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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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Disunderstand』・『Misunderstand』関連作。赤の国の“王”の話。

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「私はもう縛られない。神にもヒトにも奪わせない、誰にも。私を、この目を、私の世界(・・・・)を」
 
そう言ってサンの目の前に現れた神は、神とヒトの領域を隔てし壁を焼き尽くした。八百万の神々の住まう赤の地に、一つの国、全ての神の統合を掲げて立ったその神の羽は、大きすぎるが故に常に土と砂に塗れていた。一国の主を名乗りだした彼の思惑は、神とヒトという垣根ではなく国と国として対等を望まんとする青の国の建前に迎合した。アルド――赤の“王”と認められた男は冷徹な目で、蹂躙されていく同胞を、奪われし者たちを見つめていた。最大の障害が取り払われた勢いに乗り神々の地へとなだれ込むヒトの群れ。哀れであり、滑稽でもある。文字通り赤に染まる大地。この様こそが、きっと正しい。
 
我々は失う、失い続ける、生きている限り何かを。神は畏敬を、人は尊厳を、草木はそこにあると主張する声を。小さなもの、弱いもの、力を持たないもの。我々の存在は世界の中で余りにも脆く、そこに紡がれる絆など取るに足りない、すぐに崩れ去る、あるいは断ち切られるものだ。灰と化した大地を眺めてアルドはひとりごちる。誰が、何がこの悲劇を生んだのか。息を吸うために彼らは空気を奪い汚す。食べるために草木の、あるいは獣の命を奪う。この世に存在する“力”の量は決まっているから。生きるために、手に入れるために彼らは争い合わねばならない。黙って佇んでいては失うだけ。戦わなくても、自ら危険に飛び込まなくても持っているものは奪われる――目を閉じたアルドの瞼に、浮かぶ一つの光景がある。
 
 
~~~
 
 
地が震える音がした。アルドがそれを感じ取った時、不吉な共鳴は獰猛なうなりに変わり激しく屋敷を揺さぶり出した。少年の彼にはどうすることもできない、圧倒的な力の放出。崩れ落ちる壁のレンガ、降り注ぐ天井のタイルから庇うように、彼に覆いかぶさったのは乳母のビルカだ。
 
「アルド、ぼっちゃま、ご無事で……?」
 
じっと佇んでいた彼が目を開けた時、ビルカは頭から血を流しその半身は倒れてきた壁の間に挟まれていた。怯えて泣く彼の頭を撫でていた手の動きが少しずつ鈍くおとろえていく。ふと辺りに漂う生臭い香りとペタリと濡れた感触に気付いた彼はハッとして乳母を見た。乳母の背中に広がっていた柔らかな羽が付け根から折れ曲がり、背中に大きな壁の破片が突き刺さっていた。
 
「ぼっちゃま、大丈夫ですよ、大丈夫……」
 
「ダメだ、ビルカ、だめだ! 次の金曜日、子どもに会えるって言ってただろう! あんなに喜んでいたじゃないか、どうして……!」
 
飛び上がろうにも空は見えず、少年の細腕で彼女を引っ張り出せるはずもない。アルドは声を張り上げた。けれどビルカは首を振り、ただ黙って主に向かい微笑んだ。そうするのが当然であるというように。アルドは泣いた。この瞬間にも、彼より彼女を必要とするヒトがいるだろう、彼女を愛する神がいるだろう。それでもビルカは、この乳母は全てを彼に捧げる気なのだ、彼女一人を救えない、ちっぽけな子供の神に。ただ彼が主であるというだけで、上位の神だというだけで。あたたかな少年の世界は一瞬にして終わりを告げた。ビルカの声が、微笑が止んだ。

数日前からオアシスが干上がり、水の神が水脈の異変を感じ取っていたと聞いたのは彼が助けられて十日ほど後のことだ。何故、彼らはその変化を教えてくれなかったのか――己が地に直接の影響を及ぼさないと知っていたからか。伝える手段がなかったからか。否、そうではない、伝える義務がなかったからだ。元より、この砂ばかりの地で水辺に暮らす彼らは己の優位を認めている。数は少なくとも他の神々が自分たちの存在なしには生きていけないことを理解し、時に見下すような態を取る者もいるとして少なからぬ反感を買っていた。だから、多数を以て街を築き上げた他の神々に多少の意趣返しを望んだのだろうか? いや、それはうがち過ぎた見方だと解っている。けれど。何も知らぬふりをして、気の毒顔で悔みを述べる輩。当然だという顔で、使用人の損失への見舞金を受け取る両親。何の権利も主張してこない乳母の遺族。ああ、この世界は――間違っている、本当に。強く強く、心に刻む。
 
 
~~~
 
