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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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結局Kimio Etoで出てきた曲5つほどDLしてしまった件(^ω^) うん、最近密林使いすぎだからi-t○nes自重な?ってこの前言い聞かせたばっかだよな?・・・i-p○dの中身がますますカオスになったでござる(-_-;) ヤベェ琴って意外と緩急アレンジ自在というかハマりそう。基本の音自体は上品でやさしげなのに、弾き方によって強めの音も響かせられる奥行き?がある。(和楽器極めればどれも結構そうなんだけど)なよやかな中にたち現れる一本筋の通った芯、といいますか。こういう曲、と捉えた瞬間にその印象が逃げていってしまうような、不思議な音色と曲調の変化が素晴らしい! 津軽三味線は母が青森出身なので小さい頃から聴いてたし、竹山氏とかのCDもあるんだけど。(そして上妻・Y兄弟ラインで完全に別の世界に旅立ってしまったことも・・・)最近はほぼギターのように弾きこなしてらっしゃる外国の方なんかをつべでお見かけしたりするし、北国の内に秘めた激しい情熱の表現が(以下略)と寂しい気持ちになることも正直ある(´-`)=3 それでもチャンネルちょいちょい覗いては、きゃりぱみゅアレンジとかの新鮮さを楽しんでもいるわけだけどね(笑)
てか今月密林にヘタ○ア新刊も頼んじゃってたわー。(ファン層的に書店購入が躊躇されるという、ヅカ本と純文は平気で買える私のよく分からない恥じらいの境界線(∩///∩) )でも歴オタだしさ。交わりたくないけど海外ウオッチ好きだしさぁ! てかリアルでイタリアに行ってた子の話がまんま過ぎて正直萌えざるを得なかった@真顔(本音ktkr)全く進撃以外はお兄さん、乙嫁、シュトヘル、大奥に信長系、という海外ネタか歴史マンガにしか手出してないですね最近(・・;) ぶっちゃけ現代日.本ものだとキャラの区別つかなくなるし。(うわぁ)
前記事で昔の洋楽ばっか聴いてた、って書いた話で、私がストーンズを好きなのは生きててくれるから、というのが最大の理由かもしれない、と。メンバーの入れ替わりはありましたけど、ミックが元気でバンドを続けて、曲やライヴも新しいのをやってくれる。60年代から活動してるバンドで80年代生まれの私がリアタイでそういうの見られたの、ストーンズくらいですよ。例えトシ行って衰えを感じようが、アルバムの内容がピンキリだろうが、とにかくあれだけ「聴くものがある」ことが嬉しくて堪らない。(この感覚は古いモンにハマってしまった人間じゃないと掴みにくいものかもしれない)Some GirlsとMiss Youが特に好きです。近所のオジサンから最初に借りたヤツだったからかも。全然順番追わずに所謂ジャケ借り(本にしろ何にしろ、ホント見た目に弱いんだよなー我ながら(^-^;)でした(笑)自分では懐事情の問題でForty Licks、Rolled Goldというベスト盤くらいしか持ってないんですが・・・。ウン、被りもあるけど特典が違うんだもん!あと新しい方が微妙に音質良くなってるかな、とか期待しちゃうじゃない? あー、オジサンちにまた出入りできたらなぁ(´ε` )←転職から失業して引っ越しちゃったんですよね、そのご一家。時々オジサン自らギター弾いたりもしてくれたなぁ。
あ、ティモシー・アーチャー読んでる間は分かりやすくストーンズ→ビートルズ→クイーン→衛藤公雄、と順を追ってBGMにしていました♪ フレディが死んだ時はエンジェルどんなリアクションだったんだろう?

で、今日ちょびちょび読んだ魯迅感想。

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『藤野先生』
田舎モンが珍しい留学生につい群がって世話焼きたがる気持ち、わかるー!(笑)今でもそういうトコあるんじゃないかな? 「ガイジンさんがやってるお店」ってだけで流行ったりするし^^ 今はネパール系の方が目立つ感じかなー?見た目が違うって意味で。しかし藤野先生教師の模範過ぎてワロタ。こんな先生と出会えたら人生幸せだろうな。結局仙台の医学校には短い滞在で先生との出会いもそれっきりなのに、生涯その写真を己を鼓舞する糧にしていた、という最後の独白が胸に沁みた。恐らく連絡を取れなかったのも、魯迅にとって彼の存在や心象が偉大すぎて「まだそれに己が見合わない、知らせられるほどの立場に到達できていない」という自身の高い志の表れでもあったわけですよね。昔の日/本人と大陸人との間に存在した確かな絆と、同時にやはり存在した差別意識や妬みの感情、そして彼に文学の道へ進むことを決意させた大陸の人々の膿んだ心の全てがうかがえて何か涙が出そうになった@大陸信者的に(´;ω;`) ホント、外来王朝が彼らを変えてしまったのか・・・? 数や文化で取り込んだのに、トップが自分たちではないという鬱屈が漢.民族をそうさせてしまったのか、やはり余りに数が多すぎ、国土が広大すぎる故に必死の生存競争の結果そうなったのか、何だか江戸くらいまでの日/本人が大陸の文化や偉人に抱いていた理想を思うと哀しすぎる。

『狂人日記』
前と同じで、この時代のまさに病んだ大陸の膿んだ人々の現実が「食人」という妄想に取りつかれた狂人一人の考えに全て詰め込まれているように感じた。アブ○ハムが息子を神に捧げたように、王に息子を捧げた古代の大陸の人間は何が違うというのだろう? やっぱり人間は基本的に野蛮で、周囲の人間がその本性に還ろうとしているように(『ティモシー・アーチャー~』のエンジェルのように「学びすぎた」)主人公は考えてしまったのかもしれない。悪を為した、またそれと見なされた人間はどんな残酷な手段を使ってでもトコトン罰する、というのは昔からの大陸の伝統で、それは常に内戦を繰り返し膨大な人口と多様な国や民族から成る土地の編み出した必死の知恵と言えるのかもしれない。その一環としての罰、あるいは何でも食べる漢方の国として食人という文化があった事実にもある程度の納得はできる。けれど魯迅の描く主人公「狂人」はソレに納得していない。「よくなろうとして人間を食わなくなった者こそがほんとうの人間になった」と信じているから。
彼は狂っていて妄想に取りつかれてしまい、実際に食人を考えたり実行する人間はほとんどいないと作中で明かしながらも、「人を食う人間は、どんなことだってやる。・・・仲間同士でも、やはり食うよ。ただ一歩だけ向きをかえれば、いますぐ改めさえすれば、みんな太平になるのだ」と主人公に言わせたセリフは、魯迅が大陸社会の同胞たち皆に向かって訴えたかった本音ではないだろうか、と切なくなりました(つД`) 県知事、旦那衆、役人、借金取り、大陸の庶民はいつでも“上”の者に虐げられ、鬱屈を感じている。せっかくこれだけの作家が彼らに対して小説という形で表したことを活かせずに、何も変わってないじゃん今も。何で?「四千年の食人の歴史を持っているおれ。はじめはわからなかったが、いまはっきりとわかった。ほんとうの人間にはめったに会えないということが!」その嫌悪すべき文化が完全に自身と切り離せない血肉となってしまっていることを悟り絶望する狂人が、最後に「人を食ったことのない子供なら、まだいるかもしれないではないか!子供を救え……。」と書き残したにも関わらず!悲劇すぎる(>_<) 魯迅が今の彼の地の有様を見たら一体何を思うだろうか? あちらの教科書には一応作品の記載がある、とは聞きましたが、彼の文を読んで何故(以下略)

明日はお待ちかね阿Qを読む予定です(・v・)b あと今はサヘルちゃんの影響で寺山修司行っときたい(笑)・・・う、うん、ブクオフにあると良いなー、なんて(^-^;

※深夜の病み吐き出し

いやー、体重少し戻る→体脂肪率減るor体脂肪率改善→体重減る、の不健康ループから脱け出せない訳だが(^ω^) 何でだろう? ホントこれ以上ムリだっつの。「いい加減コメ食べろ」って、夕飯の米粉パン一切れがこの時間まで胃にズーンと来ちゃってるわけだが、今の状態でお米をがんばって詰め込んだとしてもトイレで丸出しルートしか想像がつかない。(マ○ちゃん正麺を初めて食べたあの日のように・・・。おいしかったんだけど、何故か体に合わなかったっぽい(-_-;) 汚い話で重ね重ねスミマセン)BMIはもう諦めるとして、他の数値はせめて標準に留まりたいでござる(>人<)ナモナモ


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支援を停止してしまったら余計生活に困って難民()化する人が増えてしまうと思うのですが、ド○ツさんは相変わらずテンパるととんでもないというか、日.本人も他人のこと言えないけど計画通り進まないことに対応できない民族やな。「他者も自分と同じように考え、行動するはずだ」という頑固な思い込みが両者の一番ダメなところ( ´-`) 大○亜共栄圏が失敗した理由、「鬼のような日/本人」像もぶっちゃけ全てはこの点に原因があるやろ。「ウチらにできることはおまえらにもできるはず!飲まず食わずで歩け、働け、規律を守れ!」という根性論(笑)某死の行進やら看守の厳しさやら徴用、軍事教練やら。ウチらはホント均一的な文化しか知らない系バカだった。ドイ○は大陸育ちなのに何でああなったんだろう? 厳格な宗教騎士団が母体のせい? 他者への無理解と真の意味で多様な意見への不寛容、極端から極端に走る意固地さが最大の弱点だよなー。柔軟性がないからいきなりボキッと折れちゃう。

ディック氏遺作読み終わりましたが、『変身』が私に世の中のビジョン、これから先に待ち受ける人生、自分というものの正体を教えてくれた本だとしたら、この作品は実際に私が生きてきた現実を、体験をほじくり起こして突きつけてくる、まさに「共感」の本だった。全ての言葉、登場人物の心情が永遠に心の中に残ると思います。ヤバイ涙が止まらん(´;ω;`)
※いつも通り病み含みますm(__)m

