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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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やっぱりハロワさんは甘くないわー(´-`) 来週のセミナー終わったらすぐ書類揃えて具体的な活動入れ、みたいなニュアンスだったんだけど半年でサイズ変り過ぎてぶっちゃけスーツが・・・(最近は体脂肪率も17%代固定です\(^O^)/)ついでにカバンも妹の就活時に持ってかれてボロボロにされちゃったんだよねぇ。就活一つにもお金が><;あとMOSは当然として簿記か医療事務取っといた方が最強かもしんない、と検索してて思った@今更。ホント良い歳こいて経験も資格もないのが恥ずかしすぎる(∩///∩) だってホント受付とか電話・来客応対を出来る限り全力で避ける方向で行きたいというワガママぶりでしてな。そうなるとかなり限られてきてしまうわけで(以下略)ユーキャ○とかしないと取るの厳しいのかな?じゃあまず手っ取り早くある程度稼いでから、とやっぱなるしなぁ。とりあえずパートから始めて貯めながら今の状態を少しでも改善しつつ資格取ってなるべく早い内に正社員に転職を目指す路線・・・年齢考えると厳しいだろうか(-_-;) あーホントこの数年何やってたんだろうorz

以下『脳髄は物を考えるところに非ず』前半部分の感想。

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「脳髄と称する怪物は一番高いところに鎮座して、全身の各器官を奴僕のごとく追い使いつつ、最上等の血液と、最高等の栄養分をフンダンに搾取している。脳髄の命ずるところ行われざるなく、脳髄の欲するところ求められざるなし。脳髄のために人間が存在しているのか、人間のために脳髄が設けられているのか。イクラ考えても検討が付かないという……それほど徹底した専制ぶりを発揮している人体各器官の御本尊、人類文化の独裁君主が脳髄様々にほかならないのだ。」ここさ、国家・政府と国民、為政者・官僚と一般民衆とか色ーんな社会の縮図を暗に皮肉ってますよね、脳髄だけじゃなしにさ(^ω^) それほど重要視されながら古今東西、その明確な役割について解明できた学者はいない、と。「脳髄が自身の機能を(他ならぬ脳髄の主である人間自身に)わからせないように努力している」おっそろしい形容の仕方ですね(((@_@;)))「したがって脳髄は自身によって作り出された現代の人類文化の中心を、しだいにノンセンス化させ、各方面にわたって末梢神経化させ、頽廃させ、堕落させ、迷乱化させ、悶絶化させつつ、何食わぬ顔をしているという、悪魔ソレ自身になって来るという一事」この辺の繰り返しの言葉遊びムダに見えるけどムッチャおもろい^^
「人間の身体を解剖すると全ての細胞が脳髄を中心にして緻密に糸を引き合った形になっているから、人間の行動を支配する精神、もしくは生命意識なるものは、脳髄の中に立て籠もっているのじゃないか、少なくとも「脳髄は物を考えるところ」と考えてさしつかえないように考えられるのだ。 こうした考え方は現在ではもう人類全般の動かずべからざる信念……もしくは常識となってしまっている。現代の燦然たる文化文物は、一つ残らずこうした「物を考える脳髄」によって考え出されたものであると演説しても否定する者はいないくらいにアタマ万能主義の世の中になってしまっているのだ。」おーおー、あえてのカタカナ表現によりトップ至上主義の人間社会への批判が二重写しに透けて見えるような気がするのは(以下略)で、この「科学探偵小説」の主人公である「専念名探偵兼古今未曽有式超特急の脳髄学大博士」の目的は「脳髄に関する従来の世界的迷信を一挙に根底から覆滅させて、大悪魔「脳髄」の明瞭な錯覚作用の真相を科学の光明下に曝け出し、読者の頭を一撃にかっ飛ばす」ことだそうな(ノ∀`)「空想なんてものを取入れたら、余篇の興味がゼロになってしまう」「初めから一分一厘ノンセンスものじゃない」とかマジ爆笑する。

「主人公」アンポンタン・ポカン君が「実在の人物」で「七号室」の患者、記憶喪失という設定が『ドグラ・マグラ』全体の主人公くんと大いに被る入れ子細工の中の更にまた入れ子細工というかマトリョーシカ仕様で面白いですね(^^)b 彼によると脳髄で物を考え、文化人としてのプライドをステップするつもりになる行為そのものが危険らしい。「人類はことごとく、諸君と同様の阿呆である。脳髄を「物を考えるところ」と錯覚している低能児である。 そんなトンチンカンな幻想錯覚を得意然と肩の上に乗っけて、その錯覚を唯一無上のタヨリにしつつ「アタマは最上の、最後の資本」「現代はアタマのスピード時代」という倒錯観念の競争場裡に、人類文化をゴチャゴチャの悶絶界に追い込みつつある」とてもケンノンで見ていられない「人類文化の罵倒」「脳髄文明の覆滅」「唯物的科学思想の建てかえ建て直し」20C初頭の戦前にこの文章、実にイイね!(・∀・)b「……「物を考える脳髄」はにんげんの最大の敵である。最大最高級の悪魔である。 この戦慄すべき脳髄の悪魔ぶりを正視せよ。脳髄に関する一切の迷信、妄信を清算せよ。」「人間の脳髄は自ら誇称している。「脳髄は物を考えるところである」「脳髄は科学文明の造物主である」「脳髄は現実世界における全知全能の神である」と。脳髄はこうして権威を僭称しつつ、王者の傲りを極めている。そうしてどこまでも権威を高めて行く一方に、その権威を迷信している人類を。日に日に堕落の淵に沈淪させている。 その「脳髄の罪悪史」のモノスゴサを見よ。」・・・やっぱり脳髄に名を借りた現実の諸々やイデオロギーなんかへの揶揄が込められているような印象を受けてしまうなぁ(・・;)
その「脳髄の罪悪史」とは何か?ポカン博士曰く「人間を神様以上のものと自惚れさせ、大自然に反抗させ、人類を禽獣の世界に逐い返し、物質と本能ばかりの虚無世界に狂い廻らせて自滅のスロープへ逐い落した」というものらしい。最初に脳髄なるものを発見した天才科学者ヘポメニアス氏は「自分の脳髄のトリック」に引っかかり、「脳髄は物を考えるところ、生命の本源を神様の摂理だなぞというのは嘘で、神様は人間の脳髄が考え出したものにすぎない」という結論に達する。「生命の本源は脳髄の中に宿っており、われわれの精神意識というものはそれによって生み出された一種の化学的エネルギーの刺激にほかならない。……すべては脳髄の思し召し……。科学の発見した脳髄こそ、現実世界における全知全能の神様なのだ。」と。これもまた極端だけど時代を考えればリアルな皮肉かも(^^;「当時のキ○スト教の迷信と僧侶の堕落腐敗に飽き果てていた尖端人種は、これを聞くや否や大喝采裡に共鳴した。ヘポメニアス氏の迷説を丸呑みにし、「脳髄は物を考えるところ」という錯覚を、プレミアム付きで迷信した。「この世界には神様なんか存在しない。すべては物質の作用に他ならないんだ。われわれはわれわれの頭蓋骨の中にある蛋白質の化学作用でもって、新しい唯物文化を創造していくんだぞッ……」
やめて、それ以上“精神と物質”にこだわってギリギリのところで神を捨てられなかったゲーテさん初めド○ツロマン主義の皆さんや、ソレを斜めに見てカラマーゾフのイワンなんかに代弁させちゃった癖に何だかんだロ○ア正教徒として葬られたドストエフスキー先輩の悪口言うのは!やめたげてよぉ!>< マジで欧米人は呪縛から解き放たれるのが大変なの、脱け出すためにはイデオロギーに走るしかないの、自分の属性をハッキリしておかないと社会的にも大いに不安定な立場に置かれるし、メンタルも不安定になってしまう文化の生き物なのよー@もちろん住んだことないけど似たような環境に置かれたゴッチャ煮あいまい文化OKな日/本人の自分ですらこんなアイデンティティーのカオスに散々戸惑ってきたんだから、とにかく政治・宗教・主義主張、自分の意見は白黒ハッキリ付けて表明しましょうが幼いころから叩き込まれる向こうの社会で育った人間がどういう方向に走らざるを得ないかは正直言って察するに余りある(つД`)可哀想や・・・せめて、せめて猶予期間を!とか言って学生さんほど議論好きで立場の選択を同級生が迫って来るっつー恐ろしい土壌があんだよな(((゜Д゜;)))gkbr