 
「ヒトは良いな、欲望に素直だ」
 
過去へとたゆたう意識を目の前の暴虐に引き戻し、アルドは呟いた。その言を聞き、傍らにいた青の国の兵――サンは肩をすくめる。
 
「良きにしろ悪しきにしろ、ってことか? 褒め言葉だと受け取っておく、俺自身もそうだ」
 
肩にかけていた銃を降ろし、恋人のようにその身を撫でる青年の目に澱む恍惚にアルドの背筋を怖気が走る。欲望の先に待つのは狂気だ――いや、先ではない、それはいつ翻るか分からない表裏一体の伴侶なのかもしれない。アルドの中にもそれはある。生き残りたい(・・・・・・)という極めてシンプルな欲望が。単純であればあるほど理性という見せかけの中に埋もれさせ覆い隠すことが容易になるはずなのに、目の前の男は全くその危うさを隠しきれてはいなかった。恐らくは純粋すぎる鋭さのゆえに。彼は使える、アルドは気づき、息を飲んだ。
 
「乾杯だ、サン。そなたの名を覚えておこう。泉の奪還を祝して」
 
高く掲げられた血の色の盃に冷えた青い目がほころんだ。初めて師に認められた少年のように眩しい輝き。彼が英雄となった瞬間だ。水の神々の故郷を滅ぼし、大地の神である王の元に泉を”還した“正義のヒト――二つの盃を打ち鳴らす音は高らかに響き、三日月の照らす石段の上に大きな翼が影を作る。失うのなら埋めるまで。例え奪ってでも、生きるために。これは復讐ではない、愚かしい非生産的な行為と比べてはいけない。だから正義という飾りすらも必要ないのだ、本当は。誰に理解されようとも思わぬ。これは彼自身の、ただ一人のものである信条だ。
 
 
~~~
 
 
バサバサと翼のはためく音がした。アルドの目の前に立ち塞がった男は、手荒な仕草でターバンをほどく。幼き日の面影をかすかに残した目の色はその母親によく似ていた。ビルカがあれほど会いたがった息子。金曜日の夜、父親に連れられて屋敷の裏戸をくぐってきた――
 
「久しいな、ナブウ。こんなかたちで見(まみ)えることになるとは残念だ」
 
表情を変えぬまま声をかけたアルドに、かつての幼なじみは歯をむき出して剣先を向けた。
 
「おまえは間違っている、アルド! 神々(われわれ)を“一つ”にすることに何の意味がある? 王などいらない、我らは“全て”にはなれないのだ!」
 
「ヒトは“全て”になれる。弱き者、力無き者であるからこそ。我々は持ち過ぎたのだ……そして驕った。壊れた時に初めて分かる」
 
神として在るだけではない、現(うつつ)に生きる命としての在り方を。告げたアルドにナブウは激しく首を振った。
 
「おまえは囚われ過ぎている。あの時母()失ったものに。だが、おまえが真実向き合わなければならなかったのは彼女()失ったおまえ自身の傷だろう」
 
アルドはわずかに目を見開いた。悲しみ、苦しみを消し去るための自己満足。“世界”を、その捉え方を作り直すことで彼は贖おうとした。彼女の喪失を、“世界”に対して。ならば自分に空いた穴は――? 壁の穴を漆喰で必死に塗り固めようとしたところで、その手が張りぼてなら掴む力を持たぬ指から乾いた土は崩れ落ち、重さのない身体ごとあっという間に風に飛ばされてしまうだろう。だとしても、だとすれば、
 
「他にどの道が選べたというのだ、あの後(・・・)の世界で」
 
遠い街に暮らしていた彼は知らない、あの時の恐怖を、絶望を、虚しさを。打ち勝てるわけがない、ただひたすら忘れたかった。そして二度と同じ思いをしたくなかった――生きられなかったのだ、そうしなければ(・・・・・・・)。ナブウの言は余りに核心を突いていた。“王”は歪な笑みを浮かべて、切り落とした首を踏みつけた。本当に許せないのは、押し潰された彼女の身体が、悲嘆に暮れる家族の嘆きが己の心を傷つけたこと。彼女は守るべきではなかった、アルドを傷つけないために。我々は、神々(われわれ)もまた生き延びたいという本能に、欲望に忠実に生きた方が世界は上手く回る(傷つかずに済む)――そう、ヒトのように。
 
 
~~~
 
