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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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ちょっと不思議系?の死ネタです。

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「人になりますか?蝶になりますか?」
 
蝶だった。
“神様”の使いだと言うその声の持ち主は、明らかに儚い蝶々の姿をしていた。
 
「あなた方はまだお若い。人としての生を全うした寿命とは言い難いし、
これと言って目立った悪行も為されていません。
神様はあなた方を哀れんで、新たな命を与えることをお望みです」
 
面食らった俺と傍らにいた同僚の木下をフォローするように、蝶は続ける。
ひらひらとたゆたう黒と黄の羽。鮮やかな色身を帯びたアゲハチョウ。
 
「けれど、いくら神様のお力を持ってしても、一度死んだ人間をそのまま
蘇らせることなど不可能です。そこで、選択していただきたいのです。
蝶の寿命を持った人として戻るか、人の寿命を持った蝶として生まれ変わるか」
 
余りにも唐突な宣言に、俺と木下は思わず顔を見合わせた。
俺たち二人の服装は職場の作業着のまま、別段今朝と何ら変わった様子もない。
 
「ここはどこなんだ?」
 
「おれたち……死んじゃったんすか?」
 
当然のごとく湧き出た疑問に、アゲハチョウはひらりと舞ってみせた。
すると不思議なことに、蝶の背後に広がる霞の向こうから現れたのは、
横たわる重機とその周囲に群がる人々の様子だった。
 
「若葉さん、あれ……!」
 
「おまえ、あそこは俺たちが作業していたところじゃないか!」
 
「ええ、そうです。残念ですがあなた方は亡くなりました。
あの鉄の塊に押しつぶされて。
蝶であったなら、ひらりと舞って逃れることができたでしょうに!」
 
アゲハチョウは歌うように囁きながら飛び回る。
俺は憎々しげにその姿を見つめ、木下は何故だかハッとしたように蝶を見つめた。
 
「神様は決断を迫られています。さぁ、どちらを選ぶのです?
あなた方は人になりますか?それとも蝶になりますか?」
 
 
~~~
 
 
結局俺は“奇跡の生還”を遂げた。
俺は人の寿命を持った蝶として生きることではなく、
蝶の寿命を持った人として死ぬことを選んだのだ。
怪我一つなく重機の下から這い出た俺はマスコミに取り上げられ、
会社の同僚たちからは少し気味悪がられて長期の休暇を与えられたが、
正直言って俺には少しもゆっくり休んでいる余裕などなかった。
俺は連日、訝しむ後輩たちを呼び出しては知っている限りの仕事の
知識・手法を教え、自分という存在が本当に消える瞬間に向かって備えた。
そして時間が出来ればなるべく実家に帰り、古い家のリフォームを依頼し、
親の口座にこれまで働いて貯めてきた金を全て移した。そしてそんな
俺の横には常に、小さなモンシロチョウが一羽、ひらひらと飛んでいた。
 
「おい、おまえ。おまえが一人で蝶なんかを選んだせいで、俺は大損だぞ。
全くどうして何もかも、俺が一人でこなさなきゃならねぇんだ!?」
 
申し訳ない、とでも言うように俺の目線の下をフラフラと舞う蝶は、
あの日共に死に、そして袂を別った元同僚の木下だ。
彼はこれから長い長い生を、ただ蝶として花から花へと移ろいながら生き続ける。
彼を“彼”だと知っているのは、もうじき短い生を終えるであろう俺だけなのだ。
もう、彼は人間の言葉を紡げない。
木下は、妻や子や、知っている人間の誰一人とも会話を交わすことができず、
ただのモンシロチョウとして彼らの周りを飛び回りながら、
たった独りで生きてゆかなければならないのだ。
 
「そもそも何で、蝶だったんだろうな……?」
 
何もあんな、儚い、弱い、虫などにしなくても良いじゃないか。
せめて家族にペットとして飼われる余地のある犬や猫という選択肢は、
どうして選べなかったものか。
 
「神様って、蝶フェチなのかな……?」
 
昼食のパンを齧りながら呟いた俺の言葉に、
何かを訴えかけるように木下は顔の周囲を舞う。
 
「やめろよ、鬱陶しいなぁ。おまえ、リンプンが付くだろうが」
 
思わず払いのけようとした手が、柔らかな羽に当たる。
すると木下(であるはずのモンシロチョウ)は緩やかに高度を下げ、
近くの岩の上へと止まった。
 
「え、もしかして今羽根痛めた?ごめんな、俺思わず……」
 
焦りを感じて声をかけると、木下は大丈夫だ、
というように羽根をパタパタと動かしてみせる。
ああ、木下は本当に蝶になってしまったのか。
大柄で愛想がよく、いつも明るく笑っていた一期違いの彼が、
これほど頼りなく、弱々しく、小さな生き物に――
俺はもう一度、岩の上に佇むモンシロチョウを見つめた。
 
「木下、おまえさぁ……この前弔問行った時、奥さん泣いてたぞ。
子供も、まだちっちゃいんだろ?
今さらだけどさ、俺はやっぱりもう一度人間の姿を見せてあげて、
色々きちんと準備した上で別れた方が良かったんじゃないかと思う」
 
ボソリと呟いた俺の言葉に、白い羽根は俯き加減に揺れた。
あの不思議な場所で、最後に見た“人間”の木下が脳裏を過ぎる。
 
『蝶になったら、どこまででも飛んで行けるんですよね?
生きられる限り、どこまででも……』
 
「木下、おまえ、最初から蝶になりたかったわけ?
おまえといい、神様といい、何だかなぁ……」
 
呆れたように吐き出した俺の向こうで、不意にモンシロチョウは飛び立った。
 
「おーい、次はおまえ、いつ戻ってくるんだー?」
 
俺の最期には戻ってこいよ、と叫びそうになった言葉を飲み込んだ。
そんな弱音が出そうになってしまったのはきっと、
たった一人の“共犯者”であるあいつを失うのが怖かったからなのだと思う。
誰だって、独りぼっちで死んでゆくのは怖いじゃないか。
 
 
~~~
 
