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『ホームズの冒険』まだらの紐がやっと読める!『四つの署名』他のは無かった・・・てか直近のとこは一通り漁りきったかも。そうそう新規の入ってくることは無いだろうし(´・ω・`) あと『異邦人』もゲット。あって良かった!でな、『華麗なるギャッツビー』も気がついたら手に取ってたんよ。先日『大いなる遺産』ネタでエステラたんハァハァ(;´д`)してたらデイジーたんにもハァハァしたくなってな@変態。私なんでかデイジーのイメージはマリリン・モン○ー変換で読んじゃうんだよねぇ。映画もヅカも観てるし、実際はマリリンの方が愛人ポジだったのにさー。(タブーネタだったらごめんなさいm(__)m)『ロリータ』もウッカリ手に取りましたが「平日昼間からメガネとマスク(※花粉対策)でうろついてる女がこの組み合わせで買ったら明らかに不審者の極み・・・!」と無駄に警戒してやめました。(月に三回も出入りして妙なモンばっか買ってんだから既に手遅れだっつの(´-`))あとホームズ買ったら、現代日.本ミステリーの金字塔と読み比べたくなったので『十角館の殺人』もつい買っちゃった☆どっちかと言うとドイルよりクリスティー+横溝寄りな印象だけどね。
マルケスはハードコーナーも探したけど見つかりそうにないのでポチりたい衝動を必死に堪えている。あと『白ばんば』なんで無いのマジで!800円は痛いよ!これから『神曲』揃える予定だからなぁ>< 『楢山節考』もポチるしかなさそう。寄付された全集物件や『白鯨』については焦らずに古本屋巡りしようかな、と思ってるけど・・・あと三島、何で百円コーナーに一冊くらいしかないんだろう?(・・;) 『潮騒』『仮面の告白』読みたくて仕方なくて、普通の本屋では結構見かけるし当然あるかと思ってたんだけど無いんだよなぁ。ホームズの残りと『暗夜行路』『たけくらべ』『西部戦線~』(映画化作品だから)辺りも他のとこで見繕えると良いんだけど。epi文庫や『魔の山』『危険な関係』あたりは懐具合と相談しつつ普通の本屋かポチる線で行くしかないかなー(-_-;)
イヤそれにしても谷崎御大の『母を恋うる記』、まさに何回読んでも一ページに五分かけたい美しさだな!これぞ日/本の純文学の真骨頂。ゴテゴテしてない、けれど川端より確かな耽美さを帯びた叙情性。欧州の情景描写が激しく気まぐれな天候の変化に登場人物の心情やストーリー展開を映し出す飾りだとしたら、日.本のソレはともすると自然そのものが主役で、主人公や他の人間はその光景を映し出すただの目の役割だけを果たす存在のように見える。けれどそれが、そのどこまでも静かな情景こそがストーリーを、彼らの心情をどこまでも深く切なくえぐり出すんですよ。一筋の湾曲した弧が、見つめている内にドンドン官能的な魅惑を帯びた線に見えてくるように。非現実的なほどにシンプルでありながら、逆にどこまでも現実を生々しく描き出している。
各言語圏の文学イメージとして、英.国は真っ直ぐだと思ってたら急カーブでフ○ンスはくねくねした蛇行、ド○ツは複数の直線が交差し合い、ロシ○はぐじゃぐじゃな糸の塊のように一本なのか複数なのかすら分からない世界でアメリ○はジグザグ、と捉えてますが(スペ○ン語圏は映画とか含めしつっこいエロスのイメージしかないので、是非マルケスを読んでみたいんだ(^^;)、日/本文学はピンと張った弓の弦のような弧のイメージです。真っ直ぐではない、けれど複雑な形でもない。そして今にも切れそうなほどに張り詰めたものの強さと美しさと、儚い脆さ。まさにギリギリの精神状態から生み出されたような印象が強い。だからハルキ否定に走るんだわー@しつこい^^# まずその張りつめた美しさが感じられないんだもん。ついでに太宰はストレート過ぎる。そんなの他の国の似たようなポジで多少文才がある人間なら誰でも同じ内容の話書けるっつの、ってレベル。川端氏は美学の枠が狭いというかかなり限定的だったから、やっぱり日.本人最初のノーベ○文学賞は叶うことなら谷崎さんに獲ってほしかったかな、と改めて思った。文章の中に弧の先からどこまでも無限に伸びていく矢の飛翔を感じさせる、のびのびとした美の奥行き、可能性、艶やかさがあった。ホント前から書いててしつこいけど、一ページに時間をかけられる文章って凄いですよ。喜んで何回でも牛読みしたいもん。話の内容なんか関係ないの、その心象風景をひたすら味わって思い浮かべることに浸っていたい気持ちにさせられてしまう。
私、『金閣寺』でも何故かやたら覚えてるの蚊帳の中で繰り広げられる母の不貞を主人公が目撃してしまうシーンだし@どうでもいい\(^o^)/ 蚊帳というアイテムと夜の暗さ、寝ていて気づかない(フリをしている?)父の姿に少年だった主人公が受けた衝撃とか物凄く伝わってきてどの場面より忘れられない。金閣が燃え上がる描写辺りももちろん凄絶で綺麗なんですけど、『金閣炎上』の水上氏の描くうら寂しくも美しい北陸の貧村の景色といい、何か日.本や日/本人の思考や感情が揺れ動く原点はこういうところにあるんだろうな、って感じられる文章やエピソード、直接的なセリフやモノローグ・大げさな描写を過度に挟まず、必要最低限のもので最大限に効果的な表現を醸し出すやり方がとても好きです。
マルケスはハードコーナーも探したけど見つかりそうにないのでポチりたい衝動を必死に堪えている。あと『白ばんば』なんで無いのマジで!800円は痛いよ!これから『神曲』揃える予定だからなぁ>< 『楢山節考』もポチるしかなさそう。寄付された全集物件や『白鯨』については焦らずに古本屋巡りしようかな、と思ってるけど・・・あと三島、何で百円コーナーに一冊くらいしかないんだろう?(・・;) 『潮騒』『仮面の告白』読みたくて仕方なくて、普通の本屋では結構見かけるし当然あるかと思ってたんだけど無いんだよなぁ。ホームズの残りと『暗夜行路』『たけくらべ』『西部戦線~』(映画化作品だから)辺りも他のとこで見繕えると良いんだけど。epi文庫や『魔の山』『危険な関係』あたりは懐具合と相談しつつ普通の本屋かポチる線で行くしかないかなー(-_-;)
イヤそれにしても谷崎御大の『母を恋うる記』、まさに何回読んでも一ページに五分かけたい美しさだな!これぞ日/本の純文学の真骨頂。ゴテゴテしてない、けれど川端より確かな耽美さを帯びた叙情性。欧州の情景描写が激しく気まぐれな天候の変化に登場人物の心情やストーリー展開を映し出す飾りだとしたら、日.本のソレはともすると自然そのものが主役で、主人公や他の人間はその光景を映し出すただの目の役割だけを果たす存在のように見える。けれどそれが、そのどこまでも静かな情景こそがストーリーを、彼らの心情をどこまでも深く切なくえぐり出すんですよ。一筋の湾曲した弧が、見つめている内にドンドン官能的な魅惑を帯びた線に見えてくるように。非現実的なほどにシンプルでありながら、逆にどこまでも現実を生々しく描き出している。
各言語圏の文学イメージとして、英.国は真っ直ぐだと思ってたら急カーブでフ○ンスはくねくねした蛇行、ド○ツは複数の直線が交差し合い、ロシ○はぐじゃぐじゃな糸の塊のように一本なのか複数なのかすら分からない世界でアメリ○はジグザグ、と捉えてますが(スペ○ン語圏は映画とか含めしつっこいエロスのイメージしかないので、是非マルケスを読んでみたいんだ(^^;)、日/本文学はピンと張った弓の弦のような弧のイメージです。真っ直ぐではない、けれど複雑な形でもない。そして今にも切れそうなほどに張り詰めたものの強さと美しさと、儚い脆さ。まさにギリギリの精神状態から生み出されたような印象が強い。だからハルキ否定に走るんだわー@しつこい^^# まずその張りつめた美しさが感じられないんだもん。ついでに太宰はストレート過ぎる。そんなの他の国の似たようなポジで多少文才がある人間なら誰でも同じ内容の話書けるっつの、ってレベル。川端氏は美学の枠が狭いというかかなり限定的だったから、やっぱり日.本人最初のノーベ○文学賞は叶うことなら谷崎さんに獲ってほしかったかな、と改めて思った。文章の中に弧の先からどこまでも無限に伸びていく矢の飛翔を感じさせる、のびのびとした美の奥行き、可能性、艶やかさがあった。ホント前から書いててしつこいけど、一ページに時間をかけられる文章って凄いですよ。喜んで何回でも牛読みしたいもん。話の内容なんか関係ないの、その心象風景をひたすら味わって思い浮かべることに浸っていたい気持ちにさせられてしまう。
私、『金閣寺』でも何故かやたら覚えてるの蚊帳の中で繰り広げられる母の不貞を主人公が目撃してしまうシーンだし@どうでもいい\(^o^)/ 蚊帳というアイテムと夜の暗さ、寝ていて気づかない(フリをしている?)父の姿に少年だった主人公が受けた衝撃とか物凄く伝わってきてどの場面より忘れられない。金閣が燃え上がる描写辺りももちろん凄絶で綺麗なんですけど、『金閣炎上』の水上氏の描くうら寂しくも美しい北陸の貧村の景色といい、何か日.本や日/本人の思考や感情が揺れ動く原点はこういうところにあるんだろうな、って感じられる文章やエピソード、直接的なセリフやモノローグ・大げさな描写を過度に挟まず、必要最低限のもので最大限に効果的な表現を醸し出すやり方がとても好きです。
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『人間失格』がアレ一冊で文庫になるほどのブームを産んで?これが谷崎の数多い短編の一つ、という扱いなのはどういうことか? 世代的な問題? それとも周囲を憐れみ見下しつつも結局はそこへの愛着を捨てられず、己が背徳者にしかなれないというどうしようもない現実への自覚を持ち続けた主人公の姿が、夢見る若者の皆さんには余りにもキツ過ぎたからなのかな? 最終的には「天使のような良い子」と他者から評価してもらえる、ボンボン属性の美青年、女から女へと渡り歩く才を持った遊び人の放蕩と破滅の方が、余りにも哀れな、生々しい「現実」に葛藤し、逃避をはかり、自己をあざむき、友人を裏切り、周囲を悲しませ・・・それでもなお「己は特別だ」という意識にすがらずにはおられない章三郎より同情や共感に値すると?^^#ニコニコビキビキ
おめでたいっすねー。あの一人称がそうさせるわけ? 自分に酔ってんじゃねぇよ、ガチのキチガ○の苦しみを知らないただのロクデナシが!私はこの三人称表記の“自伝小説”にこそ心からの同情と共感を覚えた。親が困窮し、老いていく姿を見るのはやっぱり誰だってツラいですよ。それなのに自分はこうだし、何とかしなきゃ、って考えるのに身動き取れなくてタヒぬしかない、って思ってきた。章三郎の両親の関係性はウチの両親とそっくり。最初ほぼヒモ状態でしたからね、父が(´д`) で、自分が仕事就いたから母が辞めることになって妹弟生まれて、独立して遊び歩いて・・・今のこのザマ\(^o^)/ お恥ずかしい話ぶっちゃけまくりですが、父は今まで何回自己処理未遂や失踪やらかしたか分からないし、親戚にどんだけ借りがあるのかも不明な状態。父が嫌がるから、と仕事や運営状態のキッチリした把握・干渉やソッチ系の勉強を一切してこずに送迎と主婦業にだけ徹してきた母。家族に何も教えようとしなかった父。互いに見て見ぬふりで甘えてきた部分は正直大いにあると思う。私も、初めに「休学したい」と言ってスルーされた時しつこく食い下がって説明していれば良かったのかもしれない、と考えるし。お富じゃないけど、妹や弟が私たちに軽蔑の念を抱き、何を言っても無視されるのはハッキリ言って当然のことなんだよね(-_-;)
暇潰しの道具が少なかったあの時代、家で寝ているしかない十五、六の肺病(まただよ・・・ホント祖父が奇跡なのか?(;゜0゜))患者が母親とのお喋りしかすることなくて必死に「かあちゃん、かあちゃん」って呼ぶくだり、ある意味ヒキってる自分の状況とも被るな、って涙が出た。「二十五、六にもなって学校にも行かず昼まで寝て、一体将来はどうするつもりなんだ!?」って主人公が父親からどやしつけられる言葉も刺さるし><
