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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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5章まで読了。私が主人公に共感する最大の理由は所属する極めて狭い、身近なコミュニュティ(つまり家庭)における異物感・異質感だ。
※引き続き宗教話ガンガン入るのでご注意願いますm(__)m

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何物も信じることができない者が「絶対的に何かを信奉している者・あるいは身近な者がその状態にあることを平然と受け入れられる人々に囲まれた状況」に在って、どれほど自分自身に対する違和感に苛まれるか。その信仰の対象について丸っきりの無知でいられたら、気にせずにいられたらどんなに楽だったろう。でも大切な相手だから、家族だからこそ理解したいと願い、下手に知識を身に付けて半端に努力をしてしまうと余計納得できない自分に対して絶望する。
エンジェルが学問に対して辛辣だったのはジェフのキルスティンに寄せる想いのせいでもあったんですねー(^^; 大卒の嫁にプライド捨てさせるような仕事させといて自分はいつまでも院に籠り、キルスティンのルーツの地に関わる歴史に入れ込む。そしてそれが彼女との共通の話題にもなっていた。そりゃ夫婦としての愛も冷めるわ。(イヤ彼女の述懐を見るとそれでも最後まで愛情は残っているようでしたけど)そしてまた彼はファザコンの塊でもあった。父と同じ神職に就くことまで志していたのに、父の余りの偉大さによって挫折し、「空っぽ」になってしまった。「他に何もしたいことがなかったんだもの」何かこの辺、今の自分の状況と重なって切ない・・・(´;ω;`) 歴史を知ることと母親になること以外、何も興味持てなかった人生だもん私も(笑)
「ジェフは精神病だったとは言えないと思う。ただ単にあまり幸せじゃなかったってだけ。ときに自殺につながるのは死にたいという衝動じゃなくて、むしろもっと微妙な種類の破綻なんだわ、喜びの感覚が消えていくような。」エンジェルの洞察力すげぇな、予備軍として一言一句同意せざるを得ない。更に若者や思春期の子の自殺について遺族が恥として隠す、という話で「確かに彼らがその目的を達成しちゃうというのは何か恥ずかしい部分がある。ある意味で本当に生きる前に死ぬ、本当に生まれる前に死ぬってことだから。」と語ってるとこ・・・実際にそういう場面にも立ち会った過去があるだけに、胸に沁みた。「恥が支配してすべてを牛耳る。自殺なんて無数にある恥ずかしい出来事の一つでしかない。」これは真理なんだけど、その恥が支配するという意味では究極の形態の社会であるはずのウチで自殺が最も重要な恥のそそぎ方だというのはどういうことなんだろう?とまた翻訳モノによって(以下略)宗教的考え方の違いかなー? 基本的にキリ○ト教(特にカ○リック)では絶対的タブーですもんね(-_-;)
「あたしが報告する死はたった三つだけれど、それでも必要な死の数より三つ多すぎる」という部分にはエンジェルの素直な本音が表されているようで、思わず涙が(つД`) 夫と、その父とその愛人であり友人。極めて近しい人を一遍になくしてしまった彼女の悲しみ。そして「あなたたち」に向かって語りかける「苦痛と苦痛を語ることでは決定的な種類のちがいがある。・・・それを知ることで身代わりの苦痛を感じるとしても、知らないままでいれば本当の災厄が訪れるわ。それを忌避しようとすることにとんでもないリスクがある」という言葉もまた真理な気がする。喪失の、抜け殻の虚しさと苦しみを、彼女はここで打ち明けてるんだな、と。

主教が息子の墓碑に刻んだヘラクレイトス学派のモットー「いかなるものといえども永続はしない。だが万物は流れる。」コレ仏教の諸行無常、「色即是空、空即是色」に通ずるものがありますね(´-`) ティムの悲しみからの逃避というか克服法がまた独特で病んでるというか、圧倒される。無神論者の息子の嫁に対してサタンに対しての異端とも言える新たな講釈を延々と垂れ流す。「神を知りたいから神自身になったサタン。その想い出こそがサタンにとって自らに課せられた永遠の罰を正当化できるものだった。要するに、神を真に愛していたのはサタンだった。・・・ところが神はサタンを理解してすらいなかったために罰を下した。神に反逆し、その領域外に出たサタンはその処罰を自分自身に対し神を知り愛している証明として歓迎したと思う。・・・真の問題とは、知ってそれとなるべき究極の目標と探索。神を十全かつ本当に知ること」コレ完全にサタン擁護の異端に目覚めてしまった者の発想やろ(((@_@;)))gkbr で、火を盗んでゼウスに罰されたプロメテウスのくだりから「サタンは火ではなく神の真の知識を盗んだとも言える。・・・サタンの真の罪は人類にそれを与えず独占したということなのかもしれない。・・・この理由付けでいくと、私たちは神の知識をサタン経由で手に入れられるという議論ができる。」もう誰かこの危ないオッサン止めたげて!(´Д`;) 「人類はサタンを攻撃してこの知識を掌握せねばならん。・・・サタンが罰を受けたのはその知識を奪ったからではなく、それを隠したからだ。」この時点で、ようやく彼は息子を奪ったもの――恐らくキリス○教世界では死への誘惑を内包すると考えられているサタン――を憎むがゆえにこういう長々とした極論の述懐に走ったのだと、彼なりに息子の死に衝撃を受け、痛みを覚え悲しんでいるのだと私はようやく気づけたように感じたけど。とにかくキャラが濃過ぎてどう捉えるのが正解なのか混乱してくるな(・・;)
それなのに生前のジェフが研究していてあれほど熱く語ってたこと何一つ覚えてない、って体で息子と全く同じ話題、シラーによるヴァレンシュタインについての話をおっ始めるとか、そりゃ女性陣ウンザリっつーか病みもするわ!んでもってだからキリ○ト信者ではない、ってハッキリしてるエンジェルに対してまたサドカイ派文書ネタを振らずにはいられない彼の異常性が(((゜Д゜;)))ガクガクブルブル「アノキが叡智ではなく、手に持てるもの」であることが信じられず、気になって仕方ないカト○ックの主教とか完全にアウトだろ(笑)『神は非在に対抗する最後の砦なのだ』ごめん、この辺色々学んだ記憶もあるんだけど、正直言ってホント爆笑せざるを得ない(ノ∀`)ヒャーッハッハ!・・・信仰をお持ちの方、返すがえす申し訳ありません。そのことに苦しんでいる事実も上に記した通りですm(__)m

