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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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九州の地震で亡くなられた方々の無念、ご家族の哀しみに改めて心からのお悔やみを申し上げます。余震が一刻も早く収まり、被害が拡大しないことをひたすら大地に向かって祈ります。
そして一つ、どうか避難所に本を届けてほしい。学校ならあるだろうけど、皆が息を詰め、心に余裕をなくしている中、救ってくれるのが本を読むことだと個人的には考えるから。情報集めも大事、家の片付けも物資を手に入れるのだって時間がかかる。だからこそ、落ち着いて眠れない避難所での時間、本を読んで頭のスイッチを切り替えられたら、束の間だけでも現実を忘れ、あるいは今の苦しみに共感できる言葉や人物を見出すことで人の心はどれだけ救われるか知れない。私も震災時そうでした。電気が止まったから紙の画集や本の存在が本当にありがたかった。食べられなくなってからの半年、読書にひたすらいそしんだ結果、様々な人々や考えや感情について改めて学べたことも、友人の言葉に加えて踏み出す助けになったと思っている。借り物でも、空っぽな自分の一部を少し埋められたような気がしたから。ツタ○様でもブクオフ様でも、ちょっとでも生活物資以外のものを運ぶ余裕ができたらぜひ出張図書館みたいなのやってあげてくれませんかね?(-_-;) 特に小さいお子さんは、絵本の読み聞かせ等してもらえればどれだけ心が落ち着くことか。相次ぐ余震に最も不安で怯えているのは、そしてこれからも大きなトラウマとして残ってしまうのはきっと彼らだと思うので。お年寄りは周囲の人や顔見知りとのお喋りで気を紛らわすことができるけれど、プライバシーの無い空間で張りつめた空気に包まれ、時を過ごさざるを得ないシャイな方々には、本の存在が本当に大きな慰めになると思う。早く余裕が取り戻せる時が来ますように!(>人<)

以下タイトル作品感想

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切ねぇ・・・!少年少女の青春小説でありながらこれほど社会の真実を突きつけられるような、生々しさと哀しさを帯びた結末の美しい物語が存在しようか。ロミジュリくらい? でもアレはあくまで戯曲で大げさなトコあるからなー。正太→美登利も、美登利→(←?)信如の初恋も本人がそれと気づかぬまま虚しい終わりを迎えてしまう。もしかしたら美登利だけはそれと自覚していたのかな、最後の文章を考えると。恩田陸の作品中で、美登利が変わってしまったのは客を取らされるようになったからで、「初潮が来たから」が長年の通説とされてきた日.本文学の研究者たちの世界は何て頭の固い男社会、って登場人物にこきおろさせるセリフがあったんですけど、私はどっちにも「うーん(-_-;)」と感じちゃったかな。てかぶっちゃけ両方だと思った。機嫌を悪くして引きこもり→それまでのガキンチョ仲間とつるまずに廓の姉のところにだけ出入りするようになった、という展開は、恐らく初潮を迎え「将来のこと」を両親や大黒屋の主人に聞かされたためなのではないか、と。それまでは姉の勤めで周囲の皆に良くしてもらい、学校にまで通って、もしかしたら真っ当な堅気の女性として生きていく夢も彼女は抱いていたのかもしれない。けれどもやはり、実際に「女」になった彼女を待ち受けていた運命、周囲の人々が求めた役割は姉と同じ仕事に就くことだった。他の道は彼女に用意されていなかった。全ての親切、全ての教育、可愛がられてきた意味も夢も、彼女は一瞬で失ってしまったように感じたのではないか。
