×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
マスクが顔の一部みたいになってから化粧への意識が低下し過ぎてストックなくなってるのにも気づかない(笑)
下地(薬局では売ってないクリーム)残り2日分くらいしかねぇ!→お急ぎ便
マスカラ→くっついてギトギトで1本捨てる→翌日もう1本もギトギト判明でゴミ箱→慌てて薬局に走る
コロナ怖ぇな・・・。
鬼滅と巨人読んで、リーマン・ショックと東日本大震災を経験した世代の作り手はこう転じたのか、と感じる部分があった。ずっと前にこのブログで、WW2経験者が一線を退いてからの日本のフィクションはみんな似たり寄ったりになってるから、同レベルの価値観ショックがないと新しい作品は生まれない、と書いた気がするんですが、自分がその当事者となり、その後の諸々を経て完全に創作の世界を離れざるを得なくなってしまったので。(文章が書けなくて退学+人間・生物の最も根本的な感情である恋愛・性的欲求を実体験できない身で物語を書くことは難しいと感じた。好きな作家さんはそっち方面で皆さん強烈なエピソードをお持ちだし、生々しい表現をちゃんと描けてるから)
多分、親が戦後生まれの世代って30代までに同世代や下の世代の身近な人の死って余り経験してないと思うんですよ。あったとしたらそれはかなり特殊なこととして、その1人の存在がいつまでも頭のどこかに刻まれてるみたいな。でもあの時は、一辺に押し寄せた。何ならまちごとなくなった。今もよくわからない。GoToで福島行った時、某牛の町通ったんです。もう牛なんかどこにもいないのにそこここに撤去されないままのブランド牛の看板があり、町の入口には家族の形をした線量計に「おかえりなさい!」と文言が・・・。神社の本殿は動物に荒らされるから、と閉じられてましたし。小さい頃遊びに行った場所がまるで廃墟。10年間、忘れようというか考えないようにあんま深く見てなかった現実をふとした瞬間揺り起こされる場面が何度も、何度もありました。オリンピックだってこのコロナ禍だって、あの時死んだ人とは共有できないんだよ。友達の結婚や出産も子供の成長も、同じ場所に行ったところで共通の話題は2011年までのものしかない。携帯だってガラケーでLINEなんてなかった。それが本当に別たれるってことで、だからあそこまでの世界とあそこからの世界は別の世界に来たんだ、みたいにボヤッと捉えて自衛してんだよな。でもちゃんと向き合うと、子供にいつ喪うかわからない、いつ失くしてもおかしくない現実を教えて向き合わせた方が絶対に強い人に育つから、誰も死なないし悪役にならず、ストーリーは完結しないまま永遠に夢を見続けられるファンタジーではなく、決して誰もがハッピーエンドではないトゥルーエンドをきちんと魅せてくる物語が出て来て琴線に響いているのかな、と。巨人や鬼滅を受け入れ、戦争までいかずともこの世の地獄を物心ついてから少なくとも2度は目の当たりにしたであろう親の世代に育てられる子供たちはどんな大人になるんだろう。期待が膨らむような、怖いような不思議な気持ちです。だから人間は面白い。
最終話の数ページのモノローグが、作者さんがジャンプとは思えない血みどろ話で1番少年世代に伝えたかったであろうことなんだろうか、と私は幼なじみ(相変わらず酷い精神的依存)を思い出してボロボロ泣いた。父がこの作品を読んでいたら、まだ生きていてくれただろうか。あの終わり方は避けられたのだろうか。いつ終わっても良い気持ちは変わらないけど、ずっと誰かに言ってほしかった言葉で、許されたかったのかもしれない。欠陥品だし存在が申し訳なさすぎて死のうと思ってた時、幼なじみが、「私にはあなたが必要だから生きて」と言ってくれた。それを思い出した、凄く。結婚式のスライドでも100歳まで友達だよ、とわざわざ個人的にばあちゃんなるまで生きろよ、と伝わるようなメッセージを流してくれた。彼女を裏切れない、と感じた。その後も色々あって、父が死んだのも家族ぶっ壊したのも私のせいだし、本当存在がつらくて苦しくて自分を消してしまいたくなる。