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外国人のど自慢番組のイヨマンテめっちゃ感動し過ぎて思わずDLしてしまった。「おまえ熊好きな癖に何で知らないんだ!?」と昭和30年代生まれの両親に怒られたわけだが・・・むしろ何故生まれる前の曲を当たり前に知って(以下略)ぶっちゃけ北海道と青森出身だからなのか? 儀式としてはもちろん知ってますよ、結構えげつねぇ!と感じるやつね(*_*; 自分にはやっぱソッチの血が入ってんのかなー、ともずっと思ってるし。祖母の旧姓に熊入ってますからねぇ、濃い顔だし。しかし分かりやすいアニオタだけじゃなくああいうドイ○人みたいなガチの変態(※褒めてます)とか逆輸入文化に何故かハマってしまったヅカオタとか、本当たまーに現れるんだよねぇ大学の教室とかヅカの劇場なんかにもナチュラルにさ!(;´д`) ご家族どう思ってんの・・・? アジア圏ならともかく、周囲の目とかホント勇気あるな!と見かけるとまずその根性に感動するわ。
あととりあえず幼なじみだけには「やっと一歩動きました」報告できたよ・・・(´∀`;)←まじでハードル低すぎ。イヤでも本当この歳になっても心配かけどおしで申し訳なかった、という気持ちに改めてさせられたからさー昨日orz
でもって、ようやく本題の色々考えさせられた台.湾映画の感想。(※アジアの政治・歴史的に微妙な問題に絡みますm(__)m)
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あととりあえず幼なじみだけには「やっと一歩動きました」報告できたよ・・・(´∀`;)←まじでハードル低すぎ。イヤでも本当この歳になっても心配かけどおしで申し訳なかった、という気持ちに改めてさせられたからさー昨日orz
でもって、ようやく本題の色々考えさせられた台.湾映画の感想。(※アジアの政治・歴史的に微妙な問題に絡みますm(__)m)
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日.本の映画かと思うくらいの日/本色全開っぷりだったが、現代日.本人には決して大○本帝国時代の植民地をあんな風には描けない、という点がやはり台/湾の映画なのだ、と改めてあの国というか島についての憐れみ(と特に日.本人が言ってしまったら失礼すぎるかもしれないけれど)と表現しがたい切なさ、そして申し訳なさに近いようなものを感じた。よく彼らの使う「国際孤児」という言葉の意味についても、深く実感せざるを得なかったよ何か(´;ω;`)ブワッ
私は少なくとも高校、いや大学に入ってからもマトモに台/湾の歴史について勉強する機会は全く無かった。受験科目で日.本史を選択するコースにしてしまったので、世界史を選んでいた人は事情が違ったのかもしれないけれど。大学でも専門科目で半島の歴史を学ぶ授業はあったけれど、記憶にある限り台/湾をフィーチャーした授業はぶっちゃけ見当たらなかったと思う。(もう完全にバレるかもですが、K子学院があって主席が来ちゃうようなトコだったので、大陸側への配慮が行き過ぎた学校だったせいもあるのかも)「台.湾人が日/本好きとか言うのは、そう言ってた方が都合が良いからだ」と断言するコミュニ○トの親に育てられた影響もあり、本当にお恥ずかしいのですが台.湾に関しては例の震災支援の件について知るまでほとんど無知も同然でした。
ひっどいエピソードとして、仲良くなった中/国人留学生の子と観光に行った時、台.湾人旅行者の集団に出くわして「アレ、○○ちゃん中/国の人いっぱい来てるねー」と振ったら、「いや、あの人たちたぶん台.湾人・・・(・・;)」とすっごく気まずそうにされて、「え? 中/国語と違うの?」「うん、全然違うから分かるよ」って答えた彼女の何とも言えない表情が強く印象に残っています。彼女は、私たち(イヤ私だけだったのかもしれないけど><)が台.湾について本気で何も知らなそうなことが衝撃的だったのだと思う。だって「彼らは台/湾人」って何回も説明してくれましたもん、「本土の人間とは違う」ってことを全く理解できないうちらに。他ならぬ中.