ただ、私はそういう時きょうだいによっぽどな態度取られない限りカーッとはならずに黙り込むか、ソッコー発作かトイレでゲー(汚くてスミマセンm(__)m)という面倒くさいパターンに陥ってしまうので、「怒り」という極めて人間味のある反応や「この長屋で高尚な問題を考えているのは俺だけ」という阿Qのような精神勝利理論を考え出す主人公のたくましさ、浅ましいまでの、いっそひたむきな人間らしさにある意味強い羨ましさを感じてしまった。やっぱ島国民は自己優越意識が強いんだ・・・!(@_@;) 同時にそれが何の役にも立たない空想同然のもので、自分はひたすら道徳心がなく怠惰でワガママで無気力な生き方しかできないただの背徳者、と自覚した上でそんな「家・家族・そして(本人がどういう認識であろうと)友達」に依存し、確かに執着して生きてきた主人公。彼にとってそれらは生まれ落ちた土と同じように切り離せない大事な存在に、確かになってしまっていたから。この辺の人間の心のどうしようもなさも解りすぎるよー(;_;)
アル中に陥り、娼婦に入れ込む主人公の前で死に際の妹が放つ「死ぬなんてこんなに楽なことなのか知ら……」15,6で死ななければならなかった女の子が、「こんな歳で死ぬなんてつまらない。けれどちっとも苦しくない。」と言った末にですよ(´;ω;`)ブワッ 幸福と捉えれば良いのか、(まだ本当の意味での世の中の幸不幸も精神的な喜びや苦しみも恐らく知らないはずなんだから)当たり前だと捉えれば良いのか。けれどもこの一言によって、章三郎は立ち直った。少なくとも彼の目的としていた、「芸術によって世に出る」という目的のための一歩を踏み出せたのは、哀れな家族、そしてお富の臨終のおかげだったのだ、と。切ない、悲しい、美しい。日/本の純文の魅力が全てここに詰まっている。章三郎は私ではない。全くタイプが異なる別人。だけれども、『人間失格』の主人公よりははるかに似ていて共感できる。現実とかけ離れていない、「どうしてもそうなってしまう」あり得べき人間の姿を、美しく、淡々としていながら生々しく描き出している。こういう現実が、人間が、どうしようもないウチの国の人々が大好きです!ムカムカしていた心を浄化させてもらったような気持ち。
社会復帰の決意を与えてくれた友人の一人が谷崎ファンで、『陰影礼賛』をモチーフに色々助言を与えたくれた思い出もあり、彼女への敬意を表して(笑)今日はコレを読んだのですが、スッキリできて良かったです^^ やっぱり本の世界は良いわ。ありがとう!ちょっと頭が休まるまで谷崎振り返って公房さんに戻ろうと思う。
おめでたいっすねー。あの一人称がそうさせるわけ? 自分に酔ってんじゃねぇよ、ガチのキチガ○の苦しみを知らないただのロクデナシが!私はこの三人称表記の“自伝小説”にこそ心からの同情と共感を覚えた。親が困窮し、老いていく姿を見るのはやっぱり誰だってツラいですよ。それなのに自分はこうだし、何とかしなきゃ、って考えるのに身動き取れなくてタヒぬしかない、って思ってきた。章三郎の両親の関係性はウチの両親とそっくり。最初ほぼヒモ状態でしたからね、父が(´д`) で、自分が仕事就いたから母が辞めることになって妹弟生まれて、独立して遊び歩いて・・・今のこのザマ\(^o^)/ お恥ずかしい話ぶっちゃけまくりですが、父は今まで何回自己処理未遂や失踪やらかしたか分からないし、親戚にどんだけ借りがあるのかも不明な状態。父が嫌がるから、と仕事や運営状態のキッチリした把握・干渉やソッチ系の勉強を一切してこずに送迎と主婦業にだけ徹してきた母。家族に何も教えようとしなかった父。互いに見て見ぬふりで甘えてきた部分は正直大いにあると思う。私も、初めに「休学したい」と言ってスルーされた時しつこく食い下がって説明していれば良かったのかもしれない、と考えるし。お富じゃないけど、妹や弟が私たちに軽蔑の念を抱き、何を言っても無視されるのはハッキリ言って当然のことなんだよね(-_-;)
暇潰しの道具が少なかったあの時代、家で寝ているしかない十五、六の肺病(まただよ・・・ホント祖父が奇跡なのか?(;゜0゜))患者が母親とのお喋りしかすることなくて必死に「かあちゃん、かあちゃん」って呼ぶくだり、ある意味ヒキってる自分の状況とも被るな、って涙が出た。「二十五、六にもなって学校にも行かず昼まで寝て、一体将来はどうするつもりなんだ!?」って主人公が父親からどやしつけられる言葉も刺さるし><
ただ、私はそういう時きょうだいによっぽどな態度取られない限りカーッとはならずに黙り込むか、ソッコー発作かトイレでゲー(汚くてスミマセンm(__)m)という面倒くさいパターンに陥ってしまうので、「怒り」という極めて人間味のある反応や「この長屋で高尚な問題を考えているのは俺だけ」という阿Qのような精神勝利理論を考え出す主人公のたくましさ、浅ましいまでの、いっそひたむきな人間らしさにある意味強い羨ましさを感じてしまった。やっぱ島国民は自己優越意識が強いんだ・・・!(@_@;) 同時にそれが何の役にも立たない空想同然のもので、自分はひたすら道徳心がなく怠惰でワガママで無気力な生き方しかできないただの背徳者、と自覚した上でそんな「家・家族・そして(本人がどういう認識であろうと)友達」に依存し、確かに執着して生きてきた主人公。彼にとってそれらは生まれ落ちた土と同じように切り離せない大事な存在に、確かになってしまっていたから。この辺の人間の心のどうしようもなさも解りすぎるよー(;_;)
アル中に陥り、娼婦に入れ込む主人公の前で死に際の妹が放つ「死ぬなんてこんなに楽なことなのか知ら……」15,6で死ななければならなかった女の子が、「こんな歳で死ぬなんてつまらない。けれどちっとも苦しくない。」と言った末にですよ(´;ω;`)ブワッ 幸福と捉えれば良いのか、(まだ本当の意味での世の中の幸不幸も精神的な喜びや苦しみも恐らく知らないはずなんだから)当たり前だと捉えれば良いのか。けれどもこの一言によって、章三郎は立ち直った。少なくとも彼の目的としていた、「芸術によって世に出る」という目的のための一歩を踏み出せたのは、哀れな家族、そしてお富の臨終のおかげだったのだ、と。切ない、悲しい、美しい。日/本の純文の魅力が全てここに詰まっている。章三郎は私ではない。全くタイプが異なる別人。だけれども、『人間失格』の主人公よりははるかに似ていて共感できる。現実とかけ離れていない、「どうしてもそうなってしまう」あり得べき人間の姿を、美しく、淡々としていながら生々しく描き出している。こういう現実が、人間が、どうしようもないウチの国の人々が大好きです!ムカムカしていた心を浄化させてもらったような気持ち。
社会復帰の決意を与えてくれた友人の一人が谷崎ファンで、『陰影礼賛』をモチーフに色々助言を与えたくれた思い出もあり、彼女への敬意を表して(笑)今日はコレを読んだのですが、スッキリできて良かったです^^ やっぱり本の世界は良いわ。ありがとう!ちょっと頭が休まるまで谷崎振り返って公房さんに戻ろうと思う。
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期待が大きすぎた分、牛みたいに吐き出して噛み締めてきちんと振り返るまでも無い内容の本だったかも。(ファンの方すみませんm(__)m)あるいは彼が執着する故郷、解説でも語られていたように直接的な関わりを持たない大多数の人々から見たらまるで異国のように感じられる地域と密接な繋がりを持たず夢見ることができたなら、そういう風な捉え方もできたかもしれない。けれど私には、責任転嫁と自己正当化・美化が彼らの特質であり母の太宰への憎しみは、私が日.本人として英/国に対して漠然と抱いていたようなただの同属嫌悪に近い性質のものがあるのではないか、という結論に達さざるを得なかった。ヒラメや堀木のような、這いつくばってでも現実に留まろうと必死に「生きている」人々を貶め、相対的にソコで「生きられない」繊細な己を持ち上げるかのような描写。「事件」の後の動転の余りああするしかなかったのであろう堀木と、被害者たるヨシコの変わってしまった態度への責任転嫁。傍から見れば全くのロクデナシに過ぎない事実へのしつこすぎる言い訳。最後のマダムの発言によって完全に、ああこの人は私とは違う、ここまで全てを他人のせいと言い切ることは、自分をモデルにしたキャラクターを「天使のような良い子」だなんて、例えフィクションの登場人物にさえ言わせることはできない、と鳥肌が立ち、気持ち悪くて仕方なくなった。
そして浮かんできたのは、己の選択の結果であるにも関わらず父を全否定して責め続ける母の姿でしたとさ\(^o^)/ ガチのコミュ○ストなことも結婚当時留年しまくり某試験に落ちまくりのプータローだったことも、そういう性質の持ち主で、身内も浮世離れしたクリ○チャンだってことも全て分かった上で伴侶に定め、子供を生み仕事を辞めたのだって全ては彼女の選択のはず。(まぁ子供としてソレが嬉しかったのは事実だからどうこう言えた義理じゃない自覚はありますが)それを、今になって父のチャランポラン(と私のロクデナシぶり(^^;)のツケが表面化し、経済的に追い込まれたからと言ってその理由を全部父におっ被せてひたすら被害者ぶるのはどうなの?と。あと彼女、「学歴なんかどうでも良いのにね、他人にランク付けする人は嫌い」って言いながら、知人や近所の子の進学先や仕事めっちゃ気にしたり、どこかバカにするような発言してくるのも正直言って嫌です。これはヒラメ的特性かな? 妹の傲慢と弟のコンプレックス、彼らの私への扱いの根本はこの矛盾極まりない母に植え付けられた価値観や態度に起因するものだと思う。(・・・おっと、私にも津.軽人の責任転嫁気質が受け継がれてるみたい。笑)他人様のしつけや子育てにケチ付けるのも、自分が私という典型的な失敗例出しときながらどうなの?と感じてしまうし。(イヤ私がこうなのは生まれつきのチェンジリングで彼女は被害者だ、と子供としては思っているけど、世間から見ればそうじゃない部分があるよな、って。だからストレス感じて家で吐き出しまくるのか><)
津/軽は確かに恵まれた扱いを受けてこなかった僻地かもしれない、でもそれ故に「悪いことは全部中央のせい」と某半島のように被害者ぶって、皆がその言い分をさも正しいことのように受け入れてしまう悪癖が身についてしまった側面もある、と個人的に思う。ちなみに宮.城の人間はストレートに性格が悪いというか歪んでいるような気がするし、福/島は「東.京に近い」という妙なプライドで同じ地域の他県を見下し、更に青/森の津.軽・南部と同じく内輪揉めが何気に凄まじい印象なので(藩が別れていた上に、その中で一番偉ぶっていたところが「朝敵」の首魁認定されて上の方まとめて叩き出されちゃったりした経緯もあるから仕方ないけど)、東北で人が良いと言えるのは岩手・山形辺りかなぁ、と。(秋田は、うーん・・・観光として行くには宮城より親切、と感じたけど(-_-;))広いので地域によって色々で特に山形は宮.城っぽい歪みを抱えた人も多いけど、打ち解けると根は仙/台人より素直だと思う。西の方のゆるキャラとかPR動画の出来や必死の努力を見ていると、東北人は「見捨てられてきた自分たち」に酔い、甘えているんだって気づかざるを得ない部分がある。だって更にその先の北海道は、ちゃんとキャラ立たせてブランド化し観光客集めてるんだから。だから震災の件も事故の件も首都圏を憎んだり責めるだけじゃダメで、逆手に取って自分たちで克服する方法を見つけ出さなきゃ、このまま「情けない被害者」としていつものように泣き寝入りし、他を恨みひがみながら出来事自体が国全体の中で風化して終わっていくだけだ、と悔しく切なく考えもした(´・ω・`) まぁその東北人の中でも一番のクソ野郎極まりない害虫のサナギの殻が言えることじゃないんですけど。
主人公の言うところの「お道化」だって、例えば私みたいなのは、幼い日のトラウマ案件もどんなに恥ずかしくても伏せておけずに周りの大人に気づかれちゃったよ。公共の場で、相手も子供だったからかもしれないけど。学校でだってそこまで上手く振る舞えなかった。ただ必死にバレないように隠すのが関の山。その程度のことで、上手な「お道化」ができる状態で「怖い」とか「生きづらい」とか、本当に恐怖して身動き取れなくなってる人間もどきのこと馬鹿にしてんのか? 『地下室~』主人公の学生時代の孤独の方がよっぽど共感できるわ。あと異性に対しても、本当にトラウマがあるなら、嫌悪しているなら接触することすらできないはず。ウンザリしているなら60過ぎの醜い女中の存在すら断ってキ○ガイ病棟に留まらせてくれるよう兄に頼み込むはず。矛盾がありすぎて理解できない。本当に世の中を恐れ、人間を怖れ、それでも愛さずにはいられず、執着し、その中に紛れ込んでしまった異物・汚い化け物としての己を心底から忌避・否定する感情は、個人的に少なくともこの作品からは読み取れなかった。むしろ自分を人間というものの上に置き、愚かな人間どものうごめく下界にウッカリ落っこちてしまった天使・神の子イエ○にでも重ねてんじゃねーの、って感想。それでタイトルが『人間失格』だって? 「天使」だったら合格できるとか、とんだお笑い草っすね(´д`) ふざけるなよ^^#ビキビキビキビキ
