下よりお立場の低い第六王子。そして一介の貴族に、王からの勅命である婚姻の決定を覆す権利などおありでないことは、御承知のはずですね?」
 
淡々とした使者の声音が告げる、残酷な事実。
 
 
 
それから婚姻までの間、ルパートは何度か見張りの目をかいくぐり、グロリアの元に会いに来てくれた。
 
「大丈夫だ、兄上ならきっと解ってくださる。私がもう一度、必ず父上と兄上を説得してみせる……!」
 
必死の形相でそう告げたルパートの言葉を、初めはグロリアも信じていた。
 
「駄目だ、兄上とはもう何もお話しすることはない……。父上など、お会いになっても下さらない」
 
けれど、日に日に憔悴し、やつれていくルパートの姿に、グロリアは己の希望が絶望に変わりつつある予感を確かに感じた。
 
「グロリア、グロリア……私はおまえを愛している。例え誰のものになってしまっても、絶対におまえを取り戻す。待っていてくれ。すまない、グロリア……」
 
結婚式の前夜、出会いの時と同じように月下美人の咲く庭で、ルパートは告げた。重ねられた唇はあの夜とは違い、すっかり乾いて痩せた感触になってしまっていた。
そしてそれは、きっと自分も同じなのだろう……。
去っていくルパートの後ろ姿を見つめながら、グロリアは静かに泣いた。


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リチャードは、何故か妃となったグロリアに一度も手を触れなかった。仲の良かった弟の恋人を奪ってしまったことに罪悪感を抱いているのか、今もルパートを想い続けているであろうグロリアの気持ちが落ち着くのを待っているのか……。正妃として丁重な扱いを受け、ルパートの――“弟の恋人”として自分に接してくれていた時と同じように優しく、穏やかな眼差しを向けてくれる彼に、グロリアは正直戸惑っていた。あの時使者の告げたように、伯爵家には王家に逆らえる権利などない。そうしてリチャードの妃となった以上は、きちんとしたかたちで彼の誠意に応えるべきではないのか。彼を受け入れ、子を生すという妃の役目を、早々に果たすべきではないのか。そんな物思いに囚われていた時だった、グロリアがその手紙を見つけてしまったのは。
 
 
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母の持つ緩やかな金の髪、薄い水色の瞳。今にも消えてしまいそうな、儚げな美貌。一体誰が信じようか、己の母が、王が手を付けた王宮に仕える下働きの女官だったとは! 世間体を慮った王は、身ごもった女官が六番目の王子となるルパートを生んだ後、口の堅い側近にその女官を下賜した。それがグロリアの父、ウィルクス伯爵! そうして彼と彼の妻となった女官との間に生まれた、最初の娘がグロリアだった。つまりは、ルパートとグロリアは父を違えた兄妹であったのだ!
リチャードが彼女との結婚を王に願い出た理由も、王が無理やりにそれを受け入れさせた理由も、全てはそこにあったのだ。弟思いのリチャードのことだ。例え愛する弟に恨まれても、自分に一生子供ができずとも良いと考えたのだろう。それなのに、自分は。何も知らないあの方は!
 
「グロリア……!」
 
手紙を手にカタカタと身を震わせる彼女の背後から、驚愕の声が掛けられる。それはリチャードの声だった。おそらくは机の引き出しに鍵を掛け忘れたことを思い出し、王宮から引き返してきたのだろう。グロリアはそんな“夫”に向かい、微笑んでみせた。
 
「憎かったでしょう? あの方を、弟君を惑わせたわたくしが。あなたとルパート様の、親しかったご兄弟の仲を引き裂くことになってしまった、あなたの正妃の座すら奪ってしまったわたくしが! ……そのわたくしに、これまでよくぞご親切にして下さいました。とても、感謝致しております……」
 
「止めろ、グロリア! 何をする気だ!?」
 
グロリアは書斎の窓を開け放ち、窓枠に手をかけて身を乗り出す。
ここは三階。運が良ければ、真っ直ぐにあの世まで行けるだろうか。
 
「さようなら……わたくしは地獄に参ります。だって真実を知った今でもまだ、わたくしはあの方を……」
 
地面に向けて舞い降りた己の身体に纏わりつく髪が、母と同じように緩やかに波打つ。グロリアはそれを初めて、心から憎らしいと思った。それが彼女の、最期の記憶で、感情だった。





後編
 


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悲劇の始まり。

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グロリアがその手紙を見つけてしまったのは偶然だった。
 
『今度(こたび)のこと、そなたにはまことに苦労をかけた。そなたがあの娘を娶る決意を固めてくれたおかげで、朕は我が子を人の世の倫(のり)を超える行いから救うことが出来た。ルパートとあの娘が母を同じくする兄妹である、という事実はこれからも決して外に漏らさぬよう、気を付けてもらいたい』
 