 
「我々ならば贄を捧げる」
 
壁を燃やし、アルドが王となってから随分な時が流れていた。戦線は水の郷を奪って後思うように広がらず、ゲリラと化して激しい抵抗を繰り広げる輩の巣が見つからずに軍は業を煮やしていた。目覚ましい戦果を挙げて司令官の地位を掴んだあの日の青年が頭をかきむしる姿を見やり、“神”としてアルドは鋭く助言した。
 
「何だって?」
 
怪訝そうに動きを止めてこちらを見つめるサンに向かい、彼は不敵に言葉を続ける。
 
「山羊でも羊でも良い……要は餌だ、獣を誘い出す時と同じこと」
 
「神を獣と同等に扱うとは随分じゃないか、国王陛下?」
 
おかしそうに手を叩いた青年の目が悪戯に輝く様を、アルドは鋭く見据えていた。無邪気な残酷さは数年の殺戮を経て重みを纏うようになった――罪の意識、報復の恐怖を存分に味わいながら、それを正当化せんとする禍々しさを。彼にはそこまでするほどの、できるだけの理由があるのだ。欲望が、裏返った狂気が。ならばその対象が失われた時――“ヒト”は、彼らはどうなってしまうのだろう? 膨らんだそれは急速に萎み消えるのか、あるいはそれに飲みこまれるのか。そして“我々”は、一体どこに向かえば良いというのだろう。
 
「一つ忠告しておく、贄には“価値”がなくてはならぬ……けれど、己にとっての犠牲(・・)であってはいけない」
 
口にしたのはほんの気まぐれ、アルドの中にかすかに残る老婆心のせいかもしれない。さも良い考えに取りつかれたというように、鼻歌を口ずさみながら踵を返した若い男へ。分かっている、というように片手を挙げたサンに伝わらぬ意図を知りながら、彼は黙って羽持たぬ背を見送った。
 
「堕ちる時、そなたには何が見える……? (わたし)には見えないものか?」
 
知りたいと願うのは、アルド自身の欲望ゆえか。






後書き

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「私はもう縛られない。神にもヒトにも奪わせない、誰にも。私を、この目を、私の世界(・・・・)を」
 
そう言ってサンの目の前に現れた神は、神とヒトの領域を隔てし壁を焼き尽くした。八百万の神々の住まう赤の地に、一つの国、全ての神の統合を掲げて立ったその神の羽は、大きすぎるが故に常に土と砂に塗れていた。一国の主を名乗りだした彼の思惑は、神とヒトという垣根ではなく国と国として対等を望まんとする青の国の建前に迎合した。アルド――赤の“王”と認められた男は冷徹な目で、蹂躙されていく同胞を、奪われし者たちを見つめていた。最大の障害が取り払われた勢いに乗り神々の地へとなだれ込むヒトの群れ。哀れであり、滑稽でもある。文字通り赤に染まる大地。この様こそが、きっと正しい。
 
我々は失う、失い続ける、生きている限り何かを。神は畏敬を、人は尊厳を、草木はそこにあると主張する声を。小さなもの、弱いもの、力を持たないもの。我々の存在は世界の中で余りにも脆く、そこに紡がれる絆など取るに足りない、すぐに崩れ去る、あるいは断ち切られるものだ。灰と化した大地を眺めてアルドはひとりごちる。誰が、何がこの悲劇を生んだのか。息を吸うために彼らは空気を奪い汚す。食べるために草木の、あるいは獣の命を奪う。この世に存在する“力”の量は決まっているから。生きるために、手に入れるために彼らは争い合わねばならない。黙って佇んでいては失うだけ。戦わなくても、自ら危険に飛び込まなくても持っているものは奪われる――目を閉じたアルドの瞼に、浮かぶ一つの光景がある。
 
 
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地が震える音がした。アルドがそれを感じ取った時、不吉な共鳴は獰猛なうなりに変わり激しく屋敷を揺さぶり出した。少年の彼にはどうすることもできない、圧倒的な力の放出。崩れ落ちる壁のレンガ、降り注ぐ天井のタイルから庇うように、彼に覆いかぶさったのは乳母のビルカだ。
 
