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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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※いつも通り病んでますm(__)m
「シュール」って形容されたのはたぶんCDの感想聞く時に「それ面白い?楽しい?」って聞いたり、ケーキ食べて辞書に載ってないようなオノマトペで味伝えたりしちゃってたからなんだろうな。あと行動か? 教室の真ん中で好き放題私物散らかして、家で賞味期限切れた食べ物学校でみんなに処理してもらったり・・・といったところが『人間失格』主人公の「お道化」とある意味被るのかも。でも私は素だった。そこまで上手く立ち回れなかった。自分の音楽聴く基準が本当に「楽しい・面白い」だったからそう聞くしかなかったし(だからip○dの中身がカオスで同じバンド好きな相手とも上手に盛り上がりきれない)、味の感想だってそうとしか表現できなかった。
本の感想は改めて明日まとめようと思いますが、『日の名残り』と『斜陽』に見出したのがイギリ○と日.本という国・社会の鏡写しだとしたら、『人間失格』は主人公と私個人の鏡写しそのものだ、と感じてしまった。漠然と泣けて、衝撃を受け、虚脱している。初めはソックリだと思い共感しながら読んでいたものが、少しずつ異なることに気づき始め、最後には反対なのだと認めざるを得ないあのゾッとする瞬間の感覚。どう見ても瓜二つ、自分そのものなのに、鏡像で決して他人の目に映る実際の自分を確かめることは叶わない。虚しい・・・やっと芯からの共感、答えを見つけることができるように思ったのに、むしろそれは遠い異国のイシグロ作品や、『斜陽』解説内で『人間失格』に劣ると評されていた『地下室の手記』 、あるいはやはりカフカの描く主人公たちの姿の方に、より近さを、親しみを感じてしまう。半端に向こうの宗教に被れて育ったから、あちらの縛りが一般日/本人より根に食い込んでいるせいなのか? いやキリ○ト被れというなら太宰の方が、それも自ら進んで作中にまで登場させる始末だろ。自分の原点がどこにあるのか、正体が何者なのかわからなくなった。公房さんくらい飛び越えられたら、それこそ国も現実も全く何も関係ない本物のコスモポリタン、あるいはシュール・レアリストと言えるんだろうなぁ。でも私はやっぱり狭い部屋にいるのが一番落ち着く。もしくは誰もいない山の中か、両極。本音を言えば、どこにも行きたくないし誰とも交わりたくない気分にしょっちゅうなる。というか大体そう。でも人間と世界が好きで眺めていたい矛盾した欲望も同時にあって・・・病んでますねスミマセン(-_-;)
ニュースと本はその全てを満たしてくれる。今日のはどっちも重かった。どうか復讐の連鎖が一刻も早く止まりますように。直接つけられたわけでもない傷のために新しい傷を作り出すことはない、と時間による解決を信じたい気持ち@ウチとご近所に関しても。現実的にはコレでBr exitの流れが本格的になりそうやな(´-`) このタイミングでシ○アから引き上げたロシ○の思惑もどうなんだろ? ト○ンプは頭が百年単位で遡ってるボケジジイみたいなこと喚いてるし(中/国様から金か女でも贈られたわけ?)、日.韓から基地なくなったら南シナ海どうなんの? 主力はウチにある基地から駆け付ける予定でいると思うんだけどなー・・・。北も自棄でも起こしたのか、ってくらいバカスカ打ってて、ロ○アのナショナリズムはプーチ○による巧みな制裁への不満逸らし術とメディア・敵対勢力への統制を以て危険な水位にまで高められてる。北の島なんか、還ってくるわけないんですよ。自分に本来そこにいた同胞・原住民の血が流れているとしたら悲しいことだけど、故郷なくした流浪の民の話なんて世界中どこにでもあるし、そうだとしても土地や民族を失った「負け組」の末が今の生活できてるだけありがたいんじゃん?としか感じないからなぁ(´・ω・`) あ、いや日.本としてはロシ○は絶対信用するに値しない相手(彼らの最大の隣国かつ利益の共有者が中/国、という地政学・経済的事情が動かしようのない現実である限り、互いに最優先に考えるべき思惑が一致することは確実に無いから)であってビジネスライクに付き合うべき、という意見は変わらないけど、気持ちの問題として。