でも、人って単純で誰か1人でも自分を縛る理由があるなら歯食いしばって生きなきゃというか死ねないという気持ちになれるんだな、と。いやその後出会い、関わった人たちに恵まれた面も大きいけど。人生最初の親友が彼女で本当に良かったと思ってます。父も、学生時代の人たち、あちこちからわざわざ来てくれたのに。党や女に入れ込んだり借金かさむごとに自分から縁切りやがって見栄っ張り。彼の弱さと優しさを分かってあげられなかった、いや父というフィルターを外して向き合わなかったことを悔やんでいる。父も母も妹も弟も、みんな可哀想だった。その点だけは、きっかけの1つも自分だったし自分が1番気づいて力になれたかもしれないの、申し訳なさすぎて本当に死にたくなる。手術も地震も父のことも、自分が先に死んでれば良かったとは常に考えてる。でも人間て生きなきゃいけないんだなぁ。つらいなぁ。くるしいなぁ。と、色々考えさせられます。
下地(薬局では売ってないクリーム)残り2日分くらいしかねぇ!→お急ぎ便
マスカラ→くっついてギトギトで1本捨てる→翌日もう1本もギトギト判明でゴミ箱→慌てて薬局に走る
コロナ怖ぇな・・・。
鬼滅と巨人読んで、リーマン・ショックと東日本大震災を経験した世代の作り手はこう転じたのか、と感じる部分があった。ずっと前にこのブログで、WW2経験者が一線を退いてからの日本のフィクションはみんな似たり寄ったりになってるから、同レベルの価値観ショックがないと新しい作品は生まれない、と書いた気がするんですが、自分がその当事者となり、その後の諸々を経て完全に創作の世界を離れざるを得なくなってしまったので。(文章が書けなくて退学+人間・生物の最も根本的な感情である恋愛・性的欲求を実体験できない身で物語を書くことは難しいと感じた。好きな作家さんはそっち方面で皆さん強烈なエピソードをお持ちだし、生々しい表現をちゃんと描けてるから)
多分、親が戦後生まれの世代って30代までに同世代や下の世代の身近な人の死って余り経験してないと思うんですよ。あったとしたらそれはかなり特殊なこととして、その1人の存在がいつまでも頭のどこかに刻まれてるみたいな。でもあの時は、一辺に押し寄せた。何ならまちごとなくなった。今もよくわからない。GoToで福島行った時、某牛の町通ったんです。もう牛なんかどこにもいないのにそこここに撤去されないままのブランド牛の看板があり、町の入口には家族の形をした線量計に「おかえりなさい!」と文言が・・・。神社の本殿は動物に荒らされるから、と閉じられてましたし。小さい頃遊びに行った場所がまるで廃墟。10年間、忘れようというか考えないようにあんま深く見てなかった現実をふとした瞬間揺り起こされる場面が何度も、何度もありました。オリンピックだってこのコロナ禍だって、あの時死んだ人とは共有できないんだよ。友達の結婚や出産も子供の成長も、同じ場所に行ったところで共通の話題は2011年までのものしかない。携帯だってガラケーでLINEなんてなかった。それが本当に別たれるってことで、だからあそこまでの世界とあそこからの世界は別の世界に来たんだ、みたいにボヤッと捉えて自衛してんだよな。でもちゃんと向き合うと、子供にいつ喪うかわからない、いつ失くしてもおかしくない現実を教えて向き合わせた方が絶対に強い人に育つから、誰も死なないし悪役にならず、ストーリーは完結しないまま永遠に夢を見続けられるファンタジーではなく、決して誰もがハッピーエンドではないトゥルーエンドをきちんと魅せてくる物語が出て来て琴線に響いているのかな、と。巨人や鬼滅を受け入れ、戦争までいかずともこの世の地獄を物心ついてから少なくとも2度は目の当たりにしたであろう親の世代に育てられる子供たちはどんな大人になるんだろう。期待が膨らむような、怖いような不思議な気持ちです。だから人間は面白い。