「アルド、ぼっちゃま、ご無事で……?」
 
じっと佇んでいた彼が目を開けた時、ビルカは頭から血を流しその半身は倒れてきた壁の間に挟まれていた。怯えて泣く彼の頭を撫でていた手の動きが少しずつ鈍くおとろえていく。ふと辺りに漂う生臭い香りとペタリと濡れた感触に気付いた彼はハッとして乳母を見た。乳母の背中に広がっていた柔らかな羽が付け根から折れ曲がり、背中に大きな壁の破片が突き刺さっていた。
 
「ぼっちゃま、大丈夫ですよ、大丈夫……」
 
「ダメだ、ビルカ、だめだ! 次の金曜日、子どもに会えるって言ってただろう! あんなに喜んでいたじゃないか、どうして……!」
 
飛び上がろうにも空は見えず、少年の細腕で彼女を引っ張り出せるはずもない。アルドは声を張り上げた。けれどビルカは首を振り、ただ黙って主に向かい微笑んだ。そうするのが当然であるというように。アルドは泣いた。この瞬間にも、彼より彼女を必要とするヒトがいるだろう、彼女を愛する神がいるだろう。それでもビルカは、この乳母は全てを彼に捧げる気なのだ、彼女一人を救えない、ちっぽけな子供の神に。ただ彼が主であるというだけで、上位の神だというだけで。あたたかな少年の世界は一瞬にして終わりを告げた。ビルカの声が、微笑が止んだ。

数日前からオアシスが干上がり、水の神が水脈の異変を感じ取っていたと聞いたのは彼が助けられて十日ほど後のことだ。何故、彼らはその変化を教えてくれなかったのか――己が地に直接の影響を及ぼさないと知っていたからか。伝える手段がなかったからか。否、そうではない、伝える義務がなかったからだ。元より、この砂ばかりの地で水辺に暮らす彼らは己の優位を認めている。数は少なくとも他の神々が自分たちの存在なしには生きていけないことを理解し、時に見下すような態を取る者もいるとして少なからぬ反感を買っていた。だから、多数を以て街を築き上げた他の神々に多少の意趣返しを望んだのだろうか? いや、それはうがち過ぎた見方だと解っている。けれど。何も知らぬふりをして、気の毒顔で悔みを述べる輩。当然だという顔で、使用人の損失への見舞金を受け取る両親。何の権利も主張してこない乳母の遺族。ああ、この世界は――間違っている、本当に。強く強く、心に刻む。
 
 
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「ヒトは良いな、欲望に素直だ」
 
過去へとたゆたう意識を目の前の暴虐に引き戻し、アルドは呟いた。その言を聞き、傍らにいた青の国の兵――サンは肩をすくめる。
 
「良きにしろ悪しきにしろ、ってことか? 褒め言葉だと受け取っておく、俺自身もそうだ」
 
肩にかけていた銃を降ろし、恋人のようにその身を撫でる青年の目に澱む恍惚にアルドの背筋を怖気が走る。欲望の先に待つのは狂気だ――いや、先ではない、それはいつ翻るか分からない表裏一体の伴侶なのかもしれない。アルドの中にもそれはある。生き残りたい(・・・・・・)という極めてシンプルな欲望が。単純であればあるほど理性という見せかけの中に埋もれさせ覆い隠すことが容易になるはずなのに、目の前の男は全くその危うさを隠しきれてはいなかった。恐らくは純粋すぎる鋭さのゆえに。彼は使える、アルドは気づき、息を飲んだ。
 
「乾杯だ、サン。そなたの名を覚えておこう。泉の奪還を祝して」
 
高く掲げられた血の色の盃に冷えた青い目がほころんだ。初めて師に認められた少年のように眩しい輝き。彼が英雄となった瞬間だ。水の神々の故郷を滅ぼし、大地の神である王の元に泉を”還した“正義のヒト――二つの盃を打ち鳴らす音は高らかに響き、三日月の照らす石段の上に大きな翼が影を作る。失うのなら埋めるまで。例え奪ってでも、生きるために。これは復讐ではない、愚かしい非生産的な行為と比べてはいけない。だから正義という飾りすらも必要ないのだ、本当は。誰に理解されようとも思わぬ。これは彼自身の、ただ一人のものである信条だ。
 
