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個人的にイギリ○という国に抱いてきた憧れと猜疑と軽蔑と恐れ、彼の国が今に到るまで抱えて来たのであろう病巣を余すことなく抉り出すように描いている話なんだ、とやっと気づいた。コレは先祖代々のブリ○ン島の住人という人間にはもちろんのこと、その血を引くUターンした元入植者の子孫にも、もちろん彼らに虐げられた祖先を持つ旧植民地ルーツの移民にも書けない話なんじゃなかろうか。東西において極めて近い立ち位置と歴史的背景、けれど人種や文化の差異から互いに相手を見下し合いつつ、利害から同盟を組んで協力したこともあれば、結果的に帝国の終焉をもたらす破滅的な反目に到った、という何ともまとめづらい(そして現代においてはどっちの国民も大体がその件について忘れてるというか、特に思い入れも感じていないだろう。笑)関係性にあるウチ出身のカズオ氏だから、ここまでえげつなく階級社会の残酷さ、無意識の差別、民主主義を誇りながら支配する国々の主権にまで考えが及ばない「一般大衆」の矛盾した価値観などの複雑な事情を作中で率直に表現しちゃえたんじゃないか?
正直ますます近代日.本のお手本はイギリ○だったことが見えてくる気がして、胸がモヤモヤしちゃうトコも(´・ω・`) 英/国貴族が特にW W 1~W W 2初期にかけて議会制に否定的で、時にナ.チを中心としたファ○ズムを称賛・共感しがちだった、というのは知っていましたが。(『王冠をかけた恋』のエド○ード8世や、ウチの勲章を墓場まで持ってったというセ○ピル卿とか・・・金や女も相当貢いでたんでしょうけど(^^;)一夜の宿を求めた農村でスティーブンスが出会った農夫スミスの主張が、何より正しい民主主義の理想なのでは?未だにお貴族党と労働者党が対立する英.国議会政治では時にソレが上手く機能しないというか、民意の統一を逆に図りにくくしてしまっていて、誰がどう見てもアホやろ、としか思えないBr exit議論にもかたくなに拍車をかけてしまっているのかな?日/本にはここまでハッキリした境界線は無いように見える。近代化の流れの中で欧州の真似して「華族」システムを作ったり二院制にしてみたりはしたけれど、「こっちが坊ちゃん政党」「あっちが庶民政党ね」って感じには今に到るまで一度もならなかったよな(´-`) 藩閥対立→文官VS軍部→今は何だろ・・・?アメポチVSパンダハガー(キムチイーターでも可。笑)とかか?ぶっちゃけエリートと底辺がごちゃ混ぜなんだよね、不思議なことに。私、地元の農協が「T○P反対!」の垂れ幕掲げつつ「投票はJ民かM主で」って言ってんの聞いた時ハァ?(゜Д゜)となりましたもん。どっちも「TP○推進しまーす」と公約出してる政党やで!反対ならS民かK産に入れなアカンはずや!と(爆笑)
その点を考えるとスティ―ブンスの「庶民に政治や国の一大事なんか理解できないんだから、初めから意見を持たずに自分の領分にだけ専念すべきであって、自分が忠誠を捧げるに足る主人に対して仕えることこそが権利の行使に勝る義務であり、人間としての尊厳(スミスの語るところのソレがスティーブンスにとっての“品格”であろう、と個人的には受け止められたので置き換えさせていただきますm(__)m)を保つための手段」という意見にもある程度の納得・同意はせざるを得ないのかな、ってちょっと虚しい気持ちになってしまう(・・;) あと農家の奥さんの語る「ちっぽけな国々に独立を認めるなんて間違い」とかさー。自分たちが民主主義の恩恵を受けておきながら、彼らには国の主権すら認められないって?ならせめてイギ○スの選挙に同様の条件で参加させてやれっての。彼らの国からも議員を出させろ!と現代日.本人の感覚ではツッコんでしまうわ。それでいてヒ○ラーを否定的に語るってんだから(以下略)おたくの偉いさん方は随分独裁制のスピードに憧れ傾倒しておられたようですけど?^^
二日目午後のスティ―ブンスの過去の回想で「偉大さと品格」についての理想について、だからヨーロッパは駄目になったんだよ!(;´Д`)って前回に続くツッコミどころがチラホラ。世界の全ての問題を彼らだけで解決できる時代は終わったのに、そのことに気づいてなかったんや、と。ヨーロッパの中の、それも上流階級に属する人間のほんの私的な密室会合で全てが決められると思っていて、使用人たちもそう信じて影響力を持つ相手に仕えようと願った、と。世界は車輪、ヨーロッパ(の貴族)という「中心」で下された決定が順次外側へ放射され、周辺で回転している全てに行き渡るんですってー!ヒャーッハッハハ!(^∀^)σ W W 1で散々な目に遭ってアメ○カに助けられ借金背負った身でまだこんな考え方してるとか、そりゃウチに一発かまされたり米・露にオイシイとこ全部持ってかれるのも道理っすわ。何て理想主義的机上の空論トリクルダウン(笑)梯子とどう違うのかぶっちゃけよく分らないでござる(ノ∀`)・・・まぁ日/本の武士の「この家に生まれたからにはこの主君に滅私奉公しなければならぬ」より主人を選ぶ自由がある、という点でまだマシなのかもしれませんが、それ故にこそ盲目的な忠誠心は武士の方が根深い部分もあったかもねぇ。
しかしダーリントン卿、一回今のネト○ヨ状態に陥ったこともあったんか。でも何か正直、イギ○スのフィクションはユダ○テーマに触れずにはいられない、みたいなところが病的じゃないかと感じる時あるよ色んな意味で(-_-;) ブーリン家の姉妹シリーズもそうだったし。ホ○コーストによって完全被害者認定されるまで、ぶっちゃけ欧州全体に広く蔓延してた思想やろユダ○蔑視・・・ロ.マについても同じことで、それこそ今の難民と同じ感覚だったんだろう、始まりは。カツカツで暮らしている農民たちが、自分たちの土地に税金も払わず勝手に居付く流れ者に反感を覚えるのは当然のこと。それに加えて、今の「シャ○ーア法を憲法に!」って過激派移民じゃないけど、シオ○ズム的選民思想を披露されたりするとブチ切れたくなる気持ちも解るというか。もちろんキ○スト教を民衆統治の道具としていた為政者・既得権益層の教会側が、彼らを格好の不満逸らしの餌食にしたり、税金を払わなかったり教会への畏敬を示さない彼らの存在に脅威を感じて弾圧したり、という手段に打って出た理屈も、不条理で非道だと思うけど理解はできる。
あーしかしラジオ聴いて冗談の練習するスティ―ブンス(笑)エレガントな会話の勉強におセンチな恋愛小説を読み、時々内容も楽しんじゃう執事様(ノ∀`) しかも好意を持っていたミス・ケントンと気まずくなったのもその現場を押さえられたことが理由だってー!?何やってんすか(笑)銀磨きの重要性は彼の披露してくれたエピソードで大いに理解できたけど、上の二つは・・・。三日目朝のスティ―ブンスの気にしている最近の些細な過ちとやらの数々はかなりどうでも良いことで(多分主人ファラディさんにとってもそう^^)ミス・ケントンがダーリントンに戻りたがってると手紙のどこにも書いてないとか今更気づく辺りどんだけ早合点なの、と重っ苦しい話題と主人公の堅物さ、頑固すぎるほどの「執事としての誇りと品格」への長ったらしい語りを経てもなお、どこか物語のテンポを良くするというかクスッと笑いを誘うユーモアがあって楽しい♪
三日目夜の回想、ネト○ヨ洗脳を受けたダーリントン卿がユダ○人女中の解雇を決めるくだり、ミス・ケントンの人間性が表れてて好感持てたな。自分もおかしいと感じていることをおくびにも出さずに、ただ「旦那様のご命令に従う」という使命を全うすべく決定を伝えるスティ―ブンスに、己の意見を押し隠すことなく真っ向から反論するミス・ケントン。「二人を解雇するなら自分も辞める」とまで彼女に言わせた強い決意に漢気()を見たわ(゜m゜;)パチパチ こんな上司の下で働けたら幸せだろ。やっと洗脳が解けた主人に「あれは過ちだった」と告げられ、そのことを教えに行ったスティ―ブンスの前でミス・ケントンが見せた意外な反応。「本気だったのに、自尊心のかけらもない臆病者だったから辞表届を出せなかった」と。「自分の主義主張なんてその程度のもので、自分のことが恥ずかしくてたまらない」と語る彼女にますます人間味と親しみを覚えちゃうな(つД`)ワーン でもって同時に彼女は初めて何かと対立しがちだったスティ―ブンスが、この件で自分に負けず劣らず胸を痛めていたことを知る、と。「苦しみを分かち合いたかった」と吐き出すミス・ケントンの言葉に、ここでようやく二人の関係というか相互理解が一歩進んだのかな、という印象的な場面ですね。
その後の新女中ライザのエピソードでは、二人のやりとりが良い歳した大人二人のものとは思えないくらいかわええ(*´∀`) ココア会議での軽口とかライザの成長ぶりにドヤ顔するミス・ケントンとか。結局下僕と駆け落ちしちゃったライザの残した手紙が字や文法の間違いだらけ、という箇所に20世紀初頭の識字率分布を見て「オイオイ大.英.帝.国様まじか・・・?(´Д`;)」と感じたことを思い出した(笑)ホント、庶民に学はいらない、って考え方だったんですねー。本国の「非上流階級(あるいは女性)」に対してもそうなら、植民地の現住民に対して教育なんてもんが与えられなかったのは当然のことで、ウン、今のアフ○カや中東の悲劇もここから始まって(以下略)とか考えざるを得ないよね正直!彼女の出奔について「いずれ捨てられるに決まっているのに、何て愚かなことを……」と何度も繰り返しているミス・ケントンに漂う不吉な予感>< 過去に何かあったの?
いやーしかし食器室でのやりとりはいくらタイミングが悪かったとはいえ完全な失点ですわスティ―ブンスさん!メッ!(・×・)σ しかもミス・ケントンが結婚によってダーリントンを去るかもしれないことを「お屋敷にとっての損失」だなんて・・・自分の気持ちごまかしよってからに(^ω^#) そうやって私情を全部切り捨てるのが最高の執事の任務だっつーなら、オマエの父ちゃんはどうやってオマエという息子をこさえたんだよ!?とツッコみたくなってくるないい加減。ココア会議の一場面でミス・ケントンが言う「あなたはご自分に満足しきっておられるのでしょうね。・・・執事の頂点を極め、ご自分の領域に関する事柄にはすべて目を届かせておられるし……。あと、この世で何をお望みかしら。私には想像がつきませんわ」このセリフに彼女の精いっぱいのスティ―ブンスへの想いが込められているように感じた(´;ω;`)切ねぇ!そんな彼女の気持ちに気づかず、ひたすら「私の務めはダーリントン卿に尽くすことだけ」と答えてしまったスティ―ブンス、個人的にはここが決定的な転換点、過ちだったと思います。彼が卿より優先するものは何もない、主が死ぬまで永遠に彼の心のどこにも自分の居場所を見出すことは無いのだ、とミス・ケントンが判断せざるを得なかった瞬間。恋愛に到る前に失恋するとか可哀想すぎる(涙)
それからミス・ケントンの叔母の死の場面でもスティ―ブンスの不器用さが極まり過ぎていっそ酷い。仕事仲間としてすら彼を満足させられなくなった、と思ったら嫌でも離れざるを得ないわ。一度でも好意を抱き、相手の心の内側にも少しは入り込めたように感じた経験があればなおさら、傍にいるのは辛すぎる。後悔すんにも遅すぎんだよ、このニブチン野郎が!。・゜・(ノД`)・゜・。無限の時間も無限の機会も存在しない事実に振り返って初めて気づく、ってのはお馬鹿な人間全てが一度は経験したことのある気持ちだろうけどな。「一見つまらないあれこれの出来事のために、夢全体が永遠に取返しのつかないものになってしまうなどと、当時、私は何によって知ることができたでしょうか。」私は一応女性だからミス・ケントン寄りでひっでぇなコイツ、と思いながら読んでいたけれど、二十年も彼をそのことで思い悩ませることができたとしたら、例え無理に不本意な選択をしたのであろう彼女としても少しは本望が果たせたと言えるんじゃないかなー、と感じたりもした(^^; 女性の怖さというヤツですかね?
でもって主人公の身分を誤解した農夫たちとの語らいで、「そもそもこんな村に旦那のような偉い方が来てくれることはほとんど無い」と言っている時点で矛盾感じないのか、と思うんだけど「ヒッ○ラーが勝ってたら今頃みんな品格も尊厳も無い奴隷で、自由な市民でいる権利を失っていた」と熱弁する農夫スミス。戦争で多くの若者を犠牲にされながら偉いさんの訪問も無い、見捨てられた奴隷と同じような立場なんじゃないのか、イギ○ス国内における彼らの立場は? 現にスティ―ブンスにさえ見下されてるじゃん、見識のない彼らが意見を持つ必要はない、って。「農夫はいくら努力しても品格も尊厳も身に付けられない」って。自由な権利を持つ民主主義の国民であることだけを拠り所に、戦争の悲しみを、怒りを、また不便な生活への鬱憤を懸命に晴らそうとしているのであろう彼の意見を、スティ―ブンスは心中で何て残酷に切り捨てることか!「死んだ若者たちのためにも権利を行使する義務を思い起こさせる役割を必死に担いたい」と語るスミスの言葉に私は正直胸打たれたよ(´;ω;`) ぜひこの低投票率を誇る我が国の若者たちに聞かせてやってくださいな!・・・って確かに入れたい政党が無いのも限りない事実ではあるんだけどネ☆あっ、今日やっと野合政党の名前決まったらしいけど、今度は台.湾のパクりだって?寄るとこ正反対な癖に、よく恥も外聞もなく^^# M主政権時代にどんだけ失礼な仕打ちしたのか一部の人間は忘れてないと思うからな? あっちの人気の勢いに乗じようとすんなよ?
ダーリントン卿の議会政治の否定とファシズ○上げは最初にも書いたけど何か悲しくなっちゃったな。他の貴族たちの使用人・非上流階級への差別的な認識含め。最も古い議会政治の国じゃないですか。それを「我が国は一番遅れている」だって?そう考えること自体が一周回って遅れてんだよ貴族どもめ!(^ω^#) あー、向うのプロレタリア階級への同情が増すばかり、その内Br exit支持派に回りそうな勢い(笑)「苦しんでいる労働者を救うためには独裁的な手法やアカやルーズベ○トの政策が有効」だって? ど こ が!?結果ド○ツとイタ○アはどうなりました?K産圏の庶民の人権もクソも無い悲惨さたるや(以下略)ついでにニューディー○にも触れとくと、ウチ初め各国で今まさにそんな感じのバラマキしまくりですけど、儲かってるのは一部の大企業だけっすよねぇ・・・(´-`) どう見たって庶民を救うよりもただ資本家を更に肥えさせるためだけの政策やで!消費増税とのコンボでなおのことな!しかしそんな主の意見に何も異論を感じず、求められた仕事だけをトコトン全うする忠誠心って怖い。あ、日/本人のソレなんかまさに最たるもので、戦時中に国が丸ごと狂気そのものに転じたのもこの状態に集団心理が合わさってしまった結果だと思うんですけど、日系人のカズオ氏がこのくだり書くと余計にゾッとしたんじゃねーのイギ○ス人の読者さんたち(・ω・;) それとも逆に「説得力あるわぁ((-_-)ウンウン」と頷きながら受け止められたのかな?