国人の彼女に何て残酷なことをさせてしまったのか、と今は後悔しきりですが。(無邪気に反/日教育とかきょうだいの有無の話題もしてたわ・・・若さってこえぇ!私が無神経KYなだけだけか? いや言い訳させてもらえるなら、どこまでぶっちゃけてくれるのかという好奇心もあって(-_-;) 前者については「んー、確かに歴史の授業はあったけど、ソレが今の国同士の関係の何に繋がるのかよく分からん」ってごまかされたし(当たり前。笑)なぜか普通に関西弁バリバリの下の子がいてくれて助かったけどな!抜け穴エリートだったのか少数民族待遇だったのか謎だけど、上海から日.本に一家で転勤した上で向こうの家も維持できてたり、私立に留学できるような家庭なのであちらでは上の方に位置する階級ではあったんでしょうが)
で、そういう思い出などを振り返りつつ、台/湾皇/民派の方の呟きなどをたまに覗いている身としては、ストーリー全体に流れる過去への郷愁みたいなものが何かスゲー沁みてね(;_;) 日.本人と当たり前に共存していた時代のあちらの方々、台/湾に馴染んで暮らしていた日.本人、民族を超えて友情を育んだり、カップルになった人たちもいただろう。人と人が隣り合って一緒に暮らす以上は、いくら支配する者とされる者、一等・二等・三等と国民の優劣が存在していたとしても、完全に混じり合わずにいることは不可能だと思うんですよ。ましてや日/本は「大東○共栄圏」を建前として掲げ、その道具に「Tenno崇拝布教」を用いた都合上、キリ○ト教への「教化」とその思想的刷り込みによる白人優位の確立という欧州方式の植民地運営を否定する必要があったわけだし。初めから居留地の明確な線引きや、アパ○トヘイトみたいな政策は記録に残る限りどこの支配地域でも取っていなかったはず。本当に、アジアの全部がそこに暮らす人々を含め、そのまま「日.本」と同化することを目指していたというか。
でも、戦後の私たちはとにかく戦前の日/本は悪だった、としか教えられずに、その言わばキャッチコピー的なものに固執する余りに大事な中身、具体的な支配地域についても、そこに実際どんな影響を及ぼしたのかということもきちんと知る機会を持てなかった。軍人たちの横暴な振る舞いと虐げられる住民たち、それを見て葛藤する駐留邦人、そういうイメージしかなくないですか? 数少ない「かつて日.本が支配していた地域」を舞台にした戦前~中の記録やフィクションとかって。東南アジアや南洋の島々なんか、統治・あるいは政治的介入を広く行っていたこと自体知らない人も沢山いるだろ。だから『クー○ム』みたいな作品が人気ある話聞くと「ハァ!?Σ(゜Д゜;)」と驚くし、イ○ドネシアに帰化した元日/本兵のエピソードとかテレビで流れるとスタジオ騒然!みたいな雰囲気になるんですよ・・・この辺とっても良くないと思う(-_-;) そりゃどう教えても左右双方から面倒くさい非難食らったり、アメ○カ様の目だって気にしないといけない事情は分かりますけど、だからと言って「とにかくアジア中で暴れまくって迷惑かけたので原爆落とされて降伏しました。終」と簡単に済ませちゃうんじゃなくて、どこで何をしたか、せめてどの地域を何年支配していて、そこの人々と今どんな関係を築いているのか、という戦後の歩みまで含めた正確な歴史を改めて教えていくべき時期に来てるんじゃねーの?と、特に隣と一揉め来そうでかつて「支配」していた国々との関係が大切になって来ているのでは、という現状を考える上で強くそう感じる。
確かに、差別はあった。軋轢もあった。けれど子供たちは当たり前に机を並べ、走り、笑い、熱中し、みんなに分け隔てなく「より良い未来」を掴ませたいと願う大人たちがいた。皇.民化教育の都合上「先生」はほとんど日/本人だったという話だけど、その「先生」たちについて嫌な思い出を語る旧植民地の方のエピソードは、探した限り余り聞いたことが無いんですよ。尋常小学校は大体が「若くて綺麗で優しい女の先生」で、旧制中学は本当に熱い指導者だったり教育人としての人格者で、上の学校に進めるように取り計らったり日.本への留学を勧めてくれたり、と日/本統治自体への心情は良くなくてもそういう思い出を語っている方が多い印象。