まぁ母親の太宰嫌悪がこういう点に関しての問題だったら良いんですけど、二人の津.軽人の間に共通点を見出してしまった上にイシグロ『わたしを~』全否定の感想を彼女から聞いた後だと、ソレはたぶん全く異なる(現実的な嫉みに近い)理由から生じたもので、やっぱり親子と言えども理解し合うのは中々難しいことなんだろうな、とか色々考えさせられた。何か頭が疲れたし、明日面接だから一旦公房さんは置いておいてひたすら綺麗な文章眺めに谷崎読もうかな。(内容を考えるのではなく文体を楽しむ、という行為が可能なのもネイティブ純文の良さだと思います^^ 三島と谷崎はそのために好きな部分もある。笑)
追記:
ほしいものリストに『たけくらべ』(たぶん高校の図書室で読んだと思うんだけど、男性純文作家の奇妙な異性への執着と憧憬とエロスに飽きてきたので、じゃあ女性視点ではどうだったのかな、と改めて確認したくなった)、『予告された殺人の記録』(日.本で手に入るマルケスの文庫はこれだけっぽい)、『魔の山』(ユダ○に興味持ってた時から作家自体がすごく気になっていて、最近あらすじ読んだらいてもたってもいられなくなった)、『異邦人』(カフカの亜流という気がしてどうしても手に取る気が起こらなかったんだけど、やっぱり読んでおくべきかな、って)を追加。すぐにでもブクオフに飛んでいきたい・・・いくら部屋に積ん読が沢山あっても、その時すぐ読みたいと感じた本が手元に無いと焦るというか、その存在に依存しまくっている。飢えてんのかな。たまに来る中毒症状の期間やな(´-`)
あー、あとテロのニュースで改めて決して日/本や南でテロ起こさない北の強かさに脱帽。金づるは脅しても殺さず、鉄則ですもんね。初期にG H Qによって植え付けられた徹底的に軍事的なものへの嫌悪を抱かせる思想教育に乗じて南の軍事政権への不信を煽り、知識層とマスコミを抱き込んで大々的に「楽園」への帰還事業を行ったのも上手かった。おかげで人質ゲット→代を重ねて「祖国?何それ?」となるはずの世代からも上納金をせしめるシステムの維持に成功。絶対に米.軍基地がある国とは国境を接したくない中/露の思惑の利用っぷりといい、ホント怖いわあの国・・・(*_*; もう組織というより思想が一人歩きしてる状態になってしまい、実態が掴めず動きも読めないI S(もどき含む)もそれはそれで恐いけどさ。
そして浮かんできたのは、己の選択の結果であるにも関わらず父を全否定して責め続ける母の姿でしたとさ\(^o^)/ ガチのコミュ○ストなことも結婚当時留年しまくり某試験に落ちまくりのプータローだったことも、そういう性質の持ち主で、身内も浮世離れしたクリ○チャンだってことも全て分かった上で伴侶に定め、子供を生み仕事を辞めたのだって全ては彼女の選択のはず。(まぁ子供としてソレが嬉しかったのは事実だからどうこう言えた義理じゃない自覚はありますが)それを、今になって父のチャランポラン(と私のロクデナシぶり(^^;)のツケが表面化し、経済的に追い込まれたからと言ってその理由を全部父におっ被せてひたすら被害者ぶるのはどうなの?と。あと彼女、「学歴なんかどうでも良いのにね、他人にランク付けする人は嫌い」って言いながら、知人や近所の子の進学先や仕事めっちゃ気にしたり、どこかバカにするような発言してくるのも正直言って嫌です。これはヒラメ的特性かな? 妹の傲慢と弟のコンプレックス、彼らの私への扱いの根本はこの矛盾極まりない母に植え付けられた価値観や態度に起因するものだと思う。(・・・おっと、私にも津.軽人の責任転嫁気質が受け継がれてるみたい。笑)他人様のしつけや子育てにケチ付けるのも、自分が私という典型的な失敗例出しときながらどうなの?と感じてしまうし。(イヤ私がこうなのは生まれつきのチェンジリングで彼女は被害者だ、と子供としては思っているけど、世間から見ればそうじゃない部分があるよな、って。だからストレス感じて家で吐き出しまくるのか><)
津/軽は確かに恵まれた扱いを受けてこなかった僻地かもしれない、でもそれ故に「悪いことは全部中央のせい」と某半島のように被害者ぶって、皆がその言い分をさも正しいことのように受け入れてしまう悪癖が身についてしまった側面もある、と個人的に思う。ちなみに宮.城の人間はストレートに性格が悪いというか歪んでいるような気がするし、福/島は「東.京に近い」という妙なプライドで同じ地域の他県を見下し、更に青/森の津.軽・南部と同じく内輪揉めが何気に凄まじい印象なので(藩が別れていた上に、その中で一番偉ぶっていたところが「朝敵」の首魁認定されて上の方まとめて叩き出されちゃったりした経緯もあるから仕方ないけど)、東北で人が良いと言えるのは岩手・山形辺りかなぁ、と。(秋田は、うーん・・・観光として行くには宮城より親切、と感じたけど(-_-;))広いので地域によって色々で特に山形は宮.城っぽい歪みを抱えた人も多いけど、打ち解けると根は仙/台人より素直だと思う。西の方のゆるキャラとかPR動画の出来や必死の努力を見ていると、東北人は「見捨てられてきた自分たち」に酔い、甘えているんだって気づかざるを得ない部分がある。だって更にその先の北海道は、ちゃんとキャラ立たせてブランド化し観光客集めてるんだから。だから震災の件も事故の件も首都圏を憎んだり責めるだけじゃダメで、逆手に取って自分たちで克服する方法を見つけ出さなきゃ、このまま「情けない被害者」としていつものように泣き寝入りし、他を恨みひがみながら出来事自体が国全体の中で風化して終わっていくだけだ、と悔しく切なく考えもした(´・ω・`) まぁその東北人の中でも一番のクソ野郎極まりない害虫のサナギの殻が言えることじゃないんですけど。
主人公の言うところの「お道化」だって、例えば私みたいなのは、幼い日のトラウマ案件もどんなに恥ずかしくても伏せておけずに周りの大人に気づかれちゃったよ。公共の場で、相手も子供だったからかもしれないけど。学校でだってそこまで上手く振る舞えなかった。ただ必死にバレないように隠すのが関の山。その程度のことで、上手な「お道化」ができる状態で「怖い」とか「生きづらい」とか、本当に恐怖して身動き取れなくなってる人間もどきのこと馬鹿にしてんのか? 『地下室~』主人公の学生時代の孤独の方がよっぽど共感できるわ。あと異性に対しても、本当にトラウマがあるなら、嫌悪しているなら接触することすらできないはず。ウンザリしているなら60過ぎの醜い女中の存在すら断ってキ○ガイ病棟に留まらせてくれるよう兄に頼み込むはず。矛盾がありすぎて理解できない。本当に世の中を恐れ、人間を怖れ、それでも愛さずにはいられず、執着し、その中に紛れ込んでしまった異物・汚い化け物としての己を心底から忌避・否定する感情は、個人的に少なくともこの作品からは読み取れなかった。むしろ自分を人間というものの上に置き、愚かな人間どものうごめく下界にウッカリ落っこちてしまった天使・神の子イエ○にでも重ねてんじゃねーの、って感想。それでタイトルが『人間失格』だって? 「天使」だったら合格できるとか、とんだお笑い草っすね(´д`) ふざけるなよ^^#ビキビキビキビキ
まぁ母親の太宰嫌悪がこういう点に関しての問題だったら良いんですけど、二人の津.軽人の間に共通点を見出してしまった上にイシグロ『わたしを~』全否定の感想を彼女から聞いた後だと、ソレはたぶん全く異なる(現実的な嫉みに近い)理由から生じたもので、やっぱり親子と言えども理解し合うのは中々難しいことなんだろうな、とか色々考えさせられた。何か頭が疲れたし、明日面接だから一旦公房さんは置いておいてひたすら綺麗な文章眺めに谷崎読もうかな。(内容を考えるのではなく文体を楽しむ、という行為が可能なのもネイティブ純文の良さだと思います^^ 三島と谷崎はそのために好きな部分もある。笑)
追記:
ほしいものリストに『たけくらべ』(たぶん高校の図書室で読んだと思うんだけど、男性純文作家の奇妙な異性への執着と憧憬とエロスに飽きてきたので、じゃあ女性視点ではどうだったのかな、と改めて確認したくなった)、『予告された殺人の記録』(日.本で手に入るマルケスの文庫はこれだけっぽい)、『魔の山』(ユダ○に興味持ってた時から作家自体がすごく気になっていて、最近あらすじ読んだらいてもたってもいられなくなった)、『異邦人』(カフカの亜流という気がしてどうしても手に取る気が起こらなかったんだけど、やっぱり読んでおくべきかな、って)を追加。すぐにでもブクオフに飛んでいきたい・・・いくら部屋に積ん読が沢山あっても、その時すぐ読みたいと感じた本が手元に無いと焦るというか、その存在に依存しまくっている。飢えてんのかな。たまに来る中毒症状の期間やな(´-`)
あー、あとテロのニュースで改めて決して日/本や南でテロ起こさない北の強かさに脱帽。金づるは脅しても殺さず、鉄則ですもんね。初期にG H Qによって植え付けられた徹底的に軍事的なものへの嫌悪を抱かせる思想教育に乗じて南の軍事政権への不信を煽り、知識層とマスコミを抱き込んで大々的に「楽園」への帰還事業を行ったのも上手かった。おかげで人質ゲット→代を重ねて「祖国?何それ?」となるはずの世代からも上納金をせしめるシステムの維持に成功。絶対に米.軍基地がある国とは国境を接したくない中/露の思惑の利用っぷりといい、ホント怖いわあの国・・・(*_*; もう組織というより思想が一人歩きしてる状態になってしまい、実態が掴めず動きも読めないI S(もどき含む)もそれはそれで恐いけどさ。
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「シュール」って形容されたのはたぶんCDの感想聞く時に「それ面白い?楽しい?」って聞いたり、ケーキ食べて辞書に載ってないようなオノマトペで味伝えたりしちゃってたからなんだろうな。あと行動か? 教室の真ん中で好き放題私物散らかして、家で賞味期限切れた食べ物学校でみんなに処理してもらったり・・・といったところが『人間失格』主人公の「お道化」とある意味被るのかも。でも私は素だった。そこまで上手く立ち回れなかった。自分の音楽聴く基準が本当に「楽しい・面白い」だったからそう聞くしかなかったし(だからip○dの中身がカオスで同じバンド好きな相手とも上手に盛り上がりきれない)、味の感想だってそうとしか表現できなかった。
本の感想は改めて明日まとめようと思いますが、『日の名残り』と『斜陽』に見出したのがイギリ○と日.本という国・社会の鏡写しだとしたら、『人間失格』は主人公と私個人の鏡写しそのものだ、と感じてしまった。漠然と泣けて、衝撃を受け、虚脱している。初めはソックリだと思い共感しながら読んでいたものが、少しずつ異なることに気づき始め、最後には反対なのだと認めざるを得ないあのゾッとする瞬間の感覚。どう見ても瓜二つ、自分そのものなのに、鏡像で決して他人の目に映る実際の自分を確かめることは叶わない。虚しい・・・やっと芯からの共感、答えを見つけることができるように思ったのに、むしろそれは遠い異国のイシグロ作品や、『斜陽』解説内で『人間失格』に劣ると評されていた『地下室の手記』 、あるいはやはりカフカの描く主人公たちの姿の方に、より近さを、親しみを感じてしまう。半端に向こうの宗教に被れて育ったから、あちらの縛りが一般日/本人より根に食い込んでいるせいなのか? いやキリ○ト被れというなら太宰の方が、それも自ら進んで作中にまで登場させる始末だろ。自分の原点がどこにあるのか、正体が何者なのかわからなくなった。公房さんくらい飛び越えられたら、それこそ国も現実も全く何も関係ない本物のコスモポリタン、あるいはシュール・レアリストと言えるんだろうなぁ。でも私はやっぱり狭い部屋にいるのが一番落ち着く。もしくは誰もいない山の中か、両極。本音を言えば、どこにも行きたくないし誰とも交わりたくない気分にしょっちゅうなる。というか大体そう。でも人間と世界が好きで眺めていたい矛盾した欲望も同時にあって・・・病んでますねスミマセン(-_-;)