あとさ、ファラディ氏がスティ―ブンスの嘘を咎めたくだりで「イギリ○の本物」を欲しがるアメ○カ人の心理というか、執事も家や家具と同じ装飾品の一部だったんだな、って考えると余計モノ扱いしかされていない自分の人間としての存在意義がどこにあるのか、彼は虚しくはならないのかな? そう自覚するのが怖いから、主が変わっても屋敷というものに、思い出にしがみついて必死に過去を振り返り、「執事という職に求められる品格と偉大さ」について考え続けることでソレを振り払おうとしているのかな、と戦後価値観から社会形態から何もかもが変わらざるを得なかったイギ○スで主を失い、老境に差しかかった主人公の寄る辺なき気持ちの凄まじさのようなものを感じて切なくなったりもした(´・ω・`)
ブリ○ン島内、アイ○ランド、植民地、大陸ヨーロッパ、そしてアメ○カと、何層にも重なったイギリ○人の奇妙な階級意識とプライドが織りなす複雑な社会。その中に生きる人々の彼らなりの葛藤と、本人たちですら気づかない歪み。個人的にイギリ○という国に抱く複雑な感情と、どうしても消せない「下種の極み」という認識。実際に暮らしていたり縁がある人たちから聞いた話、親しんできたフィクションや音楽。どうしても日.本と似ているんですよね。あえて見習ったところもあればそうせざるを得なかったところも、島国ゆえに生じたのであろう共通点も。だからあの国に対しては色々な見方から、様々な思いや考えを揺さぶられる。とりあえず知っておけば大体のメディアは覗ける、というInternational Language・英語の原点の国なわけだし。
いつも英.国の歴史が絡むネタを見る時は「絶対に同情しない」と思って見たり読んだりするんだけど(どんだけヒネくれてんの。笑)、最後には「そっか・・・そりゃ仕方ないわ(´-`)」ってなる現象がここでもまた発症している\(^O^)/だって島国だもん。外の人への差別というか警戒意識が完全に無いとは言いきれないもん。封建制の歴史見る度に、「生き方選ばなくて良いとか何てラクそうな社会!」と思ったりする現代競争社会に疲れ切ったヒキだもの。いや領主の運に左右されたり、生活が必ずしも今のように最低限の保証を得られなかった厳しさは知ってるけどさ。重要なのは米・中なんだけど、イギ○スは何だかんだ言って歴オタ的に外せない国の中で一番どう捉えて良いか分からない存在。だから日系イギリ○人作家の描くテンプレートかつ生々しい英/国描写に正直戸惑いまくっている、というところがとりあえずラスト目前の正直な感想まとめですm(__)m
正直ますます近代日.本のお手本はイギリ○だったことが見えてくる気がして、胸がモヤモヤしちゃうトコも(´・ω・`) 英/国貴族が特にW W 1~W W 2初期にかけて議会制に否定的で、時にナ.チを中心としたファ○ズムを称賛・共感しがちだった、というのは知っていましたが。(『王冠をかけた恋』のエド○ード8世や、ウチの勲章を墓場まで持ってったというセ○ピル卿とか・・・金や女も相当貢いでたんでしょうけど(^^;)一夜の宿を求めた農村でスティーブンスが出会った農夫スミスの主張が、何より正しい民主主義の理想なのでは?未だにお貴族党と労働者党が対立する英.国議会政治では時にソレが上手く機能しないというか、民意の統一を逆に図りにくくしてしまっていて、誰がどう見てもアホやろ、としか思えないBr exit議論にもかたくなに拍車をかけてしまっているのかな?日/本にはここまでハッキリした境界線は無いように見える。近代化の流れの中で欧州の真似して「華族」システムを作ったり二院制にしてみたりはしたけれど、「こっちが坊ちゃん政党」「あっちが庶民政党ね」って感じには今に到るまで一度もならなかったよな(´-`) 藩閥対立→文官VS軍部→今は何だろ・・・?アメポチVSパンダハガー(キムチイーターでも可。笑)とかか?ぶっちゃけエリートと底辺がごちゃ混ぜなんだよね、不思議なことに。私、地元の農協が「T○P反対!」の垂れ幕掲げつつ「投票はJ民かM主で」って言ってんの聞いた時ハァ?(゜Д゜)となりましたもん。どっちも「TP○推進しまーす」と公約出してる政党やで!反対ならS民かK産に入れなアカンはずや!と(爆笑)
その点を考えるとスティ―ブンスの「庶民に政治や国の一大事なんか理解できないんだから、初めから意見を持たずに自分の領分にだけ専念すべきであって、自分が忠誠を捧げるに足る主人に対して仕えることこそが権利の行使に勝る義務であり、人間としての尊厳(スミスの語るところのソレがスティーブンスにとっての“品格”であろう、と個人的には受け止められたので置き換えさせていただきますm(__)m)を保つための手段」という意見にもある程度の納得・同意はせざるを得ないのかな、ってちょっと虚しい気持ちになってしまう(・・;) あと農家の奥さんの語る「ちっぽけな国々に独立を認めるなんて間違い」とかさー。自分たちが民主主義の恩恵を受けておきながら、彼らには国の主権すら認められないって?ならせめてイギ○スの選挙に同様の条件で参加させてやれっての。彼らの国からも議員を出させろ!と現代日.本人の感覚ではツッコんでしまうわ。それでいてヒ○ラーを否定的に語るってんだから(以下略)おたくの偉いさん方は随分独裁制のスピードに憧れ傾倒しておられたようですけど?^^
二日目午後のスティ―ブンスの過去の回想で「偉大さと品格」についての理想について、だからヨーロッパは駄目になったんだよ!(;´Д`)って前回に続くツッコミどころがチラホラ。世界の全ての問題を彼らだけで解決できる時代は終わったのに、そのことに気づいてなかったんや、と。ヨーロッパの中の、それも上流階級に属する人間のほんの私的な密室会合で全てが決められると思っていて、使用人たちもそう信じて影響力を持つ相手に仕えようと願った、と。世界は車輪、ヨーロッパ(の貴族)という「中心」で下された決定が順次外側へ放射され、周辺で回転している全てに行き渡るんですってー!ヒャーッハッハハ!(^∀^)σ W W 1で散々な目に遭ってアメ○カに助けられ借金背負った身でまだこんな考え方してるとか、そりゃウチに一発かまされたり米・露にオイシイとこ全部持ってかれるのも道理っすわ。何て理想主義的机上の空論トリクルダウン(笑)梯子とどう違うのかぶっちゃけよく分らないでござる(ノ∀`)・・・まぁ日/本の武士の「この家に生まれたからにはこの主君に滅私奉公しなければならぬ」より主人を選ぶ自由がある、という点でまだマシなのかもしれませんが、それ故にこそ盲目的な忠誠心は武士の方が根深い部分もあったかもねぇ。
しかしダーリントン卿、一回今のネト○ヨ状態に陥ったこともあったんか。でも何か正直、イギ○スのフィクションはユダ○テーマに触れずにはいられない、みたいなところが病的じゃないかと感じる時あるよ色んな意味で(-_-;) ブーリン家の姉妹シリーズもそうだったし。ホ○コーストによって完全被害者認定されるまで、ぶっちゃけ欧州全体に広く蔓延してた思想やろユダ○蔑視・・・ロ.マについても同じことで、それこそ今の難民と同じ感覚だったんだろう、始まりは。カツカツで暮らしている農民たちが、自分たちの土地に税金も払わず勝手に居付く流れ者に反感を覚えるのは当然のこと。それに加えて、今の「シャ○ーア法を憲法に!」って過激派移民じゃないけど、シオ○ズム的選民思想を披露されたりするとブチ切れたくなる気持ちも解るというか。もちろんキ○スト教を民衆統治の道具としていた為政者・既得権益層の教会側が、彼らを格好の不満逸らしの餌食にしたり、税金を払わなかったり教会への畏敬を示さない彼らの存在に脅威を感じて弾圧したり、という手段に打って出た理屈も、不条理で非道だと思うけど理解はできる。
あーしかしラジオ聴いて冗談の練習するスティ―ブンス(笑)エレガントな会話の勉強におセンチな恋愛小説を読み、時々内容も楽しんじゃう執事様(ノ∀`) しかも好意を持っていたミス・ケントンと気まずくなったのもその現場を押さえられたことが理由だってー!?何やってんすか(笑)銀磨きの重要性は彼の披露してくれたエピソードで大いに理解できたけど、上の二つは・・・。三日目朝のスティ―ブンスの気にしている最近の些細な過ちとやらの数々はかなりどうでも良いことで(多分主人ファラディさんにとってもそう^^)ミス・ケントンがダーリントンに戻りたがってると手紙のどこにも書いてないとか今更気づく辺りどんだけ早合点なの、と重っ苦しい話題と主人公の堅物さ、頑固すぎるほどの「執事としての誇りと品格」への長ったらしい語りを経てもなお、どこか物語のテンポを良くするというかクスッと笑いを誘うユーモアがあって楽しい♪
三日目夜の回想、ネト○ヨ洗脳を受けたダーリントン卿がユダ○人女中の解雇を決めるくだり、ミス・ケントンの人間性が表れてて好感持てたな。自分もおかしいと感じていることをおくびにも出さずに、ただ「旦那様のご命令に従う」という使命を全うすべく決定を伝えるスティ―ブンスに、己の意見を押し隠すことなく真っ向から反論するミス・ケントン。「二人を解雇するなら自分も辞める」とまで彼女に言わせた強い決意に漢気()を見たわ(゜m゜;)パチパチ こんな上司の下で働けたら幸せだろ。やっと洗脳が解けた主人に「あれは過ちだった」と告げられ、そのことを教えに行ったスティ―ブンスの前でミス・ケントンが見せた意外な反応。「本気だったのに、自尊心のかけらもない臆病者だったから辞表届を出せなかった」と。「自分の主義主張なんてその程度のもので、自分のことが恥ずかしくてたまらない」と語る彼女にますます人間味と親しみを覚えちゃうな(つД`)ワーン でもって同時に彼女は初めて何かと対立しがちだったスティ―ブンスが、この件で自分に負けず劣らず胸を痛めていたことを知る、と。「苦しみを分かち合いたかった」と吐き出すミス・ケントンの言葉に、ここでようやく二人の関係というか相互理解が一歩進んだのかな、という印象的な場面ですね。
その後の新女中ライザのエピソードでは、二人のやりとりが良い歳した大人二人のものとは思えないくらいかわええ(*´∀`) ココア会議での軽口とかライザの成長ぶりにドヤ顔するミス・ケントンとか。結局下僕と駆け落ちしちゃったライザの残した手紙が字や文法の間違いだらけ、という箇所に20世紀初頭の識字率分布を見て「オイオイ大.英.帝.国様まじか・・・?(´Д`;)」と感じたことを思い出した(笑)ホント、庶民に学はいらない、って考え方だったんですねー。本国の「非上流階級(あるいは女性)」に対してもそうなら、植民地の現住民に対して教育なんてもんが与えられなかったのは当然のことで、ウン、今のアフ○カや中東の悲劇もここから始まって(以下略)とか考えざるを得ないよね正直!彼女の出奔について「いずれ捨てられるに決まっているのに、何て愚かなことを……」と何度も繰り返しているミス・ケントンに漂う不吉な予感>< 過去に何かあったの?
いやーしかし食器室でのやりとりはいくらタイミングが悪かったとはいえ完全な失点ですわスティ―ブンスさん!メッ!(・×・)σ しかもミス・ケントンが結婚によってダーリントンを去るかもしれないことを「お屋敷にとっての損失」だなんて・・・自分の気持ちごまかしよってからに(^ω^#) そうやって私情を全部切り捨てるのが最高の執事の任務だっつーなら、オマエの父ちゃんはどうやってオマエという息子をこさえたんだよ!?とツッコみたくなってくるないい加減。ココア会議の一場面でミス・ケントンが言う「あなたはご自分に満足しきっておられるのでしょうね。・・・執事の頂点を極め、ご自分の領域に関する事柄にはすべて目を届かせておられるし……。あと、この世で何をお望みかしら。私には想像がつきませんわ」このセリフに彼女の精いっぱいのスティ―ブンスへの想いが込められているように感じた(´;ω;`)切ねぇ!そんな彼女の気持ちに気づかず、ひたすら「私の務めはダーリントン卿に尽くすことだけ」と答えてしまったスティ―ブンス、個人的にはここが決定的な転換点、過ちだったと思います。彼が卿より優先するものは何もない、主が死ぬまで永遠に彼の心のどこにも自分の居場所を見出すことは無いのだ、とミス・ケントンが判断せざるを得なかった瞬間。恋愛に到る前に失恋するとか可哀想すぎる(涙)
それからミス・ケントンの叔母の死の場面でもスティ―ブンスの不器用さが極まり過ぎていっそ酷い。仕事仲間としてすら彼を満足させられなくなった、と思ったら嫌でも離れざるを得ないわ。一度でも好意を抱き、相手の心の内側にも少しは入り込めたように感じた経験があればなおさら、傍にいるのは辛すぎる。後悔すんにも遅すぎんだよ、このニブチン野郎が!。・゜・(ノД`)・゜・。無限の時間も無限の機会も存在しない事実に振り返って初めて気づく、ってのはお馬鹿な人間全てが一度は経験したことのある気持ちだろうけどな。「一見つまらないあれこれの出来事のために、夢全体が永遠に取返しのつかないものになってしまうなどと、当時、私は何によって知ることができたでしょうか。」私は一応女性だからミス・ケントン寄りでひっでぇなコイツ、と思いながら読んでいたけれど、二十年も彼をそのことで思い悩ませることができたとしたら、例え無理に不本意な選択をしたのであろう彼女としても少しは本望が果たせたと言えるんじゃないかなー、と感じたりもした(^^; 女性の怖さというヤツですかね?
でもって主人公の身分を誤解した農夫たちとの語らいで、「そもそもこんな村に旦那のような偉い方が来てくれることはほとんど無い」と言っている時点で矛盾感じないのか、と思うんだけど「ヒッ○ラーが勝ってたら今頃みんな品格も尊厳も無い奴隷で、自由な市民でいる権利を失っていた」と熱弁する農夫スミス。戦争で多くの若者を犠牲にされながら偉いさんの訪問も無い、見捨てられた奴隷と同じような立場なんじゃないのか、イギ○ス国内における彼らの立場は? 現にスティ―ブンスにさえ見下されてるじゃん、見識のない彼らが意見を持つ必要はない、って。「農夫はいくら努力しても品格も尊厳も身に付けられない」って。自由な権利を持つ民主主義の国民であることだけを拠り所に、戦争の悲しみを、怒りを、また不便な生活への鬱憤を懸命に晴らそうとしているのであろう彼の意見を、スティ―ブンスは心中で何て残酷に切り捨てることか!「死んだ若者たちのためにも権利を行使する義務を思い起こさせる役割を必死に担いたい」と語るスミスの言葉に私は正直胸打たれたよ(´;ω;`) ぜひこの低投票率を誇る我が国の若者たちに聞かせてやってくださいな!・・・って確かに入れたい政党が無いのも限りない事実ではあるんだけどネ☆あっ、今日やっと野合政党の名前決まったらしいけど、今度は台.湾のパクりだって?寄るとこ正反対な癖に、よく恥も外聞もなく^^# M主政権時代にどんだけ失礼な仕打ちしたのか一部の人間は忘れてないと思うからな? あっちの人気の勢いに乗じようとすんなよ?
ダーリントン卿の議会政治の否定とファシズ○上げは最初にも書いたけど何か悲しくなっちゃったな。他の貴族たちの使用人・非上流階級への差別的な認識含め。最も古い議会政治の国じゃないですか。それを「我が国は一番遅れている」だって?そう考えること自体が一周回って遅れてんだよ貴族どもめ!(^ω^#) あー、向うのプロレタリア階級への同情が増すばかり、その内Br exit支持派に回りそうな勢い(笑)「苦しんでいる労働者を救うためには独裁的な手法やアカやルーズベ○トの政策が有効」だって? ど こ が!?結果ド○ツとイタ○アはどうなりました?K産圏の庶民の人権もクソも無い悲惨さたるや(以下略)ついでにニューディー○にも触れとくと、ウチ初め各国で今まさにそんな感じのバラマキしまくりですけど、儲かってるのは一部の大企業だけっすよねぇ・・・(´-`) どう見たって庶民を救うよりもただ資本家を更に肥えさせるためだけの政策やで!消費増税とのコンボでなおのことな!しかしそんな主の意見に何も異論を感じず、求められた仕事だけをトコトン全うする忠誠心って怖い。あ、日/本人のソレなんかまさに最たるもので、戦時中に国が丸ごと狂気そのものに転じたのもこの状態に集団心理が合わさってしまった結果だと思うんですけど、日系人のカズオ氏がこのくだり書くと余計にゾッとしたんじゃねーのイギ○ス人の読者さんたち(・ω・;) それとも逆に「説得力あるわぁ((-_-)ウンウン」と頷きながら受け止められたのかな?
あとさ、ファラディ氏がスティ―ブンスの嘘を咎めたくだりで「イギリ○の本物」を欲しがるアメ○カ人の心理というか、執事も家や家具と同じ装飾品の一部だったんだな、って考えると余計モノ扱いしかされていない自分の人間としての存在意義がどこにあるのか、彼は虚しくはならないのかな? そう自覚するのが怖いから、主が変わっても屋敷というものに、思い出にしがみついて必死に過去を振り返り、「執事という職に求められる品格と偉大さ」について考え続けることでソレを振り払おうとしているのかな、と戦後価値観から社会形態から何もかもが変わらざるを得なかったイギ○スで主を失い、老境に差しかかった主人公の寄る辺なき気持ちの凄まじさのようなものを感じて切なくなったりもした(´・ω・`)
ブリ○ン島内、アイ○ランド、植民地、大陸ヨーロッパ、そしてアメ○カと、何層にも重なったイギリ○人の奇妙な階級意識とプライドが織りなす複雑な社会。その中に生きる人々の彼らなりの葛藤と、本人たちですら気づかない歪み。個人的にイギリ○という国に抱く複雑な感情と、どうしても消せない「下種の極み」という認識。実際に暮らしていたり縁がある人たちから聞いた話、親しんできたフィクションや音楽。どうしても日.本と似ているんですよね。あえて見習ったところもあればそうせざるを得なかったところも、島国ゆえに生じたのであろう共通点も。だからあの国に対しては色々な見方から、様々な思いや考えを揺さぶられる。とりあえず知っておけば大体のメディアは覗ける、というInternational Language・英語の原点の国なわけだし。
いつも英.国の歴史が絡むネタを見る時は「絶対に同情しない」と思って見たり読んだりするんだけど(どんだけヒネくれてんの。笑)、最後には「そっか・・・そりゃ仕方ないわ(´-`)」ってなる現象がここでもまた発症している\(^O^)/だって島国だもん。外の人への差別というか警戒意識が完全に無いとは言いきれないもん。封建制の歴史見る度に、「生き方選ばなくて良いとか何てラクそうな社会!」と思ったりする現代競争社会に疲れ切ったヒキだもの。いや領主の運に左右されたり、生活が必ずしも今のように最低限の保証を得られなかった厳しさは知ってるけどさ。重要なのは米・中なんだけど、イギ○スは何だかんだ言って歴オタ的に外せない国の中で一番どう捉えて良いか分からない存在。だから日系イギリ○人作家の描くテンプレートかつ生々しい英/国描写に正直戸惑いまくっている、というところがとりあえずラスト目前の正直な感想まとめですm(__)m
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ガリバー旅行記も例の寄付された全集物件だったことに気づいてリスト追加(^ω^)シャキーン! できればその辺で見つけたいんだけど・・・。
以下、今日は二日目朝まで読了。(※外国の歴史・政治・時事ネタへの辛口含みますm(__)m)
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以下、今日は二日目朝まで読了。(※外国の歴史・政治・時事ネタへの辛口含みますm(__)m)
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イギリ○居住歴のある知りあいの方(京都に親族アリ)が「何て言うか・・・日.本で言ったら京都の人に気質が近い」と言っていた理由がとってもよく分かってくる^^ 色んな国転々とされてる方なんですけど、一番馴染みにくかったのはフ○ンスだったそうな。とにかく「チーナ!」と要するにアジア人差別がドギツかった、と。これはイタリ○に住んでた子も道端で囃し立てられたり吐き捨てるように言われることがあり、中/国人じゃないのにすごく嫌だった、と話してたし。(でも同時にその子は良い物件が軒並み華僑に買い取られて、道端は旅行者の集団で埋め尽くされている光景に現地の方が腹に据えかねる気持ちも解る、と言ってましたが・・・昔のウチらも他人のこと言えなかったんだろうけど、一方で子供の学費のために必死に牡蠣の殻向きとかしに来てる「実習生」のオバチャンたちの存在考えると、何とかしろよ中.国政府・・・つーかK産党の名が泣くぞ!(;´д`)とツッコまざるを得ない)今はアニオタ世代も育ってベト○ム系もある程度代重ねて評価得てるみたいだし、少しは事情変わってきてるのかもしれないですけど、人種的な差別って色々コンプレックスやプライドの高さの影響もあんのかな?(´・ω・`)
アメ○カでも「白人の二番手」を巡って有色人種同士が争ったり、「ニューカマーに既得権益を奪われることを怖れる代を重ねたヒスパニック」がト○ンプ支持に回ったりしてるって言うじゃないですか? アングロ・英語圏は何だかんだ自分たちの言語がInternational languageになって、連邦やアメリ○の求心力も大きく名実ともに世界のトップ的な立場にあるという余裕?があるというのと、カト○ック・バチ○ンとも早々に手を切った(笑)背景からまたちょっと事情が違うのかな、って。フラ○スやイ○リアは、かつて文化的影響力の拠点だったり、それこそ天下のローマ・バチカ○を擁したヨーロッパの中心地だったのに、いつの間にか端っこの島国として見下していたイギ○スが帝国として領土を広げて、その植民地までが最も成功した国としてスッカリ世界に勢力を伸ばしてしまった、という事実に憤懣やる方ない鬱屈を抱えているのかな、と。それが、更に「下」の存在である他地域・他宗教・他人種に向けられる。特に彼らが経済的に困窮しつつある中、必然的に頼らざるを得ないかたちに関係性が変わりつつある「未だ伸び盛り(と映る地域)」のアジアに対しては余計に歪んだ心情に陥る人がいても無理からぬことだと確かに思う(-_-;) お隣は数が多いから、移民しても中/華街形成して馴染もうとしなかったり・・・結婚の条件も結構厳しいらしいですもんね。まぁ今一番キツイのはムス○ムとユダ○の皆さんなんでしょうけど。
