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「ねえ?スミレはどうして父上のところに来たの?」
「そうみんなが望んだからよ」
「みんなの望みはスミレの望みと同じだったの?」
「……ええ、そう信じてたわ」
「今は?」
「え?」
「今のスミレの望みはなぁに?」
「さぁ……何かしら。分からないわ」
「じゃあさ、スミレ。君自身の望みがわからないなら、僕の願いを叶えてくれる?」
「ウィロー……」
その日、シオンの攻勢によるサンタビリア王宮の落城と共に王妃と太子は姿を消した。
全ては、シオン宰相の娘とサンタビリア国王の婚礼が成った三年前から定められていたこと。
実の父より間諜として生きるための術を叩き込まれて育った娘は、務めとして彼の国に赴いた。
年の離れた国王との閨も、侍女たちを騙すことも、気まぐれに近寄ってくる家臣たちの相手も……
「そうみんなが望んだからよ」
「みんなの望みはスミレの望みと同じだったの?」
「……ええ、そう信じてたわ」
「今は?」
「え?」
「今のスミレの望みはなぁに?」
「さぁ……何かしら。分からないわ」
「じゃあさ、スミレ。君自身の望みがわからないなら、僕の願いを叶えてくれる?」
「ウィロー……」
その日、シオンの攻勢によるサンタビリア王宮の落城と共に王妃と太子は姿を消した。
全ては、シオン宰相の娘とサンタビリア国王の婚礼が成った三年前から定められていたこと。
実の父より間諜として生きるための術を叩き込まれて育った娘は、務めとして彼の国に赴いた。
年の離れた国王との閨も、侍女たちを騙すことも、気まぐれに近寄ってくる家臣たちの相手も……
何もかもが、淡々と過ぎていった。全てが終わる、その時まで。
“予定通り”シオンはサンタビリアに攻め込み、己が身は人質として王宮の一室に込められ。
娘はただただ、処刑の時を待った。何も感じなかった。
そうしろと言われたから、それが自分の運命(さだめ)なのだから。
虚空を見つめて佇む娘の手を握ったのは彼だった。
娘にとっては義理の息子、サンタビリアの第一王子。
娘より七つ年下の、ふわりと微笑う顔が愛らしい、不思議な少年。
少年の快活を娘は厭い、娘の空虚を少年は嗤った。
家族でもなく、恋人でもなかった。ただ、いつもそこにいた。
目を合わせることがなくとも、真っ当な会話が成り立たずとも。いつもいつも、気がつけば共に。
少年と他愛もないやりとりをする時だけ、娘は己が人として息をしているような気持ちを感じた。
「スミレ、行こう。僕はスミレの“望み”を探したいんだ」
少年は太子だ。娘は彼を『殺せ』と命じられていた。
少年は、ただ命が惜しいだけなのかもしれない。
王宮(ここ)から逃げる言い訳に、娘を使っているだけなのかもしれない。
いざとなれば、娘を人質として扱うかもしれない……。それでも。
「ウィロー、それは本当にあなたの願い?」
少年はそっと娘の頬に触れた。
「そうだよ、スミレ」
目じりを擦るような少年の細い指の感触に、娘は気づいた。
「ウィロー、私、はじめて泣いたわ」
少年は瞠目し、そして微笑んだ。
「それは良かった」
シオンは二人を追わなかった。苦労知らずの少年と非力な女。
どうせ目立つ二人なのだから、探さずともそのうち出てくるだろうとたかをくくった。
そうして二人は逃げ延びた。遠い遠い場所へ。
「ウィロー、この草はなにかしら?
何だかふわふわした、猫のしっぽみたいなものが付いてるわ」
「うん、だからネコヤナギって言うんだよ。“自由”の草だ」
「そうなの?ふふ、何だかこのふわふわ、あなたみたいだわ」
だってウィロー、あなたは、柔らかくて、あったかくて、私に望む自由をくれたんだもの!