 
それからも、毎日は慌ただしく過ぎて行った。
実家とアパートと職場の往復。
死んでいく者としての最後の務め。
人間は死ぬ時すらも自由にならない、って本当だな、
と今更ながらに自嘲する。
様々なしがらみに、世の中に縛られて生きている。
何て面倒くさい生き物なんだろう。
……それに比べてあいつはどうだ?
ある日突然蝶になったあいつは、葬儀の手間も、子供の養育も、
全て会社や身内に丸投げにして悠々自適に空を飛び回るあいつは!
 
「一緒に仕事をしていた時は、そんなこと少しも感じたりしなかったのにな……」
 
今日も頭上の斜め上を旋回するモンシロチョウを睨みつけ、
独り言のような呟きが漏れる。
何故だか、今日は妙にやたら近くを舞っている小さな蝶々。
その様子に同僚たちも一人、二人と気付き始め、
 
「何ですかねこの蝶。追っ払いますか?」
 
と殺虫剤を持ち出す輩まで出る始末だ。
 
「いい、どうせ一匹だ」
 
木下、いい加減にしろ!そう、叫びかけた時だった。
 
「若葉さん、危ない!」
 
それは酷いデジャヴだった。
叫び声に振り向いた先には、重機ではなく巨大な倒木。
俺めがけてまっしぐらに倒れこんだ太い幹に、俺は為す術も無かった。
その時、俺は“一回目”の自分が確かに死んだことを知ったのだ。
 
「……木下、きの、した……聞こえるか?」
 
薄れゆく意識の下で、俺はすぐ傍を舞う白い蝶に気がついた。
 
「俺、わかったよ。なんでおまえが蝶を選んだか」
 
二度と話すことが叶わずとも、傍にいたい。見守り続けたい。
それが、彼らを遺した木下の贖罪。木下の責任。木下の愛情。
 
「それにな、俺、気づいたりもしたんだ。なんで神様が、蝶を選ばせたか」
 
儚いもの、弱いもの、人の手で簡単に踏みつぶしてしまえるもの――
それが、蝶なのだということに。
 
「おまえ、本当は飛びたいんだろう?もう十分だ。
おまえの分まで、俺がやった。おまえはもう、此処に縛られなくていい。
おまえは、本当の、ほんとうに蝶になって……どこまでも、飛んでゆけ」
 