などなど色々考えながら、二日目の回想はミス・ケントンの手紙の内容から彼女との出会いと確執、父の病と、その中で彼が真に執事として誇りある目覚めを迎えた瞬間の夜へとたどり着く。ミス・ケントンとの婉曲的ながらつっけんどんなやりとり、可愛くて面白いです(ノ∀`)子供か!ダーリントン卿とドイ○人の親友のエピソード、それから彼が非公式の国際会議を開くことに決めた目的に関しては、やっぱり私たち日.本人は余りにW W 1について無知過ぎて(結果的に日/独/伊三/国同盟→W W 2に繋がった出来事であるにも関わらず)、もっと学ぶ必要があるのではないか、と改めて考えさせられました。いやーしかしイギ○スのお貴族様が南アでのボー○戦争やヴェル○イユ条約の件を「我が国らしいやり方ではない」と憤慨しておられたとは、目の玉飛び出るほど驚きましたわー\(◎o◎)/ワーオ! 何々、じゃあ国の富ってどっからどう来てると思ってたわけ? 自分たちの生活の豊かさがさぁ、イ○ドやアメ○カやオセア○ア、アフリ○や中.国で原住民にどんな仕打ちして儲けたもんだか想像したこともなかったわけ? だとしたら全くおめでたく出来てるもんだわ貴族の頭って(;・ω・) アメ○カ人のルース議員が指摘したかったのもその点じゃないのかな? 同じヨーロッパのド○ツ人の苦しみには「高尚な人道主義的理想」をもって胸を痛められるのに、もっと広い視野で見た世界全体のことは、苦しみやそれによって産み出される渦の流れについては考えが及ばない。アジアの端っこの有色人種のウチらに一発かまされて植民地取られただけで随分「復讐」めいた裁判行って下さいましたもんねぇ、W W 2の時は^^
確かに、私たち日/本人の価値観はどちらかと言うと理想主義的な“名誉”を重んじるという意味で米・中(昔は違ったかもしれないけど少なくとも今は)よりヨーロッパに近いのだとは思う。けれどそのヨーロッパが(現在の建前上はどうあれ)他地域の人間を対等に扱わない以上、まだ自国の利益を最優先に権謀術数を駆使するアメ○カの方がはるかに率直で分かりやすく、アジア人である自分たちが信頼のおける相手なのではないか、と改めて考えたりもした。少なくとも同盟を組む上では、行動原理がハッキリしている相手の方がどう動くべきか分かりやすいし好もしいよね。W W 2のアメリ○に対しては日/本人として色々思うところもあるけど、自国の利益を最大化するという意味であれほど上手く立ち回った国は無かった、と一歴史好きとして客観的に尊敬の念も覚えます。イギリ○も不承不承ではあったでしょうが、最も良い「敗けない選択」をした、という意味で本当に上手くやったと思う。いずれ帝国支配は終わっていただろうし、日.英同盟の維持は当時の情勢の中で両国の民意も失い、泥沼の摩擦を生むだけだったはず。彼らは最も良いタイミングで米の援助を取り付けることに成功し、更にはヨーロッパ戦線にその力を引っ張り込むこともできた。戦後も割かし素早い決断によってフラ○スほどの苦労?をせずに、独立後の植民地とも連邦の枠組みで繋がりを維持することも可能にしたわけだし。ホント上手いですよ、アメリ○との関係修復のくだりといい。実質的には負けてても最低限の立場と利益は維持する、っつーの? 不幸の中から最善を見出だす手腕に優れすぎ。そりゃ私のようにひねくれた目で見ちゃう人間も出てくるってもんよ・・・(´-`)
あ、でも私日/本も右.翼様方の言葉通り(笑)建前上のスローガンは達成したと考えてるんだ。まぁその国の富裕層ではあるんでしょうけど、大富豪~☆(・ω<)bって感じではない東南アジアからの観光客がお菓子とか化粧品いっぱい買って嬉しそうにしてるとこ見かけるとホッコリしませんか? まぁぶっちゃけアジアがアフ○カや中東、南米みたいにならなくて良かった!って(^^;まだまだ終わらない民族・宗教紛争や政治的な問題は地域にたくさん残っているけど、基本的にみんな笑ってる国が多いじゃん? (チベッ○とか以外は)少なくともちゃんと独立できたじゃん? ASE○Nだって発足した。全部がウチの手柄だとはもちろん思わないし沢山迷惑をかけたであろうことも否定しません。でも、まず先代の支配者を追い出したのと戦後のお詫びを込めて行ってきた数々の援助が今に繋がっていたらそれほど嬉しいことは無いだろうな、って純粋にスローガンを信じて南洋に赴いた一部の兵士や「アジアの解放」という思想に夢を見た知識層の気持ちを考えると思ってしまうんだよね。現地の皆さんの努力や、うちの発展も含めアメ○カ様の存在あってこそのことだと分かってはいますが(; ̄ー ̄A
あと同じルース議員の発言で「フ○ンス人がドイ○を憎むのは当然」というのはW W 1の本質に迫るセリフじゃないのかな、と感じた。日.中戦争のことを考えた時、中/国人が日.本人を憎むのは当然、と思うのと正直同じ理屈。華夷秩序が元々浸透していただけに余計やりやすかったでしょうね、アメリ○にしてみれば大陸・半島の憎しみの感情をこちらだけに向けさせるようにコントロールすることは。モ○ゴルや女.真族の支配もア○ン戦争のことも、八○国連合軍も極東地域をロシ○に丸々掠め取られたことも、分断に到ったそもそもの要因や経緯も全部忘れて、彼らはひたすらウチにだけ全ての責任を、恨みを押し付けるようになってしまった。そうなるとやはり国土の内側に攻めこまれ蹂躙された側の憎しみは深い。外から生身の兵士ではなく爆弾が降ってくるだけの島国の人間には理解しがたい感情なのだろう。(相手が非人間という点で感覚的には災害と変わらないもんね、うちら的には。笑)どちらがより残酷かと言えば、自分が傷つくことなく一発の無機物で大量殺戮を行う後者の方がよっぽど「人道にもとる」やり方なんじゃないかと感じるのですが、戦後の裁判と「英雄」ルメイ氏に何故かウチからも勲章が贈られてたりする件を考えると、前者の方がより罪が重いみたいですね^^
戦後のイギ○スに渡った幼いカズオ氏が世代的にW W 2に関連した差別を全く受けなかったとは考えづらい。それを思った時、彼はどんな気持ちでこの章、「ヨーロッパ貴族の理想」を前面に押し出した会議のくだりを記したのだろうか、と何となく複雑な思いを抱かざるを得ない>< 以前見たドキュメンタリーの中で、彼は「忘却されるべき記憶」についてW W 2後のフラ○スの例を出していた。実質的にはナ/チの統治下で、ユダ○人を差別し、レジスタンスを密告する者もいた。そして皆誰がどちらの側だったのか知っていたけれど、ド・ゴールは全てを忘れさせ国民全員がナ.チと戦った勇敢なレジスタンスだったのだ、という「物語」を作り上げた。それによって彼の国は分裂せず、未来に進むことができたのだ、と。話の展開的にド○ツ人はそういうフラ○スに対して何もケチ付けてないんだから日/本も韓.国のそういう側面を認めてやれ、って流れだったのカナー?って気がしなくもなかったけど(^^;・・・それにしてはいい加減酷すぎんだよな、何故か帰化も帰国もしない人たちがいつまでも強/制連/行ガー主張してたり(ホント大多数のまともな「同胞」の方々が迷惑してるんで止めてあげて下さいm(__)m)、金払っても公式に詫びても手紙出しても、今それより解決せなアカン問題が山積みやろ、って国.連でギャーギャーいつまでも大騒ぎしてみたり。しかも一切証拠も整合性もないフィクション作っては世界中で垂れ流し、そもそも売り払った親とか業者の責任はガン無視で、給料もらってたらソレは奴隷って言わないよね?と話も聞いてもらえない・・・外国人家政婦にリアル奴隷同然の待遇強いてて問題になってる国が議長の委員会とか(以下略)
会議と並行して進む、父の病から死に至るまでの一連の描写、まさに武士道にも通じる親子の絆と使命への強い執着、それを以てこそ互いを尊敬し、繋がり合い誇りを持てるのだ、という重要な共通点を感じて胸が熱く()なりましたねー(;_;) 主人公にとってミス・ケントンが特別な存在になった理由も納得。「良い父親」であることと正しく職責を全うすることの両立は不可能だったのではないか、という点をスティーブンスの父親は最も怖れていたのではないかと思う。けれどスティーブンスにとっては、まさに父親の背中こそが執事という職業の鑑だった。父子の最後の別れの場面が切ない。父に憧れる余り、「万事順調か?」という彼の期待に応えるために恐らくは臨終の瞬間に立ち会えないことを承知で階下へと向かうスティーブンス。「品格」とは何か、あの夜に真に理解し身に付けたように思い誇らしさを感じる、と主人に話すような抑制的で控えめな口調で独白するスティーブンスの心情が、自分に酔っているようでウワァ(;´д`)と思うと同時に同じだけ父の喪失が彼にとってもたらしたものの大きさを感じさせてクるわー・゜・(ノД`)・゜・
アメ○カでも「白人の二番手」を巡って有色人種同士が争ったり、「ニューカマーに既得権益を奪われることを怖れる代を重ねたヒスパニック」がト○ンプ支持に回ったりしてるって言うじゃないですか? アングロ・英語圏は何だかんだ自分たちの言語がInternational languageになって、連邦やアメリ○の求心力も大きく名実ともに世界のトップ的な立場にあるという余裕?があるというのと、カト○ック・バチ○ンとも早々に手を切った(笑)背景からまたちょっと事情が違うのかな、って。フラ○スやイ○リアは、かつて文化的影響力の拠点だったり、それこそ天下のローマ・バチカ○を擁したヨーロッパの中心地だったのに、いつの間にか端っこの島国として見下していたイギ○スが帝国として領土を広げて、その植民地までが最も成功した国としてスッカリ世界に勢力を伸ばしてしまった、という事実に憤懣やる方ない鬱屈を抱えているのかな、と。それが、更に「下」の存在である他地域・他宗教・他人種に向けられる。特に彼らが経済的に困窮しつつある中、必然的に頼らざるを得ないかたちに関係性が変わりつつある「未だ伸び盛り(と映る地域)」のアジアに対しては余計に歪んだ心情に陥る人がいても無理からぬことだと確かに思う(-_-;) お隣は数が多いから、移民しても中/華街形成して馴染もうとしなかったり・・・結婚の条件も結構厳しいらしいですもんね。まぁ今一番キツイのはムス○ムとユダ○の皆さんなんでしょうけど。
などなど色々考えながら、二日目の回想はミス・ケントンの手紙の内容から彼女との出会いと確執、父の病と、その中で彼が真に執事として誇りある目覚めを迎えた瞬間の夜へとたどり着く。ミス・ケントンとの婉曲的ながらつっけんどんなやりとり、可愛くて面白いです(ノ∀`)子供か!ダーリントン卿とドイ○人の親友のエピソード、それから彼が非公式の国際会議を開くことに決めた目的に関しては、やっぱり私たち日.本人は余りにW W 1について無知過ぎて(結果的に日/独/伊三/国同盟→W W 2に繋がった出来事であるにも関わらず)、もっと学ぶ必要があるのではないか、と改めて考えさせられました。いやーしかしイギ○スのお貴族様が南アでのボー○戦争やヴェル○イユ条約の件を「我が国らしいやり方ではない」と憤慨しておられたとは、目の玉飛び出るほど驚きましたわー\(◎o◎)/ワーオ! 何々、じゃあ国の富ってどっからどう来てると思ってたわけ? 自分たちの生活の豊かさがさぁ、イ○ドやアメ○カやオセア○ア、アフリ○や中.国で原住民にどんな仕打ちして儲けたもんだか想像したこともなかったわけ? だとしたら全くおめでたく出来てるもんだわ貴族の頭って(;・ω・) アメ○カ人のルース議員が指摘したかったのもその点じゃないのかな? 同じヨーロッパのド○ツ人の苦しみには「高尚な人道主義的理想」をもって胸を痛められるのに、もっと広い視野で見た世界全体のことは、苦しみやそれによって産み出される渦の流れについては考えが及ばない。アジアの端っこの有色人種のウチらに一発かまされて植民地取られただけで随分「復讐」めいた裁判行って下さいましたもんねぇ、W W 2の時は^^
確かに、私たち日/本人の価値観はどちらかと言うと理想主義的な“名誉”を重んじるという意味で米・中(昔は違ったかもしれないけど少なくとも今は)よりヨーロッパに近いのだとは思う。けれどそのヨーロッパが(現在の建前上はどうあれ)他地域の人間を対等に扱わない以上、まだ自国の利益を最優先に権謀術数を駆使するアメ○カの方がはるかに率直で分かりやすく、アジア人である自分たちが信頼のおける相手なのではないか、と改めて考えたりもした。少なくとも同盟を組む上では、行動原理がハッキリしている相手の方がどう動くべきか分かりやすいし好もしいよね。W W 2のアメリ○に対しては日/本人として色々思うところもあるけど、自国の利益を最大化するという意味であれほど上手く立ち回った国は無かった、と一歴史好きとして客観的に尊敬の念も覚えます。イギリ○も不承不承ではあったでしょうが、最も良い「敗けない選択」をした、という意味で本当に上手くやったと思う。いずれ帝国支配は終わっていただろうし、日.英同盟の維持は当時の情勢の中で両国の民意も失い、泥沼の摩擦を生むだけだったはず。彼らは最も良いタイミングで米の援助を取り付けることに成功し、更にはヨーロッパ戦線にその力を引っ張り込むこともできた。戦後も割かし素早い決断によってフラ○スほどの苦労?をせずに、独立後の植民地とも連邦の枠組みで繋がりを維持することも可能にしたわけだし。ホント上手いですよ、アメリ○との関係修復のくだりといい。実質的には負けてても最低限の立場と利益は維持する、っつーの? 不幸の中から最善を見出だす手腕に優れすぎ。そりゃ私のようにひねくれた目で見ちゃう人間も出てくるってもんよ・・・(´-`)
あ、でも私日/本も右.翼様方の言葉通り(笑)建前上のスローガンは達成したと考えてるんだ。まぁその国の富裕層ではあるんでしょうけど、大富豪~☆(・ω<)bって感じではない東南アジアからの観光客がお菓子とか化粧品いっぱい買って嬉しそうにしてるとこ見かけるとホッコリしませんか? まぁぶっちゃけアジアがアフ○カや中東、南米みたいにならなくて良かった!って(^^;まだまだ終わらない民族・宗教紛争や政治的な問題は地域にたくさん残っているけど、基本的にみんな笑ってる国が多いじゃん? (チベッ○とか以外は)少なくともちゃんと独立できたじゃん? ASE○Nだって発足した。全部がウチの手柄だとはもちろん思わないし沢山迷惑をかけたであろうことも否定しません。でも、まず先代の支配者を追い出したのと戦後のお詫びを込めて行ってきた数々の援助が今に繋がっていたらそれほど嬉しいことは無いだろうな、って純粋にスローガンを信じて南洋に赴いた一部の兵士や「アジアの解放」という思想に夢を見た知識層の気持ちを考えると思ってしまうんだよね。現地の皆さんの努力や、うちの発展も含めアメ○カ様の存在あってこそのことだと分かってはいますが(; ̄ー ̄A
あと同じルース議員の発言で「フ○ンス人がドイ○を憎むのは当然」というのはW W 1の本質に迫るセリフじゃないのかな、と感じた。日.中戦争のことを考えた時、中/国人が日.本人を憎むのは当然、と思うのと正直同じ理屈。華夷秩序が元々浸透していただけに余計やりやすかったでしょうね、アメリ○にしてみれば大陸・半島の憎しみの感情をこちらだけに向けさせるようにコントロールすることは。モ○ゴルや女.真族の支配もア○ン戦争のことも、八○国連合軍も極東地域をロシ○に丸々掠め取られたことも、分断に到ったそもそもの要因や経緯も全部忘れて、彼らはひたすらウチにだけ全ての責任を、恨みを押し付けるようになってしまった。そうなるとやはり国土の内側に攻めこまれ蹂躙された側の憎しみは深い。外から生身の兵士ではなく爆弾が降ってくるだけの島国の人間には理解しがたい感情なのだろう。(相手が非人間という点で感覚的には災害と変わらないもんね、うちら的には。笑)どちらがより残酷かと言えば、自分が傷つくことなく一発の無機物で大量殺戮を行う後者の方がよっぽど「人道にもとる」やり方なんじゃないかと感じるのですが、戦後の裁判と「英雄」ルメイ氏に何故かウチからも勲章が贈られてたりする件を考えると、前者の方がより罪が重いみたいですね^^
戦後のイギ○スに渡った幼いカズオ氏が世代的にW W 2に関連した差別を全く受けなかったとは考えづらい。それを思った時、彼はどんな気持ちでこの章、「ヨーロッパ貴族の理想」を前面に押し出した会議のくだりを記したのだろうか、と何となく複雑な思いを抱かざるを得ない>< 以前見たドキュメンタリーの中で、彼は「忘却されるべき記憶」についてW W 2後のフラ○スの例を出していた。実質的にはナ/チの統治下で、ユダ○人を差別し、レジスタンスを密告する者もいた。そして皆誰がどちらの側だったのか知っていたけれど、ド・ゴールは全てを忘れさせ国民全員がナ.チと戦った勇敢なレジスタンスだったのだ、という「物語」を作り上げた。それによって彼の国は分裂せず、未来に進むことができたのだ、と。話の展開的にド○ツ人はそういうフラ○スに対して何もケチ付けてないんだから日/本も韓.国のそういう側面を認めてやれ、って流れだったのカナー?って気がしなくもなかったけど(^^;・・・それにしてはいい加減酷すぎんだよな、何故か帰化も帰国もしない人たちがいつまでも強/制連/行ガー主張してたり(ホント大多数のまともな「同胞」の方々が迷惑してるんで止めてあげて下さいm(__)m)、金払っても公式に詫びても手紙出しても、今それより解決せなアカン問題が山積みやろ、って国.連でギャーギャーいつまでも大騒ぎしてみたり。しかも一切証拠も整合性もないフィクション作っては世界中で垂れ流し、そもそも売り払った親とか業者の責任はガン無視で、給料もらってたらソレは奴隷って言わないよね?と話も聞いてもらえない・・・外国人家政婦にリアル奴隷同然の待遇強いてて問題になってる国が議長の委員会とか(以下略)
会議と並行して進む、父の病から死に至るまでの一連の描写、まさに武士道にも通じる親子の絆と使命への強い執着、それを以てこそ互いを尊敬し、繋がり合い誇りを持てるのだ、という重要な共通点を感じて胸が熱く()なりましたねー(;_;) 主人公にとってミス・ケントンが特別な存在になった理由も納得。「良い父親」であることと正しく職責を全うすることの両立は不可能だったのではないか、という点をスティーブンスの父親は最も怖れていたのではないかと思う。けれどスティーブンスにとっては、まさに父親の背中こそが執事という職業の鑑だった。父子の最後の別れの場面が切ない。父に憧れる余り、「万事順調か?」という彼の期待に応えるために恐らくは臨終の瞬間に立ち会えないことを承知で階下へと向かうスティーブンス。「品格」とは何か、あの夜に真に理解し身に付けたように思い誇らしさを感じる、と主人に話すような抑制的で控えめな口調で独白するスティーブンスの心情が、自分に酔っているようでウワァ(;´д`)と思うと同時に同じだけ父の喪失が彼にとってもたらしたものの大きさを感じさせてクるわー・゜・(ノД`)・゜・
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震災後に聴いてた曲インタビューに身内が出てたらしいんですけどね。私ソレ遭遇しなくて良かったー!( ̄□ ̄;)と心から思っちゃった。だって直後に一人で地元離れなきゃいけなかったせいもあるかもですが、マジでテレビの励ましソングオンパレードに鬱って一切日/本語の歌聴きたくなくなりましたもん。ip○dの中身ぜんぶ洋楽にして、特に現実の状況とあんまり重ね合わせずに済むミュージカルやロック系ばっか流してた。だから具体的な曲、と聞かれても絶対答えられないです。強いて言うならOasisとかThe Cardigans辺りか・・・? 洋楽に目覚めた頃に原点回帰したくなって、実家から持ってきたその時期のアーティストの入れて聴いてましたね。『Sunday morning call』とか『Take me higher』は何かこの年にちゃんと認識した曲だった気がする。やる気ないんだけど出さなきゃ、みたいな(笑)ゆるーいノリの歌詞と曲調で(^^;
あっ、今日の密林のリスト追加はラクロ『危険な関係』。昼ドラは見てないけど、ヅカVer.が大好きでね!原作はトゥールベル夫人との関係が更に萌える設定らしいのでぜひ読んでみたい、と前々から考えていたことを思い出し・・・。ドロドロ好きだけどハー○クインはムカつく人間なのでちょうど良いかな、と^^
以下タイトル内容、一日目まで。
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あっ、今日の密林のリスト追加はラクロ『危険な関係』。昼ドラは見てないけど、ヅカVer.が大好きでね!原作はトゥールベル夫人との関係が更に萌える設定らしいのでぜひ読んでみたい、と前々から考えていたことを思い出し・・・。ドロドロ好きだけどハー○クインはムカつく人間なのでちょうど良いかな、と^^
以下タイトル内容、一日目まで。