最終話の数ページのモノローグが、作者さんがジャンプとは思えない血みどろ話で1番少年世代に伝えたかったであろうことなんだろうか、と私は幼なじみ(相変わらず酷い精神的依存)を思い出してボロボロ泣いた。父がこの作品を読んでいたら、まだ生きていてくれただろうか。あの終わり方は避けられたのだろうか。いつ終わっても良い気持ちは変わらないけど、ずっと誰かに言ってほしかった言葉で、許されたかったのかもしれない。欠陥品だし存在が申し訳なさすぎて死のうと思ってた時、幼なじみが、「私にはあなたが必要だから生きて」と言ってくれた。それを思い出した、凄く。結婚式のスライドでも100歳まで友達だよ、とわざわざ個人的にばあちゃんなるまで生きろよ、と伝わるようなメッセージを流してくれた。彼女を裏切れない、と感じた。その後も色々あって、父が死んだのも家族ぶっ壊したのも私のせいだし、本当存在がつらくて苦しくて自分を消してしまいたくなる。でも、人って単純で誰か1人でも自分を縛る理由があるなら歯食いしばって生きなきゃというか死ねないという気持ちになれるんだな、と。いやその後出会い、関わった人たちに恵まれた面も大きいけど。人生最初の親友が彼女で本当に良かったと思ってます。父も、学生時代の人たち、あちこちからわざわざ来てくれたのに。党や女に入れ込んだり借金かさむごとに自分から縁切りやがって見栄っ張り。彼の弱さと優しさを分かってあげられなかった、いや父というフィルターを外して向き合わなかったことを悔やんでいる。父も母も妹も弟も、みんな可哀想だった。その点だけは、きっかけの1つも自分だったし自分が1番気づいて力になれたかもしれないの、申し訳なさすぎて本当に死にたくなる。手術も地震も父のことも、自分が先に死んでれば良かったとは常に考えてる。でも人間て生きなきゃいけないんだなぁ。つらいなぁ。くるしいなぁ。と、色々考えさせられます。
PR
ペストはもちろん名作だが、これと夜と霧も今読む&観るべき作品に追加したい。私ずっと疑問だったんですよね、何であそこまで馬鹿になれたのか? 戦時中のこの国の人たちの話ね。コロナでなるほど、と思いつつあったのが凄く重なる。「誰も正しいことなんかわかっちゃいない」今ノイエが放映中の銀英でルドルフが権力を握れたのはどうして?というヤンの疑問に「みんな楽をしたかったからさ」と答える父の言葉とも一致するかな。とにかく日々の暮らしが追い詰められて、犯人探しをしたいけどそんなもの見つけられない、だから身近に八つ当たりしやすいもの、あるいは「こいつなら非国民だからいくらいたぶっても良いんだよ」と提示された、許可をもらったと捉えられたものに向かうんですね。自粛警察しかり。大変勉強になります。日本のムラ社会・同調圧力が発端の憎しみや差別は西欧のファシズムとは全く違う。個人を洗脳していくのではなく、社会から疎外されたくない人の本能に流されるだけに性質が悪い。信じてるわけ無いと思いましたよね、現人神とか神風とか。自分可愛さに空気読んで従ってる方が楽だったからあんなことが起きた。1番共感できたの、「この世界の片隅に」のすずさんですもん。あるいは「火垂るの墓」の兄妹二人か? みんなそこまで真面目に国政なんて考えてない、その日生きることが精一杯。そして周りとの揉め事は起こしたくない。だからトラブルの元は排除する。それだけの気持ちがこの状況を生んだ。コロナ禍は少なくとも日本では割かしマシに収まるでしょうが、分断された人の心はどうにもならないからこれからどう転がるかな。世界もふくめて。ブラジルの日系人がほぼ日系とわからない見た目なのも頷けます。みんなに観てほしい映画、知ってほしい歴史。
私はやっぱり宗教も思想も何も信じないです。絶対に否定や疑いから入る。何かに傾倒しかけたら自分自身を疑う。嫌な奴になっても良い。全肯定の信者にはならない。何も正しいことはないんだから。自分が正しいとも言わない。おかしいならおかしいと言えば良いし、否定されて結構。いや存在自体が間違ってることはよくわかってるし。(見終わったら黒い画集でワロタ。松本清張「同性愛・TG=異端」ネタでエリートの葛藤結構書いてるよね) いくらでも間違ってると言えば良い。私は私の生活を守りたいしなるべく正常な社会であってほしい。その重なる部分を取りたい。