俺の言葉に、モンシロチョウはくるりと旋回し、空高く舞い上がった。
飛び去った白い軌跡を見つめて、俺は瞳を閉じる。
 
きっと神様は、“人”だった俺たちに知ってほしかったんだ。
蝶の身体で地上を舞い、蝶の目線で世界を眺め、蝶の口から糧を得て。
命の美しさを、命の豊かさを、命の儚さを――
 
木下、おまえはいい同僚だった。
俺が忘れていた心も、世界も、全ては蝶になったおまえが取り戻してくれた。
だから俺は、笑って死んでいける。
“人”の生を全うすることができた。
ありがとう、木下。
願わくば、俺も――
 
「今度は、蝶になりてーなぁ……」
 
不可思議な呟きを遺して事切れた男の傍に、
舞い降りたのは一羽のアゲハチョウだった。
やがてどこからか現れたクロアゲハを従えて、二羽の蝶は空へと昇る。
山の彼方、遥か遠く、モンシロチョウが消えたその先へ――





後書き
 


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一万打記念掌編です。
※同性愛・アンハッピーエンドものですので苦手な方はご注意ください。

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「え、今なんて言ったの?」
 
「だから、大学はイギリスに留学することになった、って言ったのよ」
 
幼馴染でもある親友の薄い桃色の唇から、晴れ渡った青空の下
言い放たれた言葉に、私と彼女二人だけの特別な空間だった
この屋上の空気が一気に澱んでいくのが分かった。
 
エスカレーター式の女子校であるこの学園は、
“名門のお嬢様学校”として周囲に広く知られている。
そんな学園の幼稚舎で私たちは出会い、親同士が商売上の関係というものを
結んでいた都合もあって自然と互いの家にも出入りする仲になり、
気がつけばお互いにたった一人の“親友”となっていた。
固っ苦しいこの学園の規範から少し外れ、茶色く染めた髪に
緩やかなパーマをかけ、スカート丈も短い私と、校則を忠実に守って
一度も染めたことのない艶やかでまっすぐな黒髪を肩までの長さで切り揃え、
セーラー服のリボンもきっちりと結ぶ彼女が仲が良いのは
一体どうしたわけだろうか、とセンセイたちは見ていることだろう。
 
だがその一方で、自分で言うのも何だが、華やかで愛くるしいルックスの私と、
どこか近寄り難い硬質な美しさを持つ彼女の並びが
一部の生徒たちの間で持て囃されていることは知っている。
ここは女子校。閉じられた世界。
女の子は“綺麗”なものと“可愛い”ものが何よりも好き。
だから彼女たちは、“綺麗”な彼女と“可愛い”私がセットで居ることを喜ぶ。
そして私は、他人より目立つことが、他人にちやほやされることが何よりも好きだ。
だから私が彼女の親友であり続けたのは、ある意味でその容姿や
性格の持つ己とは正反対の魅力を利用するためだったのかもしれない。
 
でも、それでも。彼女はずっと傍にいてくれると信じていた。
中学でも、高校でも、そしてこれから進む大学でも、
きっとずっと、私の傍にいるのだろうと。
 
ところがそんな私の期待を裏切り、高校の卒業式を終えた今になって突然、
彼女は淡々とした声音で残酷な事実を打ち明けた。
 
「婚約者のアレンが、社会勉強を兼ねてお義母(かあ)さまの母国のイギリスに
留学することになったのよ。正直言って彼、英語が全く出来ないでしょう?
だから私も一緒にあちらに行くことが決まったの。表向きは
“仲の良い許嫁同士を日本とイギリスに四年もの間引き裂くのは可哀想だし、
将来共に重責を担うことになるのだから勉強も二人でしてきた方が……”
ってことになってるけどね。実際私は彼の通訳兼お目付け役ってわけ。
もし結婚前にホームステイ先のお嬢さんに手を出して、
妊娠されてしまったりしたら大変でしょう?」
 