近藤監督とちょこっと出てくる八田さんはまさにそんな、プラスのイメージの日.本人像を体現しているようなキャラクターで、ちょっとずつ彼らの奮闘や訓示の影響を受けて少年たちが成長していく、チームとしてまとまり、どこよりも「日/本精神」を宿した野球をするチームへと変貌していく過程が。・゜・(ノД`)・゜・。「中/華」の一部とくくられることへの抵抗が日.本への親しみや郷愁に繋がり、美化している面もあるのかもしれないけれど、だからこそ余計に台/湾の人々の複雑な感情、大陸と日.本の狭間で、清に支配され日/本に譲渡された末に大陸から追い出された国.民党の権力下に入り、大陸と対立しつつ「本国」はこちらだと主張する政府への矛盾した思い、「いや、自分たちは本土とは違う。彼らとは異なる文化と歴史と共に歩んできた台/湾人だ」という声にならない叫びが聞こえてくるかのよう。
・・・もし、日.本が台/湾を統治していなかったら、彼らは例え阿片に侵され貧しい生活が長引こうと清.国、「華/夏」の一員であることに何の疑いも持たず誇りに感じて悩むことも無かっただろうか?迷いを覚えることなく大陸の主権を主張し、共.産党と国/民党の圧倒的な勢力差で内戦が終わり感情的なしこりがほどけた段階で、難なく今のマ○オのようにするりと中.国に融け込めていただろうか?(香/港はちょっと事情が違うようなので置いておくとして)その方がアジアに火種は少なく、台.湾の人々が「国際孤児」の悲哀を味わうこともなかったんじゃないか、と日/本人として色々考えてしまう。かの地の皇.民派の人々は必死に否定するだろうけれど、余計なことをしてしまった、不幸をもたらしてしまっただけだったんじゃないか、と(´・ω・`) 正直、ウチらより昔の日/本の考え方や思想をきちんと受け継いでいるというかそのまま保存されてるのが初期ブ○ジル移民コミュニティと台.湾皇.民派の方々だと思うんですよ。そして私は彼らに決して100%の共感や同調はできない、という事実を考えた時、果たしてどちらが本当の「日/本人」と呼べるのか(いやあちらにはちゃんとそれぞれ「台.湾人」「ブラジ○人」としてのアイデンティティが存在しているのだけれど)、それは正しいことなんだろうか、訂正すべき(あるいは謝罪すべき)過ちなんだろうか、とか戸惑い悩んでしまうんだよね。よく分かんないや。
コレがヒットした台/湾社会の現状と、それ(というか台.湾自体)について余りにも無知な日/本人にちょっとこのままじゃいけない、と繰り返すけど改めて感じる。震災の時の援助が本当にありがたくて、それでようやく台.湾のことを学び始めたし、皇/民派の方々の意見を覗くようにもなりました。日.本の右/翼に群がられているイメージで勝手に敬遠してしまっていた自分が、時々心から必死で切実な訴えにも見える彼らの思いに触れると、本当に申し訳ないことしたな、と。ある日突然国が変わる、ある日突然友人と別れる、そういう経験をした人たちの気持ちを何も考えていなかった、全く解っていなかったんだ、と自分が恥ずかしくなった。「植民地支配という悪いことをしていたので、敗戦して引き揚げました」だけじゃなしに、そこに生きてきたリアルな、生々しい人々の感情を無視してはいけないんだ、と歴オタとしても改めて思わされたんです。
軍関係のクサ過ぎるお涙ちょうだい系か、ひたすら戦争の悲惨さのみをフィーチャーするしかない日.本の映画界では絶対に作れない、穏やかだけれどどこか物悲しい戦前の「日/本」の思い出の情景。とても爽やかな青春映画であり、同時に台.湾の人々が長年に渡って抱えてきた葛藤や鬱屈が込められていて、本当にこれほどニュートラルで美しい(むしろ上げ脚色が入っている側面が強いように感じるかもしれないので、同じ監督の『セデック・バレ』も同時に観た方が良いかもだけど)作品に仕上げてくれたというのは、今の日/本人には絶対にできないことだと思いました。「五.族協.和」や「八/絞一/宇」、「大○亜共栄圏」という否定的な印象となってしまった言葉に異なる見方、選択肢をくれた台/湾の製作陣の皆さんに心から感謝。日.本の中でもどっぷり左の環境にいた私ですが、アジア主義寄りの人間として例え日/本が支配する口実の建前であったとしても、中々悪いスローガンじゃないと思うんだよね実は(^^;「欧.州連合」の理想と明文上はそう変わんなくね?(ボソッ)もっと台/湾のことや、自分たちの国がしてきたこと、今のアジア諸国との関係についてよく勉強しなきゃな、という気持ちにさせられる一本。