こういう行動は許せないというのも、ここまでは情報開示してしかるべき、それはやりすぎ、頭おかしいと全て自分で判断する基準を持ちたいしそれは堂々と発言したい。対立しようが何も言わずにモヤモヤするより良いです。家族内宗教・思想対立の中で育ったのでOK.昨日も母に某テレビの何十年同じ人に片思いとかのネタで「恋愛して結婚して長い時間が経つとその感情は家族の情に変わっていく」とか話されて、「ごめんなさい、そもそも恋愛感情というものがわからないのでスタートから理解できません」とハッキリ断ったし。最低の親不孝娘ですね! んでもって我が家は反対意見にディベートするような家じゃないので。(その点は日本人ね) 言い逃げだけど別に良いんじゃん? 日本人ディベートすると引きずるから。話聞いてほしい啓蒙家の話はある程度聞くけど否定から入るから頑固なんでしょうね。信じられないもん。人間って何1つ正しくない。誰も彼も間違ってる。そういうところも含めて好きだけど。
とりあえず私は養子が認められる社会体制と収入とその子が育つまで絶対自殺しない心の強さが欲しい。手紙やりとりできる里親になれる金額出してても応募しないのは自信がないから。例え向こうが義務感で返事書いてても、突然手紙届かなかったり支援滞ったり里親変わったの何でか、って思ったりしないかと考えるとそんな無責任なことはできない。父親のようにだけは絶対なりたくない。でも今すぐ死にたい気持ちは消えないし精神科の薬も手放せないから用途指定なしの寄付しかできない。子供ほしい子供ほしい子供ほしい。自分の身体をズタズタに引き裂いてやりたいし、記憶と心を死なせてほしい。こんなものなければずっと楽に税金払ってお金出すだけの生きるとかいう作業楽にこなせるのに。存在するだけで凄く苦しい。どうしてこんななのに生きなきゃいけないんだろ。コロナかかったら袋叩きだし。世の中も人間も好きだけど怖い。命を繋ぐための唯一の楽しみもなくなって、引きこもりの時と何ら変わらない精神状態で追い詰められた接客業は無理があるね、わたし欠陥品だもん。にげたい。あ、ちなみに同性愛者に関しては、遊園地の誰にも見えないところ(車道からは見える)でそっと手を繋ぐ姿に神々しさすら覚えたクチです。末永くお幸せに。そして羨ましい。稼ぎ手×2だから養子取れるもんね←ひねくれててごめん。
私はやっぱり宗教も思想も何も信じないです。絶対に否定や疑いから入る。何かに傾倒しかけたら自分自身を疑う。嫌な奴になっても良い。全肯定の信者にはならない。何も正しいことはないんだから。自分が正しいとも言わない。おかしいならおかしいと言えば良いし、否定されて結構。いや存在自体が間違ってることはよくわかってるし。(見終わったら黒い画集でワロタ。松本清張「同性愛・TG=異端」ネタでエリートの葛藤結構書いてるよね) いくらでも間違ってると言えば良い。私は私の生活を守りたいしなるべく正常な社会であってほしい。その重なる部分を取りたい。こういう行動は許せないというのも、ここまでは情報開示してしかるべき、それはやりすぎ、頭おかしいと全て自分で判断する基準を持ちたいしそれは堂々と発言したい。対立しようが何も言わずにモヤモヤするより良いです。家族内宗教・思想対立の中で育ったのでOK.昨日も母に某テレビの何十年同じ人に片思いとかのネタで「恋愛して結婚して長い時間が経つとその感情は家族の情に変わっていく」とか話されて、「ごめんなさい、そもそも恋愛感情というものがわからないのでスタートから理解できません」とハッキリ断ったし。最低の親不孝娘ですね! んでもって我が家は反対意見にディベートするような家じゃないので。(その点は日本人ね) 言い逃げだけど別に良いんじゃん? 日本人ディベートすると引きずるから。話聞いてほしい啓蒙家の話はある程度聞くけど否定から入るから頑固なんでしょうね。信じられないもん。人間って何1つ正しくない。誰も彼も間違ってる。そういうところも含めて好きだけど。
