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ごめん途中で寝た( ´△`)
でも最後は目覚まして泣いたよー@ヒデェ!ルーツを辿りたい、と必死で日本語を勉強したお孫さんの気持ち、ひいおばあさんに似ていると言われて嬉しそうだった顔、初めから許嫁に、と引き取られた日本人をそのまま受け入れた旦那さん、親に棄てられたと思い続けてきた病床の彼女・・・孤独だったらしいお母さんの晩年と比べると、現在のご家族に囲まれて、つまり台湾に残って彼女はどれほど幸せに逝けるのだろう。残留孤児のドキュメンタリーも何種類か見て、幸福な例は数少ないことはわかっておりますが、置いてきてしまった娘を、戦後除籍という形でも、再婚にあたってデメリットになるかもしれないことを覚悟の上で戸籍に載せたお母さんの気持ちを思うと(´;ω;`)ブワッ 娘の写真を持っていかないで、と言っているようなお墓の前での台湾式占いの場面もジーンと来ましたね。確かに一見馬鹿馬鹿しく見えるようなことなのかもしれないけど、親戚の方とお孫さんが「必ずまた来ますから」と言ったらOKが出た。あのアニメーション何だよ? 台湾人の理想化した日本像であったとしても、振り返った着物姿の女性が子供をギューッと抱き上げるところで涙ボロボロ・゜・(つД`)・゜・ もしかしたら一部の台湾の方の日本への思いを象徴している絵面なのかな、って。
でも、同時にちゃんと負の面があったことも日本人側が認識していて。それが何より安心させられた。郵便局長さんのお孫さんの言っていた、植民地だけは絶対に持ってはいけない、私と全く同じ意見。どんなに生活の豊かさや秩序をもたらしてもヨソ様の土地を支配する権利はない。文化を変えてはいけない。あと、毎年台湾を訪ねている冨永さんの家に『夜と霧』があったこと。戦後、己が台湾で生まれ育ったこと自体が、そこを故郷として懐かしく慕うこと自体が罪なのだろうか、と彼自身も長く深く葛藤してきたんだと思う。政情だけではなく、生活のためだけでもなく、それこそが彼に旧友を訪ねる日を遅らせてきた理由なのでは? 台湾の人々にも様々葛藤があったと思います。突然島に現れ、恩恵も厳しさももたらした日本人。自分たちより良い待遇を受け、でも屈託なく溶け込もうとしたり、嘲ったり素直だったり。現地名、日本名、漢名。散々引っ掻き回された彼らの本音がどこにあるのかは、私たちには図りかねるものがある。
でも私、最後に出てきたバレリーナ(笑)おばあさんの言葉に、共感と反発と両方抱いちゃった。五木寛之の小説を読んで「異邦人」だと思った、自分一人だけではないと思えた、と。私大っ嫌いな国語教師に「あなたの書く文章は五木寛之に通じる」と言われたことと、その頃には既に自分が皮かぶりの虫けらだという意識が潜在的にあったことがふと過りまして(―_―;) 小さい頃から「お父さん何人?」を繰り返され、父方の親族の墓は場所すら知らず、クリスマスはいつも大荒れで初詣や盆のお馬や習慣は知らない、どの宗教にもイデオロギーにも同意できないからアイデンティティとか価値観や倫理観の規範をどこに見出だせば良いのかわからない。五木寛之は弟の一番好きな作家で、妹は宗教学のゼミを最終的に専攻しました。放り出された「自由」の中で苦しむ気持ちを30代のお孫さんはおばあさんに向けて訴えられたんじゃなかろうか。「選択肢がありすぎるから、それがなかった時代が羨ましい」バブル世代が言ったならおっしゃる通りの意味だろう。カチンと来ても良いと思う。でも失われた○十年しか知らない、就職氷河期の私たち世代は? 確かに飢えることはないかもしれない、でも、休めることは? 選択肢が全部貧乏くじしかない中で、決断の責任だけを負わされ続ける苦しい生のゲームがずうっと続くんですよ。