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全編通して胸が痛みっぱなしの、けれどやさしい映画。
昨今のニュースとか自分自身のアイデンティティとか色々考えさせられる。モノローグの量がちょうど良くて、ちゃんと主人公だけの視点だしある意味小説を読んでいるよう。今の映画は主人公じゃないはずの人の“声”が大きすぎたり説明が多すぎでうるさい、ゴチャゴチャしすぎてしまう傾向が強い気がするので。シンプルに役者さんの表情や行動、あるいは背景の移り変わり等で魅せる方が映画という媒体には向いているような・・・個人的な好み? 音楽も邪魔にならず入ってきて、止んで、のタイミングが切れた印象を与えずに効果的。本当に可哀想だし、根っからの悪役は出てこないし(ゲス要素はあるけど)大きなインパクトはなくひたすらじんわりと重い哀しみが滲み出てくる感じなんだけど根底に愛があって、未来に希望が見える気もして。押し付けない終わり方も良かった。見る人の納得できる答えをそれぞれが見いだせる切れ間。子どもの年齢設定がまたニクイですね。物心が付いて社会的な位置づけができてくる途中の絶妙な時期。まだ子ども自身による自分探しは始まっていないから、「周り」がどうするか、どう見られるかってことに100%振り回されて、そしてしっかりそれに傷ついてしまう。親子って難しい。
血の繋がりを気にするというのは属してるとこのテンプレではないなぁ、ってことに多少のわだかまりを覚える気持ちと似たようなものなのかな、と。見た目とか体質とか環境諸々、全部混ざって今の自分があるんだし、どうしようもないことに左右されるのは良くない、とわかっていても気にしてしまうもの。見て見ぬふりができないならその状態・感情と向き合って生きていくしかないですよね。自分の理想や意図に合わないからといって沁みついた愛着や繋がりは消えないから。
昨今のニュースとか自分自身のアイデンティティとか色々考えさせられる。モノローグの量がちょうど良くて、ちゃんと主人公だけの視点だしある意味小説を読んでいるよう。今の映画は主人公じゃないはずの人の“声”が大きすぎたり説明が多すぎでうるさい、ゴチャゴチャしすぎてしまう傾向が強い気がするので。シンプルに役者さんの表情や行動、あるいは背景の移り変わり等で魅せる方が映画という媒体には向いているような・・・個人的な好み? 音楽も邪魔にならず入ってきて、止んで、のタイミングが切れた印象を与えずに効果的。本当に可哀想だし、根っからの悪役は出てこないし(ゲス要素はあるけど)大きなインパクトはなくひたすらじんわりと重い哀しみが滲み出てくる感じなんだけど根底に愛があって、未来に希望が見える気もして。押し付けない終わり方も良かった。見る人の納得できる答えをそれぞれが見いだせる切れ間。子どもの年齢設定がまたニクイですね。物心が付いて社会的な位置づけができてくる途中の絶妙な時期。まだ子ども自身による自分探しは始まっていないから、「周り」がどうするか、どう見られるかってことに100%振り回されて、そしてしっかりそれに傷ついてしまう。親子って難しい。
血の繋がりを気にするというのは属してるとこのテンプレではないなぁ、ってことに多少のわだかまりを覚える気持ちと似たようなものなのかな、と。見た目とか体質とか環境諸々、全部混ざって今の自分があるんだし、どうしようもないことに左右されるのは良くない、とわかっていても気にしてしまうもの。見て見ぬふりができないならその状態・感情と向き合って生きていくしかないですよね。自分の理想や意図に合わないからといって沁みついた愛着や繋がりは消えないから。
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某国の振る舞いは惨たらしくて許されることではないけど、ユダ○叩ける口実見つけたヒャッホーイなノリを感じるのは気のせいだろうか。(うちの隣で起きていることには何のデモもない辺り)アジア人に対する鯨・犬・猫(・鮪・鰻……etc.)食ネタの扱いと似てるような。どっちも誇大妄想かな。それ差別ですよいけません取り締まります、をやり過ぎると別な手段でガス抜きの方法を探し出してよりえげつないことになる、という例を見ているようです。
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欲と欲のせめぎ合いこそが均衡をもたらす・・・今巻も深い問答が(´Д`;) そう、世の中ゼロサムだって現実を認めないと対処のしようがないですよね。きれいごと言ったって無いとこから生み出すのは不可能ですもん。でも何かそのどうしようもない生き物の性とか人の欲を肯定した上で、それを率直にぶつけ合うことこそが共存・共生の助けになる、というニュアンスに胸打たれた。そうであってほしいし、そうであれば、そうだという認識が広まればどれほど救いになることか。商売でそれができる、ってのは現状見るとアレですけど。あとシュトヘルの「彼は私の生命だ」ってところ(つД`) 人間同士のつながりはこういうシンプルな感情だけで良いんだよなー。小さなことで人は救われるし絶望できるし、出会いによって生き直せる、って言葉はここまでの流れ考えるとすごく重い。