『人間失格』の中に出てきたヒキガエルの詩、ググッて全文見たら素晴らしかった。手持ちの『海潮音』には載ってなかったけど、生きるってこういうことか、と思える詩。何とか明日もその先もがんばろう。そしてたくさん本を読みたい。『第四~』すごく楽しみです! あとコレも『人間失格』で画家を志す主人公が印象派に傾倒するくだり、カイユボット展で自分が買ったポストカードを思い出してしまった。飾らずにたまに取り出してじっと見入っているやつ。

ぼやけたように見えるタッチで現実というものをこれほど生々しく描き出すって凄い才能だとしみじみ思う。橋に立って遠くを見る(見送りのようにも、追憶に黄昏ているようにも、人を待っているようにも思える)紳士のヤツも、若干キレイ過ぎるように感じるけど背景含めとっても好き。

あとモネのこのおどろおどしい絵のタイトルが『日.本の橋』だってのにゾッとしたね。

小さい頃、運動音痴の私がもの凄く怖くて、保育所でやらされると吐きそうになるくらい嫌だった通称「太鼓橋」って遊具の記憶が蘇りまくる>< 映画村行った時もスゲー怖かったし。あれ雨や雪の時は人殺せる凶器ですよ?昔の日/本人下駄に着物で渡ってたとか信じられん(((゜ロ゜;)))gkbr
何であんなシュール・レアリスムって聞くとどこだろうと嬉々として出かけていくのに、ソッチ系のカードや画集全然買ってないんだろう、って不思議なくらい、ウチにあるのは文化財の写真系と印象派のやつばっかりだ。あと奈良さんにラッセン(笑)に安野さんにシュヴァンクマイエルに絵巻物な! 手にして常に眺めるには、いくら好きでも、好きだからこそ、思い入れを抱きすぎるからこそ苦しさを覚えて哀しくなってしまうからかも。