とりあえず私は養子が認められる社会体制と収入とその子が育つまで絶対自殺しない心の強さが欲しい。手紙やりとりできる里親になれる金額出してても応募しないのは自信がないから。例え向こうが義務感で返事書いてても、突然手紙届かなかったり支援滞ったり里親変わったの何でか、って思ったりしないかと考えるとそんな無責任なことはできない。父親のようにだけは絶対なりたくない。でも今すぐ死にたい気持ちは消えないし精神科の薬も手放せないから用途指定なしの寄付しかできない。子供ほしい子供ほしい子供ほしい。自分の身体をズタズタに引き裂いてやりたいし、記憶と心を死なせてほしい。こんなものなければずっと楽に税金払ってお金出すだけの生きるとかいう作業楽にこなせるのに。存在するだけで凄く苦しい。どうしてこんななのに生きなきゃいけないんだろ。コロナかかったら袋叩きだし。世の中も人間も好きだけど怖い。命を繋ぐための唯一の楽しみもなくなって、引きこもりの時と何ら変わらない精神状態で追い詰められた接客業は無理があるね、わたし欠陥品だもん。にげたい。あ、ちなみに同性愛者に関しては、遊園地の誰にも見えないところ(車道からは見える)でそっと手を繋ぐ姿に神々しさすら覚えたクチです。末永くお幸せに。そして羨ましい。稼ぎ手×2だから養子取れるもんね←ひねくれててごめん。
同行の友人「カンディンスキーまでは理解できるけど、それ以降の現代アートはちょっとね・・・」←カンディンスキー好きなの知ってて気遣ってくれた(笑) まぁそれは同意だわ。芸術を風刺や批判の道具にしたいならもうちょっと解説不要なくらいシンプルに、あるいはマンガレベルに降りてきてほしい。ありのままに心をさらけ出した抽象画こそシュルレアリスムの真髄ではないか。文字や曲線や模様を混ぜ合わせてタイトルだけ意味深にしてどうすんだよ。クレーやカンディンスキーは彼らの時代や背景も含めて訴えかけてくるものがあるよ。でも戦後に物心ついて西ヨーロッパで育った世代が薄っぺらな紙一枚にちまちま描いて社会風刺・高尚な芸術です、ってちゃんちゃらおかしい。カフカや安部公房を読んだことあるか? あの闇と苦しみの中から生まれた暗澹たる滑稽さ、カラッとした絶望の深み。もしくはクレーのあの鮮やかな色彩から滲み出る哀しみ。今、評価されているアートとは・・・?ってなった。あ、奈良美智は好きだよ。心のまま描いてる感じするから。一応あの女の子たちに含めた反骨精神?含め、うんうん(*-ω-)ってなる。
しかし印象派=モネという日本人の図式は相変わらず(以下略) 他の画家のポスカ全然売ってないやんけ! モネ・ミュシャ・ゴッホ・ピカソ次点でルノアール・ロートレック・レンブラント(最近)にしか興味ないんか皆。シャガール好きの母への土産探しに苦労しました(-_-;) 自分の好きな作家はほぼ全滅で諦めたよ! あとInspirationは霊感じゃなくて「着想」または「影響」と訳すべきと思う。何回も解説文の「霊感」に吹きかけた(笑) やっぱり自然を描いた絵か、心象風景ありのままの抽象画が好きですね。静物や写実的な人物画は好きじゃない。自然に対して抱く気持ち、土地への愛着は時代や国が変わっても同じなんだな、っていうのと、この人の目には世界がこう見えていたのか、って絶対にわからない視点を形に残してもらえて覗けることが嬉しい。自分に見えているものは自分にしか見えず、他者の視点というのは絶対に共有できないものですから。だから本読むのも好き。知らない人の家にお邪魔して冒険させてもらうようなもんだと思ってる。やっぱり人が好きなんですね、生き物として。憧れてもいるし。一所懸命苦しみながら生きて、誰かに自分の思いを伝えたいけどできなくて、だからどんなに恥ずかしくて辛い作業でも作品としてはきだすしかなかった。そうして生まれてきた芸術を、作り手を何て勇気のある、一方で可哀想な人たちなんだろうと尊敬します。それだけ繊細で傷つきやすく、不器用で一般的なコミュニケーション能力に欠けたところのあった人たちなんだと思うから。戦前までは他の生き方を選べたなら、その方が楽だったと特に展示されていた画家たちの背景を見ると感じる。でもこの道しか歩めなかったんだな、って。凡人であることは幸せなことだと、最近つくづく考えます。