彼女は少し困ったように苦笑して見せる。
 
「じゃあ、アレンと一緒に暮らすの?」
 
「ええ、あちらのご両親の希望ですもの。アパートも学生が住むには
かなり分不相応なところを、既に手配して下さってるわ」
 
アレン。パーティーの席等で何度か顔を合わせたことがある、彼女の婚約者。
大企業の御曹司でイギリス人の母を持つ彼は、確かに外見は整っているものの、
中身は決して聡明な彼女に釣り合うとは言い難い。
そして彼は先ほどの彼女の言葉からも窺えるように、酷い浮気性だ。
私と初めて出会ったときも、彼を私に紹介してくれた彼女が席を外した途端、
“婚約者の親友”である私に対する口説き文句が次々と口から滑り出てきた。
尻の軽さに関しては私も人のことは言えないが、彼女の婚約者だけは別だ。
軽く交わしておいたものの、あの調子で幾人の女に声をかけてきたのだろう、
と呆れ返ってしまったのが正直なところだ。
こんなにも、美しい婚約者がありながら。
 
しかし、若干神経質で潔癖な感のある彼女が彼と『一緒に暮らす』という事実に
拒否を示さないところを見ると、彼女はアレンと既に“そういう関係”を
結んでいる、仮に結んでいなかったとしても彼と“そういった行為”を
行うことに抵抗がない、ということになるのだろう。
あの女好きのアレンの“相手”を、四年間ほぼ一人で務め続けることを了承している、と。
他の女を口説いたその口で、軽口を叩きながら当たり前のように
彼女の腰に手を回していたあの男の姿を思い出すと、
胃の腑の中にムカムカと言いようのない苛立ちが募ってきた。

「万季にはもっと早く言おうと思ってたんだけど、
中々言い出すタイミングが掴めなくて……ごめんね」
 
そう言って、いかにも申し訳なさそうに視線を下げてみせる彼女。
そうだ、今日はもう高校の卒業式なのだ。
私は当然、この学園の大学に彼女も進学するものと決め付けていた。
その私に、何ていきなり、こんな甚大な衝撃を与えてくれるのだ!?
 
「………………」
 
黙り込んで、どんな罵声を浴びせてやろうかと考える私に、
彼女は少し寂しそうに微笑んだ。
その微笑を見て、ここ半年程の自分の行動を少しずつ思い返してみる。
 
金髪に着崩した学ラン、所謂“チョイ悪”の彼とのデートに夢中になっていた休日。
私の周りに群がってくる、“お嬢様学園のはみ出し者”仲間の後輩たちと
ゲームセンターや合コン荒らしに明け暮れていた放課後。
彼女はいつも同じような微笑を浮かべて、
何か言いたげに私の傍に近づいてきてはいなかったか。
 
 
~~~
 
 
『あのね、万季。少し話があるんだけど……』
 
『ごめーん、今ちょっと電話来たから待っててー!』
 
とそっけなく返した自分。
 
『少しだけでいいの、聞いてもらいたいことがあって……』
 
『悪いんだけどこれから出かける予定あるから、後にしてくれる?』
 
とさも迷惑そうに追い払ってきた自分。
 
いつも、いつも彼女は私に伝えようとしてくれていた。
言葉にできないときは、仕草や視線や声音で。
皆の前では常にポーカーフェイスを装い、“生徒会役員を務める優等生”
であった彼女の本音を見抜くことが出来たのは、昔から自分だけだった。
熱があるときも、泣きたいときも、笑いたいときも、怒りたいときも……。
 
それを、いつから気づけなくなった? ううん、違う。
いつから、無視してしまうようになったのだろう? 一体いつからだったのだろう。
私だけに見える、否、私にしか本心を伝えようとしない
彼女の態度を鬱陶しく感じるようになってしまったのは。
彼女の想いに気づいたから? そしてそれを、“キモチワルイ”と思ったから?
決して応えられないその想いを、とてつもなく重いものに感じてしまったから――?
私は彼女に、どれだけの酷い言葉を投げつけてきたのだろう。
どれだけの惨い態度を取り続けてきたのだろう?
百回? 千回? それとも一万、いやもっと……
 
 
~~~
 