んでさー、『地下室の手記』にも出てきたドイ○ロマン派(ちょっとググったけど、音楽については何となく聞きかじっててもやっぱり基本分類自体くだんねー、と思ってる人間なので結局途中で放り投げた\(^O^)/)についての語りで、「彼らは人間の意志が運命を克服できると信じていたから、運命、特に破滅と思われていた運命との共謀は最大の罪であり、不可避なものではない運命をその人物が許容したことになる。」との記述に改めて興味を掻き立てられてしまった。『ファウスト』一巻ならあったからこの後ちょっと読み直してみようかなー。「一方でギ○シャ人にとって運命はあらかじめ決まっていて、人間とは無縁のもの。報復し、罰を下す女神ネメシスと同一視された」と。うーん、ド○ツとギリ○ャの噛み合わなさは根が深いんやな!と現代の諸々を思い起こさせられました(爆笑)
あ、その後の「サドカイ派文書によってロギアがイ○スの出現より二百年も前に存在してたことがわかっちゃったー><」ってエンジェルに泣きつくくだり、いかにそのことに苦悶する自分がくだらないか、でも長年キリ○ト教を信じ司祭として仕えてきた教会に対し疑いを持つことすら許せない苦しみを、繰り返すが無神論者である義娘に打ち明けざるを得ないティムに初めて普通の人間らしさを覚えたかな? ・・・ぶっちゃけアノキってリアル人肉と血じゃね? ジェフとキルスティンの会話中、ヴァレンシュタインからW W 1に繋がる戦争の最中に起こった残虐な出来事の話題に登場していたことでフラグが立っているようにも見えるし、それこそサタン崇拝の世界に近いんじゃね? と私なぞは考えちゃいますがなー(^∀^;) いやぁ、現在でも宗教から何からアメ○カと対立しまくりのイ○ンを起源とするゾロ○スターに近いのがキ○スト教の元ネタとか、本当アブ○ハムの宗教はおっもしろいなぁ!で、そんな義父をバッサリ切り捨てるエンジェルかっこいい><「アノキも神も本当に本物じゃないわ。・・・神様ってのはモノの見方よ。ある解釈に過ぎない。神は物体が存在するような形では存在していない。」OK、その通り!と全力で拍手を送りたい(^m^)パチパチパチパチ
「だが被創造物は創造者なしにはあり得ない。」あー、そうなんだよね、一神教信者ってこの考え方がどうにもできなくて厄介(-_-)=3 「ロギアがイエ○に二百年も先立つのであれば福音書も怪しいものとなり、それが怪しいなら○エスが神そのものという証拠はなくなり、キリ○ト教の基盤がなくなってしまう。」「私は今自分がキ○スト教徒かどうか自信がない。いまやキリス○教なるものが本当にあるのかも自信がないのに、主教として司祭の務めを続けなければならない。・・・イ○スは単なる説教師で神ではなく、しかも独自性ある説教師ですらなかった。彼が教えていたのはある教団全体の信仰体系の総合であり、集団の産物でしかないことを知っているのに」こんなことで本気で悩めんのかよ人間って!(ノ∀`) ある意味すごい、羨ましい!(返すがえす信仰をお持ちの方には本当にすみま(以下略))最後にエンジェルが慰めるように告げた「いつか学者や翻訳者がアノキを見つけられるかも」というセリフに「神を見つけられる。」と希望を見出すように繰り返すティム。その後に続く「パンは材料がないと作れないし、何かでパンを作らないと食べることができないから。」というエンジェルの言葉に不穏な予兆を感じざるを得ないのだが(((゜Д゜;))) だってソコから続く話題のディオニソスって狂気の神・キリ○ト教におけるタブーの象徴の蛇にも繋がる神様でしょ?・・・わー、この後どうなんだろ。


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先頃アチコチのメディアに出まくっていた寒さや待遇とやらに耐えられなくて「帰った(爆笑)」難民様の記事などを読みますと、デ○マークさんの対応は至極真っ当としか思えないんだが。お叩きになれる立場の皆様がどれほどの支援と紛争解決のための努力をなさっておいでなのか気になります。あと掲示板の反応見ると、表向きのポ○ティカル・コレ○トネス(向こうの大手メディアによる暴行事件報道の隠蔽や遅れ、情報の抑制の件などが象徴的?)と大衆意識の乖離やべぇなΣ( ̄□ ̄;)ありゃもう韓/国の慰.安婦聖域化と合わせてネオ・ファ○ズムと呼んでしまっても良い域なのでは? ・・・本当、人間って何も変わってない。テーマや方向性が変わるだけで進歩してない? むしろ自縄自縛で退化してる? まぁそれはそれで魅力的だと捉えられてしまう人間信者ですけどね!(´∀`)b