しかし印象派=モネという日本人の図式は相変わらず(以下略) 他の画家のポスカ全然売ってないやんけ! モネ・ミュシャ・ゴッホ・ピカソ次点でルノアール・ロートレック・レンブラント(最近)にしか興味ないんか皆。シャガール好きの母への土産探しに苦労しました(-_-;) 自分の好きな作家はほぼ全滅で諦めたよ! あとInspirationは霊感じゃなくて「着想」または「影響」と訳すべきと思う。何回も解説文の「霊感」に吹きかけた(笑) やっぱり自然を描いた絵か、心象風景ありのままの抽象画が好きですね。静物や写実的な人物画は好きじゃない。自然に対して抱く気持ち、土地への愛着は時代や国が変わっても同じなんだな、っていうのと、この人の目には世界がこう見えていたのか、って絶対にわからない視点を形に残してもらえて覗けることが嬉しい。自分に見えているものは自分にしか見えず、他者の視点というのは絶対に共有できないものですから。だから本読むのも好き。知らない人の家にお邪魔して冒険させてもらうようなもんだと思ってる。やっぱり人が好きなんですね、生き物として。憧れてもいるし。一所懸命苦しみながら生きて、誰かに自分の思いを伝えたいけどできなくて、だからどんなに恥ずかしくて辛い作業でも作品としてはきだすしかなかった。そうして生まれてきた芸術を、作り手を何て勇気のある、一方で可哀想な人たちなんだろうと尊敬します。それだけ繊細で傷つきやすく、不器用で一般的なコミュニケーション能力に欠けたところのあった人たちなんだと思うから。戦前までは他の生き方を選べたなら、その方が楽だったと特に展示されていた画家たちの背景を見ると感じる。でもこの道しか歩めなかったんだな、って。凡人であることは幸せなことだと、最近つくづく考えます。
うちの父親、私が小さい頃は親の金で学校に籍置きながらパチンコ三昧、生活は嫁の金でというクズだった。死に方もそこに至る過程も。自分も荷担したロクデナシです。でも、愛情だけは確かに信じられるくらい注いでもらった。毎日の送り迎え、お風呂、寝る前の本読み以外は大体パパ選んでたんじゃないかな。ママがお迎えの時はテンション低くてぐずらないけど、パパに送られて別れる時はギャン泣きが恒例行事で(笑) 仕事の都合で数ヶ月別れることになった時は駅のホームで盛大にやらかし、その後も保育所で少し思い出しては泣き先生たちを心配させる事態に(ノ∀`) 本当に二度と会えなくなってしまうと、日々に必死でそれどころではなくなり、というか深く考えたくないから「いないけどいる人」みたいな扱いになってるんですけどね。母がね、毎日写真の前に何やかや置くから、「いやその人もうどこにもいないよ」って言えないし自分でその現実受け止める覚悟はよくわからなくてフヨフヨしてる。だって8年前の震災だってあのまま時間止まってんだから。どんな大人に接してソイツが社会の底辺のクソ野郎でも、子供の頃に確かに自分を愛して、必要としてくれた人がいた、というのは人間にとってとても重要なことだと思う。今日、ジッドの『田園交響曲』読んでても感じました。正しいことは必ずしもその人にとっての最良ではない。でも、生きていて時間が進んでいく以上変わらないものはないから、歪みはいつか破綻する。だから誰も間違ってない。一瞬でも誰かと深く繋がっていたという記憶が、生きる力に働いてくれればな、と。ジェルトリュードの悲劇との対比で二人の子供に泣いちゃいました(TдT) あと、お父さんお母さんになりたかった犯罪者夫婦の気持ちも、一部共感しかねないからさ。子供欲しくて欲しくて可愛くて仕方ない身からしたら、虐待する親なんて絶対許せないし、そりゃ保護しちゃいますよ。でも彼らには警察や児相に届け出られない事情があるわけで・・・。私、今の仕事だって毎日何かしらやらかして「キツー(;´д`)」ってなってるから、ましてや真っ当な環境で育たず、前科持ちで住所も詐称してる人間の働き口はもっと限られることを考えると・・・。でももっともっとそういう人たちは沢山いるはずなんですよ。真っ当に子供育てるだけの稼ぎを得られない家庭が。非大卒で無資格、PCや特殊免許のスキルや資格もなかったら? 子供を育てていれば残業はしづらいし、パートや時短で働くしかないけど、それじゃ保育所入れられない。小学校入るまでの生活どうなんの? ねぇどうなんの!?という。やっぱり一応選挙行くか(-_-;)←結論
