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マスクが顔の一部みたいになってから化粧への意識が低下し過ぎてストックなくなってるのにも気づかない(笑)
下地(薬局では売ってないクリーム)残り2日分くらいしかねぇ!→お急ぎ便
マスカラ→くっついてギトギトで1本捨てる→翌日もう1本もギトギト判明でゴミ箱→慌てて薬局に走る
コロナ怖ぇな・・・。
鬼滅と巨人読んで、リーマン・ショックと東日本大震災を経験した世代の作り手はこう転じたのか、と感じる部分があった。ずっと前にこのブログで、WW2経験者が一線を退いてからの日本のフィクションはみんな似たり寄ったりになってるから、同レベルの価値観ショックがないと新しい作品は生まれない、と書いた気がするんですが、自分がその当事者となり、その後の諸々を経て完全に創作の世界を離れざるを得なくなってしまったので。(文章が書けなくて退学+人間・生物の最も根本的な感情である恋愛・性的欲求を実体験できない身で物語を書くことは難しいと感じた。好きな作家さんはそっち方面で皆さん強烈なエピソードをお持ちだし、生々しい表現をちゃんと描けてるから)
多分、親が戦後生まれの世代って30代までに同世代や下の世代の身近な人の死って余り経験してないと思うんですよ。あったとしたらそれはかなり特殊なこととして、その1人の存在がいつまでも頭のどこかに刻まれてるみたいな。でもあの時は、一辺に押し寄せた。何ならまちごとなくなった。今もよくわからない。GoToで福島行った時、某牛の町通ったんです。もう牛なんかどこにもいないのにそこここに撤去されないままのブランド牛の看板があり、町の入口には家族の形をした線量計に「おかえりなさい!」と文言が・・・。神社の本殿は動物に荒らされるから、と閉じられてましたし。小さい頃遊びに行った場所がまるで廃墟。10年間、忘れようというか考えないようにあんま深く見てなかった現実をふとした瞬間揺り起こされる場面が何度も、何度もありました。オリンピックだってこのコロナ禍だって、あの時死んだ人とは共有できないんだよ。友達の結婚や出産も子供の成長も、同じ場所に行ったところで共通の話題は2011年までのものしかない。携帯だってガラケーでLINEなんてなかった。それが本当に別たれるってことで、だからあそこまでの世界とあそこからの世界は別の世界に来たんだ、みたいにボヤッと捉えて自衛してんだよな。でもちゃんと向き合うと、子供にいつ喪うかわからない、いつ失くしてもおかしくない現実を教えて向き合わせた方が絶対に強い人に育つから、誰も死なないし悪役にならず、ストーリーは完結しないまま永遠に夢を見続けられるファンタジーではなく、決して誰もがハッピーエンドではないトゥルーエンドをきちんと魅せてくる物語が出て来て琴線に響いているのかな、と。巨人や鬼滅を受け入れ、戦争までいかずともこの世の地獄を物心ついてから少なくとも2度は目の当たりにしたであろう親の世代に育てられる子供たちはどんな大人になるんだろう。期待が膨らむような、怖いような不思議な気持ちです。だから人間は面白い。
最終話の数ページのモノローグが、作者さんがジャンプとは思えない血みどろ話で1番少年世代に伝えたかったであろうことなんだろうか、と私は幼なじみ(相変わらず酷い精神的依存)を思い出してボロボロ泣いた。父がこの作品を読んでいたら、まだ生きていてくれただろうか。あの終わり方は避けられたのだろうか。いつ終わっても良い気持ちは変わらないけど、ずっと誰かに言ってほしかった言葉で、許されたかったのかもしれない。欠陥品だし存在が申し訳なさすぎて死のうと思ってた時、幼なじみが、「私にはあなたが必要だから生きて」と言ってくれた。それを思い出した、凄く。結婚式のスライドでも100歳まで友達だよ、とわざわざ個人的にばあちゃんなるまで生きろよ、と伝わるようなメッセージを流してくれた。彼女を裏切れない、と感じた。その後も色々あって、父が死んだのも家族ぶっ壊したのも私のせいだし、本当存在がつらくて苦しくて自分を消してしまいたくなる。でも、人って単純で誰か1人でも自分を縛る理由があるなら歯食いしばって生きなきゃというか死ねないという気持ちになれるんだな、と。いやその後出会い、関わった人たちに恵まれた面も大きいけど。人生最初の親友が彼女で本当に良かったと思ってます。父も、学生時代の人たち、あちこちからわざわざ来てくれたのに。党や女に入れ込んだり借金かさむごとに自分から縁切りやがって見栄っ張り。彼の弱さと優しさを分かってあげられなかった、いや父というフィルターを外して向き合わなかったことを悔やんでいる。父も母も妹も弟も、みんな可哀想だった。その点だけは、きっかけの1つも自分だったし自分が1番気づいて力になれたかもしれないの、申し訳なさすぎて本当に死にたくなる。手術も地震も父のことも、自分が先に死んでれば良かったとは常に考えてる。でも人間て生きなきゃいけないんだなぁ。つらいなぁ。くるしいなぁ。と、色々考えさせられます。
