×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ある意味プロパガンダ映画というか・・・考えすぎてしまって純粋に観られない作品。昨今の情勢と自分が歳取ったせいもあるんだろうけど(´・ω・`)反省。某コラムで読んだ「“こうであるはずだ(こうであってほしい)”というフクシマの物語」と同じように、この話は「WWⅡの物語」ということになるんだろうなー、と思ってしまった。だって貧しい子どもとか震災のくだり、上から憐れんでる人間の視点だもん。主人公=エリート、嫁=お嬢様、ほか(天下の)三菱+軍人以外モブキャラで当時の大多数の庶民が何を考えていたかリアルに描けるのか、っていう。
あと何より実在の人物に捧げる、ってなってる作品を自らの思想を表現する場にしてはいけないと思う。死んで何百年も経っててもういいだけフィクション出尽くしてるからどうアレンジしても良いよ☆っていうキャラクターじゃなくて、直接知ってる人が生きててもおかしくない状況なんだから。せめて利益追求しない個人的作品として出せばアリだったかもだけど、制作・プロモーションの規模を考えると微妙な気持ち。少なくとも夏休みにジブリ見よう、って楽しみに映画館来た子供が楽しめる映画ではなかった。火垂るの墓はまだ節子っていう子どもの目線があったけど、癒し場面が夫婦のイチャイ(ryだけで自分が親なら見せたいと思わない。乗り物好きの男の子なら飛行機楽しめるかもしれないけど。
仕事面の成功がもたらした結果との対比なのか、恋愛面の設定・演出がとにかくやり過ぎでくどい。結婚の場面とか美しかったし、泣いたけどね。あとカプローニ伯爵の夢の場面がぶつぎり感あってわかりにくい。外人さんってくくりだと現実の方にカストルプさんが出てくるし、子どもは混乱してしまうんじゃ? 最後はセリフ・絵面ともに綺麗で感動的だったけど、駆け足過ぎてちょっと気持ちがついていかなかった。何でそんな色々唐突なの・・・(ーー;)
当時の人が本当に感じて思っていたことは、今を生きる人間には絶対にわからない。今正しい・悪いと考えられている概念自体がなかったかもしれない、変わってきただろうから。でも今の人間は今の見方でしか見られなくて、決して透明な現実を捉えることはできないんだよなー、と。まぁフィルターなしで向き合ってた人はアングルが固定されてしまうから俯瞰することはできなかっただろうけど。フィルター越しの俯瞰と、どっちが公平でどっちが真に迫れるものなんだろう、と歴史好き的にいつも考えてしまいます。
※震災絡み
↓
正直言って災害の描写があからさまじゃなければそこまでネガティヴにはならなかったと思う。マジで まだ 早い。他のに対する感情も含めて、それだけのこと、っていう単純で根深い側面があるなぁ、と。渦中の当事者は物語を作れない。ある程度離れたところから眺めないと絵は描けないから。この件に関しては彼らは当事者じゃないんだな、と感じてしまったことがちょっとショックだった。まだ全然遠ざかってない。綺麗にまとめた話なんか作れるか。震災“ネタ”はまだやらないでほしい。
追記を閉じる▲
愛には色んなかたちがある。田淵由美子さんの漫画で「愛っていつもきれいなハートの形とは限らないのよ」みたいなセリフがあったのを思い出しました。昔の自分は「何で好きなのにそんなことすんだよ」って突っ込んでたけど、それは私の物差しで測った見方であって、人それぞれ使う物差しは違うんだよね、と改めて。どれほど愛したかはどれほど相手の物差しを受け入れられるか、ってことなのかなー、としみじみ思いました。
お国と源さんが初め可哀想で感情移入しちゃってたけど、結局はあの二人の最期がある意味一番幸せだったんじゃないか。見初めてもらった旦那を裏切って殺してのうのうと伴蔵までたぶらかしながら情夫をかくまってる、酷い女っていう描かれ方だったのかもしれないけど、見方を変えればヘタに美人に生まれついちゃったせいで金持ち親父に弄ばれて、好きになった男はヘタレで、でもそうするしか生きていく術が無い、すっごく哀しくて愛しい女性に見えた。そんな彼女にすがる、彼女を失うことを何より一番恐れている源さんも良い。お国という一人の女にとって人生で初めて自分の思いのままになるものだったんじゃないかな、という共依存萌え!