将来は自由な世界で商売人として生きていく正太や、貧しくても父を助け働く三五郎、立派な寺の跡取りとなる信如とのどうしようもない人生の隔たりを、美登利はあの年齢にして残酷にそして唐突に受け止めざるを得なかった。そしてまだ幼い少年である正太はそのことに気づけず察せず、信如は内気過ぎる気性と「荒くれ者」呼ばわりされながら自分に対しては無二の尊敬と信頼を寄せ、尽くしてくれる友人・長吉と正太との対立、そして男としてのプライドと意地のために、彼女と素直に言葉を交わしたり接することができぬまま、修行に旅立たざるを得なかった。初恋は実らないとはいうけれど、それぞれの行き場のない想いが大人の目から見ると何とも切ない(ノ_・,) せめて『友情』の連中とか『斜陽』の主人公並みに勝手に盛り上って思いつめた上での結末なら納得というか、ハイハイ良かったねスッパリ終わらせられて(´―`)と思えるんだけど、誰も気づいてすらいないんだものー!たぶん何年か過ぎた後に嫁さんもらって子供でもできた頃、スッカリお職張る立派な花魁になった美登利のことを振り返って、どうしようもなく淋しい気持ちに襲われるんじゃなかろうか。家と才覚に恵まれた正太は会いに行けるかもしれないけど、彼を弟のように思っていた美登利は客として絶対に受け付けないだろうし、正太もまた彼女の拒絶をはねのけてまで通おうとはしないだろう。生臭坊主の父に嫌悪を示していた信如が花魁となった美登利と会うことは恐らくもう二度とない。三五郎は金がなくて会えないだろうし、ホント一緒に笑いながら遊び回ってた幼なじみたちが、悲しい話ですねー(´;ω;`)ブワッ
でもここまで残酷じゃなくても子供の付き合いなんてそんなもんかな。私もよく話題に出てくる幼なじみがむしろ特殊なパターンだと思うし。あと小学校から特別同じクラスや部活でもなかったのにつかず離れずなブッダ嬢くらいか? それこそ初潮前から(笑)知ってて今も付き合ってるの。育つと皆それぞれの道に進んで住む場所もバラバラになりますもんね。上の学校に進むとどんなに仲良かった子でも先輩後輩になっちゃうし。・・・あ、でも2つ下の隣の子とは普通に友達付き合い続いてるわ、よく考えたら!Σ( ̄□ ̄;) とにかく中学を乗り切ればどうにかなるな。同じく年下のハトコとも京都行くまではよく遊んでたし、イトコなんか大学生だけど一緒に買い物したり行けるし(^^)b
まぁでも思春期って難しいよね、大人になるって切ない、現実って辛い、という今よりも早くその瞬間が訪れてしまった少し前の日/本の社会や風物をありのままに切り取った瑞々しく哀しい、けれど不思議と薄暗くない、カラー水墨画のような情感の残る物語でした。(表紙の印象のせいかな?)この「色」を感じさせるところが女性ならではの感性なのだと思う。美登利の精一杯のデレぶりや勝ち気さ、正太や信如の真っ直ぐさや誠実さをうかがわせる微妙な心理描写や、三五郎の愛らしい健気さ、長吉の激しさと表裏一体の一本気、筆やの女将さんの人の良さや信如の家族の生々しさ等も良い味を醸し出していて、特に美登利の視点から見る世界は面白おかしく、年頃の大事にされていて見た目や才気にも恵まれた娘さんの傲慢も含む冗談めかした表現なんか一々思わず笑っちゃったよ(ノ∀`) クレーのパステル水彩画のような色合いなんだけど、出てくるものや物語の舞台、言葉の感じ、登場人物の考え方や行動含めて全体は日.本極まれりだから色付けた墨で描いた絵のよう、と表現させていただきましたm(__)m 浮世絵ほどハッキリしているとは言い難く、長く残らず褪色する儚さがある。けれどそれは褪せてもなお人の心に残る。恐らく誰しもが、幼き日を思い出す時に感じる郷愁そのものだから。『大つごもり』読んだら日系人の郷愁探しに『遠い山並み~』行こうかな。来週は(ヒキにしては。笑)忙しめだし、じっくり考える系の本は読めなそう>< 考えてセレクトせんと・・・。


