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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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シャーロックにハメた友達が借りてきてくれた\(^o^)/


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アランにとってのクリストファーは、西村賢太にとっての大菩薩峠のような存在だったのかもしれない、と見終えた後に感じた。唯一の理解者になり得たかもしれなかったジェーンを拒絶したのは、彼女を守るためという理由ももちろんあったのだろうけど、一方で自分の中で「クリストファー」を超える存在を持つことを許せなかったんじゃないかな、と。彼にとっての唯一は永遠に「クリストファー」でなければならなかった。だから、孤独で、孤独で、どうしようもない葛藤と不安と悲しみの中でも彼は本当の意味で”一人”ではなかった。闘い続けられた。楽しいゲームが難問に変わっても、ようやく解いたパズルの答えが苦しみを生み出しても。彼の人生が、尽くしたことが何一つ報われなくても。(少なくとも間違いなく彼自身にとっての幸せな結末はもたらさなかった)現在のイギリスの変化を考えるとたった60年、一世代の時間なのになぁ、と何ともやるせない虚しさも覚えますね。ホルモン治療の苦しさは聞いたことがあるし、一神教において同性愛がどれだけタブー扱いなのかは・・・まぁ身内に信者いるしね、っと(-_-;
それでも私は彼らが密かに羨ましくもあるんだよね。そこまでハッキリした欲望や愛を他者に対して抱けることに。男女の結婚は社会的圧力とか跡継ぎ問題とか「しなきゃ」って場合もあり得るけど、あえて社会的タブーを踏み越えるというのは本当に純粋で強い感情がないとできないことだと思うから。そういう意思と自覚を持てる、行動に移せるのがすごいと感じるし、羨ましいし、正直ある意味で妬ましいです。(・・・同性愛者の方すみませんm(__)m)

追記:
『思い出のマーニー』もテレビで見ました。アリエッティ(正直ただの泥棒肯定話かよ、と感じた)よりはるかに良かった!けど設定日本にしたのはちょっと色々無理があるよね?サナトリウムに外国人とか、あの時代に娘さんハーフで施設とかそりゃイジメ受けまくりだろうよー、って何か暗い気持ちに(´Д`;) でも最後の面倒くさい思春期主人公の前向きな克服のシーンと感動的な湖畔の映像美、マーニーの人生の肯定みたいなものが心に残って良かったです。米林さん、ジブリにはちょっとオサレ過ぎたんや・・・いっそ欧州のスタジオに行ってはどうか。あ、でも日本の「アニメ」じゃないとあの繊細さは醸し出せないかなぁ。ん~ゴロー氏よりはよっぽど良いと思うんだけど、半端に和的なものにこだわるからなー最近のアニメ界(-_-;


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需要と供給がある限り。『昭和遊.女考』と『サン/ダカン八番/娼館』をぜひ隣とうちの両国の人間にもっと読んでもらいたい。※かなり感情的ですm(__)m

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証言を聞くのはもちろん大事だ。私は中学生の時に岩.波ジュニ/ア新書の『従.軍慰.安婦にされた少女たち』を読んで怒り狂ったし、怖かったし悲しかった。でもその後(左寄りの)大学で近代東アジア史をかじり、売春の歴史にも興味を抱いて上記2冊+映画化された『望/郷』に出会った。
半島は当事日.本だった。日/本は地方の庶民までが完璧に満たされた国ではなかった。そして無謀な拡張に挑んだ。侵略し、戦争し、負けた。そんな中、今考えられる限りでは最も悲惨な職業に従事しなければならない女性たちがいて・・・。
正直、東北の山村より半島の中心都市や工業地帯の方がお金も人も回されてたのが事実だと思う。今は向こうで「収奪」ということになっているらしい安いお米の本土流入で、娘を売らなきゃいけないくらい追い込まれた家がうちの地域でどれほど出たか。米以外には何にもないとこだもん。米農家がダメになる→林業・マタギが顧客を失う、絵に描いたような負の連鎖。進駐軍来てからのくだりだって、涙ナシでは読めない。いくら体格差あるからって、突き破られるなんてことそう何度もあり得るのか? それでもその仕事続けていかなきゃいけないとか、ついこないだまで戦ってた国の兵士相手に。
でも“慰.安婦”の証言と違って過度な表現はなくて、わざと拷問されたり「鉄の棒を~」だの「爪を剥がして~」だのの描写は一切無い。悲しいことや痛いこと、辛かっただろうことに関しても、淡々とああいうこともあった、ってただの思い出としての語り口で、誰に対しての恨みも見えない。自分を売った親も、体をボロボロにしたア○リカ兵も、彼女たちを日陰者として差別してきた世の中にも。本当はうちの国で先に目を向けられるべきだったのはこの人たちじゃなかったのか。
彼女たちの存在を無視してきたから、”慰/安婦“ネタでこんなに好き勝手やられちゃってるんじゃないの?もう彼女たちのほとんどは生きてないよ、いたとしても語りたがらないよこんな黒歴史。この点うちの国は最も大きな間違いを犯したと思うし、隣の国からジープだクリスマスだのの「証言」を平然としてるオバアサンたちには日.本の一地方人として一片の同情も感じ得ない。怒りを抱くだけ。良かったね、別の国(旧“植民地”の「被害者」)になれて。敗戦国にならなくて。全ての怒りを押しつける対象と金ヅルができたんだもんね、としか言いようがない。


