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やっぱり日本人の作品は日本人にしか撮れないのかもしれない、と『太陽』を観た時とは真逆の感想を覚えた。スコセッシだから、大きな失敗やガッカリはないです。俳優の演技(特にイッセー尾形は期待通り過ぎ!フェレイラはもっと薄汚くてくたびれ果ててるキャラでも良かった)やアレンジも想定の範囲内で許せるレベル。でも、最も大事な主人公の内なる神への問いかけ「主よ、あなたはなぜ沈黙しておられるのですか?」が、しつっこいまでに登場するこの主題の場面が少なすぎる気がした。映像で見せるのが映画という作品だから仕方ないけど、主人公の一人称で書かれている作品なのに主人公の心情の吐露というか必死に一人で神に、師に、日本に問いかけているモノローグが無さすぎて彼が棄教に至るまでの苦悩や煩悶が十分に伝えきれていなかったように原作ヘビー読者としては思いました。波やうめき声の臨場感や恐怖は音と画がある分感じるとこもあったけどさ。「その後」が蛇足だったのかどうかは判断がつきかねます。減らしたモノローグをあの十字架で補ったのか、でもやはりその表現は日本人的ではないし、キチジローとロドリゴの関係と結末に白黒をつけることをしてほしくなかった。言葉でも頭でも感情でも信仰でも信条でもくくれない、割り切れない縁や絆があるんだ、ってことを己をモデルにしたキチジローと「最後の司祭・転びのポーロ」に遠藤先生は見出だしたかったんだと思うから。
今回の作品が心に刺さらなかった理由の一つに、父の死があります。彼を追いつめた一因の中で、自分がしてきたことは小さくないウエイトを占めていると思うから、私はこれから先一生自分を責めるし後悔する。真っ白な骨を見た時、「こんなに綺麗で真っ白なものになれるんだ、これが人間・生き物の本質なんだ」と逃げたいとかではなく改めて死に惹かれる気持ちを強く感じたし、やっぱり自分が生まれてくるべきではなかった、間違った存在だという思いは強くなるばかりです。けど、これ以上母に辛い思いをさせ、親戚に迷惑をかけるわけにはいかないので。何とか生きないといけないから、一つ目標を設定することにしました。追納が終わって母の年金受給が始まり、父の債務を返し終えたら海外の子の里親になる。今の日本で私のような人間が養子を持つことや、里親になってこの社会に立派に子供を送り出す、というのは無理なので、色々調べて少しだけ恵まれない国の子となら遠いけど繋がれるかもしれない。私も子供の成長を見守れるかもしれない。例え触れ合うことができなくても。それを目標に何とか頑張っていきたいです。
今国木田さんを読んでいて、彼の見る人の死に父を、それを見る主人公の視点に自分を置いて救われたり共感したりしている。「自殺は決心であり、自滅は流れに身を委せること」みたいなセリフがあって、私はまさにそれかもしれない、と思った。もう死ねなくなってしまった。「気が触れた」と考えられたならどんなに楽だろう。または宗教に走れたなら。私、信仰は一部の人には有益で必要なもので差別はしない、尊重しようと考えてきましたが、ハッキリ言って軽蔑の念を捨てきれません。今生きてる人生や苦しみや自分自身の選択の結果からの最大の逃避だ。神なんていない、神の声は自分の本音に過ぎないのに、責任逃れしやがって。苦しんでるごっこに浸ってんじゃねぇ。『沈黙』のラストクレジット「全ての日本人のキリスト教徒とその信仰に捧ぐ」ふざけんな。うちの祖母なんか住み慣れた故郷離れて夫亡くして引き取った先の息子一家が困窮したからって折角慣れた土地からまた更に遠くに引き取られて。教会もない場所で、結局息子も喪って火葬にも立ち会えず。何のための信仰なの? 死んで天の国に迎えられないと救いがないなんて詐欺も良いとこ。死んだら何も残らないよ!
