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1984ちびちび読んでての感想続きとか、後半政治ネタ含むのでご注意願いますm(__)m
イングソックによるニュースピークの創造・進化に『シュトヘル』の主要なテーマがまさにこの言葉の破壊と創造(統合)の意味するところだな、と考えさせられた。サイムのキャラクターは非常に純文学的で魅力的。これが一応(体制のモチーフはソ.連を想起させるけれど)「共/産主義」ではなく「全/体主義」社会をテーマにした作品だということを思い起こさせる、党の主義・主張に対する忠誠心と純粋さが哀しくなるほど痛々しい。彼は本当に望んでいるし憧れているんだ、究極に単純化された言語と、それによって完全に矛盾や葛藤を超越した人々によって成り立つ理想の社会を。ナ○ズム・ヒ○ラーに傾倒した人々の動機も、最初はただこうした「崇高な理想の世界を作りたい」というものだったんじゃないかな、と思う。特定の民族への怒りや敵への憎しみが主体ではなく、理想を叶えるための後付けの言い訳・手段が目的化してしまい悲惨な結果を生んだのではないか、と。。すみません敗.戦国民の立場で、何か彼らを庇ってるように見えるコメントをしてしまって(-_-;) 最終的にナ○スを支配したレイシズムや自民族優越主義には明確に大反対の立場です。ある意味でそういう傾向に近づきがちな一部自国の人々についても恥ずかしく感じておりますm(__)m
いくらサイムが魅力的なキャラクターで、彼の考え方について一つ筋が通ったものであるかのように少しの共感というか理解を覚えても、私はやっぱり文学が好きで、自分で小話を書いたりもしていたから言語が単純化していくことは許せないし恐怖を覚えます。ブログのしょーもないグチ記事だってなるべく続けて同じ表現被らないようにしたいとか思ってんのに、「素晴らしい」と「申し分ない」を使い分けちゃいけないって!? 小学校から必死に教えてきた対義語・類義語の概念を全否定とか、先生たち超ヒマになっちゃうじゃん。(その分軍事教練とか思想教育に費やすのか?ああいうトコでは)何かホント蓮池さんやジェンキンスさんの本で読んだ北朝.鮮みたいだ。暮らしぶりとか・・・ロ○アは留学してた方の話では制裁で若干ヤバい状態ではあっても、一応今は「連邦制民主国家」ってことでそこまで酷くはないみたいだけど。
簡/体字の件は、まぁ知り合いが80后世代でこっちに留学来るようなタイプの人だったので今のもっと若い人たちとは感覚が違うのかもしれませんが、心底繁.体字の残る香/港や台/湾を羨ましがっていました。本来の意味が全く違うものが音が同じとか書きやすいって理由だけで一つの文字に統一されてしまっている、とか。そもそも文字として美しくないし、本来の成り立ち(元々が象形文字だったんだもんね)を台無しにしているとか。原著で読めばニュースピークに対してネイティヴの方が感じる感覚も似たようなものなのかな、と興味を抱いたり・・・(いやいや落ち着け自分?最近積ん読たまってんぞ?^^)
追記:
これ読み終わったら親の枕元にでもそっと置いておこうかなー。「もし仮に日/本K産党が政権を取った場合、こういう風な国家運営に陥らない絶対的な自信はあるのか?」という意味で(笑) とりあえず米との同盟は維持とか今のところ言ってるけど、どうだかねー。コミュアレルギーの共和政権なんかになれば真っ先に切られるだろうし。親含めぶっちゃけボンボン育ちの理想主義者がリアル学なしブルーカラーを実現不可能な甘い言葉で言いくるめて成り立っているような政党に、真っ当な国政が執り行えるのか甚だ疑問です。私、共/産主義って究極の平等を追求した思想で、差別の入り込む余地は全くないと考えてたんですよ。でもウチの親はハッキリ言って嫌いな相手やイデオロギー的な敵対者のことは平気で差別する。例えば現首相の学歴とか、O阪で引退するしない言ってる元市長の名字とかをネタに。