ニュースと本はその全てを満たしてくれる。今日のはどっちも重かった。どうか復讐の連鎖が一刻も早く止まりますように。直接つけられたわけでもない傷のために新しい傷を作り出すことはない、と時間による解決を信じたい気持ち@ウチとご近所に関しても。現実的にはコレでBr exitの流れが本格的になりそうやな(´-`) このタイミングでシ○アから引き上げたロシ○の思惑もどうなんだろ? ト○ンプは頭が百年単位で遡ってるボケジジイみたいなこと喚いてるし(中/国様から金か女でも贈られたわけ?)、日.韓から基地なくなったら南シナ海どうなんの? 主力はウチにある基地から駆け付ける予定でいると思うんだけどなー・・・。北も自棄でも起こしたのか、ってくらいバカスカ打ってて、ロ○アのナショナリズムはプーチ○による巧みな制裁への不満逸らし術とメディア・敵対勢力への統制を以て危険な水位にまで高められてる。北の島なんか、還ってくるわけないんですよ。自分に本来そこにいた同胞・原住民の血が流れているとしたら悲しいことだけど、故郷なくした流浪の民の話なんて世界中どこにでもあるし、そうだとしても土地や民族を失った「負け組」の末が今の生活できてるだけありがたいんじゃん?としか感じないからなぁ(´・ω・`) あ、いや日.本としてはロシ○は絶対信用するに値しない相手(彼らの最大の隣国かつ利益の共有者が中/国、という地政学・経済的事情が動かしようのない現実である限り、互いに最優先に考えるべき思惑が一致することは確実に無いから)であってビジネスライクに付き合うべき、という意見は変わらないけど、気持ちの問題として。
『人間失格』の中に出てきたヒキガエルの詩、ググッて全文見たら素晴らしかった。手持ちの『海潮音』には載ってなかったけど、生きるってこういうことか、と思える詩。何とか明日もその先もがんばろう。そしてたくさん本を読みたい。『第四~』すごく楽しみです! あとコレも『人間失格』で画家を志す主人公が印象派に傾倒するくだり、カイユボット展で自分が買ったポストカードを思い出してしまった。飾らずにたまに取り出してじっと見入っているやつ。
ぼやけたように見えるタッチで現実というものをこれほど生々しく描き出すって凄い才能だとしみじみ思う。橋に立って遠くを見る(見送りのようにも、追憶に黄昏ているようにも、人を待っているようにも思える)紳士のヤツも、若干キレイ過ぎるように感じるけど背景含めとっても好き。
あとモネのこのおどろおどしい絵のタイトルが『日.本の橋』だってのにゾッとしたね。
小さい頃、運動音痴の私がもの凄く怖くて、保育所でやらされると吐きそうになるくらい嫌だった通称「太鼓橋」って遊具の記憶が蘇りまくる>< 映画村行った時もスゲー怖かったし。あれ雨や雪の時は人殺せる凶器ですよ?昔の日/本人下駄に着物で渡ってたとか信じられん(((゜ロ゜;)))gkbr
何であんなシュール・レアリスムって聞くとどこだろうと嬉々として出かけていくのに、ソッチ系のカードや画集全然買ってないんだろう、って不思議なくらい、ウチにあるのは文化財の写真系と印象派のやつばっかりだ。あと奈良さんにラッセン(笑)に安野さんにシュヴァンクマイエルに絵巻物な! 手にして常に眺めるには、いくら好きでも、好きだからこそ、思い入れを抱きすぎるからこそ苦しさを覚えて哀しくなってしまうからかも。
本の感想は改めて明日まとめようと思いますが、『日の名残り』と『斜陽』に見出したのがイギリ○と日.本という国・社会の鏡写しだとしたら、『人間失格』は主人公と私個人の鏡写しそのものだ、と感じてしまった。漠然と泣けて、衝撃を受け、虚脱している。初めはソックリだと思い共感しながら読んでいたものが、少しずつ異なることに気づき始め、最後には反対なのだと認めざるを得ないあのゾッとする瞬間の感覚。どう見ても瓜二つ、自分そのものなのに、鏡像で決して他人の目に映る実際の自分を確かめることは叶わない。虚しい・・・やっと芯からの共感、答えを見つけることができるように思ったのに、むしろそれは遠い異国のイシグロ作品や、『斜陽』解説内で『人間失格』に劣ると評されていた『地下室の手記』 、あるいはやはりカフカの描く主人公たちの姿の方に、より近さを、親しみを感じてしまう。半端に向こうの宗教に被れて育ったから、あちらの縛りが一般日/本人より根に食い込んでいるせいなのか? いやキリ○ト被れというなら太宰の方が、それも自ら進んで作中にまで登場させる始末だろ。自分の原点がどこにあるのか、正体が何者なのかわからなくなった。公房さんくらい飛び越えられたら、それこそ国も現実も全く何も関係ない本物のコスモポリタン、あるいはシュール・レアリストと言えるんだろうなぁ。でも私はやっぱり狭い部屋にいるのが一番落ち着く。もしくは誰もいない山の中か、両極。本音を言えば、どこにも行きたくないし誰とも交わりたくない気分にしょっちゅうなる。というか大体そう。でも人間と世界が好きで眺めていたい矛盾した欲望も同時にあって・・・病んでますねスミマセン(-_-;)
ニュースと本はその全てを満たしてくれる。今日のはどっちも重かった。どうか復讐の連鎖が一刻も早く止まりますように。直接つけられたわけでもない傷のために新しい傷を作り出すことはない、と時間による解決を信じたい気持ち@ウチとご近所に関しても。現実的にはコレでBr exitの流れが本格的になりそうやな(´-`) このタイミングでシ○アから引き上げたロシ○の思惑もどうなんだろ? ト○ンプは頭が百年単位で遡ってるボケジジイみたいなこと喚いてるし(中/国様から金か女でも贈られたわけ?)、日.韓から基地なくなったら南シナ海どうなんの? 主力はウチにある基地から駆け付ける予定でいると思うんだけどなー・・・。北も自棄でも起こしたのか、ってくらいバカスカ打ってて、ロ○アのナショナリズムはプーチ○による巧みな制裁への不満逸らし術とメディア・敵対勢力への統制を以て危険な水位にまで高められてる。北の島なんか、還ってくるわけないんですよ。自分に本来そこにいた同胞・原住民の血が流れているとしたら悲しいことだけど、故郷なくした流浪の民の話なんて世界中どこにでもあるし、そうだとしても土地や民族を失った「負け組」の末が今の生活できてるだけありがたいんじゃん?としか感じないからなぁ(´・ω・`) あ、いや日.本としてはロシ○は絶対信用するに値しない相手(彼らの最大の隣国かつ利益の共有者が中/国、という地政学・経済的事情が動かしようのない現実である限り、互いに最優先に考えるべき思惑が一致することは確実に無いから)であってビジネスライクに付き合うべき、という意見は変わらないけど、気持ちの問題として。
『人間失格』の中に出てきたヒキガエルの詩、ググッて全文見たら素晴らしかった。手持ちの『海潮音』には載ってなかったけど、生きるってこういうことか、と思える詩。何とか明日もその先もがんばろう。そしてたくさん本を読みたい。『第四~』すごく楽しみです! あとコレも『人間失格』で画家を志す主人公が印象派に傾倒するくだり、カイユボット展で自分が買ったポストカードを思い出してしまった。飾らずにたまに取り出してじっと見入っているやつ。
ぼやけたように見えるタッチで現実というものをこれほど生々しく描き出すって凄い才能だとしみじみ思う。橋に立って遠くを見る(見送りのようにも、追憶に黄昏ているようにも、人を待っているようにも思える)紳士のヤツも、若干キレイ過ぎるように感じるけど背景含めとっても好き。
あとモネのこのおどろおどしい絵のタイトルが『日.本の橋』だってのにゾッとしたね。
小さい頃、運動音痴の私がもの凄く怖くて、保育所でやらされると吐きそうになるくらい嫌だった通称「太鼓橋」って遊具の記憶が蘇りまくる>< 映画村行った時もスゲー怖かったし。あれ雨や雪の時は人殺せる凶器ですよ?昔の日/本人下駄に着物で渡ってたとか信じられん(((゜ロ゜;)))gkbr
何であんなシュール・レアリスムって聞くとどこだろうと嬉々として出かけていくのに、ソッチ系のカードや画集全然買ってないんだろう、って不思議なくらい、ウチにあるのは文化財の写真系と印象派のやつばっかりだ。あと奈良さんにラッセン(笑)に安野さんにシュヴァンクマイエルに絵巻物な! 手にして常に眺めるには、いくら好きでも、好きだからこそ、思い入れを抱きすぎるからこそ苦しさを覚えて哀しくなってしまうからかも。
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新風館閉まるのか・・・よくあそこで色んな人とゴハンかお茶しながら話し込んだり、今思うとよく分からないものにムダ?なお金使ったりしたな(´-`) 割とお互いの距離を推しはかりたい段階で行くような場所だった。近くに博物館があって授業や何やで集まること多かったし、ちょっと行けば路地裏に安めで良い感じの小さい店もあるからウマが合えばソッチに移動、って感じで。あそこから親しくなった友人、そこまで到らなかった人いろいろ。思い出がまた一つ遠ざかるようで寂しい。
ソコにさえ一緒に行ったことの無い方に言われた言葉に納得するのは癪ですが(だが何故家に上げたし^^)、カフカとクレー好きっつってシュール・レアリスム展に喜んで出かけて行くようなヤツの部屋に安部公房が無いのは確かにおかしい、と考えるわ当然。高校の卒アル寄せ書きに「シュールなケイトちゃん」と書かれたことを思い出した。シュール・レアリスムについては、現実を痛いほど思い知っているからこそ、ソレを超越した逃げ場?を求めた果ての芸術だと捉えてる。束の間でもそこからの脱出を、水面に顔を出すことを望む。現実という水の中で、他の魚(=人間)のように上手く泳げずに溺れてもがいている自分の姿を、私はカフカの作品にもクレーの画にも見出している部分がどこかにあるんだと思う@カナヅチなのでこの例え(^^; 例え明るいパステルの色彩でも、濁ってくすんだ色調に変化した後でも。息ができないほど苦しいから、例え束の間でも息が吸える錯覚を味わいたくて必死なんだよ。どんなに非現実的な世界でも、そうであればあるほど裏側にある現実の苦しみが見えてしまって泣きそうになることもある。それでも愛してるわけだけど。
解説を読んで、でもカフカはヨーロッパ人だからそれでも“超えられる現実”の範囲が限定されていたけれど、日.本人である公房さんは囚われるものを全く持たなかった、そもそも脱け出すべき“現実”の枠組みとなる「基盤」を知らなかった、という部分に大いに共感した。それはまさに東洋と西洋の合いの子というかキメラみたいな、それでいて独自の歴史をそれなりに積み重ねてきている日/本、移民が作り上げた新世界でもない島国、一世紀の間に二度も激しく価値観をひっくり返された民族の人間で無いと創り上げられない世界だったのかもしれない、と。歴史勉強してると本当に不思議なんですよ。西洋史やって、東洋史やって、最終的に自分の国への謎と混迷が深まる、という(-_-;)
イヤ本当Tenno制なんか最強のミステリーですよ。W W 2と原.発事故の事例を考えるに、責任を取ることも押し付けることも嫌う日/本人ならではの上手い分担システム、という説明が一番しっくり来るのかな、という気はするけど、それにしても将門・信長以外はその権威を乗り越えようとした者がほとんどいない、奇妙な癒着と了解の元に、したたかに互いを利用し、牽制し合い時には他国を混乱させる餌ともなり得た二重構造を今に到るまで保ってきた、かなり不可思議(だってある意味非効率的でしょ?)で独自の形態を持つ国だなぁ、と客観的に見て。失礼に感じたらすみませんm(__)m いや歴オタとして外せないんですよねー、ウチがウチになった時、というかソレを作り上げた家系が一応ずっと続いてることになってて、どう考えてもソレは他国の記録(魏誌○人伝ね)にまで残っている歴史と矛盾を感じさせない「物語」まで用意されている。こわ・・・こっわー、ってよく考えると思いません!?(´Д`;) ちょっとヨーロッパの王室がいかにカオスに入り乱れて入れ替わってるか見てみれば一目瞭然だと思うの!バチ○ンの荒んだ歴史でもOK、ウチの異常性いや特殊性にさえ気づいてくれれば!