あと久々に続けて優勝を逃し、解説陣に好き勝手なこと言われてるハクホーさんのツイがカッコ良すぎワロタ「今日の敗北が明日の勝利」これが無敵のモンゴル魂・・・!><キュンキュン 菊さんの優勝は確かに嬉しかったけど、勝さん(当時から帰化済)、カロヤン(現在帰化して名跡取得)の存在や決断を無視するかのような報道の仕方はなぁ(・・;) ハルマさんがコッチの大学院に通いながら、必死に体にムチ打って相撲取り続けてるのも「モンゴ○帰ってもロクな仕事ないから」だって言ってましたよね。そんな中で家系的に国の誇りを一身に背負ってる立場でもあるわけですよハクホーさんは!何とか角界に残ってほしい気持ちと、You番組で国際相撲大会を見た限りやっぱり大相撲は閉じた世界であってほしい島国根性とで揺れ動いちゃいますねー(*_*; どの国の力士さんも好きだし応援するけどさ! 砂嵐ちゃんも自国の不安定な状況を鑑みたのと、かなりのインテリでもありそうだから純粋に学問を続けたい思いもあって進学したんだとは思うけど。十両は時間的に中々リアタイ視聴が難しいけど、早くケガ治して戻ってきてほしいなぁ(´・ω・`)

以下、結局いつものように順番関係なくナチュラルに読み始めちゃったディック氏遺作三章までの感想(^ω^;) ※ストーリー的にガンガン宗教ネタ入ります。

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女性キャラでかつてなく共感というか心情が被る主人公なわけだが。何かもう神や宗教や死への虚しさ・悟り・憎しみ、世間への概念そのものがね!ラリるにあたって「ストーンズをかけてよ」のセリフが本当鳥肌立つほど自分かと思った(((゜Д゜;))) 世代も国も育った文化圏すら違うのに、こっわ!(あ、自分が現代日/本のスタンダードからちょっと外れているのかも、という自覚はありますm(__)m)もちろん非合法な薬には手出してないけど、まぁ精神安定剤とか眠剤も似たようなもんやろ正直言って(´-`) 鎮痛剤・アレルギー対策のステロイドにも依存してるし、ホントどうしようもないと思うわ。
コレは西側陣営がブイブイ言わせていた(笑)80年代の作品だけど、現代のアメ○カ社会を覆い尽くす厭世観にも似たものが既にこの時代から始まっていたんだな、としみじみ感じる。思うように進まなかったベト○ム戦争と、ようやく終わりを見せたようで根強く残っていた人種・性差的不平等とソレに対して熱心に「活動」することに意欲を傾けていた人々の存在。冷戦への疲れと、一つの時代の象徴であったジョン・○ノンの死。その中で最後の輝きを放つと同時に、カルト化・新しい過激派の潮流が生まれつつもあった宗教の浸透。バカみたいだと感じながら、周囲の人々の死という悲しみに対しての答えを、抗う策をどこかで求めるように怪しげなセミナーに大枚はたくエンジェルの哀れさが身に沁みる(´;ω;`) 「死があたしを破壊した。友人たちの破壊者たる死が」・・・あぁ。
インテリの彼女が「教育はやたら時間がかかっていけない」って否定的なのも(ノ∀`) 私もアレは正直最高の知識欲を満たす暇つぶしではあるけど、サッサと社会に出た子の方が世の中の仕組み早く覚えて適応して実地で色んなこと学んでて役立つ人間になれてると思うわー。(まぁ自分が最も現代において使えない分野に進学した上、結局この有様なんで何も言える立場じゃないことは分かってますが)「あたしは人間じゃなくて自分自身に警告する声。聞いたものをそのまましゃべるだけ。ゴミが入力なら出力もゴミ」って、ホント私がずっと自分に対して感じていたことそのままだ。てか文系の人なら一度でも通ったことがある悩みなのでは?知識を、過去をひたすらインプットするだけ。それをちょっと形変えてアウトプットすることしかできない。自分の考えを入れたところで証明する手立ては少なく、否定されたらそれで終わり。てか過去のことだから新事実が分かったこところで所詮現代社会では何の意味も、重要性も持たない。無駄なことだと理解していても惹きつけられてしまうのは、自分が人間ファンだからその歴史を追っかけるのが好きでしょうがない、と納得はしていましたけど。「人間として生きている」自覚を持っている人にとっては、苦しみ以外の何物でもないのかもしれませんね。