 
何も言わず、何も言えずに立ち尽くす私に、彼女は一旦深く息を吸い込み、
ふう、と吐き出してじっとこちらを見据えた。
どこまでも深い漆黒の、私が何よりも気に入っている強く真摯な眼差し。
 
「万季、ごめんね。今まで、本当にありがとう……。好き、だった」
 
予想外の告白に胸を射られ、
私は瞬き一つ出来ず目を見開いたまま身動きが取れない。
それをどう捉えたのか、彼女はまた寂しそうに微笑って屋上をってい
その、どこまでも細く小さな背中を見た瞬間、一気に心の中に押し寄せた感情。

違う、“キモチワルイ”なんて思ってない。怖かっただけだ。
“フツウ”から外れてしまうのが。彼女に、溺れてしまうのが。
認めたくなかった。だから、見て見ぬフリをした。彼氏と、後輩たちと遊び回って。

「一香、待って!」
 
叫んだ言葉は、既に分厚い鉄の扉の向こうにいる彼女には届かない。
彼女が私に告げた言葉は、
 
『好き、だった』
 
彼女にとって全てはもう過去、終わってしまった過ち。
 
「好き。好き……私も、好き。傍にいて。行かないで。ずっと、ずっと……!」
 
『好き』という言葉を、簡単に向けてきた相手ならいくらでもいた。
けれどこんなにも切ない想いで同じ言葉を泣き叫ぶ日が来るなんて、
想像もしていなかった。
 
どうして、こんな単純なことに今まで気づけなかったんだろう。
どうして、一番大事なものを失ってから気がついてしまったんだろう?
 
こんな言葉、一万回言ったって、十万回、百万回、例え一億告げたとしても、
もうあなたには届かない。
行ってしまったあなたに、全てのことに覚悟を決めて
“サヨナラ”を告げたあなたに、届きなんてしないのに。





後書き
 


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From 東京』後編

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『浩太、結婚おめでとう。これからも……がんばってな』
 
結婚式とそれに付随するイベントが終わって、開いた電話に残されたメッセージ。
久しぶりに聞く、彼女の声。
 
『松下さんはお金も受け取らなかったし、こちらへの要求は何も
ありませんでしたよ。暴露本を出すなんてこともまずありえません。』
 
付き人の坂口がプロダクションの社長に淡々と説明する言葉。
 
『本当か……? 何だか出来すぎてて気味が悪いな。
まあ、さすが高崎が選んだ女ってとこか……』
 
こちらをチラっと見る社長の視線に、気づかないフリをする。
反吐が出そうだ。何より、この状況を作り上げた自分自身に。
 

~~~

 
「あ~ぁ、疲れたぁ。ねえねぇコータ、新婚旅行のオフ取れたぁ?」
 
甘ったるい声で話しかけてくるのは、今日結婚したばかりの俺の妻で。
知性派美人女優として売っている割には、いささか直情的で単純な部分がある。
精神的に不安定な彼女と共に過ごすようになったのは、
彼女の中に自らと同質のものを見出していたからかもしれない。
 
「そう簡単に一週間のオフなんて取れるわけねぇだろ。
ただでさえ電撃婚であちこちに迷惑かけてんだから」
 
ため息混じりに吐いたセリフに、
 
「何よ、迷惑って。デキ婚なんだからコータにも責任あるでしょー!?」
 
と頬を膨らます女に、思わず怒鳴ってしまう。
 
「あん時俺がゴム付けようとしたのに、オマエがピル飲んでるから、
って言うたんやろが。騙された俺も俺やけどな……」
 
「やめてよ! 関西弁使わないで!」
 
俺の言葉に、絵里がキンキンと叫ぶ。彼女は方言が嫌いだ。
 
「なら、何で俺と一緒におんねん……」
 
呟いた俺の背中に、華奢な腕がまとわり付く。
 
「ごめん、コータ。ごめん……私、どうしてもあなたの傍にいたかったの……」
 
折れそうに細い身体を抱きしめながら思い浮かべたのは、
もう少し小さくて、もう少しポッチャリした彼女の、優しい眼差しだった。
 
  
~~~