あと宗教軽蔑の対象と同時にイデオロギーは、特に紅いのは一生憎みます。死んだ後も残る負の一念があるとすれば奴らへの憎しみだけだ。絶対許さない。最後までどんだけ奪われて吸いつくされてきたんだよ。貧乏人から巻き上げて更に貧乏な人たちを騙す、格差社会の隣と変わらない、あの党の体質が許せない。上だけ要領よく立ち回って甘い汁吸いやがって。ハッキリ金持ちの側に立って持てるとこからの上納金で回してる政党の方がはるかにマシだ。持てるとこには周りの目も厳しいから、行き過ぎるとさすがに建前民主主義では「主権者」からのブレーキかかるし。信じられないです。葬儀屋の向こうに党の事務所があったこと、整理してる最中に出てきたお金まとめて持ってかれそうになったことはずっと忘れない。あの意味のない機関誌代、もう読む人いないのに払わされそうになったことも。半ば無理やり頼まされたM商の葬儀屋の酷さも。役所のろくでもなさも。
今の職場で良かった。少人数で色々聞かれる煩わしさも気遣いもない。でも労りと、親を見送った経験のある人生の先輩方が近いところにいてくれる。私と同じ世代のお子さんがいて気にかけてくれたり。人の生き死にに関係する仕事でもあるから辛いときもあるけど、仕事してるおかげで何とか母も扶養にできるし手続きとか片付けから逃げられる。逃げてばっかです。何もかもが遅すぎた。もっと早く自分に向き合っていれば良かった。認めて、話して、どうするか決めるべきだった。もし母が父を見棄てても、私は面倒見るつもりでした。何見ても思い出ばっかり過るのに最後に交わした言葉が、一緒にいたはずの時間のことが思い出せない。後悔だらけ。何で、どうして、って考えたくないから、とにかく仕事出て、色々手続きやったり調べたり家族のフォローしたり。一番キツイ仕事をまだ学生の弟に任せっぱなしなのがつらい。妹だってこれから退職と結婚を控えているのに。弟、今からやっと就職して初めて家出る直前にこれですよ。申し訳なさすぎて消えたい。どう償って良いかわからないから、とにかく出来る限り仕事して、母を養って・・・と考えてはいるのですが自信がない。
誰か引きこもりが社会復帰から1年経たずに扶養抱えるまでのドラマ化してほしいくらい。引きこもりの皆さんに心から言いたい、親はいつまでも生きてない。年金受け取れるのは母親だけだし総合的な金額は減る。更に母親まで死んだらどうすんの? あとは自分で生きてくしかない。死ぬエネルギーと生きるエネルギーはどっちが大きいのか私には分からないので、ぜひネットなどで事前に調べて結局迷惑かけることになる親戚の性格やコスパなど考えた上で検討されるのがよろしいかと存じます。
今回の作品が心に刺さらなかった理由の一つに、父の死があります。彼を追いつめた一因の中で、自分がしてきたことは小さくないウエイトを占めていると思うから、私はこれから先一生自分を責めるし後悔する。真っ白な骨を見た時、「こんなに綺麗で真っ白なものになれるんだ、これが人間・生き物の本質なんだ」と逃げたいとかではなく改めて死に惹かれる気持ちを強く感じたし、やっぱり自分が生まれてくるべきではなかった、間違った存在だという思いは強くなるばかりです。けど、これ以上母に辛い思いをさせ、親戚に迷惑をかけるわけにはいかないので。何とか生きないといけないから、一つ目標を設定することにしました。追納が終わって母の年金受給が始まり、父の債務を返し終えたら海外の子の里親になる。今の日本で私のような人間が養子を持つことや、里親になってこの社会に立派に子供を送り出す、というのは無理なので、色々調べて少しだけ恵まれない国の子となら遠いけど繋がれるかもしれない。私も子供の成長を見守れるかもしれない。例え触れ合うことができなくても。それを目標に何とか頑張っていきたいです。
今国木田さんを読んでいて、彼の見る人の死に父を、それを見る主人公の視点に自分を置いて救われたり共感したりしている。「自殺は決心であり、自滅は流れに身を委せること」みたいなセリフがあって、私はまさにそれかもしれない、と思った。もう死ねなくなってしまった。「気が触れた」と考えられたならどんなに楽だろう。または宗教に走れたなら。私、信仰は一部の人には有益で必要なもので差別はしない、尊重しようと考えてきましたが、ハッキリ言って軽蔑の念を捨てきれません。今生きてる人生や苦しみや自分自身の選択の結果からの最大の逃避だ。神なんていない、神の声は自分の本音に過ぎないのに、責任逃れしやがって。苦しんでるごっこに浸ってんじゃねぇ。『沈黙』のラストクレジット「全ての日本人のキリスト教徒とその信仰に捧ぐ」ふざけんな。うちの祖母なんか住み慣れた故郷離れて夫亡くして引き取った先の息子一家が困窮したからって折角慣れた土地からまた更に遠くに引き取られて。教会もない場所で、結局息子も喪って火葬にも立ち会えず。何のための信仰なの? 死んで天の国に迎えられないと救いがないなんて詐欺も良いとこ。死んだら何も残らないよ!