運が悪かっただけ。日本人てそういうとこある。そしてイギリス人と日本人は似てる。忠誠心=loiyaltyという訳の分からない行動理念の存在が。だから私絶対何も信じないです。宗教も主義主張も君主とやらも。(日本のはある意味信仰に近いと歴史を勉強した結果考えてる。彼らという存在があればアイデンティティや国家自体がどう変わっても保たれる、と盲目的に信じてるから、安心して文化の終着点なガラパゴス魔改造文化維持できてるんでしょ?) 臆病だとか卑怯と言われても、何かを信じて誰かを傷つけたり失ったりするくらいなら何も信じない方が良い。父の事務所に飾られてたドイツ語のマルクス本絶対ビリビリにして棄ててやる、と思ってたのにどこいったんだろう。許せないし憎んでる。宗教を憎む気持ちも主義主張を憎む気持ちもどっかの国を憎む気持ちも根底は同じだろう。ただ嫌うだけじゃない。嫌いなら見ないし関わらない。憎むのは知り尽くしてから。身を滅ぼすまで捧げた理由を知りたいと思うから。だから、上っ面だけで簡単に操られる連中は軽蔑します。煽られてるんじゃない。マルクスからゲバラから『棺一基』までハードで買った。アンネの日記、イザヤ・ベンダサン(山本七平)、失敗の本質、菊と刀、右翼の新書まで誰に何を言われても並べて読んできました。だって私歴オタだから。日本人だから。こんなに狭間で見られる美味しいポジションないから。E野?F島の旦那?知り合いだとも小さい頃膝の上乗ったことあるくらい。だから私はネトウヨ呼ばれる(笑) ネットはヅカ・スケート・相撲と一般的なニュースしか見ません\(^o^)/ 父を奪われた、彼の自業自得で身を滅ぼしたと思ってる。Cには同じ目遭ってほしいくらい。『蟹工船』を評価する皆さんに『党生活者』はどう捉えるのか聞いてほしい。そして日本人があそこまで後悔した戦争・帝国主義・植民地支配を、コモンウェルスを維持し続け国民投票の結果を無視しようとしている、死の行進(プランテーションとインド・アイルランド人への利用と搾取思い出そうぜ。笑)T京裁判でメチャクチャやらかした某国の連中にもな。日系人だからあそこまで書けたのかな。
今日観た『The Favorite』何て似てる二国なんだろう、と感じた。なりたくもなかった、やりたくもなかった行為でやっと授かった子を次々喪って。誰もが悪くて悪くないと思った。だって誰も幸せになれていないから。ブーリン家の姉妹シリーズ、エリザベスと二人のメアリーだって同じ。誰も完璧なものは手に入れられない。ヘンリーもエドワードもジェームズも! チャールズもか?(笑) それでも、アホな王政は続いている。息子の嫁が苦しんでても、孫娘が追い詰められても彼らは決して逃げられない。変な制度だと思います。・・・必要なんだろう、とも。可哀想。ひたすらに可哀想。共感したけど憐れんだ。苦しいけど、セクシュアリティをカムアウトして生きられる立場で、というかこのままでも文句言われない(ある程度のノイズキャンセラー機能登載ならね)ポジションで良かった。Aセクで良かった。気持ち悪いです。夫と愛人と友達と共犯者の境界線が曖昧になるのは。人間ってそうなんだろう、とは思う。作品で見れば美しいとも。でも絶対に自分自身は関わりたくない。『浮世〜』と同じ、どこにも属したり思い入れたり縛られたくない。こういう人だという固定認識も不要。ぶれまくって何でも否定から入る人で良い。海外の結弦ファンの、かつてのDオタを思わせるISU凸過激発言を見て冷静になれた。ああいう醜い叩き合いは国内だけで結構。よそ様にまで飛び火すんな。スケオタってどこも同じなのか(;´д`) そしてフィギュアはマイナースポーツなのに羽生が異例みたいなオリムピック委員会の扱いにも泣けた。悪かったね物心ついた時からサッカーと相撲以外で唯一心惹かれるスポーツで! 七北田のキノコより伝説のプルヤグ神です。ヅカも低迷期にオチてるんで巡り合わせ・・・人気上がってチケット取れなくなっても泣かない(´;ω;`)ウッウッ 後は関ジャニが生き残ってくれれば言うことないです。