名字からうかがえる先祖のルーツで他人をバカにする発想とか、マジで恐れ入るとしか思えないし相手の出身国で人柄を判断する極右と何が違うのか全く理解できない。私が左嫌いになったのって正直彼とお仲間の言動を見てきたせいだよ。党と「同志」のために尽くすのは当たり前だから、こっちがどんなに損を被っても詫びも返礼も一切なし。あとA新聞のしつっこい記者と勧誘な。まぁ子としての自分はハッキリ言ってそれ以上のロクデナシだし、親には尊敬すべき部分も、脆いところも両方あって感謝と申し訳なさの念が勝るのは確か。でもできることなら本当にソッチ系のイデオロギーからはいい加減目を醒ましてほしい。
まぁだからと言って自分にとっては右の方も、日.本の場合Tennoと国の成り立ち自体がどうやっても切り離せないくらい結びついていることを考えると、信仰持てない者が与するには絶対不可能だな、と距離を置いてしまうんですけどね。だって『古.事記』=神/道の聖/典、つまりどうやったって今でも「カミ」のトップに君臨する存在なんだもん、あの一族は(-_-;) 人.間宣言なんか全くの無駄だよ、歴史浅い+基本一神教の国のアメ○カさんにはこの根深く息づいてるウチ独特の価値観というかシステム(ちょっと危険な用語かもしれない(^^;)が理解できなかったのか・・・。うん、そうなんだろうな今のヤ○クニ問題の燃え広がりっぷり見る限り(´-`) 日/本人的に普段特に意識することもないだろうし、外では議論も憚られるタブー視されてることだけど、個人的には何か可哀想になっちゃって。あの家に生まれて、一生国という存在から逃れられないというか、教.皇のような自己の選択の結果でもなく「そうであり続けなければならない」彼らのことが。でも日.本の歴史を多少かじった身としては彼らの存在なしに国の安定や伝統の保持は不可能だな、とも感じるし、何つーかねー・・・ホント申し訳ない(-人-)という意味で尊敬していることはいるのですが、「信者」になることは無理なんだよなぁ。
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イングソックによるニュースピークの創造・進化に『シュトヘル』の主要なテーマがまさにこの言葉の破壊と創造(統合)の意味するところだな、と考えさせられた。サイムのキャラクターは非常に純文学的で魅力的。これが一応(体制のモチーフはソ.連を想起させるけれど)「共/産主義」ではなく「全/体主義」社会をテーマにした作品だということを思い起こさせる、党の主義・主張に対する忠誠心と純粋さが哀しくなるほど痛々しい。彼は本当に望んでいるし憧れているんだ、究極に単純化された言語と、それによって完全に矛盾や葛藤を超越した人々によって成り立つ理想の社会を。ナ○ズム・ヒ○ラーに傾倒した人々の動機も、最初はただこうした「崇高な理想の世界を作りたい」というものだったんじゃないかな、と思う。特定の民族への怒りや敵への憎しみが主体ではなく、理想を叶えるための後付けの言い訳・手段が目的化してしまい悲惨な結果を生んだのではないか、と。。すみません敗.戦国民の立場で、何か彼らを庇ってるように見えるコメントをしてしまって(-_-;) 最終的にナ○スを支配したレイシズムや自民族優越主義には明確に大反対の立場です。ある意味でそういう傾向に近づきがちな一部自国の人々についても恥ずかしく感じておりますm(__)m
いくらサイムが魅力的なキャラクターで、彼の考え方について一つ筋が通ったものであるかのように少しの共感というか理解を覚えても、私はやっぱり文学が好きで、自分で小話を書いたりもしていたから言語が単純化していくことは許せないし恐怖を覚えます。ブログのしょーもないグチ記事だってなるべく続けて同じ表現被らないようにしたいとか思ってんのに、「素晴らしい」と「申し分ない」を使い分けちゃいけないって!? 小学校から必死に教えてきた対義語・類義語の概念を全否定とか、先生たち超ヒマになっちゃうじゃん。(その分軍事教練とか思想教育に費やすのか?ああいうトコでは)何かホント蓮池さんやジェンキンスさんの本で読んだ北朝.鮮みたいだ。暮らしぶりとか・・・ロ○アは留学してた方の話では制裁で若干ヤバい状態ではあっても、一応今は「連邦制民主国家」ってことでそこまで酷くはないみたいだけど。