あと宗教軽蔑の対象と同時にイデオロギーは、特に紅いのは一生憎みます。死んだ後も残る負の一念があるとすれば奴らへの憎しみだけだ。絶対許さない。最後までどんだけ奪われて吸いつくされてきたんだよ。貧乏人から巻き上げて更に貧乏な人たちを騙す、格差社会の隣と変わらない、あの党の体質が許せない。上だけ要領よく立ち回って甘い汁吸いやがって。ハッキリ金持ちの側に立って持てるとこからの上納金で回してる政党の方がはるかにマシだ。持てるとこには周りの目も厳しいから、行き過ぎるとさすがに建前民主主義では「主権者」からのブレーキかかるし。信じられないです。葬儀屋の向こうに党の事務所があったこと、整理してる最中に出てきたお金まとめて持ってかれそうになったことはずっと忘れない。あの意味のない機関誌代、もう読む人いないのに払わされそうになったことも。半ば無理やり頼まされたM商の葬儀屋の酷さも。役所のろくでもなさも。
今の職場で良かった。少人数で色々聞かれる煩わしさも気遣いもない。でも労りと、親を見送った経験のある人生の先輩方が近いところにいてくれる。私と同じ世代のお子さんがいて気にかけてくれたり。人の生き死にに関係する仕事でもあるから辛いときもあるけど、仕事してるおかげで何とか母も扶養にできるし手続きとか片付けから逃げられる。逃げてばっかです。何もかもが遅すぎた。もっと早く自分に向き合っていれば良かった。認めて、話して、どうするか決めるべきだった。もし母が父を見棄てても、私は面倒見るつもりでした。何見ても思い出ばっかり過るのに最後に交わした言葉が、一緒にいたはずの時間のことが思い出せない。後悔だらけ。何で、どうして、って考えたくないから、とにかく仕事出て、色々手続きやったり調べたり家族のフォローしたり。一番キツイ仕事をまだ学生の弟に任せっぱなしなのがつらい。妹だってこれから退職と結婚を控えているのに。弟、今からやっと就職して初めて家出る直前にこれですよ。申し訳なさすぎて消えたい。どう償って良いかわからないから、とにかく出来る限り仕事して、母を養って・・・と考えてはいるのですが自信がない。
誰か引きこもりが社会復帰から1年経たずに扶養抱えるまでのドラマ化してほしいくらい。引きこもりの皆さんに心から言いたい、親はいつまでも生きてない。年金受け取れるのは母親だけだし総合的な金額は減る。更に母親まで死んだらどうすんの? あとは自分で生きてくしかない。死ぬエネルギーと生きるエネルギーはどっちが大きいのか私には分からないので、ぜひネットなどで事前に調べて結局迷惑かけることになる親戚の性格やコスパなど考えた上で検討されるのがよろしいかと存じます。
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私はこの主人公と笠原の間に生まれた子供のポジションと言っても過言ではないので、「自分の家族という最小単位のコミュニティも幸せにできない奴に“人民の幸せ”なんぞ語る資格があってたまるかこのヤロウ!(゜Д゜#)」と叫びたくてしょうがない。家庭と会社、あるいは国は違うとおっしゃる方はいらっしゃるでしょう。でも家事が苦手な人が機械は得意とか、一対一の友達付き合い苦手でもプレゼンは上手いとかそういうのは認められるけど、自分の意思で選んだ伴侶と自分自身を生み育んでくれた存在を大事にできない人間に、他の人を、国を大切にできると思う? K産主義者の信用できないのはそういうとこ。何より構成員とその家族(のもたらすお金や恩恵も含め)をただの駒のようにしか扱わないのに「人民のための尊い犠牲」だって!どこのファシズムだよ( ノ∀`) 資本家の方が分かりやすいし個人が上手くやって大っぴらにのしあがれるだけ健全だわ。あっちは「上」がどんなに搾取して贅沢してても党や組織に覆い隠されて見えないんだもん(笑)マジ蜂か蟻だよ、連中の扱い。家族の生活まで巻き込むんじゃねぇ。本当に「階級的闘争()」のために尽くしたいなら結婚なんかするな。一人で勝手に「私」を捨てきって死ね。利用するために一緒になるな。母がどんだけ巻き上げられ、全てを犠牲にして親戚に借金重ねて私がまさに彼らの憎むべき(爆笑)大手企業の末端(まさに臨時工ポジ^^)でお国様の下請け必死でやってると思ってんだよ。それでも私は今の労働環境や待遇には十分感謝してるけど。というか日本はこうやって、今の制度だからこそヨソ様よりははるかに「マシ」な国でいられると感じてる。稼ごうと考えたら、あるいはもっとワークライフ・バランスの優れた国と欲を言えばキリがないと思う。でも私のような弱い人間もどきが競争・格差社会でやってけるわけがないこと、自分の意見を求められても「そうですね、虫けらなんで早く死にたいです( ´―`)」言って精神科ぶちこまれ意識高い発言繰り返されるような社会で生きていきたくもないんで。例えばセクシュアリティ一つにとっても、面倒ですけどノーマルに半端な「わかる、私はあなたの理解者!」ぶってほしくないんですよレインボーくたばれ!(^ω^)←ウワァ 単純に性欲が向く対象が違うとか、全く興味わかないとかと違うからさ!欲しくて欲しくて堪らなくて、普通になりたくてそう思いたくて葛藤し続けた末にこの歳で食えなくなるレベルまで行っての自認だから。今だって一緒にされたくない気持ちはある。だから、時々苦しんでも、この日本の他人とある程度線を引ける保守的な社会が一番ちょうど良い距離感。めんどくさいんです(^^;