“予定通り”シオンはサンタビリアに攻め込み、己が身は人質として王宮の一室に込められ。
娘はただただ、処刑の時を待った。何も感じなかった。
そうしろと言われたから、それが自分の運命(さだめ)なのだから。
虚空を見つめて佇む娘の手を握ったのは彼だった。
娘にとっては義理の息子、サンタビリアの第一王子。
娘より七つ年下の、ふわりと微笑う顔が愛らしい、不思議な少年。
少年の快活を娘は厭い、娘の空虚を少年は嗤った。
家族でもなく、恋人でもなかった。ただ、いつもそこにいた。
目を合わせることがなくとも、真っ当な会話が成り立たずとも。いつもいつも、気がつけば共に。
少年と他愛もないやりとりをする時だけ、娘は己が人として息をしているような気持ちを感じた。
「スミレ、行こう。僕はスミレの“望み”を探したいんだ」
少年は太子だ。娘は彼を『殺せ』と命じられていた。
少年は、ただ命が惜しいだけなのかもしれない。
王宮(ここ)から逃げる言い訳に、娘を使っているだけなのかもしれない。
いざとなれば、娘を人質として扱うかもしれない……。それでも。
「ウィロー、それは本当にあなたの願い?」
少年はそっと娘の頬に触れた。
「そうだよ、スミレ」
目じりを擦るような少年の細い指の感触に、娘は気づいた。
「ウィロー、私、はじめて泣いたわ」
少年は瞠目し、そして微笑んだ。
「それは良かった」
シオンは二人を追わなかった。苦労知らずの少年と非力な女。
どうせ目立つ二人なのだから、探さずともそのうち出てくるだろうとたかをくくった。
そうして二人は逃げ延びた。遠い遠い場所へ。
「ウィロー、この草はなにかしら?
何だかふわふわした、猫のしっぽみたいなものが付いてるわ」
「うん、だからネコヤナギって言うんだよ。“自由”の草だ」
「そうなの?ふふ、何だかこのふわふわ、あなたみたいだわ」
だってウィロー、あなたは、柔らかくて、あったかくて、私に望む自由をくれたんだもの!
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拍手ログSSS。花言葉からネタをもらおうシリーズ第一弾(笑)
(※第二弾はSSS『Willow』(本作と関連なし)です)
近代日本風パラレルワールド。
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父を憎んでいた。
軍の最高司令官、『稀代の名将』と呼ばれ、人々の敬慕を集める父を。
家庭をほとんど省みず、年に一度しか会うことのない父を。
醒めた無関心が憎悪に変わったのはほんの十日前。
訃報を聞いて生家に駆け戻った時、母は既に骨の欠片と変わり果てていた。
死に顔も見れぬ、余りに急な別れ。それが父の仕業だと知った時の憤り。
そこまで迅速に指示を出しておきながら、あの男は葬儀に顔も見せなかった。
夫から手向けの花の一つもなく、母の弔いはひっそりと幕を閉じた。
それから、十日。
今や憎むべき対象となった父との邂逅は、皮肉にも再び訪れた葬儀の場であった。
~~~
「ご自分の妻の葬儀は無視しても、己を慕う者の葬儀にはお出になるのですね」
皮肉を込めた言葉を投げかければ、男は常の如く私に冷たい一瞥をくれた。
「あなたは、いつだってそうだ……!
あなたのせいで母君はいつも……お寂しさを紛らわせるために、
あちこちに出歩かれて……私だって……!」
激昂する私に、父は溜め息を吐く。
「聡介はそんなあなたの何をあんなにも敬っていたのでしょうね?
本当のあなたの姿を、私が教えてあげたかった……!
いや知ってしまったからこそ、こんなくだらない死に方を……!」
パンッ!
父が、私の頬を打った。父に打たれるのは、初めてのことだった。
「目をかけていた者を侮辱されるのは、さすがに父君でも堪えると見える」
火照った頬を押さえながら嗤う。
父の目には燃え滾る怒りも、激流のような悔恨も無い。
ただ静かに澄んで、全てを見透かすような眼差しを私に注いでいる。
それが耐え難かった。いつも、いつでも。
「枝理華の……おまえの母親の、本当の死因を知っているか?」
――『聡介の奴が何で死んだか知ってるか?』
先ほど行き会った同級生たちが囁いていた噂。
「本当の死因は……
――『あいつの病気は……
亡き親友を嘲笑うかのような、下卑た笑い声が耳に響く。
梅毒だ」
――梅毒だったらしいぜ』
白い閃光が脳裏を駆ける。
「おまえは寄宿舎に入っていて、
ここ一年あいつにはろくに会っていなかっただろう?