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ジェンキンスさんの。蓮池さんのは2冊買ってたので違う視点のが読みたくて。かなり今更だけど。

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このタイミングだしね・・・閉じた独裁国家というのに興味をそそられるのも正直人の業だと思うし、日本はある意味彼らとの関係性において唯一特殊な存在を内包している国だと思うので。(差別とかでも何でもなく、北関連の話題に対する在日の方の反応は何とも微妙で複雑で多種多様だから切なくなる)
でも意外とこちらの本はジェンキンスさんの世代のせいか軍隊経験のせいか、割と純粋にサバイバル冒険ストーリーみたいに楽しめるところがあり・・・。今より外国との距離が遠かった時代の価値観や考え方の相違を垣間見られる部分もあったりするし。トム・ソーヤーとか大草原読んでる的な生活術なるほど!が散りばめられてて中々面白いです。
蓮池さんというか日本の戦後世代の方がやっぱり便利な生活に慣れすぎていたのか、そういう苦しい部分に主眼を置きたくなかったのか、ちょっと興味深い。(キムチ作りと薪集めの大変さは語られてたけど)
あとアメリカ人は結局どういうかたちでどこに行ってもアメリカンなんだなー、と(笑) 移民で成り立ってるのに、やっぱり凄い国だと思う(^^;
個人的にグッと来たのは夫婦の寝る前のエピソード。普段は朝鮮語で会話することしかできない二人が、二人きりの寝室で「おやすみ」と「Good Night」の挨拶を交わす。お互いへの思いやりとか、束の間の安らぎとか忘れられない故郷への恋しさとか、何か二人の全てが詰まったような約束だな、って胸が痛くなった。
あとは最初のお子さんのことと、その名前。正しく故郷に飛んでいってほしかったのかな、自分とお母さんのこと伝えてほしかったのかな、例え叶わない願いでも。とか考えたらもう・゜・(つД`)・゜・ もし魂というものが存在するとしたら、彼がご両親とご家族との再会を導いてくれたのかも、と思えば少しは救われるのかもしれない、と感じた。

蓮池さんの本でも思ったけど、向こうの市民の中では比較的良い扱いを受けているはずの彼らの生活がこうだとしたら・・・本当に、あのパレードにかかっているお金、指導者の体型を維持させている食糧は一体何のために、って改めてやるせないし虚しくなります。大国同士がプロレスばっかで実際解決する気なんかさらさら無さそうなのも。普段は「オイオイ」ってツッコんでしまう隣国のフラストレーション(と結果としての八つ当たり的なもの?)も理解できる気がしてしまう。



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どうやったら人間に近づけるのか

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自分チェンジリングかザムザ(変身後)なんじゃねーの、とずっと思ってたんだけど(笑)友人の存在ってでかいな、と苦役列車読みながら幼なじみとメールしててしみじみ感じた。本当に環境に恵まれたおかげだけど・・・人間様の世界に皮を被ってウッカリ紛れこんでしまってすみません、と思い続けてきた自分が何とかこの歳まで踏みとどまれてるのは、とどのつまりそのおかげなんじゃないの?(重っ)という気がしてきた。
だってザムザ一家は安堵したじゃん。家族を失った虚しさとか悲しみよりあの一家にとって毒虫の「処分」は確実に事態の好転に他ならなかったし、レッシングの破壊者ベンでも彼が去っていくことに母である主人公は疲れきると同時にホッとしていた。北町寛多の家族にとっても、彼の訪いは災厄であり去れば喪失と同時に安堵をもたらすものだったろうな、って。一番実害を被る立場の親族にとって、「バケモノ」がそういう扱いを受けるのは当然だと思う。
じゃあ純粋に、その感情や苦しみや喪失を推し量ったり同情したり悼んでくれる存在がいるとすれば、どういう付き合い方をしていたとしても身内には至らない、けれどそれ故に一度でもバケモノが「中身」をさらけ出したことのある他者なのかもな、と。少なくとも私の場合は、彼らを煩わせたり傷を負わせたくない、というのがギリギリで踏みとどまる動機の一つになっているから。
自分はそういう存在を持てて幸せなんだと心から思うし、それなのに何でいつまでも厨二病丸出しでフラフラしてんだ、って余計落ち込んだりもするけども・・・やっぱ西村作品胸に刺さるな。