どれも拒絶して道から外れたらネットで拡散し叩かれ続けるか、いつの間にかコミュニティからデリートされてる(^^;「戦争だったから仕方ない」で済まされる世代を羨ましがる発言に、確かに戦争反対の思いには賛同するがお孫さんが伝えたのはそういう意味じゃない、と反論したくなってしまった。同じ給料もらっててもニーサだ投資信託だ相続税にプラセンタ注入云々とやってられる世代とわけが違いますからね。1日も休まずに十○万円の給料から追納して家に入れて体調管理のための病院・薬代と薬局に費やすお金、分割払いのPC代、残ったお金は何とか仕事続けるための心の健康維持(笑)の趣味に使って貯まるわけねぇだろ! 中村光の新作読みながら涙出てくるわ気持ちがわかりすぎて(。>д<)
マジで年金暮らしどうのと喚いてる年寄りに家計簿見せてやりたいよ、そりゃ大学中退して引きこもってた自分が悪いことはわかってる。でも、厚年と追納保険料こんなに払ってんだぜ・・・サッサと死ぬ気満々の死にたがりがだよ? 月々の医療費? こっちだっていくらかけてると思って(以下略)間の無駄に再会云々引っ張るシーンとか長すぎなければ秀作でした。うちらはもっと色々たくさん考えて、学ぶ必要があると強く感じた。
追記
あと私がこの作品に興味持ったのは、自分の片割れというか言葉では言い表せないくらいキモい依存をしてしまっている存在が一歳から隣に住んでた幼なじみだから。引っ越しても学校バラバラでも、関係性はずっと変わらない。彼女といきなり引き離され、国が変わって連絡も取れなくなったら私の人(もどき)生全く違うものになってしまっていたと思う。だから、彼らの切なさと植民地政策の罪深さがわかる。ついでに故郷が一瞬で変わってしまう姿というのは震災のおかげで(以下略)別れも変化も突然訪れる。時間の経過が違うだけで、変わらないものは世の中にはなくて。だからこそ人は過去を求め、懐かしがり恋しがり、それでも現実は現実として認めて、受け入れざるを得ないことを解っている。人間て・・・人間様って!。・゜゜(ノД`)ウワアァァン
でも、同時にちゃんと負の面があったことも日本人側が認識していて。それが何より安心させられた。郵便局長さんのお孫さんの言っていた、植民地だけは絶対に持ってはいけない、私と全く同じ意見。どんなに生活の豊かさや秩序をもたらしてもヨソ様の土地を支配する権利はない。文化を変えてはいけない。あと、毎年台湾を訪ねている冨永さんの家に『夜と霧』があったこと。戦後、己が台湾で生まれ育ったこと自体が、そこを故郷として懐かしく慕うこと自体が罪なのだろうか、と彼自身も長く深く葛藤してきたんだと思う。政情だけではなく、生活のためだけでもなく、それこそが彼に旧友を訪ねる日を遅らせてきた理由なのでは? 台湾の人々にも様々葛藤があったと思います。突然島に現れ、恩恵も厳しさももたらした日本人。自分たちより良い待遇を受け、でも屈託なく溶け込もうとしたり、嘲ったり素直だったり。現地名、日本名、漢名。散々引っ掻き回された彼らの本音がどこにあるのかは、私たちには図りかねるものがある。
でも私、最後に出てきたバレリーナ(笑)おばあさんの言葉に、共感と反発と両方抱いちゃった。五木寛之の小説を読んで「異邦人」だと思った、自分一人だけではないと思えた、と。私大っ嫌いな国語教師に「あなたの書く文章は五木寛之に通じる」と言われたことと、その頃には既に自分が皮かぶりの虫けらだという意識が潜在的にあったことがふと過りまして(―_―;) 小さい頃から「お父さん何人?」を繰り返され、父方の親族の墓は場所すら知らず、クリスマスはいつも大荒れで初詣や盆のお馬や習慣は知らない、どの宗教にもイデオロギーにも同意できないからアイデンティティとか価値観や倫理観の規範をどこに見出だせば良いのかわからない。