彼女の回想が始まり、死についての考えで「永遠の眠りにつくことこそが目的」というのはその通りだと思った。まさにそれを目指して、人間は疲れ果てるように生きている。そして義父(であり恐らくは誰よりも信仰する対象だった)ティモシー・アーチャー主教はイエ○そのものを求めていたというより、その背後にある真理を欲していた、という点は全ての宗教を心から信奉する者の本音ではないのかな、と。主教ティムの特殊性は「どんなことでも信じられ、新しい信念をもとに即座に行動できること。別の新しい信念にぶち当たるまでは。・・・彼は言葉が本当のモノだと信じていて、もし何かを言葉に出来るならそれは真実なんだと信じていた。・・・キリ○ト教教義を一つ残らず疑問視した彼が、書いてあるものなら何でも信じ込んでいた」この辺はスゲー話だけどあり得なくもないかな、と(´Д`;) 私ほんとマトモな時の祖父と話をしておけば良かった、と感じるのこの辺りのテーマですもん。そんなちょっと常人とは違う思考回路や行動規範を持つティムに対し、息子の嫁であり友人の立場から「この世界は彼にとって決してリアルではなかった、適切な場所ではなかったんです」と書くエンジェル。同時に彼が「友人には心底忠実であり、決して忘れなかった。それが彼にとって唯一の変わらぬ花のような存在だったから」と語るくだりが何とも切ない。
生前、アメ○カで著名な主教であったティムが三.位一.体説、精霊の存在に疑問を投げかけるセリフにもブンブン首を振って頷きながら読んでしまった・・・orz バベルの塔崩壊から言語の多様化に関する話で、ラテン語について語るくだりも。そう、「イ○ス」の同義語はバチ○ンの神学者必須のラテン語には存在しないんすよ!『Nihil est』の英訳が『Nothing exsists』コレ最高じゃない?真理じゃない? と私なんかは感じるのですが。「意味を極度に圧縮するラテン語の力は驚異的で、その厳密さこそがラテン語の持つ圧倒的に素晴らしい性質」なるほどー、欧米圏の白黒ハッキリしろ!文化はここから来ているのか、と納得させられてしまった((-_-)ウンウン あと『1984』のニュースピーク究極の理想形言語なんじゃ?とも。つまり人類は原点に回帰しようとしている・したがる生き物なのか? と昨今の中/露の強権的指導者人気・先進国での右寄り台頭を見ても。もしかしたら人ってやっぱり頭の良いorより優れた誰かに支配・統治(管理)されたい、その方が楽で安全だとか思っちゃう生き物なのかなー?いくら自分で考えられる頭脳を持って生まれてきても(´・ω・`) 「呼吸するのは私ではなく、神が私の中で呼吸するのだ」この発想はキリ○ト教の中で最も嫌いな究極の逃げの考え方だと思います^^ 犯してしまった罪や結果を神様になすりつけるくらいはまぁ理解できますよ? でも初めから行動の責任を全放棄するんじゃなくて、自分の体を自分の意思で動かしてる自覚くらいは持ちやがれ、っての。
自らが引き合わせた友人と主教との関係を知って打ちひしがれるエンジェルもまた哀れで(つД`) ショックの余りラリろうとしてクスリが見つからない彼女が「他の人は何をしてもいつでも飛べるのかもしれないけど、私の呪いは完全な洞察力を持ってること・・・自分の巨大な知性に破滅させられ、理屈をこねて、思案して、結局何もやらない」「さっさと文明が終わってくれたら清々するのに」やっべ、この辺の自分を上げてるようで貶めている彼女の発想や心情が理解でき過ぎて困る(^ω^) その上で、彼女が何よりも信じている(崇拝している)対象である義父・主教であるティムがいつ失脚の原因となるともしれない過ちを犯したこと―それも自分が紹介した友人と―について心から怖れ、心配し、己を憎み、「明日死んじゃうのはあたしじゃないわ、でもあたしであるべきよ」と言ってるセリフも(;_;) 彼女の高すぎるプライドと同時にソレを蔑む気持ち、いっそ何も知らない、怒り狂って追いかけてきたGS店員のようになれたら、とおそらくは羨んでもいるのだろう心情に心から共感する。
でもってなー、義理の娘にキルスティンとのことを問いただされたティムのはぐらかしっぷりと言ったら!『沈黙』ラストで遠藤先生が持ち出してきなすった論理と同じやわー、と感じざるを得なかった。『罪』が指しているのは神に対する敵対心のみで?形式的で決まりきった倫理と呼ばれるコードに従うだけで人が救われるなどと信じる必要はないだって? じゃあ信仰ってそもそも何だよ!? カ○リックに忠実に尽くしてきた他の神父のそれまでは、ダラッダラ長い戒律や聖.書の存在自体何だったんや、とツッコまずにはいられないよね^^ あ、ウチの祖父母はプロ○スタントだったんで牧師様フツーにご家族いらっしゃいましたが、何か本当聖/書読むと矛盾あり過ぎで何が正しいのか分かんなくなるわ。「良く当たる」系エセ占いなんかと同じで、都合の良いトコだけチェリーピックしてどんな人間でも納得(洗脳)しやすいようにあえて長く書いたのかな?(どうせ一般の人は全部読まないだろうから矛盾にも気づくまい、的な^^) 寺が世襲制な日.本の仏教自体どうかと思うってかナゾだけど、まぁシッダー○タにも出家以前とはいえ妻子いたしな(´-`) 後にご一緒に出家してる時点で(以下略)という気もしますけど。・・・でもティムに関しては少なくとも第三章時点では根っからの生臭詐欺師だ、本気で(信徒として)引っかかってしまったエンジェルちゃん可哀想(´;ω;`)としか思えない。「賢く入っていったのに、愚かになって出てきた。その間に何もない」「アガペーを否定したりしてない。・・・肝心なのは何も見つからないこと」本当気持ちがわかり過ぎる(つД`) どんなに勉強しても、理解しようと努力を重ねても自分自身の感覚として得られなければ無意味なんですよ。“ソッチ”側に行けないの。この時代に、この状況の果てに独り取り残されてしまった彼女の虚無が、悲しみが押し寄せてくるようで読んでて胸が痛いなー。前二作読んでないけど!(爆笑)

まぁ続きも楽しみに共感しまくりながら読み進められると思います(^^)b


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母もハマってたから大体揃ってるんだけど、シリーズものって続けて読んでると飽きちゃうから読む順番やスピードが大分カオスなんだよねー。