それをいいことにあいつはやりたい放題、挙句おまえの友人まで道連れにした」
「嘘だ……そんな……母君はお寂しくて」
「おまえはいつまでそんな偽りを信じ続ける?
枝理華は初めからそういう女だった。私と結婚したのも、金と名誉のためだ。
そして私は、皇族から持ち込まれた縁談を断れなかった。
あの女に一度も愛情を抱いたことはないし、向こうだってそうだろう。
何度か寝台に誘われたことはあったが、触れるのも汚らわしい女だった」
目の前の壮健な男の吐き出す言葉の意味を、咄嗟に理解することが出来ない。
じわじわと全身が震えだす。
「それでは……私は……父君の子ではないのですか?」
父は答えぬまま、蔑みの目で私を見た。
今まで信じてきたものの全てが、足元からガラガラと音を立てて
くず折れていくようだった。
~~~
――『章生、君は何にも分かってないんだよ』
乾いたように嗤う、今は亡き親友の横顔。
――『あの方がいかに寛大な方か、己がいかに欺瞞に満ちた世界にいるか……
ちっとも知らないんだよ』
良きライバルだった。
文武両面に優れ、将来は必ずやこの国を率いる立場になるだろう、
と予想されながら、穏やかに微笑む優しい物腰の男だった。
その笑顔が、変わってしまったのはいつからだったのか。
学友たちを初めて母君に引き合わせた、新年会の夜からではなかったか。
――『僕は君が羨ましいよ。ともすれば憎んでしまいそうなくらいに。
何たって、“あの方の息子”なんだもの……お母君に、感謝しなくてはね』
悪戯な微笑が何を意味していたのか。
――『ねえ章生、“エリカ”の花言葉を知っている?』
あれは、新年会から一月が経った頃のことだった。
――『“孤独”だろう?母君がご自分の名を……淋しい名だと仰っていた』
私の返事に、聡介は声を上げて嗤った。
――『そうだね、でもそれだけじゃない。
あの花にはもう一つ意味があるのさ……それはね、“裏切り”というんだよ』
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「娘ダナエの生む子に殺される」との予言を受けたアクリシオスは、
ダナエを誰も人の訪れぬ高い塔の上に閉じ込めた。
ところが、ダナエは身ごもってしまう。
金の雨の一粒に姿を変え、塔に入り込んだ全能の神ゼウスの子を。
アクリシオスは慄き焦り、生まれた男子とダナエを木箱に閉じ込め川へと流した。
二人を救い出したのはポリュデクテス。
ダナエを妻に迎えたポリュデクテスは、次第にその子を疎んじるようになる。
神(ゼウス)の息子、『英雄』ペルセウスを。
ダナエを誰も人の訪れぬ高い塔の上に閉じ込めた。
ところが、ダナエは身ごもってしまう。
金の雨の一粒に姿を変え、塔に入り込んだ全能の神ゼウスの子を。
アクリシオスは慄き焦り、生まれた男子とダナエを木箱に閉じ込め川へと流した。
二人を救い出したのはポリュデクテス。
ダナエを妻に迎えたポリュデクテスは、次第にその子を疎んじるようになる。
神(ゼウス)の息子、『英雄』ペルセウスを。
―ギリシャ神話より―
~~~
「人間より神様の方が、よっぽど人間らしいのはどうしてかしら?」
薄暗い牢獄の中で、少女は眺めていた本をパタリと閉じて立ち上がった。
柵越しにチラリとそちらを覗き見れば、
彼女は肩にかかる長い髪を鬱陶しそうに振り払ってみせた。
「己の娘が生む子に殺されると予言を受けたなら、娘を殺してしまえばいい。
娘を殺すことが出来なくても、生まれた孫を殺せばいい」
「やられる前に殺す。実に合理的な考え方だな」
からかうような己の言を意に介す素振りも見せず、少女は続けた。
「殺すことが出来ないのなら、取り込めば良かったのよ。
傍において、愛情でくるんで、絶対に己を憎むことのないように。
その上で護衛に監視でもさせていた方が、
目の届かぬところに放すよりよっぽど安全ではなくて?」
「ペルセウスがアクリシオスを殺したのは復讐のためじゃない。単なる偶然だ」
