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秀作かもしれないが名作ではない。
ある意味プロパガンダ映画というか・・・考えすぎてしまって純粋に観られない作品。昨今の情勢と自分が歳取ったせいもあるんだろうけど(´・ω・`)反省。某コラムで読んだ「“こうであるはずだ(こうであってほしい)”というフクシマの物語」と同じように、この話は「WWⅡの物語」ということになるんだろうなー、と思ってしまった。だって貧しい子どもとか震災のくだり、上から憐れんでる人間の視点だもん。主人公=エリート、嫁=お嬢様、ほか(天下の)三菱+軍人以外モブキャラで当時の大多数の庶民が何を考えていたかリアルに描けるのか、っていう。
あと何より実在の人物に捧げる、ってなってる作品を自らの思想を表現する場にしてはいけないと思う。死んで何百年も経っててもういいだけフィクション出尽くしてるからどうアレンジしても良いよ☆っていうキャラクターじゃなくて、直接知ってる人が生きててもおかしくない状況なんだから。せめて利益追求しない個人的作品として出せばアリだったかもだけど、制作・プロモーションの規模を考えると微妙な気持ち。少なくとも夏休みにジブリ見よう、って楽しみに映画館来た子供が楽しめる映画ではなかった。火垂るの墓はまだ節子っていう子どもの目線があったけど、癒し場面が夫婦のイチャイ(ryだけで自分が親なら見せたいと思わない。乗り物好きの男の子なら飛行機楽しめるかもしれないけど。
仕事面の成功がもたらした結果との対比なのか、恋愛面の設定・演出がとにかくやり過ぎでくどい。結婚の場面とか美しかったし、泣いたけどね。あとカプローニ伯爵の夢の場面がぶつぎり感あってわかりにくい。外人さんってくくりだと現実の方にカストルプさんが出てくるし、子どもは混乱してしまうんじゃ? 最後はセリフ・絵面ともに綺麗で感動的だったけど、駆け足過ぎてちょっと気持ちがついていかなかった。何でそんな色々唐突なの・・・(ーー;)
当時の人が本当に感じて思っていたことは、今を生きる人間には絶対にわからない。今正しい・悪いと考えられている概念自体がなかったかもしれない、変わってきただろうから。でも今の人間は今の見方でしか見られなくて、決して透明な現実を捉えることはできないんだよなー、と。まぁフィルターなしで向き合ってた人はアングルが固定されてしまうから俯瞰することはできなかっただろうけど。フィルター越しの俯瞰と、どっちが公平でどっちが真に迫れるものなんだろう、と歴史好き的にいつも考えてしまいます。
※震災絡み
↓
正直言って災害の描写があからさまじゃなければそこまでネガティヴにはならなかったと思う。マジで まだ 早い。他のに対する感情も含めて、それだけのこと、っていう単純で根深い側面があるなぁ、と。渦中の当事者は物語を作れない。ある程度離れたところから眺めないと絵は描けないから。この件に関しては彼らは当事者じゃないんだな、と感じてしまったことがちょっとショックだった。まだ全然遠ざかってない。綺麗にまとめた話なんか作れるか。震災“ネタ”はまだやらないでほしい。
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ある意味プロパガンダ映画というか・・・考えすぎてしまって純粋に観られない作品。昨今の情勢と自分が歳取ったせいもあるんだろうけど(´・ω・`)反省。某コラムで読んだ「“こうであるはずだ(こうであってほしい)”というフクシマの物語」と同じように、この話は「WWⅡの物語」ということになるんだろうなー、と思ってしまった。だって貧しい子どもとか震災のくだり、上から憐れんでる人間の視点だもん。主人公=エリート、嫁=お嬢様、ほか(天下の)三菱+軍人以外モブキャラで当時の大多数の庶民が何を考えていたかリアルに描けるのか、っていう。
あと何より実在の人物に捧げる、ってなってる作品を自らの思想を表現する場にしてはいけないと思う。死んで何百年も経っててもういいだけフィクション出尽くしてるからどうアレンジしても良いよ☆っていうキャラクターじゃなくて、直接知ってる人が生きててもおかしくない状況なんだから。せめて利益追求しない個人的作品として出せばアリだったかもだけど、制作・プロモーションの規模を考えると微妙な気持ち。少なくとも夏休みにジブリ見よう、って楽しみに映画館来た子供が楽しめる映画ではなかった。火垂るの墓はまだ節子っていう子どもの目線があったけど、癒し場面が夫婦のイチャイ(ryだけで自分が親なら見せたいと思わない。乗り物好きの男の子なら飛行機楽しめるかもしれないけど。
仕事面の成功がもたらした結果との対比なのか、恋愛面の設定・演出がとにかくやり過ぎでくどい。結婚の場面とか美しかったし、泣いたけどね。あとカプローニ伯爵の夢の場面がぶつぎり感あってわかりにくい。外人さんってくくりだと現実の方にカストルプさんが出てくるし、子どもは混乱してしまうんじゃ? 最後はセリフ・絵面ともに綺麗で感動的だったけど、駆け足過ぎてちょっと気持ちがついていかなかった。何でそんな色々唐突なの・・・(ーー;)
当時の人が本当に感じて思っていたことは、今を生きる人間には絶対にわからない。今正しい・悪いと考えられている概念自体がなかったかもしれない、変わってきただろうから。でも今の人間は今の見方でしか見られなくて、決して透明な現実を捉えることはできないんだよなー、と。まぁフィルターなしで向き合ってた人はアングルが固定されてしまうから俯瞰することはできなかっただろうけど。フィルター越しの俯瞰と、どっちが公平でどっちが真に迫れるものなんだろう、と歴史好き的にいつも考えてしまいます。
※震災絡み
↓
正直言って災害の描写があからさまじゃなければそこまでネガティヴにはならなかったと思う。マジで まだ 早い。他のに対する感情も含めて、それだけのこと、っていう単純で根深い側面があるなぁ、と。渦中の当事者は物語を作れない。ある程度離れたところから眺めないと絵は描けないから。この件に関しては彼らは当事者じゃないんだな、と感じてしまったことがちょっとショックだった。まだ全然遠ざかってない。綺麗にまとめた話なんか作れるか。震災“ネタ”はまだやらないでほしい。
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