忍者ブログ
ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



寓話っぽくしたくて固有名詞使わない方向で書いたら何ともモヤモヤした感じに…(--;) あと登場人物の人数が限られちゃうので、やっぱり難しいですね。

拍手[0回]

PR

シュトヘルは巻数進んでもガッカリしない貴重なマンガ(笑) どの巻も素晴らしいセリフがあって泣くんですけど、今回は7巻の「どんな王の元に生まれるかで幸・不幸が決まるなんて、それこそが無念じゃないか(※ニュアンス)」って言葉がズドンと来た。その後で“文字”があればそれを通じて人同士が理解し合い、扶け合う仕組みを作ることができるかもしれない、つまり「すぐれた王」がいなくても、人は自身を救えるんだ、と続くんですよ・゜・(つД`)・゜・ビエェ
ちょっと銀英でラインハルトに対峙するヤンの思想を思い出しちゃいました。確かに良い指導者に巡り合うのは僥幸で、何もかもを誰かに任せてしまう方が楽だけど、やっぱりその指導者自身も人間だから。一人が全部正しいことも、全部間違っていることも中々無いと思うんですよね。でも、そういうことを乗り越える手段、手を貸して、知恵を出し合って、何とか先に進めるかもって可能性を残すための道具が人間にはまだ残されてるんだなー、と感動してしまった。一つ一つの言葉を、文字を大切にしていかなきゃ、と改めて思わせてくれる。文字を生んでくれた土地に感謝。これからも沢山の、色んな文字と出会いたいです。


追記を閉じる▲

いやー・・・いやいやいや

拍手[0回]


出だしはまぁ割と中立的(教科書的な意味で)だったんですけど、後半に行くにつれてかっ飛ばしてきたねアメリカ節! ほんとカナダ大好きやなー(笑) もう最後の飛行機とカーチェイスのシーンとかめっちゃ笑えた(ノ∀`)
でも、先年のアルジェリアの事件とかWW2のこと考えると笑えないというか複雑な気分になるのも事実。経済力、情報力、ソフトパワー。アメリカほどの圧倒的な規模があるからこそできる作戦であって、まかり間違っても(例え色々制限がなかったとしても)アジアの片隅にあるほぼ同じ見た目・言語の人たちで構成されてる国は行えない作戦だよなー、と。もし、彼らの持つものの一部でも得られればあの件はもっと違った着地点を見出せていたんだろうか、とか考えてしまった。
あとイランに関しては、凄く日本と近づけて見てしまう。彼らとは人種も宗教も違い、対立した国。政情や経済のことだけじゃなく根本的な相互不信が起こりやすい相手で、ガチンコの後日本は現在のようなかたちになったけど、イランはああなっていて、でもだからこそ言い分を聞いてもらえる、考えてもらえる面もあるのかなー、と。確かに今どっちかと言えば受け入れてもらいやすいのはこっちの方かもしれないけれど、絶対言い訳はできないじゃないですか、何か一言でも。でもあちら側は争いが継続していることで「何故なんだろう」と考える人たちが、固定観念では説明できないことを知ろうとする人たちが生まれ続ける。その結果として見えてくる景色もあるんじゃないかな、とかもグルグル(-_-)まぁもちろん恩恵は大きいし平和な国に生きられるのは幸せなことですが。
全体的にテンポ良く小気味良い緊張がずっと続いていて二時間の中に上手く納まっている感じ。あとイランの子かわいい!サスペンス、スリル、アクション、あと老後の一花爺'sとよく考えればハリウッドの定番大好き要素が盛り込まれた作品で、事件のこと知らなくても、いやむしろ知らない方が普通に楽しめるかもしれないです(^^;)


追記を閉じる▲

和食世界遺産おめでとう!差別とかじゃなくて、寿司とかの生ものは調理法間違うとえらいことになるからちゃんとチェックする制度作った方良いと思う。和食の良いところは(礼儀の方じゃなく)タブーが少ないところですよね。豆でも虫でも内臓でも、どうにかして美味しくいただけるようにしちゃうのは凄い。あと誰でもどこでも手軽に作れたり食べられるものが沢山あること。労働時間長くて家でじっくり作れなくても、そこだけは妥協したくないという執念を感じる。個人的に「手の込んだ家庭料理こそ至高」とか「高級レストランが一番」とかのランク付けが嫌なので、家とお店と出来合いを上手く組み合わせて選べる現状が好きです。これは食べちゃダメとか、ここのお店は○○だから利用しない、とかそういうことを抜きにおいしいから食べる、そしてそれを全力で楽しめる環境は幸せ。食べられること、生きていることに感謝できる、それが一番大切なことなんじゃないかと思います。

でもって、ついにヤン・シュヴァンクマイエル挿絵の『怪談』買っちゃいましたー!(>ω<)b

拍手[0回]