シネマ歌舞伎『文七元結』この落語にこめられたアホでどうしようもない、切なくて愛しい人間の情こそが日本人の価値観で良いとこじゃない? 完璧な人間なんかどこにもいなくて、簡単にロクデナシに身を持ち崩して、あるいは金なくしただけで死のうとして、身を売って、それでも皆互いを思いやらずにいられなくて、助けたくて、助けたくて。同じ人間だから、命だから、絆を守りたくて必死になる。大嫌いな朝ドラの原型かもしれません、でも信じたい。初めからヒーローじゃなくても、綺麗なものじゃなくても良い。最後に互いを思いやれたら、信じたことへの報いがあればもっと良いけど、私他人を信じられるってその事実だけで十分だと思ってる。(党以外な!^^)
シネマ歌舞伎は『女殺し~』も観たいけど日程的に難しそうなので、次は『沈黙』観たらヅカに全勢力を注ぐかな。妹のお祝いもとりあえずじゃなくてそれなりにちゃんとしてあげたいし・・・てか痩せすぎてまず服が(;´д`) 次は『インフェルノ』公開記念(遅)に『天使と悪魔』に行こうと思ってたんですが3日で読みきれますかね?(´・ω・`)←だから何なのその揺れ幅。家にあるのハードなもんで、まとめてお休みある時しか読めないんだもーん。
シネマ歌舞伎『文七元結』この落語にこめられたアホでどうしようもない、切なくて愛しい人間の情こそが日本人の価値観で良いとこじゃない? 完璧な人間なんかどこにもいなくて、簡単にロクデナシに身を持ち崩して、あるいは金なくしただけで死のうとして、身を売って、それでも皆互いを思いやらずにいられなくて、助けたくて、助けたくて。同じ人間だから、命だから、絆を守りたくて必死になる。大嫌いな朝ドラの原型かもしれません、でも信じたい。初めからヒーローじゃなくても、綺麗なものじゃなくても良い。最後に互いを思いやれたら、信じたことへの報いがあればもっと良いけど、私他人を信じられるってその事実だけで十分だと思ってる。(党以外な!^^)
シネマ歌舞伎は『女殺し~』も観たいけど日程的に難しそうなので、次は『沈黙』観たらヅカに全勢力を注ぐかな。妹のお祝いもとりあえずじゃなくてそれなりにちゃんとしてあげたいし・・・てか痩せすぎてまず服が(;´д`) 次は『インフェルノ』公開記念(遅)に『天使と悪魔』に行こうと思ってたんですが3日で読みきれますかね?(´・ω・`)←だから何なのその揺れ幅。家にあるのハードなもんで、まとめてお休みある時しか読めないんだもーん。
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中村光の新作黒サンタ未だに口利かない弟(昨今過労自殺の件で取り沙汰されている業界へ内定済み、っつーか「当然覚悟しとけ」って内定者懇親会で既に脅しかけられたらしい(^ω^)bさすがブラック代表格!)の前にそっと置いておいたら「何コレ嫌味?(―_―;)」って言ってたそうな。心当たりあったならとっとと会話くらいしろやこのクソ野郎!^^#ビキビキビッキ イヤうちみんな荒川からお兄さんまで中村光作品ファンなもんで、主人公くんと歳も被るし好きかなー、という思いやりの元手近に置いておいただけなんですけどね? いやー、ブラック!シュール!そして現実的!まじ現実だから・・・こんなもんだから現実\(^o^)/逃げたい!これをハハハッて笑い話にできる日本人の哀しさ( ´∀`)感覚がわかっちゃう現代人の虚しさ。ドラマ性も同情買える要素もお涙ちょうだいの生き別れなんかも、命かけるネタは何一つ無いのよ、でもそれでも、生きていくのはどうしようもなく苦しくて。だからこそ人生つらくて投げやりになるかヒキるか自殺すんだっての!
タイムリーなことに何故かこのタイミングで『ガラスの動物園』も読んでおりましてな(もちろんブクオフ)。演劇って短い時間でシンプルに表現するだけに刺さる!簡潔に、普遍性を持って!この逆スペシャル・スノーフレーク症候群はやっぱり劣等感に他ならないのか・・・それが当たり前のことと認識していても?( ´―`) まぁローラはジムに恋心を抱くことはできてたんだから少なくとも私よりはマトモやろ。私は当たり障りのない会話とかまでは行けるけど、その先の距離の取り方がどうしても掴めなくて突然ブッチンしちゃったり逃げたりヒキったりヒキったり。偽りまくりなんですよね、本性を。で、何おまえ着ぐるみ被りまくってんだ、って対外用の面を引きちぎりたくなる。でもそのままの自分では到底表に出ていけないことがわかっているから、ストレス、毎日ストレス!だからクッソ人数の多い、人の入れ替わりや席替えや関係する上司コロコロ変わる体制の方がマシに決まってんだろおぉぉ!と必死で・・・本当に必死で自分に言い聞かせる日々だとも>< あ、ちなみに私も壊れやすいガラスや陶器の小さい置物集めんの好きでーす☆土偶や埴輪やエジプトやインドの神様も含め、埃取ったり地震が起きれば倒れてないかチェックして。でも私にとってのガラスの動物園コレクションは多分、本と宝塚なんでしょうね。全ての本とDVDを失った瞬間に心が壊れると思う。あと幼なじみ。その点ではローラよりマシかorz 昨日も書いたけど、マジで依存し過ぎててキモいな。