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「シュール」って形容されたのはたぶんCDの感想聞く時に「それ面白い?楽しい?」って聞いたり、ケーキ食べて辞書に載ってないようなオノマトペで味伝えたりしちゃってたからなんだろうな。あと行動か? 教室の真ん中で好き放題私物散らかして、家で賞味期限切れた食べ物学校でみんなに処理してもらったり・・・といったところが『人間失格』主人公の「お道化」とある意味被るのかも。でも私は素だった。そこまで上手く立ち回れなかった。自分の音楽聴く基準が本当に「楽しい・面白い」だったからそう聞くしかなかったし(だからip○dの中身がカオスで同じバンド好きな相手とも上手に盛り上がりきれない)、味の感想だってそうとしか表現できなかった。
本の感想は改めて明日まとめようと思いますが、『日の名残り』と『斜陽』に見出したのがイギリ○と日.本という国・社会の鏡写しだとしたら、『人間失格』は主人公と私個人の鏡写しそのものだ、と感じてしまった。漠然と泣けて、衝撃を受け、虚脱している。初めはソックリだと思い共感しながら読んでいたものが、少しずつ異なることに気づき始め、最後には反対なのだと認めざるを得ないあのゾッとする瞬間の感覚。どう見ても瓜二つ、自分そのものなのに、鏡像で決して他人の目に映る実際の自分を確かめることは叶わない。虚しい・・・やっと芯からの共感、答えを見つけることができるように思ったのに、むしろそれは遠い異国のイシグロ作品や、『斜陽』解説内で『人間失格』に劣ると評されていた『地下室の手記』 、あるいはやはりカフカの描く主人公たちの姿の方に、より近さを、親しみを感じてしまう。半端に向こうの宗教に被れて育ったから、あちらの縛りが一般日/本人より根に食い込んでいるせいなのか? いやキリ○ト被れというなら太宰の方が、それも自ら進んで作中にまで登場させる始末だろ。自分の原点がどこにあるのか、正体が何者なのかわからなくなった。公房さんくらい飛び越えられたら、それこそ国も現実も全く何も関係ない本物のコスモポリタン、あるいはシュール・レアリストと言えるんだろうなぁ。でも私はやっぱり狭い部屋にいるのが一番落ち着く。もしくは誰もいない山の中か、両極。本音を言えば、どこにも行きたくないし誰とも交わりたくない気分にしょっちゅうなる。というか大体そう。でも人間と世界が好きで眺めていたい矛盾した欲望も同時にあって・・・病んでますねスミマセン(-_-;)
ニュースと本はその全てを満たしてくれる。今日のはどっちも重かった。どうか復讐の連鎖が一刻も早く止まりますように。直接つけられたわけでもない傷のために新しい傷を作り出すことはない、と時間による解決を信じたい気持ち@ウチとご近所に関しても。現実的にはコレでBr exitの流れが本格的になりそうやな(´-`) このタイミングでシ○アから引き上げたロシ○の思惑もどうなんだろ? ト○ンプは頭が百年単位で遡ってるボケジジイみたいなこと喚いてるし(中/国様から金か女でも贈られたわけ?)、日.韓から基地なくなったら南シナ海どうなんの? 主力はウチにある基地から駆け付ける予定でいると思うんだけどなー・・・。北も自棄でも起こしたのか、ってくらいバカスカ打ってて、ロ○アのナショナリズムはプーチ○による巧みな制裁への不満逸らし術とメディア・敵対勢力への統制を以て危険な水位にまで高められてる。北の島なんか、還ってくるわけないんですよ。自分に本来そこにいた同胞・原住民の血が流れているとしたら悲しいことだけど、故郷なくした流浪の民の話なんて世界中どこにでもあるし、そうだとしても土地や民族を失った「負け組」の末が今の生活できてるだけありがたいんじゃん?としか感じないからなぁ(´・ω・`) あ、いや日.本としてはロシ○は絶対信用するに値しない相手(彼らの最大の隣国かつ利益の共有者が中/国、という地政学・経済的事情が動かしようのない現実である限り、互いに最優先に考えるべき思惑が一致することは確実に無いから)であってビジネスライクに付き合うべき、という意見は変わらないけど、気持ちの問題として。

『人間失格』の中に出てきたヒキガエルの詩、ググッて全文見たら素晴らしかった。手持ちの『海潮音』には載ってなかったけど、生きるってこういうことか、と思える詩。何とか明日もその先もがんばろう。そしてたくさん本を読みたい。『第四~』すごく楽しみです! あとコレも『人間失格』で画家を志す主人公が印象派に傾倒するくだり、カイユボット展で自分が買ったポストカードを思い出してしまった。飾らずにたまに取り出してじっと見入っているやつ。

ぼやけたように見えるタッチで現実というものをこれほど生々しく描き出すって凄い才能だとしみじみ思う。橋に立って遠くを見る(見送りのようにも、追憶に黄昏ているようにも、人を待っているようにも思える)紳士のヤツも、若干キレイ過ぎるように感じるけど背景含めとっても好き。

あとモネのこのおどろおどしい絵のタイトルが『日.本の橋』だってのにゾッとしたね。

小さい頃、運動音痴の私がもの凄く怖くて、保育所でやらされると吐きそうになるくらい嫌だった通称「太鼓橋」って遊具の記憶が蘇りまくる>< 映画村行った時もスゲー怖かったし。あれ雨や雪の時は人殺せる凶器ですよ?昔の日/本人下駄に着物で渡ってたとか信じられん(((゜ロ゜;)))gkbr
何であんなシュール・レアリスムって聞くとどこだろうと嬉々として出かけていくのに、ソッチ系のカードや画集全然買ってないんだろう、って不思議なくらい、ウチにあるのは文化財の写真系と印象派のやつばっかりだ。あと奈良さんにラッセン(笑)に安野さんにシュヴァンクマイエルに絵巻物な! 手にして常に眺めるには、いくら好きでも、好きだからこそ、思い入れを抱きすぎるからこそ苦しさを覚えて哀しくなってしまうからかも。

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