長くなったので続きはまた明日ー。


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パナ祭第二弾S Bさんに最近やっと業界首位をゲットされたI藤忠さんktkr(^ω^) S Bさんは中.国様の子会社のせいで?違法性の有無が不明だから国内メディアは匿名報道だと? 全くこれだからウチのジャーナリズム()は・・・orz
あ、オバ○のレガシー作りは最後にGJっすな日/本人的に(^^)b 71年もかかるとか(笑)って逆に必死な罪悪感さらけ出しすぎだよ、と思うけど。昨今の「独自外交」ロ○ア接近も効いたのかな? まぁ日.米両政府ともトラ○プや中/国に利用されない配慮と努力は怠らないように頼むわ(-m-) ト○ンプは見ようによってはアジア嫌いのプー○ン好きだから分かりやすくて手の打ちようがあるっちゃあるのかもしれないけど、それは仮想敵陣営にとっても同じことなわけだからね。金と女送り込まれたらどう発言翻して転がるか分からない。準備が整わない内に米.軍撤退なんかされたらウチと韓/国は一巻の終わり、座して死を待つか大人しく中.国陣営に跪くしかない。
だってフィ○ピンのトラ○プとか言われて勝っちゃったポピュリストが早速お金で取り込まれてる様子なんだもん、アメリ○様に負けず劣らず頭痛いわー(;´д`) ASE○Nで最も当てになるはずの利害一致国が・・・。ベト○ムやイ○ドネシアは何だかんだK産陣営の古い絆や華僑マネーの土壌があってしたたかというか、どっちにも転べるんだよね。存在感や経済規模、持ってる技術がそこそこなのはそれなりに強みでもある。でもウチや韓.国は中/国に先んじている面がある分、余計危険というか搾り取られるというか(以下略)ウチなんかは「民族の恨み」という体制正当化の道具にも使われてるし、戦って打ち倒すだけで支持率うなぎ登り、不満だらけの民衆をまとめ鼓舞する材料になる。どういう形であれ自陣営側としての半島の統一・取り込みも今なら誇れる実績として受け止められるんじゃないかな? そこに実質的な技術力や経済力、ソフトパワーなんかもついてくるわけだし。まぁあの体制に組み込まれたら表現の自由が大分狭められてしまうから、韓.流アイドルもウチのガラパゴス文化()の発展もオシマイだな、とは思うけど(・・;)

以下、昨日の夜に書いてた感想。色々出歩いたのでちょこっとだけ。※いつもながら病んでるのでご注意!\(^O^)/

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「地球表面は狂人の一大解放治療場」すごく共感できたし、自分という存在が許されているかのように思えてきて泣けた(;_;)@精神科通院歴○年だもの。「身体が不自由なら「片輪」という名前で軽蔑したり、気の毒がったり、特別扱いをする」人間たち。「頭の働きが足りないか多すぎるかすれば「キチガイ」の烙印を押し付けて差別待遇を与えることに決めている」人間たち。「キチガイは禽獣、虫ケラ以下の軽蔑、虐待を加えてもいいものと考えている」らしい彼ら。
けれど「その精神病者を侮蔑し、冷笑しているいわゆる、普通の人間様たちの精神は、はたして、何もかも満足に備わっているであろうか。すべての人々の脳髄は、隅々までも本人の意志の命令通りに、自由自在に動いているのであろうか。 けっしてそうは思えない。それは外から肉眼で見わけることができないだけで、実際のところを言うと、この地球表面に生きとし生ける人間は、一人残らず精神的の片輪者ばかりと断言してさしつかえないのである。精神的の片輪者ばかりで、押すな押すなの満員状態を呈していると考えても、断然間違いはないのである。 悪い癖が止められないのは、取りも直さず自分の頭が、自分の自由にならないことを実地に証明しているのではないか。自分の頭の間違っているところを、自分の意志で直すことのできない、精神病的発作の根強いあらわれを見せているのではないか。 (感情をコントロールしきれないのは)一時的な精神の偏りを、自分で持ち直すことができないという、アタマの弱点を暴露しているのではないか。 出会う人ごとに、知るも知らぬも、多少のキチガイ的傾向を帯びていない者はいない。頭の働きの不叶なところを持っていない者はない。すなわち精神病者と五十歩百歩の人間でない者はいないのだ。」
「しかし、そんな風に生まれ付いたり、習慣付けられたりしているいわゆる、紳士淑女連中が、自分のアタマと五十歩百歩の精神病患者を見るとヤタラに軽蔑したり、恐れたりする。自分だけは誰が何と言っても精神病的傾向をミジンも持たない、完全無欠なアタマの持主だと自惚れ切っているから。……そんな連中からアラユル残酷な差別待遇を受けている、罪も報いもない精神病患者を弁護して見たくなるのだ。 普通人と狂人の区別がつけられないのは、刑務所の中にいる人間と、外を歩いている者との区別が付けられないのと同じこと。赤い煉瓦に入る程度にまで露骨でない悪党と、キチガイとを一緒にしたものが、いわゆる普通人」「暴言ではあるが、事実はどこまでも事実に相違ないのだから仕方がない。こうした観察点に立脚しなければ、精神に関する真個の科学的研究がやって行けないのは、あたかも人間が一個の動物に過ぎないという見地に立脚しなければ、すべての医学の研究が遂げられないのと同じことなんだからやむをえない。」
・・・これ、本当に若い頃に読んでなくて良かった。欲しい言葉が並びすぎてて自分を甘やかしちゃってた。共感するけど、その自分の狂気と闘って打ち勝つことができる、あるいはそれを自身の個性として周囲や世間に認めさせ、もしくはそれら他者からの視線を全く気にせずに生きていける術や居場所を獲得した者こそが“普通人”、やはり負け組精神弱者にとっては尊敬すべき対象に他ならない。今はそう思い直せる。そういう人間はリアル精神病患者より、やはりはるかに“マトモ”で“役に立つ”社会の歯車。だからと言ってそうなれなかった弱者への虐待や差別を肯定する権利を持つことにはならない、という点にはもちろん心から同意しますが(-_-;)