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今回のは「わたしたちは肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない」というコリント第二の手紙第十章の一文を思い起こさせるお話。(何か正直もう染みついてるんだよね。上手く意味とか説明できなくても、感覚として浸透しちゃってるというか。恐らく大半の日本人が家の中に神棚と仏壇両方あるのが当たり前だと考えるのと同じくらいのレベルで(-_-;))香瑠(四季の変装?)による三重子への洗脳の施し方や誘導の言葉はそういう方向のものではなかったのか、と。あと社会や組織の歯車として有効に機能できる人の抱えてしまう葛藤はこういうものか、とも新鮮に感じた。ソレにすらなれないことに苦しんでいるレベルの人間もいるのに・・・私みたいなの見たら三重子も踏みとどまれたんじゃないかなー? でも四季の圧倒的なカリスマ性・マインドコントロール能力の前には何者も抗いがたいかぁ(´・ω・`) しかし何作か飛ばしてるせいかもしれないけど西之園さんが大分四季を理解というか、人間的に大人になってしまっててビックリした。全人類と敵対するのではなく構ってほしい・あるいは「一つ」になりたいだけの、大きな子供のような天才なんですよね、彼女は。あとシリーズ全体を通して一連のオ○ム事件の影響をすごく感じる。理系の優秀な頭脳を選り集め、心理的な洗脳が入念なところなど。
「人間の中にいる」からこそ、己が人間だと感じているからこそ人間を醜いと感じることができる三重子は私から見ればとても羨ましい人間なんだが。本当に弱さと愚かさの底辺にいる者は、嫌なことばっかりが思い浮かんでも先々のことを考える余裕すらなく、黙って働く(役割をこなす)ことさえできないよ。四季のやろうとしていることはマーサー教の共感ボックス、あるいはコードギ○スのラグナロクのような「人類全体の意識統合」というヤツだろうか。それでもう彼女は独りにならずに済む。人間を「一般化」してしまうことによって。イヤしかし加部谷さんは海月相手によく頑張ったな!「人間なんて不確定で、気持ちはいつだって変わってしまうけど、時間は二度と取り戻せない」という考えから行動を起こしたところがステキ(*´Д`)ポッ そしてね、そんな人を好きになれるなんてホント羨ましいよ、と改めて感じた(笑)
三重子の洗脳完了シーンがゾッとするほど美しくて怖い。竹中の必死の弁解と口説きに、「言葉」というものの薄っぺらさを思い知る感情は正直言ってよく分かる。「言の葉」って言い得て妙だよね。「word」とか「単語」って表現より合ってると思う。口から飛び出した途端に散り落ちる葉っぱみたいなもんだ。綺麗・汚い、正しい・間違い、美しい・醜い、強い・弱い。全てが対比できるからこそ、『1984』の世界では数多の言葉が殺されていった。不思議なもんです(・・;) また自分のトラウマの話に戻ってしまいますがm(__)m 私は言葉を愛してるけど、あのワンワン泣きながら謝りに来たはずの彼の口からどんな言葉が発されたのかは正直ちっとも覚えてない。お母さんが「今までこんなことする子じゃなくて、本当に初めてのことで・・・」って必死に言い訳してたのは何となく覚えているけど。されたことと、それで傷ついたことしか覚えてない。あと先生の「許してあげて」って言葉ね^^ 成長してから諸々知人・通りすがり含めぶつけられた容赦ない?セクハラ発言とかは一々覚えちゃってますが(笑)ホント胸切り落としたい衝動はその辺キッカケかもなー。ホクロ取る手術とかも本気で考えたし。(その前に頭の件で吹っ飛んだけど)



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T山右近を今さら福.者認定してその式典のために訪日検討してるっていうなら、ぜひ塩釜にも・・・アンド○神父が生涯を捧げた教会にもお立ち寄りいただければカ○リックかなり見直す。大事なのは現代の彼らを支える人たちであって、死後何百年も経ってからじゃないと評価(宗教なのに封建制か学校の成績かよ!ってこの時点で正直爆笑しちゃうんだけど^^)されないシステムというのは確実におかしいと思う。あ、関係ないけどウチの体脂肪計見る限りBMIが標準値を下回っているようなんだが、もうホントどうすれば(´Д`) 今日はマジで動いてないしうどんだのチーズだのシフォンケーキだの出来る限り頑張って食ったっての。

以下、エリカ様(女神)×なりくん×まゆゆ(個人的に卒業したとはいえ、元ヅカオタ仲間として応援せざるを得ない)で好物の題材をやられてはチャンネル回さずにいられなかった『大奥』見たらウッカリ泣いちゃった話。思いっきり何回かやらかしているトラウマ暴露混じりなので後でチョイチョイ消すかもですm(__)m