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実篤と300にイライラムカムカしてるとこだったので久々の牛読み物件キタ――(゜∀゜)――!!!!!という感じで楽しく読ませてもらいました。

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カフカの亜流とか言ってゴメン、カフカともサルトルとも違うやんけカミュ。むしろこの作品に関しては阿Qをメッチャ思い出した。政情の混乱した大陸で、周囲の嫌悪と軽蔑を買っていた卑しさ故に無実の罪を着せられて「精神勝利」しながら死に赴く阿Q。法律・裁判という制度が整った欧州の植民地ア○ジェリアで一応支配層に属する白人、極めて真っ当な生活を送り、彼を庇い立てする人もある中で、ただ当時の社会における“当たり前”の情感や信仰を持ち得ないという理由だけで死刑の判決を受け、それをある種の祝福であるかのように静かに受け入れるムルソー。この二人の主人公、二つの作品は真逆の対であるかのように見せかけてある意味かなり近しい、似た心理を持ち合わせた人間像を描いているようにすら感じられた。
ムルソーが情熱や野心を失ったキッカケとして「学業を放棄せねばならなくなったとき、そうしたものはいっさい無意味だということを悟った。」という場面があるじゃないですか。つまり彼は最初から無感動で情感の無い男ではなかった。苦い現実を前にした諦観という名の自己防御反応が、彼の虚無・不幸ではないが幸福というものを感じ得ない、求めない人生観を作り出してしまったんですよ。そしてその自己防御反応が、阿Qの場合は静かな諦観ではなく傲慢な精神勝利だった、と。どちらの場合も周囲の者には全く理解されない独特で孤独な人物像を作り上げてしまう表出だったとは思う。でもコレを読んで初めて私は阿Qにも心底の同情と共感を寄せられた。何故ならムルソーにはとても近い匂いを感じたというか、彼の思考や心理状態にはスッと入っていけたから。何もおかしいところなんてない、私だって絶対に知人の死に顔なんか見たくないし、お通夜や葬儀はできるだけ仏頂面する。実感が湧かない。愛していた事実とその死にどれだけ悲しむかの関わりなんて余り意味の無いことだと思う。あと神は絶対に何があっても信じられないし、それを信じて救われることへの意味が見出せない。救われたいなんて思ってない。生きている人間様・世間の皆様になるべく迷惑をかけたくないとは考えるけど。魂なんて存在しないし、自分の罪は自分が一生背負うべきもので虚ろな自分の数少ないアイデンティティーの一部なんだからどこにも誰にも渡してたまるか、って思ってる@歪んでる自覚はあるよ!(^ω^)b
ア○ビア人を殺した瞬間に主人公が感じた幸福もこの点にあるんじゃないのかな。自分を絶対的に支配してきた太陽、彼の生きてきたアルジェ○アの大地・密かにそこでの生活に重荷を感じてきた社会の象徴を、その均衡を打ち破ることで屈服させたのだ、と。あるいはその支配領域(縛られて窮屈な人間社会・太陽の眩しさや暑さにひたすら耐え続ける生活)の外側に出て解放されたのだ、と。同時に彼は不幸のとびらをたたいたことにも瞬時に気づくわけですけど(・・;) 

第二部、“良識ある”弁護士と判事さんはちょっと可哀想やな。特に誰か一人でも無神論を唱える者がいれば彼の生が無意味になってしまう、という判事さん。いとあはれ(´Д`;) コッチとしても本当に申し訳ないと思うんだけど、どうしてもあなた方の思想を受け入れたり理解できない苦しみもまた察していただきたい。自分を罪人だという自覚すら中々持てない主人公にますます感じる阿Q臭(笑)殺されたアラビ○人さん可哀想・・・。あとマリイちゃんも可哀想(´;ω;`) 好きな人が特殊な性質の相手だと解っていて、それでも良いと結婚の約束まで取り付けた矢先にコレとか。彼女の必死さにだけ思わず涙が(つД`) 懲罰が女という欲望の対象を取り上げること、という看守の言葉はいかにもラテンらしい考え方だな、と思った。それでもムルソーはそれにさえ順応し不幸を感じなくなっていく。うんうん、わかる、っつーかやっぱり阿Qレベルだよこの自己防衛本能技術(ノ∀`)