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14章、ベアフットのセミナーで己の存在意義を「他の生命と同じく啓蒙を求めること」と考えているエンジェル。「あたしは理解に欠陥があるので、知りたいと熱望している。・・・あなたのいうことを何でも信じる。あたしは完全な愚者、・・・与えて。・・・それがあたしをなだめて忘れさせてくれる」必死に地に足を付けようともがく一方でティムの代わりを探し続けるエンジェルが(>_<) そんな新しい“主教”を、“救い”を求める彼女に対して、「私は魚を求めて釣る。魂ではない。そんなもの知らない。・・・もし漁師が魚以外の何かを釣ろうとしているなら、その人は愚か者だ。自分自身と釣ろうとしているものをだましていることになる」と応じるベアフットの言葉が“コイツやりよる”感プンプン(笑)
触られるのを嫌がるエンジェルへ「あなたの問題は、だれもあなたに触れたことが無いということなのかもしれない」と告げる彼の言葉はある意味核心を突いているような。あれほど信仰し、恐らくキルスティンへの嫉妬の最大の要因でもあったティムの誘いすらも、彼女は“変わること・また変えられないこと”への怯えゆえに拒んだ。物心両面から自分の状況とも大いに被って共感できるしな(・ω・;) 更に続けて「あなたは何も言ったことがない。これまで一生だまってきた。しゃべったのはあなたの口だけだ」とのセリフには全くもってその通りですとも!とエンジェルになり代わって同意しちゃったよね。「自分は友人たちを破滅に追いやった裏切り者で、言葉の病気」だと宣言したエンジェルに「私には言葉はない。これであなたは知りはじめた」と小憎ったらしいことを言うベアフット。自分で自分の面倒が見られるのなら、例えそれが意図しての積極的なものでなくとも「生きている」と捉える言葉には正直グッと来ちゃったかな。私が前章までの彼女に見出した希望に近い。
「自分でそう思っていなかったとしても、あなたは言葉の下で生きている。これを言葉を使わずに伝えるのは不可能です。私たちには言葉しかない。・・・私はあなたに語りかけるが言葉によってではない。いまのが筋が通っていると思いますか?」当然「いいえ」と答えるエンジェルに「あなたは病気じゃない。飢えているんだ。あなたを殺しているのは飢えで、言葉なんかまったく関係ない。生涯飢えてきた。霊的なものでは役に立たない。あなたはそんなものは要らない。・・・あなたは愚か者だ、それも悪い方の」この辺、まさに私が誰かに言ってほしい言葉なんですけどー/(^O^)\ 「あなたに必要なのは本物の肉と飲み物。・・・私はあなたに本当の食べ物を提供する。あなたの身体のために、それが成長するように。・・・ここにきたのは食べ物を得るためなのに自分ではそれをまったくわかっていない。それを告げるのが私の仕事。・・・愚かな者たちは私の話を聞き、賢い者たちはサンドイッチを食べる。・・・言葉、しゃべりは単なる風――何物でもない。・・・あなたたちはお金では計り知れないものを学ぶんだ。・・・・あなたはすべてを逆に理解している。大学でそう教わったからだ。大学はあなたにまちがったことを教え、ウソをついた。いまや皆が上手にウソをつく。・・・サンドイッチを手に取って食べなさい。言葉のことは忘れて。言葉の唯一の狙いは、ここにあなたをおびき寄せることだったんだ」この長い、彼女にとっての真理が込められていると感じられるであろう言葉をベアフットが本気で言っている、と思ったことで苦しみの喪失と穏やかさを得られたエンジェル。
こんなブログやっといてなんですが、「言葉では人は生きていけない。言葉は腹にたまらない。」とイ○スの発言を否定するベアフットの態度がいっそ気持ち良いな!^^ そして再会したビルを交えての菩薩話キター。タイトルが『転生』となってるからいつかは出るんだろうなと思ってましたよ、ヒ○ドゥーネタは前からちょいちょいエンジェルの回想やティムとの議論の中にあったし。叡智=共感の同一視ね、それが菩薩の本質的な認識だと(´-`) てか仏系は大体優しくてすがる者に同調してくれるイメージあるわ。相手重視の「察する」アジアン文化の特色なのかな? 一神教ってとにかく「神が絶対なんで従っとけば間違いない」と信者が神の方に合わせないといけない印象強いもんなぁ。仏教や神/道が「来る者拒まず去る者追わず」の信者ありき(だから潰れる寺社が出てくんだよね。笑)なら、アブ○ハム系はまず神ありきなの。
ベアフットによる仏教解釈で「『目覚める』というのは『悟る』と同じこと。みんな眠っているのにそれを知らない。・・・人生のすべては夢で、私たちの会話は夢を見ている者同士の会話であり非現実なんだ」というのは正直日.本人にとっては当たり前の感覚かな? エンジェルは「まさに今の状況がそうだ」と受け取ったみたいだけど。「大学の講義たくさん取ったけど卒業はしなかった」ってベアフットさんも私かよ!(^ω^*)テレッ カントの時間、空間、因果律の論文のこと考えながら歩いててふっと突然サトリを開いちゃった彼(ノ∀`) ぶっちゃけ客観的事実に基づく世界と主観的経験に基づく世界が並行的に存在してるというのは至極当たり前の、人間誰しもがナチュラルに受け入れて理解しているもんだと思っていたのだが彼にとっては違ったのか? 世界は必ずしも“一つ”でなければならないと? 干渉さえし合わなかったら(まぁ実際には干渉し合うことは避けられず、上手いこと折り合いを付けられるのが“マトモ”な人、と個人的には捉えてますが)、完全に別たれた二つの世界が自分の中で同時に存在していても何ら問題はないと考えているクチなんで、ベアフットが束の間「かいま見た」と表現している部分やカントの「知られ得ぬもの」にも正直ビックリポ○でしたわー(@_@;) 西洋思想と東洋思想の違いのせいかな?
で、ティムの死についてのやりとり、彼が探していたものを見つけられたかは疑わしい、とエンジェルに同意しつつも「もっといいものを見つけたかもしれない。そもそも探すべきだったのに、探していなかったものを。・・・私たちみんなが、意図していないのに強制的に偶然菩薩になっていることがあり得る」と語るベアフット。うーん? で、エンジェルに食べ物を持って戻って来たビルが「エンジェルは誰も裏切ってない、ただの思い込み」と告げ、友人たちを救えたかもしれないのにみすみす死なせたことが裏切りだ、と語るエンジェルに「ティムは死を求めてイスラ○ルに行ったんだから、それは不可避だった。・・・だからこそ私は、彼が探していたものを見つけたか、あるいはもっといいものすら見つけたかもしれないと言ったんだよ」と応えるベアフット。ティム信者のエンジェルの「ティムは死なんか求めてなかった。運命に対して果敢に戦った」という反論に対して「死と運命は別物。かれは運命を避けるために死んだ。それよりもひどい運命が迫っていたから。だからこそティムは死を求め、それを手に入れた。でも私は彼がもっといいものを見つけたと思う」と。運命とは何か問うエンジェルに「無意味な言葉に惑うこと。言葉の商人。生との接触がない」とのベアフットの返事、刺さるわー><グッサー!
母の死では笑ってしまった破瓜病のビルが、ティムの死に笑えるところがなかった、と言うくだり(´・ω・`) 「ティムが探し求めているものは可笑しくなんかなかった。・・・死なんか求めてなかったよ」無意識のうちに求めていたのかも、と応じるエンジェルに「無意識の動機がどうしたという話はすべてナンセンス。そういう理屈を立てたらどんな動機だって持ち出せる。検証する方法がないんだから。」とまーた真理を突いてくるビル!その上「ティムの困ったところは自分では何も考えなかったこと。他の人の考えを拾ってきて、それが自分の頭から出てきたと思いこむんだけど、実は盗んでたんだ」って真実を理解していたという・・・ソレお母さんに告げてあげてたらどんだけ彼女もエンジェルも救われていたか(´Д`;) それでもティム信者のエンジェルは彼を必死に庇おうとし、ビルは彼自身もティムが大好きで彼を大好きだった人は沢山いるけど、偉大であると同時に愚かな人であったことも確かで、彼女もそれは知っているはずだと告げる。そしてエンジェルは学びすぎで破滅したと。どんなに教育を受けても愛する人々に起こった悲劇に対処するには何の役にも立っていないと。「対処しようがないんだってば!」このエンジェルの叫びは私の心の叫びなんじゃないかと思うくらいリンクしてしまってヤバイ。・゜・(ノД`)・゜・。
ブチ切れた彼女が「何でベアフットがあんたのことを菩薩呼ばわりしたのかわからない。」と言って、ついにタイトルの核心に・・・「涅槃に達したかもしれない。でもそれを拒絶したんだ。戻ってくるために」おお?(^ω^;)「ぼくはこの世界に戻ってきたんだ。来世から。共感のために。ぼくがあの砂漠で学んだのはそういうことなんだ」「それがぼくの見つけたものだ」「ぼくはティム・アーチャーだ。向こう側の世界から戻ってきたんだ。愛する者たちのところへ」何だってー!?Σ(゜Д゜;)