あ、この後は黒サンタ読んでたら思い出した『蟹工船』に行く予定です( ´∀`)通勤途中に読んでたらメッチャお仕事はかどりそう♪ハハ・・・ハハハ・・・
以下ハイパー病み吐き出し
タイムリーなことに何故かこのタイミングで『ガラスの動物園』も読んでおりましてな(もちろんブクオフ)。演劇って短い時間でシンプルに表現するだけに刺さる!簡潔に、普遍性を持って!この逆スペシャル・スノーフレーク症候群はやっぱり劣等感に他ならないのか・・・それが当たり前のことと認識していても?( ´―`) まぁローラはジムに恋心を抱くことはできてたんだから少なくとも私よりはマトモやろ。私は当たり障りのない会話とかまでは行けるけど、その先の距離の取り方がどうしても掴めなくて突然ブッチンしちゃったり逃げたりヒキったりヒキったり。偽りまくりなんですよね、本性を。で、何おまえ着ぐるみ被りまくってんだ、って対外用の面を引きちぎりたくなる。でもそのままの自分では到底表に出ていけないことがわかっているから、ストレス、毎日ストレス!だからクッソ人数の多い、人の入れ替わりや席替えや関係する上司コロコロ変わる体制の方がマシに決まってんだろおぉぉ!と必死で・・・本当に必死で自分に言い聞かせる日々だとも>< あ、ちなみに私も壊れやすいガラスや陶器の小さい置物集めんの好きでーす☆土偶や埴輪やエジプトやインドの神様も含め、埃取ったり地震が起きれば倒れてないかチェックして。でも私にとってのガラスの動物園コレクションは多分、本と宝塚なんでしょうね。全ての本とDVDを失った瞬間に心が壊れると思う。あと幼なじみ。その点ではローラよりマシかorz 昨日も書いたけど、マジで依存し過ぎててキモいな。
あ、この後は黒サンタ読んでたら思い出した『蟹工船』に行く予定です( ´∀`)通勤途中に読んでたらメッチャお仕事はかどりそう♪ハハ・・・ハハハ・・・
以下ハイパー病み吐き出し
去年の冬妹に死ね言われて本当にやろうとして友達に止められて就職したじゃないですか。本日母親にさっさと死ね、皆それを望んでいると言われたわけだが、私既に一通りソッチのサイト踏んでんのね。で、他人様の犠牲とコスパ考えた時にベストな方法が未だに見つかんないわけ。だから、それまでの繋ぎっつーかまぁ遺族年金とかは出るくらい勤めておかねば、とか法律変わったけど10年キッチリは納めておく必要あるよなぁ、とかでどうにか勤め続けて追納もしてるわけですよ。でも何かもう疲れた。引きこもりに今の仕事きついし(明日のこと考えるだけでお腹痛い。同世代の同期全滅の時点で相当キテたけど辞める勇気も転職先探すエネルギーもどこほじくり返しても見つからない。休み取るのも労務管理の人厳しいからだけじゃなくて、ただでさえとろい自分が更に経験値や研修で遅れ取ったり時給減るのが怖くてできない。)、グチると家族はこうなるし、職就いても何も状況変わらなくて良いことなかったな、って。母や弟に言わせると私はエベレストのように高いプライドの持ち主らしい(爆笑)自分が虫けらだと思ってる皮かぶりがか( ノ∀`) そりゃ生んでくれた親に向かって「存在が間違い」って本音ぶつけたのは悪かったと思ってますよ。でもホントにどうしようもなくて、彼女の不運に申し訳なさしか覚えないから。私はマトモじゃなくて、普通の人なら堪えきれることにも堪えきれなくて、死ぬべきなのに死ねなくて生きてて。苦しくて食えなくなって、心因性のそれいつまでも引きずって吐きそうになりながら必死に食べて、好きだったものもちっともおいしいと思えなくて。でも友達と約束したから、次会う時までに標準体型に戻すって言ったから、カロリー高めのお菓子必死で食べて、でもやっぱ食への興味とか食べられる範囲はどうしようもないからゴハンのメニューとか聞かれるのも苦痛で親をキレさせて。もう存在してたくないです。こんな体どうなっても良いから、子供いてガンなっちゃった人とかと変わってくれ。職場で真面目な良い子ちゃんキャラやるのももう疲れた。散々迷惑かけた皆さんに申し訳ない、貢献できるのは頭数満たすことだけ、と思ってやってきたけど、本当はもうやりたくない。怖い。向いてない。コミュ障じゃないと引きこもりなんてならないっつの。誰も仕事が好きで行く人なんかいない、つらくない人なんかいない、ってことはわかってます。でも私、どう死ぬか、死ぬ時のコスパとかしか考えられない人間なんで。生きるために働かなきゃいけないとか食いぶちとか、そもそも生きてたくないのに。意味がわかんなくなる。1年は働かないと死ねない、と考えてきたけどそろそろ限界。早く終わりたい。一刻も早く、自分にも自分が他人にかけてしまう迷惑にも、自分がこの世に存在することに堪えられない。大好きな世界に異物が紛れ込んでる感と、いるべきじゃない場所に紛れ込んでることによる息苦しさ両方がしんどくて消えたくてなかったことにしてほしくて堪らないんですよ。どうすりゃ良いんだ? クリスマスプレゼントにこの世から自分を抹消してくれたら、その瞬間にサンタも神様も信じるわ。