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カズオ氏がこれを書いたキッカケが最初の二作が自己の記憶の保存を目的として故郷の日.本を舞台にしたら、「日/本人が描く日.本とはこういうもの、そういう話を書く日/本人作家」と限定的な受け止められ方をされてしまったので、作家としての自分をもっと広い視野で表現する可能性に挑戦すべく思いっきりイギリ○らしい作品を書くことにした、と語っていた理由がここまでで既に痛いほど伝わってくる。移民という、内側の者としての視点と第三者としての客観を持ち合わせた彼だからこそ生々しく描き出せるのであろう、イギ○ス人の傲慢とも言えるプライドの高さと民族的優越意識。・・・彼のルーツがある程度の歴史を持ち、大陸世界と交流と緊張の狭間で渡り合ってきた島国で、まぁぶっちゃけイギリ○様としては遺憾なことかもしれませんが(笑)極めて近しい類似点や社会的気質を持っていたことも物語やキャラクター作りにプラスの影響を及ぼしていたんじゃないか、と考えちゃった。
個人的にあんだけ複雑なグチ吐いてしまう国ではあるけれど、立場が似ていたり「大陸と一緒にすんな!」って狭量な思想が残っていたり、職業意識や「分をわきまえる」「空気を読む」ことが重視される文化は共通してますからねぇ(´д`) あとお茶が政治・社交において重要アイテムだったり諸々。上で挙げたバンドも二つとも英/国のだしな! 日.本をヨーロッパに例えるなら、たぶん趣味はフ○ンスに近くて、人の気質はド○ツに近く、実際歴史的に機能してきた制度はイタ○アに近いんだけど、社会に対する考え方や価値観が一番近いのはイギリ○なんだよね、きっと。今はアメ○カ挟んだ時の関係においてもそうですかね? あそこまで表裏一体ではないけれど、少なくともアジアにおいてはヨーロッパにおけるイギリ○的な、拠点というかポチというかスパイポジみたいな?(^^;
アメリ○人の新しい主人の冗談との付き合い方に主人公が悩むくだり、爆笑しちゃった(ノ∀`) 完全にダウントンのカーソンの絵面で読んでるからさー。イギ○スの風景についての強烈な愛国心溢れる描写もそうですよ。「田園風景」って、いっつもヨーロッパに田んぼ無いのに他に良い訳ないの?ってベー○ーベンとか聴いてても思うんだけど、私だって地元の平野に広がる春の緑と秋の黄金が一番美しいと信じてるからね!京都の春と秋は人生で一回は見とかないと損するもんだと力説できるしo(`ヘ´)=3・・・愛国心やら郷土愛って、そういうことだと思うんですよ。そういうもので良いと思うんですよ。「忠誠の誓い」なんかさせなくても、地元の、自国の色んなところに子供たちを連れていき、沢山の経験をさせて、綺麗な景色を見せてやれば良い。そうしたら自然とソレが壊れた時に傷ついて、守ろうとか取り戻そうとか考えるから。と、震災6年目の春にヒキの自己処理志願者なりに感じたことでした\(^o^)/
品格についてのなっがい語りでも英/国節バリバリ(爆笑)そもそも外国に行ったことないのに否定から入る、がそれを決して口には出さない、ってやっぱり日.本人と似てるわ^^ 品格は経験と努力で身に付けられるもの、何故ならそういう父の姿を見てきたから、という亡くなった父親の美化とか、同じ職業に就いていることとか・・・。「品格は美と同じで持って生まれた性質」と語る同業者を敗北主義と切り捨てるくだりとか。この辺とっても日/本人的根性論と近くないですか? 例え個人的な屈辱や苦痛を覚えるような仕事でも、最後まで執事としての職責を全うすべく耐え抜いた父親のエピソードといい。スゲー藤沢周平の描く武士の世界思い出したわ(゜ロ゜;
そっか、ダウントンの時代はウチで言うところの江戸時代で、エリザベスとかあの辺が戦国ものとかそういう感覚?「ミス・ケントン」との関係が明らかになっていくであろう二日目以降が楽しみです♪
個人的にあんだけ複雑なグチ吐いてしまう国ではあるけれど、立場が似ていたり「大陸と一緒にすんな!」って狭量な思想が残っていたり、職業意識や「分をわきまえる」「空気を読む」ことが重視される文化は共通してますからねぇ(´д`) あとお茶が政治・社交において重要アイテムだったり諸々。上で挙げたバンドも二つとも英/国のだしな! 日.本をヨーロッパに例えるなら、たぶん趣味はフ○ンスに近くて、人の気質はド○ツに近く、実際歴史的に機能してきた制度はイタ○アに近いんだけど、社会に対する考え方や価値観が一番近いのはイギリ○なんだよね、きっと。今はアメ○カ挟んだ時の関係においてもそうですかね? あそこまで表裏一体ではないけれど、少なくともアジアにおいてはヨーロッパにおけるイギリ○的な、拠点というかポチというかスパイポジみたいな?(^^;
アメリ○人の新しい主人の冗談との付き合い方に主人公が悩むくだり、爆笑しちゃった(ノ∀`) 完全にダウントンのカーソンの絵面で読んでるからさー。イギ○スの風景についての強烈な愛国心溢れる描写もそうですよ。「田園風景」って、いっつもヨーロッパに田んぼ無いのに他に良い訳ないの?ってベー○ーベンとか聴いてても思うんだけど、私だって地元の平野に広がる春の緑と秋の黄金が一番美しいと信じてるからね!京都の春と秋は人生で一回は見とかないと損するもんだと力説できるしo(`ヘ´)=3・・・愛国心やら郷土愛って、そういうことだと思うんですよ。そういうもので良いと思うんですよ。「忠誠の誓い」なんかさせなくても、地元の、自国の色んなところに子供たちを連れていき、沢山の経験をさせて、綺麗な景色を見せてやれば良い。そうしたら自然とソレが壊れた時に傷ついて、守ろうとか取り戻そうとか考えるから。と、震災6年目の春にヒキの自己処理志願者なりに感じたことでした\(^o^)/
品格についてのなっがい語りでも英/国節バリバリ(爆笑)そもそも外国に行ったことないのに否定から入る、がそれを決して口には出さない、ってやっぱり日.本人と似てるわ^^ 品格は経験と努力で身に付けられるもの、何故ならそういう父の姿を見てきたから、という亡くなった父親の美化とか、同じ職業に就いていることとか・・・。「品格は美と同じで持って生まれた性質」と語る同業者を敗北主義と切り捨てるくだりとか。この辺とっても日/本人的根性論と近くないですか? 例え個人的な屈辱や苦痛を覚えるような仕事でも、最後まで執事としての職責を全うすべく耐え抜いた父親のエピソードといい。スゲー藤沢周平の描く武士の世界思い出したわ(゜ロ゜;
そっか、ダウントンの時代はウチで言うところの江戸時代で、エリザベスとかあの辺が戦国ものとかそういう感覚?「ミス・ケントン」との関係が明らかになっていくであろう二日目以降が楽しみです♪
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今日のリスト追加物件→①『楢山節考』3.11の福島で「まるで平成の姥捨て山」とおっしゃってる被災者の方の話を聞いて、ふと「アレ映画観ただけで本読んでなくね?」と気づいたから。『西部戦線~』と同じ理由ですね。②『斜陽』コレも某番組でフィ○ランド高校生が読んだって言ってたから。(どんだけ張り合ってんの?^^)いくら一族や人間性がアレだとしても芸術家なんて大体がそうだし、読まずに批判はできないよなぁ、と手ぇ出すことに。ブクオフの百円コーナーにあると良いんだけど(´・ω・`)
あと昨日の『KANO』の件で考えたことは、日.本はアメ○カとの諸々についてこんな映画・フィクションはとてもじゃないが作れないだろうな、って。どう描いても批判が来るからなのかもしれないけど、「大日○帝国の支配地域」を舞台にした作品も作れていなければ、戦後の占領期から現代に到るまでの生々しい外国との交わりを、相手の視点も含めて表現したような作品を少なくとも私は知らない。「支配・あるいは干渉や侵略を受けた側」によって『クーカム』や『KANO』のような映画が作られヒットする、ということ自体が日/本人の感覚からすれば正直信じられないし、差別的かもしれないけどそういう歴史すら萌え変換しないといけないような立場に留まらなくて良かった、・・・ぶっちゃけギリ列強(先進国)滑り込みセーフできて良かった、と思ってしまった。いくら米.軍基地があってカップルが多くても、「そっちの側」には行きたくない、というギリギリのプライドというか優劣の意識が存在してしまっているのかも。その点はアジア主義とか言ってる癖に本当に申し訳なく感じるm(__)m
それだけじゃなしに、『太陽』・『終戦のエンペラー』のような、支配された側というよりも戦った側から見た相手の視点を、決してネガティヴオンリーではなく中立的な要素も加えて描くような話も作れてないな、って。彼らは戦勝国でウチらは敗戦国だからかもしれないけれど、例えば原.爆という大きなテーマ一つにしても、何故彼らは開発し落とすことを決めたのか、その後の向こうで起きた科学者たちの葛藤や、悲劇として捉えてくれた人々の存在、世界がどんだけビビッて焦ったか、という視点がすっぽり抜け落ちて、自分たちだけの内に籠った物語になってしまっている。零/戦や特/攻系もそうですよ。相手方の視点が抜けている。どれほどの恐怖を抱かせ狂気に映ったのか、そして後のテ○リストたちにどんな影響を与えてしまったのか。政治的に難しい立ち位置や事情もあるんだろうけど、結局うちらは自分たちの視点でしかものを見れない島国民で、そこが一番のウィークポイントであると同時に強みでもあったのかな、と。ネット社会でこのガラパゴス価値観がどこまでバレずに存続して、あるいは外の見方を逆に取り込んで変えることができるようになるのかはわかりませんが、ちょっと注目して考えないといけない点かもなー、とか思った。
で、以下タイトル通りの感想。
↓
あと昨日の『KANO』の件で考えたことは、日.本はアメ○カとの諸々についてこんな映画・フィクションはとてもじゃないが作れないだろうな、って。どう描いても批判が来るからなのかもしれないけど、「大日○帝国の支配地域」を舞台にした作品も作れていなければ、戦後の占領期から現代に到るまでの生々しい外国との交わりを、相手の視点も含めて表現したような作品を少なくとも私は知らない。「支配・あるいは干渉や侵略を受けた側」によって『クーカム』や『KANO』のような映画が作られヒットする、ということ自体が日/本人の感覚からすれば正直信じられないし、差別的かもしれないけどそういう歴史すら萌え変換しないといけないような立場に留まらなくて良かった、・・・ぶっちゃけギリ列強(先進国)滑り込みセーフできて良かった、と思ってしまった。いくら米.軍基地があってカップルが多くても、「そっちの側」には行きたくない、というギリギリのプライドというか優劣の意識が存在してしまっているのかも。その点はアジア主義とか言ってる癖に本当に申し訳なく感じるm(__)m
それだけじゃなしに、『太陽』・『終戦のエンペラー』のような、支配された側というよりも戦った側から見た相手の視点を、決してネガティヴオンリーではなく中立的な要素も加えて描くような話も作れてないな、って。彼らは戦勝国でウチらは敗戦国だからかもしれないけれど、例えば原.爆という大きなテーマ一つにしても、何故彼らは開発し落とすことを決めたのか、その後の向こうで起きた科学者たちの葛藤や、悲劇として捉えてくれた人々の存在、世界がどんだけビビッて焦ったか、という視点がすっぽり抜け落ちて、自分たちだけの内に籠った物語になってしまっている。零/戦や特/攻系もそうですよ。相手方の視点が抜けている。どれほどの恐怖を抱かせ狂気に映ったのか、そして後のテ○リストたちにどんな影響を与えてしまったのか。政治的に難しい立ち位置や事情もあるんだろうけど、結局うちらは自分たちの視点でしかものを見れない島国民で、そこが一番のウィークポイントであると同時に強みでもあったのかな、と。ネット社会でこのガラパゴス価値観がどこまでバレずに存続して、あるいは外の見方を逆に取り込んで変えることができるようになるのかはわかりませんが、ちょっと注目して考えないといけない点かもなー、とか思った。
で、以下タイトル通りの感想。
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何か一言で、す さ ま じ か っ た・・・!Σ( ̄□ ̄;)ノーベ○賞候補にできなかったわけも納得。これほど「ハッキリしない複雑な構成とスッキリしない煙に巻いた結末」に安堵する小説が他にあるだろうか?いや、ない。(反語ktkr。笑)あー、良かった綺麗なオチがつかなくて!って読み終えるのビクビクぐすぐず渋っていた身としては歓喜ヽ(´▽`)/ワーイ これで安心して作家読みできるわ。すげぇ好みってか「狙う」気が全く無い、書きたいものをひたすら吐き出さずにはいられずに書き散らかすタイプの作家さん=つまり非常に好みだということが分かって一安心です☆世間受けや文壇の評価とか気にするタイプなら、アレもコレも全く別の方向にかっとんだあらすじの話ばっかり続けて書けないもんねぇ。
煩わしい外界の全てからシャットダウンされた狭い箱の中で解放され自由になる魂。ある意味で、狭い場所を好む子供と同じように母親のお腹の中の胎児に還る気持ちなのかもしれない。≪Aの場合≫最後の「匿名の市民だけのための匿名の都市のことを一度でも夢見たことのある者だったら、他人事ではない、つねにAと同じ危険にさらされているはずなのだ」という部分にまず力強く頷きました((´∀`)ウンウン
≪安全装置を、とりあえず≫に出てくるのが一応「本物の」街で最も古い箱男らしく、彼がノートの著者ということに(この時点では)設定されている。この章で彼は懇切丁寧に「箱男」の実態について解説した上で、「自殺の意志はない」「浮浪者とは違う」という独特のプライドもまた垣間見せる。「心の方向感覚の麻痺」を持病とする箱男にとって、箱はどこか別の世界への出口、というのがラストへと繋がるフラグだったのかと思うと(((゜Д゜;)))gkbr 「存在しないも同様の天性の殺され屋」うっわー、箱女になりたい気持ちが増すばかり、と感じる自分はまだ病んでる最中なんだなー、と嗤いつつ、元カメラマンの彼が撮影したということになっている(と思われる)四枚目の家族?が映った写真の注釈「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。しかし誰もが見るだけの人間になるわけにはいかない。見られた者が見返せば、こんどは見ていた者が、見られる側にまわってしまうのだ。」これほど共感できる文章があるだろうか。どんなに「自意識過剰」と言われても、怖いんですよ人の視線が!自分がすごく観察してしまってソレを好む性質な分、余計にな!我ながら面倒くさいしキモい自覚はあるんですけど(-_-;)
その≪写真についての補足説明≫で方向だけじゃなく時間間隔の麻痺も箱男の持病の一つ、って何かコレも解るなぁ。ヒキってるとカレンダーいらないし、本とか動画さまよってると時間ものすごく経ってたりするもんね。空気銃で撃たれた箱男が狙撃者にむしろ新たな仲間誕生の予感を感じて親近感さえおぼえた、というのは『阿Q~』の精神勝利のやり方に近いように感じたかな(´・ω・`) 覗き・隠し撮りへの興味から遂に自分がいつでも“外”の世界を小さな箱の内側から覗く立場になれる箱男になってしまったという元カメラマンの心情・・・なるほどー、と思っちゃった(笑)
≪それから何度かぼくは居眠りをした≫貝殻草と夢の話。贋魚の、たとえようもない欠乏感。「どんな好奇心だって、けっきょく最後は、手で触って確かめてみるのでなければ本当の満足なんてありえない」声帯を持たぬ魚でありながら言葉を使って悩む二重感覚に、魚の墜落という不可思議な概念。死んだ魚でさえ海面に浮かび上がる中、贋魚が墜落するには逆墜落、死の危険が賭けられた、空気に溺れるという行為によって夢は醒めるはず、と綴る箱男。この辺の文章の比喩や表現がとっても綺麗で面白いです!「贋物であることに免疫になってしまったぼく」、「箱男はけっきょく箱男のままでいるしかないらしい」この辺はノートの著者が誰なのか改めて混乱させてくる仕掛けやなー(´Д`;)
≪約束の履行≫により現金を受け取り箱を捨てる羽目になった箱男だが、彼はヤドカリのように無理に引出されると千切れて死んでしまう、という弱さに同意@ダメ人間\(^O^)/ 「別の世界に脱皮する時にだけ箱を脱げる」「もっとも箱男という人間の蛹から、どんな生き物が這い出してくるのやら、ぼくにだってさっぱり分らない。」あー、うん、既に中身は空なんじゃないかな?私の例を見るに(笑)
≪鏡の中から≫箱の中から見る世界と普通の人間の目に映る景色の違いの表現に思わずハッとさせられた。基本的に足元しか見えない箱の中の視点では「あらゆる細部が均質になり、同格の意味を帯びる。」「遠近が定まらず、輪郭が曖昧」で自分と立場が似通っているからそんな風景が好きだ、と言う箱男。「箱から覗いているかぎり、どんな風景も見飽きることがない」というのはある意味真理なのかな、と思った。でもって遂に病院を訪ねた彼はお目当ての彼女と贋箱男とのある場面を目撃してしまう。「願望の幻」覗き趣味への自問と告白、「あらゆる場所を覗いてまわりたいが、かと言って、世間を穴だらけにするわけにもいけず、そこで思いついた携帯用の穴が箱だったのかもしれない。」うーん、深い><
「彼女」への執着をあらわに「贋箱男」への嫉妬を覚えながら「現実の裸に想像が追い付いたり出来るわけがない。見ている間だけしか存在してくれないから、見たいと思う欲望も切実になる。見るのをやめたとたんに、消えてしまうから。」からの「裸の所有権」話は納得と「んん?」って気持ちが混ざってちょっと複雑・・・(^ω^;) 贋箱男に向かって「そんなことを続けていると、いまに本当に出られなくなってしまうぞ。・・・彼女があんな取引(5万で箱を買うから脱いで捨てろ、という)を思いついたそもそもの狙いも……あいつをこんなふうに箱に閉じ込めてしまうことだったのかもしれないのだ。そして彼女も自由になる。ぼくもこれを機会に、箱と手を切ってみることにしたらどうだろう。」と希望的観測を勝手に並べ立てた挙句、結局箱を手放せずに「決心しさえすれば何時だってできること」「箱から出るだけなら、なんでもない。なんでもないから、無理に出ようとしないだけのことである。ただ、出来ることなら、誰かに手を貸してほしいと思うのだ。」恐らく恋慕が芽生えつつある「彼女」への想いを込めたフレーズなのだろうけど、すごく自分の心境にシンクロしてしまって。・゜・(ノД`)・゜・。自分へのごまかしや言い訳が利かなくなってきた時、どうすりゃ良いか分かんなくて、苦しくてひたすら友達や色んな人に嫌なこと何もかも吐き出してしまってきたこの数か月。一度「箱」に籠ったら、脱け出すのは本当に至難の業なんですよね。甘えに他ならないんだけどorz
次の≪挿入文≫によって明かされる前章の出来事についての衝撃の真相Σ(゜Д゜;) 次の章≪書いているぼくと 書かれているぼくとの~≫で再び箱男さん登場。「箱が移動するトンネルなら、裸の彼女はトンネルの出口に差し込む、まばゆい光。・・・この三年間、ぼくが待ちつづけていたのはたしかにこの機会だったように思う。」「いまさら箱に未練なんかあるものか。未練どころか、もううんざりである。出口あってのトンネルなのだ。」うーん、恋は人を変えるとは言うけど、ここまで来ると乖離性人格障害でも患ってらっしゃる?と思ってしまう域(笑)Bの残骸を見つけた時の彼の心情、「自分の(箱の)死を思い浮かべたことはなかった。時が来れば、水滴が蒸発するように、自然に消えてしまえるつもりでいた。しかしこれが現実なのだ。」それなんだよね、あの時もこの時も、結局ためらった理由は(;_;)とこの部分も大いに共感。「箱の死が、そのままBの肉体的な死だったとは限らない。・・・この箱の残骸は、蝶になって飛び立った蛹の殻かもしれないのだ。出来ればそう思いたかった。そうでも思わなければやりきれない。」この部分、まごうかたなき彼の本音なのだろう、と感じた(泣)所持品の単純化の話で「切り捨てにもおのずと限度がある。貯めるのにも苦労はあるが、捨てる努力はそれ以上だ。なにか自分の持物につかまっていないと、風に吹き飛ばされそうで不安なのだ。」この文章も非常に同意せざるを得ない。だから色々ガラクタみたいなものでも捨てられないし、自分の一部みたいになってしまった本とかは絶対処分できないんだよー><
で、病院を訪ねた箱男の語るニュース中毒のくだり「世界ってのは、沸きっぱなしの薬罐みたいなものなのさ。ちょっとでも眼を離している隙に、地球の形だって変りかねない。」まさに5年前、地球の裏側にいた人々にとってはその通りの出来事が起こったと言えるでしょうね。うちらは身を以て地軸がズレる揺れを体験したけど・・・。ニュースを聞かないと不安なのは臆病だから、「当人にとっちゃ深刻な話さ。ニュースを読んだり聞いたりするだけで、一日の大半がつぶれてしまうんだからな。自分で自分の意志の弱さに腹を立てながら、それでも泣く泣くラジオやテレビから離れられない。いくら漁りまわったところで、べつに事実に近付いた訳じゃないくらい百も承知していながら、やめられないんだ。ぼくに必要なのは、事実でも体験でもなく、きまり文句に要約されたニュースという形式だったのかもしれない。」ラジオやテレビ→ネットに変えたら、少し前の自分と丸きり同じ状況(´-`) 一つの出来事についてあらゆる視点から情報集めないと不安でした。自分の感想は合ってるのか、一義的な物の見方に囚われてしまってはいないか。あとヒキってるから純粋にそれで物事を知った気になれてた。実際の現場に行って見たいとか経験したいという気持ちは全くなくて、ただ頭の中に情報を蓄積して妄想の道具にしたかっただけ@最悪^^#ビキビキ そりゃせっかく歴史専攻行っても特に意味なかったわけだわ。