お嬢さんと新三郎様はしょーもない事の元凶カップルだけど、ヤンデレの原点(・・・いやよく考えたら平安の時点で既にあったか/(^O^)\)だな、と感心しました。新三郎様なんだかんだ最後嬉しそうだったし。お嬢様の後を追うくらい彼女を愛していて、死んでなおその恋を遂げさせようと頑張る乳母の思いに胸打たれました。
そして伴蔵とお峰。初めから不倫でヒール気取りにしかなれないお国と源さんカップルとは違って、貧乏でしょーもないけど和やかに暮らしてた二人の“幽霊事件”後の有り様の対比が何とも言えず切なかったですねー。もう最後泣きそうになった。あそこでやったった!って感じで逃げるパターンかな、とも思ったのですが、お峰を抱きしめて慟哭する供蔵の姿が、「あー、やっぱり人間だなぁ」と。時々手段と目的が入れ替わってしまう、自分の立ち位置がわからなくなる、愚かさと脆さ、不完全ゆえの人間らしさというか。醜くて矛盾だらけでどうしようもないけれど、だからこそ愛しいという気持ちがこみ上げてきます。前半のコミカルさから一転して、陳腐にならなかったのは役者さんの力が大きいせいもあるのかな。
どんな綺麗事言っても世の中はゼロサムゲームにしかならないんだよね。もっと欲しいって思ったら奪るしかないもん。どっかで何かを犠牲にしてるんだ、って自覚した上で生きないとな、と改めて思いました。
追記を閉じる▲
初めは正直陳腐な腐女子マンガかよ…(-_-;)と期待はずれな印象を受けたんですが、一巻ラストのエピソードに感動した。そして終わりよければ全て良しになる、というかここまで言わせたかったからそれまでの不条理と厨二の諸々が出てきたのねー、と。生きて生きてがむしゃらに生き抜いて死んでいった人は惨めなんかじゃなくて立派な人、そういうものを描きたいと言うフィンセントの率直さが救いになる。過去の思い出を必死に抱きしめながら生きたって良いし、手に入らない?のにずっと執着し続ける生き方だって悪いとは限らない。社会的に正しいとか間違っている、というのは世の中が決めることかもしれないけど、それぞれの人生の良し悪しは個人が判じるものだと思うから。
35才の高校生(最終回だけ見た)の中で、価値観なんてみんなバラバラで当たり前だけど、だからこそそういう人たちが同じ場所に集まって一つのクラスを作り上げることに意味がある、みたいなセリフがあってちょっと胸打たれました。最近は価値観が合わないやつとは付き合わなきゃ良い、って流れになってるけど、やっぱり違う人の話も聞いてみたいよなー、と。その上で相手と実際やってけるかどうかは微妙なところだけど(笑)「いやいやいやいや・・・理解できん」で終わるんじゃなくて、とりあえず聞いときたい。何で?ってことが沢山あるのに聞けない雰囲気だと困る。
追記を閉じる▲
やっぱ尊厳ていうより日本語の「我慢」だと思う。英語直訳で不自然な感じするし、不条理への抵抗の思いを込めました!とかそこまで壮大な理想を掲げてた訳じゃなくて、難しいけどシンプルに“生きていく上で必要なもの”だったんじゃないかと見えました。そこに(人間として)がつくから尊厳になるんだろうけど、作者は一人一人がハッキリした芸術家だったわけではなくて、あまり良い例えではないかもしれないけど、この辺りの仮設の奥様方が今あちこちで被災地支援として販売する小物を作っている状況に近いんじゃないかな、と。企画する側にちゃんと目的があることは知ってるけど、実際にやっている人はとにかく虚しかったり考え込んだりする時間を減らしたいから、一人で居たくないから集まって手を動かす。狭い場所、荒れた場所、進む先の見えない場所でただ生かされているだけで、心と頭持って生まれてきた人間がじっとしてられるはずがないんですよ。だから仕方なくというか必然的にああいうことに熱心になって、その結果として生まれたものがArtと呼ばれたらどんな気持ちなんだろう・・・。もちろん素晴らしくて、素晴らしいだけに切ない。凝ってれば凝ってるほど時間とか素材集めとかにぶっこんだやるせなさ、本当はそれを注ぎ込みたかったものへの執念を感じて苦しくなるんだよなぁ。そりゃ黒歴史だわ子孫に語りたくないわ。でもその子孫の方々がアメリカという国を憎んでいないというのがポジティヴだな、と思いました。
あとやっぱり、(人として)生きる前に(生物として)生きられる環境があった上での話だ、ということも。国家としての成り立ちや掲げていた主義・考え方の違いに加えて資源や環境の問題も現実としてあっただろうけど、それは言い訳にはならないよな、と。酷いと思うのは彼らがアメリカ人として生まれ、生きてきて得たもの全てをある日突然失ったこと。侵攻した植民地の宗主国民とは前提が違う。最近の諸々も含め移民の国なのに、だからこそ?常にルーツに左右される国なんだなぁ、と不思議に感じました。
追記を閉じる▲
上海で生まれ育ったイギリス人(の金持ち)の少年が日本(軍・飛行機)に憧れを持ってて、色んな目にあっても最後まで幻滅しない(大人に比べて「あいつらはクソだ」とかのハッキリした言葉として表されない)のが、凄いというか上手いというか切ないですよね。たぶんアメリカ人なら事情は変わってきたのでしょうが・・・というか蘭仏とかも含めてどんな状況下でも植民地から撤退させない(女子供も含め普通に住まわせてる)宗主国すげぇわ。そんなに自分の力(優位性?)に自信があるのか・・・いや住人いないと支配できないからっていう理屈はわかるけど、一触即発の情勢で本国から遠い場所、って(^ω^;)収容所は日本人から見ると「あー日本自体飢えてたからね」って考えてしまうけど、落下傘食料のゴージャスさ見るとやっぱり相当酷かったんだろうなぁ、と。飢えも病気も、日本や軍人を憎むのが当たり前の状況だと思うのに、主人公はどこか庇う(というかそう思いたい)みたいな調子で、かといってもちろん祖国やアメリカへの親しみや憧れも確かに育まれていて。収容所移った時に飛行場を見て目を輝かせるシーン、アメリカの爆撃機襲来で興奮して声を張り上げるシーンが、凄くニュートラルでまっさらな彼の人間性を表す演出で良いと思いました。憎しみとかやるせなさとかを絶対彼のセリフとして出てくることは無くて、あくまで表情とか、リアクションとか周りの人を見る動きとかで表してるのが。最後ご両親と再会できて良かったねー。
尊厳の芸術展も観に行こうかと思ってます。意見はどうあれ、起こったことはなかったことにできないのが現実だから、まず知らないとどうにもならないしそれが一番大事なことかな、と思います。
追記を閉じる▲