明けましておめでとうございますm(__)m 何だか初心を忘れまくりで、昨年は右往左往な一年ですみませんでした。書くことから離れ過ぎたらダメですね(--;) 今年はもうちょっと楽しく妄想していきたいと思います。
インド映画に西洋人好きそうな要素を加えてアレンジするとこうなる、という感じ。海の生態系のとこシム・○メールさんかと(ノ∀`)「ベジタリアンなんですー!」ってのを人種差別的全否定なシェフと「仏教徒だけど肉汁はソースっすよ^^」な船員のとこでちょっとモヤッとはしたけれど、敬虔なヒンドゥー(+2)教徒からしたらこう映るんかな・・・。ビーガンさんも増えてる昨今、そちらが多数派になったらクジラどこじゃなくますます生きづらくなるんじゃないかな、と正直不安になったりもしますね。「えー、食べないの(なんで)?」の視線より「うわー、食べんの(野蛮!)?」の視線の方がキツイと思うからさ。ありえんやろ、とツッコみまくって観ていたが最後に納得の展開。なるほどインド人!まぁこの寓話も結局宗教(God)のお話って感じでちょっとアレなんだが(ひねくれた捉え方をすれば主人公だけが助かったのは正しい信仰を持ってたからですよ、みたいな)、綺麗に着地するにはこれしかなかったのかな、とも。ジブリとか手塚っぽい要素も感じますね。
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日本人の心にハイパージャストフィットな素晴らしいジブリが帰ってきた感じ。もう、お迎えが釈迦だったのとか凄いと思う。羽衣=悟りですよ、日本人(仏教徒)が憧れてやまない境地。それを否定してる姫が。・゜・(ノД`)・゜・。悟ったらその瞬間に人間じゃなくなっちゃうんだよねー。苦しみ、怒り、悲しみ全てが揃って初めて人間であり、その人間は自然の一部で、人間がいなければ物語は生まれない。更に良いところは、どの生き方も否定してないんですよ。誰もが、「人のために」「(価値観や性質的に)そうとしてしか生きられなかった」そういう描き方。批判はあっても非難ではない。だから、物凄く人間らしいありのままの姿がそのまま出ていた。悪は最初から悪なんじゃなくて、人の心の負の部分がちょっとずつ折り重なってできちゃうもの、とか。相手に対して良かれと思ってしたことでも、だからこそ相手にとっては苦痛となる、とか、もう人間の基本みたいなのが凝縮されてる感じ。やっぱこのお年だからこそたどり着けた世界なのかな。某監督にも晩節はこういうかたちで終わらせてほしかった。(トト○!)映像も音楽も美しいし効果的。どうして日本の古典と歴史が好きだったのか、曖昧さと矛盾に強烈な人間らしさ、親しみを覚えたことを思い出させてくれる。やっぱ古典には原点があるわ、ってのと自分は日本人なんだなぁ、と。これは別に外へのウケを狙わなくても良いし、今後日本の「アニメ」界にここから離れてほしくないと思う。
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反〇発派は何故当の被災地で支持が得られないのかよく考えてみてほしい。去年公開されたことが信じられないんだが。全然リアルじゃないし、偏り過ぎだし、現実に起きた悲惨な災害を利用した印象操作にも程がある。全ての避難民と彼らを受け入れた人々、今もこの地域に暮らす人たちへの侮辱以外の何だと言うのか。外の人間がこういうの大々的に言いふらすことで返って誤解や差別を生むとは考えないのか。
誰も現状に害がないとは思っていないし、原〇続けてほしいとは思ってない。ただ「彼ら」が余りに酷すぎるからとりあえず「彼ら」じゃない方と実質的な交渉してくしかないよね、ってならざるを得ないんだよ。相手を説得したいなら頭ごなしにギャーッて叫んでも聞いてもらえるわけないじゃん。まず心から相手の懐に入って歩み寄る努力をしてくれよ・・・理解しろとは言わないから、そしたら何が他人を傷つけるタブーなのか気づくはず。それに気づかないまま振りかざされる「声(個人的にはキレイ過ぎる卑怯な言い方という感じ。映画の場合はもっと酷いけど)」は凶器以外の何物でもないと思う。
ちなみに、うちの地元で揉めてるとこは「戻りたくない」と言ってる主な住人の意見 を「いや、戻りたいはずだ、戻らなければいけない!」って上の方が聞いてくれなくて泥沼という状態です。人それぞれ地区それぞれ当事者じゃないとわからないよねー。
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