箱男さんの解毒剤は目の前で起きた見知らぬ男の突然死だった。(私の場合は父が倒れたことかな?もうすっかり元気だけど)絶対にニュースにはならないのに、当人にとっては最も大きな変化を引き起こす「死」。「自分も変化したけど、外の世界も変化しちゃって、もうこれ以上変化のしようがないんだ。どんな大ニュースも追いつけないほどの、大変化さ。」「人はただ安心するためにニュースを聞いているだけなんだ。どんな大ニュースを聞かされたところで、聞いている人間はまだちゃんと生きているわけだからな。本当の大ニュースは、世界の終りを告げる、最後のニュースだろう。もちろんそいつが聞けたら本望だよ。ひとりぼっちで世界を手放さなくてもすむんだからな。考えてみれば、ぼくが中毒にかかったのも、結局のところその最後の放送を聞きのがすまいとする焦りだったような気がする。しかし、ニュースが続いているかぎり、絶対に最後にはならないんだ。まだ最後ではありません、というお知らせなのさ。・・・でもあなたはまだなんとか生きてます(エンドレス)」これ凄く実感としてクるものがある。私が中毒に陥ったのは震災の後からだったもん。マジでヤバい状態の時、人はニュースというものを聞く手段が無い。聞けるだけ己の無事を実感し安堵する。「ニュースを聞かない人間に悪人はいない・・・ニュースを信じないということは、つまり変化を信じないという事だろう、ぼくもむりやりここに変化を持込んだりするつもりは無いということさ。」このセリフも解釈が難しいけどその通りかもしれない、と思わせる複雑な感想(-_-;)・・・正直まだ中毒から脱し切れてはいないので。
贋箱男との対峙で持ちかけられた「彼女」と箱に関する取引のやりとりで蘇る、幼い日の屈辱の記憶。暗い所でわざわざ小さな字の本や雑誌を読みふけるようになったのは「見ることからも、見られることからも、ただ逃げ出したかっただけ」という箱男さん(つД`) わかるよー!そこまで視力悪くないけど(笑)その後に続く「ぼくは自分の醜さをよく心得ている。・・・もっとも、醜いのはなにもぼくだけではなく、人間の九十九パーセントまでが出来損いなのだ。人類は毛を失ったから衣服を発明したのではなく、裸の醜さを自覚して衣服で隠そうとしたために、毛が退化してしまったのだ・・・それでも人々がなんとか他人の視線に耐えて生きていけるのは、人間の眼の不正確さと錯覚に期待するからなのだ。なるべく他人と見分けがつきにくいように工夫したり、こちらが露骨な視線を向けなければ向こうも遠慮してくれるだろうと、伏目がちな人生を送ることにもなる。・・・「覗き」という行為が侮りの眼をもって見られるのも、自分が覗かれる側に回りたくないからだろう」ここから箱男に到るまでの過程の吐露が、すべての人間に通じ得る根源的な感情、誰もが持っている狂気と理性の狭間をありありと表現している文章ではないか、と感じた。
註釈の露出狂のくだり、ここも後半部へのフラグ立てですね。過剰性欲ではなく抑制されすぎた性表現である場合が多い、と。異性に興味を抱きながら実在する個々の存在には病的な羞恥心を覚える余りそういった行為に走る。醜さの自覚、鏡に映した相手への視姦行為、と。ナルホド・・・?(このエピソードに関しては正直マジ勘弁、と感じた記憶しかないのでホント触れたくない)
しかし箱男は「彼女」に対して夢を抱き過ぎているような気がするな。「強力万能浄化装置」と「欲望解放装置」の二つを兼ね備えた女なんかいるわけねーだろ、都合良いな全く(^ω^#) とにかく“誰か”を、特に歪んだ性癖ゆえに孤独に身を浸してきた経歴の持ち主としてはその欲望を満たしてくれる存在を求めずにいられない気持ちはわかるけどさ。選択の責任を負いたくない、と語っていた彼女について贋箱男は「人間過信」と表現する。「なんでも衝動的にやってしまい、咎められると簡単にあやまる。あやまりさえすれば、どんな罪でも帳消しになると信じ込んでいるらしい」ふーむ。(・ω・)) 彼女の身体の魅力についての男たちの変態的(笑)やりとりに続く生物の求愛行動の話、だから自分は全力で苦手で受け入れられないのかな、と思った。「境界線を越えた侵入者への攻撃本能。人間の場合のラインは半径二メートル半くらいの位置。その至近距離では敵の正体を見破ろうにも、かえって見きわめにくい。役に立つのは、触角と嗅覚だけになる。」混んでる電車に乗ってるだけで痴漢いなくても気持ち悪くて堪らなくなるのもそのせいなんですかねぇ?(´-`)
この先一気に急展開、というか虚構(妄想)と現実が入り混じり、誰と誰が対話しているのか混乱させる構成に。誰がノートの著者なのか、という核心に迫る会話。時計に封をした「君」、金縛り状態の「彼女」、「実在している人物は一人だけ・・・このノートを書き続けている誰か……ぜんぶがその誰かの独り言にすぎない・・・必死に箱にしがみつづけるために、このまま永遠にでも書きつづける腹なんじゃないかな」そしてその「誰か」の言い訳じみたズボンへの執着。「文明社会というのは、一種のズボン社会」確かにそうかも、特に男の人の場合(・・;) 時間をかけて垢をこそげ落とした後の倦怠感、箱男として過ごした三年の間に「骨だけ残して、すっかり垢の塊りになってしまったのかもしれない・・・あと三年かけて骨までこそげたところで、垢は落ちっこない……」自分へのどうしようもない諦めと絶望の気持ちが切々と伝わってくる(´;ω;`)ブワッ
でもって会話相手のはずだった贋箱男?の正体が箱の落書だってー!?「定員一名かぎりの密室……誰にも覗けないのだから、真似のしようもない、顔の裏側・・・これがぼくの履歴書・・・必要なものは、なんでもここに揃っているんだ。」やっぱりちょっと箱男羨ましい@病み人間orz 時間軸が狂ってるよ、と指摘してくる「落書」に自分のノートなんだからどう書こうが勝手だろう、と返した男に、「このノートの筆者を、君だと決めてかかる必要なんかどこにもないんだ。君以外の誰かが筆者であっても、いっこうに差支えない」と空想のはずのキャラがまーた混乱させてきやがる(´Д`;) 想像、実在、空想、無実、実在、証明・・・ここまでの全ての出来事の境界線が曖昧に溶けて混ざり合い、錯綜し無意味なものであったかのようにすら感じさせる。「どういうつもりなの公房さーん!?」と頭掻きむしって叫び出したくなる場面ですね(笑)
でもって次の≪供述書≫でやっと贋箱男、と箱男が呼んでいた「医者」の真実が見えてくる。≪Cの場合≫を代弁してくれるのは、箱男の変死体として見つかったヤク中の軍医自身。そっくりなノートに、初っ端の≪ぼくの場合≫と同じ書き出し。ノートの筆者の正体はまたこれで藪の中。軍医自身による嘱託殺人の行動予定表を過去形で作る「君」。彼が「すでに見てしまった着弾地」を早く読みたいと願う軍医。「君は神経質すぎるよ。なぜもっと実際的になれないのだ。いくら力んでみたって、いずれ出来ることしかできないのに。」・・・真理や。この後の青と死の誘惑に関する描写がとても綺麗。軍医の殺害を箱男の溺死に見せかけるための手段として用いるはずだった「箱」。本物に5万で箱を捨てろ、と「彼女」が持ちかけた理由も見えてきますね。「もしかすると、君は箱に深入りしすぎたんじゃないかな。手段にすぎなかった箱に、中毒しかけているのかもしれない。たしかに箱も、危険な青の発生源だと聞いている。」それで贋医者は贋箱男に(((@_@;)))アワワワワ でも軍医殿に言わせると「いくら深刻ぶったところで、しょせん贋箱男なのである。君が、君をやめるなんてことは、出来っこない。」
≪続・供述書≫暗に当時の医学界を批判しつつ罪を認め反省する言葉を必死に綴る贋医者くん。「被害意識のない被害者が被害者でないとすれば、加害者意識のない私も加害者ではないと申したいのでありますが、だからと言って法をおかして良いとは考えません。」このくだり、患者に対してだけじゃなく軍医殿を殺すことについても必死に自分に言い訳してるんやな、と>< で、更に第三者として存在していたのかと思ってきた箱男がそもそも贋医者によるでっち上げ工作、あーそうだよな、ノートの筆者が二人のどっちかだとすれば(以下略)とまた衝撃の事実が!@混乱Σ( ̄□ ̄;)
≪死刑執行人に罪はない≫遺体安置室にいる軍医の安らいだ気持ち「比率が棺桶そっくりなのも、憎悪や不平不満や怒りの感情などといった、人間的防御反応をまったく失くしてしまったぼくにはすこぶる居心地がいいのである。」やっべ、メッチャ『地下室の手記』思い起こさせるやんけ(ノ∀`) やっと殺しに来てくれたのにドアの前でためらっている「君」の気配に「いまさら私に希望を吹き込むような偽善はよしてくれ。口に入れてしゃぶってみるまでは、どんな飴玉でも、けっこう固く感じられるものだ。しかしすぐに噛み砕いてしまいたくなる。一度砕けた飴玉は、もう元には戻らない。」と軍医自身の死を求める強い思い、決意の固さがうかがえて(つД`) 「心配はご無用、いくら未練があろうと、未練は未練にすぎない。これ以上生きのびるべきでないことは、ちゃんとぼくの理性が心得ている。・・・しかしこの理性も、満ち潮に洗われはじめた海岸の砂の城のように脆く、はかない。・・・とたんにぼくは前言をひるがえし、意地汚く死にさからい始めそうな気がする。(「彼女」への想いと妄想を散々語り尽し)・・・彼女に対する情感が煮詰められて、けっきょく食欲に収斂してしまうらしいのだ。そこまで食欲が嵩じれば、いやでも生に執着せざるを得なくなる。・・・自殺だってれっきとした行為の一種であり、行為である以上、理性や願望だけではなかなか実現してくれない。わずかな未練や食欲が、二の足を踏む口実になってしまう。」
このくだり読んで性自認→食欲不振→自己処理願望という数か月の自分自身の心理状況が整理できましたm(__)m 実に心から、彼とは真逆の方向に納得です。じゃあもう一生元の食欲を取り戻すことは無いかもしれないけど、自己処理のタイミングだけは間違えないように頑張るわ軍医殿!という気持ち(´∀`)bハハッ とにかく何とか自立してからじゃないと申し訳ないし・・・自然死に見せかけたいし・・・まぁ途中で消極的にでも自分からは止めよう、となるか(少なくとも今の時点では一応まだ止めとこう、だけど)どう転ぶかよくわかんないけど。性と食と生きることへの欲はぜーんぶセットで、丸ごと失っちゃった(あるいは過去に初めから存在しなかった欲を無理に作りだそうとした反動)から今こうなってんのか、という教えを与えてくれてありがとう、という感じです(笑)
まさに自分を殺している最中の「君」に向かって「君にはもうこれ以上耐えられない。だから耐える必要なんかないと前から言っているんじゃないか。殺人だなどと大げさに考えずに、腐敗の進行を食い止めるのだと思えば済むことである。」と心の中で語りかける軍医。ベッドのスプリングが奏でる野辺送りの歌が「ひどく陽気で、ちょっぴり感傷的」とこのシーン本当に哀切を帯びた美しさ。すすり泣く「彼女」の姿にも、贋医者と「彼女」の人間味を感じて切なくなる(;_;)
≪最後の挿入文≫「真相」「真の筆者」「真の目的」あーそういえば残ってたね、ってこの段階まで来るとそんな感じ(笑)「君」って誰?読者?「想像の産物ではあっても、嘘ではない。嘘は相手を言いくるめて真実から遠ざけることだが、想像はむしろ相手を真実にみちびくための近道になりうるものだ。」詭弁じゃね?(´Д`) 真相の告白は義務の問題ではなく、現実の利害がからんだ問題だと語る「ぼく」による安楽死の判決文批判は、上でぶっちゃけたような病みを抱えた私を激しく頷かせてしまう要素がある。「肉体的次元にこだわりすぎて、人間解釈のうえであまりにも小心すぎるし、通俗すぎる。心の病だって肉の苦痛に負けず劣らず、見るにしのびない場合があるはずだろう。・・・ぼくが言いたかったのは法律の届かない場所に住む人間が相手なら、いずれすべての殺人が安楽死だということなのだ。・・・箱男殺しも罪にはなり得ない。・・・箱男も法律的には最初から存在さえ認められていない存在である・・・だから、誰が本当の箱男であったかをたずねるよりも、むしろ誰が箱男でなかったかを突き止めるほうが、ずっと手っ取り早い真相への接近法だと思うのだ。」だから私は“彼ら”に共感し、そうなりたいと羨んだのか。安楽死、殺しても罪にはならない、存在さえ認められていない存在に。
名前も診療所も妻も、全てをCに譲渡した軍医と、本名と身分を全て借りていた立場のCは、どちらもある意味「最初から存在さえ認められていない存在」と言えるかもしれない。という事は?余計混乱してくるなぁ(-_-;)「馴れてしまえば、どこにいようと時間は箱男を中心に、同心円を描いてまわりはじめるのだ。・・・箱の中で退屈するようではいずれ贋物にきまっている。そこで、考えてみてほしいのだ。いったい誰が、箱男ではなかったのか。誰が、箱男になりそこなったのか。」
≪Dの場合≫に出てくる女教師は、もしかして別居してピアノを教えながら生計を立てているという軍医の妻「奈奈」さんだろうか?
間に挟まれている写真の一枚目、表紙に使われているバックミラーに映る家。「小さなものを見つめていると、生きていてもいいと思う。・・・大きすぎるものを眺めていると、死んでしまいたくなる。」この気持ち凄くよく分かります。小さいと見えていたものが段々大きくなって潰されそうになる悪夢小さい頃からよく見る。ディズ○ーランド行って『イッツ・ア・スモール・ワールド』とか流れてるとパニック起こしそうになりますよ。酷い矛盾だもん。世界は広いしランドも広い、それなのに「small」だと!?錯覚させないでくれ。怖いんですよ、ひねくれているというか歪んでる発想だと解っているけどそういう視覚よりも心理的な錯覚が。小さくて狭い世界ならみんな同じ感覚・考え方だって思っちゃうじゃん。でも実際は家族とだって違う。人の心は一人分だって海のように深く広い(私の底なしの空洞も)。その距離の広さ、大きさに堪らなく惹きつけられるけど呑み込まれそうで押しつぶされそうで怖い。すごく好きなものに出会った時、精神的な衝撃を受けた時いつも胸がモヤモヤして悪夢を見るのはそういうことだと思います。三枚目のホームレスの写真「ここは箱男の街。匿名が市民の義務となり、誰でも無い者だけに許された居住権。登録された一切のものが、登録されたというそのことによって裁かれるのだ。」安楽死のくだりで出ていた話と重なりますね。四枚目の廃車置き場「走り続けたが追いつけなかった人々の贋のゴール 審判も観客もとうに引揚げてしまった夜の競技場」贋箱男・あるいは贋医者の顛末を予感させる文言。
思春期にありがちな性的興味が高じての最初の覗き嗜好の覚醒から手痛いしっぺ返しを食らったD少年は、これから箱男への道を歩むことになるのだろうか?それとも・・・。
≪………………≫の章で「本物」を名乗る箱男がやっと現れ、「彼女」がちゃんと箱を脱いでくれないと困る、と告げる。贋医者だった「先生」はどうやら街へ出かけたらしい。彼が戻る気もなさそう、と告げる「彼女」に箱男は「ぼくは贋物だったんだ。」と白状する。「でもこのノートは本物なんだよ。本物の箱男からあずかった遺書なのさ。」つまり、変死体となった軍医の?けれど後に続く「すべての遺書が額面どおり、つねに真実を告白するものとは決まっていない。死んでいく者には、生き残る連中には分らないやっかみもあれば嫉妬もある。なかには「真相」という空手形に対するうらみが骨身に徹していて、せめて棺桶の蓋くらいは「嘘」の釘で止めてやろうという、ひねくれ者だっているはずだ。ただ遺書だというだけで鵜呑みにするわけにはいかないのである。」という記述がこれまた!(´Д`;)ドウイウコトナノー⁉
≪夢の中では~≫の章のショパンと父の切なさ。露出狂に関する前述のフラグ回収(ただの立ちションを婚約者に見られちゃっただけだったのに><)初めは結婚式のお約束の馬として箱を被り、そのまま箱を脱がなくなった父。年月が経ち小さな絵で名を成したショパンは、その代金入れと化した“父が入っているはず”の箱の中身すら気にならなくなっている。彼の憂鬱はただ一つ、「画のなかの彼女(元婚約者)がいつまでも昔のままなのに、本物の彼女は経った年月の分だけ歳をとってしまったはずで、もう取返しようがないということ」
≪開幕五分前≫この章の「君」はこれまで出てきた「彼女=看護師見習いの葉子」だろうか?「熱風自体のなかに、その終末の予感がひそんでいる」ふたりの間に吹く熱気。普通の恋愛とはまるで異質な、終わりから始まる逆説的な恋。「愛することは美しいが、愛されることはみにくい。」あー、うん私もどっちかと言うとソレに同意するクチ(-_-)) 「失恋から始まった愛には、だからまるっきり影がないわけだ。美しいかどうかは知らないが、ともかくこの痛みには悔いがない」彼の語る真意が理解できずに話の理由を問いただす「君」に、彼は「作中人物の一人になる義務」を強要する。なぜ、と聞く「君」に対して「大事なのは結末じゃない。必要なのは現在この熱風を肌に受け止めているという、その事実なのさ。・・・眠っていた言葉や感覚が高圧電気をおびたように、青い光を発してあふれ出すのは、こうした熱風の中でなんだ。人間が魂を実体として眼にすることが出来る、得がたい時なんだ。」何か急に恋愛物感高まりだしたな(笑)「その調子でくどけば、絶対に自分は傷つかずにすむわけね。」と皮肉を返す「君」に「半分は真実かもしれない。でも別の半面を君がまったく認められないというなら、もうやめてもいいんだよ。」と。「君」が無理をしていると見抜きながら彼は続ける。「時間は大事にしたい。しかし、時間を取り戻そうとは思わない。・・・すばらしい言葉の森と官能の海……そっと君の肌に指を触れただけで、時が停リ永遠がやってくる。この熱風の苦痛の中で、ぼくは死にいたるまで消えない、肉の変形術をほどこされるのだ」コイツやべぇ葉子さん逃げてえぇー!(>Д<;)キャー
≪そして閉幕の~≫「ぼくは間違っていなかった。失敗したかもしれないが、間違ってはいなかった。失敗は少しも後悔の理由にはならない。ぼくは別に結末のために生きて来たわけではないからだ。」この言葉、とても好きです。こういう風に考えられれば、もっと楽に生きられるのかもしれない、と場面やストーリー的に全く場違いの発想ながら純粋にそう思ってしまった。「彼女」が去った後でドアを塞ぐ計画を練る「ぼく」。窓や通気口は既に塞いであるらしい。「建物全体が完全に外界から遮断されて、出口も入口もなくなるのだ。そうした上でぼくは出発する。箱男にしか出来ない脱出だ。」窒息するよ!?Σ(゜Д゜;) 彼女と一言も言葉を交わさずに別れたことへの心残りを語りつつ「言葉が役に立ってくれる段階は既に過ぎ去ってしまっていた。眼を見交わしただけで、すべてが理解できた。完全すぎるものは、崩壊の過程に現れる現象の一つにしかすぎないのだ。」何という深い表現・・・。例の遺体安置室(軍医を殺した部屋)を気にしているということは、やはり元カメラマンじゃなくて贋医者の方なのか?
裸でくっついて自堕落な生活を送りながらも、それは「本当に楽観的だったのだろうか。ぼくらは最初から、ただ希望を放棄していただけなのだと思う。情熱とは、燃えつきようとする衝動なのだ。ぼくらは燃えつきようとして焦っていただけなのかもしれない。燃えつきる前に中断することは恐れていたが、現世的な持続を願っていたかどうかは疑わしい。」余りに破滅的な、けれどこういう状態(共犯・あるいは秘密の共有関係)に陥ってしまった男女にありがちな感情ですな(´-`) 体の一部をたえず接触させ、半径二・五メートル以内にいた二人。「その距離だとほとんど相手が見えないのだが、べつに不都合は感じない。・・・それ以上に、相手から見られていないという開放感が大きかった。ぼくは彼女の前で、部分に分解してしまっていた。・・・言葉そのものがすでに意味をなくしかけていた。時間も停止してしまっていた。・・・どんなに長く燃えつづけても、燃えつきてしまえば一瞬で終ることだった。」だから「ぼく」は彼女が裸ではなく服を着けて「ぼく」を見上げているのに気づいたとき、「さしたる混乱もなく、ちょっぴり振出しに戻った(何たって終わりから始まった恋だったんですもんね(^^;)ような落胆をおぼえただけですませられた。」と。けれど「振出しだったら、もう一度最初からやりなおしがきくのだろうか。もちろん何度でもやりなおしはきくはずだ。・・・しかし、何度やりなおしてみたところで、いずれまたこの同じ場所、同じ時間が繰返されるだけのことだろう。」という記述が切な過ぎて(´;ω;`)ブワッ
時計の文字盤の話はなるほどー、と思った。8は一日に二度ざらついた眼で見られるから風化して、逆に2は夜閉じた眼が無停車で通過してくれるから減り方も半分ですむ。けれど「もしまんべんなく風化した平らな時計を持っている者がいたら それはスタートしそこなった一周おくれの彼」全世界の睡眠障害を患ってらっしゃる皆さんがギクリとしたことだろう、私も含めて(^^)b 気づけばこの時間だもんね☆「だからいつも世界は一周進みすぎている 彼が見ているつもりになっているのはまだ始まってもいない世界 幻の時 開幕のベルも聞かずに劇は終わった」何コレ、何の暗喩なの・・・?(((゜Д゜;)))gkbr
再度≪………………≫の章。「彼女」閉じ込められっぱなしなのかよ!服もちゃんと着てて?玄関も非常階段も厳重に閉めきったって!?(@Д@;)アワワワワこえぇ!服を着ている彼女に見られるのが我慢ならないから、無効化するために電源を切った闇の中なら裸も同じ条件になり、彼女は再びやさしくなるとな?「箱から出るかわりに、世界を箱の中に閉じ込めてやる。いまこそ世界が眼を閉じてしまうべきなのだ。きっと思い通りになってくれるだろう。」途中までまるで自分の話、と思うくらい激しく共感していたけれど、ここで完全に彼と私は全く違う発想の元に動いているのだ、と哀れに思った(´・ω・`) 私は世界をどうこうしたいんじゃなくて、素晴らしい世界から自分という異物を少しでも除去、あるいは見えなくしたいんだもん。いないも同然の存在になりたいという動機が異なる。世界はこのまま眼を開いて、広がり続けてほしいよ。・・・と、彼女の部屋を訪ねてみると何とそこはただの路地裏でした。つまり全ては浮浪者の一形態としての箱男の妄想の話だったのだろうか?