15章、エンジェル怒りと戸惑いで錯乱中(笑)「ある本当の意味で、あんたこそあたしたちの中で唯一正気の人物だと思ってたのよ。イカレポンチとレッテルを貼られてるけど、でも正気。あたしたちは正気とレッテルを貼られてるけど、みんなイカレポンチ。・・・こんなことは、あんただけには絶対に起こらないと思ってた」「ちくしょうめ。手に負えないわ、この狂気のプロセスは。昔からビルは現実に根ざしているから大丈夫と思ってたのに。・・・それがいまや、あんたもみんなと同じくらい、いやもっと発狂してる」彼女の絶望がどうしようもなく理解できる(つД`)ウワアア何でや!? ビルとティムの二人から一つの人格が形成されたと語るビル。もしエンジェルが信じたら、彼女は旧友が死んでないから嬉しいはずだと、その気持ちが切ない(´;ω;`)
ティムの言葉として「心の『存在』があの地域にあり、『再臨』=アノキという探しものを彼は見つけた」とビルは告げる。その話を聞き、ベアフットが彼を菩薩だと呼んだ時に初めて彼はティムが共感のため、愛する者のために戻ってきたことに気がついた、と。けれどそれを懐疑的な人たちに対して証明できないと語る彼に「証明はこの世で最も簡単なことのはずなのにどうしてできないの?」と問うエンジェルに対し、「あなたに証明できる?ぼくはあなたにさえ証明できないのに。神様に対する信仰みたいなもの。神様、その存在を知ることも体験することもできる。でも自分がそれを体験したってことは他のだれに対しても証明できない」というビルの返答・・・これはその通りですな(´-`) オカルトに分類されちゃう体験しかり、信仰しかり。目に見えないものや心で感じたものは決して他人との共有が不可能なので、主観的世界の範疇にしか留まれない。前章ベアフットが「サトリ」でかいま見た世界、カントが「知られ得ぬもの」と呼んだ領域。大多数の人はこの点とっくに諦めて他者との接続・理解を拒んでいる部分があると思う。(あ、もしかしてソレが日/本人の「ホンネとタテマエ」言われちゃう部分?(^^;)
彼の話に絶句せざるを得なかったエンジェルの「狂気は小さな魚のように宿主の中で、無数のタイミングで生き続ける。単独じゃない。じっとしてとどまらない。風景、海の光景すべて、どっちだろうと広がろうとする」という捉え方が面白い。「まるであたしたちは水中の中にいるみたい。夢の中にいるんじゃなくて、変な行動をしたり信念を持たないか、観察され調べられてる。あたしはメタファー中毒。ビルは狂気中毒で、いくら狂気があっても足りない。底なしの食欲を狂気に対して持っていて、それを可能なあらゆる方法で手に入れる。それもまさにちょうど、狂気が世界から過ぎ去ったと思えたそのときに。」通院歴7年ほどになる私、心から納得・同意致しますm(__)m 色んな人がいるし、(あんま良くないことなのかもしれないけど)先生も話してくれる。私の今の狂気は恐らく読書に向いてるのかな? 近しい「狂気」に彩られた「共感」できる文章をひたすら求めている状態。少し前はヅカやアイドルだったこともあったし、音楽、絵、歴史、古典、マンガやアニメ、酷い時にはクマのぬいぐるみに向けられていたこともあったからやっぱり偏執狂なんだとは思う。ハマったら尋常じゃないもん。何を惜しんでも費やすとか捨てられない、って一般的に見てソレは病気でしょ?(-_-;) あ、最近もっとえげつないオタさんの話聞いたからギリセーフだったわ、と感じたけど傍から見て標準の範囲は逸脱するレベルのハマりっぷりだったと思う。だって大体が現実からの逃避目的だと自分でもわかってたし。家にあるグッズと費やしてきた金額と当時の自分の懐事情照らし合わせれば嫌でも形を変えた狂気に過ぎないと、どんなオタでも気づくんじゃない?だから日/本がそういう軽いクレイジー文化に寛容なのはある意味非常に助かる面。それだけしんどい社会ってことの裏返しなのかもしれないけど、ラリるよりは健康的にずっとマシだろ^^
でも最終的にエンジェルは「自身にティムが再臨した」という発想が、ビルの母親と父に相当する存在の喪失という苦痛への解決策なのだと考え直し、それが彼にとってもっともらしいやり方だと自分を納得させた。その上で自分の解決策がビルのそれになり得ないのと同様に彼の解決策が彼女にとってのソレになることはあり得ない、と断じる。「人はみんな、自分なりの解決策を見つけなければならず、特にあたしたちみんな、それぞれ死が作り出すような問題を解決しなきゃいけない――死が他人にとって作り出す問題を。でも死だけじゃない。狂気もそう。その論理的なゴールである最終的な死へとつながる狂気が他人にとって作り出す問題も、人それぞれの解決が必要」って独白が胸にこたえた。未だにソレを探して、見つけられずにいる気がする。人間誰もがそうじゃないのか? トシ取れば慣れるもん? だからどうやって狂気の果てに終わりを迎えて良いかわからなくて迷ってんだよずっと。(ホント病んでてすみませんm(__)m)
「ビルの心にやってきたのはティモシー・アーチャー主教ではなく、彼のコンセプト、彼が自分の中に霊的なものとしているという概念。あるものの概念と、そのもの自体とはちがうのよ。」熱烈なティム信者だったエンジェルの冷静さに救われる思い。それだけ彼女は親友を死に追いやったオカルティズムを憎んでたんや、とちょっと切なくもなりますね(´・ω・`) だってビルってまさにソレに殺されたキルスティンの息子なんだもん。それから使命感を感じ出すエンジェル。「あたしたちの中でまっ先に狂った人物が、いまや最後に狂った人物となった。・・・それについて何かできることはあるんだろうか?・・・何かすべきなんだろうか?」エンジェルが機械ではなく“人間”に戻った瞬間だと思う。彼女はやっぱり強く立ち上がったよ!
そんなビルとラリるくだり、ティムがビルの中に戻ってきたことを羨み、「あたしの頭の中にいれば、こんなに寂しくないのに」「どうしてティムはあたしに戻ってこなかったの?・・・あたしの方が彼をよく知ってたのに」というのは、まごうかたなきエンジェルの本音だと思った(;_;)切ない・・・!作者がどこまで本気で書いていたのかは分かりませんが、ビルが「アノキ、神様の純粋意識にたどり着いて存在がティムに入り込んだところで、自分が求めていたのは叡智じゃなくて共感なんだと気がついたんだ……すでに叡智は持っていたけど、自分にも他人にもちっとも役に立たなかったから」とティムの代弁をする箇所が鳥肌もん(((゜Д゜;)))gkbr え、結局すべての宗教一緒くたにしてきやがったー!電気羊のマーサー教、共感ボックスの辺りから作者はソレに囚われてたのがうかがえるけど、ラグ○ロクとか人.類補.完計画なんて真っ平御免ですよ正直>< 大事なのは分かるけど、それが相互理解に繋がる希望なのかもしれないけど、他者と自己の境界線はやっぱり重要。個性の線引き、多様性があってこそ初めて種全体が繁栄できる可能性が残るってもんでな・・・と生物学に走ってみる(笑)

16章、ビルの自発的再入院で医者から辛辣なことを言われるエンジェル。(そりゃ精神病患者ラリらせたらあかんやろ(^^;)「あなたは全般に世界のあらゆる面に対して見下すような態度をお持ちだ。・・・自分が何でもご存じだと思ってる。あなたはビルに大きな害を与えてるんですよ・・・。またあなた自身に対しても大きな害を自分で与えています」ってトコ、めっちゃ心に突き刺さる(´Д`;) どれだけそれで他人をムカつかせ、不快な気分にさせてきたか。嫌われ、遠ざかってしまってきたか。家族に対してもきっとそうなんだろう。(特にニュースや海外ネタでケンカしちゃう件とか)んで引きこもるんだよねー、私はエンジェルと違って。ずっと大学に留まれるだけの根性が無かった。狂気は卒論作成を不可能にする段階にまで及んでしまった\(^O^)/ マジそれだけでウン年分の時間と学費と取得単位棒に振ったバカヤローは、我ながら軽蔑されて当然だと思いますorz
医者からビルに二度と会うな、と言われ「これで最後の一人も失ってしまった」と落ち込むエンジェル。病院の庭でビルを見つけ出し、完全にティムになりきってしまった彼に向かって「あたし、あなたがもう一度元気になれるように戦うわ。・・・リアルなことができるようにしてあげる。昔通りのあなたにするわよ。あきらめない。あなたは自分の拠点を思い出すわ。」とエンジェルが囁くセリフは、やっと彼女の“目覚め”が来た、最後の一人を失わないために、人間としての現実の意志を取り戻したのだ、と非常に胸打たれるものがある(つД`)
でもってベアフットのオフィスで唐突に琴が出てきて衛藤さんググっちゃった(笑)i-tu○esにもつべにも無いやんけ『みどり○朝』・・・!o(´皿`;)ギギギ 他の二曲はつべで見っけて素敵だったけど、DL版も無いし密林も品切れだと?ガチでコレクターズアイテムなんだ、日/本人なのに無知で恥ずかしー(∩///∩)
ベアフットから「初期の教会神父の一人がイ○スの復活を信じていた理由が『それがあり得ない』ということだった(奇跡を起こせるのは神にしかできないことだから、って理屈かな?)」という話を聞いたエンジェルの反応、「だれであれそんな風に生き続けるなんて考えられない。あたしにとっては、それこそこのバカげた話のすべてを象徴するものよ、何かが不可能だからそれを信じるなんて。あたしに見えるのは、人々が発狂して死ぬところ。まずは狂気、それから死」というのが積み重なった彼女の深い悲しみ、死と狂気への憎悪が伝わってきて辛いですね。個人的は狂気の前に“苦悩”を付け加えたいところ。やさしくても繊細でも賢くても愚かでも激しやすくても忍耐強くても、悩みが皆無な人なんていないし、人生において一度も苦しみを受けない人なんかいるはずない。生まれてすぐ死んだ赤ん坊くらい?おそらく肉体的な苦痛のみで済むだろうから。乗り越えられなかったら狂気の側に転がり落ちるのはあっという間。誰にでもすぐ隣に口開けて待ち構えてるものなんだ、と精神科(近くに仮設あり=一部被災者さん御用達(-m-))通いで思い知りますよ。
「退院してきたらあたしが待ってる。死の代わりにビルはあたしを得る」と決意を込めて宣言するエンジェルに「ビルのためでなくきみのために良いことだ。あれが本当にティムかどうか確かめられ、疑問に答えが出る」と告げるベアフット。「彼を受け入れていっしょに暮らし世話をすれば、自分がティムの面倒を見ているのに気がつくかもしれないぞ、ある本当の意味でね。・・・あなたがずっとやってきた、少なくともやりたかったことなんだろう。そうでなくとも、やるべきことだった。」彼女の自己満足を肯定しつつ、ベアフットはハッキリと「彼は救いようがない」とも述べる。それでも「何もしなかった」結果“彼ら”は死んでしまったから、「二度とそんなまちがいはしない」と応じるエンジェル。頑張れ!>< そして最終的にビルとの同居を受け入れさせられたことに気づき、ベアフットのやり方がティムとそっくりだと思い到る――「ある意味で、ティム・アーチャー主教はビルの中よりもむしろあなたの中で生きているんだわ」ここゾクゾクーッと来ません!?最重要人物を最後の最後に端役のように登場させる、ディック文学の真骨頂的ロジックが遺作でまで活きてる(@o@;) ベアフットと握手して「その握力は力強かった。それもまたティムを思わせた。すると、本当にティムはいまここにいるのかもね。何らかの形で。彼をどう定義するか次第。多言語で引用する能力か、人の命を救う能力か。(ここでエンジェル+ビルもかな?の命は少なくともポジティヴな方向に向いたことが分かってホッとする一文(´∀`;)=3)いずれにしても、ティムはまだここにいるみたい。あるいは再びここにいるみたい。」と感じるエンジェルの独白に、人々がキリ○トの復活を必要とした理由がやっと解った気がした。失うべからざる絶対的な信仰と愛情の対象を失った時の絶望、それから脱け出す、いや脱け出させるために不可欠なストーリーだったんだ。受け継がれる命、断絶のない永遠の存在。それを信じることによって、あるいはそうと思いこむことによって人はようやく立ち直れる。前を向いて“生きて”いける。輪廻転生の発想も、日/本人がTenno家の万.世一.系にこだわるのも理屈的には同じこと。(この辺、易/姓革/命思想の大陸の方々はどう考えてらっしゃるのか興味深いけど、Tennoは一応『天.孫』であり神事も司る存在である点を思えば向こうの皇帝とは事情が違い過ぎるかー(´-`))