滔々と紡がれる言葉に茶々を入れれば、彼女はムッとしたようにこう答えた。
「危険性の高低の話をしているのよ」
長い睫に縁取られた瞳が、微かな揺らぎを見せる。
「自分の身が一番大事なら、娘と孫をすぐに殺せばいい。
それができないのなら、殺されるのを覚悟で娘も孫も愛しぬけばいい。
そのどちらも出来ない愚かさこそ、人間の最も愛しいところだと思わない?」
「亡き妻を愛しむ余り死の国まで踏み入った夫が、
醜く腐れた妻の姿を見た途端愛を忘れ逃げ去ったような?」
「ええ、そうよ。例えば私が明日百歳の老婆に姿を変えてしまったとして、
今日までの私に愛を囁いてくださった方がしわくちゃの醜い姿になった私にも
同じように愛を告げられたら、それは偽りになる、と思うの。
例えその方にとってはそれが真実であったとしても、
少なくとも“私は”信じることはできない」
少なくとも“私は”信じることはできない」
「イザナミを振り払ったイザナギの反応の方が正しいと?」
「人は器と魂を切り離すことができない生き物よ。
姿や地位やしがらみなんて“器”に囚われて生きている。
……イザナギもイザナミは神だけど」
少女は自嘲するように微笑って見せる。
愚か。哀しい。……愛しい。だから、苦しい。
「ね?人より神の方が、遥かに人間らしいでしょう?」
「ダナエ……」
先日謀反の刃に斃れた王は、何を思って己が娘にその名を付けたのだろうか。
「わたくしとこんなに和やかに会話をしているところを見つかったら、
あなたも夫(ゼウス)に処刑されるのではなくて?」
檻の中に囚われた姫の、どこまでも澄んだ眼差しが心を射る。
“ダナエ”と名づけた娘に、『全能の神(ゼウス)』と仇名される宰相を縁づけるとは
何という笑い草!先王は狂っていたのだろう。
己が孫を、絶対的英雄(ペルセウス)にすることを望んだ。
王の望みは潰えた。
宰相(ゼウス)は子を成す前に、王(アクリシオス)も姫(ダナエ)も裏切った。
長年に渡り育ててもらった王に、国に何の感慨も示すことなく、彼は王を葬った。
王の望みは潰えた。
宰相(ゼウス)は子を成す前に、王(アクリシオス)も姫(ダナエ)も裏切った。
長年に渡り育ててもらった王に、国に何の感慨も示すことなく、彼は王を葬った。
彼と婚儀を挙げたばかりの姫も、明日には処刑される。
“塔に閉じ込められる”という猶予も与えられぬまま。
「……キンウ。お前の名前は、
お前の故郷の言葉でどういう意味を持つのだったかしら?」
鈴の鳴るような声が耳元で問う。
「金の雨、と」
小さな答えに、少女は笑う。
彼女が牢獄に入ってから初めて見せた、何の憂いも含まれぬ満面の笑み。
「私のゼウスは、貴方だわ」
檻の隙間から重ねた口付け。
孤児であった己を拾い、愛情と温もりを与えてくれた幼馴染を
助けることもできず裏切り者に与した。小さな嫉妬と、保身のために。
そんな彼を、彼女は一言も責めなかった。
「アクリシオスとダナエは……人間だよ」
今更のように吐き出した言葉に、ダナエはまた笑った。
「そうよ。だから私もお父様も……あのひとを憎めない」
風雨が吹き込む牢獄の中、姫の瞳から滴る涙を、彼はその目の奥に焼き付けた。
~~~
「ペルセウス」と名乗る若者が王となった宰相を倒し、
「ペルセウス」と名乗る若者が王となった宰相を倒し、
この地を支配することになるのは、それから三十年余り後。
かつての牢番に瓜二つのその青年に、『全能の神(ゼウス)』と呼ばれた男は慄き、
そして己の運命(さだめ)を悟った。
「所詮私は、卑しきポリュデクテスだった、という訳か……」
今際の際に呟かれたその言葉の真意を、英雄は知らなかった。
→後書き
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「ほな、旦那はん……お世話に、なりました」
常と変わらぬはんなりとした微笑みを浮かべ、お楽は深々と頭を下げた。
「……達者でな」
どうにか口の端を持ち上げて絞り出した言葉に、お楽はまたにこりと頷いて、