だから、それまで絶対的支配者だった東洋的儒学思想の全否定→西欧への傾倒→帝.国主義という怒涛の変化をW W 2で一気にぶっ壊されて、じゃあ今度は何に行く?アメ○カだ、資/本主義が手本だ!ってすーぐ切り替えられてしまった、傍から見ればグニャグニャしたアメーバみたいな国民の中から真のシュール・レアリスト、全く新しい試みで現実を思いもよらぬ方向からヒョーンと飛び越えていく作家・芸術家がウチから出たのは至極当然のこと、と納得。(初めからそんな定まった概念を持たないんだから、超えるのは超簡単だもん(^^;)いやウチらにもウチらなりの”現実”はあるんですけど(「日曜日のサラリーマン」のような。笑)、「ヨーロッパ」縛り、“宗教”と“イデオロギー”について自分の意志を必ず持たねばならない、といったような強固な観念はソコまで存在しないからね。そんなもんあったら日.本人とっくに発狂しちゃって、こんなある程度の生活ができる国になれてなかったわ、正直言って。よりによって東洋思想の礎だったお隣が西から入って来たマル○ス・レー○ン思想に染まっちゃったんだぞ? 自分たちが取り入れた先進的ヨーロッパ思想の最たるもの=帝/国主義は当の彼らにいきなり180度態度変えられて全否定されるわ、彼ら自身が他ならぬ自分たち(とアメリ○)の手によって世界の頂点から目の前で転がり落ちるわ、何か知らんけどいきなり世界のトップに躍り出たアメ○カの属国状態になってるわ。よっぽどよく分からない柔軟な切り替えスイッチボタンでも備え付けてない限りついていけないはずだと思うんですよ、そりゃいくら人間は常に生き残りに必死な生き物だとはいえ。宗教意識もビックリするほど薄いし、基本的にみんなノンポリだし、つーか両方の話題避ける社会だし、何考えてるのか本当に分からない・・・。(って私がリアルによく言われる言葉だけどネ☆)そういう「よく分からない日.本という国の現実」自体が他国に比べてより一層不安定で非現実的だからこそ、何か「どっかであり得るんじゃねーの?」って何とも不安感を煽るこういう話が、正しく超・シュール・レアリスムとも表現すべきレベルの小説が仕上がったんじゃないですかねぇ?とつくづく感じざるを得なかった((-_-)ウンウン
<第二部>
女の脚にこだわる「ぼく」、『箱男』に繋がりますね。「美に囚われぬ冷たい心」を持った人間になることを願いながらその脚に見入る彼の手帳は「とらぬ狸の皮」、そして主人公はとらぬ狸に名前ではなく影を喰われてしまう。名前を取られたカルマ氏と同じく彼は「脳の半分をけずり取られたような空白感」に立ちすくむのみならず、影と同時に肉体すらも消滅し、目だけを残した透明人間となってしまう。この「原因と因果が反対」のようにも思える現象に初めは戸惑いを覚えつつ、透明人間が現れたというだけで戦慄し彼を追いかけ回す街の人々に恐怖と絶望を怯え涙する「ぼく」。しかしやがて彼は錬金術のような影の構成の把握と再生成に一縷の不可思議な希望を、宇宙法則の変更、世界の可変性を妄想して興奮する。(『ファウスト』のホムンクルスみたい^^)「所有権も個人の観念も消滅した完全な自由、永遠の再分配。平等な社会の天使のような人間。」どこのラグ○ロク・人類補○計画ですか(ノ∀`) ''''''''51年ってことは共/産主義揶揄ってんのか(笑)
ニュースで聞いた透明人間に関する「専門家」諸氏の見解に絶望した「ぼく」はニュース中毒を脱し、「死刑」の訴状の夢を見る。目覚めた「ぼく」が取り出したのは天体望遠鏡、ハイハイ私も持ってまーす!(^ω^)ノシ 利用目的は主に覗き、と・・・ウン、『箱男』の原形がここにも。視線だけの存在となる自由のよろこび、おお偏執狂よ!そんな主人公の前に、何と空の箱=棺にまたがってとらぬ狸が現れる。主である「ぼく」の影を食べて一人前になったとらぬ狸は、彼の希望を叶えるべくバベルの塔へと誘う。「君の影を食い、消化したぼくは君以上に君自身になった。ぼくは君の意志であり、行動であり、慾望であり、存在理由」と語るとらぬ狸。「影に対するぼくの食慾が君の透明になりたいという慾望の証明。なぜなら君の慾望こそぼくの成長の理由だったのだから」と語るとらぬ狸は、主人公が「皮」にメモしていた(人間計算図表)なるものによる記録についても話し出す。コレ、超怖い(((゜Д゜;)))gkbr やっぱ妄想は脳内に留めておくべきなんや!「君の住むべき場所はこの世じゃない」としつこく決断を迫るとらぬ狸の教える透明人間の出現にかこつけた社会の動き、S国人の侵略にでっち上げて右.翼がクーデターを狙っている、とかなんとも時代的なものを感じさせますな(ノ∀`)
バベルの塔での生活について考えつつ、「肉体がほしい」と望む主人公に、とらぬ狸は「君の発明した(時間彫刻器)によって今や時間は可逆的で自由自在に調節できるもの。ぼくらの意図は死をとびこえてソレを空白にとどまること。死を停止させて死の死たる機能をなくすこと。停止した死は不死だよ。影を食べたことは永遠のための目的と必然的に結びつき、君の空想とプランをめんみつに合理的に設計され具体化されていった結果。君の意志じゃないなんてとても言えた義理じゃないはずだ。」と言いきる。何てシュール・レアリスム的な論理の飛躍!ムッハーo(゜∀゜;)=3大興奮!とらぬ狸に夢で見た「死刑」の白紙委任状を見せられて、自分の意志がもう何の役にも立たなくなっていることに気づいた「ぼく」はバベルの塔に向かうことを決意。望遠鏡をとらぬ狸が「眼鏡」と呼び、それを覗き込み続けなければ棺には乗れない、「委任状を思い出すんだね。君の理屈はまるで、共/産主義者がぼくの生れは下賤の身でなどと言い出すようなものだ。」ってくだり、爆笑しちゃった。屋根裏にあるの引っ張り出したらウチにも迎えに来てくれるかな?一応女だからダメか>< 全然現実に生きてないのになー。
バベルの塔に入るにはシュール・リアリズムを用いなくては、ってここまでの展開で更にどうソレを乗り越えろと?(^ω^) と思ってたら「ぼく」石壁に思いっきり叩きつけられたー!昔は無限の苦行を経た本当の大天才だけが入れた、という塔の住人たちの名前に一々爆笑する。色々混ぜたりオマージュと皮肉が込められてるんすね(ノ∀`) シュミッソー君は影と肉体の分離という幸福を不幸ととりちがえて絶望の放浪に身を亡ぼしてしまったんかー・・・前世紀の不幸ってあなた(;´Д`) そして何故か極めて軽いノリで一部の「パパ」がカルマ氏にしていた「三プラス五」の問いがとらぬ狸の口から(((@_@;)))アワワワワ そしてまたとらぬ狸はニュース中毒のロボトミー嗜好でもありましたとさ。危険すぎる!ダンテ先輩が塔中央委員会書記長とか(ノ∀`) 塔員には中々なれないはずがニイチェの推挙で入塔できたヒッソリ―ニくん(笑)やばい、もうこの辺ハライテー!「初めのころは二十日鼠のミイラみたいだったらしいんだが、途中気が変になって以来見違えるような成長ぶりだったということだ。例外なはずだね、気が変になれば政治家も廃業のはずなんだから。」この前の「数多い例外」という矛盾極まりない表現といい、もうシュールさ極まりすぎだろヒャーッハッハッハ!(^∀^)σ ・・・あんな、戦中日/本の軍閥どもも正直こういう方向に狂ってしまえば良かったと思うで?おかしいって、戦時中にコロコロ首相変わって、一方で名目上のトップだったはずのTennoには一切実権がなくて、結局責任が曖昧で軍部に罪おっ被せて当時の首相軒並み処刑や自殺に追い込んで終わり、って。ありゃ集団狂気だったろ、敵性用語の使用禁止も「自粛」という空気読み能力の賜物やろ。国家による強制性が出てくるのは末期も末期、人員・物質的徴収が始まってから。ちなみにそこに到るまでに散々好戦ムード煽ったのはメディアどもな。時には穏健・融和路線の政治家をすっ叩くこともモチロン忘れていなかった、あー今の何新聞とは言いませんけど^^ニッコニコニコ
ダンテ狸に「目玉はわれわれの生存をおびやかす危険なものであり、自由な市民生活のために一刻も早くソレを銀行にあずけ、重さをなくし昇天すべき」と宣告される主人公。つーかさ、審議会だの中央委員会書記長だの、コレ塔と党かけて皮肉ってるよね?とリアル党員の身内としてホント爆笑さぜるを得ない(ノ∀`) 自由のために入った時から自由じゃなくなって縛られるんだってマジで!(笑・・・い事じゃないんだよね、ぶっちゃけ今(^^; ダッテトウカンケイノシゴトッテダイタイテダシナンダモノー。ダレモカネハラッテクレナインダモノー。ダレガウチヲタスケテクレルノー?トウハチュウジツナトウインヲマモッテクレルンジャナカッタノー? と、いう訳で自分も他人のことは言えない家計逼迫の原因の一つだという点は理解しているものの、私が○十年の人生で某党・某主義を嫌悪するようになった理由もお察し願いたいm(__)m)最終的にひたすら愛する女ベアトウリチェの話になってしまったダンテ先輩にニイチェ狸が容赦なく腐女子の喜びそうなネタを投下(笑)狸だから変幻自在なのねー。杜子春のことは言わないでやれよ!狸になっても飲んだくれの李白大人(ノ∀`) ヒッソリ―ニ×ニイチェ@女体化だと!?薄い本描きの皆さん、出番ですよー(∩゜Д゜)∩ あっ、ヴィジュアルはイタ○アンの方メインにちょび髭だけオース○リアンで頼むわ。さーらーに、どっちがどっちか分からないけどヒッソリーニくんたらコルーマンくんという同/性/愛仲間もいて!?アメ○カン+何だろ「コ」って・・・?@落ち着け?^^
主人公アンテン君の発明の中の(食用鼠)が三章に繋がって来るわけですね(怖)シュール・リアリズム第二宣言で乗り越えられない壁を持つ人間崇拝は疑わるべき、と書いたブルトン狸は、第十宣言において事情は変り、「壁の通過は可能になり、人間の代りにとらぬ狸が存在する」と演説を打つ。「ぼく」はコレを聞いて「消滅するか破裂するか以外に自分であることが不可能」のように何とも言えない胸のむかつきと苦しさを覚える。そりゃそうだよ、シュールもここまで極まるとねぇ((´-`)
入塔式後のとらぬ狸との問答で、「絶対の自由を得る、一個の純粋意識となって透明な詩人となるには非存在となって天国に昇天するしかない」つまりバベルの塔は墓場と何ら変りはない、という事実を説かれる主人公。「君にはもう選択の余地がない。」と脅しに近い言葉を吐かれながら、目玉銀行の管理者エホバ老人の元に連れていかれ、そのミイラのような「人間」の姿に親愛の情を抱く「ぼく」が切ない(´;ω;`) 「愛塔貯眼精神を説明してやって下さい」と老人に請う狸にあーコレ完全な皮肉だわ、と改めて感じざるを得ない(´Д`)) エホバの語る視線の有害さと微笑の意味には大いに納得できてしまった@通院中だよ!\(^O^)/ ボルコスの娘たち、ファウストに出てきたメフィストーフェレスと一体化してヘレネー惑わしたアレね。カメレオン水の万能性(笑)
下界展望室に向かう途中で狸が持ち出した時間彫刻器。精.液で時間いじれるんか(ノ∀`) 下界展望器で眺める景色にどうしようもない郷愁を覚える主人公は、平穏な生活を取り戻したそこに映る彼らを「憐れな俗物ども」と罵る狸に理性の限界へと追い込まれ、絶望感が憎しみとなって凝結する。そしてその全ての感情を封印した微笑を奪い、抵抗を失わせ、時間彫刻器を奪い去る。雄叫びにより集まった無数の狸たちに追われて逃れた場所はバベルの塔美術館、様々な時代の女の脚の展示場。最後に逃げ込んだシュール・リアリズムの部屋にあったのは脚ではなく壁。「ぼく」をぴったりはめこんでしまうような穴が、書き込まれた方程式の下に様々空いている・・・この時点でもうゾクゾクするね!o(((゜∀゜;))) 人間の体内のような穴を通り抜けた主人公は時を遡ることに成功。とらぬ狸に影を食われる前に戻り、ヤツを追い払うことに成功すると、詩人ではなくなった彼は急に当然腹がすいていることに気づく。この話シュールなのに限りなく現実的で一番好きかも。
<弟三部>
『赤い繭』
今度は家がない男。突然訪ねて来た見知らぬ男に「ここはおれの家では?」なんて言われたらそりゃ顔も壁に変るやろ(笑)「女の笑顔というやつの正体」って(ノ∀`) でもって帰る家を求め続けた男の身体は突然ほぐれて空っぽの繭へと変わり、彼はようやく休める場所を見つけたけれど、今度はそこに帰っていくべき彼自身が消滅してしまった。何とも暗喩的な・・・空洞の蛹に自分を例える私的に笑えない話(^^;
『洪水』
労働者の液状化、これは物凄く皮肉の効いたオハナシですこと。富める者や大工場主・政治家が恐水病にかかり高地に引っ越していくあたりなんか最高(笑)恐水病に対して「狂犬病予防菌はなんら効力を示さなかった」ってそりゃ当たり前だよ!そして更にメディアに対しても痛烈な批判が(ノ∀`)「楽観的な調子で一時的なものであると繰り返した」それがついに国王や元首が事態の急迫を認め、「人類を洪水による滅亡から救うためにあらゆる精神と物質(ゲーテさんか!)とを動員しての大堤防の構築を急ぐ」旨の声明を発し、何十万という労働者を強制労働にかり出すようになってから急に態度を変え、「声明に合わせてその正義と義務をうたった」ってコレ戦前のことかしら?それとも当時盛んに北への帰還事業を盛り上げてらっしゃった方々のことかしら?^^「しかしもうほとんどすべての人が、その声明が声明のための声明にすぎないことを知っていた」あっ、原/発の件ですね、分かります分かります。「ただちに影響はない」「アンダー・コントロール」ってヤツね、OK把握(^^)b あーぁ、人間ってどうしてこんな進歩できないんだろ・・・orz
で、実際「液化」した労働者の身の上については「新聞の性格から」第四面に原因としてではなく結果としてのみ載っているだけだった、と。「洪水の持つ矛盾した性格や、その本質的な原因については固く口を閉ざしたまま決してふれようとしなかった」コレさ、一番酷いのが日.本の新聞だよね。誤解煽ったり政策意図やイデオロギーによるマッチポンプやり過ぎちゃう海外メディアもどうかと思うけど、少なくともアル・ジャジー○とか見てるとどんなに理不尽で危険な目に遭っても、ちゃんと義務を果たそうとしてるジャーナリストもいるんだな、って(´・ω・`) 英/国系は何だかんだ自国・欧州に甘い部分は確かにあるけど、部外者としては叩くべきところを叩いたり鋭く的を射た指摘なんかもしてくれる。独は偏ってるし、仏・米は思想がハッキリ別れ過ぎな印象が強いかな? 日.本語フルで読める記事では基本的に時/事通/信をチェックしてからニュー○フィアとかに飛んで、意訳・要約の内容が微妙に気になったヤツのみ原文サイトに飛ぶパターンにしてます。時間ある時に限られるし、何か最近北に隣に露に米ボス選だの日.本人として「もうどうにでもなーれ☆彡」みたいなネタばっかで深く考える気力も湧いてこないけどね(´-`) そりゃ任官拒否も増えるっつの、フラグ立ちまくってんじゃん南シ○海送り→中/国激怒の口実ゲットの。台.湾・香/港の若者たちの件といい、いくら人口と経済力あるからってまだ早すぎるってかアング○天下を覆すのは不可能だから止めといた方良いって・・・と誰かあのバ○ボンとお隣さん止めてくれないかね? ロ○アが裏で糸引いてんのかな?プー○ン暗殺でもされたら全て収まったりしないかな?余計混乱して暴れ出すだけか?