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エリカ様ー!エリカ様ー!ハーフなのに何でそんなに着物が似合うの!?可愛いのに何でそんなに色っぽいの!?あと彼女の演技やっぱり大好き>< 美しくて、艶やかで、哀しくて・・・やばい今一番悩んで苦しんでることとリンクし過ぎて。・゜・(ノД`)・゜・。おしまちゃんの生物のまぐわいに嫌悪感を感じる、ってくだりから自分と被るじゃないですか。(例えお美代を引っかけるための方便だったとしても)で、お美代が「初体験」の時、恋とか愛とか全くそういうものを知らなかったから何の感情も湧かなかった、ただ獣と同じ欲の放逐の仕方を知っただけだ、と打ち明けた思いも似てるなー、と。
・・・自分なんか相手にはきっとソレすら無かった。本当に大人のしてることのマネしたかっただけだったんだろうし、私はオモチャと同じ感覚だったんだと思う。だから取られそうになると噛みついてマーキングする、とか。3~5歳くらいの時のことですから、私は行為の目的も意味も分からなかったし、小3の時に初めてセッ○スについて知った時はショックだった。子供は愛し合っている男女のチューだけで生まれてくると信じてたんですよ、それまで(笑)その前にえげつない「好きな子いじめ」(今となってはそれが本当かも分からない。自分なら絶対好意を持つ相手にはできないことを繰り返し悪質にやられたから。謝りに来た時にワンワン泣かれて、彼のそういう姿を見るのは初めてだったのでそういう不器用な人種もいるのかも、とは考えるけど少なくとも許せないし理解したくないです。二十年以上前の、子供のしたことであっても)に遭っていたこともあり、まぁホントに恋とか愛とか分かんないしできないしその先にあるものはもっとしたくない、触れたくない嫌悪感みたいなものがあるから、お美代の悟りきった感情が理解でき過ぎて(´;ω;`)
そしてお美代とおしま(はフリだったのかもしれないけど)の二人は男性に対するそういう部分「女の上に乗っかって良い気になってる」ってところに憎悪や抵抗を感じて心を寄せ合うようになったけど、私の場合ファーストトラウマが女の子なんですよねー/(^O^)\救いようが無い!保育所入所三日目でお互い3歳だったと思いますが(そこまでガチで覚えてますとも!)、定番のお医者さんごっこと称して木の枝ツッコまれるというソレ何てA/V?に始まり、アチコチ噛みついてきたのも同じ子で、もう何つーか(´-`)=3 その後のお昼寝タイムの件は男の子だし、ホントどっちもダメ。あ、ヅカにハマった時女の子なら行けるんじゃね?と思ったけど「エッ○できるか?」と考えたら無理というか、そもそも相手に対する欲望を感じないからね全く! 触りたくないし、ましてや体液系の付着は赤子でも無い限りオエーとしか感じない。(つまりヨーロッパ行ったら正直挨拶の時点で吐くか過呼吸起こすかもしれないレベル^^)
だからお美代がおしまに心を寄せるようになって初めて、「あの時の自分を哀れに思う」と告げる言葉が胸に刺さる刺さる。(グッサー!笑)共感と悲しみと羨ましさでいっぱい。だって私はどうやってもソコまで到達できそうにないし・・・「自分を憐れむ奴は下劣」って言葉が唯一共感できたハルキ小説の登場人物のセリフなくらいだし(^^; お美代のような生き方をしてきた・せざるを得なかった女性が、たった一人「本当の、復讐の運命を背負わされた将軍の落胤でも、男女を翻弄する魔性の野心家でもない、まっさらな自分自身」を見つけて褒めてくれた、認めてくれた、愛してくれたと信じていた相手に裏切られた時の切なさ。エリカ様の涙の流しっぷり、実に美しくないですか?@信者(*´∀`) 「なぜ裏切った?・・・殺しとうはなかった」から腹の子と親に責任転嫁、って、愛していたから自分の手で殺さざるを得なかったんだろ、最初から決めてたことだろ、と相変わらずあり得ないカオス設定でも役の気持ちが伝わり過ぎて(つД`) 次週のドロドロも凄まじそうですが楽しみです。

あーダメだ、今回はトラウマ刺激され過ぎて誰とも会話したくない→家族に八つ当たり、というか過去の件を知ってる癖になぜ結婚や子作りの話題を振ってこれるのか?という感情まで噴き出して不機嫌になってしまってorz(そりゃ誰も小さい時の細かいことなんて一々覚えて引きずってるとか考えないよね。高校や大学の時は「設定」した恋バナもチラホラしてたし)今回の話は自分と色々リンクし過ぎてしまって・・・何で忘れたいことって忘れられないというか、一度タガが外れたらドンドン嫌な方向に拡大されて膿みが酷くなってしまうんだろう。十代の内にムリにでも荒療治してれば良かったのかな? でもその頃の諸々も結構より嫌悪を深めるというかトラウマそのいくつかな出来事が色々あったしな(-_-;) 正直言って、心からの愛情を持ってそういう行為を望むとか、コッチも合意の上でソレを受け入れるとか、そういうことが全く信じられないし考えられないわけですよ。だって一度もそういうこと無かったもん。嫌悪や恐怖やひたすら続く気持ち悪さとか、そういうものとしか結びつかない。でもソレしないと子ども作れないって、マジでこの世は地獄なのか・・・?と猫の交尾にすら吐き気を催すようになったとも!(^^)bハッハー 良い歳してホント恥ずかしいし何言ってんだ、と考えるし世界中の子持ちの方にも自分の親にも申し訳ないけど。どうせ痩せるなら胸もなくなっちゃえば良かったのに。今ホント切り落としたい気持ち@夜中のテンション\(^o^)/
お腹痛くなってきたので一回考えるの辞めて森博嗣読みます。(何その突然の揺れ幅。笑)いつの間にかΦアニメ化もしてたのねー(@_@;) 四季博士脱走するくだりのドラマはチラホラ見たけど。森さんの書きっぷりも時代小説作家さん並みに凄まじいモノがあるよなぁ、とホント敬服させられます。卵の絵本も持ってたりするよ!


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素晴らしかった・・・!