迎えの駕籠へと乗り込んだ。
迎えの駕籠へと乗り込んだ。
廓の妓を送り出す―見慣れた、光景。
廓の主として喜ぶべき場面。
普段賑やかに祭りの如く行われるそれは、
ことお楽に関しては呆気ないほど静かに終わった。
ことお楽に関しては呆気ないほど静かに終わった。
~~~
『うちみたいな年増がようやく出て行くゆう時に、そんな大層なお祝いなんて
返って恥ずかしおす。旦那はんにそっと見送ってもろたらそれで十分やわ』
返って恥ずかしおす。旦那はんにそっと見送ってもろたらそれで十分やわ』
口元に柔らかな微笑みを浮かべて、けれど伏せた瞳に寂しさを滲ませながら、
お楽は告げた。
お楽は告げた。
本来なら廓の主である自分を通して行われるはずの、身請け話。
契約が全て整ってから、お楽と、身請け人の五筒屋の隠居から聞かされた時は、
まさに青天の霹靂。
まさに青天の霹靂。
『わてはどうしてもお楽が欲しいんや。金はいくらでも出す。
のう、村木はん。あれを、譲ってくれんかのぅ……?』
のう、村木はん。あれを、譲ってくれんかのぅ……?』
法外な額の小判を提示されて断れるほど、想いに盲目にはなれなかった。
何よりお楽が、それを望んだ。
楼主と遊女、といういつ果てるともしれない危うい関係でありながら、
心のどこかで思っていた。
心のどこかで思っていた。
ずっと、ずっと……この女は、傍にいてくれるのではないか、と。
夢はしょせん幻想に過ぎなかったのだけれど。
~~~
~~~
近頃、廓の周りで自分とお楽の噂が取沙汰されていることには気づいていた。
廓の主が、大切な商品である妓に手を付ける……
周囲の嘲笑、侮蔑はまぬがれない、あってはならないこと。
この栄楼そのものの評判を地に落とし、己の社会的信用を失う。
お楽が五筒屋からの落籍の話を飲んだのは、その頃だった。
自分と、この廓を守るために。
わてはあいつに、「好きや」って言うたことがあったやろか……?
ふと、脳裏を掠める疑問。
二人の間に、いつも言葉は無かった。
ほんの少しの隙間を見つけて抱き合うのが、精一杯の想いを伝える術だった。
それでもお楽は……吉江は、あんなにも懸命に、自分を愛してくれていたのに。
「こないに酷い男を、よくもまあ……」
思わず漏れた独り言。乾いた自嘲がこぼれる。
ぽつぽつ
しとしと
いつの間にか降り出した雨に、いつぞや訪れた茶屋の出来事が、頭を過ぎる。
あの時もお楽は、微笑っていた。
「吉江……、よしえ……!」
泪はとめどなく溢れて、頬を濡らす。
空は今日も、泪雨。
→後書き
前編(遊女サイド)
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ぽつぽつ
しとしと
「あちゃ~、降ってきてもうたなぁ」
傍らの旦那はんがそう呟いて天を仰いだ。
頬に感じた冷たい感触に、そっと手のひらを空に向ければ、
一滴、二滴と柔らかな雫が降り注ぐ。
一滴、二滴と柔らかな雫が降り注ぐ。
「お楽?何しとんのや、じっとしてたら濡れてまうがな。はよ、走るで!」
そう告げるや否や、旦那はんはうちの手を掴んで、
近くのお茶屋に向かって駆け出した。
近くのお茶屋に向かって駆け出した。
瞬間、ふわりと被せられた旦那はんの羽織には、ほのかに汗と白粉の匂い。
官能的なその香りは、うちの身体を恍惚へと誘う。
固く、厚い旦那はんの手のひら。
優しいこのひとの、たくましい手のひら。
伝わる温もりは、酷く熱を持っている。
~~~
「お楽、濡れてへんか?」
自分のびしょ濡れの髪を拭きながら、旦那はんがこちらを見つめた。
「へえ、おかげさんであんまし」
うちがふわりと笑うと、旦那はんも笑って
「大事な商売道具に、風邪でも引かれたらあかんからな」
と言った。ツキン、少しだけ胸が痛む。
こんなことで感じる痛みには、とっくに感覚が麻痺したと思っていたのに。
こんなことで感じる痛みには、とっくに感覚が麻痺したと思っていたのに。
「でも、旦那はん……五筒屋さんのお座敷、どうしまひょ?