五木寛之は弟の一番好きな作家で、妹は宗教学のゼミを最終的に専攻しました。放り出された「自由」の中で苦しむ気持ちを30代のお孫さんはおばあさんに向けて訴えられたんじゃなかろうか。「選択肢がありすぎるから、それがなかった時代が羨ましい」バブル世代が言ったならおっしゃる通りの意味だろう。カチンと来ても良いと思う。でも失われた○十年しか知らない、就職氷河期の私たち世代は? 確かに飢えることはないかもしれない、でも、休めることは? 選択肢が全部貧乏くじしかない中で、決断の責任だけを負わされ続ける苦しい生のゲームがずうっと続くんですよ。どれも拒絶して道から外れたらネットで拡散し叩かれ続けるか、いつの間にかコミュニティからデリートされてる(^^;「戦争だったから仕方ない」で済まされる世代を羨ましがる発言に、確かに戦争反対の思いには賛同するがお孫さんが伝えたのはそういう意味じゃない、と反論したくなってしまった。同じ給料もらっててもニーサだ投資信託だ相続税にプラセンタ注入云々とやってられる世代とわけが違いますからね。1日も休まずに十○万円の給料から追納して家に入れて体調管理のための病院・薬代と薬局に費やすお金、分割払いのPC代、残ったお金は何とか仕事続けるための心の健康維持(笑)の趣味に使って貯まるわけねぇだろ! 中村光の新作読みながら涙出てくるわ気持ちがわかりすぎて(。>д<)
マジで年金暮らしどうのと喚いてる年寄りに家計簿見せてやりたいよ、そりゃ大学中退して引きこもってた自分が悪いことはわかってる。でも、厚年と追納保険料こんなに払ってんだぜ・・・サッサと死ぬ気満々の死にたがりがだよ? 月々の医療費? こっちだっていくらかけてると思って(以下略)間の無駄に再会云々引っ張るシーンとか長すぎなければ秀作でした。うちらはもっと色々たくさん考えて、学ぶ必要があると強く感じた。
追記
あと私がこの作品に興味持ったのは、自分の片割れというか言葉では言い表せないくらいキモい依存をしてしまっている存在が一歳から隣に住んでた幼なじみだから。引っ越しても学校バラバラでも、関係性はずっと変わらない。彼女といきなり引き離され、国が変わって連絡も取れなくなったら私の人(もどき)生全く違うものになってしまっていたと思う。だから、彼らの切なさと植民地政策の罪深さがわかる。ついでに故郷が一瞬で変わってしまう姿というのは震災のおかげで(以下略)別れも変化も突然訪れる。時間の経過が違うだけで、変わらないものは世の中にはなくて。だからこそ人は過去を求め、懐かしがり恋しがり、それでも現実は現実として認めて、受け入れざるを得ないことを解っている。人間て・・・人間様って!。・゜゜(ノД`)ウワアァァン
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でも、同時にちゃんと負の面があったことも日本人側が認識していて。それが何より安心させられた。郵便局長さんのお孫さんの言っていた、植民地だけは絶対に持ってはいけない、私と全く同じ意見。どんなに生活の豊かさや秩序をもたらしてもヨソ様の土地を支配する権利はない。文化を変えてはいけない。あと、毎年台湾を訪ねている冨永さんの家に『夜と霧』があったこと。戦後、己が台湾で生まれ育ったこと自体が、そこを故郷として懐かしく慕うこと自体が罪なのだろうか、と彼自身も長く深く葛藤してきたんだと思う。政情だけではなく、生活のためだけでもなく、それこそが彼に旧友を訪ねる日を遅らせてきた理由なのでは? 台湾の人々にも様々葛藤があったと思います。突然島に現れ、恩恵も厳しさももたらした日本人。自分たちより良い待遇を受け、でも屈託なく溶け込もうとしたり、嘲ったり素直だったり。現地名、日本名、漢名。散々引っ掻き回された彼らの本音がどこにあるのかは、私たちには図りかねるものがある。