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リーザ編で、彼が前半に独白してきたことの真意が、根源的理由が全て顕わにされているような気がした。そしてここでも出てくる「肺病」・・・ホントちょっと後の時代だったとはいえ、ウチの祖父よく普通に長生きできたよ(((´Д`;))) でも娼婦で怖いのってぶっちゃけソッチより性病じゃね? あ、もうペニシリンはあったんだっけ? けど「病院かかれない」表現とか出てくるしなぁ。いやーしかし主人公の矛盾っぷりが冴えわたってるなこの章は!「人間ひとりの生命がかわいそう」とか「どんな暮らしでも世の中で生きていくのは良いもの」この辺はまさにドストエフスキーの人道主義的側面の代弁者。かーらーの、一言すら交わさずにヤることヤって「人間としてこんな醜悪な愛し方があるか!」って娼婦相手に同意を促す場面。「似たもの同士」だと分かった途端に彼女に同情と惹かれる気持ちと嫌悪を覚え始め、結果的に隠された本心と歪んだ他者に対する感情の向け方をさらけ出す行為に至ってしまう。彼はそれを「人をたぶらかす行為は感傷的だ」と自分自身に言い訳し、「家庭を知らないから情なしに育った」なんて責任転嫁もしておきながら、親に売り飛ばされたリーザに対して「愛情が無ければ分別というものもなくなってしまう」と偉そうに講釈を垂れる。この時点で酷い自己矛盾に気づいて傷ついているだろうに(>_<) でも「人間というものは不幸の方だけを並べ立てて幸福の方は数えようとしないもの」という点には同意するかな。そういうタイプの人、リアルでも結構いるしね。
本人がリーザを「たぶらかす」ために語っている長ゼリフの中の「だいたい愛があるなら、愛情で結ばれた間柄なら、どうして愛をなくしたりできるんだ!」ってのは愛情や人間同士の絆・信頼に長年飢えてきたであろう主人公自身の臆面もない本音じゃないのか、と切なくなった(´・ω・`) あと子供についてのくだりで、どんな貧しくてつらい暮らしだろうと「いつか子供たちから必ず愛してもらえるから、そのために貯金をしているのも同じ道理」というのも世の中の子供を持とうとする全ての夫婦二人の真理じゃないのか、と感じた。そして「純情で羞恥心の強い人間が他者に内心に踏み込んでこられた時、誇りの気持ちから自身の本心をさらけ出すのを恐れる余り嘲笑して虚勢を張る」というリーザの態度にもとても共感の気持ちを覚えます・・・。似たような失敗で相手を傷つけたことが何度あったかorz
で、そんな彼女の意を汲み取ることなく激昂した「ぼく」がリーザに「おまえが借金のカタに肉体と一緒に売ったものは魂だ。愛こそすべてじゃないのか、乙女の宝、ダイアモンド、それをおまえは差し出したんだ!」って罵るくだりも双方共に痛々しくて(つД`) 彼の罵りはますます止まらずに苛烈さを増していき、「これ以上につらい労役のような仕事はない、涙を流しつくして心は干上がってしまう」という言葉には、やはり彼に残る人間性というか他者への愛情が失われていないこともまた感じられる。でも、最後にリーザを絶望の淵へと追いやる部分「その死に際して涙にも供養にも縁がなく、この世で誰ひとり墓を訪れる者もない、元々この世界にいなかったみたいに」ってところは正直心底そうなりたいんですかどうすれば?としか・・・(病んでてすみま(以下略))更に絶望した彼女に「その魂をひっくり返し打ち砕いてしまった確信を得れば得るほど、その目的を少しでも早く、また力強く達成したくなった。演技がぼくを夢中にさせた、もっとも演技だけではなかったが・・・」って独白が!もーこのヒネクレ卑劣漢!o(´皿`;)ギギギ 彼が初めて目の当りにしたという深い絶望の光景、「家の誰にも、ただ一人にも自分の苦しみと涙を知られたくなかった」というのは大変よく分かる心情。イヤもう隠しきれなくなって大分経つけど、家族は本気でその原因が分からなくて戸惑い苛立っているともさ!(^^)b 未だに自分でもよく分かんないもんね、このどうしようもない絶望というかホントどうして生まれてきちゃっ(以下略)という感情の根源・なぜ生きるというかポジティヴな意欲が全く湧かないのか、という理由が。
リーザが売られる前の最後の青春の思い出、「ちゃんとした」学生から受け取った愛の告白の手紙を後生大事に持っていて、帰る間際の主人公に見せる有様ったら(´;ω;` )ブワッ 目に浮かぶようだよ、彼女の生き生きとした瞳の輝きや表情が。

下男のアポロンは主人公の写し鏡のような存在ですね。「ぼく」自身がそう考えているから、彼の姿や態度がそのように見える。「内部の心と良心の奥深いところに何か死にきれずに残っているもの」その感覚が主人公に「リーザへ語ったことは真心だった」と、「感情は本物だった」と言い聞かせる動機を持たせる。そのくせ臆病で彼女に本心の片鱗を見せてしまったことや、彼女が訪ねてくるかもしれないという行為への期待と怯え、またその存在自体への恐怖と嫌悪の感情をも抱かせる。そしていつものように自身を納得させ心の均衡を保つために(笑)「人間の魂なんて苦もなくこっちの思い通りに向け変えられる。・・・おれは言ってみればリーザを救っているわけで、彼女を教育し、知能をのばしてやる」なんて強がりを心の中で吐いたりして(^^; ホントこいつの自意識・自尊心は私とは違った方向で救いようがないな!と改めて思うわー。
あーしかしアポロンの聖/書詩篇朗読が耐えられない気持ちはよっく分かるよ!(´Д`;) でも何か存在自体が家と融合しちゃって追い出せない感覚とかも。・・・ウチの場合はソレやってたのが身内なわけだし。今でもそっちこっちに貼ってある「御言葉」だの何だの剥がせてないですよ、目につく度どんなにイライラ来てもね。「ぼくの住居は、いわば城であり殻でありぼく自身のケースであり、その中に全人類を逃れて閉じこもっていた」ってやっぱりまさに私か!σ(^∀^)ヒャッハー