とか言ってたら出てきた「原子力エネルギー」何この人予言者?(@o@;) 科学者まで液化し始めて?水分不足でみんながミイラになる中、一人平然とするノアさん、おいくつ!?前回の経験()から今回も自分と家族だけは助かると思っていた彼だけれど、液体人間は普通の水じゃなくて方舟を這い上がることができるのでした。それなのに人間の言葉は通じない(笑)「液体には液体の問題があるだけ」で方舟の生物は溺死し、人類は絶滅。「だが静まった水底では液体人間たちの目に見えない心臓を中心にして、何やらきらめく物質が結晶し始めている」って何とも詩的で美しいラストシーンの描写ですね^^
『魔法のチョーク』
童話的なのktkr 主役は画家のアルゴン君。夜の間だけ壁に描いた絵が本物になる魔法のチョークを手に入れた彼。飢えた彼は初め、そこから現れた食べ物の存在を信じることを恐れた。触って、食べて「本当だ。信じるよ。だが恐い、信じるのは恐い。」そうとも、だからシュール・レアリストになるんだみんな!\(^O^)/ワーイ 朝になって魔法が解けると、悲しみも空腹も五倍になって返って来た。飢えた彼は下水の中から拾い出した残飯を食べながら思う。「昨夜の御馳走を想い出すと、これはまたなんて泥臭く、まずいことだろう。だが魔法ではなく実際に腹の足しになるということはかけがえもなく大事なことであったから、拒むことができない。喉の動きを一口ごとに意識しなければならぬほどまずくても、食べなくてはならぬのだ。くそ、これが現実というやつさ。」何という真理・・・!(゜Д゜;) ここで表現されている描写の中には現実そのものの“味”がそのまま存在するんですよ。ずっとシュールの世界にどっぷりだったから、いきなり冷水浴びせられたみたいにヒヤッとする言葉。で、魔法は太陽の光で消えると学んだアルゴン君は箱男さんを思わせる、ドアに釘打ち、窓を覆い、完全な光の差さない密室を作り上げる。
創造の歓喜に打ち震えながら同時に息苦しさを覚えた彼は壁に窓を描くが、ソレを本物の窓に変えるための(外)の風景が思い到らず悩み始める。「無限性を孕んだ新しい世界の創造」は下手をすると彼を飢えた過去の世界に引き戻しかねない。結局彼は四週間に及んで悩みぬいた末、壁にドアを描き、そのドアを開けた先の景色によって窓の外の世界を決定づけることを選択する。「(外)を与える責任からのがれるため、責任にせまられるより遥かにマシ」ってまさにさっき触れた典型的な日/本人思考じゃないですかーキャハハハ☆(≧∀≦)σ でもって、壁に出現したドアを開けると・・・お分かりですね?一部と同じ、曠野に還っちゃうわけですよ!ここ最高@大興奮!o(゜∀゜;)))プルプル 絶望したアルゴン君は何気なく買った新聞を眺めつつ人恋しさからそこに映るミス・ニッポ○を「イヴ」として描き出す。イヴ――ミス・○ッポンは典型的な現実主義者の女性で、彼の言葉を全く信じようとしない。そして彼女が描き出したピストルによってアルゴン君は撃たれ、彼女はアルゴン君が綿密に打ち付けたドアを破壊し、差し込んだ光によって魔法の世界は脆くも一瞬にして崩れ去る。ところが話はそれで終わりではなく、アルゴン君を呼ぶものがあった。壁。彼が魔法の食物として体内に際限なく取り込み、彼の一部と化してしまった壁。否、その逆でアルゴン君はとうとう壁に吸い込まれてしまう。「世界をつくりかえるのは、チョークではない」と言って涙を流す壁と同化したアルゴン君が(つД`)ビエエーン
『事業』
コレいっちばん怖ろしいです(((-_-;)))gkbr 最後まで何も悪気や罪や悲しみを感じていないところが恐い!怖すぎる>< 鼠肉ソーセージ、「道徳をよそおうことが道徳」・・・あの、どっかのお隣の国を思い浮かべてしまうのは(以下略)丸々と太らせるよう改良した鼠に従業員や妻子を食い殺されてなお、「事業の拡大は司祭としての義務」として今度は人肉ソーセージを作り始める主人公。「人間とは神の下にあって本来的に弱い者であり、奪われるべきものなのだ。だから人間から奪うことは神の意志にかなうことであり、神の側に立つことであり、少しも人間同胞を裏切ったことにはならぬ。なぜなら人間は奪われることによっていささかの変化もうけず、むしろ本来的な在り方にとどまるはずだからである。・・・この事業こそ、反道徳はおろか社会事業であるといいうるではないか」からの堕胎の合法化だの胎児の加工品云々から事業の拡張発展、原料不足に到るまでの狂気的興奮がお分かりいただけるだろうか?(゜Д゜;)ゴクリ 最後まで冷静な企業家の語り口なんですよ、ゾッとするほどに。で、共食いという風習についてのくだりはやっぱりお隣の『狂人日記』思い出したわ・・・ダメだ、食品衛生の問題とかカニバとか倫理の異常性となると最近中.国さんしか浮かばない><(関わりのある方サーセン!)だってあの爆買いっぷりはさぁ。こんな田舎に来てまで、しかも留学生っぽい若い子たちが大量に、ってソレ絶対向こうで高値転売する気だよね!?そんなに自国生産品が信用できないってどういう状況!?(´Д`;)って心配にもなるわけで。
でね、「食慾による殺人はまさに正義であり美徳」として合法化を大臣に願い出ようとする主人公の考えた生きたままの人間をソーセージにする機械「ユートピヤ」のエピソード、『自殺自由法』を思い出した。今考えるとアレうっすかったなー。公房さんのこの一作品のほんの一部を意味や主張を付け加えることもなく単に引き延ばしただけ。それなのに“クオリティ・ペーパー”に書評が載っちゃうってんですから(だから買ったんだよ?A日さん^^)、本当日/本の文壇レベルって数十年で格段に下がってしまったんやなorz そしてここでもやはり当時そのようなメディアが盛んに喧伝していたと聞く「北は楽園、いざ帰らん!」というノリへの批判的な眼差しが感じられるように思うのは私の気のせいだろうか?宛名の「彼の中の彼 殿」というのがまた意味深。読んでる人みんなギクリとしちゃったんじゃないかな。
でも公房さん、毎回思うんだけど、彼自身が異性への特別な思いを凝縮させるタイプの男性として仕方ないことなのかもしれないけど、女性もその閉じた世界の内側に入れてやってくださいよ・・・(´-`) 女性だから皆が皆現実主義者だとか、器用な生き方ができるみたいな言い方はしないでほしい。だってここに無性希望のS E Xとしての己の性が受け入れられずに彼の作品の登場人物まんまの鬱屈抱えて生きてる一応性別:女の人間もどきが存在しちゃってるもんでね!たぶん私のような女は腐るほど存在してきたんだと思うけど、名前に残る立場になれる女って何だかんだ言って権力者や著名人と関係持つような「現実的」な女性ばっかなんだよねぇ。あっ、エ○イーズ、彼女はどうだろう?立派なとらぬ狸持ってそうだけど、バベルの塔には入れないのかな?(´・ω・`) 仮にも修道女だからダメ?すぐ昇天しちゃった?まぁとにかく、公房作品の全ての原点が詰まっていて一つ一つがスッゲー面白い傑作(シュール・レアリスム好きにとっては特に。笑)でした!『砂の女』が最も一般的で他のは大衆向きではない、という点は納得せざるを得ないけどね(^^;その混乱すら面白い!元ネタ探しとか他の作品拾いに行くのもまたオツというか。かと言ってヨーロッパ的な神話や聖.書の知識総動員、って頭の疲れ方ではないんだよね。本当に不思議な感覚。楽しい。ひたすら楽しい。そして読みかけている太宰は正反対に現実の自分そのもの過ぎて余りの読みやすさに驚愕(苦笑)詩人ではなくなった男やアルゴン君の味わった空腹を『人間失格』の主人公は知らないんだもん。不思議なもんですね、被る時代に活躍した作家なのに。一気に読んで『第四~』に行くか合間にちょこっとハルキ読むか、面接まで色々考えようっと♪
解説を読んで、でもカフカはヨーロッパ人だからそれでも“超えられる現実”の範囲が限定されていたけれど、日.本人である公房さんは囚われるものを全く持たなかった、そもそも脱け出すべき“現実”の枠組みとなる「基盤」を知らなかった、という部分に大いに共感した。それはまさに東洋と西洋の合いの子というかキメラみたいな、それでいて独自の歴史をそれなりに積み重ねてきている日/本、移民が作り上げた新世界でもない島国、一世紀の間に二度も激しく価値観をひっくり返された民族の人間で無いと創り上げられない世界だったのかもしれない、と。歴史勉強してると本当に不思議なんですよ。西洋史やって、東洋史やって、最終的に自分の国への謎と混迷が深まる、という(-_-;)
イヤ本当Tenno制なんか最強のミステリーですよ。W W 2と原.発事故の事例を考えるに、責任を取ることも押し付けることも嫌う日/本人ならではの上手い分担システム、という説明が一番しっくり来るのかな、という気はするけど、それにしても将門・信長以外はその権威を乗り越えようとした者がほとんどいない、奇妙な癒着と了解の元に、したたかに互いを利用し、牽制し合い時には他国を混乱させる餌ともなり得た二重構造を今に到るまで保ってきた、かなり不可思議(だってある意味非効率的でしょ?)で独自の形態を持つ国だなぁ、と客観的に見て。失礼に感じたらすみませんm(__)m いや歴オタとして外せないんですよねー、ウチがウチになった時、というかソレを作り上げた家系が一応ずっと続いてることになってて、どう考えてもソレは他国の記録(魏誌○人伝ね)にまで残っている歴史と矛盾を感じさせない「物語」まで用意されている。こわ・・・こっわー、ってよく考えると思いません!?(´Д`;) ちょっとヨーロッパの王室がいかにカオスに入り乱れて入れ替わってるか見てみれば一目瞭然だと思うの!バチ○ンの荒んだ歴史でもOK、ウチの異常性いや特殊性にさえ気づいてくれれば!