「彼女を探し出さなければならない。しかし、もうそこから先には一歩も進む余地がない。ここもけっきょくは閉ざされた空間の一部であることに変りはなさそうだ。それにしても、彼女はどこに消えたのだろう。・・・さらに一歩踏み出してみたら、どうなるのかな。好奇心はある。しかし似たようなものだろう。いずれ同じ建物の中での出来事にすぎないのだ。」もしかして、ここで例えられている「建物」は街・ひいては世界全体を指すのだろうか?「世界を箱の中に閉じ込めてやる。」そう考えることで箱男なりに精神の安定を図ろうと?「大きなものを見ると死にたくなる」から、一つの建物の中に収まるくらい小さいものだと街や世界を捉えなおすことで均衡を保とうとしたのではないか、と似たような病気?を抱える身として考えちゃった(・・;)
落書のための余白の話は、人の持つ時間や人生そのものについて暗示しているのかもしれない。じゅうぶんに確保しておくべき余白、いやそれはいつだってじゅうぶんに決まっている。「いくら落書にはげんでみたところで、余白を埋めつくしたり出来っこない。・・・ある種の落書は余白そのものなのだ。すくなくも自分の署名に必要な空白だけは、いつまでも残っていてくれる。」だから白が怖いんだよねー正直。個人的に小、中と新しい学校に入学することが続きまして、綺麗すぎる学校って逆に怖いんですよ。古い小学校に転校して味のある図書室の本の匂いに接した時や、歴史ある高校の机の落書き盛り沢山な光景に何かホッとして愛着感じちゃいましたもん。人間、というか生き物の痕跡が残っていない空白の場所って、自分たちがソコを埋めていかないといけない、というプレッシャーや、圧倒的な無機物の感触?触感?に押しつぶされそうで苦手です。
「じっさい箱というやつは、いったん内側から眺めると迷路なのだ。もがけばもがくほど、その迷路に新しい節をつくって、ますます中の仕組みをもつれさせてしまう。」きっとこのフレーズには世界中の精神病患者や悩みのドツボにハマっておいでの皆さんが、自分の心や人生そのものの有様を重ね見て全力で同意なさることだろう(つД`) 特に現代版箱男、ヒッキーのみんな!「姿を消した彼女だって、この迷路の何処かにひそんでいることだけは確かなのだ。べつに逃げ去ったわけではなく、ぼくの居場所を見つけ出せずにいるだけのことだろう。いまならはっきりと確信をもって言うことが出来る。ぼくは少しも後悔なんかしていない。手掛りが多ければ、真相もその手掛りの数だけ存在していていいわけだ。」・・・素晴らしい!ブラボー!!ファンタスティコー!!!(゜m゜;)パチパチパチパチ
私が『わたしを離さないで』の感想で述べたカズオ・イシグロの絶妙な“日系”感がその結末の曖昧さ、読み手に託す意図にある、っていうのをより混沌として壮大なスケールでやってのけた、まさにそんな作品じゃないですか!?@握りこぶしo(`Д′)=3 結論から言うと何が真実でも、誰が箱男でも贋物でも、彼女だの君だの女教師が奈奈でも葉子でも良いんですよ。どう捉えようと自由、公房さんはその可能性を与えてくれた。どのストーリーでも納得できる手掛り、誰が死んでようが生きてようが、何中毒だろうが、どこをさまよってんのか、一件の家の中での出来事なのか。「ぼく」と「彼女」が本当のトコどういう関係だったのか。それでなお作品として空中分解してないわけよ。同時に作家として人間の本性とか世の中の不条理なんかの矛盾や真理を鋭く突いてもきている。あぁ何つーか、どういうことなのか分からなくて混乱しているけど、その混乱がむしろ喜ばしい。良かった、答えが出なくて!って全力で思える本に出会えたのは(以下略)
次は何に行こうかな?ちょっと続けて行くと沼に落っこちそうだから安定剤+花粉+風邪で頭ボーッとしてるし、分かりやすそうな『日の名残り』行っとこうかな。で、『壁』読みつつブクオフ巡りしたいなぁ。何かはあると信じて・・・。ある本読んでも良いんだけど、その時欲望が向いてる方と上手く噛み合わないと、せっかく読み始めても何かイマイチ楽しめないし集中できないんだよね><
煩わしい外界の全てからシャットダウンされた狭い箱の中で解放され自由になる魂。ある意味で、狭い場所を好む子供と同じように母親のお腹の中の胎児に還る気持ちなのかもしれない。≪Aの場合≫最後の「匿名の市民だけのための匿名の都市のことを一度でも夢見たことのある者だったら、他人事ではない、つねにAと同じ危険にさらされているはずなのだ」という部分にまず力強く頷きました((´∀`)ウンウン
≪安全装置を、とりあえず≫に出てくるのが一応「本物の」街で最も古い箱男らしく、彼がノートの著者ということに(この時点では)設定されている。この章で彼は懇切丁寧に「箱男」の実態について解説した上で、「自殺の意志はない」「浮浪者とは違う」という独特のプライドもまた垣間見せる。「心の方向感覚の麻痺」を持病とする箱男にとって、箱はどこか別の世界への出口、というのがラストへと繋がるフラグだったのかと思うと(((゜Д゜;)))gkbr 「存在しないも同様の天性の殺され屋」うっわー、箱女になりたい気持ちが増すばかり、と感じる自分はまだ病んでる最中なんだなー、と嗤いつつ、元カメラマンの彼が撮影したということになっている(と思われる)四枚目の家族?が映った写真の注釈「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。しかし誰もが見るだけの人間になるわけにはいかない。見られた者が見返せば、こんどは見ていた者が、見られる側にまわってしまうのだ。」これほど共感できる文章があるだろうか。どんなに「自意識過剰」と言われても、怖いんですよ人の視線が!自分がすごく観察してしまってソレを好む性質な分、余計にな!我ながら面倒くさいしキモい自覚はあるんですけど(-_-;)
その≪写真についての補足説明≫で方向だけじゃなく時間間隔の麻痺も箱男の持病の一つ、って何かコレも解るなぁ。ヒキってるとカレンダーいらないし、本とか動画さまよってると時間ものすごく経ってたりするもんね。空気銃で撃たれた箱男が狙撃者にむしろ新たな仲間誕生の予感を感じて親近感さえおぼえた、というのは『阿Q~』の精神勝利のやり方に近いように感じたかな(´・ω・`) 覗き・隠し撮りへの興味から遂に自分がいつでも“外”の世界を小さな箱の内側から覗く立場になれる箱男になってしまったという元カメラマンの心情・・・なるほどー、と思っちゃった(笑)
≪それから何度かぼくは居眠りをした≫貝殻草と夢の話。贋魚の、たとえようもない欠乏感。「どんな好奇心だって、けっきょく最後は、手で触って確かめてみるのでなければ本当の満足なんてありえない」声帯を持たぬ魚でありながら言葉を使って悩む二重感覚に、魚の墜落という不可思議な概念。死んだ魚でさえ海面に浮かび上がる中、贋魚が墜落するには逆墜落、死の危険が賭けられた、空気に溺れるという行為によって夢は醒めるはず、と綴る箱男。この辺の文章の比喩や表現がとっても綺麗で面白いです!「贋物であることに免疫になってしまったぼく」、「箱男はけっきょく箱男のままでいるしかないらしい」この辺はノートの著者が誰なのか改めて混乱させてくる仕掛けやなー(´Д`;)
≪約束の履行≫により現金を受け取り箱を捨てる羽目になった箱男だが、彼はヤドカリのように無理に引出されると千切れて死んでしまう、という弱さに同意@ダメ人間\(^O^)/ 「別の世界に脱皮する時にだけ箱を脱げる」「もっとも箱男という人間の蛹から、どんな生き物が這い出してくるのやら、ぼくにだってさっぱり分らない。」あー、うん、既に中身は空なんじゃないかな?私の例を見るに(笑)
≪鏡の中から≫箱の中から見る世界と普通の人間の目に映る景色の違いの表現に思わずハッとさせられた。基本的に足元しか見えない箱の中の視点では「あらゆる細部が均質になり、同格の意味を帯びる。」「遠近が定まらず、輪郭が曖昧」で自分と立場が似通っているからそんな風景が好きだ、と言う箱男。「箱から覗いているかぎり、どんな風景も見飽きることがない」というのはある意味真理なのかな、と思った。でもって遂に病院を訪ねた彼はお目当ての彼女と贋箱男とのある場面を目撃してしまう。「願望の幻」覗き趣味への自問と告白、「あらゆる場所を覗いてまわりたいが、かと言って、世間を穴だらけにするわけにもいけず、そこで思いついた携帯用の穴が箱だったのかもしれない。」うーん、深い><
「彼女」への執着をあらわに「贋箱男」への嫉妬を覚えながら「現実の裸に想像が追い付いたり出来るわけがない。見ている間だけしか存在してくれないから、見たいと思う欲望も切実になる。見るのをやめたとたんに、消えてしまうから。」からの「裸の所有権」話は納得と「んん?」って気持ちが混ざってちょっと複雑・・・(^ω^;) 贋箱男に向かって「そんなことを続けていると、いまに本当に出られなくなってしまうぞ。・・・彼女があんな取引(5万で箱を買うから脱いで捨てろ、という)を思いついたそもそもの狙いも……あいつをこんなふうに箱に閉じ込めてしまうことだったのかもしれないのだ。そして彼女も自由になる。ぼくもこれを機会に、箱と手を切ってみることにしたらどうだろう。」と希望的観測を勝手に並べ立てた挙句、結局箱を手放せずに「決心しさえすれば何時だってできること」「箱から出るだけなら、なんでもない。なんでもないから、無理に出ようとしないだけのことである。ただ、出来ることなら、誰かに手を貸してほしいと思うのだ。」恐らく恋慕が芽生えつつある「彼女」への想いを込めたフレーズなのだろうけど、すごく自分の心境にシンクロしてしまって。・゜・(ノД`)・゜・。自分へのごまかしや言い訳が利かなくなってきた時、どうすりゃ良いか分かんなくて、苦しくてひたすら友達や色んな人に嫌なこと何もかも吐き出してしまってきたこの数か月。一度「箱」に籠ったら、脱け出すのは本当に至難の業なんですよね。甘えに他ならないんだけどorz
次の≪挿入文≫によって明かされる前章の出来事についての衝撃の真相Σ(゜Д゜;) 次の章≪書いているぼくと 書かれているぼくとの~≫で再び箱男さん登場。「箱が移動するトンネルなら、裸の彼女はトンネルの出口に差し込む、まばゆい光。・・・この三年間、ぼくが待ちつづけていたのはたしかにこの機会だったように思う。」「いまさら箱に未練なんかあるものか。未練どころか、もううんざりである。出口あってのトンネルなのだ。」うーん、恋は人を変えるとは言うけど、ここまで来ると乖離性人格障害でも患ってらっしゃる?と思ってしまう域(笑)Bの残骸を見つけた時の彼の心情、「自分の(箱の)死を思い浮かべたことはなかった。時が来れば、水滴が蒸発するように、自然に消えてしまえるつもりでいた。しかしこれが現実なのだ。」それなんだよね、あの時もこの時も、結局ためらった理由は(;_;)とこの部分も大いに共感。「箱の死が、そのままBの肉体的な死だったとは限らない。・・・この箱の残骸は、蝶になって飛び立った蛹の殻かもしれないのだ。出来ればそう思いたかった。そうでも思わなければやりきれない。」この部分、まごうかたなき彼の本音なのだろう、と感じた(泣)所持品の単純化の話で「切り捨てにもおのずと限度がある。貯めるのにも苦労はあるが、捨てる努力はそれ以上だ。なにか自分の持物につかまっていないと、風に吹き飛ばされそうで不安なのだ。」この文章も非常に同意せざるを得ない。だから色々ガラクタみたいなものでも捨てられないし、自分の一部みたいになってしまった本とかは絶対処分できないんだよー><
で、病院を訪ねた箱男の語るニュース中毒のくだり「世界ってのは、沸きっぱなしの薬罐みたいなものなのさ。ちょっとでも眼を離している隙に、地球の形だって変りかねない。」まさに5年前、地球の裏側にいた人々にとってはその通りの出来事が起こったと言えるでしょうね。うちらは身を以て地軸がズレる揺れを体験したけど・・・。ニュースを聞かないと不安なのは臆病だから、「当人にとっちゃ深刻な話さ。ニュースを読んだり聞いたりするだけで、一日の大半がつぶれてしまうんだからな。自分で自分の意志の弱さに腹を立てながら、それでも泣く泣くラジオやテレビから離れられない。いくら漁りまわったところで、べつに事実に近付いた訳じゃないくらい百も承知していながら、やめられないんだ。ぼくに必要なのは、事実でも体験でもなく、きまり文句に要約されたニュースという形式だったのかもしれない。」ラジオやテレビ→ネットに変えたら、少し前の自分と丸きり同じ状況(´-`) 一つの出来事についてあらゆる視点から情報集めないと不安でした。自分の感想は合ってるのか、一義的な物の見方に囚われてしまってはいないか。あとヒキってるから純粋にそれで物事を知った気になれてた。実際の現場に行って見たいとか経験したいという気持ちは全くなくて、ただ頭の中に情報を蓄積して妄想の道具にしたかっただけ@最悪^^#ビキビキ そりゃせっかく歴史専攻行っても特に意味なかったわけだわ。
箱男さんの解毒剤は目の前で起きた見知らぬ男の突然死だった。(私の場合は父が倒れたことかな?もうすっかり元気だけど)絶対にニュースにはならないのに、当人にとっては最も大きな変化を引き起こす「死」。「自分も変化したけど、外の世界も変化しちゃって、もうこれ以上変化のしようがないんだ。どんな大ニュースも追いつけないほどの、大変化さ。」「人はただ安心するためにニュースを聞いているだけなんだ。どんな大ニュースを聞かされたところで、聞いている人間はまだちゃんと生きているわけだからな。本当の大ニュースは、世界の終りを告げる、最後のニュースだろう。もちろんそいつが聞けたら本望だよ。ひとりぼっちで世界を手放さなくてもすむんだからな。考えてみれば、ぼくが中毒にかかったのも、結局のところその最後の放送を聞きのがすまいとする焦りだったような気がする。しかし、ニュースが続いているかぎり、絶対に最後にはならないんだ。まだ最後ではありません、というお知らせなのさ。・・・でもあなたはまだなんとか生きてます(エンドレス)」これ凄く実感としてクるものがある。私が中毒に陥ったのは震災の後からだったもん。マジでヤバい状態の時、人はニュースというものを聞く手段が無い。聞けるだけ己の無事を実感し安堵する。「ニュースを聞かない人間に悪人はいない・・・ニュースを信じないということは、つまり変化を信じないという事だろう、ぼくもむりやりここに変化を持込んだりするつもりは無いということさ。」このセリフも解釈が難しいけどその通りかもしれない、と思わせる複雑な感想(-_-;)・・・正直まだ中毒から脱し切れてはいないので。
贋箱男との対峙で持ちかけられた「彼女」と箱に関する取引のやりとりで蘇る、幼い日の屈辱の記憶。暗い所でわざわざ小さな字の本や雑誌を読みふけるようになったのは「見ることからも、見られることからも、ただ逃げ出したかっただけ」という箱男さん(つД`) わかるよー!そこまで視力悪くないけど(笑)その後に続く「ぼくは自分の醜さをよく心得ている。・・・もっとも、醜いのはなにもぼくだけではなく、人間の九十九パーセントまでが出来損いなのだ。人類は毛を失ったから衣服を発明したのではなく、裸の醜さを自覚して衣服で隠そうとしたために、毛が退化してしまったのだ・・・それでも人々がなんとか他人の視線に耐えて生きていけるのは、人間の眼の不正確さと錯覚に期待するからなのだ。なるべく他人と見分けがつきにくいように工夫したり、こちらが露骨な視線を向けなければ向こうも遠慮してくれるだろうと、伏目がちな人生を送ることにもなる。・・・「覗き」という行為が侮りの眼をもって見られるのも、自分が覗かれる側に回りたくないからだろう」ここから箱男に到るまでの過程の吐露が、すべての人間に通じ得る根源的な感情、誰もが持っている狂気と理性の狭間をありありと表現している文章ではないか、と感じた。
註釈の露出狂のくだり、ここも後半部へのフラグ立てですね。過剰性欲ではなく抑制されすぎた性表現である場合が多い、と。異性に興味を抱きながら実在する個々の存在には病的な羞恥心を覚える余りそういった行為に走る。醜さの自覚、鏡に映した相手への視姦行為、と。ナルホド・・・?(このエピソードに関しては正直マジ勘弁、と感じた記憶しかないのでホント触れたくない)
しかし箱男は「彼女」に対して夢を抱き過ぎているような気がするな。「強力万能浄化装置」と「欲望解放装置」の二つを兼ね備えた女なんかいるわけねーだろ、都合良いな全く(^ω^#) とにかく“誰か”を、特に歪んだ性癖ゆえに孤独に身を浸してきた経歴の持ち主としてはその欲望を満たしてくれる存在を求めずにいられない気持ちはわかるけどさ。選択の責任を負いたくない、と語っていた彼女について贋箱男は「人間過信」と表現する。「なんでも衝動的にやってしまい、咎められると簡単にあやまる。あやまりさえすれば、どんな罪でも帳消しになると信じ込んでいるらしい」ふーむ。(・ω・)) 彼女の身体の魅力についての男たちの変態的(笑)やりとりに続く生物の求愛行動の話、だから自分は全力で苦手で受け入れられないのかな、と思った。「境界線を越えた侵入者への攻撃本能。人間の場合のラインは半径二メートル半くらいの位置。その至近距離では敵の正体を見破ろうにも、かえって見きわめにくい。役に立つのは、触角と嗅覚だけになる。」混んでる電車に乗ってるだけで痴漢いなくても気持ち悪くて堪らなくなるのもそのせいなんですかねぇ?(´-`)
この先一気に急展開、というか虚構(妄想)と現実が入り混じり、誰と誰が対話しているのか混乱させる構成に。誰がノートの著者なのか、という核心に迫る会話。時計に封をした「君」、金縛り状態の「彼女」、「実在している人物は一人だけ・・・このノートを書き続けている誰か……ぜんぶがその誰かの独り言にすぎない・・・必死に箱にしがみつづけるために、このまま永遠にでも書きつづける腹なんじゃないかな」そしてその「誰か」の言い訳じみたズボンへの執着。「文明社会というのは、一種のズボン社会」確かにそうかも、特に男の人の場合(・・;) 時間をかけて垢をこそげ落とした後の倦怠感、箱男として過ごした三年の間に「骨だけ残して、すっかり垢の塊りになってしまったのかもしれない・・・あと三年かけて骨までこそげたところで、垢は落ちっこない……」自分へのどうしようもない諦めと絶望の気持ちが切々と伝わってくる(´;ω;`)ブワッ
でもって会話相手のはずだった贋箱男?の正体が箱の落書だってー!?「定員一名かぎりの密室……誰にも覗けないのだから、真似のしようもない、顔の裏側・・・これがぼくの履歴書・・・必要なものは、なんでもここに揃っているんだ。」やっぱりちょっと箱男羨ましい@病み人間orz 時間軸が狂ってるよ、と指摘してくる「落書」に自分のノートなんだからどう書こうが勝手だろう、と返した男に、「このノートの筆者を、君だと決めてかかる必要なんかどこにもないんだ。君以外の誰かが筆者であっても、いっこうに差支えない」と空想のはずのキャラがまーた混乱させてきやがる(´Д`;) 想像、実在、空想、無実、実在、証明・・・ここまでの全ての出来事の境界線が曖昧に溶けて混ざり合い、錯綜し無意味なものであったかのようにすら感じさせる。「どういうつもりなの公房さーん!?」と頭掻きむしって叫び出したくなる場面ですね(笑)
でもって次の≪供述書≫でやっと贋箱男、と箱男が呼んでいた「医者」の真実が見えてくる。≪Cの場合≫を代弁してくれるのは、箱男の変死体として見つかったヤク中の軍医自身。そっくりなノートに、初っ端の≪ぼくの場合≫と同じ書き出し。ノートの筆者の正体はまたこれで藪の中。軍医自身による嘱託殺人の行動予定表を過去形で作る「君」。彼が「すでに見てしまった着弾地」を早く読みたいと願う軍医。「君は神経質すぎるよ。なぜもっと実際的になれないのだ。いくら力んでみたって、いずれ出来ることしかできないのに。」・・・真理や。この後の青と死の誘惑に関する描写がとても綺麗。軍医の殺害を箱男の溺死に見せかけるための手段として用いるはずだった「箱」。本物に5万で箱を捨てろ、と「彼女」が持ちかけた理由も見えてきますね。「もしかすると、君は箱に深入りしすぎたんじゃないかな。手段にすぎなかった箱に、中毒しかけているのかもしれない。たしかに箱も、危険な青の発生源だと聞いている。」それで贋医者は贋箱男に(((@_@;)))アワワワワ でも軍医殿に言わせると「いくら深刻ぶったところで、しょせん贋箱男なのである。君が、君をやめるなんてことは、出来っこない。」
≪続・供述書≫暗に当時の医学界を批判しつつ罪を認め反省する言葉を必死に綴る贋医者くん。「被害意識のない被害者が被害者でないとすれば、加害者意識のない私も加害者ではないと申したいのでありますが、だからと言って法をおかして良いとは考えません。」このくだり、患者に対してだけじゃなく軍医殿を殺すことについても必死に自分に言い訳してるんやな、と>< で、更に第三者として存在していたのかと思ってきた箱男がそもそも贋医者によるでっち上げ工作、あーそうだよな、ノートの筆者が二人のどっちかだとすれば(以下略)とまた衝撃の事実が!@混乱Σ( ̄□ ̄;)
≪死刑執行人に罪はない≫遺体安置室にいる軍医の安らいだ気持ち「比率が棺桶そっくりなのも、憎悪や不平不満や怒りの感情などといった、人間的防御反応をまったく失くしてしまったぼくにはすこぶる居心地がいいのである。」やっべ、メッチャ『地下室の手記』思い起こさせるやんけ(ノ∀`) やっと殺しに来てくれたのにドアの前でためらっている「君」の気配に「いまさら私に希望を吹き込むような偽善はよしてくれ。口に入れてしゃぶってみるまでは、どんな飴玉でも、けっこう固く感じられるものだ。しかしすぐに噛み砕いてしまいたくなる。一度砕けた飴玉は、もう元には戻らない。」と軍医自身の死を求める強い思い、決意の固さがうかがえて(つД`) 「心配はご無用、いくら未練があろうと、未練は未練にすぎない。これ以上生きのびるべきでないことは、ちゃんとぼくの理性が心得ている。・・・しかしこの理性も、満ち潮に洗われはじめた海岸の砂の城のように脆く、はかない。・・・とたんにぼくは前言をひるがえし、意地汚く死にさからい始めそうな気がする。(「彼女」への想いと妄想を散々語り尽し)・・・彼女に対する情感が煮詰められて、けっきょく食欲に収斂してしまうらしいのだ。そこまで食欲が嵩じれば、いやでも生に執着せざるを得なくなる。・・・自殺だってれっきとした行為の一種であり、行為である以上、理性や願望だけではなかなか実現してくれない。わずかな未練や食欲が、二の足を踏む口実になってしまう。」
このくだり読んで性自認→食欲不振→自己処理願望という数か月の自分自身の心理状況が整理できましたm(__)m 実に心から、彼とは真逆の方向に納得です。じゃあもう一生元の食欲を取り戻すことは無いかもしれないけど、自己処理のタイミングだけは間違えないように頑張るわ軍医殿!という気持ち(´∀`)bハハッ とにかく何とか自立してからじゃないと申し訳ないし・・・自然死に見せかけたいし・・・まぁ途中で消極的にでも自分からは止めよう、となるか(少なくとも今の時点では一応まだ止めとこう、だけど)どう転ぶかよくわかんないけど。性と食と生きることへの欲はぜーんぶセットで、丸ごと失っちゃった(あるいは過去に初めから存在しなかった欲を無理に作りだそうとした反動)から今こうなってんのか、という教えを与えてくれてありがとう、という感じです(笑)
まさに自分を殺している最中の「君」に向かって「君にはもうこれ以上耐えられない。だから耐える必要なんかないと前から言っているんじゃないか。殺人だなどと大げさに考えずに、腐敗の進行を食い止めるのだと思えば済むことである。」と心の中で語りかける軍医。ベッドのスプリングが奏でる野辺送りの歌が「ひどく陽気で、ちょっぴり感傷的」とこのシーン本当に哀切を帯びた美しさ。すすり泣く「彼女」の姿にも、贋医者と「彼女」の人間味を感じて切なくなる(;_;)
≪最後の挿入文≫「真相」「真の筆者」「真の目的」あーそういえば残ってたね、ってこの段階まで来るとそんな感じ(笑)「君」って誰?読者?「想像の産物ではあっても、嘘ではない。嘘は相手を言いくるめて真実から遠ざけることだが、想像はむしろ相手を真実にみちびくための近道になりうるものだ。」詭弁じゃね?(´Д`) 真相の告白は義務の問題ではなく、現実の利害がからんだ問題だと語る「ぼく」による安楽死の判決文批判は、上でぶっちゃけたような病みを抱えた私を激しく頷かせてしまう要素がある。「肉体的次元にこだわりすぎて、人間解釈のうえであまりにも小心すぎるし、通俗すぎる。心の病だって肉の苦痛に負けず劣らず、見るにしのびない場合があるはずだろう。・・・ぼくが言いたかったのは法律の届かない場所に住む人間が相手なら、いずれすべての殺人が安楽死だということなのだ。・・・箱男殺しも罪にはなり得ない。・・・箱男も法律的には最初から存在さえ認められていない存在である・・・だから、誰が本当の箱男であったかをたずねるよりも、むしろ誰が箱男でなかったかを突き止めるほうが、ずっと手っ取り早い真相への接近法だと思うのだ。」だから私は“彼ら”に共感し、そうなりたいと羨んだのか。安楽死、殺しても罪にはならない、存在さえ認められていない存在に。
名前も診療所も妻も、全てをCに譲渡した軍医と、本名と身分を全て借りていた立場のCは、どちらもある意味「最初から存在さえ認められていない存在」と言えるかもしれない。という事は?余計混乱してくるなぁ(-_-;)「馴れてしまえば、どこにいようと時間は箱男を中心に、同心円を描いてまわりはじめるのだ。・・・箱の中で退屈するようではいずれ贋物にきまっている。そこで、考えてみてほしいのだ。いったい誰が、箱男ではなかったのか。誰が、箱男になりそこなったのか。」
≪Dの場合≫に出てくる女教師は、もしかして別居してピアノを教えながら生計を立てているという軍医の妻「奈奈」さんだろうか?