私は少なくとも高校、いや大学に入ってからもマトモに台/湾の歴史について勉強する機会は全く無かった。受験科目で日.本史を選択するコースにしてしまったので、世界史を選んでいた人は事情が違ったのかもしれないけれど。大学でも専門科目で半島の歴史を学ぶ授業はあったけれど、記憶にある限り台/湾をフィーチャーした授業はぶっちゃけ見当たらなかったと思う。(もう完全にバレるかもですが、K子学院があって主席が来ちゃうようなトコだったので、大陸側への配慮が行き過ぎた学校だったせいもあるのかも)「台.湾人が日/本好きとか言うのは、そう言ってた方が都合が良いからだ」と断言するコミュニ○トの親に育てられた影響もあり、本当にお恥ずかしいのですが台.湾に関しては例の震災支援の件について知るまでほとんど無知も同然でした。
ひっどいエピソードとして、仲良くなった中/国人留学生の子と観光に行った時、台.湾人旅行者の集団に出くわして「アレ、○○ちゃん中/国の人いっぱい来てるねー」と振ったら、「いや、あの人たちたぶん台.湾人・・・(・・;)」とすっごく気まずそうにされて、「え? 中/国語と違うの?」「うん、全然違うから分かるよ」って答えた彼女の何とも言えない表情が強く印象に残っています。彼女は、私たち(イヤ私だけだったのかもしれないけど><)が台.湾について本気で何も知らなそうなことが衝撃的だったのだと思う。だって「彼らは台/湾人」って何回も説明してくれましたもん、「本土の人間とは違う」ってことを全く理解できないうちらに。他ならぬ中.国人の彼女に何て残酷なことをさせてしまったのか、と今は後悔しきりですが。(無邪気に反/日教育とかきょうだいの有無の話題もしてたわ・・・若さってこえぇ!私が無神経KYなだけだけか? いや言い訳させてもらえるなら、どこまでぶっちゃけてくれるのかという好奇心もあって(-_-;) 前者については「んー、確かに歴史の授業はあったけど、ソレが今の国同士の関係の何に繋がるのかよく分からん」ってごまかされたし(当たり前。笑)なぜか普通に関西弁バリバリの下の子がいてくれて助かったけどな!抜け穴エリートだったのか少数民族待遇だったのか謎だけど、上海から日.本に一家で転勤した上で向こうの家も維持できてたり、私立に留学できるような家庭なのであちらでは上の方に位置する階級ではあったんでしょうが)
で、そういう思い出などを振り返りつつ、台/湾皇/民派の方の呟きなどをたまに覗いている身としては、ストーリー全体に流れる過去への郷愁みたいなものが何かスゲー沁みてね(;_;) 日.本人と当たり前に共存していた時代のあちらの方々、台/湾に馴染んで暮らしていた日.本人、民族を超えて友情を育んだり、カップルになった人たちもいただろう。人と人が隣り合って一緒に暮らす以上は、いくら支配する者とされる者、一等・二等・三等と国民の優劣が存在していたとしても、完全に混じり合わずにいることは不可能だと思うんですよ。ましてや日/本は「大東○共栄圏」を建前として掲げ、その道具に「Tenno崇拝布教」を用いた都合上、キリ○ト教への「教化」とその思想的刷り込みによる白人優位の確立という欧州方式の植民地運営を否定する必要があったわけだし。初めから居留地の明確な線引きや、アパ○トヘイトみたいな政策は記録に残る限りどこの支配地域でも取っていなかったはず。本当に、アジアの全部がそこに暮らす人々を含め、そのまま「日.本」と同化することを目指していたというか。