「禽獣、虫ケラ以下の半狂人である人類たちは、永い年月のうちに自然と自分たちがキチガイの大群衆であることを自覚し始めて、宗教、道徳、法律、または赤い主義とか青い主義とかいう御丁寧なものを作って「お互いに無茶を止しましょう……変な真似をやめましょう」をやっている。だから吾輩も「人類全部がキチガイ」という観察点に立脚した、ホントウの科学的な精神病の研究治療を試みているのだ。」やっばいこのくだり爆笑(ノ∀`) なるほどねー、小難しく考えて苛立つ前にその程度の“道具”として捉えちゃえば良いのか(笑)
「まず人間の脳髄の作用から研究し直して、「脳髄は物を考えるところ」という従来の迷信的な学説をドン底から訂正する。それからその新しい「脳髄の作用」に反映して行く精神の遺伝作用を明らかにする。そこででき上った精神解剖学、精神生理学、精神病理学から観察診断した、最もわかり易く興味深い、精神病患者の標本ばかりを集めて、吾輩独特の精神的な暗示と刺激を応用した治療法を試みてみたい」うん、この部分を読めば「但しお断りしておくが、その実験をやっている吾輩ばかりが、精神に異常のない、太平無事のデクノ坊だと誤診されては迷惑だよ。 一度狂人の研究を始めた吾輩は、それ以外のことが考えられなくなった。 だから地上のほかの狂人は治療るとも、吾輩の精神異常だけは永遠に全快しないだろう。」と続く文章が心から理解できますとも!正木博士(「正気」とかけているとすれば上手すぎる)は間違いなく治癒不可能な狂人で間違いない(^ω^)b 自覚あるだけに治んないんだよねぇ、『ティモシー・アーチャー~』の「天使のようなビル」といい。私も死ぬまで永遠に薬飲み続けると思うもん。


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『キチガイ地獄外道祭文』の最後まで読了。(※病んだ自分語り含みます)

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駄目だ、『キチガイ~』の内容が胸に沁み過ぎて冷静でいられない(;_;) あ、でも私通ってる個人診療所の先生にはこんなんされたこと一度も無いです。思い出したのは大きな病院回ってた時や、メディアに出ているような有名な先生に診てもらった時の冷たい反応というか視線。お世話になって紹介状を書いて下さったお医者さんを「ヤブ」呼ばわりされたり、いかにもメンタル弱い奴の相手はしたくないという、「どうせ精神的な症状なのに親まで振り回して恥ずかしいと思わないの?」的な説教を食らったこともあった。そりゃ毎日必死で命を繋いでいる患者さんばかり診ている方々なら、健康に生きていける肉体なのに心の問題としか判別できないようなことで貴重な時間取らせんな、という気持ちになるのは分かります。でも、あのあからさまな「見下される」軽蔑の眼差しを繰り返し浴びなければならない日々は辛かった。だって鬱が腰に来て立てなくなるとか、物が食べられなくなったらとりあえず内科に行くし、検査して腫瘍と見た目が変わってしまう事実が明らかになったら治療したいと思うでしょうが正直@一応まだ若かったんだし(-_-;) 実際取ってからはマジで視力の低下が止まったしな・・・「開けたらかなり視神経と癒着してて時間かかっちゃいましたー(´∀`;)」って言ったの誰の弟子だよ!?ストレッチャーで運ばれてる最中に目ぇ醒ますくらいの時間かかったんだぞ?今頃片目見えなくなってたら資格欄に書くものゼロになってたというか、完全障害者枠で行くしかなかったっての。(・・・と、医者へのグチはこのくらいにして)