 
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バサバサと翼のはためく音がした。アルドの目の前に立ち塞がった男は、手荒な仕草でターバンをほどく。幼き日の面影をかすかに残した目の色はその母親によく似ていた。ビルカがあれほど会いたがった息子。金曜日の夜、父親に連れられて屋敷の裏戸をくぐってきた――
 
「久しいな、ナブウ。こんなかたちで見(まみ)えることになるとは残念だ」
 
表情を変えぬまま声をかけたアルドに、かつての幼なじみは歯をむき出して剣先を向けた。
 
「おまえは間違っている、アルド! 神々(われわれ)を“一つ”にすることに何の意味がある? 王などいらない、我らは“全て”にはなれないのだ!」
 
「ヒトは“全て”になれる。弱き者、力無き者であるからこそ。我々は持ち過ぎたのだ……そして驕った。壊れた時に初めて分かる」
 
神として在るだけではない、現(うつつ)に生きる命としての在り方を。告げたアルドにナブウは激しく首を振った。
 
「おまえは囚われ過ぎている。あの時母()失ったものに。だが、おまえが真実向き合わなければならなかったのは彼女()失ったおまえ自身の傷だろう」
 
アルドはわずかに目を見開いた。悲しみ、苦しみを消し去るための自己満足。“世界”を、その捉え方を作り直すことで彼は贖おうとした。彼女の喪失を、“世界”に対して。ならば自分に空いた穴は――? 壁の穴を漆喰で必死に塗り固めようとしたところで、その手が張りぼてなら掴む力を持たぬ指から乾いた土は崩れ落ち、重さのない身体ごとあっという間に風に飛ばされてしまうだろう。だとしても、だとすれば、
 
「他にどの道が選べたというのだ、あの後(・・・)の世界で」
 
遠い街に暮らしていた彼は知らない、あの時の恐怖を、絶望を、虚しさを。打ち勝てるわけがない、ただひたすら忘れたかった。そして二度と同じ思いをしたくなかった――生きられなかったのだ、そうしなければ(・・・・・・・)。ナブウの言は余りに核心を突いていた。“王”は歪な笑みを浮かべて、切り落とした首を踏みつけた。本当に許せないのは、押し潰された彼女の身体が、悲嘆に暮れる家族の嘆きが己の心を傷つけたこと。彼女は守るべきではなかった、アルドを傷つけないために。我々は、神々(われわれ)もまた生き延びたいという本能に、欲望に忠実に生きた方が世界は上手く回る(傷つかずに済む)――そう、ヒトのように。
 
 
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「我々ならば贄を捧げる」
 
壁を燃やし、アルドが王となってから随分な時が流れていた。戦線は水の郷を奪って後思うように広がらず、ゲリラと化して激しい抵抗を繰り広げる輩の巣が見つからずに軍は業を煮やしていた。目覚ましい戦果を挙げて司令官の地位を掴んだあの日の青年が頭をかきむしる姿を見やり、“神”としてアルドは鋭く助言した。
 
「何だって?」
 
怪訝そうに動きを止めてこちらを見つめるサンに向かい、彼は不敵に言葉を続ける。
 
「山羊でも羊でも良い……要は餌だ、獣を誘い出す時と同じこと」
 
「神を獣と同等に扱うとは随分じゃないか、国王陛下?」
 
おかしそうに手を叩いた青年の目が悪戯に輝く様を、アルドは鋭く見据えていた。無邪気な残酷さは数年の殺戮を経て重みを纏うようになった――罪の意識、報復の恐怖を存分に味わいながら、それを正当化せんとする禍々しさを。彼にはそこまでするほどの、できるだけの理由があるのだ。欲望が、裏返った狂気が。ならばその対象が失われた時――“ヒト”は、彼らはどうなってしまうのだろう? 膨らんだそれは急速に萎み消えるのか、あるいはそれに飲みこまれるのか。そして“我々”は、一体どこに向かえば良いというのだろう。
 
「一つ忠告しておく、贄には“価値”がなくてはならぬ……けれど、己にとっての犠牲(・・)であってはいけない」
 
口にしたのはほんの気まぐれ、アルドの中にかすかに残る老婆心のせいかもしれない。さも良い考えに取りつかれたというように、鼻歌を口ずさみながら踵を返した若い男へ。分かっている、というように片手を挙げたサンに伝わらぬ意図を知りながら、彼は黙って羽持たぬ背を見送った。
 
「堕ちる時、そなたには何が見える……? (わたし)には見えないものか?」
 
知りたいと願うのは、アルド自身の欲望ゆえか。






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