でも、戦後の私たちはとにかく戦前の日/本は悪だった、としか教えられずに、その言わばキャッチコピー的なものに固執する余りに大事な中身、具体的な支配地域についても、そこに実際どんな影響を及ぼしたのかということもきちんと知る機会を持てなかった。軍人たちの横暴な振る舞いと虐げられる住民たち、それを見て葛藤する駐留邦人、そういうイメージしかなくないですか? 数少ない「かつて日.本が支配していた地域」を舞台にした戦前~中の記録やフィクションとかって。東南アジアや南洋の島々なんか、統治・あるいは政治的介入を広く行っていたこと自体知らない人も沢山いるだろ。だから『クー○ム』みたいな作品が人気ある話聞くと「ハァ!?Σ(゜Д゜;)」と驚くし、イ○ドネシアに帰化した元日/本兵のエピソードとかテレビで流れるとスタジオ騒然!みたいな雰囲気になるんですよ・・・この辺とっても良くないと思う(-_-;) そりゃどう教えても左右双方から面倒くさい非難食らったり、アメ○カ様の目だって気にしないといけない事情は分かりますけど、だからと言って「とにかくアジア中で暴れまくって迷惑かけたので原爆落とされて降伏しました。終」と簡単に済ませちゃうんじゃなくて、どこで何をしたか、せめてどの地域を何年支配していて、そこの人々と今どんな関係を築いているのか、という戦後の歩みまで含めた正確な歴史を改めて教えていくべき時期に来てるんじゃねーの?と、特に隣と一揉め来そうでかつて「支配」していた国々との関係が大切になって来ているのでは、という現状を考える上で強くそう感じる。
確かに、差別はあった。軋轢もあった。けれど子供たちは当たり前に机を並べ、走り、笑い、熱中し、みんなに分け隔てなく「より良い未来」を掴ませたいと願う大人たちがいた。皇.民化教育の都合上「先生」はほとんど日/本人だったという話だけど、その「先生」たちについて嫌な思い出を語る旧植民地の方のエピソードは、探した限り余り聞いたことが無いんですよ。尋常小学校は大体が「若くて綺麗で優しい女の先生」で、旧制中学は本当に熱い指導者だったり教育人としての人格者で、上の学校に進めるように取り計らったり日.本への留学を勧めてくれたり、と日/本統治自体への心情は良くなくてもそういう思い出を語っている方が多い印象。近藤監督とちょこっと出てくる八田さんはまさにそんな、プラスのイメージの日.本人像を体現しているようなキャラクターで、ちょっとずつ彼らの奮闘や訓示の影響を受けて少年たちが成長していく、チームとしてまとまり、どこよりも「日/本精神」を宿した野球をするチームへと変貌していく過程が。・゜・(ノД`)・゜・。「中/華」の一部とくくられることへの抵抗が日.本への親しみや郷愁に繋がり、美化している面もあるのかもしれないけれど、だからこそ余計に台/湾の人々の複雑な感情、大陸と日.本の狭間で、清に支配され日/本に譲渡された末に大陸から追い出された国.民党の権力下に入り、大陸と対立しつつ「本国」はこちらだと主張する政府への矛盾した思い、「いや、自分たちは本土とは違う。彼らとは異なる文化と歴史と共に歩んできた台/湾人だ」という声にならない叫びが聞こえてくるかのよう。
・・・もし、日.本が台/湾を統治していなかったら、彼らは例え阿片に侵され貧しい生活が長引こうと清.国、「華/夏」の一員であることに何の疑いも持たず誇りに感じて悩むことも無かっただろうか?迷いを覚えることなく大陸の主権を主張し、共.産党と国/民党の圧倒的な勢力差で内戦が終わり感情的なしこりがほどけた段階で、難なく今のマ○オのようにするりと中.国に融け込めていただろうか?(香/港はちょっと事情が違うようなので置いておくとして)その方がアジアに火種は少なく、台.湾の人々が「国際孤児」の悲哀を味わうこともなかったんじゃないか、と日/本人として色々考えてしまう。かの地の皇.民派の人々は必死に否定するだろうけれど、余計なことをしてしまった、不幸をもたらしてしまっただけだったんじゃないか、と(´・ω・`) 正直、ウチらより昔の日/本の考え方や思想をきちんと受け継いでいるというかそのまま保存されてるのが初期ブ○ジル移民コミュニティと台.湾皇.民派の方々だと思うんですよ。そして私は彼らに決して100%の共感や同調はできない、という事実を考えた時、果たしてどちらが本当の「日/本人」と呼べるのか(いやあちらにはちゃんとそれぞれ「台.湾人」「ブラジ○人」としてのアイデンティティが存在しているのだけれど)、それは正しいことなんだろうか、訂正すべき(あるいは謝罪すべき)過ちなんだろうか、とか戸惑い悩んでしまうんだよね。よく分かんないや。