正木博士の研究室で、師ではなく実は同輩だった若林博士の口から、いかに彼が非凡な天才かつ変わり者であったかということが明らかにされる。自分自身もキチガ○の実験体に過ぎないかも、と自覚しているところには好感が持てるな(笑)その熱心な崇拝ぶりと主導権の握りっぷりに、科学的方法によって自分を取り囲み、彼の望む方向に主人公の心理を誘導しようとする若林博士の確信の底深さ、計画の冷静さと周到さに恐れ慄く主人公。「何という恥かしい……恐ろしい……不可解な運命」(つД`) 研究室に陳列された「あんまりミジメな、痛々しいものばかり」の精神病患者の作品群の中から、遂に『ドグラ・マグラ』を見つけ出す主人公。それに関する若林博士の説明の「精神病者の文章は理屈ばったものが多い」って大いに思い当たる節が(以下略)サーセン!『ドグラ・マグラ』の内容と作者について博士が語る部分は丸っきり劇中劇、入れ子細工を見ているようで面白いですね^^ 昨日毒づいた裏表紙のコピーもこっから来てんのか。夢野氏が読む人に“そう感じてもらいたかった”という願望なんだな、辛辣な言い方をすれば。方言や当て字のくだりは無知だったから素直に興味深かった。で、この博士の解説から大体作品の流れや結末も見えてしまう感じ?だとしたらちょっと残念(;・ω・) 自分が“狂人ではない”気分に立っている主人公は「どうせキチガイの書いたものなら結局無意味なものに決まっている」と熱心な薦めを退け、「現在の私が直面しているドグラ・マグラだけでもたくさんなのに、他人のドグラ・マグラまで背負い込まされて、この上にヘンテコな気持ちにでもなっては大変」とそれを忘れてしまうことに決める。
その後も他の陳列棚を眺め続けるが、展示物の中に含まれている「精神病者特有のアカラサマな意思や感情が、一つ一つにヒシヒシと私の神経に迫って来て、一種、形容のできない痛々しい、心苦しい気持ちになっただけ」で記憶の手がかりは掴めずに終わる。正木博士のコレクションの中の中世の精神病者の火刑の絵に、「精神病という捉えどころのない病気には用いる薬がありませんので、むしろ徹底した治療法と言うべきでしょう」と言う若林博士の言葉には思わず頷いてしまった(^^;だって早く楽になりたいもん。「今の世の中に生まれた狂人は幸福ですね」と言う主人公に「必ずしもそうでないのです。あるいはひと思いに焚き殺された昔の精神病者の方が幸福であったかも知れません」と答える博士の言葉が証明してね?(´Д`) まぁそういう意味じゃないのは正木博士の残した文書読めば分かるけどさ。20C初頭、世界各地で当たり前だった「残酷非道な精神病者の取扱い方、公然の秘密」に憤慨して生涯を精神病の研究に捧げ、師である斎藤教授の指導・援助の下にその目的を達成した正木博士の偉大さ。「焚き殺す以上の残虐が、世界中到るところの精神病院で堂々と行われている」ことが「厳然たる事実に相違ない」と力説する若林博士。けれど「憐れな狂人の大衆」を救うための壮大な『狂人解放』治療の実験のために、正木博士はまさに主人公が生まれたころと思われる二十年以上も前から恐ろしい苦心と努力をしてきており、その集大成として見込まれたのが自分と許嫁の少女だと聞かされた時の主人公の狼狽は察するに余りある(ノ_・,)「正木先生はあなたがお生まれにならないズット以前から、あなたの今日あることを予期しておられた」って重すぎんだよ一々!「余りの気味悪さと不思議さに息苦しくなって」全く当然だね!人を実験材料扱いしてんじゃねーっつの^^#ビキビキ

あ、でも正木先生が学生時代にぶった演説『学生、学者たるものの第一番の罪悪は、学士になるか博士になるかすると、それっきり忘れたように学術の研究をやめてしまうことである。これは日本の学界の一大弊害と思う』ってのは心底同意。今でもバリッバリに残ってますなー、こういう風潮((-_-)ウンウン 全入時代の今は更に輪をかけ、日/本の学生にとって大学は入ったら遊ぶトコ扱いだしさあ。だから早く社会に出て資格もいっぱい取って世間的な処世術バッチリ身に付けられる専門系の学校に高校から進んだ子たち尊敬する。偏差値や学歴なんか有能さや人間としての出来に全く関係ないと思う。妹の彼氏や、高校出た時から一切親に迷惑かけずに苦労してでも自分で色々経験したり挑戦してる友人見てても本当に感じる。『今の人間はみんな西洋崇拝で、一人残らず唯物科学の中毒に罹っている』だの唯物科学万能主義の罵倒のくだりは時代的なこと考えてもドストエフスキーさんと大いにウマが合うんじゃないかな?(ノ∀`) こういう方面のヒネクレっぷりや冷静な指摘ってロ○アと日.本結構近いよね。ヨーロッパ派生の若い国アメ○カには絶対できない、というか『外道祭文』中の「ホントウ国」がどう見てもアメリ○モデルの資本主義批判だしな。ヨーロッパはあそこまでアカラサマじゃない(笑)イギ○スは拝金アング○の元締めだから、金が物言う価値観を形作ったのはあそこだけどさ。金<階級という側面が強い観があるので、どっちかと言うとアメ○カかな、って。
けど正木先生が待ちかねた『一人のスバラシイ精神病患者』、『自分の発病の原因と、その精神異常が回復して来た経過とを、自分自身に詳細に記録発表して全世界の学者を驚倒させると同時に、今日まで人類が総がかりで作り上げてきた宗教、道徳、芸術、法律、科学なぞいうのはもちろんのこと、自然主義、虚無主義、無政府主義、その他のアラユル唯物的な文化思想を粉微塵に踏み潰して、その代りに人間の魂をドン底まで赤裸々に解放した、痛快この上なしの精神文化をこの地上にタタキ出すべく、そのキチガイが騒ぎ始めるのです。その騒ぎが成功した暁には、精神科学がこの地上における最高の学問となって来るのです。』そのキチガ○が自分かー!って主人公の背負わされた重荷(^ω^;) しかも「正木先生が自分自身でそのような精神病者を作り出して、学会を驚かそうと計画しておられた」だと?故意にハメられたのか主人公と少女は?犯人正木先生かよ!?マジ最低だな(´Д`;) 彼の卒業論文『胎児の夢』を庇う斎藤教授の論理も屁理屈極まりないとしか思えない。「母親の腹の中の胎児が見ているのは先祖が生存競争を生き残るために重ねてきた数々の悪業の大悪夢」とかイキナリ体裁も整わない書式で出されたらそりゃ旧帝第一期の卒業生として認められんわ。「推測に過ぎない、証明できないから学術でないと言えようか」って文化人類学や考古学持ち出してますけど、一応それらはモノがあって、使った形跡や先住民の証言や伝承や習俗が存在した上で学問として成り立ってるもんですからね?荒唐無稽な精神論と一緒にしないでくれないか^^ニッコニコニコ
結局主席で大学を卒業できた変わり者正木先生は各国放浪の挙句知った「現代文化の裏面に横たわる戦慄すべき『狂人の暗黒時代』」を例の祭文歌として全国に広めようとするも、「あまりに露骨な事実の摘発で、考えようによっては非常識なものに見えたためか、真剣になって共鳴する者がおらず、とうとう世間から黙殺されてしまった」「その祭文歌中に摘発してある精神病院の精神病者に対する虐待の事実なぞが、一般社会に重大視されることになると、現代の精神病院は一つ残らず破毀されて、世界中に精神異常者の氾濫が起こるかも知れない事実が想像され得るのだが、正木先生はさような結果なぞは少しも問題にしておられなかった」ってどこぞの弱者様しか見えてない方々みたいやなー(笑)物事は両側から見ないと“最小不幸社会”()なんか創れまへんで(´∀`)b「正木先生の後半の御生涯は、その一挙手一投足までも、あなたを中心として動いておられたものとしか考えられない」ってだーかーら重いって!重すぎるって「夢中遊行」状態から覚醒したばかりの記憶喪失の青年にさぁ!><