ついでにハルキさんはもう無理なんじゃなかろうか。特に最近は書かずにいられないから書いてるというより、周囲の様子見て実験的に狙って書いてる感が強すぎて文学気取ったエンタメとしか。宮部・東野の方がよっぽど深くない?と思う時あるよ。初めから翻訳しやすさを心がけてる、ってのは聞いたけど、三島タイプの噛み締めるスルメ文章からほとばしるコレを表現したいんや、伝えられなかったら死ぬくらい辛い!みたいな感情が汲み取れなくて「この人何のために物書きなったの?(金と知識人の称号のため?)」とツッコんでしまう面も。割と淡々とした文体の狐狸庵先生も、行間から彼の葛藤や自己矛盾、苦しみが伝わってきて最後にそういう己を正当化(贖罪?)したくて書いてるんだな、つまり心の安定を保ったまま生きていくために、生きている限り書かずにはいられないんだな、ってのを痛いほど感じる。井上靖にしろ西村賢太(彼は孤独を癒やしたり表現する方法が他になかったから?)にしろ、そういうのが伝わってくる作家が個人的には好きです。一対一で相手のなりふりかまわない情熱(例えそれが薄暗い毒を孕んだものであったとしても)に圧倒されたいので、実は感想座談会とかもあんまり興味がなかったり・・・。(エンタメ系で趣味の合う友達と盛り上がるのは楽しいけど)
そういえば音楽もカオス過ぎてそうかもしれない。ヅカオタはピアソラ好きが宿命だけどそこに大輔さんまで加わっては・・・既に新シーズンなのに今更四季エンドレス。加えて丘を越えてひばりさんver.最近改めて神なんじゃないかと。特に明るい、朗らかな曲を歌っている時の彼女の声は本当に素晴らしいと思う。あともう一曲北米バンドのBe Somebodyって歌詞が・・・クリスチャンだからYouはGodのことで、Missionの歌なのかもしれないけど、誰もが「何者か」になりたくて、それを見出せるのは他者の瞳を通してだけ、って真理な気がしてグッと来る。この辺とロシア民謡と中国語のボカロと独仏ミュージカルが混ざりすぎてよく分からないことになってるわー\(^o^)/ 基本は英ロック畑住人だったのに、ヅカにハマり関ジャニにハマり最近はベビメタが熱い(だって好物混ぜすぎなんだもん何だあの可愛さと神バンド)という残念なお話・・・orz
本についてもこれくらい心を広く持つべきだろうか。一応本棚の面子に左右の偏りはないように心がけてはいるんだけどな(;・ω・)中道を探したい、いやただの好奇心で!


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アルゴと若干かぶる。

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久々の鬱物件だったわー。まぁ良かったけど、最近のこと過ぎて生々しい。でも正直自分の生まれ育った場所に外の連中が来て暴れ回られたらそりゃ反発するわ、どうせ殴られるなら武器手に取るわ、と敵の気持ちにも感情移入してしまった。確かに許されることじゃないけど、戦場はアメリカじゃないんだもん。宗教云々関係なしに生存圏を脅かされる恐怖と帰属意識の問題というか。
あとア○ブロークン叩きが話題になるだけ日本はマシな立場なのかな、と。あのレベルで騒ぎになるなら、コレはオープニングから明らかにイス○ム教ディスりまくりということになってしまう。イ○クやシリ○、アラブ人全般に対しても・・・。でもそれに対する反発とか、問題提起はほとんどニュースにならない。ナ○や共産圏ネタに関してもそうかな。ドイツ機の一件が非テロ扱いだったり、世の中まだまだダブスタというか区別というか、やっぱり「絶対に正しい」物差しは存在しないんだな、と。相手の物差しと自分の物差しは違うもので、二つのものを無理やり一つにすることはできないんだ、って改めて認めないと問題の解決も共存の模索も何も始まらないんじゃ・・・。
こんな映画(現実?)観たら誰も軍になんか入りたくないと思うだろうし、国全体として内向きにもなるよ。経済の方も新興国との対比ですっ叩かれてる真っ最中だし。(ピーク過ぎた王者より新星に目が行くのは当然のことだけど、100→90くらいの人と40→80くらいの人を比較して必要以上に前者貶しと後者上げし過ぎな感じもする)Gゼロ世界ホント怖い。「金持ちケンカせず」の金持ち不在とか、誰も譲らず互いに妬み合いってことだよ恐ろしい。マジで島ごと引っ越すか石ころ帽子かぶって鎖国できれば良いのになぁ、と取り留めもなく思ってしまった。

ちょっと感想とズレるけど主人公の思想?とかで考えたこと

人権の概念がパンドラの箱だと思う理由は彼我の境界線を曖昧にしたことに加えて、妥協と反省の余地を消してしまったように感じるからかも。民族や宗教対立なら「自分は○○人なので△△人を憎むのは当然だ」→逆に言えば「△△人の立場なら当然○○人と戦うだろう」という相手の理屈?をくみ取る余地も残ると思うんだ。でも人権はその帰属意識に基づく「当然~」を根底から否定するアイテムというか、「こっち側につかないとか人間じゃないから」とある意味脅しかけてくる物騒な道具なんだよな・・・。コレ使うと敵味方が絶対悪と絶対正義に色分けされてしまうから「敵」の言い分は全く考慮されず、譲歩が許されない状況になってしまう。争いの根本が結局は利益の取り分の問題だと割り切ることができなくなるのはちょっと危ういように見える。だからって虐げられてきた人たちにとっては人権という概念が希望の光的な存在であることは確かだし、色んな意味でパンドラの箱(とその中身)じゃないかと。


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