コレがヒットした台/湾社会の現状と、それ(というか台.湾自体)について余りにも無知な日/本人にちょっとこのままじゃいけない、と繰り返すけど改めて感じる。震災の時の援助が本当にありがたくて、それでようやく台.湾のことを学び始めたし、皇/民派の方々の意見を覗くようにもなりました。日.本の右/翼に群がられているイメージで勝手に敬遠してしまっていた自分が、時々心から必死で切実な訴えにも見える彼らの思いに触れると、本当に申し訳ないことしたな、と。ある日突然国が変わる、ある日突然友人と別れる、そういう経験をした人たちの気持ちを何も考えていなかった、全く解っていなかったんだ、と自分が恥ずかしくなった。「植民地支配という悪いことをしていたので、敗戦して引き揚げました」だけじゃなしに、そこに生きてきたリアルな、生々しい人々の感情を無視してはいけないんだ、と歴オタとしても改めて思わされたんです。
軍関係のクサ過ぎるお涙ちょうだい系か、ひたすら戦争の悲惨さのみをフィーチャーするしかない日.本の映画界では絶対に作れない、穏やかだけれどどこか物悲しい戦前の「日/本」の思い出の情景。とても爽やかな青春映画であり、同時に台.湾の人々が長年に渡って抱えてきた葛藤や鬱屈が込められていて、本当にこれほどニュートラルで美しい(むしろ上げ脚色が入っている側面が強いように感じるかもしれないので、同じ監督の『セデック・バレ』も同時に観た方が良いかもだけど)作品に仕上げてくれたというのは、今の日/本人には絶対にできないことだと思いました。「五.族協.和」や「八/絞一/宇」、「大○亜共栄圏」という否定的な印象となってしまった言葉に異なる見方、選択肢をくれた台/湾の製作陣の皆さんに心から感謝。日.本の中でもどっぷり左の環境にいた私ですが、アジア主義寄りの人間として例え日/本が支配する口実の建前であったとしても、中々悪いスローガンじゃないと思うんだよね実は(^^;「欧.州連合」の理想と明文上はそう変わんなくね?(ボソッ)もっと台/湾のことや、自分たちの国がしてきたこと、今のアジア諸国との関係についてよく勉強しなきゃな、という気持ちにさせられる一本。
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私は少なくとも高校、いや大学に入ってからもマトモに台/湾の歴史について勉強する機会は全く無かった。受験科目で日.本史を選択するコースにしてしまったので、世界史を選んでいた人は事情が違ったのかもしれないけれど。大学でも専門科目で半島の歴史を学ぶ授業はあったけれど、記憶にある限り台/湾をフィーチャーした授業はぶっちゃけ見当たらなかったと思う。(もう完全にバレるかもですが、K子学院があって主席が来ちゃうようなトコだったので、大陸側への配慮が行き過ぎた学校だったせいもあるのかも)「台.湾人が日/本好きとか言うのは、そう言ってた方が都合が良いからだ」と断言するコミュニ○トの親に育てられた影響もあり、本当にお恥ずかしいのですが台.湾に関しては例の震災支援の件について知るまでほとんど無知も同然でした。
ひっどいエピソードとして、仲良くなった中/国人留学生の子と観光に行った時、台.湾人旅行者の集団に出くわして「アレ、○○ちゃん中/国の人いっぱい来てるねー」と振ったら、「いや、あの人たちたぶん台.湾人・・・(・・;)」とすっごく気まずそうにされて、「え? 中/国語と違うの?」「うん、全然違うから分かるよ」って答えた彼女の何とも言えない表情が強く印象に残っています。彼女は、私たち(イヤ私だけだったのかもしれないけど><)が台.湾について本気で何も知らなそうなことが衝撃的だったのだと思う。だって「彼らは台/湾人」って何回も説明してくれましたもん、「本土の人間とは違う」ってことを全く理解できないうちらに。他ならぬ中.国人の彼女に何て残酷なことをさせてしまったのか、と今は後悔しきりですが。(無邪気に反/日教育とかきょうだいの有無の話題もしてたわ・・・若さってこえぇ!私が無神経KYなだけだけか? いや言い訳させてもらえるなら、どこまでぶっちゃけてくれるのかという好奇心もあって(-_-;) 前者については「んー、確かに歴史の授業はあったけど、ソレが今の国同士の関係の何に繋がるのかよく分からん」ってごまかされたし(当たり前。笑)なぜか普通に関西弁バリバリの下の子がいてくれて助かったけどな!抜け穴エリートだったのか少数民族待遇だったのか謎だけど、上海から日.本に一家で転勤した上で向こうの家も維持できてたり、私立に留学できるような家庭なのであちらでは上の方に位置する階級ではあったんでしょうが)