つか斎藤先生の死に様・・・自殺?それとも正木(以下略)そしてこの因縁、人為か天意かさえも主人公の記憶の回復が関わってくんのか(゜Д゜;) で、主人公を使った「前代未聞の解放治療の大実験に悪戦苦闘した結果、どうしても自殺せねばならぬはめに陥った」正木先生。その原因は主人公と少女の回復という治療の完成が「ある思いもかけぬ悲劇的な出来事」のために行き詰まりになったから。「それがはたして正木先生の過失に属するものであったかどうかというようなことは、誰一人、知っている者はいなかった」にも関わらず。とにかく彼は「その責任の全部を負われて、人間界を去られた」彼に実験材料とされた己が正木先生を呪ったのでは、と畏怖する主人公に「正木先生は、当然あなたから詛われるのを覚悟されて、この研究に着手されたのです。正木先生は、そうした結果になるように二十年前から覚悟をきめて、仕事を運んで来られたのです。御自身に発見された曠古の大学理の実験と、あなたの御運命とを完全に一致させるべく、動かすべからざる計画を立てて、その研究を進めて来られたのです」あー、学者って本当キ○ガイ(´Д`;) しかもこういう志高い系の連中って大なる目的のためには小の犠牲は仕方ない、と平気で考えてるから性質悪い。自分のしてることが崇高だって妄信しちゃってるから。そういう人種は社会の進歩のために必要だってことは解るけど、現実ではできる限り関わりたくないですね。身内にイデオロギーこじらせて自分も身内も犠牲にしまくってるのがいるだけに。自分や家族も幸せにできなくて何が理想だよふざけんな、弱者の味方とか言ってる連中がアンタが弱ってる時に何をしてくれたって?便利な道具扱いされてむしるだけむしったら知らんぷりじゃん。ホント滅んでほしいK産党つーか日/本の左.翼。農協や医師会やゼネコンにちゃんと見返りもたらすだけ、まだJ民の方がマシなんじゃん?(爆笑)
そしてここからいよいよ正木先生の遺された文書集にo(゜∀゜*)wktk 祭文歌は読んでて余りに胸に痛すぎた件を初っ端に書いたから細かい内容は飛ばすとして、次の『この地球表面上に生息している人間の一人として精神異常者でないものはない』という精神病理学の根本原理がスゲー気になりました。「みんな皮被ってて、おまえは誰よりそれを自覚してるだけ」という叔父の言葉を思い出した(´・ω・`)『脳髄』の真実の機能をドン底まで明らかにすると同時に、従来の化学が絶対に解決できなかった精神病その他に関する機会減少を一つ残らず、やすやすと解決した大論文『脳髄論』も気になるけどね。ホームズかよ!とここでも時代的にウチでも一大探偵小説ブームが巻き起こってたんだなぁ、って事実に改めて感慨を覚えるね☆その『脳髄論』の逆定理、心理の集積がどうして胎児に伝わるかという『心理遺伝』の内容が記された『胎児の夢』、そして遺言書としての『解放治療の実験の結果報告』。あーヤベ、公房さんの「とらぬ狸」の原点はここにあったのか、って感じさせられちゃうなぁ、研究室の陳列物とか振り返ると。

精神病は絶対に完治しない病気、という自分の信念?(というより実感?)も祭文歌含め何回も語られてるし(´-`) ホント身内はキツイで、まだ現代はネットがあって本も手に入りやすく、付き合ってくれる友人がいてくれたおかげで私は何とかこのくらいで済んでるけど。当時は環境的にそういう状況に陥った人間の逃げ場は限られただろうし、そうなると症状は悪化する一方、近所付き合いも密だったり階級制が残っていたりと社会的な縛りも厳しかっただろうし、人目にさらすのが恥ずかしい面倒なのが身近にいたら、どんな場所にでもぶっこみたくなるだろうな、と正直言って理解できる。まぁ精神疾患って正体がわからない病気の概念が「科学」によってもたらされたおかげで生まれた新しい「地獄」、邪魔な人間の残酷な片付け方や本当に憐れな精神病者が辿る末路、金が物を言う社会への風刺、更にこの時代の知識層・文学界をも席巻していた西洋思想への批判なんかも綴られているから、久作とこの作品が異端扱いされた理由もよく解ります。
九州人らしい郷土愛・愛国主義的な姿勢も感じられるしね(^^;そういうのバカらしい、って否定したり飛び出した故郷への愛憎に葛藤してナンボという部分があったじゃん、ウチの文壇って昔から・・・。(良い悪い言ってんじゃなくて傾向的に)素直にさらけ出したりお国言葉で小説書いたりしちゃいかんのよ、特に寒い地方のコンプレックスったらねぇな!と東北生まれ育ちで関西で九州人と接してマジ驚いたね(@o@;) 方言が方言である自覚がないとか、東海以南もザラにいたし。東北の子は必死で直そう、あるいは周りに合わせようと努力するんですよ。田舎者だって自覚があるから。私は物心がつくまで転勤族が多い所で過ごし、両親も地元出身じゃないので共通語使用で方言を身に付けることなく育ってしまったのが残念ですが(・・;) 朝敵認定、厳しい気候、かつての負け組と新たな都落ち組の行き着く先だった土地柄、訛りは方々で田舎者のテンプレートであるかのようによくネタにされ、北海道や沖縄のようなちょっとワクワクする観光地でもなく、物凄く遠い僻地のような扱いをされる。まぁ九州~関東までの気候の穏やかさや交通の便利さ考えると実際確かにそうなんだけどね(苦笑)だから妙に歪んだ芸術家は北国から出るんですよ、こんなストレートじゃねぇの。でも臆病で常に他者の目線を気にしてるから万人に取っ掛かりはするわけ。自由に迸る情熱という意味では久作の方が上でもな!オット、青森・福島回って熊本の震災対応にイラついてるせいかウッカリ地域比較コンプ炸裂してしまった。九州の方サーセン!行ったことないけど出身の友達はみんな面白くて好きです(^∀^)b


