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どうやったら人間に近づけるのか
自分チェンジリングかザムザ(変身後)なんじゃねーの、とずっと思ってたんだけど(笑)友人の存在ってでかいな、と苦役列車読みながら幼なじみとメールしててしみじみ感じた。本当に環境に恵まれたおかげだけど・・・人間様の世界に皮を被ってウッカリ紛れこんでしまってすみません、と思い続けてきた自分が何とかこの歳まで踏みとどまれてるのは、とどのつまりそのおかげなんじゃないの?(重っ)という気がしてきた。
だってザムザ一家は安堵したじゃん。家族を失った虚しさとか悲しみよりあの一家にとって毒虫の「処分」は確実に事態の好転に他ならなかったし、レッシングの破壊者ベンでも彼が去っていくことに母である主人公は疲れきると同時にホッとしていた。北町寛多の家族にとっても、彼の訪いは災厄であり去れば喪失と同時に安堵をもたらすものだったろうな、って。一番実害を被る立場の親族にとって、「バケモノ」がそういう扱いを受けるのは当然だと思う。
じゃあ純粋に、その感情や苦しみや喪失を推し量ったり同情したり悼んでくれる存在がいるとすれば、どういう付き合い方をしていたとしても身内には至らない、けれどそれ故に一度でもバケモノが「中身」をさらけ出したことのある他者なのかもな、と。少なくとも私の場合は、彼らを煩わせたり傷を負わせたくない、というのがギリギリで踏みとどまる動機の一つになっているから。
自分はそういう存在を持てて幸せなんだと心から思うし、それなのに何でいつまでも厨二病丸出しでフラフラしてんだ、って余計落ち込んだりもするけども・・・やっぱ西村作品胸に刺さるな。
ついでにハルキさんはもう無理なんじゃなかろうか。特に最近は書かずにいられないから書いてるというより、周囲の様子見て実験的に狙って書いてる感が強すぎて文学気取ったエンタメとしか。宮部・東野の方がよっぽど深くない?と思う時あるよ。初めから翻訳しやすさを心がけてる、ってのは聞いたけど、三島タイプの噛み締めるスルメ文章からほとばしるコレを表現したいんや、伝えられなかったら死ぬくらい辛い!みたいな感情が汲み取れなくて「この人何のために物書きなったの?(金と知識人の称号のため?)」とツッコんでしまう面も。割と淡々とした文体の狐狸庵先生も、行間から彼の葛藤や自己矛盾、苦しみが伝わってきて最後にそういう己を正当化(贖罪?)したくて書いてるんだな、つまり心の安定を保ったまま生きていくために、生きている限り書かずにはいられないんだな、ってのを痛いほど感じる。井上靖にしろ西村賢太(彼は孤独を癒やしたり表現する方法が他になかったから?)にしろ、そういうのが伝わってくる作家が個人的には好きです。一対一で相手のなりふりかまわない情熱(例えそれが薄暗い毒を孕んだものであったとしても)に圧倒されたいので、実は感想座談会とかもあんまり興味がなかったり・・・。(エンタメ系で趣味の合う友達と盛り上がるのは楽しいけど)
そういえば音楽もカオス過ぎてそうかもしれない。ヅカオタはピアソラ好きが宿命だけどそこに大輔さんまで加わっては・・・既に新シーズンなのに今更四季エンドレス。加えて丘を越えてひばりさんver.最近改めて神なんじゃないかと。特に明るい、朗らかな曲を歌っている時の彼女の声は本当に素晴らしいと思う。あともう一曲北米バンドのBe Somebodyって歌詞が・・・クリスチャンだからYouはGodのことで、Missionの歌なのかもしれないけど、誰もが「何者か」になりたくて、それを見出せるのは他者の瞳を通してだけ、って真理な気がしてグッと来る。この辺とロシア民謡と中国語のボカロと独仏ミュージカルが混ざりすぎてよく分からないことになってるわー\(^o^)/ 基本は英ロック畑住人だったのに、ヅカにハマり関ジャニにハマり最近はベビメタが熱い(だって好物混ぜすぎなんだもん何だあの可愛さと神バンド)という残念なお話・・・orz
本についてもこれくらい心を広く持つべきだろうか。一応本棚の面子に左右の偏りはないように心がけてはいるんだけどな(;・ω・)中道を探したい、いやただの好奇心で!