下地(薬局では売ってないクリーム)残り2日分くらいしかねぇ!→お急ぎ便
マスカラ→くっついてギトギトで1本捨てる→翌日もう1本もギトギト判明でゴミ箱→慌てて薬局に走る
コロナ怖ぇな・・・。
鬼滅と巨人読んで、リーマン・ショックと東日本大震災を経験した世代の作り手はこう転じたのか、と感じる部分があった。ずっと前にこのブログで、WW2経験者が一線を退いてからの日本のフィクションはみんな似たり寄ったりになってるから、同レベルの価値観ショックがないと新しい作品は生まれない、と書いた気がするんですが、自分がその当事者となり、その後の諸々を経て完全に創作の世界を離れざるを得なくなってしまったので。(文章が書けなくて退学+人間・生物の最も根本的な感情である恋愛・性的欲求を実体験できない身で物語を書くことは難しいと感じた。好きな作家さんはそっち方面で皆さん強烈なエピソードをお持ちだし、生々しい表現をちゃんと描けてるから)
多分、親が戦後生まれの世代って30代までに同世代や下の世代の身近な人の死って余り経験してないと思うんですよ。あったとしたらそれはかなり特殊なこととして、その1人の存在がいつまでも頭のどこかに刻まれてるみたいな。でもあの時は、一辺に押し寄せた。何ならまちごとなくなった。今もよくわからない。GoToで福島行った時、某牛の町通ったんです。もう牛なんかどこにもいないのにそこここに撤去されないままのブランド牛の看板があり、町の入口には家族の形をした線量計に「おかえりなさい!」と文言が・・・。神社の本殿は動物に荒らされるから、と閉じられてましたし。小さい頃遊びに行った場所がまるで廃墟。10年間、忘れようというか考えないようにあんま深く見てなかった現実をふとした瞬間揺り起こされる場面が何度も、何度もありました。オリンピックだってこのコロナ禍だって、あの時死んだ人とは共有できないんだよ。友達の結婚や出産も子供の成長も、同じ場所に行ったところで共通の話題は2011年までのものしかない。携帯だってガラケーでLINEなんてなかった。それが本当に別たれるってことで、だからあそこまでの世界とあそこからの世界は別の世界に来たんだ、みたいにボヤッと捉えて自衛してんだよな。でもちゃんと向き合うと、子供にいつ喪うかわからない、いつ失くしてもおかしくない現実を教えて向き合わせた方が絶対に強い人に育つから、誰も死なないし悪役にならず、ストーリーは完結しないまま永遠に夢を見続けられるファンタジーではなく、決して誰もがハッピーエンドではないトゥルーエンドをきちんと魅せてくる物語が出て来て琴線に響いているのかな、と。巨人や鬼滅を受け入れ、戦争までいかずともこの世の地獄を物心ついてから少なくとも2度は目の当たりにしたであろう親の世代に育てられる子供たちはどんな大人になるんだろう。期待が膨らむような、怖いような不思議な気持ちです。だから人間は面白い。
最終話の数ページのモノローグが、作者さんがジャンプとは思えない血みどろ話で1番少年世代に伝えたかったであろうことなんだろうか、と私は幼なじみ(相変わらず酷い精神的依存)を思い出してボロボロ泣いた。父がこの作品を読んでいたら、まだ生きていてくれただろうか。あの終わり方は避けられたのだろうか。いつ終わっても良い気持ちは変わらないけど、ずっと誰かに言ってほしかった言葉で、許されたかったのかもしれない。欠陥品だし存在が申し訳なさすぎて死のうと思ってた時、幼なじみが、「私にはあなたが必要だから生きて」と言ってくれた。それを思い出した、凄く。結婚式のスライドでも100歳まで友達だよ、とわざわざ個人的にばあちゃんなるまで生きろよ、と伝わるようなメッセージを流してくれた。彼女を裏切れない、と感じた。その後も色々あって、父が死んだのも家族ぶっ壊したのも私のせいだし、本当存在がつらくて苦しくて自分を消してしまいたくなる。でも、人って単純で誰か1人でも自分を縛る理由があるなら歯食いしばって生きなきゃというか死ねないという気持ちになれるんだな、と。いやその後出会い、関わった人たちに恵まれた面も大きいけど。人生最初の親友が彼女で本当に良かったと思ってます。父も、学生時代の人たち、あちこちからわざわざ来てくれたのに。党や女に入れ込んだり借金かさむごとに自分から縁切りやがって見栄っ張り。彼の弱さと優しさを分かってあげられなかった、いや父というフィルターを外して向き合わなかったことを悔やんでいる。父も母も妹も弟も、みんな可哀想だった。その点だけは、きっかけの1つも自分だったし自分が1番気づいて力になれたかもしれないの、申し訳なさすぎて本当に死にたくなる。手術も地震も父のことも、自分が先に死んでれば良かったとは常に考えてる。でも人間て生きなきゃいけないんだなぁ。つらいなぁ。くるしいなぁ。と、色々考えさせられます。
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