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わかりやすくオアシス熱が再燃して流しっぱなしだけど、「とにかく今いる底から自力で這い出せ!」みたいな歌詞が多いじゃないですか。小中一緒のブッダ嬢や親と話してて黒歴史で薄くなってた記憶がよみがえってくると、オアシスと出会った中学の頃の自分も精神的にドン底だったな、って(-_-;) 親友の力になれなかったり、部活で揉めたり、教師はろくでもないのばっかで人間関係最悪だった。早く高校に「逃げる」ことばっか考えてたから、受験はそれほど苦じゃなかったんだけど。(学区分け+別学主流という県内事情のせいで当時は本当に入試のレベルがゆるかったんです(^^;)流行ってた日.本語の歌は恋愛ものばっかりで、自覚してなかったけどAセク人間が共感できるわけもなく、洋物漁るしかなかったんだよね。
そしてノエルのライヴや兄弟の生い立ちを振り返って気づいたけど、今の自分の状況にも符合する曲が結構あんじゃん?と。WhateverもSupersonicもCigarettes and Alcoholも、「ソコに止まってたくないなら今すぐ行動を起こせ、働くなんて面倒だけど、自分の力でしかその場所を脱け出せないんだ」と歌ってくれよる・・・聴きながらその通り、だから素直に頑張ろう、って思える(;_;) もう出会ってから十○年?正直人生の半分以上経ったけど(笑)いつもドン底でのたうってる時に救ってくれてありがとう、と心から思う。二度と復活することがなくても、いやだからこそ彼らは何というか私の青春そのものです。素晴らしい曲をいっぱい作ってくれてありがとう(-m-)

以下、『イン・ザ・プール』読んだら物足りなくて行ってみた元祖キ○ガイもの感想その①(※メッチャ病んでるのでご注意願いますm(__)m)

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正木先生の研究室前まで。んー、名前を失った主人公という『壁』カルマ氏の着想とかはこっから来てんのかな、と改めて思った。あと当時のキ印認定された患者たちの扱いとか、考えさせられる点はのっけからアチコチにありますね(´・ω・`) 不気味な時計の音しか「過去の記憶」を持たない主人公の発した奇声と、それに応えて隣室から響く少女の悲痛な嘆きと呼びかけ。記憶をなくした自分が狂人だと信じたくなくて、「名前なんかどうでもいいじゃないか、忘れたってチットモ不自由はしない。おれはおれに間違いないじゃないか。」「おれはこんな人間を知らない。今までどこで何をしていた人間だろう。これから先何をするつもりなんだろう。何が何だか一つも見当が付かない。おれはタッタ今、生まれて初めてこんな人間と知り合いになったのだ。」「ああ苦しい。やりきれない、おれはどうしてコンナにおかしいのだろう。」と笑い転げる主人公が(つд`)
んでもって現れた大学教授を名乗る若林博士に名前と過去を思い出すよう執拗に迫られ、「まるで自分の名前の幽霊に付きまとわれているようなもの」と形容する主人公と、彼が己を省みる際に何回も出てくる「空っぽ」や「虚無」という言葉が、記憶を失っていなくても新旧問わず名前やイメージ、他人に定められたテンプレートに振り回されながら中身はそうじゃない、空っぽなのに、社会的な立場と自身という個人の間のギャップに苦しむ人間そのものの姿を象徴しているようで胸に沁みます(;_;)
でもってその博士がしつこい理由がまたイキナリ重すぎる!ただでさえ何もかも思い出せないよるべなさに戸惑っている主人公に、次々突き付けられるおぞましく奇怪な話。事件も異様ならその「当事者」であると語られる彼と少女の現状も奇妙。絞殺されたはずの少女が何故隣の病室で生きながらえているのか?(@_@;) 暗示作用によって人間の精神状態を突然別人のように急変化させ得る「精神科学の応用の犯罪」? 暗示によって一瞬で人間を発狂させた上に、その人間を発狂させた犯人に対する記憶力までも消滅させ得るような時代が来たら、だと? ゾッとするわ(((-_-;)))gkbr それを「害悪」と表現すると同時に、師である故正木教授の『狂人の解放治療』なる研究を「現代の物質文化を一撃の下に、精神文化に転化し得るほどの大実験」と大興奮で主人公をモノ扱いする若林教授の思想にも、研究者ってこんなもんだけど素直に異常性を覚える。主人公の混乱と疑念には心から共感できますとも!いきなり「自我忘失症」「数か月の間、現在のあなたとは全く違った別個の人間として、ある異常な夢中遊行状態を続けておられた」とか言われてもねぇ(;´д`) あ、でも「われわれの日常生活の中で、心理状態が見るもの聞くものによって刺激されつつ、引っ切りなしに変化して行く。そうして一人で腹を立てたり、悲しんだり、ニコニコしたりするのは、やはり一種の夢中遊行でありまして、その心理が変化して行く刹那刹那の到るところには、こうした『夢中遊行』『自我忘失』『自我覚醒』という経過が、極度の短さで繰り返されている。……一般の人々は、それを意識しないでいるだけだ」という部分は真理だと思った。
何も思い出せない主人公の「頭の中の空洞を凝視していると、霊魂は小さく縮こまって来て、無限の空虚の中を、当てもなくさまよいまわる微生物のように思われて来る。淋しい……つまらない……悲しい気持ちになって……眼の中が何となく熱くなって……。」「ホントウの私は……私の肉体はここにいるのではない、どこか非常に違った、飛んでもないところで、飛んでもない夢中遊行を……。」そこまで思い詰めながら、散髪の心地好さに「自分がキチガイだか、誰がキチガイだかわからなくなってしまった。……嬉しいも、悲しいも、恐ろしいも、口惜しいも、過去も、現在も、宇宙万象も何もかもから切り離された亡者みたようになって、前途はどうなってもかまわない……一切合財を諦め切ったような、ガッカリした気持ちになってしまった。」彼の哀しさが解りすぎてツラい@しつこいが病んでる(´;ω;`) 記憶を取り戻すために引き合わされた、例の隣室の少女の寝顔に浮かぶ奇妙な変化の波と、それについての更に不可思議な若林教授の説明。見知らぬ美少女を自分の許嫁だと教えられた事実に主人公が感じる「気味の悪さ……疑わしさ……何とも知れないばからしさ」そして真剣に彼女が千年前の先祖@不倫中^^に成り代わる夢を見ているのだ、と、語る若林の不気味さ、マジ怖い(((゜ロ゜;)))ガクガクブルブル いやしかし彼の話が事実だとしたら本当に可哀想なカップルやなー。恐らく当時のエリート富裕層っぽい家の二人らしいのに(・・;) 結局突然知らされた現実から一端逃避して、主人公の頭の中はもとの木阿弥のガンガラガンに立ち帰り、「何らの責任も、心配もない」状態になったのだけれど、それは同時に「全くの一人ポッチになって、何となくタヨリないような、モノ淋しいような気分」に襲われかけて来てしまった。うんうん、その気持ちもよく分かるー!><