簡/体字の件は、まぁ知り合いが80后世代でこっちに留学来るようなタイプの人だったので今のもっと若い人たちとは感覚が違うのかもしれませんが、心底繁.体字の残る香/港や台/湾を羨ましがっていました。本来の意味が全く違うものが音が同じとか書きやすいって理由だけで一つの文字に統一されてしまっている、とか。そもそも文字として美しくないし、本来の成り立ち(元々が象形文字だったんだもんね)を台無しにしているとか。原著で読めばニュースピークに対してネイティヴの方が感じる感覚も似たようなものなのかな、と興味を抱いたり・・・(いやいや落ち着け自分?最近積ん読たまってんぞ?^^)
追記:
これ読み終わったら親の枕元にでもそっと置いておこうかなー。「もし仮に日/本K産党が政権を取った場合、こういう風な国家運営に陥らない絶対的な自信はあるのか?」という意味で(笑) とりあえず米との同盟は維持とか今のところ言ってるけど、どうだかねー。コミュアレルギーの共和政権なんかになれば真っ先に切られるだろうし。親含めぶっちゃけボンボン育ちの理想主義者がリアル学なしブルーカラーを実現不可能な甘い言葉で言いくるめて成り立っているような政党に、真っ当な国政が執り行えるのか甚だ疑問です。私、共/産主義って究極の平等を追求した思想で、差別の入り込む余地は全くないと考えてたんですよ。でもウチの親はハッキリ言って嫌いな相手やイデオロギー的な敵対者のことは平気で差別する。例えば現首相の学歴とか、O阪で引退するしない言ってる元市長の名字とかをネタに。名字からうかがえる先祖のルーツで他人をバカにする発想とか、マジで恐れ入るとしか思えないし相手の出身国で人柄を判断する極右と何が違うのか全く理解できない。私が左嫌いになったのって正直彼とお仲間の言動を見てきたせいだよ。党と「同志」のために尽くすのは当たり前だから、こっちがどんなに損を被っても詫びも返礼も一切なし。あとA新聞のしつっこい記者と勧誘な。まぁ子としての自分はハッキリ言ってそれ以上のロクデナシだし、親には尊敬すべき部分も、脆いところも両方あって感謝と申し訳なさの念が勝るのは確か。でもできることなら本当にソッチ系のイデオロギーからはいい加減目を醒ましてほしい。
まぁだからと言って自分にとっては右の方も、日.本の場合Tennoと国の成り立ち自体がどうやっても切り離せないくらい結びついていることを考えると、信仰持てない者が与するには絶対不可能だな、と距離を置いてしまうんですけどね。だって『古.事記』=神/道の聖/典、つまりどうやったって今でも「カミ」のトップに君臨する存在なんだもん、あの一族は(-_-;) 人.間宣言なんか全くの無駄だよ、歴史浅い+基本一神教の国のアメ○カさんにはこの根深く息づいてるウチ独特の価値観というかシステム(ちょっと危険な用語かもしれない(^^;)が理解できなかったのか・・・。うん、そうなんだろうな今のヤ○クニ問題の燃え広がりっぷり見る限り(´-`) 日/本人的に普段特に意識することもないだろうし、外では議論も憚られるタブー視されてることだけど、個人的には何か可哀想になっちゃって。あの家に生まれて、一生国という存在から逃れられないというか、教.皇のような自己の選択の結果でもなく「そうであり続けなければならない」彼らのことが。でも日.本の歴史を多少かじった身としては彼らの存在なしに国の安定や伝統の保持は不可能だな、とも感じるし、何つーかねー・・・ホント申し訳ない(-人-)という意味で尊敬していることはいるのですが、「信者」になることは無理なんだよなぁ。
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