でも私、最後に出てきたバレリーナ(笑)おばあさんの言葉に、共感と反発と両方抱いちゃった。五木寛之の小説を読んで「異邦人」だと思った、自分一人だけではないと思えた、と。私大っ嫌いな国語教師に「あなたの書く文章は五木寛之に通じる」と言われたことと、その頃には既に自分が皮かぶりの虫けらだという意識が潜在的にあったことがふと過りまして(―_―;) 小さい頃から「お父さん何人?」を繰り返され、父方の親族の墓は場所すら知らず、クリスマスはいつも大荒れで初詣や盆のお馬や習慣は知らない、どの宗教にもイデオロギーにも同意できないからアイデンティティとか価値観や倫理観の規範をどこに見出だせば良いのかわからない。五木寛之は弟の一番好きな作家で、妹は宗教学のゼミを最終的に専攻しました。放り出された「自由」の中で苦しむ気持ちを30代のお孫さんはおばあさんに向けて訴えられたんじゃなかろうか。「選択肢がありすぎるから、それがなかった時代が羨ましい」バブル世代が言ったならおっしゃる通りの意味だろう。カチンと来ても良いと思う。でも失われた○十年しか知らない、就職氷河期の私たち世代は? 確かに飢えることはないかもしれない、でも、休めることは? 選択肢が全部貧乏くじしかない中で、決断の責任だけを負わされ続ける苦しい生のゲームがずうっと続くんですよ。どれも拒絶して道から外れたらネットで拡散し叩かれ続けるか、いつの間にかコミュニティからデリートされてる(^^;「戦争だったから仕方ない」で済まされる世代を羨ましがる発言に、確かに戦争反対の思いには賛同するがお孫さんが伝えたのはそういう意味じゃない、と反論したくなってしまった。同じ給料もらっててもニーサだ投資信託だ相続税にプラセンタ注入云々とやってられる世代とわけが違いますからね。1日も休まずに十○万円の給料から追納して家に入れて体調管理のための病院・薬代と薬局に費やすお金、分割払いのPC代、残ったお金は何とか仕事続けるための心の健康維持(笑)の趣味に使って貯まるわけねぇだろ! 中村光の新作読みながら涙出てくるわ気持ちがわかりすぎて(。>д<)
マジで年金暮らしどうのと喚いてる年寄りに家計簿見せてやりたいよ、そりゃ大学中退して引きこもってた自分が悪いことはわかってる。でも、厚年と追納保険料こんなに払ってんだぜ・・・サッサと死ぬ気満々の死にたがりがだよ? 月々の医療費? こっちだっていくらかけてると思って(以下略)間の無駄に再会云々引っ張るシーンとか長すぎなければ秀作でした。うちらはもっと色々たくさん考えて、学ぶ必要があると強く感じた。
追記
あと私がこの作品に興味持ったのは、自分の片割れというか言葉では言い表せないくらいキモい依存をしてしまっている存在が一歳から隣に住んでた幼なじみだから。引っ越しても学校バラバラでも、関係性はずっと変わらない。彼女といきなり引き離され、国が変わって連絡も取れなくなったら私の人(もどき)生全く違うものになってしまっていたと思う。だから、彼らの切なさと植民地政策の罪深さがわかる。ついでに故郷が一瞬で変わってしまう姿というのは震災のおかげで(以下略)別れも変化も突然訪れる。時間の経過が違うだけで、変わらないものは世の中にはなくて。だからこそ人は過去を求め、懐かしがり恋しがり、それでも現実は現実として認めて、受け入れざるを得ないことを解っている。人間て・・・人間様って!。・゜゜(ノД`)ウワアァァン
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