エンタメとしては初期二作、電気羊と高い城には程遠いというか、アッチが好きな人には全く楽しめないカオスな内容だったかもしれないけど、自分にとっては一番の傑作というか絶妙にフィットする翻訳文学ベスト3くらいに入るほどハマってしまった作品でした。死に近づいていることを予期して書いていたんだろうか?解説読むと「作者は三部作っつってたけどぶっちゃけ前二作との関連あんまりよく分かんない」みたいなこと書いてあったので、スルーで魯迅に向かおうと思います!(^^)b 病み旅はしばらく続くとも、おそらく胃の調子戻るか(現時点でそんな日来んのか、って感じだけど)、本気でもう終わろうと決める時まで。エンジェルに最高に共感できたのは「本を通して他者のビジョンを得られるようになった」と考えてる点だよ。まさに共感がテーマの話だったから。
実際はそう思いこんでるだけかもしれないのに、私今の特に酷いハイパー病み期間に読んだ本の感想の中で何回「共感」って言葉を使ったか分からない。自分以外にも狂気を抱えた存在がいる・いたという事実に安堵し、そしてその狂気に同調しちゃう。だから本気で文学界に名を残したいと考える作家は常に狂気との境目にいないといけないし(ハルキを認められないのはこの点も大きいかもね☆)、小説を読む趣味を持つ人間は正直ある程度どっか頭のネジが飛んでると思う。読書サークルに参加してる友達がハタチそこそこでス○ー・ウォーズとプリ・プ○の大ファンで、昼休憩の時間ゴハン食べずに全部読書に充ててる変わった子の話をしてましたが、ぶっちゃけ私もその状態に近かった。過去の洋楽ばっかり聴いて、とっくに解散してメンバー死んでるバンドのライヴに行けないこと、CD一枚しか手に入らないことにどれほど歯噛みしたことか。生で演奏聴ける機会も新曲待つ楽しみも永遠に存在しないのにハマっちゃうんですよ!>< 昔の映画も大好きで随分漁ったし。監督・俳優、あの人もこの人もとっくに死んでて新しい作品や役を見られることは無いっつーのに。ヒキってて家事や片付けくらいしかやることないのに、それでも読む時間足りないと焦るから、本読む時間確保するために昼食削るくらい屁でもない気持ちも普通に理解できる。2~3時間の電車通勤or一人暮らしなら半身浴長風呂が読書環境としては最適なんだけど、こっちは車社会・実家住みが多いしね(´-`) 仮に将来運転しながら読書できるようキ○ドル的な端末に音声朗読機能が詰め込まれたとしても、文字で読むのと全く違ってダメなんだよね。噛みしめられない。文字を読み、言葉を認識し、ページ全体を見回して初めて理解→ストーリーやキャラの心情への共感が芽生えるから。
ちなみに一番嫌いな本のジャンルは自己啓発系です。ちっとも成功してない私が言うと説得力ゼロになるかもしれませんが(-_-;)、エンジェルが独白してたように人それぞれ問題の解決策は違うんだよ!この点に関しては万人に当てはまる普遍性なんかあり得ない。だから他人の言うそんなモンに金や時間を費やすのはムダ。最も近いのが宗教だから、キリス○教関連書店などでよく売られているソレと合わさったヤツは本当最悪の部類な(;´д`) 祖母が一番よく買ったり贈ってくるアイテムでした・・・てか聖.書自体が最古の啓発本と言えるのかも(笑)
このどうしようもない鬱状態にあって、読書という糧を取り戻させて下さったオーウェル・ディック両御大に今のところは大感謝です(-人-) とりあえず読みたい、読まなきゃいけない、読んでおかないと終われないもの全部読んでからどうするか決めよう、と思えたのが正直今の自分にとっては進歩。少なくともその時までは自分の病みを受け入れて、何とか共存していかなくては、と。最低のクズだとわかっているけど、私はエンジェルのようにはなれない。もう「頑張る」ことは無理。少しでも本を読み「共感」するだけの正気を保っていられる時間が長く続くことを祈るしかないです。あーお腹痛いorz



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以下、11~13章読了。(相変わらず宗教や時事への辛口、私的な病みぶっちゃけも相変わらず含みますのでご注意願いますm(__)m)

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11章、キルスティンのフラグ回収キター(´Д`;) 可哀想なキルスティンとビル・・・。反面一転して正気回復というかオカルト信奉から脱け出す主教様(笑)そう考えると本当キルスティンって何のために存在してたの? てか彼女の人生の意味って何だったんだ?とビキビキ来ちゃいますねー(^ω^#) オメーが主教の分際で手なんか出してなければキルスティンがあんなにコソコソ愛人生活続けるストレスとか、ジェフの自殺への罪悪感や降霊会に付き合わされたり苦しむことなく、闘志に燃える女性運動家としての生涯全うできたんじゃねーの?と。友人であり、ある意味ではライバルでもあったのだろうエンジェルの、キルスティンの死に対する複雑な感情。「何という悪意。・・・本当にあたしたちを憎んでたのね。これがあたしたちの罰。ずっと、自分に責任があったと思うだろう。・・・あたしたちのだれも責任なんかなくて、でもある意味でみんなに責任があって。でもどのみちそんなものどうでもよくて、後付けで無意味で空疎で、まったく空虚」そして残されたビルのことも思い起こしながらオペラ『ヴォツェック』の一節を思い出す、「世界は最悪」これぞ高踏芸術。「芸術家にお金を払ってやらせてるのはそういうこと、これをあたしたちに伝え、解明することで連中は生計を立てる。なんとお見事で鋭い洞察かしら。なんと刺すような知性」・・・正直、とてもよく共感します。反骨精神から生まれたロックミュージック聞いててもプロレタリア文学読んでも、もちろんスポンサー・観客ともに世の勝ち組のはずのオペラさえ。エリートの愛する純文学、大陸の古典ですら根底に流れている人間の哀しさ、世間の虚しさというものは悲惨過ぎる。(でもだからこそその中で必死にもがく人という生き物は素晴らしいのだ、回り、進化し、退化し変動していく世界は美しいのだ、と私は思っているけどね!(^^)b もちろん友人を亡くした後のエンジェルにそんな考えが浮かばない道理は承知ですが)
そして彼女の死に対するエンジェルの“責任”は「圧制者たる死よ、ここに」の名付け親が自分だと明かしてしまったことが最も大きいと本人は思ってるんだ(@_@;) ティムは本気で自分で考えたと思い込んでしまっていたから。悪気なくこの世の全てを知り、また知る権利があるのは自分だと彼は信じ切ってしまっている、とエンジェルの目には見える。「いかなるものもそのままではいられない、そして万物はイカレきってる。」それでもティムへの信仰(こう呼んでも差し支えないレベルだろ、ここまでくれば)を捨てきれないエンジェルが本当に憐れ。霊媒を信じることを止めたティムは結局またキ○ストにすがり出した。霊媒によるジェフからの伝言、死の運命を免れるために、未来を変えるためにキリ○トの存在を、力を求めようとする男の滑稽さ。でもとりあえず「私の希望はイ○ス・キリス○にある。・・・私は決して二人のようには逝かない。屠られる羊のようには」と彼の戦う意志を見て安堵するエンジェルが(つД`)
でも例のオカルト本の出版について、ティムが差し止めず後に修正本を書く、と言っているくだりが彼の人間性がやはり並々ならぬものだったんだな、と思わず感心させられてしまった。「人は自分の愚行から目をそらすべきではない――そしてそれを直視したら、それを正そうとすればいい。」オボちゃんもこういう精神であの本出して、S井さんのご遺族や若き研究者の皆様に売り上げ金寄付でもして下さるとおっしゃるならまだマシに捉えられたのかもしれないですが(´-`) S鬼薔薇の本があんなバカ売れする日/本社会にそんな良心期待するだけ無駄か。不倫タレントは叩きまくられてメディア追放されるのにホント謎。イヤ私もあれは嫁の立場なら許せないってかドン引きだけど、最近ハーフだの二世だの軍団売りみたいなのに嫌気さしてたトコだったんで、別に彼女が消えるの自体はS○AP並みに何とも思わないっつーかどうでも良いというか(以下略)