うっほい夢のコラボ過ぎる(^p^)ジュルリ 妖しは身近に潜むもの、人の内に住むもの、他者を初めからそんな風に見てしまうことこそがそれを生み出す原因なのかもしれない、とか想像の翼はためくイラストばっかりです。あと実は一番好きなのが蓬莱のくだりなんですよね。元ネタはもちろん中国で、「蓬莱」は東に浮かぶ神仙の島・理想郷。けれど昔実際に日本のことをそう呼んでいたりもした、とか考えると凄い胸熱じゃないですか(つД`)ウッウッ みんなもっと古代・中世史やれば良いのに!まぁその理屈で行くと日本にとっての蓬莱はアメ(ryいやきっとハワイに違いないゲフンゲフン 大気の件はリアルなものになっちゃってるのが悲しくはあるけど(当時のイギリスと今のお隣(((-_-;)))gkbr) 若い心が良いってされてるのは現代でも通じるとこがあるかな? あと「この人奥さんの事めちゃくちゃ好きだったんだろうなぁ」と伝わってくる部分が良い(笑)
この前行ったモース展と言い、この時代の日本と西洋との最初の交わりみたいなのに関わった人の目線って面白いというか羨ましいというか・・・ちょっと経験してみたいですね。それこそ軽く時空や異世界トリップみたいな感じだったんだろうなー、とか思ってしまう。


追記を閉じる▲

何と言って良いかわからないけど(日本人として)、ひたすら可哀想で、哀しいと思った。

拍手[0回]


まず、一番共感できるのは主人公の苛立ちとやるせなさ。いっそ全部話してほしい。身内だからこそ、一緒に育って暮らしてきた家族だからこそ余計に。同じ国・同じ“民族”の人だからこそ。父に、兄に、そして「祖国」とそこから来た監視役の人すべてに憤ってるんだな、というのをヒシヒシと感じた。何故日本に来たのか、何故憎むのか、何故それでも留まり続けているのか。何故行かせたのか、何故行ったのか、何故それでも戻る・戻らせるのか。日本で報じられる向こうのニュースを見る限り、もう夢を見ることは不可能なのに、それでもそこ(父:在日という立場・兄:北朝鮮という国)に留まり続ける人々がいる。北であれ南であれ、本国に生まれ育った人よりももっと複雑な感情を抱いて生きているのが彼らなんだな、と。たぶん今どっちかの土地に生まれた人は相手を憎んで育つかもしれないけど、たまたまその時こちらにいた人々はどっちでもない“朝鮮”が祖国なわけだから何とも言えないというか。ある意味一番中立の見方ができるかもしれないし、それはもしかして将来のプラスに働く力になり得るかもしれない。そういう人たちを抱える国としてもっとできることがあるのにな、とも思います。


追記を閉じる▲

こっちの方がウケるだろうなぁ。

拍手[0回]


思ったよりマッカーサーがチョイ役だった。てか小者? 権力闘争()って感じ。何を勘違いしてしまったんだろうといつも思う。日本の太鼓持ち芸がよっぽど(ryだったのかなぁ。主人公と二人して色んな意味でただのえこ贔屓としか・・・。あ、恋愛要素は必要だったと思います。主人公が悩む理由が無くなっちゃうもん。喪失の苦しみを知っているかどうかもデカい。テンプレハリウッドなご都合主義とアジアンイメージもあったけど、わかりにくさや控えめといった日本の雰囲気を彼女が上手く媒介してたんじゃないかな。彼女のおじさんの大将も含めて。こちらは『菊と刀』のテンプレってやつですなー(´-`)日本人だけどちょっとよくわからない(小声)白人さんによる「そう思いたい(それなら納得できる)」Japaneseの物語がこれなんだろうか?
しかしアメリカがここまでやったことに対して、何というか複雑な気持ち。もちろん誤解はあるし、日本人としてそれはちょっと、と感じるニュアンスもある。でも敵対していて、どうやっても交わらなかった相手の言い分をここまで自分たちが作る作品の中で取り入れたのか、という。もちろん日本市場狙いってことは大前提としてあるけれど、例えばアフガンの件について、アフガンの人が出演してこういう作品がハリウッドで作られる時がいつになるか、とか考えてしまった。それと、アメリカは戦後日本に対してずっと優位な立場にあり、その状態を日本人が受け入れてきたこと、割と好意的というか、(一部を除き)少なくとも積極的に否定するような動きが余り無かったことがやっぱり大きいんだろうなぁ。近所との関係ではこれが逆で、勝者と敗者が絡み合って、というか戦っていた相手の認識がぶっちゃけ互いに一致してない上それぞれ内部での分裂もあったからこんな状況になってしまったのかな、とやるせない気持ちにもなりますね。
Tennoに関しては正直ソクーロフ監督の『太陽』の方がクるものがある。アメリカは何だかんだイングランドが根底にあって、その王室にワーキャー言ってる部分があるからこういうかたちでしか捉えられなかったのかな、と。直接理解しているわけではないが、触れてはいけない敬うべきもの、みたいな。ロシアはツァーリを残酷なかたちで否定したけど、だからこそ人間としてのTennoを淡々と、リアルに描けたのかな、とか。最後のシーンは何かそっちを思い出して泣いてしまった。

・・・あと、本当の意味での警鐘や誘導ってこういう風にやるんじゃん?とも感じました(笑) 誰も傷つかずにすんなり入ってくるというか。まぁ日本人がこういうの作るわけにはいかないんだろうけど、多分某アニメよりはずっと上手な織り込み方だったと思う。



追記を閉じる▲