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こっちの方がウケるだろうなぁ。
思ったよりマッカーサーがチョイ役だった。てか小者? 権力闘争()って感じ。何を勘違いしてしまったんだろうといつも思う。日本の太鼓持ち芸がよっぽど(ryだったのかなぁ。主人公と二人して色んな意味でただのえこ贔屓としか・・・。あ、恋愛要素は必要だったと思います。主人公が悩む理由が無くなっちゃうもん。喪失の苦しみを知っているかどうかもデカい。テンプレハリウッドなご都合主義とアジアンイメージもあったけど、わかりにくさや控えめといった日本の雰囲気を彼女が上手く媒介してたんじゃないかな。彼女のおじさんの大将も含めて。こちらは『菊と刀』のテンプレってやつですなー(´-`)日本人だけどちょっとよくわからない(小声)白人さんによる「そう思いたい(それなら納得できる)」Japaneseの物語がこれなんだろうか?
しかしアメリカがここまでやったことに対して、何というか複雑な気持ち。もちろん誤解はあるし、日本人としてそれはちょっと、と感じるニュアンスもある。でも敵対していて、どうやっても交わらなかった相手の言い分をここまで自分たちが作る作品の中で取り入れたのか、という。もちろん日本市場狙いってことは大前提としてあるけれど、例えばアフガンの件について、アフガンの人が出演してこういう作品がハリウッドで作られる時がいつになるか、とか考えてしまった。それと、アメリカは戦後日本に対してずっと優位な立場にあり、その状態を日本人が受け入れてきたこと、割と好意的というか、(一部を除き)少なくとも積極的に否定するような動きが余り無かったことがやっぱり大きいんだろうなぁ。近所との関係ではこれが逆で、勝者と敗者が絡み合って、というか戦っていた相手の認識がぶっちゃけ互いに一致してない上それぞれ内部での分裂もあったからこんな状況になってしまったのかな、とやるせない気持ちにもなりますね。
Tennoに関しては正直ソクーロフ監督の『太陽』の方がクるものがある。アメリカは何だかんだイングランドが根底にあって、その王室にワーキャー言ってる部分があるからこういうかたちでしか捉えられなかったのかな、と。直接理解しているわけではないが、触れてはいけない敬うべきもの、みたいな。ロシアはツァーリを残酷なかたちで否定したけど、だからこそ人間としてのTennoを淡々と、リアルに描けたのかな、とか。最後のシーンは何かそっちを思い出して泣いてしまった。
・・・あと、本当の意味での警鐘や誘導ってこういう風にやるんじゃん?とも感じました(笑) 誰も傷つかずにすんなり入ってくるというか。まぁ日本人がこういうの作るわけにはいかないんだろうけど、多分某アニメよりはずっと上手な織り込み方だったと思う。
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思ったよりマッカーサーがチョイ役だった。てか小者? 権力闘争()って感じ。何を勘違いしてしまったんだろうといつも思う。日本の太鼓持ち芸がよっぽど(ryだったのかなぁ。主人公と二人して色んな意味でただのえこ贔屓としか・・・。あ、恋愛要素は必要だったと思います。主人公が悩む理由が無くなっちゃうもん。喪失の苦しみを知っているかどうかもデカい。テンプレハリウッドなご都合主義とアジアンイメージもあったけど、わかりにくさや控えめといった日本の雰囲気を彼女が上手く媒介してたんじゃないかな。彼女のおじさんの大将も含めて。こちらは『菊と刀』のテンプレってやつですなー(´-`)日本人だけどちょっとよくわからない(小声)白人さんによる「そう思いたい(それなら納得できる)」Japaneseの物語がこれなんだろうか?
しかしアメリカがここまでやったことに対して、何というか複雑な気持ち。もちろん誤解はあるし、日本人としてそれはちょっと、と感じるニュアンスもある。でも敵対していて、どうやっても交わらなかった相手の言い分をここまで自分たちが作る作品の中で取り入れたのか、という。もちろん日本市場狙いってことは大前提としてあるけれど、例えばアフガンの件について、アフガンの人が出演してこういう作品がハリウッドで作られる時がいつになるか、とか考えてしまった。それと、アメリカは戦後日本に対してずっと優位な立場にあり、その状態を日本人が受け入れてきたこと、割と好意的というか、(一部を除き)少なくとも積極的に否定するような動きが余り無かったことがやっぱり大きいんだろうなぁ。近所との関係ではこれが逆で、勝者と敗者が絡み合って、というか戦っていた相手の認識がぶっちゃけ互いに一致してない上それぞれ内部での分裂もあったからこんな状況になってしまったのかな、とやるせない気持ちにもなりますね。
Tennoに関しては正直ソクーロフ監督の『太陽』の方がクるものがある。アメリカは何だかんだイングランドが根底にあって、その王室にワーキャー言ってる部分があるからこういうかたちでしか捉えられなかったのかな、と。直接理解しているわけではないが、触れてはいけない敬うべきもの、みたいな。ロシアはツァーリを残酷なかたちで否定したけど、だからこそ人間としてのTennoを淡々と、リアルに描けたのかな、とか。最後のシーンは何かそっちを思い出して泣いてしまった。
・・・あと、本当の意味での警鐘や誘導ってこういう風にやるんじゃん?とも感じました(笑) 誰も傷つかずにすんなり入ってくるというか。まぁ日本人がこういうの作るわけにはいかないんだろうけど、多分某アニメよりはずっと上手な織り込み方だったと思う。
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