だから、それまで絶対的支配者だった東洋的儒学思想の全否定→西欧への傾倒→帝.国主義という怒涛の変化をW W 2で一気にぶっ壊されて、じゃあ今度は何に行く?アメ○カだ、資/本主義が手本だ!ってすーぐ切り替えられてしまった、傍から見ればグニャグニャしたアメーバみたいな国民の中から真のシュール・レアリスト、全く新しい試みで現実を思いもよらぬ方向からヒョーンと飛び越えていく作家・芸術家がウチから出たのは至極当然のこと、と納得。(初めからそんな定まった概念を持たないんだから、超えるのは超簡単だもん(^^;)いやウチらにもウチらなりの”現実”はあるんですけど(「日曜日のサラリーマン」のような。笑)、「ヨーロッパ」縛り、“宗教”と“イデオロギー”について自分の意志を必ず持たねばならない、といったような強固な観念はソコまで存在しないからね。そんなもんあったら日.本人とっくに発狂しちゃって、こんなある程度の生活ができる国になれてなかったわ、正直言って。よりによって東洋思想の礎だったお隣が西から入って来たマル○ス・レー○ン思想に染まっちゃったんだぞ? 自分たちが取り入れた先進的ヨーロッパ思想の最たるもの=帝/国主義は当の彼らにいきなり180度態度変えられて全否定されるわ、彼ら自身が他ならぬ自分たち(とアメリ○)の手によって世界の頂点から目の前で転がり落ちるわ、何か知らんけどいきなり世界のトップに躍り出たアメ○カの属国状態になってるわ。よっぽどよく分からない柔軟な切り替えスイッチボタンでも備え付けてない限りついていけないはずだと思うんですよ、そりゃいくら人間は常に生き残りに必死な生き物だとはいえ。宗教意識もビックリするほど薄いし、基本的にみんなノンポリだし、つーか両方の話題避ける社会だし、何考えてるのか本当に分からない・・・。(って私がリアルによく言われる言葉だけどネ☆)そういう「よく分からない日.本という国の現実」自体が他国に比べてより一層不安定で非現実的だからこそ、何か「どっかであり得るんじゃねーの?」って何とも不安感を煽るこういう話が、正しく超・シュール・レアリスムとも表現すべきレベルの小説が仕上がったんじゃないですかねぇ?とつくづく感じざるを得なかった((-_-)ウンウン
<第二部>
女の脚にこだわる「ぼく」、『箱男』に繋がりますね。「美に囚われぬ冷たい心」を持った人間になることを願いながらその脚に見入る彼の手帳は「とらぬ狸の皮」、そして主人公はとらぬ狸に名前ではなく影を喰われてしまう。名前を取られたカルマ氏と同じく彼は「脳の半分をけずり取られたような空白感」に立ちすくむのみならず、影と同時に肉体すらも消滅し、目だけを残した透明人間となってしまう。この「原因と因果が反対」のようにも思える現象に初めは戸惑いを覚えつつ、透明人間が現れたというだけで戦慄し彼を追いかけ回す街の人々に恐怖と絶望を怯え涙する「ぼく」。しかしやがて彼は錬金術のような影の構成の把握と再生成に一縷の不可思議な希望を、宇宙法則の変更、世界の可変性を妄想して興奮する。(『ファウスト』のホムンクルスみたい^^)「所有権も個人の観念も消滅した完全な自由、永遠の再分配。平等な社会の天使のような人間。」どこのラグ○ロク・人類補○計画ですか(ノ∀`) ''''''''51年ってことは共/産主義揶揄ってんのか(笑)
ニュースで聞いた透明人間に関する「専門家」諸氏の見解に絶望した「ぼく」はニュース中毒を脱し、「死刑」の訴状の夢を見る。目覚めた「ぼく」が取り出したのは天体望遠鏡、ハイハイ私も持ってまーす!(^ω^)ノシ 利用目的は主に覗き、と・・・ウン、『箱男』の原形がここにも。視線だけの存在となる自由のよろこび、おお偏執狂よ!そんな主人公の前に、何と空の箱=棺にまたがってとらぬ狸が現れる。主である「ぼく」の影を食べて一人前になったとらぬ狸は、彼の希望を叶えるべくバベルの塔へと誘う。「君の影を食い、消化したぼくは君以上に君自身になった。ぼくは君の意志であり、行動であり、慾望であり、存在理由」と語るとらぬ狸。「影に対するぼくの食慾が君の透明になりたいという慾望の証明。なぜなら君の慾望こそぼくの成長の理由だったのだから」と語るとらぬ狸は、主人公が「皮」にメモしていた(人間計算図表)なるものによる記録についても話し出す。コレ、超怖い(((゜Д゜;)))gkbr やっぱ妄想は脳内に留めておくべきなんや!「君の住むべき場所はこの世じゃない」としつこく決断を迫るとらぬ狸の教える透明人間の出現にかこつけた社会の動き、S国人の侵略にでっち上げて右.翼がクーデターを狙っている、とかなんとも時代的なものを感じさせますな(ノ∀`)
バベルの塔での生活について考えつつ、「肉体がほしい」と望む主人公に、とらぬ狸は「君の発明した(時間彫刻器)によって今や時間は可逆的で自由自在に調節できるもの。ぼくらの意図は死をとびこえてソレを空白にとどまること。死を停止させて死の死たる機能をなくすこと。停止した死は不死だよ。影を食べたことは永遠のための目的と必然的に結びつき、君の空想とプランをめんみつに合理的に設計され具体化されていった結果。君の意志じゃないなんてとても言えた義理じゃないはずだ。」と言いきる。何てシュール・レアリスム的な論理の飛躍!ムッハーo(゜∀゜;)=3大興奮!とらぬ狸に夢で見た「死刑」の白紙委任状を見せられて、自分の意志がもう何の役にも立たなくなっていることに気づいた「ぼく」はバベルの塔に向かうことを決意。望遠鏡をとらぬ狸が「眼鏡」と呼び、それを覗き込み続けなければ棺には乗れない、「委任状を思い出すんだね。君の理屈はまるで、共/産主義者がぼくの生れは下賤の身でなどと言い出すようなものだ。」ってくだり、爆笑しちゃった。屋根裏にあるの引っ張り出したらウチにも迎えに来てくれるかな?一応女だからダメか>< 全然現実に生きてないのになー。
バベルの塔に入るにはシュール・リアリズムを用いなくては、ってここまでの展開で更にどうソレを乗り越えろと?(^ω^) と思ってたら「ぼく」石壁に思いっきり叩きつけられたー!昔は無限の苦行を経た本当の大天才だけが入れた、という塔の住人たちの名前に一々爆笑する。色々混ぜたりオマージュと皮肉が込められてるんすね(ノ∀`) シュミッソー君は影と肉体の分離という幸福を不幸ととりちがえて絶望の放浪に身を亡ぼしてしまったんかー・・・前世紀の不幸ってあなた(;´Д`) そして何故か極めて軽いノリで一部の「パパ」がカルマ氏にしていた「三プラス五」の問いがとらぬ狸の口から(((@_@;)))アワワワワ そしてまたとらぬ狸はニュース中毒のロボトミー嗜好でもありましたとさ。危険すぎる!ダンテ先輩が塔中央委員会書記長とか(ノ∀`) 塔員には中々なれないはずがニイチェの推挙で入塔できたヒッソリ―ニくん(笑)やばい、もうこの辺ハライテー!「初めのころは二十日鼠のミイラみたいだったらしいんだが、途中気が変になって以来見違えるような成長ぶりだったということだ。例外なはずだね、気が変になれば政治家も廃業のはずなんだから。」この前の「数多い例外」という矛盾極まりない表現といい、もうシュールさ極まりすぎだろヒャーッハッハッハ!(^∀^)σ ・・・あんな、戦中日/本の軍閥どもも正直こういう方向に狂ってしまえば良かったと思うで?おかしいって、戦時中にコロコロ首相変わって、一方で名目上のトップだったはずのTennoには一切実権がなくて、結局責任が曖昧で軍部に罪おっ被せて当時の首相軒並み処刑や自殺に追い込んで終わり、って。ありゃ集団狂気だったろ、敵性用語の使用禁止も「自粛」という空気読み能力の賜物やろ。国家による強制性が出てくるのは末期も末期、人員・物質的徴収が始まってから。ちなみにそこに到るまでに散々好戦ムード煽ったのはメディアどもな。時には穏健・融和路線の政治家をすっ叩くこともモチロン忘れていなかった、あー今の何新聞とは言いませんけど^^ニッコニコニコ
ダンテ狸に「目玉はわれわれの生存をおびやかす危険なものであり、自由な市民生活のために一刻も早くソレを銀行にあずけ、重さをなくし昇天すべき」と宣告される主人公。つーかさ、審議会だの中央委員会書記長だの、コレ塔と党かけて皮肉ってるよね?とリアル党員の身内としてホント爆笑さぜるを得ない(ノ∀`) 自由のために入った時から自由じゃなくなって縛られるんだってマジで!(笑・・・い事じゃないんだよね、ぶっちゃけ今(^^; ダッテトウカンケイノシゴトッテダイタイテダシナンダモノー。ダレモカネハラッテクレナインダモノー。ダレガウチヲタスケテクレルノー?トウハチュウジツナトウインヲマモッテクレルンジャナカッタノー? と、いう訳で自分も他人のことは言えない家計逼迫の原因の一つだという点は理解しているものの、私が○十年の人生で某党・某主義を嫌悪するようになった理由もお察し願いたいm(__)m)最終的にひたすら愛する女ベアトウリチェの話になってしまったダンテ先輩にニイチェ狸が容赦なく腐女子の喜びそうなネタを投下(笑)狸だから変幻自在なのねー。杜子春のことは言わないでやれよ!狸になっても飲んだくれの李白大人(ノ∀`) ヒッソリ―ニ×ニイチェ@女体化だと!?薄い本描きの皆さん、出番ですよー(∩゜Д゜)∩ あっ、ヴィジュアルはイタ○アンの方メインにちょび髭だけオース○リアンで頼むわ。さーらーに、どっちがどっちか分からないけどヒッソリーニくんたらコルーマンくんという同/性/愛仲間もいて!?アメ○カン+何だろ「コ」って・・・?@落ち着け?^^
主人公アンテン君の発明の中の(食用鼠)が三章に繋がって来るわけですね(怖)シュール・リアリズム第二宣言で乗り越えられない壁を持つ人間崇拝は疑わるべき、と書いたブルトン狸は、第十宣言において事情は変り、「壁の通過は可能になり、人間の代りにとらぬ狸が存在する」と演説を打つ。「ぼく」はコレを聞いて「消滅するか破裂するか以外に自分であることが不可能」のように何とも言えない胸のむかつきと苦しさを覚える。そりゃそうだよ、シュールもここまで極まるとねぇ((´-`)
入塔式後のとらぬ狸との問答で、「絶対の自由を得る、一個の純粋意識となって透明な詩人となるには非存在となって天国に昇天するしかない」つまりバベルの塔は墓場と何ら変りはない、という事実を説かれる主人公。「君にはもう選択の余地がない。」と脅しに近い言葉を吐かれながら、目玉銀行の管理者エホバ老人の元に連れていかれ、そのミイラのような「人間」の姿に親愛の情を抱く「ぼく」が切ない(´;ω;`) 「愛塔貯眼精神を説明してやって下さい」と老人に請う狸にあーコレ完全な皮肉だわ、と改めて感じざるを得ない(´Д`)) エホバの語る視線の有害さと微笑の意味には大いに納得できてしまった@通院中だよ!\(^O^)/ ボルコスの娘たち、ファウストに出てきたメフィストーフェレスと一体化してヘレネー惑わしたアレね。カメレオン水の万能性(笑)
下界展望室に向かう途中で狸が持ち出した時間彫刻器。精.液で時間いじれるんか(ノ∀`) 下界展望器で眺める景色にどうしようもない郷愁を覚える主人公は、平穏な生活を取り戻したそこに映る彼らを「憐れな俗物ども」と罵る狸に理性の限界へと追い込まれ、絶望感が憎しみとなって凝結する。そしてその全ての感情を封印した微笑を奪い、抵抗を失わせ、時間彫刻器を奪い去る。雄叫びにより集まった無数の狸たちに追われて逃れた場所はバベルの塔美術館、様々な時代の女の脚の展示場。最後に逃げ込んだシュール・リアリズムの部屋にあったのは脚ではなく壁。「ぼく」をぴったりはめこんでしまうような穴が、書き込まれた方程式の下に様々空いている・・・この時点でもうゾクゾクするね!o(((゜∀゜;))) 人間の体内のような穴を通り抜けた主人公は時を遡ることに成功。とらぬ狸に影を食われる前に戻り、ヤツを追い払うことに成功すると、詩人ではなくなった彼は急に当然腹がすいていることに気づく。この話シュールなのに限りなく現実的で一番好きかも。