12章、キルスティンの死がもたらしたポジティヴな面(アーチャー主教の復活)に触れつつ、その喪失は利益に対して比べようもないものだった、というエンジェルの語りは真実だと感じた。「驚かされるのは、人の死が人々をいかに我に返らせるかということ。どんな言葉も議論もかなわない究極の力。無理にでも関心と時間を割かせ、そして人を変えてしまう。」葬式の手配や連絡、遺産の管理やお墓の件なんかで一気に仕事増えますもんね。(ここで言ってんのはそんなリアルの話じゃないよ!)夏に父がICU入りした時なんか色々気張り過ぎて無理しようとして、結局色々余計に己のダメさ加減に気づいた挙句このザマだもんな。もう半年くらい経つのに(笑)つくづく自分なっさけなーorz でもティムはそれを力に変える性質を持っていて、それこそが彼を優秀な人間にしていた。自体が悪くなればなるほど強くなる。「死が好きではなかったけれど、死を恐れもせず、死を理解していた。」インチキな解決策を試したら死が増えてしまったから、今度はギヤチェンジして合理的になろうと試みる。今度は自分自身の命が懸かっているから。周り散々巻き込んで死に追いやったも同然のクセして、スゲェなこのオッサン(゜Д゜)ポカーン
古代の思索家たちの死に対する発想も面白い。「死は万人にくるものだから死そのものは邪悪ではないけれど、早すぎる死は正しく邪悪。人がその仕事を終える前にやってくる死、熟する前に断ち切られる果実のように、死はそれを奪って捨ててしまう。まるで何ら興味が持てない――死にとってすら関心がないとでも言うように。」こういう死も確かに何件か(特に直近の五年前の出来事では一気に)見てきたので、本当に胸に刺さる言葉です。エンジェルの「若い子の自殺は生まれる前に死ぬことと同じ」って発想と同じだな。(そういうのにも立ち会った。というか同名の方がそうだった。しかも同級生の身内だし、ホント絶対家では出来ないな、と@病みMAXで重ね重ねm(__)m)ティムは死んだ息子や愛人よりも年上だったのに、それでもまだ仕事を終えておらず、断ち切られ生命から切り離される気はなかった。最後の瞬間に思考停止状態から目を覚ましたであろうヴァレンシュタインとティムとの違いについてのエンジェルの推察がいつもながら鋭い。(かつティム信者として若干の希望的楽観主義が垣間見える(-_-;))「まずティムは偉大な人物が愚行でどうなるのかというヴァレンシュタインの前例を見ることができた。第二に彼は根本的には現実主義者だった。・・・破滅的なナンセンスですら彼の人生でのもっと大きな経済の中で、ある種の効用を持っていた。彼は自分の役割が持つ堅苦しい縛りに捕らわれたいとは思わなかった。・・・彼は人であり、自分がそういうものだと思っていた。・・・多くの領域で生きて各種のベクトルに広がった人間であると。」
かーらーのティムのルネサンス解釈がまた鳥肌もんで面白い!「ルネサンスは中世世界を打倒したり廃止したりはしておらず、中世を成就させた」と。でもってまた『神曲』(´-`)=3 何これ遺作だから?「『神曲』は中世の世界観をまとめ上げている至高の作品でありながら、広範に広がるビジョンを持ち、たとえばミケランジェロの世界観に対立させたりはできない」「ティムはキリ○ト教がルネサンス期にこそ頂点に達したと見ていた。・・・ルネサンスは古い異教世界が信仰に勝利したものではなく、むしろ信仰、特にキリ○ト教信仰の最終的で最も豊かな開花だった。」私もこの意見には同意します。何しろ中心地が総本山近郊でしたし(少なくとも同じ言葉を解する地域)、ルネサンス期の交易を通じてどれほど“異教”の地にも“キリス○教的芸術・文化”が伝わったか、計り知れない影響があったと思う。後に続く「だから有名なルネサンス人(あらゆることについて多少は知る万能人)は理想的なキ○スト教徒で、この世でもあの世でも戸惑うことがない。物質と精神の完全なブレンド、聖別された物質。二つの領域、この世とあの世が大いなる墜落以前のように結び合わされた物質だと」ダ・ヴィ○チコードですね分かります(^ω^)
ティムがますますサドカイ派文書、アノキにのめり込むフラグがビンビン(笑)「完全なる人物は、どんなに仕事で成功してもその仕事に自分を閉じ込めたりしない。(万能人でなければならないから^^)だからその一環として主教の領域を逸脱するために性に走った」と。この思い込みの激しさと自信は一体どこから、どうすれば得られるんだ? ガチで一つの神を信仰する、し続けるって行為が可能な人間だからこそできることなの?(´Д`;) エンジェルがその「色々試してみる」やり方がティムを破滅させた、ってちゃんと分かってる辺り・・・。それでも彼女は「一部のアイデアがまるで独自の生命を持つかのようにぐるっと裏手の奥に回って彼を出し抜き、その結果としてティムは死んだ。」って彼を庇い続けている。どう見てもオッサン無責任な自業自得にしか思えないんだがなぁ。「歴史ってそういうもの。これは歴史的な事実。」と認めながらティムを運命と格闘した勇者のように称える、というところに彼女の病的な彼への信仰と愛情を感じて怖気が立った((((;゜Д゜|||)))
一方で夫に続く親友の死の痛手からエンジェルはどんな苦しみを受けていたか。「内省の問題というのは終わりがない」「あたしはメタファーのジャンキー、学がありすぎて頭がいい。考えすぎ、読みすぎ、愛する者たちのことを心配しすぎる。愛する者たちは死にはじめていた。この世に残っている者はあまり多くない。ほとんどが逝った。」ヘンリー・ヴォーンの詩を含め、このくだり、この2~3ページの彼女の心情には共感し過ぎて(´;ω;`)ブワッ 友達とか家族と喋ってても、ブログ書いたり本読んでても思っちゃうんだよ、何でこんなヒネたことしか浮かばないんだ、もっと他人を楽しませるような会話ができないのか、本だの大学だのくだらないネットだので拾ってきたネタ偉そうに喋ったってソレは自分のものじゃないのに、自分自身は空っぽなのに、って。私はエンジェルほどの学もないし(西洋文学・歴史に関してはお手上げ)頭も良くないけど、大学で聞きかじったことを生きる糧にしてしまっている部分は多少ある。(だって少なくとも好きだったり興味が持てることを沢山得られたから。卒業してないんですけど!\(^O^)/)
愛する人たちの死によって思考が17世紀の詩人たちのように、あの世の方に向いてしまったエンジェル。そしてティムとの断絶が彼女に最悪の打撃をもたらしたという点がもう(つД`) 彼女はキリス○なんかどうでも良くても、ティム個人の最も熱烈な信者だったのに。「大好きだった。・・・ティムが恋しかった。」「あたしにとって、これは悲劇だった。ジェフとキルスティンを失ったよりもひどかったかもしれない。でもあたしはこれをだれにも話さなかったし、セラピストにすら言わなかった。」そうなんだよねー、本当に一番つらいことは精神科医にも誰にも言えないんだよ。言っても解ってもらえないというか自分でどうにかするしかない苦しみだからさ、ぶっちゃけ。だって他人は自分にはなれないから、決して同等の痛みの共有は不可能で、それができない以上はより深い傷や孤独を自分自身にもたらすだけ。切ないなぁ、エンジェル!そして彼女を切り離したティムは聖教会を去った後、サドカイ派文書にますますのめり込んでいった。「ティムは面倒ごとを置いて立ち去るってことができなかったから、彼と面倒ごとはいずれ道を共にする運命だったんだわ。」って自身に言い聞かせるようなエンジェルの述懐がまた泣かせる(;_;)
ティムとの繋がりが切れ、知り合いをすべて失ったエンジェルは新しい道を歩き出す。レコード店の仕事を天職と決め、自分の殻を脱し、もっと人に会うようになり、新しい恋人と暮らし始めた。(こういうところは本当に私と違って地に足つけててスゴイと思う。人間として当たり前の生き方なんだろうけど(^^;)ティムからの久々の連絡に浮き足立つエンジェルをからかう恋人のハンプトンに、「その二人(自殺したジェフとキルスティン)はひどく苦しんだのよ。あれほど苦しんだ人のどこがそんなに可笑しいのよ」という彼女のセリフには同意というか胸打たれた。死ぬ瞬間は誰だって肉体的に苦しい。ましてや自殺者は、その決断に至るまでの精神的苦痛がどれほど長く重いものであったか。何回か立ち会ってるから解りますよ、絶対に揶揄することなんかできない。だからあんだけのことやらかしときながらのうのうと生きて、挙句に印税入る手記なんか出すS鬼薔薇もオボも許せないし、買ったりする人の気が知れない@一人の本好きとして。出版社もバカじゃねーの、いくらこんな時代だからって書物の存在意義軽んじてんのか、ネットで無料のブログにでも載せとけ、あっという間に炎上するから、としか思えないんだよねぇ(´-`)
ティムからイス○エル行きの話を聞かされて、彼の関心があの世から地面へ、本来あるべきところへ戻るかもしれない、と期待するエンジェル。そして一緒にそこへ行けば、自分自身も知識や皮肉から解放されるかも、と。「中古のフレーズ、あちこちから拝借してきたかけら。大学での日々からの断片、暗記はしたけれど理解できなかった断片、理解はしても使ってない断片、使っても決して成功しなかった断片。友人たちの破滅の見物人。そのだれ一人として救えない人物」としての自分から。この部分も大変に共感する。「心が言葉の使い回しで問題を解決しようとする」ってくだり。もう自分自身に対してはそれすら諦めてどれほど経ったか分からないけど、他人に対しては未だにコレをやっちゃう上に(自分さえ救えてない以前にそんなご立派な立場じゃないのに)、それがやっぱり借り物のメタファーでしかなくて自分自身の考えや言葉じゃないんだよ。少なくとも自分にはそうとしか思えないしその自覚がある。自分の中身が空っぽだから、そうやって会話するしかない。だから他人との会話が嫌になる。ますます内にこもっていく。リアルな経験積めば良いって? それができたらどんなに(以下略)とにかく人の性質や生き方はそう簡単には変えられなくて(というか生まれた時から定まってしまっているのでは?)、無理をしようとするといつか壊れて戻らなくなる、と言い訳かもしれないけど個人的にはそう思います。身体か、精神か、無意識の行動に出ちゃって結局他人様に迷惑をかけることになるんだよね(-_-;) 発作、吐き気、目まい、眠気。起きられない、歩けない、人の顔や話の内容を覚えられない。論文の作成にどこから手を付けて良いか分からず頭が真っ白になり、趣味の創作活動さえ困難になる。こんなに折り目付けて線引きまくって小説を読み、長々と感想を書く作業はある種のリハビリなのかもしれない。いずれまた冷静に専門書が読めるように、自分の文章を書けるように(ホント病みが深くてサーセンm(__)m)