 
「うちはここでやりたいことがあんねん」
 
本格的に上京する、一月前の夜だった。たった一度だけ、口に出した願い。
 
「お前、一緒に東京来ーへん?」
 
口に出さなくても、仕草で、態度で、さりげなく伝え続けたつもりだった。
あいつもそれに、気づいていたはずだった。
 
「うちはこの町を離れられへん。この町で、やりたいことがあんねん」
 
にっこりと笑いながら告げられた言葉に、俺はそれ以上願いを口にすることはできなかった。
 
『俺は一人じゃあかんねん……。ほんまはお前に、ずっと傍におってほしいねん……』

 
~~~
 
 
似たもの同士は、無いものねだり。だから、上手くいくわけがない。
結婚生活は、結局三年も続かなかった。
そもそも、関西弁を母国語とする俺と、それを嫌う絵梨の生活が長く持つわけがなかったのだ。
互いの浮気、親権問題、慰謝料の有無。連日マスコミに追われ、事務所から
暫しの雲隠れを命じられた俺は、気が付けば故郷へ向かう電車に乗り込んでいた。
結婚してからたった一度しか帰っていなかったふるさと。
どこか喧しい、けれど耳に柔らかく馴染むあの言葉が、聞きたくて聞きたくてたまらなかった。
 
駅に降り立ってまず最初に向かったのは、どこにでもあるような少し古ぼけたアパート。
今も住んでいるはずは無い、そう分かっていても、足が自然と向かっていた。
辺りは三年前と、何も変わっていない。町全体は変わってしまったのに、
そのアパートだけは変わらず俺を待っているんじゃないか、って。
俺を優しくお帰りと迎えてくれるんじゃないか、って。そんな気がした。
そっと見上げたのは、二階の南端の部屋。あいつがいた部屋。
その時、部屋の扉が少し開いた。
 
「今日の帰りは何時になるん?」
 
「ん~、店長の機嫌次第だけど……10時くらいかな。できるだけ早く切り上げてもらうよ」

「うん、わかった。ほな行ってらっしゃーい。ほら、翔もオトンにいってらっしゃい、は?」

「まだ言えるわけねぇだろ。……じゃあ、行ってくるな」
 
 
赤ん坊を抱いた彼女は、あの時より少しだけ丸みを帯びていて。
でも同時に、あの時より幸せそうで。
赤ん坊の額に口付けて階段を降りる男は、三年前まで俺の付き人だった若造。
芸能界という荒波の中で、ただ戸惑ってガムシャラに雑用をこなすしか
能の無かったヤツが、誰よりもたくましい“男”の顔をしていた。
 
確かに三年前、ヤツはプロダクションを辞めた。去る直前、俺に向かって繰り返し問うてきた。
 
『本当にこのままでいいんですか?』と。

『このまま、遠山さんと結婚して、本当にいいんですか?』と。
『今更、やめるわけにはいかないだろう!』と怒鳴り返した自分。 
 
「そういう、ことだったのか……」
 
俺は彼女を手放した。誰よりも失いたくなかったひとを。
失ってはいけなかったひとを。俺は確かに、自分の夢を叶えたかった。
彼女と離れたのも、彼女を手放したのもそのため。
本当は彼女にも、同じ夢を見てほしかった。何てエゴイズム、何て勝手な。
彼女は彼女の夢を見つけた。それを見つけたのは俺のおかげだと、笑っていたけれど。
その笑顔さえ壊したかった。でも、できなかった。
彼女を失わないためには、俺の夢か、彼女の夢が死ななければならなかったから。
今から思うと、那美は知っていたんだろう。夢を見た時から。
俺たちに、終わりの日が来ることを。
 
 
~~~