そしてとうとうリーザが(最悪の場面で)現れた時、彼女に対して思いっきり八つ当たりのような本音をぶつける場面も切ねぇ!(;_;) 「(スヴェルコフたちとの宴会で)自分が踏みつけにされたから、今度は他人を踏みつけにしてやりたかった」に始まり、「本心ではきみの破滅を望んでいた」だの「世界なんか破滅したって、ぼくが茶を飲めれば良い」と悪ぶった上での、「ぼくにはわかっていたんだ、ぼくがならず者で、卑劣漢で、利己主義者のなまけ者だってことが。・・・ぼくがいちばん醜悪で滑稽でつまらなくて愚劣な、この世の中のどんな虫けらよりもいちばん嫉妬深い虫けらだってことがいけない」と涙をこぼしながら打ち明けるくだり。そしてそんな彼の不幸を理解してしまったリーザに対して芽生えた愛情と憎悪。「彼女が注意を向けたのは、ぼく自身、この一切を口にすることがさぞかし辛かっただろう、ということだった」私コレ元日に例のブッダ嬢に言われたばっかですがなー/(^O^)\ ドギツい上に周囲も巻き込む最低の自己セラピーだよ、正直言って。ブログに吐き出すのはその予行練習です、ぶっちゃけ(ホント繰り返しすみませんm(__)m)「ぼくはならしてもらえないんだよ・・・なれないんだよ、善良な人間には!」ってセリフにもう大号泣。・゜・(ノД`)・゜・。方向性は真逆でもその一点の、最も深い苦しみだけは全く同じだ、主人公と私は、と感じざるを得なかった。

最後の章、「ぼくは人を好きになることももうできなくなった男なのだ」「ぼくは安らぎがほしかった。地下室に一人きりになりたかったのだ」という箇所にも大いに共感を覚えましたが、「女性にとっては愛のうちにこそ一切の復活が、あらゆる破滅からの救いと新生が秘められている」という部分は否定したいというか、男女で括んないでくれる?と思った。何、女は子供生めるからか?当時の時代やロ○アの民族・社会的価値観を免れない考え方だからしょうがないって? まぁ私SEXとして無性を志向する人間だし、確かに子ども生んだ友達の様子を見ていると、特に男性視点ではそう感じちゃうのも無理はないかな、って分からなくはないけど(´-`) リーザが去る場面での紙幣のやりとりで「ぼくはあまりにもエゴイストで、現実に人間を尊敬するということがまるでなかった」と主人公が認めたのは良いことなんじゃないか、と思いました。彼女を通して、そして彼女への本心の吐露によって「自分の真の価値を思い知らされ」、家に帰った後で「空想にふけることで、生きた心の痛みを忘れようとした」彼は初めてやっと正確な自己認識、それがどんなに惨めで哀れで情けないものであったとしても、しっかりとした自分自身の形を掴むことができたんですね。

そして最後の書物への思い、この部分に私は一番、心底感動した。「ぼくらから書物を取り上げて裸にしてみたら、ぼくらはすぐさま途方に暮れ、指針を失ってしまうだろう。何を愛し、憎み、尊敬し、軽蔑すべきかもわからなくなってしまうのではないか? ぼくらは人間であることをわずらわしく思っている。本物の、固有の肉体を持った人間であることをさえ。それを恥辱だと考えて、これまで存在したことのない人間一般とやらになり変わろうとねらっている。ぼくらはとうの昔に生きた父親から生まれることをやめてしまった死産児で、それがいよいよ気に入ってきている始末」という表現。19世紀のロ○アという国が置かれていた状況、ヨーロッパから流れ込んでくる新しい科学と思想の潮流、その全てへの危惧と、結果的に彼の祖国が辿ることになった未来すら予測するような文章じゃないですか?(((゜Д゜;)))gkbr 脳、つまり知性が発達した人間では絶対に起こり得ない一般化、それを押し付けようとする思想や体制は間違っていると、ドストエフスキーはこの作品を通して懸命に主張し通したんじゃないか、と。別個の体と「心」を持って生まれてくる人間には土台不可能なんですよ。あり得ない「国=民族」という発想やらも同様にな!「人間」を生むのはどうやったって、あくまで固有の生きた人間だし(つーか人間である以上そうであるべきだろ。工場のように生んですぐ「党」にでも預けろってか?『1984』の理想みたいに?)、民族を育むのは国家や体制なんかじゃなくて風土やそこに根付く文化だ。
あと彼は同じ文章によって人間を導くのは神ではない、ということを暗に認めているんじゃないか、と思えた。カラマーゾフのイワンの原形を見たというか。倫理の規範は宗教によって定められるのではなく、人間の知恵の集積である書物によって表される。だから大多数の宗教が何らかの「教典」を持ち、それに基づいて説法や宣教が行われる。やっぱり神を生み出したのは人の側だな、と。狐狸庵先生は作中の葛藤を経つつも最後はムリにでも神の存在の肯定に持っていく方向だけど、ドストエフスキーの物語は幾度も神という言葉を登場させ、それに囚われていることを強烈に感じさせつつも最後には否定する、という真逆の方向性に向かう。非キ○スト教社会に生き、自らの属する社会における価値観と信仰の矛盾に苦しんだクリ○チャンと、キリ○ト教社会(ロシ○正教は少し独特だけど)に在って、信仰の虚しさのようなものに目覚めざるを得なかったという立場の違いのせいだろうか? 何か改めて、あの大地で起こった悲劇やそこに生きてきた人々のこと、しち面倒くさいけど同時に魅了させられる人間というものについて考えさせられる作品でした(-m-)



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