13章、ティムの「関心」についてのくだりが面白い。「簡単に関心が消えるのではなく、焦点が変わる。関心そのものは変わらない。関心の対象が変わるのよ。ティムは果てしなく変転する世界に住んでるにちがいないわ。ヘラクレイトスの流転世界が人格化したようなものね。」なるほどー((゜Д゜)ウンウン アノキへのティムの執着が病的で怖い。「キ○ストがいまそこにいる。・・・私が生き延びる唯一の方法は、だれかが運命の支配を破って解放してくれることだ。・・・キリ○トならそれができる。」おいマジかホント誰かこのオッサン止めたげて!(再)「神様はどこにでもいる」と言うエンジェルに「神はあの(キノコのある。笑)涸谷にしかいない」と答えるティムはかなりの重症┐(´Д`)┌ 「サドカイ派文書はあらゆる人間の未来が天地創造以前から書かれている本について語っている。それが『つむぎ手たちの書』であり、つむぎ手というのは運命を人格化したもの。キリス○だけがこれを奪い、それを読み、その情報を各人に伝え、運命を教え、その絶対的な叡智を通じて運命を回避する方法を教える」だって? アンタそれ救世主の範疇超えちゃってるオカルトと何ら変わらない域の思想だけど良いのか元主教・・・。以前語ってたサタンが神に対してやったこととまるで同じ、とエンジェルにも指摘されちゃってますがな(・・;) 一緒にイスラ○ルに行くよう必死に懇願するティムに対して、前章の終わりでは「連れて行ってほしい」と願っていたエンジェルが「迷子になるわ。迷子になってる。いまも迷子よ。・・・バークレーを離れたくないの――ここがあたしの家だから。・・・それが神かけて真実なの。」と断るセリフ、これが永遠の断絶であることを分かっていての決意が込められた瞬間が何とも切ない(´;ω;`)
「あたしを許してください。」というエンジェルの言葉、「あたしの人生は、いまのいままであたしにとって重要すぎた。何よりも、あたしはこの人物と関わり合いになるのが怖かった。・・・そういうのを過去のものにしたかった。あたしはもうやり直したんだ。振り返ったりしない。・・・あたしが欲しいものは即時的で、決まっていて、現実で、実体があった。この世の中にあり、触って把握できる。・・・やっとのことで頭から観念を追い払うことにも関連していた。他の観念についての観念、その無限後退が、永遠にスパイラルを形成するのに陥らないようにするんだ。」この必死さがねー(つД`) どれほどティムに、ジェフに、キルスティンに囚われていたのか、どれほど彼らが彼女にとって必要で大切な存在だったのかがうかがえて逆に真に迫ってくる。
そして食後のティムの言葉「もし私が求めるものを見つけたら、私のほうは変わるよ。・・・すべての文書を読んだが、答えはそこにはない。文書は答えが何なのかは示し、その答えがどこにあるかも示すが、答え自体はそこにはない。」私が文献史学への違和感というか疑問を感じたのもそういうところが始まりだったのかもしれない。でもそもそも昔のものがそのままの形で残ってることなんか特に湿度高い日.本じゃぶっちゃけあり得ないし、考古学はほぼイキナリ古代以前の分野になってしまう。ただ実物・ありのままの現実を知りたいだけなのに、それが何より難しい、って歴オタの一番ツラいところです>< そしてティムが最後にエンジェルに突きつける辛辣な現実。「いまだに大学に縛られてバークレーにいる、完全に大人にはなれない」『神曲』を読んだ日に生まれた、と応じる彼女に「それは生まれはじめただけ。・・・死海砂漠こそがきみの生まれるところ。そここそは人間の霊的な命が始まったところだから。・・・神性示現、人類史上最も偉大な瞬間だ。」「きみは本当の意味では生きていない。まだ未生の状態だ。イエ○が第二の誕生の話をしたのはそういう意味だ。聖霊の中または聖霊からの誕生。天上からの誕生だ。砂漠で待っているのはそれであり、それを私は見つける」教祖様からの誘いとしてどれほど断るのがしんどかったか!「きみの魂は救う価値がある。・・・今夜は漁師だったんだ、きみを釣り損ねた」また次の機会に、と返したエンジェルが「いや、次はない」とティムに言われ、彼の言う通り、と納得してしまう。この通じっぷり、信者っぷりがもう本当に。・゜・(ノД`)・゜・。
結局ティムは日/産車で死んだんですかー。もう、砂漠はTOY○TA様で走らなきゃ、とテロリストも証明してるっていうのに!ティムが死んだと聞いて涙も出なかったエンジェル。以前の二人の時のような情動も感情もなく、魂が死んだ機械になってしまった。「ティムが言った通り決して完全には生まれていない魂、未生ではあるけど少しは生まれていてもっと生まれたいと願っている魂、完全に生まれきりたいと思っている魂が死んで、身体だけが動き続けた。 あの週に失った魂は決して戻ってこなかった。何年も経ったいまも、あたしはもう機械なのだ。・・・うさんくさいセミナーに参加したのだって、ひどいことを迎える機械なりのやり方だから。機械はそれよりましなことができない。単にそのまま先に進み、たまに空回りすることもあるくらい。機械にできるのはそれだけ。・・・それは知的には理解するけれど、心で理解は起きない。というのもその心は機械的なもので、ポンプとして動くよう設計されてるから。 だからそれはポンプを続けて、そしてヨタヨタと動き続けて進み続け、知ってるけど知らない。そして決まりきった動きを続ける。人生とされるものを生きてみせる。・・・それは自分が考え聞いたことを自分に繰り返す。生命のシュミレーション。それがかつては所有していたが、いまや失ってしまった生命の。その機械は自分が何を知らないかを知っている、と哲学の本が混乱した哲学者について言っているようなもの。・・・ あたしはプロ学生で、今後もそれは変わらない。変わる機会が提供されたのに、それを断ってしまった。・・・そして自分で言ったように、何を知らぬかのみを知る。」
自分を“それ”呼ばわりするエンジェルが(つД`) 電気羊で描かれたアンドロイドと人間の違いは究極的にはこういう点で、人間もいつその魂・心・人間性を象徴するものを失って“機械”の側に堕ちてしまうか分からない、ということがあるいは本当に作者が残したかった遺言のようなものだったのかもしれない。でも私は、それでも、機械としてでも生き続けようとするエンジェルが、深く傷つき過ぎた結果としてそうなったのだとしても(自殺するにも気力が要る)、十分に強く偉く立派で失ったものを取り戻す可能性をもまだ残しているんじゃないか、と思った。ぶっちゃけ途中で、全てはティム信者のエンジェルの妄想、あるいは登場人物の全てが精神病患者の彼女が創り出したものなのかなー、とも考えたんですけど(前二作未読なので)。どういうオチになるか楽しみです!(SFファン的にはもう古典の域なんでしょうが、ネタバレ踏まないように何とかここまでやって来ました(´∀`;) だってメッチャ面白いんだもん!宗教コンプ的にも熱いネタ満載だし。笑)

いやーしかし米・肉・油物以外はメッチャ吐きそうになるまで食べてるのに痩せ止まらないのは何で?\(^O^)/「ダイエットしなきゃ!」とか言ってた期間考えるとウケる(笑)


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7~10章まで。(※しつこいですが病み&宗教ネタ辛口含め入りまくりですm(__)m)

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7章、前章のビルとのやりとりで涙するエンジェル、そんな終わりのない絶望的な作業に従事する自分が亡き夫ジェフみたい、って語るところに彼の人間性と彼への彼女の愛が見えるようで切ない(´;ω;`) 精神病の分類についてのくだりで「存在できないはずなのに存在するものを関心を持って眺めたいのであれば、偏執狂じみた狂気はすばらしいものかもしれない」という言葉にナルホド、と思った@人間ファンの偏執狂として(笑)「過剰誘発力」「固定観念」「力の概念」の説明からの「いったん特定の人間の心に入り込んでしまうと、決して消え失せないどころか、心の中のその他すべてのものを食い尽くして、最終的にはその人物が、心そのものが消えてしまい、その過剰誘発力を持つ考えだけが残るようになる」ウン、それが自意識過剰の最終形態ってヤツなんですなー(^ω^) エンジェルはビルとティムのこと考えてこの問題を論じているんだろうけど、私には自分への警告っつーか耳に痛い忠告としか(以下略)ユング先輩の文にも同意せざるを得ない。「ある日やって来た何らかの考えが心に入ったことでその心では何も新しいことが起きなくなり、時間は止まってその心は死ぬ。生きて成長する存在としての心が死んでも、その人はある意味で生き続ける」という。これほど虚しくて悲しいことがあるか、っての。過剰誘発力の例として出されている車のライトの件みたいなこともよくやりますよ。「見たのにそれを信じない。逆に何も見なかったのにそれを信じちゃう。・・・この時の自分は機械なのよ、もはや人間じゃない。」それでも人はその“力”が問題として生じたならともかく、解決策として生じたならニセの一時しのぎだと分かっていても抗おうとはしない、「自分が必要としているからそれをでっち上げた」自覚があるから、という点も真理だなー、と。
で、ストーリーはフラグを回収してジェフの霊の帰還というオカルト話に繋がるわけですが。全くそれを信じられないエンジェル「信じたいという意志が合理的な精神と対立する場合はいつでもどこでも必ず前者が後者を蹴倒す」コレを普段から自分たちみんながやっていることだ、と結論付けた上で、その話を亡きジェフの妻、キルスティンとティムの友人という立場で聞かなければいけなかった彼女の心境を思うと(つД`) この件を大っぴらに本にまですることでティムが彼自身の地位を貶めることを知っていながら、できることが何もなかったという彼女の無力感。エンジェルの知性の存在は彼女にとって最大の不幸をもたらしたと言えるのかもしれない。彼女は愛する人たちの心情や考え方も、同時にそのバカらしさも全てが見えすぎてしまった。結果から遡って望む答えを得ようとするティムとキルスティン。「現実を確認せず、願望充足と自閉で自分を見失っている。不気味な自閉だわ、だってそれがたった一つの考えを核にしたものだから。」でも、ビルと違って日常生活を普通に送れるが故に、他者・社会は彼らの狂気に気づかず、彼らは閉じ込められもしないし、ある意味ではまるで狂っていないということになる。この辺の鳥肌立ちっぷりがマジ共感できる(((゜Д゜;)))
「目に見えない神様を信じてるのと、目に見えない死んだ息子を信じてるのと、どう違うの?ある目に見えなさと別の目に見えなさをどう区別すればいい?・・・前者は多くの人が信じてるけど、後者を信じる人はいないも同然――これがちがいだし、こういう言い方をするとこの主観性は明確になる。・・・神様を信じてる人々がまちがいをしてるのか、そういう信念体系は検証のしようがないからわからない。単純に信仰なのよ。」あーこの辺、エンジェルの気持ちに自分が乗り移ったみたい(´Д`;) こんだけ論理的にバカらしいと考えていながら、「ジェフを愛してたから信じたい」と思ってしまうエンジェル。更に「もっとひどいことに」と前置きした上で「ティムとキルスティンの信念をぶち壊したくないから」否定できないと告白する。彼らに排除されることへの恐怖、有名人である彼らとの繋がりが、落ちぶれたインテリ(少なくとも彼女はその点に非常に大きなコンプレックスを抱いている女性として描写されてきた)としての彼女のアイデンティティの一部であり、彼女自身のプライドを形成するものであったと認めたエンジェルの深淵の苦悩と切なさ。「たぶん世界ってのはこういう具合に動かされてるのね。弱さによって。」彼女の孤独と嘆きが胸に沁みました(;_;)