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「支配」による恩恵と不利益、人間同士の残酷な生存競争の果て。選民思想と差別の源流、まさに『湾生~』で考えさせられたことが、帰りに買ってきた進撃新刊と乙嫁語りの中の森さんの言葉に凝縮されてた。これは勝手に思ってることだけど、歴史が好きな人は人間が好きで、だから彼らの歩んできた道や過ごしてきた世界、生活に興味を持つんだって@人間様信者兼歴オタ(* ^ー゜)b だから、哀しいことだけど「大戦前の世界を描きたい」という森さんの意見と、震災で全てが変わってしまう時に「描かなければならない」失われ行く文化について必死で表現しようとしている佐々さんの対談には胸打たれた。私も、歴史は繰り返す、奇妙な共通点にはちょっとゾッとするものを感じていた。他ならぬ自分自身が、どうせこんなに簡単にどうにもならないことで何も悪いことしてない人たちがこんな目に遭うなら、ヤケクソのようにどんなことだって犠牲だって受け入れてやんよ、戦争が起きようと命だって投げ出したる、これ以上失ってたまるかってんだ、という気持ちでいたから。リーマン・ショックからのアメリカの凋落、中国の台頭と暴走、プーチンの強権が増すばかりのロシア、終わりの見えない中東の混乱にヨーロッパの難民危機、あげくイギリスのEU離脱にトランプですから・・・いつ導火線に火ついてもおかしくないですよ、北のアホボンも意外としぶとすぎて南はあの状態なんですから(-_-;) 私たちの世界は、少なくとも私の世界は5、いやもう6年近く前に一度粉々にぶっ壊された。忘れられないし数えるもん、あーうちの妹はあの子の歳を越えてしまった、とか云々。バーカバーカ私、何でまだ生きてんの?ってずっと思ってるから、私には使命感もクソもなくもう興味しか残ってないの。戦争になるなら早く死にたい、けどやっぱ友人たちや大事な人には助かってほしい。あーついでにその中に隣の子と在日の子と間の国の子含まれてるからマジ厄介@爆笑( ノ∀`) どうかアジアに平和を・・・!
どうしようもないことだとわかっていても、生き物に争いはつきもので、時として手段は残酷で種として生き残るためには必要な淘汰でもあって。でも私たちは「グローバル化」の結果学んだり知ることができる。正しい意見、そうではない意見。敵方、味方方。経済と文化がいかにガッチリ結び付いているか。乙嫁語りの時代やイザベラ・バードが旅していた頃は、極東の1漫画家が外国の状態について調べあげることなんて不可能だった。でも今は違う。私たちは学んで考えることができる。相手の国のこと、文化や歴史、自分の国との共通点や、どんな関係が持てるのかってこと。
他者を知るのはガラパゴス島民には何より大切なことだから。色んな地域に、歴史や文化にそれから人に対する興味が広がれば、うちらだってもっと世界に差別も偏見もなく飛び込んでいけるんじゃないか?って。価値観から何から、それぞれの違いについて学んで、敬意もって少しずつ歩み寄っていけたら・・・そんな素晴らしいことはないですよね。ホントに時給換算で身削りまくってるんじゃ?って漫画家の皆さん、「好き」を超えた熱い思いに心から感動します(つд;*)
どうしようもないことだとわかっていても、生き物に争いはつきもので、時として手段は残酷で種として生き残るためには必要な淘汰でもあって。でも私たちは「グローバル化」の結果学んだり知ることができる。正しい意見、そうではない意見。敵方、味方方。経済と文化がいかにガッチリ結び付いているか。乙嫁語りの時代やイザベラ・バードが旅していた頃は、極東の1漫画家が外国の状態について調べあげることなんて不可能だった。でも今は違う。私たちは学んで考えることができる。相手の国のこと、文化や歴史、自分の国との共通点や、どんな関係が持てるのかってこと。
他者を知るのはガラパゴス島民には何より大切なことだから。色んな地域に、歴史や文化にそれから人に対する興味が広がれば、うちらだってもっと世界に差別も偏見もなく飛び込んでいけるんじゃないか?って。価値観から何から、それぞれの違いについて学んで、敬意もって少しずつ歩み寄っていけたら・・・そんな素晴らしいことはないですよね。ホントに時給換算で身削りまくってるんじゃ?って漫画家の皆さん、「好き」を超えた熱い思いに心から感動します(つд;*)