で、そういう思い出などを振り返りつつ、台/湾皇/民派の方の呟きなどをたまに覗いている身としては、ストーリー全体に流れる過去への郷愁みたいなものが何かスゲー沁みてね(;_;) 日.本人と当たり前に共存していた時代のあちらの方々、台/湾に馴染んで暮らしていた日.本人、民族を超えて友情を育んだり、カップルになった人たちもいただろう。人と人が隣り合って一緒に暮らす以上は、いくら支配する者とされる者、一等・二等・三等と国民の優劣が存在していたとしても、完全に混じり合わずにいることは不可能だと思うんですよ。ましてや日/本は「大東○共栄圏」を建前として掲げ、その道具に「Tenno崇拝布教」を用いた都合上、キリ○ト教への「教化」とその思想的刷り込みによる白人優位の確立という欧州方式の植民地運営を否定する必要があったわけだし。初めから居留地の明確な線引きや、アパ○トヘイトみたいな政策は記録に残る限りどこの支配地域でも取っていなかったはず。本当に、アジアの全部がそこに暮らす人々を含め、そのまま「日.本」と同化することを目指していたというか。
でも、戦後の私たちはとにかく戦前の日/本は悪だった、としか教えられずに、その言わばキャッチコピー的なものに固執する余りに大事な中身、具体的な支配地域についても、そこに実際どんな影響を及ぼしたのかということもきちんと知る機会を持てなかった。軍人たちの横暴な振る舞いと虐げられる住民たち、それを見て葛藤する駐留邦人、そういうイメージしかなくないですか? 数少ない「かつて日.本が支配していた地域」を舞台にした戦前~中の記録やフィクションとかって。東南アジアや南洋の島々なんか、統治・あるいは政治的介入を広く行っていたこと自体知らない人も沢山いるだろ。だから『クー○ム』みたいな作品が人気ある話聞くと「ハァ!?Σ(゜Д゜;)」と驚くし、イ○ドネシアに帰化した元日/本兵のエピソードとかテレビで流れるとスタジオ騒然!みたいな雰囲気になるんですよ・・・この辺とっても良くないと思う(-_-;) そりゃどう教えても左右双方から面倒くさい非難食らったり、アメ○カ様の目だって気にしないといけない事情は分かりますけど、だからと言って「とにかくアジア中で暴れまくって迷惑かけたので原爆落とされて降伏しました。終」と簡単に済ませちゃうんじゃなくて、どこで何をしたか、せめてどの地域を何年支配していて、そこの人々と今どんな関係を築いているのか、という戦後の歩みまで含めた正確な歴史を改めて教えていくべき時期に来てるんじゃねーの?と、特に隣と一揉め来そうでかつて「支配」していた国々との関係が大切になって来ているのでは、という現状を考える上で強くそう感じる。
確かに、差別はあった。軋轢もあった。けれど子供たちは当たり前に机を並べ、走り、笑い、熱中し、みんなに分け隔てなく「より良い未来」を掴ませたいと願う大人たちがいた。皇.民化教育の都合上「先生」はほとんど日/本人だったという話だけど、その「先生」たちについて嫌な思い出を語る旧植民地の方のエピソードは、探した限り余り聞いたことが無いんですよ。尋常小学校は大体が「若くて綺麗で優しい女の先生」で、旧制中学は本当に熱い指導者だったり教育人としての人格者で、上の学校に進めるように取り計らったり日.本への留学を勧めてくれたり、と日/本統治自体への心情は良くなくてもそういう思い出を語っている方が多い印象。近藤監督とちょこっと出てくる八田さんはまさにそんな、プラスのイメージの日.本人像を体現しているようなキャラクターで、ちょっとずつ彼らの奮闘や訓示の影響を受けて少年たちが成長していく、チームとしてまとまり、どこよりも「日/本精神」を宿した野球をするチームへと変貌していく過程が。・゜・(ノД`)・゜・。「中/華」の一部とくくられることへの抵抗が日.本への親しみや郷愁に繋がり、美化している面もあるのかもしれないけれど、だからこそ余計に台/湾の人々の複雑な感情、大陸と日.本の狭間で、清に支配され日/本に譲渡された末に大陸から追い出された国.民党の権力下に入り、大陸と対立しつつ「本国」はこちらだと主張する政府への矛盾した思い、「いや、自分たちは本土とは違う。彼らとは異なる文化と歴史と共に歩んできた台/湾人だ」という声にならない叫びが聞こえてくるかのよう。
