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うちの父親、私が小さい頃は親の金で学校に籍置きながらパチンコ三昧、生活は嫁の金でというクズだった。死に方もそこに至る過程も。自分も荷担したロクデナシです。でも、愛情だけは確かに信じられるくらい注いでもらった。毎日の送り迎え、お風呂、寝る前の本読み以外は大体パパ選んでたんじゃないかな。ママがお迎えの時はテンション低くてぐずらないけど、パパに送られて別れる時はギャン泣きが恒例行事で(笑) 仕事の都合で数ヶ月別れることになった時は駅のホームで盛大にやらかし、その後も保育所で少し思い出しては泣き先生たちを心配させる事態に(ノ∀`) 本当に二度と会えなくなってしまうと、日々に必死でそれどころではなくなり、というか深く考えたくないから「いないけどいる人」みたいな扱いになってるんですけどね。母がね、毎日写真の前に何やかや置くから、「いやその人もうどこにもいないよ」って言えないし自分でその現実受け止める覚悟はよくわからなくてフヨフヨしてる。だって8年前の震災だってあのまま時間止まってんだから。どんな大人に接してソイツが社会の底辺のクソ野郎でも、子供の頃に確かに自分を愛して、必要としてくれた人がいた、というのは人間にとってとても重要なことだと思う。今日、ジッドの『田園交響曲』読んでても感じました。正しいことは必ずしもその人にとっての最良ではない。でも、生きていて時間が進んでいく以上変わらないものはないから、歪みはいつか破綻する。だから誰も間違ってない。一瞬でも誰かと深く繋がっていたという記憶が、生きる力に働いてくれればな、と。ジェルトリュードの悲劇との対比で二人の子供に泣いちゃいました(TдT) あと、お父さんお母さんになりたかった犯罪者夫婦の気持ちも、一部共感しかねないからさ。子供欲しくて欲しくて可愛くて仕方ない身からしたら、虐待する親なんて絶対許せないし、そりゃ保護しちゃいますよ。でも彼らには警察や児相に届け出られない事情があるわけで・・・。私、今の仕事だって毎日何かしらやらかして「キツー(;´д`)」ってなってるから、ましてや真っ当な環境で育たず、前科持ちで住所も詐称してる人間の働き口はもっと限られることを考えると・・・。でももっともっとそういう人たちは沢山いるはずなんですよ。真っ当に子供育てるだけの稼ぎを得られない家庭が。非大卒で無資格、PCや特殊免許のスキルや資格もなかったら? 子供を育てていれば残業はしづらいし、パートや時短で働くしかないけど、それじゃ保育所入れられない。小学校入るまでの生活どうなんの? ねぇどうなんの!?という。やっぱり一応選挙行くか(-_-;)←結論
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