そういえば裏表紙に「読む者は一度は精神に異常をきたす」とか書いてあるけど、最初からおかしい人間は別に何とも(以下略)てかそんなこと言ったら公房さんなんかどうすんのさ(ノ∀`) あんだけ多作で芥川賞まで獲って普通に病死してるけど、作品世界狂気そのものやで? ドストエフスキーやカフカやカミュとかさ!何故か同時に手を付けてるマルケスも(笑)としか思えないのだが・・・。あ、ゲーテ先輩も相当キテるよね、ダンテ先輩はもちろんのこと。たぶん文学に免疫ない人間だけがそう感じるんだって。川端御大や三島に大宰も、死に方見ただけでどこの精神病患者より頭おかしいって分かるじゃん。そういう人間の書いたもんをありがたがってもてはやすのが文芸の世界であって、いくら刺激的なコピーで売りたいからってコレ一作にそこまでの表現を与えるようなヤツにマジで精神科通院歴○年間の人間として苦情言ってやりたいわ^^#
毎晩必死に胃痛起こしながら詰め込めるだけ一所懸命モノ食べて、それでも体重計乗って毎回ガッカリっつーかむしろ恐怖を感じてきた気持ち分かる?この前なんか友達に「三食ちゃんと食べてないでしょ?」って言われたわ。毎食食べたくなくても限界まで食べてるっつーの、15時前後にはヨーグルトだの一個は甘くてカロリーあるオヤツまで摂るようにむしろ前より意識してるわ!でもどうしても受け付けられない食材は変わらず、胃も小さくなってる上に吸収できない体質に日々なってるっぽい。で、最近動いてカロリー消費するようになった事情が重なり・・・まぁ筋肉は落とさないようにストレッチやダンベルはしてるし、目まいとか動けなくなったりはしてないから良いんだけど。最終的な目標が自己処理にしかないっていうのを身体が分かってるからこうなってんのかな(´-`)、というガチからすればチャンチャラおかしい。初めが自費出版、更に執筆・推敲に時間をかけすぎたことで、若干展開の整理ができてないというかカオスなのと、文体の特殊さが相まってそういう印象を与えるのかもしれないけど、ただ体裁や美学が伴っているだけで同じレベルの狂気備えた作品なら他にも沢山あると思う。


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一時はどうなることかと思ったけど、全部読んだら普通に共感というか克服できたよー!ヽ(´∀`)ノ

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『酒楼にて』
犀星の詩を思い起こさせるような、あるいは「故郷を誰より憎みながら、愛しているのかもしれない」という修司の言葉も頭を過る物悲しい二人の男の帰郷の話。何もかもが変わり、知り合いすらもいなくなった思い出の地で虚しさや寂しさをまぎらわすために訪れた酒楼で旧友と偶然再会する主人公。彼の風采や境遇、また自身の立場の変化に、二人の隔たった時間や人生の苦みを感じさせるよねぇ(´―`) 同じところを一回りするだけで、遠くまで行き着けない自分たち。理想を成し遂げられなかった己の人生を「つまらんことばかりやっていた。何もしなかったのと同じことだ」と語る緯甫。年老いた母親の頼みごとを果たしに来たのに、全ての結末は虚しく終わり、けれど彼はそれを母親に伝えるまいと、無駄足の疲れを友との淋しい酒席で打ち明ける。健気な阿順の哀れな最期。おそらく彼女の幸せを祈ったという緯甫自身もまた、阿順のことを憎からず想っていたんだろう。「ぼくの昔の夢のなごりにすぎないんだ、すぐ自分で自分を笑い、それっきり忘れてしまったよ。」泣けるセリフや(´;ω;`)ウッウッ しかし不幸な境遇に終わった人に対して「運がなかった」の一言で済ませる親戚も・・・やっぱ大陸の考え方キビシー!立派な教育を受けた身でありながら「子曰く、詩に云う」と家庭教師先で主の望むままに「いいかげんにごまかして」教え、「これから」が見えないというかつての友の変わりぶりにいや増す寂しさが(つд`)