8章、『高い城~』を思えば、二十年ほど後に書かれた遺作の主人公がホンダ車に乗ってるのはグッと来ますな。そこからビルとの車の話で彼が「安物と高級品の差が縮まるのはいいこと、当時といまの社会の変化を示すもの」と言う点には心から同意。それが進歩だって、少なくとも日.本人はそう信じて製品を作り続けてのし上がった時代だもんね、当時は(´-`) ビルについて神の実在について問われた主教の苦しそうなこと!(爆笑)その後「死んだ息子が戻ってくるなんてあり得ない」と言われてブチ切れてメチャクチャな理屈こね始めるティム(ノ∀`) 「目に見える物質しか信じないビルの信念体系の方に問題がある」って?「魂や霊的な目に見えないものを否定することはすべての存在を否定することになる」だって?「人が何を信じるか、何を知るかは最終的には神に依存する。同意するしないは自分の意志では決められない。・・・だったら君は何を信じるんだ?・・・私たちにはわからない。神を信じるしかない。・・・信仰がほとんどない現代において、死んだのは神ではない。死んだのは私たちの信仰なのだ。」この怒涛のティモシー主教のセリフに私のキリ○ト教(ほか宗教全般)への忌避、不信の理由が全力で込められているような気が致しました^^ その後に続くこれまた長いセリフで「創造者がいなければ生まれてきた意味がない」とティムが考えていること、そんな生き方は(おそらく彼にとっては)とてつもなく虚しく恐ろしいものであること、また自分で作ったものでなければ必ずどこかに「創造主」がいるはずだ、という基本的な一神教信者の思想は把握できた。しっかしビルは容赦ないな!「だけど何の証明にもなっていない。あなたたちが勝手に想定しているだけ」「原因はすぐにはわからなくても調べられる。」おお、ビルくんやっぱりただのキ○ガイじゃなかったのね・・・GJ!(@_@;)b
そして何故か目薬αで思い出したコリントの手紙、第一の方が出て来ちゃった。あーぁ、全然関係ないだろと思ってたらこういう巡り合わせだったのかよチクショウ!とエンジェルの言葉遣いが移る勢いでウンザリ(-_-)=3 「死人がよみがえらないとしたら神が実際よみがえらせなかったはずのキリ○トをよみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになる。・・・もしキリス○がよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたはいまなお罪の中にいることになろう。」10章でコレに対するキルスティンの反論「パウロがでっち上げてキ○ストの磔刑を説明したのよ。彼の死を筋が通るものにしようとして。でも実は原罪なんてものを信じてない限り何のためにもならない話!」ってのに拍手喝采(^m^)ヒャーッハッハッハ! 人が生まれながらに罪人だなんて、何て残酷なイカレた教義、その通り!「キリ○ト教って病気」マジでそれ以外の何物でもないと思いますとも、正直言って。(かなり私情が入ってしまってスミマセンm(__)m)
8章ビルのくだりに戻ると、彼の病気の完治見込みはゼロ、というのにああやっぱり(´・ω・`)と感じてしまう。そして不思議なことに宗教に関する語りでは嫌悪しか覚えないティムの芸術や音楽に対する感性には共感してしまう、という。「それらが不合理に苦闘する意志を、自分自身に向けて、自分自身の中に立ち戻らせ、苦闘をやめさせる力を持っていると信じていた」ショーペンハウエルの話。「決して満たされるはずのない生物学的な衝動を不動のものにする力を持つ音楽」・・・これはキルスティンとの関係についての後悔や懺悔でもあるのかな? でもってまた出てくる『ファウスト』ね。この後聖/書に向かえば良いのかソッチに行けば良いのか惑わせてくんなぁ、この本orz 「およそ生活と自由を自力で得た者とは、日々にこれを獲得してやまぬ者だけ」ウン、やっぱり自分にコレ以上生きる資格はないな!と思わされる一節ですね☆(今日も妹と散々揉めて鬱MAX☆「鬱うつ言うなら何でとっととタヒなないわけ!?」とまで言われたとも! 体重は45切っちゃったし。どうやってももう無理、腹イテーし過呼吸も前よりすぐ出る(^^;なっさけなーorz ・・・エンジェルはビルに同情してたけど、それって身内じゃないからできることだよ。ホント家族にとったらメンヘラなんて害虫でしかない。でも入院や施設も金が要るからどうしようもない。だから煮詰まった時こうやって本と海外ネタと貴重な友達の温情にすがるわけ。最低だけど、そうやって踏みとどまるしかない。だってそれこそ互いの家が見えるくらいの近所で同名の方が先にやらかして下さってるんだもの/(^O^)\ だから絶対家での実行は避けなきゃだし、なるべくならソレと分からない形で終わらせなきゃいけないという。本当病み極まってて重ね重ねスミマセン)
ドイツ啓蒙主義からヴァレンシュタインについて、ティムが「あんなに知的で学のある、当時の最も強力な偉人がどうして占星術なんかを少しでも信じられたんだろう?」と言うのは、彼自身が息子の降霊を信じて疑わない状態になってしまった主教であることを考えるととてつもない皮肉ですね。彼が疲れている、と感じる以上にエンジェルの精神的摩耗が身に沁みる。相容れない奇妙な二つの世界を行き来している彼女の。

9章、遂にキ○ストの否定には至ったものの、前章を見る限り神――創造主――の存在についてはまだ信仰を捨てられないでいるだろうティムの精いっぱいの妥協とも言える決意。今度は霊媒を通じて「死後の世界」を証明しようとする彼と、死してなお父に利用されようとする夫へのエンジェルの同情が切ない(つД`) キリ○ト教が有効かどうか? すべての宗教がシステムとしては有効だよ、信者がいて、その存在自体が力を持つ以上「神」は存在すると言っても良い。そんなバカなことで悩んでんのかこのオッサンは、息子が死んで愛人が病気なのに、いい加減にしろよ、ってイライラしてくるな(^ω^#)ビキビキ でも彼がその「信念欠如」とやらのために自分の生涯とキャリアを捨て去る、とか「有効か」という言葉では彼の心と精神の内部で激突している力の規模を示すには悲しいほど不十分、と他者の目にも見えてしまうというのは、何というか信仰者のおっそろしいトコやな、と感じた(´-`) 当たり前だけど、あちら側にはあちら側の苦しみもあるんや・・・私いっつも神様にすがって逃げられる人は良いなぁ、と羨んできたクチですけど。相手の立場に立って、その痛みを考えることを怠ってきたことに今更ながら反省しました。
そして、ティムとキルスティン二人の関係性が実は希薄なもの、というか意外と互いに自分のことしか考えていない状態にすぐ陥ってしまうんだ、ということも明らかになってきたなー。クスリの影響でイカレてどん底に向かいつつあるキルスティンに、ティムとまとめて引きずられつつあることに怯えるエンジェル。自分が出すオカルト本へのティムの冷静な分析「教会にとってあの本は反動的過ぎて辞職せざるを得なくなるだろうから、その前に主教を辞職する」そこまで分かっていながら、反戦運動で体制の屈服に成功したから今回もできるはずだ、と。前回は若者の支持があって今回は世間に力を持つ誰からの支持も得られないことが明らかなのに。ジェフの死、あるいは主教とキルスティンとの過ちから、みんなまとめて狂ってしまった。「死んだジェフと話すことがティム・アーチャーの信仰体系すべて、信仰そのものの総括。信仰か、あるいはその喪失か。彼にとってキ○ストを失うのはすべてを失うこと・・・そしてそれは既に失ってる・・・ビルによって、あるいはその前か。」エンジェルの洞察力相変わらず冴えわたり過ぎて悲しい。「ティムの息子、あたしの夫が知的問題に従属させられる――あたしなら決してそんな見方はできない。それはジェフを非人間化して道具に、喋る本に変えられるに等しい。・・・ジェフがもし重要なら、それは人間としてじゃなくて本として重要なのであって、それは本のための本であり、知識でも知識のための本ですらないってこと。本が現実。ティムが息子を愛するには、息子を一種の本として扱わなきゃいけない。・・・『ファウスト』の一節とは反対にティムは「留まれ」という瞬間を見つけてはいない」って本当にジェフの妻、ティムの信奉者として気づいてしまうと切な過ぎる事実(´;ω;`)
そんな彼女が自分もティムと大差ない、と気づいた神曲のエピソードでこちらもまぁた歯痛が出てきやがった(((゜Д゜;)))gkbr え、何ソレ文学的にそんな多用されるテーマなの?私軽いの二回くらいしかなったこと無いんだけど。(親知らずも五分で抜けたし。笑)それともコッチの読書の流れ見抜かれてんのか、どっかから? 『諸々の実態、諸々の偶有、またそれらの相関物が、唯一つの単純な光にほかならぬかのように、溶融しているのを』この一節がエンジェルの枠組みを作り、彼女を今の彼女にした言葉の並び。「これこそがあたしの源、このビジョンと報告、この最後のものの見方こそが」「この驚異は忘れられない」あー、何か先日尾骨痛に苦しみながら『地下室~』読んでた気分思い出すわ。もしくは中学上がる前の不安にドッキンコしながらカフカに出会った時のような。私にとっての“その瞬間”は『変身』との出会いだったのだろう、と。アイデンティティも世の中の捉え方も人生の不条理も、全て漠然と感じてきたことをあの一作品が代弁してくれているように感じてしまった。その瞬間からまさに自分自身も皮を被る努力を放棄して毒虫そのものに“変身”してしまったのかもしれない(´-`)
「学ぶものは苦しまねばならない。忘れがたい痛みが一滴また一滴と心に滴り、自分自身の絶望の中で意志に反し、叡智が神の恐ろしい恩寵を通じてやってくる」それでエンジェルはこんなにも聡明で知的で見たくないものまで見通してしまえるようになっちゃたのかー(つД`)可哀想や!「本と現実は融合して乖離できない。・・・本は物事の総合性を見せてくれる。・・・本によって、そのすべてが現実だということを理解せざるを得なかった。それ以上でも以下でもない。」全ての読書家の皆さんにとってコレは真実以外の何物でもないのではないでしょうか?少なくとも私は同意する。その体験から「自分が一変した、かつての自分には決して戻らなかった。本は他の人の心と自分を結び付けてくれるだけでなく、他の心のビジョンと結び付けてくれる。そうした心が理解して見ているものと繋がる。他の人の世界が、自分自身の世界を見るようにきれいに見える・・・空想なんかじゃない。・・・あらゆる領域は本物で、お互いに溶け合い、混じり合う。ここには調和があり、まったくの断絶というのはない。・・・でも神のちくしょうめが、あの夜を生き抜かなければ、あたしは決して真の意味で生まれなかっただろう。あれがあたしの現実世界への誕生だった。そして現実世界とは苦痛と美の混合であり、それが現実の正しい見方。だってそれが現実を造り上げる構成要素なんだから。」一言一句『変身』読後の自分と共通する心情。アレは短編だけど。でもその後エンジェルが「ティムは本と苦痛を統合していないか、やり方を間違った。・・・そのために思考の無限ループに入っていて当人はそれに気づいていない。・・・おそらくかなりの確率で疑問自体存在しないもの」という点にドキッと来ちゃった。当時の自分は心理的苦痛やプレッシャーは感じていても(まぁ小さい頃から自家中毒だの鉛筆噛みだの皮膚はがしだの堪えきれない子どもでしたので)、肉体的な苦痛と結びつくという点では先日の『地下室~』の方が大きいわけだし(-_-;) でも正直そこまでのインパクトを受けるにはトシ取りすぎてたかな(笑)

10章、霊媒の「心を読む」テクニックに翻弄される彼らが哀れ。特にキルスティン。「あたし自身の恐怖をオウム返しにしてる」エンジェルがジェフとの結びつき、宿命について考えた時、ティムが「キリ○ト教は宿命の圧政を廃止する手段として存在するようになったのに、結局それをあらかじめ決まった運命として再導入してしまった」と教えてくれた話を思い出す皮肉。「彼らの教義では二重の意味であらかじめ運命が決まっている、地獄か天国か」そんなエンジェルの言葉に「運命なんか古代世界、占星術と共に消えたのよ」と答える、霊媒に死を予言されたキルスティンの気持ち(´;ω;`)ブワッ 「いい目」と「罪悪感」についての女二人のやりとりも胸に迫るものがありますね。やっぱり隣の芝生は女性というか人間の業なのかなぁ?「自殺なんてDNAに刻まれたコードに命じられないとできない」なるほど、ソレでまだ父も私ものうのうと生き長らえてしまってんのか。妹にそういうことらしい、ってこの本読ませるかなー(笑)
キルスティンと寝ながら毎週そのことについて告解して、彼女にもそれを強いるティムは病的としか思えないし、キルスティンが病む道理も納得。そして彼の主教としての立場や経歴を奪ったのは全て自分だと、「あたしのせい」だと考えてしまうキルスティンの切なさ。FEM活動の先頭に立っていた彼女が女性としての己を嫌悪し出すまでに至るとか(つД`)何でや・・・?二人を出会わせてしまったエンジェルも更に可哀想じゃん。「あの降霊会に感謝する唯一の点は、他の人があたし自身や人生や、あたしのなれの果てについての認識を表現してくれたってこと。これから直面しなきゃいけないものに直面し、やるべきことをやるだけの勇気をもらった」フラグ立ちまくってますがなー(´Д`;) 若い内に本の文言に自己の規範や価値観を見出したエンジェルと対照的に、人生の終わりに直接他者によって己が何者であるか形を教えてもらった、というのがキルスティンの姿なんですね。上手いわーディックさんのキャラ対比!