間に挟まれている写真の一枚目、表紙に使われているバックミラーに映る家。「小さなものを見つめていると、生きていてもいいと思う。・・・大きすぎるものを眺めていると、死んでしまいたくなる。」この気持ち凄くよく分かります。小さいと見えていたものが段々大きくなって潰されそうになる悪夢小さい頃からよく見る。ディズ○ーランド行って『イッツ・ア・スモール・ワールド』とか流れてるとパニック起こしそうになりますよ。酷い矛盾だもん。世界は広いしランドも広い、それなのに「small」だと!?錯覚させないでくれ。怖いんですよ、ひねくれているというか歪んでる発想だと解っているけどそういう視覚よりも心理的な錯覚が。小さくて狭い世界ならみんな同じ感覚・考え方だって思っちゃうじゃん。でも実際は家族とだって違う。人の心は一人分だって海のように深く広い(私の底なしの空洞も)。その距離の広さ、大きさに堪らなく惹きつけられるけど呑み込まれそうで押しつぶされそうで怖い。すごく好きなものに出会った時、精神的な衝撃を受けた時いつも胸がモヤモヤして悪夢を見るのはそういうことだと思います。三枚目のホームレスの写真「ここは箱男の街。匿名が市民の義務となり、誰でも無い者だけに許された居住権。登録された一切のものが、登録されたというそのことによって裁かれるのだ。」安楽死のくだりで出ていた話と重なりますね。四枚目の廃車置き場「走り続けたが追いつけなかった人々の贋のゴール 審判も観客もとうに引揚げてしまった夜の競技場」贋箱男・あるいは贋医者の顛末を予感させる文言。
思春期にありがちな性的興味が高じての最初の覗き嗜好の覚醒から手痛いしっぺ返しを食らったD少年は、これから箱男への道を歩むことになるのだろうか?それとも・・・。
≪………………≫の章で「本物」を名乗る箱男がやっと現れ、「彼女」がちゃんと箱を脱いでくれないと困る、と告げる。贋医者だった「先生」はどうやら街へ出かけたらしい。彼が戻る気もなさそう、と告げる「彼女」に箱男は「ぼくは贋物だったんだ。」と白状する。「でもこのノートは本物なんだよ。本物の箱男からあずかった遺書なのさ。」つまり、変死体となった軍医の?けれど後に続く「すべての遺書が額面どおり、つねに真実を告白するものとは決まっていない。死んでいく者には、生き残る連中には分らないやっかみもあれば嫉妬もある。なかには「真相」という空手形に対するうらみが骨身に徹していて、せめて棺桶の蓋くらいは「嘘」の釘で止めてやろうという、ひねくれ者だっているはずだ。ただ遺書だというだけで鵜呑みにするわけにはいかないのである。」という記述がこれまた!(´Д`;)ドウイウコトナノー⁉
≪夢の中では~≫の章のショパンと父の切なさ。露出狂に関する前述のフラグ回収(ただの立ちションを婚約者に見られちゃっただけだったのに><)初めは結婚式のお約束の馬として箱を被り、そのまま箱を脱がなくなった父。年月が経ち小さな絵で名を成したショパンは、その代金入れと化した“父が入っているはず”の箱の中身すら気にならなくなっている。彼の憂鬱はただ一つ、「画のなかの彼女(元婚約者)がいつまでも昔のままなのに、本物の彼女は経った年月の分だけ歳をとってしまったはずで、もう取返しようがないということ」
≪開幕五分前≫この章の「君」はこれまで出てきた「彼女=看護師見習いの葉子」だろうか?「熱風自体のなかに、その終末の予感がひそんでいる」ふたりの間に吹く熱気。普通の恋愛とはまるで異質な、終わりから始まる逆説的な恋。「愛することは美しいが、愛されることはみにくい。」あー、うん私もどっちかと言うとソレに同意するクチ(-_-)) 「失恋から始まった愛には、だからまるっきり影がないわけだ。美しいかどうかは知らないが、ともかくこの痛みには悔いがない」彼の語る真意が理解できずに話の理由を問いただす「君」に、彼は「作中人物の一人になる義務」を強要する。なぜ、と聞く「君」に対して「大事なのは結末じゃない。必要なのは現在この熱風を肌に受け止めているという、その事実なのさ。・・・眠っていた言葉や感覚が高圧電気をおびたように、青い光を発してあふれ出すのは、こうした熱風の中でなんだ。人間が魂を実体として眼にすることが出来る、得がたい時なんだ。」何か急に恋愛物感高まりだしたな(笑)「その調子でくどけば、絶対に自分は傷つかずにすむわけね。」と皮肉を返す「君」に「半分は真実かもしれない。でも別の半面を君がまったく認められないというなら、もうやめてもいいんだよ。」と。「君」が無理をしていると見抜きながら彼は続ける。「時間は大事にしたい。しかし、時間を取り戻そうとは思わない。・・・すばらしい言葉の森と官能の海……そっと君の肌に指を触れただけで、時が停リ永遠がやってくる。この熱風の苦痛の中で、ぼくは死にいたるまで消えない、肉の変形術をほどこされるのだ」コイツやべぇ葉子さん逃げてえぇー!(>Д<;)キャー
≪そして閉幕の~≫「ぼくは間違っていなかった。失敗したかもしれないが、間違ってはいなかった。失敗は少しも後悔の理由にはならない。ぼくは別に結末のために生きて来たわけではないからだ。」この言葉、とても好きです。こういう風に考えられれば、もっと楽に生きられるのかもしれない、と場面やストーリー的に全く場違いの発想ながら純粋にそう思ってしまった。「彼女」が去った後でドアを塞ぐ計画を練る「ぼく」。窓や通気口は既に塞いであるらしい。「建物全体が完全に外界から遮断されて、出口も入口もなくなるのだ。そうした上でぼくは出発する。箱男にしか出来ない脱出だ。」窒息するよ!?Σ(゜Д゜;) 彼女と一言も言葉を交わさずに別れたことへの心残りを語りつつ「言葉が役に立ってくれる段階は既に過ぎ去ってしまっていた。眼を見交わしただけで、すべてが理解できた。完全すぎるものは、崩壊の過程に現れる現象の一つにしかすぎないのだ。」何という深い表現・・・。例の遺体安置室(軍医を殺した部屋)を気にしているということは、やはり元カメラマンじゃなくて贋医者の方なのか?
裸でくっついて自堕落な生活を送りながらも、それは「本当に楽観的だったのだろうか。ぼくらは最初から、ただ希望を放棄していただけなのだと思う。情熱とは、燃えつきようとする衝動なのだ。ぼくらは燃えつきようとして焦っていただけなのかもしれない。燃えつきる前に中断することは恐れていたが、現世的な持続を願っていたかどうかは疑わしい。」余りに破滅的な、けれどこういう状態(共犯・あるいは秘密の共有関係)に陥ってしまった男女にありがちな感情ですな(´-`) 体の一部をたえず接触させ、半径二・五メートル以内にいた二人。「その距離だとほとんど相手が見えないのだが、べつに不都合は感じない。・・・それ以上に、相手から見られていないという開放感が大きかった。ぼくは彼女の前で、部分に分解してしまっていた。・・・言葉そのものがすでに意味をなくしかけていた。時間も停止してしまっていた。・・・どんなに長く燃えつづけても、燃えつきてしまえば一瞬で終ることだった。」だから「ぼく」は彼女が裸ではなく服を着けて「ぼく」を見上げているのに気づいたとき、「さしたる混乱もなく、ちょっぴり振出しに戻った(何たって終わりから始まった恋だったんですもんね(^^;)ような落胆をおぼえただけですませられた。」と。けれど「振出しだったら、もう一度最初からやりなおしがきくのだろうか。もちろん何度でもやりなおしはきくはずだ。・・・しかし、何度やりなおしてみたところで、いずれまたこの同じ場所、同じ時間が繰返されるだけのことだろう。」という記述が切な過ぎて(´;ω;`)ブワッ
時計の文字盤の話はなるほどー、と思った。8は一日に二度ざらついた眼で見られるから風化して、逆に2は夜閉じた眼が無停車で通過してくれるから減り方も半分ですむ。けれど「もしまんべんなく風化した平らな時計を持っている者がいたら それはスタートしそこなった一周おくれの彼」全世界の睡眠障害を患ってらっしゃる皆さんがギクリとしたことだろう、私も含めて(^^)b 気づけばこの時間だもんね☆「だからいつも世界は一周進みすぎている 彼が見ているつもりになっているのはまだ始まってもいない世界 幻の時 開幕のベルも聞かずに劇は終わった」何コレ、何の暗喩なの・・・?(((゜Д゜;)))gkbr
再度≪………………≫の章。「彼女」閉じ込められっぱなしなのかよ!服もちゃんと着てて?玄関も非常階段も厳重に閉めきったって!?(@Д@;)アワワワワこえぇ!服を着ている彼女に見られるのが我慢ならないから、無効化するために電源を切った闇の中なら裸も同じ条件になり、彼女は再びやさしくなるとな?「箱から出るかわりに、世界を箱の中に閉じ込めてやる。いまこそ世界が眼を閉じてしまうべきなのだ。きっと思い通りになってくれるだろう。」途中までまるで自分の話、と思うくらい激しく共感していたけれど、ここで完全に彼と私は全く違う発想の元に動いているのだ、と哀れに思った(´・ω・`) 私は世界をどうこうしたいんじゃなくて、素晴らしい世界から自分という異物を少しでも除去、あるいは見えなくしたいんだもん。いないも同然の存在になりたいという動機が異なる。世界はこのまま眼を開いて、広がり続けてほしいよ。・・・と、彼女の部屋を訪ねてみると何とそこはただの路地裏でした。つまり全ては浮浪者の一形態としての箱男の妄想の話だったのだろうか?