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自分チェンジリングかザムザ(変身後)なんじゃねーの、とずっと思ってたんだけど(笑)友人の存在ってでかいな、と苦役列車読みながら幼なじみとメールしててしみじみ感じた。本当に環境に恵まれたおかげだけど・・・人間様の世界に皮を被ってウッカリ紛れこんでしまってすみません、と思い続けてきた自分が何とかこの歳まで踏みとどまれてるのは、とどのつまりそのおかげなんじゃないの?(重っ)という気がしてきた。
だってザムザ一家は安堵したじゃん。家族を失った虚しさとか悲しみよりあの一家にとって毒虫の「処分」は確実に事態の好転に他ならなかったし、レッシングの破壊者ベンでも彼が去っていくことに母である主人公は疲れきると同時にホッとしていた。北町寛多の家族にとっても、彼の訪いは災厄であり去れば喪失と同時に安堵をもたらすものだったろうな、って。一番実害を被る立場の親族にとって、「バケモノ」がそういう扱いを受けるのは当然だと思う。
じゃあ純粋に、その感情や苦しみや喪失を推し量ったり同情したり悼んでくれる存在がいるとすれば、どういう付き合い方をしていたとしても身内には至らない、けれどそれ故に一度でもバケモノが「中身」をさらけ出したことのある他者なのかもな、と。少なくとも私の場合は、彼らを煩わせたり傷を負わせたくない、というのがギリギリで踏みとどまる動機の一つになっているから。
自分はそういう存在を持てて幸せなんだと心から思うし、それなのに何でいつまでも厨二病丸出しでフラフラしてんだ、って余計落ち込んだりもするけども・・・やっぱ西村作品胸に刺さるな。
ついでにハルキさんはもう無理なんじゃなかろうか。特に最近は書かずにいられないから書いてるというより、周囲の様子見て実験的に狙って書いてる感が強すぎて文学気取ったエンタメとしか。宮部・東野の方がよっぽど深くない?と思う時あるよ。初めから翻訳しやすさを心がけてる、ってのは聞いたけど、三島タイプの噛み締めるスルメ文章からほとばしるコレを表現したいんや、伝えられなかったら死ぬくらい辛い!みたいな感情が汲み取れなくて「この人何のために物書きなったの?(金と知識人の称号のため?)」とツッコんでしまう面も。割と淡々とした文体の狐狸庵先生も、行間から彼の葛藤や自己矛盾、苦しみが伝わってきて最後にそういう己を正当化(贖罪?)したくて書いてるんだな、つまり心の安定を保ったまま生きていくために、生きている限り書かずにはいられないんだな、ってのを痛いほど感じる。井上靖にしろ西村賢太(彼は孤独を癒やしたり表現する方法が他になかったから?)にしろ、そういうのが伝わってくる作家が個人的には好きです。一対一で相手のなりふりかまわない情熱(例えそれが薄暗い毒を孕んだものであったとしても)に圧倒されたいので、実は感想座談会とかもあんまり興味がなかったり・・・。(エンタメ系で趣味の合う友達と盛り上がるのは楽しいけど)
そういえば音楽もカオス過ぎてそうかもしれない。ヅカオタはピアソラ好きが宿命だけどそこに大輔さんまで加わっては・・・既に新シーズンなのに今更四季エンドレス。加えて丘を越えてひばりさんver.最近改めて神なんじゃないかと。特に明るい、朗らかな曲を歌っている時の彼女の声は本当に素晴らしいと思う。あともう一曲北米バンドのBe Somebodyって歌詞が・・・クリスチャンだからYouはGodのことで、Missionの歌なのかもしれないけど、誰もが「何者か」になりたくて、それを見出せるのは他者の瞳を通してだけ、って真理な気がしてグッと来る。この辺とロシア民謡と中国語のボカロと独仏ミュージカルが混ざりすぎてよく分からないことになってるわー\(^o^)/ 基本は英ロック畑住人だったのに、ヅカにハマり関ジャニにハマり最近はベビメタが熱い(だって好物混ぜすぎなんだもん何だあの可愛さと神バンド)という残念なお話・・・orz
本についてもこれくらい心を広く持つべきだろうか。一応本棚の面子に左右の偏りはないように心がけてはいるんだけどな(;・ω・)中道を探したい、いやただの好奇心で!
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