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金髪碧眼で抜群のスタイルじゃない人形をバ○ビーなんて呼べるか、っての。大多数の人が持ちえない夢の容姿だからこそ女の子たちが憧れて欲しがるんでしょうが。そうやって「理想像」提示すること自体が間違ってる、ってか? そのうち逆に女の子がピンク好き、とか男の子が車好き、とか言い出しにくい世の中になるんじゃないの? 私は普通にリ○ちゃんハウスもレゴもまとめてねだったクチだけどな!(一人っ子かつ一人孫期間が長かったもので・・・テヘペロ☆)マジで日/本の○カちゃんの顔が多少変わっても、「多様な肌の色や体型のほう取り揃えてございます」ってなるのだけは勘弁(-_-;) アメ○カは移民国家だからまぁニーズに応えて、と百歩譲ってしょうがないのかと思えるけど、それぞれの文化ってもんがあんだからさー。
黒い肌の人形が欲しければアフ○カのメーカーが出せば良いし、背高くて金髪のが良ければ北欧、赤毛ならU Kでお買い求めになれば良いだけの話じゃない? 何で「バービ○」って同じ名前で明らかに違う容姿のキャラを売らなきゃならんのよ!?(゜Д゜#) おかしいでしょうが! 日.本人小学生リ○ちゃんに対抗して外国人高校生ジェ○ーちゃん、あるいはフワフワヘアーのいづ○ちゃんや更に妖精めいたティ○テ(知ってる人いるかな?シャンプーとのコラボだったはず)出す、みたいなお友達人形バリエーションを豊富にしていく路線で行けば良くない?(どうせテンプレ容姿以外の人形はあんまり売れないってか生産数自体少ないんだろうからさ、ぶっちゃけ(´-`)) ホント最近の向こうのP Cへの配慮、行き過ぎとしか感じない。イメージするところの「その国らしさ」が消え失せたら、日/本人は見向きもしなくなると思うわ正直。

以下病み+宗教的タブーに触れまくりの読書感想ですm(__)m

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ティモシー・アーチャー6章感想。最近読書欲だけで生きてる感ある(笑)
自分がティムにとって単なる友人よりはるかに大きな存在で、かなりの愛情と理解が芽生えていたと語るエンジェルに彼への信仰(というか何というか・・・)の深さがうかがえてグッと来ますな。腹膜炎が悪化して入院しているキルスティンとのやりとり、アノキは飛べるキノコだったんかー(ノ∀`) そりゃ初期キリ○ト教徒が迫害されまくったのも道理、為政者の立場ではヤバいクスリは取り締まらなきゃねー。初っ端からエンジェル含めラリったりクスリ関係のネタ出てきまくりだったもんねぇ、よく考えれば。日.本の神おろし、イタコさんなんかもそうですよね。だからアルコールや催淫に弱い女性が巫として好まれたのかな? 危険な祭りの前に参加する男衆がお神酒酌み交わす風習も、酔いでもしないとできないことだからですよねぶっちゃけ。それでトランス状態に入って積もり積もった俗世の憂さを思いっきり晴らす、命がけで。ドコの国もいつの時代も変わりませんな(-_-)=3
そしてビルとエンジェルの出会いのシーン、エンジェルの名を持つ彼女が初めてリアル天使の姿を目にしたかのような、不思議に優しくあたたかな描写。キルスティンから散々「狂った息子」の愚痴を聞かされてきたエンジェルが、ずっと病院に閉じ込められていたビルの無垢さに打ちのめされるシーンが(つД`) 「神様、どうかあたしを叩きのめしてください。連中はこの優しい親切な彼を傷つけて、ほとんど何も残らないまでにしちゃったんだ。治療するという名目でこの子の回路を焼き払った。あの殺菌上っ張りを着たクソッタレなサディストども。あんな連中に、人間の心の何がわかるっていうの?」コレね、あちこち病院放浪の旅を何回か経ると心から分かるよ。医者ってホント二分される。エリート意識の塊で自分の名前を上げる治療しかしたくない、金になる患者しか見たくない(更に患者も看護師も見下している)ヤツか、本当に心から患者の苦しみと向き合い、救うことを望んでくれる人か。ジョン・ダンの詩の中の「あなたを受け入れようとしても、それが果たせない」という神への一句(てか全体的になんだけど。笑)が私にもすごく刺さるわー(´Д`;)グッサリ
「自分で自分をごまかしてる。あたしなりのこじつけで、自分でもわかってはいるのよ。」「ビルは連中が傷を負わせなければ、心を切り刻んでなければ、獣医になったはず」「運転が怖くて、ゴミを出さず、風呂に入らず、そして泣くからキチガ○だって?・・・あたしも泣くわ。たまにゴミを山積みにするし、車をこすられて道端に停めなきゃならなかったこともある。あたしを閉じ込めてよ。あたしたちみんなを閉じ込めて。これがキルスティンの苦悩ってわけ、この子を息子に持つってことが?」この辺のエンジェルの独白、ガン泣きしそうだった(´;ω;`) ホント境界線はすぐそこで、滑り落ちるのはあっという間なんだよね。そしてビルの精神病院でのグループセラピーで接した人々の話も。「自分は壁から突き出している目玉だけになりたい。そうすればこっちはみんなを見られても、みんなからはこっちが見えないから。観察者になって、絶対に起こっていることの一部にはなりたくない」え、コレ私そのものじゃね?(゜Д゜;) ちょっくら参加してくれば良い?「偏執狂の人は、見られるのを怖がるんだよ。だから透明になるのが重要になるんだ。・・・他の人の前で食べられないんだ。たぶん、食べるのは汚いと思ってたんだろうね」そうか、こういう感情は普通の人から見たらやっぱりえらく奇妙で不気味な発想なのかorz
「精神病の相当部分は、みんなが攻撃性を抑圧していい人になろうとして、それをやりすぎることからくるんだ。攻撃性を永遠に押さえつけるわけにはいかない。みんなが持ってるものだし、どこかで出てこないと」あ、あーそうなんですか・・・確かにキャラ作りに励み過ぎた時、体に出ちゃってた感は小さい頃からあったかなぁ(´-`) 何かさ、そのトラウマの件とかでも上手くやり返せなかったから自分じゃ止められずに結局先生や親バレ→「許してあげて」で「えーと、コレはそのように処理すべきものなのか・・・?」と膿んでしまった部分が確かにあると思う。中学生くらいになって教師の嫌がらせに対しての抵抗手段は(テストで絶妙に満点ではない最高点を続けて取る、とか、ヤツが自分の名を上げる道具にしてるコンテスト系で賞取って貢献してやる、とか。どんなに気に食わなくても5付けざるを得なくなるやろ?笑)掴んだけど、同級生相手にはどうにもやりにくいというか体に出て逃げちゃう。中高の頃は女の子特に怖かったなー。不満ハッキリ言わないんだもん。裏でねちねちグチグチ触れ回った末に周りを巻き込んで相当陰湿な手段を取ってくるわけ。アレは正直意味が分からん。面と向かって口ゲンカすれば良くない? だからなるべく揉めるまいと(特に日/本人は)一所懸命攻撃性押さえつけるペルソナを被り続けて病んで自殺率高くなっちゃうわけだよ!><
ジェフについてビルと語るエンジェルの「夫をとても愛していた」というのは本心だと思う。「司祭になろうとしてた?」という彼の質問に「何になろうとしてたのかわからなかった」と答えるエンジェル。「何にもなろうとしていなかったのかもよ。」というビルの返事が、もしかしたら真実を突いているのかもしれないと感じた。ジェフの抱えていた深い闇、孤独、絶望。(おそらく彼にとっては)大きすぎた父の存在、その父の愛人となってしまった年上の想い人、全く以て彼の本質的な苦しみには同調してくれないであろう妻。ビルの障害に気づいてしまったエンジェルの流す涙が切ない(;_;) 彼は決して「なりたい自分」にはなれない、今の仕事をやり続けるしかない。「終末の審判がやってきて、あたしたちみんなを一気に、すべての懸念から解放してくれるまで。あなたを、あたしを、万人を解放してくれるまで。そしてそのときに、あなたの障害を持った心はおそらくやっと癒される。奈落の底に落ちて、それがあるべき場所へ還るという方法で」旦那を自殺で亡くした後の彼女のこの嘆きとこの世への虚しさとビルへの同情が。・゜・(ノД`)・゜・。ウワアアーン!

あ、『海潮音』も届いたので早速半分ほど読んだのですが、カアル・ブッセ「山じゃなくて海だったら日.本ぽかったかもネー」って言ってたのに、初っ端のダンヌンチオ『燕の歌』に「海のあなた」って言葉が入ってて吹いた(^∀^;) エッヘヘさすが上田様わかってらした・・・!ホント昔の日/本語は美しいですね。元ネタがヨーロッパの言葉で書かれたものだとは思えないくらい上田節がフィットしてしまっているものもある。意外だったのは一つの国だけじゃなくて色んな言語圏から選り集めて訳してる詩集なんだな、と改めて感じたこと。カオスなコンピレーションというか、異国情緒に弱い島国の特性この頃から既に如何なく発揮されてしまってたのか!(@_@;) でも当時の日.本人がこの全てを解釈するの、特にキ○スト教思想との関連や歴史的知識が必要な詩とか結構大変だっただろうなー。今んとこズドンと来たのはコペエの『礼拝』かな。もし仮に比/叡山にこのような僧侶がいたとすれば歴史はどうなっていただろうか、日.本史に置き換えても考えてしまった。光秀の裏切りはアレが一つの理由とも言われてますし・・・。あとクロアサンの『秋』。「たれもつらくはあたらぬを、なぜに心の悲める。」ホント、何ででしょうかねー?と自分に問いかけたい気持ちに共感(笑)てかユーゴー詩も書いてたんだ、とか、シェイクスピアの言葉はやっぱり元が美しいせいか誰が訳しても詩でも物語でも何にせよ美しい、とか色々寝る前の楽しみが増えました(*´∀`) やっぱり綺麗な言葉読みながら薬飲んで、カオスにお気に入りの音楽聴きつつ眠りにつきたいもんね、できることなら!


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