夫の書斎の机の、いつもなら必ず鍵の掛けられているはずの引き出しがほんの少し開いているのを、グロリアは見つけた。きちんと閉めるつもりで近づいたその場所を、気がつけば魔法にでもかけられたように開けてしまっていた。そうしてそこに、一通の手紙を見つけた。王家の紋章が入った、おそらくは国王陛下直々に手渡されたであろうその手紙に、彼女は興味を引かれた。一年前、彼女と恋人との仲を引き裂き、その異母兄と無理やりに婚姻を結ばせた国王陛下からの書簡に。
 
グロリアはウィルクス伯爵家の長女だった。彼女がかつての恋人であったその人と初めて出会ったのは、
社交界にデビューしたばかりの十四のとき。そう、あれは月下美人の咲き誇る、少し蒸し暑い夏の夜のことだった。
 
国王の六番目の息子であるルパート王子は、金髪に碧眼という典型的な王族の容姿に女と見間違うばかりの美貌と多彩な学識を備え、若い貴族の娘たち皆の憧れの的であった。王子を生んですぐに亡くなったという母妃、そしてその実家である後ろ盾の貴族こそいなかったものの、逆にその恩恵ともいえるかたちでルパートは
父である国王自らの手で育てられ、同じように母を亡くし父の傍にあった一つ年上の異母兄リチャードとは同母の兄弟以上の固い絆で結ばれていた。
 
武勇に優れ、自ら軍に属して馬を駆っては敵兵を打ち取り、『王国最強の兵』と讃えられるリチャードと、聡明な頭脳を持ち、リチャードと共に戦場に赴いては指揮官として緻密な戦略を練り、王国に勝利をもたらしてきたルパートの二人を、国王は子供たちの中でも殊の外気に入っている、との噂は宮廷中の評判であった。それでなくとも二人は国王自らの傍で育てた、たった二人の息子である。五番目と六番目の王子であり、現在の王位継承権こそ低いものの、国王陛下は内心この二人のどちらかを自らの後継者に選びたいのではないか、と王太子や第二王子、またその周辺の勢力は戦々恐々としていた。そんな状況の中、十四歳のグロリアと十七歳のルパートは運命的な出会いを果たした。
 
 
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「あなたも、もうパーティーに飽きられてしまったのですか?」
 
夜会会場の熱気に中てられて、早々に庭へと逃げ出したグロリアの背中にかけられた艶やかな声音に、彼女は驚いて背後を振り向いた。
 
「……元々、人の多い場所が余り得意ではないのです。わたくし、このようにまだまだ物知らずな鄙(ひな)の娘でございますから」
 
まさか、誰もが憧れ、夜会に姿を現わせばその周囲から黄色い歓声の嵐が途切れることのないルパート王子が、自分に声をかけて下さるなんて!
グロリアは緊張し、己の声が少し震えているのが分かった。
 
「ご謙遜を。ウィルクス伯爵のご令嬢のお話は、あなたが社交界にお出ましになる前から随分と評判になっておりましたよ。この私も、あなたのお姿を一目見るのをとても楽しみにしていたうちの一人です」
 
今この庭には、自分と彼の二人きり。グロリアは思わず頬が紅く染まっていくのを感じた。
 
「ご冗談を……殿下」
 
「殿下、などと堅苦しい呼び方をするのはやめていただきたい。あなたのような方に、ルパート、と名を呼んでいただければこれほど幸せなことはありません」
 
そっと頬に触れてくるルパートの手を、グロリアは何故か振り払えなかった。ルパートは美しかった。不思議な光彩を放つ碧の瞳は確かな熱情を宿し、じっとグロリアを見据えていた。
 
「ルパート、さま……」
 
グロリアの唇が自ずからその響きを口にすると、ルパートの口元が本当に嬉しそうにほころんだ。
滅多に感情を顔に出さず、“社交辞令”の笑みしか浮かべない、と時に揶揄されるあのルパート殿下が、わたくしごときに微笑んで下さった!
グロリアの想いは高揚した。
 
「グロリア、とお呼びしても……?」
 
頷くと同時に振ってきた口付けに、グロリアは己があっという間に支配されてしまったことを知った。“恋”という名の、甘く苦しい初めての感情に。
 
それから先の日々は、まるで矢のように過ぎて行った。ルパートとグロリアは毎月、毎週、やがては毎日のように逢瀬を重ねるようになり、会えない日は必ず書簡を遣り取りし、夜会で顔を合わせればどちらからともなく身を寄せ合い、共に踊った。
 
ルパートは、彼女の薄い水色の瞳が何よりも好きなのだ、とよく口にしていた。彼の母の瞳もまた、薄い水色をしていたのだと、かつて一度だけ父が教えてくれたことがあったから、と。偶然にもグロリアの瞳の水色も、母譲りの色であった。ルパートとの共通点を一つ見つけたようで喜んでいたあの日の自分を、手紙を読んだグロリアは呪ってしまいたくなった。


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