 
「お前がアイツを手に入れることができたのは……お前がお前の夢を捨てたからか?」
 
アパートの入り口で、俺の姿に気づいて驚いたように
こちらを見つめる坂口に向かって、思わず呟いた言葉。
 
「……違いますよ。俺の夢が、那美に笑っていてもらうことだったからです」
 
そっと微笑んだヤツの笑顔は、かつての彼女の笑顔とどこか似ていた。
 
「あいつは何もしなくても……いつも、笑っているだろう?」
 
少し震える声で聞き返すと、ヤツは少し考え込んでこう言った。
 
「そうですね……三年前、手切れ金を届けに来たとき、
俺は初めて那美と話しました。その時も、あいつは笑ってました。
俺はその時……彼女の、“本当の”笑顔を見たいと思ったんです」
 
胸に走る衝撃。いつから俺は……あいつの、あんな笑顔を見ていなかったんだろう。
自分の望みばかり押し付けて、それを叶えてくれないアイツに苛立って。
アイツだって、俺と同じ寂しさを、同じ哀しみを、同じ怒りを、
抱えていたに違いないのに……。
 
 
「那美を……那美を、幸せにしてやってくれ。あいつのこと……よろしく頼む」
 
震える拳を硬く握り締めたままそう告げると、坂口はおかしそうに、
けれどどこか遠くを懐かしむように打ち明けた。
 
「それと同じセリフ……高崎さんに対してですけど、三年前、那美にも言われました」
 
にこっと笑って背を向ける青年に、とても敵わない、と思った。
 
 
手に入れたもの、失くしたもの。せめて、今その手にあるものを失わないために。
俺はそっと踵を帰した。さあ、東京に帰ろう。
俺の夢が眠る、沢山の現実(たたかい)の待つ、あのまちへ―





後書き


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静かに切ない別れ話、現代。前後編掌編・前編。

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ピンポーン……
酷く憂鬱な気分でチャイムを押す。
どこにでもあるような小さなアパートの、何の変哲も無い紺色のドアの前。

「はーい」

少し経って、開いた隙間から顔を覗かせたのは、これまたどこにでもいるような、小柄な女の子。
いや、年齢を考えると「女性」と呼ばなくてはいけないのだろうが、いかんせん身長と顔立ちが……。
ゴホン、と咳き込んで、俺は勇気を出して口を開く。

「ご無沙汰してます、松下さん」

「……お久しぶりです、えっと……坂、」

「坂口です」

「あ、失礼しました、坂口さん」
 
と言って彼女はにっこり微笑んだ。ほんの数回、チラッとしか顔を合わせたことのない
俺の名前を、少しでも覚えてくれていたことに若干驚く。 
 
「あの、実はですね……本日、突然こちらにお伺いしたのは……」
 
緊張しながら言葉を続けようとする俺に、彼女は静かに笑った。
 
「分かってます。お話なら中で伺いますし……どうぞ?」
 
「……すいません。お邪魔します。」
 
こじんまりとした1DKのアパートの一室。
白を基調にさりげなく統一された室内は、部屋の主の人柄を思わせる。
居心地、いいなぁ……。
この部屋に入るのは初めての俺でさえ、あっという間にそんな気分にさせられてしまう。
高崎さんがこっちに来る度に寄りたくなるのもわかるよなぁ……。
 
「お茶、どうぞ」
 
「すいません、お構いなく」
 
ペコリと頭を下げて見上げた顔は、あの冷たいまでに整った男の顔と、
とても釣り合いが取れるとは言いがたい顔だけれど。
ずっと、一緒にいたい、とそんな風に思わせる空気を纏ったひとだ。
 

 
俺の仕事は俳優の付き人。
と言っても、メインのマネージャーは他にいて、半分雑用係みたいなものだ。
買出しに行かされたり、面倒な書類を取りに行ったり。
大手芸能プロダクションに入社して、三年目。
芸能界という華やかな世界を縁の下で支える沢山のスタッフの中で、
俺はまだまだ下っ端の新人に過ぎない。