<弟三部>
『赤い繭』
今度は家がない男。突然訪ねて来た見知らぬ男に「ここはおれの家では?」なんて言われたらそりゃ顔も壁に変るやろ(笑)「女の笑顔というやつの正体」って(ノ∀`) でもって帰る家を求め続けた男の身体は突然ほぐれて空っぽの繭へと変わり、彼はようやく休める場所を見つけたけれど、今度はそこに帰っていくべき彼自身が消滅してしまった。何とも暗喩的な・・・空洞の蛹に自分を例える私的に笑えない話(^^;
『洪水』
労働者の液状化、これは物凄く皮肉の効いたオハナシですこと。富める者や大工場主・政治家が恐水病にかかり高地に引っ越していくあたりなんか最高(笑)恐水病に対して「狂犬病予防菌はなんら効力を示さなかった」ってそりゃ当たり前だよ!そして更にメディアに対しても痛烈な批判が(ノ∀`)「楽観的な調子で一時的なものであると繰り返した」それがついに国王や元首が事態の急迫を認め、「人類を洪水による滅亡から救うためにあらゆる精神と物質(ゲーテさんか!)とを動員しての大堤防の構築を急ぐ」旨の声明を発し、何十万という労働者を強制労働にかり出すようになってから急に態度を変え、「声明に合わせてその正義と義務をうたった」ってコレ戦前のことかしら?それとも当時盛んに北への帰還事業を盛り上げてらっしゃった方々のことかしら?^^「しかしもうほとんどすべての人が、その声明が声明のための声明にすぎないことを知っていた」あっ、原/発の件ですね、分かります分かります。「ただちに影響はない」「アンダー・コントロール」ってヤツね、OK把握(^^)b あーぁ、人間ってどうしてこんな進歩できないんだろ・・・orz
で、実際「液化」した労働者の身の上については「新聞の性格から」第四面に原因としてではなく結果としてのみ載っているだけだった、と。「洪水の持つ矛盾した性格や、その本質的な原因については固く口を閉ざしたまま決してふれようとしなかった」コレさ、一番酷いのが日.本の新聞だよね。誤解煽ったり政策意図やイデオロギーによるマッチポンプやり過ぎちゃう海外メディアもどうかと思うけど、少なくともアル・ジャジー○とか見てるとどんなに理不尽で危険な目に遭っても、ちゃんと義務を果たそうとしてるジャーナリストもいるんだな、って(´・ω・`) 英/国系は何だかんだ自国・欧州に甘い部分は確かにあるけど、部外者としては叩くべきところを叩いたり鋭く的を射た指摘なんかもしてくれる。独は偏ってるし、仏・米は思想がハッキリ別れ過ぎな印象が強いかな? 日.本語フルで読める記事では基本的に時/事通/信をチェックしてからニュー○フィアとかに飛んで、意訳・要約の内容が微妙に気になったヤツのみ原文サイトに飛ぶパターンにしてます。時間ある時に限られるし、何か最近北に隣に露に米ボス選だの日.本人として「もうどうにでもなーれ☆彡」みたいなネタばっかで深く考える気力も湧いてこないけどね(´-`) そりゃ任官拒否も増えるっつの、フラグ立ちまくってんじゃん南シ○海送り→中/国激怒の口実ゲットの。台.湾・香/港の若者たちの件といい、いくら人口と経済力あるからってまだ早すぎるってかアング○天下を覆すのは不可能だから止めといた方良いって・・・と誰かあのバ○ボンとお隣さん止めてくれないかね? ロ○アが裏で糸引いてんのかな?プー○ン暗殺でもされたら全て収まったりしないかな?余計混乱して暴れ出すだけか?
とか言ってたら出てきた「原子力エネルギー」何この人予言者?(@o@;) 科学者まで液化し始めて?水分不足でみんながミイラになる中、一人平然とするノアさん、おいくつ!?前回の経験()から今回も自分と家族だけは助かると思っていた彼だけれど、液体人間は普通の水じゃなくて方舟を這い上がることができるのでした。それなのに人間の言葉は通じない(笑)「液体には液体の問題があるだけ」で方舟の生物は溺死し、人類は絶滅。「だが静まった水底では液体人間たちの目に見えない心臓を中心にして、何やらきらめく物質が結晶し始めている」って何とも詩的で美しいラストシーンの描写ですね^^
『魔法のチョーク』
童話的なのktkr 主役は画家のアルゴン君。夜の間だけ壁に描いた絵が本物になる魔法のチョークを手に入れた彼。飢えた彼は初め、そこから現れた食べ物の存在を信じることを恐れた。触って、食べて「本当だ。信じるよ。だが恐い、信じるのは恐い。」そうとも、だからシュール・レアリストになるんだみんな!\(^O^)/ワーイ 朝になって魔法が解けると、悲しみも空腹も五倍になって返って来た。飢えた彼は下水の中から拾い出した残飯を食べながら思う。「昨夜の御馳走を想い出すと、これはまたなんて泥臭く、まずいことだろう。だが魔法ではなく実際に腹の足しになるということはかけがえもなく大事なことであったから、拒むことができない。喉の動きを一口ごとに意識しなければならぬほどまずくても、食べなくてはならぬのだ。くそ、これが現実というやつさ。」何という真理・・・!(゜Д゜;) ここで表現されている描写の中には現実そのものの“味”がそのまま存在するんですよ。ずっとシュールの世界にどっぷりだったから、いきなり冷水浴びせられたみたいにヒヤッとする言葉。で、魔法は太陽の光で消えると学んだアルゴン君は箱男さんを思わせる、ドアに釘打ち、窓を覆い、完全な光の差さない密室を作り上げる。
創造の歓喜に打ち震えながら同時に息苦しさを覚えた彼は壁に窓を描くが、ソレを本物の窓に変えるための(外)の風景が思い到らず悩み始める。「無限性を孕んだ新しい世界の創造」は下手をすると彼を飢えた過去の世界に引き戻しかねない。結局彼は四週間に及んで悩みぬいた末、壁にドアを描き、そのドアを開けた先の景色によって窓の外の世界を決定づけることを選択する。「(外)を与える責任からのがれるため、責任にせまられるより遥かにマシ」ってまさにさっき触れた典型的な日/本人思考じゃないですかーキャハハハ☆(≧∀≦)σ でもって、壁に出現したドアを開けると・・・お分かりですね?一部と同じ、曠野に還っちゃうわけですよ!ここ最高@大興奮!o(゜∀゜;)))プルプル 絶望したアルゴン君は何気なく買った新聞を眺めつつ人恋しさからそこに映るミス・ニッポ○を「イヴ」として描き出す。イヴ――ミス・○ッポンは典型的な現実主義者の女性で、彼の言葉を全く信じようとしない。そして彼女が描き出したピストルによってアルゴン君は撃たれ、彼女はアルゴン君が綿密に打ち付けたドアを破壊し、差し込んだ光によって魔法の世界は脆くも一瞬にして崩れ去る。ところが話はそれで終わりではなく、アルゴン君を呼ぶものがあった。壁。彼が魔法の食物として体内に際限なく取り込み、彼の一部と化してしまった壁。否、その逆でアルゴン君はとうとう壁に吸い込まれてしまう。「世界をつくりかえるのは、チョークではない」と言って涙を流す壁と同化したアルゴン君が(つД`)ビエエーン
『事業』
コレいっちばん怖ろしいです(((-_-;)))gkbr 最後まで何も悪気や罪や悲しみを感じていないところが恐い!怖すぎる>< 鼠肉ソーセージ、「道徳をよそおうことが道徳」・・・あの、どっかのお隣の国を思い浮かべてしまうのは(以下略)丸々と太らせるよう改良した鼠に従業員や妻子を食い殺されてなお、「事業の拡大は司祭としての義務」として今度は人肉ソーセージを作り始める主人公。「人間とは神の下にあって本来的に弱い者であり、奪われるべきものなのだ。だから人間から奪うことは神の意志にかなうことであり、神の側に立つことであり、少しも人間同胞を裏切ったことにはならぬ。なぜなら人間は奪われることによっていささかの変化もうけず、むしろ本来的な在り方にとどまるはずだからである。・・・この事業こそ、反道徳はおろか社会事業であるといいうるではないか」からの堕胎の合法化だの胎児の加工品云々から事業の拡張発展、原料不足に到るまでの狂気的興奮がお分かりいただけるだろうか?(゜Д゜;)ゴクリ 最後まで冷静な企業家の語り口なんですよ、ゾッとするほどに。で、共食いという風習についてのくだりはやっぱりお隣の『狂人日記』思い出したわ・・・ダメだ、食品衛生の問題とかカニバとか倫理の異常性となると最近中.国さんしか浮かばない><(関わりのある方サーセン!)だってあの爆買いっぷりはさぁ。こんな田舎に来てまで、しかも留学生っぽい若い子たちが大量に、ってソレ絶対向こうで高値転売する気だよね!?そんなに自国生産品が信用できないってどういう状況!?(´Д`;)って心配にもなるわけで。
でね、「食慾による殺人はまさに正義であり美徳」として合法化を大臣に願い出ようとする主人公の考えた生きたままの人間をソーセージにする機械「ユートピヤ」のエピソード、『自殺自由法』を思い出した。今考えるとアレうっすかったなー。公房さんのこの一作品のほんの一部を意味や主張を付け加えることもなく単に引き延ばしただけ。それなのに“クオリティ・ペーパー”に書評が載っちゃうってんですから(だから買ったんだよ?A日さん^^)、本当日/本の文壇レベルって数十年で格段に下がってしまったんやなorz そしてここでもやはり当時そのようなメディアが盛んに喧伝していたと聞く「北は楽園、いざ帰らん!」というノリへの批判的な眼差しが感じられるように思うのは私の気のせいだろうか?宛名の「彼の中の彼 殿」というのがまた意味深。読んでる人みんなギクリとしちゃったんじゃないかな。
でも公房さん、毎回思うんだけど、彼自身が異性への特別な思いを凝縮させるタイプの男性として仕方ないことなのかもしれないけど、女性もその閉じた世界の内側に入れてやってくださいよ・・・(´-`) 女性だから皆が皆現実主義者だとか、器用な生き方ができるみたいな言い方はしないでほしい。だってここに無性希望のS E Xとしての己の性が受け入れられずに彼の作品の登場人物まんまの鬱屈抱えて生きてる一応性別:女の人間もどきが存在しちゃってるもんでね!たぶん私のような女は腐るほど存在してきたんだと思うけど、名前に残る立場になれる女って何だかんだ言って権力者や著名人と関係持つような「現実的」な女性ばっかなんだよねぇ。あっ、エ○イーズ、彼女はどうだろう?立派なとらぬ狸持ってそうだけど、バベルの塔には入れないのかな?(´・ω・`) 仮にも修道女だからダメ?すぐ昇天しちゃった?まぁとにかく、公房作品の全ての原点が詰まっていて一つ一つがスッゲー面白い傑作(シュール・レアリスム好きにとっては特に。笑)でした!『砂の女』が最も一般的で他のは大衆向きではない、という点は納得せざるを得ないけどね(^^;その混乱すら面白い!元ネタ探しとか他の作品拾いに行くのもまたオツというか。かと言ってヨーロッパ的な神話や聖.書の知識総動員、って頭の疲れ方ではないんだよね。本当に不思議な感覚。楽しい。ひたすら楽しい。そして読みかけている太宰は正反対に現実の自分そのもの過ぎて余りの読みやすさに驚愕(苦笑)詩人ではなくなった男やアルゴン君の味わった空腹を『人間失格』の主人公は知らないんだもん。不思議なもんですね、被る時代に活躍した作家なのに。一気に読んで『第四~』に行くか合間にちょこっとハルキ読むか、面接まで色々考えようっと♪
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