そういえば関ジャニ(同世代)関連で、前の職場から一緒に移ってきたちょっと年下の子に「ケイトさんって年齢不詳なんですけどいくつなんですか!?」って聞かれた時はちょっとショックだったなぁ。いや○○さんの同級生でしたよ。やっぱり手術とかで歪な皺伸ばしとかは良くない。(頭切らないといけなかったから不可抗力だったけど) 皮膚の衰えや白髪の出に皺だけが添ってなくて気持ち悪い。あと服装かな。まだ着られると思って中高〜棄ててないのと妹のお上がり。断捨離やこんまりさんには程遠いです。20代の社会人経験長い女性の方がメイク含めよっぽど大人っぽいし、それなりに歳離れてる妹と最近逆転して見られがち(-_-;) 彼女はお母さんになって更に風格出るわけだし、私もちょっと落ち着いた感じに・・・究極の内勤だから良いや、って思っちゃうんだよなぁ@楽チン好き、あるもの使えるならそれで良い派
今日観た『The Favorite』何て似てる二国なんだろう、と感じた。なりたくもなかった、やりたくもなかった行為でやっと授かった子を次々喪って。誰もが悪くて悪くないと思った。だって誰も幸せになれていないから。ブーリン家の姉妹シリーズ、エリザベスと二人のメアリーだって同じ。誰も完璧なものは手に入れられない。ヘンリーもエドワードもジェームズも! チャールズもか?(笑) それでも、アホな王政は続いている。息子の嫁が苦しんでても、孫娘が追い詰められても彼らは決して逃げられない。変な制度だと思います。・・・必要なんだろう、とも。可哀想。ひたすらに可哀想。共感したけど憐れんだ。苦しいけど、セクシュアリティをカムアウトして生きられる立場で、というかこのままでも文句言われない(ある程度のノイズキャンセラー機能登載ならね)ポジションで良かった。Aセクで良かった。気持ち悪いです。夫と愛人と友達と共犯者の境界線が曖昧になるのは。人間ってそうなんだろう、とは思う。作品で見れば美しいとも。でも絶対に自分自身は関わりたくない。『浮世〜』と同じ、どこにも属したり思い入れたり縛られたくない。こういう人だという固定認識も不要。ぶれまくって何でも否定から入る人で良い。海外の結弦ファンの、かつてのDオタを思わせるISU凸過激発言を見て冷静になれた。ああいう醜い叩き合いは国内だけで結構。よそ様にまで飛び火すんな。スケオタってどこも同じなのか(;´д`) そしてフィギュアはマイナースポーツなのに羽生が異例みたいなオリムピック委員会の扱いにも泣けた。悪かったね物心ついた時からサッカーと相撲以外で唯一心惹かれるスポーツで! 七北田のキノコより伝説のプルヤグ神です。ヅカも低迷期にオチてるんで巡り合わせ・・・人気上がってチケット取れなくなっても泣かない(´;ω;`)ウッウッ 後は関ジャニが生き残ってくれれば言うことないです。
そういえば関ジャニ(同世代)関連で、前の職場から一緒に移ってきたちょっと年下の子に「ケイトさんって年齢不詳なんですけどいくつなんですか!?」って聞かれた時はちょっとショックだったなぁ。いや○○さんの同級生でしたよ。やっぱり手術とかで歪な皺伸ばしとかは良くない。(頭切らないといけなかったから不可抗力だったけど) 皮膚の衰えや白髪の出に皺だけが添ってなくて気持ち悪い。あと服装かな。まだ着られると思って中高〜棄ててないのと妹のお上がり。断捨離やこんまりさんには程遠いです。20代の社会人経験長い女性の方がメイク含めよっぽど大人っぽいし、それなりに歳離れてる妹と最近逆転して見られがち(-_-;) 彼女はお母さんになって更に風格出るわけだし、私もちょっと落ち着いた感じに・・・究極の内勤だから良いや、って思っちゃうんだよなぁ@楽チン好き、あるもの使えるならそれで良い派
追記を閉じる▲