そして目の前に座る彼女の名前は松下那美。
俺の付いている二枚目俳優、高崎浩太の、いわゆる……“地元妻”だ。
高崎は、うちの事務所に入り、俳優としてスクリーンデビューをしてから既に十年が経つ。
初めの頃は余り売れているとは言えなかった彼も、七年前、
トレンディドラマの主人公の親友役でブレイクし、そこから
トントン拍子にドラマ、映画の主役が舞い込んでくるようになった。
五年前には活動拠点を完全に東京に移し、
30歳になる今では押しも押されぬトップクラスの俳優である。
那美は高崎の高校時代の後輩で、彼が俳優としてデビューする頃から……
つまり、十年来の付き合いになるらしい。
そんな彼女の家に、俺が事務所の命でわざわざ来させられたのは……。
  
「結婚、するんやね、浩太」
 
黙り込んだ俺より先に、口を開いたのは那美だった。
 
「あ……」
 
言葉に詰まった俺の前に、彼女は四角い箱を差し出した。
その中には、あられもない姿で眠る高崎の写真、
彼が吸ったと思われるタバコの吸殻、恐らく……女性の髪の毛、
と思われる沢山の不気味なものが収められていた。
 
「松下さん、これ……」
 
驚いて顔を上げた俺に、彼女は寂しそうに笑って、こう告げた。
 
「去年辺りから……一月にいっぺんくらいかなぁ。このこと、浩太には言わんといてね。
あちらさんは……うちのことがどうしても許せなかったんやろ。
あのひとはちょっとの間でも一人ではおれん人やって、解ってあげたらええのに」
 
虫も殺さぬ顔をした女の、高崎への異常なまでの執着心を思い出す。
 
「松下さんは……じゃあ……」
 
「うちは、ええんです。あのひとが幸せになるんならそれで。あちらさんの
性格考えてもあっちと結婚した方がええと思いますし、話題的にも……。それに」 
 
彼女の視線は、箱の中に収められた週刊誌へと向けられる。
 
「赤ちゃん、いはんのやろ……?」
 
高崎浩太と、一昨年映画で共演した美人女優、遠山絵里の熱愛が
写真週刊誌にスクープされたのは、つい先週のことだった。
ニュースは瞬く間に業界を駆け巡り、更に報道は加熱、
遂には遠山の妊娠という事実までが明らかになってしまった。
彼女の妊娠については、高崎本人も把握していなかったようで、
随分戸惑っていたが。しかしこうなった以上、籍を入れることは必然である。
幸い昨今は芸能界にも「できちゃった結婚」は流行していることもあるし、
映画で共演した美男美女カップルの誕生はある程度世間にも歓迎されるだろう。
互いのイメージのマイナスにも繋がらない。“元恋人”の処理さえ上手くできれば……。
 
『上手く納得させて別れさせてこい!』
 
社長から“手切れ金”として百万の入った封筒を渡されて、
大阪行きの新幹線に乗り込んだ俺が酷く滅入った気分だった理由。
 
「お金は、いりません」
 
俺の差し出した封筒をそっと押し返して、那美は優しく微笑んだ。
 
「……今までのこと考えたら、百万だって安すぎるくらいじゃないですか?」
 
俺の言葉に、彼女は少し首をかしげてこう言った。
 
「別にどこにも売ったりしませんし、プロダクションさんには安心しといてもらってええですよ?」
 
「そういうことを言ってるんじゃないでしょう! なんで……どうしてそんな簡単に、
納得できるんですか!? 高崎さんだって本当は……あなたの方と……!」
 
俺の激昂に、そっと首を振る那美の姿に、自分が取り乱していたことに気づいた。
これじゃあ、立場が逆だ。
 
「……高崎さんから、何か連絡はありましたか?」
 
「留守電が……一件だけ。」
 
『那美……ごめんな……ごめんな……那美……』
 
どこか遠くを見つめるような瞳。
 
「坂口さん、あのひとを……浩太のこと……よろしくお願いします。
ほんまに……一人じゃアカン人なんです」
 
自分を捨てた男のために、最後まで頭を下げる彼女は、哀しいけれど、美しかった。
予感が、した。彼女の願いを聞いてあげることができないかもしれない、という予感。
俺の中に新たに芽生えた、一つの夢のために。






後書き
  後編『To 東京』(浩太サイド)


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