でも最後は目覚まして泣いたよー@ヒデェ!ルーツを辿りたい、と必死で日本語を勉強したお孫さんの気持ち、ひいおばあさんに似ていると言われて嬉しそうだった顔、初めから許嫁に、と引き取られた日本人をそのまま受け入れた旦那さん、親に棄てられたと思い続けてきた病床の彼女・・・孤独だったらしいお母さんの晩年と比べると、現在のご家族に囲まれて、つまり台湾に残って彼女はどれほど幸せに逝けるのだろう。残留孤児のドキュメンタリーも何種類か見て、幸福な例は数少ないことはわかっておりますが、置いてきてしまった娘を、戦後除籍という形でも、再婚にあたってデメリットになるかもしれないことを覚悟の上で戸籍に載せたお母さんの気持ちを思うと(´;ω;`)ブワッ 娘の写真を持っていかないで、と言っているようなお墓の前での台湾式占いの場面もジーンと来ましたね。確かに一見馬鹿馬鹿しく見えるようなことなのかもしれないけど、親戚の方とお孫さんが「必ずまた来ますから」と言ったらOKが出た。あのアニメーション何だよ? 台湾人の理想化した日本像であったとしても、振り返った着物姿の女性が子供をギューッと抱き上げるところで涙ボロボロ・゜・(つД`)・゜・ もしかしたら一部の台湾の方の日本への思いを象徴している絵面なのかな、って。
でも、同時にちゃんと負の面があったことも日本人側が認識していて。それが何より安心させられた。郵便局長さんのお孫さんの言っていた、植民地だけは絶対に持ってはいけない、私と全く同じ意見。どんなに生活の豊かさや秩序をもたらしてもヨソ様の土地を支配する権利はない。文化を変えてはいけない。あと、毎年台湾を訪ねている冨永さんの家に『夜と霧』があったこと。戦後、己が台湾で生まれ育ったこと自体が、そこを故郷として懐かしく慕うこと自体が罪なのだろうか、と彼自身も長く深く葛藤してきたんだと思う。政情だけではなく、生活のためだけでもなく、それこそが彼に旧友を訪ねる日を遅らせてきた理由なのでは? 台湾の人々にも様々葛藤があったと思います。突然島に現れ、恩恵も厳しさももたらした日本人。自分たちより良い待遇を受け、でも屈託なく溶け込もうとしたり、嘲ったり素直だったり。現地名、日本名、漢名。散々引っ掻き回された彼らの本音がどこにあるのかは、私たちには図りかねるものがある。
でも私、最後に出てきたバレリーナ(笑)おばあさんの言葉に、共感と反発と両方抱いちゃった。五木寛之の小説を読んで「異邦人」だと思った、自分一人だけではないと思えた、と。私大っ嫌いな国語教師に「あなたの書く文章は五木寛之に通じる」と言われたことと、その頃には既に自分が皮かぶりの虫けらだという意識が潜在的にあったことがふと過りまして(―_―;) 小さい頃から「お父さん何人?」を繰り返され、父方の親族の墓は場所すら知らず、クリスマスはいつも大荒れで初詣や盆のお馬や習慣は知らない、どの宗教にもイデオロギーにも同意できないからアイデンティティとか価値観や倫理観の規範をどこに見出だせば良いのかわからない。五木寛之は弟の一番好きな作家で、妹は宗教学のゼミを最終的に専攻しました。放り出された「自由」の中で苦しむ気持ちを30代のお孫さんはおばあさんに向けて訴えられたんじゃなかろうか。「選択肢がありすぎるから、それがなかった時代が羨ましい」バブル世代が言ったならおっしゃる通りの意味だろう。カチンと来ても良いと思う。でも失われた○十年しか知らない、就職氷河期の私たち世代は? 確かに飢えることはないかもしれない、でも、休めることは? 選択肢が全部貧乏くじしかない中で、決断の責任だけを負わされ続ける苦しい生のゲームがずうっと続くんですよ。どれも拒絶して道から外れたらネットで拡散し叩かれ続けるか、いつの間にかコミュニティからデリートされてる(^^;「戦争だったから仕方ない」で済まされる世代を羨ましがる発言に、確かに戦争反対の思いには賛同するがお孫さんが伝えたのはそういう意味じゃない、と反論したくなってしまった。同じ給料もらっててもニーサだ投資信託だ相続税にプラセンタ注入云々とやってられる世代とわけが違いますからね。1日も休まずに十○万円の給料から追納して家に入れて体調管理のための病院・薬代と薬局に費やすお金、分割払いのPC代、残ったお金は何とか仕事続けるための心の健康維持(笑)の趣味に使って貯まるわけねぇだろ! 中村光の新作読みながら涙出てくるわ気持ちがわかりすぎて(。>д<)
マジで年金暮らしどうのと喚いてる年寄りに家計簿見せてやりたいよ、そりゃ大学中退して引きこもってた自分が悪いことはわかってる。でも、厚年と追納保険料こんなに払ってんだぜ・・・サッサと死ぬ気満々の死にたがりがだよ? 月々の医療費? こっちだっていくらかけてると思って(以下略)間の無駄に再会云々引っ張るシーンとか長すぎなければ秀作でした。うちらはもっと色々たくさん考えて、学ぶ必要があると強く感じた。
追記