・・・もし、日.本が台/湾を統治していなかったら、彼らは例え阿片に侵され貧しい生活が長引こうと清.国、「華/夏」の一員であることに何の疑いも持たず誇りに感じて悩むことも無かっただろうか?迷いを覚えることなく大陸の主権を主張し、共.産党と国/民党の圧倒的な勢力差で内戦が終わり感情的なしこりがほどけた段階で、難なく今のマ○オのようにするりと中.国に融け込めていただろうか?(香/港はちょっと事情が違うようなので置いておくとして)その方がアジアに火種は少なく、台.湾の人々が「国際孤児」の悲哀を味わうこともなかったんじゃないか、と日/本人として色々考えてしまう。かの地の皇.民派の人々は必死に否定するだろうけれど、余計なことをしてしまった、不幸をもたらしてしまっただけだったんじゃないか、と(´・ω・`) 正直、ウチらより昔の日/本の考え方や思想をきちんと受け継いでいるというかそのまま保存されてるのが初期ブ○ジル移民コミュニティと台.湾皇.民派の方々だと思うんですよ。そして私は彼らに決して100%の共感や同調はできない、という事実を考えた時、果たしてどちらが本当の「日/本人」と呼べるのか(いやあちらにはちゃんとそれぞれ「台.湾人」「ブラジ○人」としてのアイデンティティが存在しているのだけれど)、それは正しいことなんだろうか、訂正すべき(あるいは謝罪すべき)過ちなんだろうか、とか戸惑い悩んでしまうんだよね。よく分かんないや。
コレがヒットした台/湾社会の現状と、それ(というか台.湾自体)について余りにも無知な日/本人にちょっとこのままじゃいけない、と繰り返すけど改めて感じる。震災の時の援助が本当にありがたくて、それでようやく台.湾のことを学び始めたし、皇/民派の方々の意見を覗くようにもなりました。日.本の右/翼に群がられているイメージで勝手に敬遠してしまっていた自分が、時々心から必死で切実な訴えにも見える彼らの思いに触れると、本当に申し訳ないことしたな、と。ある日突然国が変わる、ある日突然友人と別れる、そういう経験をした人たちの気持ちを何も考えていなかった、全く解っていなかったんだ、と自分が恥ずかしくなった。「植民地支配という悪いことをしていたので、敗戦して引き揚げました」だけじゃなしに、そこに生きてきたリアルな、生々しい人々の感情を無視してはいけないんだ、と歴オタとしても改めて思わされたんです。
軍関係のクサ過ぎるお涙ちょうだい系か、ひたすら戦争の悲惨さのみをフィーチャーするしかない日.本の映画界では絶対に作れない、穏やかだけれどどこか物悲しい戦前の「日/本」の思い出の情景。とても爽やかな青春映画であり、同時に台.湾の人々が長年に渡って抱えてきた葛藤や鬱屈が込められていて、本当にこれほどニュートラルで美しい(むしろ上げ脚色が入っている側面が強いように感じるかもしれないので、同じ監督の『セデック・バレ』も同時に観た方が良いかもだけど)作品に仕上げてくれたというのは、今の日/本人には絶対にできないことだと思いました。「五.族協.和」や「八/絞一/宇」、「大○亜共栄圏」という否定的な印象となってしまった言葉に異なる見方、選択肢をくれた台/湾の製作陣の皆さんに心から感謝。日.本の中でもどっぷり左の環境にいた私ですが、アジア主義寄りの人間として例え日/本が支配する口実の建前であったとしても、中々悪いスローガンじゃないと思うんだよね実は(^^;「欧.州連合」の理想と明文上はそう変わんなくね?(ボソッ)もっと台/湾のことや、自分たちの国がしてきたこと、今のアジア諸国との関係についてよく勉強しなきゃな、という気持ちにさせられる一本。
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