『孤独者』
大陸って昔っから「三戦」にあるようにライバル蹴落とすための情報戦すごかったんやな、と連殳や主人公が職失ったくだりでゾッとした(((゜Д゜;)))gkbr 噂の変わり者、連殳が祖母の葬儀で号泣する姿に興味を抱き、交流を持つようになった主人公。初めの頃の彼が語る「悪は環境が然らしめた後天的なものであって子供は無邪気なのだ。中.国に希望が持てるとすれば、この点だけだろう」というセリフが(;_;) 狂人日記にも「子供を救え」と最後に出て来たけど、この1920代に子供だった連中が後に中/国をどんな地獄に導いたかということを考えると・・・分かってますよ、ウチの国の侵略が無関係だと言いきれないのは。(自衛だと日本人の視点で考えることは可能かもしれないが、大陸の人々にしてみたら紛れもない侵略と呼んで他ならないものだっただろうと個人的には捉えている。かつての「蒙古」や女真族のように同化しちゃったならともかく)
その後心ないプロパガンダ、出る杭打たれる東アジア精神により職を追われた連殳が来客の減ったことを主人公に「心境が良くないと人を不愉快にするばかりだ。冬の公園には誰も行かないからね」って例えるセリフ、私だってそうだったし、そう思ってた。それでも見捨てずに誘ってくれる存在がいたことがどれほどの喜びと救いだったか、連殳にとっての主人公もそうだったんじゃないかと思い、そういう人に恵まれたことに改めて感謝だな、と感じさせられた(・・;) だってそんな彼に主人公が言って聞かせる「君は自分で繭をこしらえて自分をそのなかへつつみ込んでいるんだ。」って言葉がさあ!リアル過ぎる>< そこから語られる連殳と祖母の複雑な関係性と思い出。実は義理の間柄でありながら、生涯必死に一人針仕事に励み孫を育て上げた祖母の葬儀で泣いた理由を「僕はあのときどうしてだか、彼女の一生を眼の前に縮小していたのだ。自分の手で孤独を作り、そしてそれを口のなかへ入れて噛みつづけていた人間の一生を。しかも、そういう人間はほかにもたくさんいるような気がしたのだ。そういう人たちが僕を泣き叫ばせたのだ。」百年前の外国の話なのに、自分の理解者を見つけたようで。・゜・(ノД`)・゜・。その後に続けられる「人がその死後に誰も自分のために泣かないようにするということは、むつかしいこと」というのも、彼がまさに孤独たらんとした祖母の気持ちを芯から察しているかのようで(涙)生活に瀕した連殳が告げる「僕はまだもう少し生きていたい」というセリフも泣かせますね。筆無精だった彼から主人公の元に届いた最初で最後の手紙の内容も何とも虚しく居た堪れない。
「以前、僕は自分を失敗者だと思っていたが、いまはそうではなかったことがわかった。いまこそほんとうの失敗者なのだ。以前は、人も僕がもう少し生きることを望んでいたし、僕自身もそう思っていたが、生きられなかった。いまは、もうそんなことはなくなってしまったのに、それでも生きていこうとしている。それでも生きていくのか。 人生の変化はなんと速いことか。僕はほとんど乞食だったが、まだ為すべきことがあった。僕はそのために乞食であること、凍えや餓え、淋しさ、苦しみを願ったが、滅亡は願わなかった。僕にもう少し生きることを望んだ人の力はこれほど大きかったのだ。だが、いまはなくなってしまった。その一人さえなくなってしまったのだ。 同時に、僕自身も生きていく資格のないことがわかった。他人もやはり資格はないのだ。同時に、僕自身もまた、僕の生きていくことを望まない人々のために、どうしても生きつづけなければならないことがわかったのだ。 さいわい僕にはもう立派に生きていくことを望んだ人はいなくなったのだから、誰の心を痛めることもない。そのような人の心を痛めることは、僕の望むところではないのだ。だが、いまはもうなくなってしまった。その一人さえなくなってしまったのだ。じつに愉快、いい気分だ。僕はすでに、むかし自分が憎み反対した一切のことを実行し、自分が尊敬し主張した一切のことを拒否している。僕はすでにほんとうに失敗したのだ――しかし僕は勝利したのだ。」唯一の心の拠り所とも言えた祖母を喪い、生活の糧を奪われて困窮した挙句、理想を捨てて現実の利を手にした彼の苦渋が行間から滲み出る(´;ω;`)「今後、僕は二度と手紙を書かないだろう。僕たちはもう全然道がちがってしまった。どうか僕のことは忘れてくれ。僕はいまはもう『よく』なったのだ。」せっつねえぇー!!!(つД`)
かつての連殳と同じような経緯で職を失い故郷に帰った主人公を待ち受けていたのは・・・何という悲しい、葬式に始まり葬式に終わる二人の関係。「でたらめばかりで、まともなことは全然やろうとしなかった」と語る連殳の下宿のばあさんの言に当時の大陸の社会的慣習を乗り越えることの困難さが垣間見える。私みたいなAセクとか確実に許されなかっただろうな。とっとと自殺してそう(^ω^) あ、その前に脱水か自家中毒で逝けてるか子供の内に。「もしわたしのいうことをきいていてくれたら、いまごろ身内の者の泣き声くらいはきけたろうに」って彼は己が語っていた「死んだ時に誰も泣かせずに済む理想の死に方」を成し遂げたんだな、って考えると本当立派だし羨ましくなるよ@もちろんしつこく病んでますとも!体脂肪率?最近は大体18%代固定な!BMIは時々17切ったりする(^^)b・・・なんで? あ、でも例の親戚三人は家ゲットのためのパフォーマンス泣き(笑)してくれたのか。そんな重苦しい彼の葬儀の場から飛び出そうとして、それを妨害する「痛みのなかに憤りを悲しみとをまじえたもの」が出てきたことに気づき、一気に心が軽くなり、安らかな気持になれた「わたし」。連殳と共有する鬱屈を抱えていたのは、葬儀に訪れたり彼と交流を持った者の中で唯一主人公だけだったのかもしれない、と感じさせる幕引きがまた何とも味を出していてしんみり来ますね。これも好きな話でした。ホント激しさや衝撃要素すらないただ薄暗いだけのヤツばっか選んでサーセンm(__)m

『離婚』
珍しく女性目線の話だけど、当時の大陸にはびこっていた階級主義と不平等、特に家父長制や女性の権利の弱さ(纏足に象徴されるような)が垣間見えるようで可哀想な話。今は一人っ子政策で女性不足になったり、K産主義体制が皮肉にも女性の社会進出、男女間の格差を是正する結果を生んだんだから不思議だよねー(´-`) ウチや韓.国より向こうのがずっと平等指数(この発想自体が既にぶっちゃけどうかと思ってるかつてのフェミ畑だけど)高くて、お付き合いでもメッチャ扱い良いんでしょ?食事は奢り、荷物は当然持ってくれて下手すると料理や家事もやってくれると?昔ながらの名残りと言えば「告白は絶対男性から」ってことくらいかなー、と友人が言ってた。彼女は日/本人男性と付き合っていて、彼のお母さんメッチャ恐い、と話してたけど(笑)だって都会育ちで外食メインだったせいか親御さんがよっぽど大事に育てられたのか、20歳過ぎて包丁も握ったことないって言ってたもん・・・。そりゃ基本的に家事手伝いを雇うという発想もなく、外食嫌いな田舎の日.本人のオバチャンは嫁候補みっちり仕込みたくもなるやろ、と(^^;

一通り読み終わっての感想は、大陸の人々の生き抜く知恵としての抜け目なさとウチらからは「情がない」と思われるほどの実利主義的側面を強く感じたことかな。人の死や悲劇に対しても割とアッサリしているというか、「天命」や古来からの思想やしきたりを上手く「利用」して真面目に思い悩み考え込まずに済むように心の負担を軽くしている。そしてそういうことが上手くできなくなったり面倒に感じる人種は「権力」を絶対のものとして捉え敬う。儒教が長く息づいた大陸では上の者がそうだと下の者はいくら違和感を覚えてもそれに従わざるを得ない。歴史を誇るが故に、中々社会の体制や人間の性質を変えることはできないのだ、と何だか憐れみと同情をすら覚えました。内実が当初掲げていた主義とは全くの別物に変質していながら、一党独裁体制をここまで貫け続けるわけも何となく理解できたように感じます。魯迅が故国の現状を見たら激しく嘆き、絶望して筆を折ってしまう勢いかもしれないけれども(´Д`;)


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