「彼女を探し出さなければならない。しかし、もうそこから先には一歩も進む余地がない。ここもけっきょくは閉ざされた空間の一部であることに変りはなさそうだ。それにしても、彼女はどこに消えたのだろう。・・・さらに一歩踏み出してみたら、どうなるのかな。好奇心はある。しかし似たようなものだろう。いずれ同じ建物の中での出来事にすぎないのだ。」もしかして、ここで例えられている「建物」は街・ひいては世界全体を指すのだろうか?「世界を箱の中に閉じ込めてやる。」そう考えることで箱男なりに精神の安定を図ろうと?「大きなものを見ると死にたくなる」から、一つの建物の中に収まるくらい小さいものだと街や世界を捉えなおすことで均衡を保とうとしたのではないか、と似たような病気?を抱える身として考えちゃった(・・;)
落書のための余白の話は、人の持つ時間や人生そのものについて暗示しているのかもしれない。じゅうぶんに確保しておくべき余白、いやそれはいつだってじゅうぶんに決まっている。「いくら落書にはげんでみたところで、余白を埋めつくしたり出来っこない。・・・ある種の落書は余白そのものなのだ。すくなくも自分の署名に必要な空白だけは、いつまでも残っていてくれる。」だから白が怖いんだよねー正直。個人的に小、中と新しい学校に入学することが続きまして、綺麗すぎる学校って逆に怖いんですよ。古い小学校に転校して味のある図書室の本の匂いに接した時や、歴史ある高校の机の落書き盛り沢山な光景に何かホッとして愛着感じちゃいましたもん。人間、というか生き物の痕跡が残っていない空白の場所って、自分たちがソコを埋めていかないといけない、というプレッシャーや、圧倒的な無機物の感触?触感?に押しつぶされそうで苦手です。
「じっさい箱というやつは、いったん内側から眺めると迷路なのだ。もがけばもがくほど、その迷路に新しい節をつくって、ますます中の仕組みをもつれさせてしまう。」きっとこのフレーズには世界中の精神病患者や悩みのドツボにハマっておいでの皆さんが、自分の心や人生そのものの有様を重ね見て全力で同意なさることだろう(つД`) 特に現代版箱男、ヒッキーのみんな!「姿を消した彼女だって、この迷路の何処かにひそんでいることだけは確かなのだ。べつに逃げ去ったわけではなく、ぼくの居場所を見つけ出せずにいるだけのことだろう。いまならはっきりと確信をもって言うことが出来る。ぼくは少しも後悔なんかしていない。手掛りが多ければ、真相もその手掛りの数だけ存在していていいわけだ。」・・・素晴らしい!ブラボー!!ファンタスティコー!!!(゜m゜;)パチパチパチパチ
私が『わたしを離さないで』の感想で述べたカズオ・イシグロの絶妙な“日系”感がその結末の曖昧さ、読み手に託す意図にある、っていうのをより混沌として壮大なスケールでやってのけた、まさにそんな作品じゃないですか!?@握りこぶしo(`Д′)=3 結論から言うと何が真実でも、誰が箱男でも贋物でも、彼女だの君だの女教師が奈奈でも葉子でも良いんですよ。どう捉えようと自由、公房さんはその可能性を与えてくれた。どのストーリーでも納得できる手掛り、誰が死んでようが生きてようが、何中毒だろうが、どこをさまよってんのか、一件の家の中での出来事なのか。「ぼく」と「彼女」が本当のトコどういう関係だったのか。それでなお作品として空中分解してないわけよ。同時に作家として人間の本性とか世の中の不条理なんかの矛盾や真理を鋭く突いてもきている。あぁ何つーか、どういうことなのか分からなくて混乱しているけど、その混乱がむしろ喜ばしい。良かった、答えが出なくて!って全力で思える本に出会えたのは(以下略)
次は何に行こうかな?ちょっと続けて行くと沼に落っこちそうだから安定剤+花粉+風邪で頭ボーッとしてるし、分かりやすそうな『日の名残り』行っとこうかな。で、『壁』読みつつブクオフ巡りしたいなぁ。何かはあると信じて・・・。ある本読んでも良いんだけど、その時欲望が向いてる方と上手く噛み合わないと、せっかく読み始めても何かイマイチ楽しめないし集中できないんだよね><
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外国人のど自慢番組のイヨマンテめっちゃ感動し過ぎて思わずDLしてしまった。「おまえ熊好きな癖に何で知らないんだ!?」と昭和30年代生まれの両親に怒られたわけだが・・・むしろ何故生まれる前の曲を当たり前に知って(以下略)ぶっちゃけ北海道と青森出身だからなのか? 儀式としてはもちろん知ってますよ、結構えげつねぇ!と感じるやつね(*_*; 自分にはやっぱソッチの血が入ってんのかなー、ともずっと思ってるし。祖母の旧姓に熊入ってますからねぇ、濃い顔だし。しかし分かりやすいアニオタだけじゃなくああいうドイ○人みたいなガチの変態(※褒めてます)とか逆輸入文化に何故かハマってしまったヅカオタとか、本当たまーに現れるんだよねぇ大学の教室とかヅカの劇場なんかにもナチュラルにさ!(;´д`) ご家族どう思ってんの・・・? アジア圏ならともかく、周囲の目とかホント勇気あるな!と見かけるとまずその根性に感動するわ。
あととりあえず幼なじみだけには「やっと一歩動きました」報告できたよ・・・(´∀`;)←まじでハードル低すぎ。イヤでも本当この歳になっても心配かけどおしで申し訳なかった、という気持ちに改めてさせられたからさー昨日orz
でもって、ようやく本題の色々考えさせられた台.湾映画の感想。(※アジアの政治・歴史的に微妙な問題に絡みますm(__)m)
↓
あととりあえず幼なじみだけには「やっと一歩動きました」報告できたよ・・・(´∀`;)←まじでハードル低すぎ。イヤでも本当この歳になっても心配かけどおしで申し訳なかった、という気持ちに改めてさせられたからさー昨日orz
でもって、ようやく本題の色々考えさせられた台.湾映画の感想。(※アジアの政治・歴史的に微妙な問題に絡みますm(__)m)
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日.本の映画かと思うくらいの日/本色全開っぷりだったが、現代日.本人には決して大○本帝国時代の植民地をあんな風には描けない、という点がやはり台/湾の映画なのだ、と改めてあの国というか島についての憐れみ(と特に日.本人が言ってしまったら失礼すぎるかもしれないけれど)と表現しがたい切なさ、そして申し訳なさに近いようなものを感じた。よく彼らの使う「国際孤児」という言葉の意味についても、深く実感せざるを得なかったよ何か(´;ω;`)ブワッ
私は少なくとも高校、いや大学に入ってからもマトモに台/湾の歴史について勉強する機会は全く無かった。受験科目で日.本史を選択するコースにしてしまったので、世界史を選んでいた人は事情が違ったのかもしれないけれど。大学でも専門科目で半島の歴史を学ぶ授業はあったけれど、記憶にある限り台/湾をフィーチャーした授業はぶっちゃけ見当たらなかったと思う。(もう完全にバレるかもですが、K子学院があって主席が来ちゃうようなトコだったので、大陸側への配慮が行き過ぎた学校だったせいもあるのかも)「台.湾人が日/本好きとか言うのは、そう言ってた方が都合が良いからだ」と断言するコミュニ○トの親に育てられた影響もあり、本当にお恥ずかしいのですが台.湾に関しては例の震災支援の件について知るまでほとんど無知も同然でした。
ひっどいエピソードとして、仲良くなった中/国人留学生の子と観光に行った時、台.湾人旅行者の集団に出くわして「アレ、○○ちゃん中/国の人いっぱい来てるねー」と振ったら、「いや、あの人たちたぶん台.湾人・・・(・・;)」とすっごく気まずそうにされて、「え? 中/国語と違うの?」「うん、全然違うから分かるよ」って答えた彼女の何とも言えない表情が強く印象に残っています。彼女は、私たち(イヤ私だけだったのかもしれないけど><)が台.湾について本気で何も知らなそうなことが衝撃的だったのだと思う。だって「彼らは台/湾人」って何回も説明してくれましたもん、「本土の人間とは違う」ってことを全く理解できないうちらに。他ならぬ中.国人の彼女に何て残酷なことをさせてしまったのか、と今は後悔しきりですが。(無邪気に反/日教育とかきょうだいの有無の話題もしてたわ・・・若さってこえぇ!私が無神経KYなだけだけか? いや言い訳させてもらえるなら、どこまでぶっちゃけてくれるのかという好奇心もあって(-_-;) 前者については「んー、確かに歴史の授業はあったけど、ソレが今の国同士の関係の何に繋がるのかよく分からん」ってごまかされたし(当たり前。笑)なぜか普通に関西弁バリバリの下の子がいてくれて助かったけどな!抜け穴エリートだったのか少数民族待遇だったのか謎だけど、上海から日.本に一家で転勤した上で向こうの家も維持できてたり、私立に留学できるような家庭なのであちらでは上の方に位置する階級ではあったんでしょうが)
で、そういう思い出などを振り返りつつ、台/湾皇/民派の方の呟きなどをたまに覗いている身としては、ストーリー全体に流れる過去への郷愁みたいなものが何かスゲー沁みてね(;_;) 日.本人と当たり前に共存していた時代のあちらの方々、台/湾に馴染んで暮らしていた日.本人、民族を超えて友情を育んだり、カップルになった人たちもいただろう。人と人が隣り合って一緒に暮らす以上は、いくら支配する者とされる者、一等・二等・三等と国民の優劣が存在していたとしても、完全に混じり合わずにいることは不可能だと思うんですよ。ましてや日/本は「大東○共栄圏」を建前として掲げ、その道具に「Tenno崇拝布教」を用いた都合上、キリ○ト教への「教化」とその思想的刷り込みによる白人優位の確立という欧州方式の植民地運営を否定する必要があったわけだし。初めから居留地の明確な線引きや、アパ○トヘイトみたいな政策は記録に残る限りどこの支配地域でも取っていなかったはず。本当に、アジアの全部がそこに暮らす人々を含め、そのまま「日.本」と同化することを目指していたというか。
でも、戦後の私たちはとにかく戦前の日/本は悪だった、としか教えられずに、その言わばキャッチコピー的なものに固執する余りに大事な中身、具体的な支配地域についても、そこに実際どんな影響を及ぼしたのかということもきちんと知る機会を持てなかった。軍人たちの横暴な振る舞いと虐げられる住民たち、それを見て葛藤する駐留邦人、そういうイメージしかなくないですか? 数少ない「かつて日.本が支配していた地域」を舞台にした戦前~中の記録やフィクションとかって。東南アジアや南洋の島々なんか、統治・あるいは政治的介入を広く行っていたこと自体知らない人も沢山いるだろ。だから『クー○ム』みたいな作品が人気ある話聞くと「ハァ!?Σ(゜Д゜;)」と驚くし、イ○ドネシアに帰化した元日/本兵のエピソードとかテレビで流れるとスタジオ騒然!みたいな雰囲気になるんですよ・・・この辺とっても良くないと思う(-_-;) そりゃどう教えても左右双方から面倒くさい非難食らったり、アメ○カ様の目だって気にしないといけない事情は分かりますけど、だからと言って「とにかくアジア中で暴れまくって迷惑かけたので原爆落とされて降伏しました。終」と簡単に済ませちゃうんじゃなくて、どこで何をしたか、せめてどの地域を何年支配していて、そこの人々と今どんな関係を築いているのか、という戦後の歩みまで含めた正確な歴史を改めて教えていくべき時期に来てるんじゃねーの?と、特に隣と一揉め来そうでかつて「支配」していた国々との関係が大切になって来ているのでは、という現状を考える上で強くそう感じる。
確かに、差別はあった。軋轢もあった。けれど子供たちは当たり前に机を並べ、走り、笑い、熱中し、みんなに分け隔てなく「より良い未来」を掴ませたいと願う大人たちがいた。皇.民化教育の都合上「先生」はほとんど日/本人だったという話だけど、その「先生」たちについて嫌な思い出を語る旧植民地の方のエピソードは、探した限り余り聞いたことが無いんですよ。尋常小学校は大体が「若くて綺麗で優しい女の先生」で、旧制中学は本当に熱い指導者だったり教育人としての人格者で、上の学校に進めるように取り計らったり日.本への留学を勧めてくれたり、と日/本統治自体への心情は良くなくてもそういう思い出を語っている方が多い印象。近藤監督とちょこっと出てくる八田さんはまさにそんな、プラスのイメージの日.本人像を体現しているようなキャラクターで、ちょっとずつ彼らの奮闘や訓示の影響を受けて少年たちが成長していく、チームとしてまとまり、どこよりも「日/本精神」を宿した野球をするチームへと変貌していく過程が。・゜・(ノД`)・゜・。「中/華」の一部とくくられることへの抵抗が日.本への親しみや郷愁に繋がり、美化している面もあるのかもしれないけれど、だからこそ余計に台/湾の人々の複雑な感情、大陸と日.本の狭間で、清に支配され日/本に譲渡された末に大陸から追い出された国.民党の権力下に入り、大陸と対立しつつ「本国」はこちらだと主張する政府への矛盾した思い、「いや、自分たちは本土とは違う。彼らとは異なる文化と歴史と共に歩んできた台/湾人だ」という声にならない叫びが聞こえてくるかのよう。
・・・もし、日.本が台/湾を統治していなかったら、彼らは例え阿片に侵され貧しい生活が長引こうと清.国、「華/夏」の一員であることに何の疑いも持たず誇りに感じて悩むことも無かっただろうか?迷いを覚えることなく大陸の主権を主張し、共.産党と国/民党の圧倒的な勢力差で内戦が終わり感情的なしこりがほどけた段階で、難なく今のマ○オのようにするりと中.国に融け込めていただろうか?(香/港はちょっと事情が違うようなので置いておくとして)その方がアジアに火種は少なく、台.湾の人々が「国際孤児」の悲哀を味わうこともなかったんじゃないか、と日/本人として色々考えてしまう。かの地の皇.民派の人々は必死に否定するだろうけれど、余計なことをしてしまった、不幸をもたらしてしまっただけだったんじゃないか、と(´・ω・`) 正直、ウチらより昔の日/本の考え方や思想をきちんと受け継いでいるというかそのまま保存されてるのが初期ブ○ジル移民コミュニティと台.湾皇.民派の方々だと思うんですよ。そして私は彼らに決して100%の共感や同調はできない、という事実を考えた時、果たしてどちらが本当の「日/本人」と呼べるのか(いやあちらにはちゃんとそれぞれ「台.湾人」「ブラジ○人」としてのアイデンティティが存在しているのだけれど)、それは正しいことなんだろうか、訂正すべき(あるいは謝罪すべき)過ちなんだろうか、とか戸惑い悩んでしまうんだよね。よく分かんないや。
コレがヒットした台/湾社会の現状と、それ(というか台.湾自体)について余りにも無知な日/本人にちょっとこのままじゃいけない、と繰り返すけど改めて感じる。震災の時の援助が本当にありがたくて、それでようやく台.湾のことを学び始めたし、皇/民派の方々の意見を覗くようにもなりました。日.本の右/翼に群がられているイメージで勝手に敬遠してしまっていた自分が、時々心から必死で切実な訴えにも見える彼らの思いに触れると、本当に申し訳ないことしたな、と。ある日突然国が変わる、ある日突然友人と別れる、そういう経験をした人たちの気持ちを何も考えていなかった、全く解っていなかったんだ、と自分が恥ずかしくなった。「植民地支配という悪いことをしていたので、敗戦して引き揚げました」だけじゃなしに、そこに生きてきたリアルな、生々しい人々の感情を無視してはいけないんだ、と歴オタとしても改めて思わされたんです。
軍関係のクサ過ぎるお涙ちょうだい系か、ひたすら戦争の悲惨さのみをフィーチャーするしかない日.本の映画界では絶対に作れない、穏やかだけれどどこか物悲しい戦前の「日/本」の思い出の情景。とても爽やかな青春映画であり、同時に台.湾の人々が長年に渡って抱えてきた葛藤や鬱屈が込められていて、本当にこれほどニュートラルで美しい(むしろ上げ脚色が入っている側面が強いように感じるかもしれないので、同じ監督の『セデック・バレ』も同時に観た方が良いかもだけど)作品に仕上げてくれたというのは、今の日/本人には絶対にできないことだと思いました。「五.族協.和」や「八/絞一/宇」、「大○亜共栄圏」という否定的な印象となってしまった言葉に異なる見方、選択肢をくれた台/湾の製作陣の皆さんに心から感謝。日.本の中でもどっぷり左の環境にいた私ですが、アジア主義寄りの人間として例え日/本が支配する口実の建前であったとしても、中々悪いスローガンじゃないと思うんだよね実は(^^;「欧.州連合」の理想と明文上はそう変わんなくね?(ボソッ)もっと台/湾のことや、自分たちの国がしてきたこと、今のアジア諸国との関係についてよく勉強しなきゃな、という気持ちにさせられる一本。
私は少なくとも高校、いや大学に入ってからもマトモに台/湾の歴史について勉強する機会は全く無かった。受験科目で日.本史を選択するコースにしてしまったので、世界史を選んでいた人は事情が違ったのかもしれないけれど。大学でも専門科目で半島の歴史を学ぶ授業はあったけれど、記憶にある限り台/湾をフィーチャーした授業はぶっちゃけ見当たらなかったと思う。(もう完全にバレるかもですが、K子学院があって主席が来ちゃうようなトコだったので、大陸側への配慮が行き過ぎた学校だったせいもあるのかも)「台.湾人が日/本好きとか言うのは、そう言ってた方が都合が良いからだ」と断言するコミュニ○トの親に育てられた影響もあり、本当にお恥ずかしいのですが台.湾に関しては例の震災支援の件について知るまでほとんど無知も同然でした。
ひっどいエピソードとして、仲良くなった中/国人留学生の子と観光に行った時、台.湾人旅行者の集団に出くわして「アレ、○○ちゃん中/国の人いっぱい来てるねー」と振ったら、「いや、あの人たちたぶん台.湾人・・・(・・;)」とすっごく気まずそうにされて、「え? 中/国語と違うの?」「うん、全然違うから分かるよ」って答えた彼女の何とも言えない表情が強く印象に残っています。彼女は、私たち(イヤ私だけだったのかもしれないけど><)が台.湾について本気で何も知らなそうなことが衝撃的だったのだと思う。だって「彼らは台/湾人」って何回も説明してくれましたもん、「本土の人間とは違う」ってことを全く理解できないうちらに。他ならぬ中.国人の彼女に何て残酷なことをさせてしまったのか、と今は後悔しきりですが。(無邪気に反/日教育とかきょうだいの有無の話題もしてたわ・・・若さってこえぇ!私が無神経KYなだけだけか? いや言い訳させてもらえるなら、どこまでぶっちゃけてくれるのかという好奇心もあって(-_-;) 前者については「んー、確かに歴史の授業はあったけど、ソレが今の国同士の関係の何に繋がるのかよく分からん」ってごまかされたし(当たり前。笑)なぜか普通に関西弁バリバリの下の子がいてくれて助かったけどな!抜け穴エリートだったのか少数民族待遇だったのか謎だけど、上海から日.本に一家で転勤した上で向こうの家も維持できてたり、私立に留学できるような家庭なのであちらでは上の方に位置する階級ではあったんでしょうが)
で、そういう思い出などを振り返りつつ、台/湾皇/民派の方の呟きなどをたまに覗いている身としては、ストーリー全体に流れる過去への郷愁みたいなものが何かスゲー沁みてね(;_;) 日.本人と当たり前に共存していた時代のあちらの方々、台/湾に馴染んで暮らしていた日.本人、民族を超えて友情を育んだり、カップルになった人たちもいただろう。人と人が隣り合って一緒に暮らす以上は、いくら支配する者とされる者、一等・二等・三等と国民の優劣が存在していたとしても、完全に混じり合わずにいることは不可能だと思うんですよ。ましてや日/本は「大東○共栄圏」を建前として掲げ、その道具に「Tenno崇拝布教」を用いた都合上、キリ○ト教への「教化」とその思想的刷り込みによる白人優位の確立という欧州方式の植民地運営を否定する必要があったわけだし。初めから居留地の明確な線引きや、アパ○トヘイトみたいな政策は記録に残る限りどこの支配地域でも取っていなかったはず。本当に、アジアの全部がそこに暮らす人々を含め、そのまま「日.本」と同化することを目指していたというか。
でも、戦後の私たちはとにかく戦前の日/本は悪だった、としか教えられずに、その言わばキャッチコピー的なものに固執する余りに大事な中身、具体的な支配地域についても、そこに実際どんな影響を及ぼしたのかということもきちんと知る機会を持てなかった。軍人たちの横暴な振る舞いと虐げられる住民たち、それを見て葛藤する駐留邦人、そういうイメージしかなくないですか? 数少ない「かつて日.本が支配していた地域」を舞台にした戦前~中の記録やフィクションとかって。東南アジアや南洋の島々なんか、統治・あるいは政治的介入を広く行っていたこと自体知らない人も沢山いるだろ。だから『クー○ム』みたいな作品が人気ある話聞くと「ハァ!?Σ(゜Д゜;)」と驚くし、イ○ドネシアに帰化した元日/本兵のエピソードとかテレビで流れるとスタジオ騒然!みたいな雰囲気になるんですよ・・・この辺とっても良くないと思う(-_-;) そりゃどう教えても左右双方から面倒くさい非難食らったり、アメ○カ様の目だって気にしないといけない事情は分かりますけど、だからと言って「とにかくアジア中で暴れまくって迷惑かけたので原爆落とされて降伏しました。終」と簡単に済ませちゃうんじゃなくて、どこで何をしたか、せめてどの地域を何年支配していて、そこの人々と今どんな関係を築いているのか、という戦後の歩みまで含めた正確な歴史を改めて教えていくべき時期に来てるんじゃねーの?と、特に隣と一揉め来そうでかつて「支配」していた国々との関係が大切になって来ているのでは、という現状を考える上で強くそう感じる。
確かに、差別はあった。軋轢もあった。けれど子供たちは当たり前に机を並べ、走り、笑い、熱中し、みんなに分け隔てなく「より良い未来」を掴ませたいと願う大人たちがいた。皇.民化教育の都合上「先生」はほとんど日/本人だったという話だけど、その「先生」たちについて嫌な思い出を語る旧植民地の方のエピソードは、探した限り余り聞いたことが無いんですよ。尋常小学校は大体が「若くて綺麗で優しい女の先生」で、旧制中学は本当に熱い指導者だったり教育人としての人格者で、上の学校に進めるように取り計らったり日.本への留学を勧めてくれたり、と日/本統治自体への心情は良くなくてもそういう思い出を語っている方が多い印象。近藤監督とちょこっと出てくる八田さんはまさにそんな、プラスのイメージの日.本人像を体現しているようなキャラクターで、ちょっとずつ彼らの奮闘や訓示の影響を受けて少年たちが成長していく、チームとしてまとまり、どこよりも「日/本精神」を宿した野球をするチームへと変貌していく過程が。・゜・(ノД`)・゜・。「中/華」の一部とくくられることへの抵抗が日.本への親しみや郷愁に繋がり、美化している面もあるのかもしれないけれど、だからこそ余計に台/湾の人々の複雑な感情、大陸と日.本の狭間で、清に支配され日/本に譲渡された末に大陸から追い出された国.民党の権力下に入り、大陸と対立しつつ「本国」はこちらだと主張する政府への矛盾した思い、「いや、自分たちは本土とは違う。彼らとは異なる文化と歴史と共に歩んできた台/湾人だ」という声にならない叫びが聞こえてくるかのよう。
・・・もし、日.本が台/湾を統治していなかったら、彼らは例え阿片に侵され貧しい生活が長引こうと清.国、「華/夏」の一員であることに何の疑いも持たず誇りに感じて悩むことも無かっただろうか?迷いを覚えることなく大陸の主権を主張し、共.産党と国/民党の圧倒的な勢力差で内戦が終わり感情的なしこりがほどけた段階で、難なく今のマ○オのようにするりと中.国に融け込めていただろうか?(香/港はちょっと事情が違うようなので置いておくとして)その方がアジアに火種は少なく、台.湾の人々が「国際孤児」の悲哀を味わうこともなかったんじゃないか、と日/本人として色々考えてしまう。かの地の皇.民派の人々は必死に否定するだろうけれど、余計なことをしてしまった、不幸をもたらしてしまっただけだったんじゃないか、と(´・ω・`) 正直、ウチらより昔の日/本の考え方や思想をきちんと受け継いでいるというかそのまま保存されてるのが初期ブ○ジル移民コミュニティと台.湾皇.民派の方々だと思うんですよ。そして私は彼らに決して100%の共感や同調はできない、という事実を考えた時、果たしてどちらが本当の「日/本人」と呼べるのか(いやあちらにはちゃんとそれぞれ「台.湾人」「ブラジ○人」としてのアイデンティティが存在しているのだけれど)、それは正しいことなんだろうか、訂正すべき(あるいは謝罪すべき)過ちなんだろうか、とか戸惑い悩んでしまうんだよね。よく分かんないや。
コレがヒットした台/湾社会の現状と、それ(というか台.湾自体)について余りにも無知な日/本人にちょっとこのままじゃいけない、と繰り返すけど改めて感じる。震災の時の援助が本当にありがたくて、それでようやく台.湾のことを学び始めたし、皇/民派の方々の意見を覗くようにもなりました。日.本の右/翼に群がられているイメージで勝手に敬遠してしまっていた自分が、時々心から必死で切実な訴えにも見える彼らの思いに触れると、本当に申し訳ないことしたな、と。ある日突然国が変わる、ある日突然友人と別れる、そういう経験をした人たちの気持ちを何も考えていなかった、全く解っていなかったんだ、と自分が恥ずかしくなった。「植民地支配という悪いことをしていたので、敗戦して引き揚げました」だけじゃなしに、そこに生きてきたリアルな、生々しい人々の感情を無視してはいけないんだ、と歴オタとしても改めて思わされたんです。
軍関係のクサ過ぎるお涙ちょうだい系か、ひたすら戦争の悲惨さのみをフィーチャーするしかない日.本の映画界では絶対に作れない、穏やかだけれどどこか物悲しい戦前の「日/本」の思い出の情景。とても爽やかな青春映画であり、同時に台.湾の人々が長年に渡って抱えてきた葛藤や鬱屈が込められていて、本当にこれほどニュートラルで美しい(むしろ上げ脚色が入っている側面が強いように感じるかもしれないので、同じ監督の『セデック・バレ』も同時に観た方が良いかもだけど)作品に仕上げてくれたというのは、今の日/本人には絶対にできないことだと思いました。「五.族協.和」や「八/絞一/宇」、「大○亜共栄圏」という否定的な印象となってしまった言葉に異なる見方、選択肢をくれた台/湾の製作陣の皆さんに心から感謝。日.本の中でもどっぷり左の環境にいた私ですが、アジア主義寄りの人間として例え日/本が支配する口実の建前であったとしても、中々悪いスローガンじゃないと思うんだよね実は(^^;「欧.州連合」の理想と明文上はそう変わんなくね?(ボソッ)もっと台/湾のことや、自分たちの国がしてきたこと、今のアジア諸国との関係についてよく勉強しなきゃな、という気持ちにさせられる一本。
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