もう時間まにあわへん……」
もう時間まにあわへん……」
上目遣いで問えば、旦那はんはにこりと笑って
「さっきこっから使い出しといたし、そのうち向こうさんから
使いか迎えがくるやろ。お楽は何も心配せんでええ」
使いか迎えがくるやろ。お楽は何も心配せんでええ」
と答えて、うちの頭にポン、と手を置いた。
その腕を、そっと抱きしめる。
ここは出逢茶屋の一室。
急に雨に降られたとはいえ、彼が何も考えずにここへ駆け込んだとは思えない。
「旦那はん……」
うちらはいつも待っている。
『ソウナルノモシカタナイ』言い訳ができる時間を。
「おら……「嫌や、その名前は!」
潤んだ瞳できつく睨みつければ、
旦那はんは苦笑してやっと欲しかった言葉をくれた。
旦那はんは苦笑してやっと欲しかった言葉をくれた。
「吉江……」
たいせつな、大切なうちの本名。
今、それを知る人はこの世に二人しかいない。
~~~
~~~
「村木はーん!五筒屋さんからの使いがおいでですー!」
階下から聞こえる声に、気だるい身体を起こせば、
先に身支度を整えた旦那はんが階下へと降りていく。
先に身支度を整えた旦那はんが階下へと降りていく。
「……へぇ……へぇ……ほんまにありがたいこって……
ええもう、えろうすんまへんなぁ……」
ええもう、えろうすんまへんなぁ……」
ボソボソと聞こえる会話に耳を傾けながら、
身なりを整えた頃、部屋の襖がガラリと開いた。
身なりを整えた頃、部屋の襖がガラリと開いた。
「お楽、五筒屋さんわざわざ迎え寄越してくれはったわ。
まあ時間は過ぎとるけど、お待ち下さってるそやさかい
今から行ってくれんか?今やったら雨も小ぶりやし」
まあ時間は過ぎとるけど、お待ち下さってるそやさかい
今から行ってくれんか?今やったら雨も小ぶりやし」
「へぇ、分かりました」
旦那はんの言葉に、にこりと頷いてたり立ち上がる。
腰は少し痛むけど、あと一軒なら多分大丈夫だろう。
「今日は雨が酷うなるらしいし、何やったら
五筒屋に泊まらせていただいてもええ。しっかりな」
五筒屋に泊まらせていただいてもええ。しっかりな」
ポン、と背中を押して迎えの駕籠にうちを押し込めた手は、
さっきまでうちを抱いていた手と同じなのに。
さっきまでうちを抱いていた手と同じなのに。
「へぇ。わざわざ、おおきに」
一瞬だけ絡み合った視線は、驚くほど鋭かった。
あかんで、旦那はん。そんな顔してたら怖いわ。
こんな商売が大嫌いな怖ぁい奥様に、
うちらのことが知られてしまうかもしれへんやん。
うちらのことが知られてしまうかもしれへんやん。
うちも旦那はんも、商売やってかれへんようになってまう。
……でも、嬉しい。
揺れる駕籠に一人、微笑と泪が同時にこぼれる。
うちを抱いた腕が、うちをどこに連れ去っても。
うちに口付けた唇が、どんな言葉を吐こうとも。
二人に降り注ぐ雨が、しょっぱい泪の味しかしなかったとしても。
うちはしあわせ。
旦那はんを好きんなって、好いてもろて。
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