あと私がこの作品に興味持ったのは、自分の片割れというか言葉では言い表せないくらいキモい依存をしてしまっている存在が一歳から隣に住んでた幼なじみだから。引っ越しても学校バラバラでも、関係性はずっと変わらない。彼女といきなり引き離され、国が変わって連絡も取れなくなったら私の人(もどき)生全く違うものになってしまっていたと思う。だから、彼らの切なさと植民地政策の罪深さがわかる。ついでに故郷が一瞬で変わってしまう姿というのは震災のおかげで(以下略)別れも変化も突然訪れる。時間の経過が違うだけで、変わらないものは世の中にはなくて。だからこそ人は過去を求め、懐かしがり恋しがり、それでも現実は現実として認めて、受け入れざるを得ないことを解っている。人間て・・・人間様って!。・゜゜(ノД`)ウワアァァン
でも、同時にちゃんと負の面があったことも日本人側が認識していて。それが何より安心させられた。郵便局長さんのお孫さんの言っていた、植民地だけは絶対に持ってはいけない、私と全く同じ意見。どんなに生活の豊かさや秩序をもたらしてもヨソ様の土地を支配する権利はない。文化を変えてはいけない。あと、毎年台湾を訪ねている冨永さんの家に『夜と霧』があったこと。戦後、己が台湾で生まれ育ったこと自体が、そこを故郷として懐かしく慕うこと自体が罪なのだろうか、と彼自身も長く深く葛藤してきたんだと思う。政情だけではなく、生活のためだけでもなく、それこそが彼に旧友を訪ねる日を遅らせてきた理由なのでは? 台湾の人々にも様々葛藤があったと思います。突然島に現れ、恩恵も厳しさももたらした日本人。自分たちより良い待遇を受け、でも屈託なく溶け込もうとしたり、嘲ったり素直だったり。現地名、日本名、漢名。散々引っ掻き回された彼らの本音がどこにあるのかは、私たちには図りかねるものがある。
でも私、最後に出てきたバレリーナ(笑)おばあさんの言葉に、共感と反発と両方抱いちゃった。五木寛之の小説を読んで「異邦人」だと思った、自分一人だけではないと思えた、と。私大っ嫌いな国語教師に「あなたの書く文章は五木寛之に通じる」と言われたことと、その頃には既に自分が皮かぶりの虫けらだという意識が潜在的にあったことがふと過りまして(―_―;) 小さい頃から「お父さん何人?」を繰り返され、父方の親族の墓は場所すら知らず、クリスマスはいつも大荒れで初詣や盆のお馬や習慣は知らない、どの宗教にもイデオロギーにも同意できないからアイデンティティとか価値観や倫理観の規範をどこに見出だせば良いのかわからない。五木寛之は弟の一番好きな作家で、妹は宗教学のゼミを最終的に専攻しました。放り出された「自由」の中で苦しむ気持ちを30代のお孫さんはおばあさんに向けて訴えられたんじゃなかろうか。「選択肢がありすぎるから、それがなかった時代が羨ましい」バブル世代が言ったならおっしゃる通りの意味だろう。カチンと来ても良いと思う。でも失われた○十年しか知らない、就職氷河期の私たち世代は? 確かに飢えることはないかもしれない、でも、休めることは? 選択肢が全部貧乏くじしかない中で、決断の責任だけを負わされ続ける苦しい生のゲームがずうっと続くんですよ。どれも拒絶して道から外れたらネットで拡散し叩かれ続けるか、いつの間にかコミュニティからデリートされてる(^^;「戦争だったから仕方ない」で済まされる世代を羨ましがる発言に、確かに戦争反対の思いには賛同するがお孫さんが伝えたのはそういう意味じゃない、と反論したくなってしまった。同じ給料もらっててもニーサだ投資信託だ相続税にプラセンタ注入云々とやってられる世代とわけが違いますからね。1日も休まずに十○万円の給料から追納して家に入れて体調管理のための病院・薬代と薬局に費やすお金、分割払いのPC代、残ったお金は何とか仕事続けるための心の健康維持(笑)の趣味に使って貯まるわけねぇだろ! 中村光の新作読みながら涙出てくるわ気持ちがわかりすぎて(。>д<)
マジで年金暮らしどうのと喚いてる年寄りに家計簿見せてやりたいよ、そりゃ大学中退して引きこもってた自分が悪いことはわかってる。でも、厚年と追納保険料こんなに払ってんだぜ・・・サッサと死ぬ気満々の死にたがりがだよ? 月々の医療費? こっちだっていくらかけてると思って(以下略)間の無駄に再会云々引っ張るシーンとか長すぎなければ秀作でした。うちらはもっと色々たくさん考えて、学ぶ必要があると強く感じた。
追記
あと私がこの作品に興味持ったのは、自分の片割れというか言葉では言い表せないくらいキモい依存をしてしまっている存在が一歳から隣に住んでた幼なじみだから。引っ越しても学校バラバラでも、関係性はずっと変わらない。彼女といきなり引き離され、国が変わって連絡も取れなくなったら私の人(もどき)生全く違うものになってしまっていたと思う。だから、彼らの切なさと植民地政策の罪深さがわかる。ついでに故郷が一瞬で変わってしまう姿というのは震災のおかげで(以下略)別れも変化も突然訪れる。時間の経過が違うだけで、変わらないものは世の中にはなくて。だからこそ人は過去を求め、懐かしがり恋しがり、それでも現実は現実として認めて、受け入れざるを得ないことを解っている。人間て・・・人間様って!。・゜゜(ノД`)ウワアァァン
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