裁判のペレ老人の証言のくだりでムルソーが母の葬儀で泣いたか泣かなかったのか、というどうでも良いことについて、老人から「どちらの姿も見ていない」との証言を引き出した上で「これがこの裁判の実相なのだ。すべて事実だが、また何一つとして事実でないのだ!」と弁護士が叫ぶセリフ、まさに犯罪というもの、裁判というもの、世間というものの全てを言い表している言葉ではないかと感じた。誰かが筋書きを書く、それは事実でもそうでなくても構わない、ある者にとっては事実であり、また別の人間にとっては事実ではない。ただその筋書きに沿って世界は動き、歴史は創られる。不条理であってもそれが現実、人間の生きる世界というものの有様。「疑わしきは罰せず」という裁判の基本原理(とされているはずの言葉)についても思い起こした。どうも最近はネットで私刑が簡単に行えるためか、この原則は崩れつつあるようですが。んで本当の悪は何しても放置されてんのね、ずる賢くて権力か財力があれば如何ようにでも逃げられる^^そもそも自分の手は汚さないわけだしねー。某893分裂騒動でアチコチで色々やらかしてとっ捕まってる鉄砲玉要員も、結構歳いってたりして何か哀れになってしまうわ。
やがて自身が被告でありながら、その自身の意見や供述を置き去りにして進んでいく裁判に興味を失っていくムルソー。明日への期待を見出す唯一の親しい道が獄舎の独房へと化していく辺り、何とも切ない(-_-;) 「真実何かを悔いるということがかつてなかった」ムルソー。それは彼が「いつでもこれから来たるべき今日や明日に心を奪われていたから。」何て羨ましいポジティヴさと、やっぱ何らかの人として大事な欠片の欠損を感じる。でも人間なんてみんなそんなもんだよね!(え、違う?(@_@;))そんな本音を話す「情愛深い自己を示す権利、善意を持つ権利」が自分には既になくなっていた、と気づいたムルソーはまた元の無頓着な態度に戻り、当事者でありながら傍観者の境地に座り込んでしまう。判事が彼について語る「寛容と言う消極的な徳は、より容易ではないが上位に在る正義という徳に変わるべきなのです。この男に見出されるような心の空洞が、社会をものみこみかねない一つの深淵となるようなときには」このセリフ『壁』の第一部メッチャ思い出したわ(((゜Д゜;)))gkbr 公房さんのオマージュかな?まさに心の空洞で雑誌のページやラクダ吸い取ろうとした罪で裁判かけられてたしカルマ氏!その後の「あの男はその最も本質的な掟を無視するがゆえに、社会に対して何のなすところもない、またその最も基本的な反応をしらないがゆえに、人間的心情に向かって訴えかけることもできない」と続く判事の言明、「(死刑を要求するという)この苦痛な義務が、一つの至上、神聖な命令の意識と、非人間的なもの以外、何一つ読みとれない一人の男を前にして私の感ずる恐怖とによって、償われ、釣り合いがとれ、光をうける」という彼の言葉が、キリ○ト教社会っておっそろしー(((>m<;)))と改めて震えさせられちゃいましたね正直。
死刑の判決が出た後、色々それについて具体的に熟慮した上で上訴を断念し司祭の面会すらはねつけ続けるムルソー。何歳で死のうが大した違いはないし、その先の人生とそこで待つ己の考えに恐怖する気持ちにおかしいほど共感した。おうとも、長い長い未来の想像はゾッとして逃げ出したくなる行為に他ならない@病んでるんだもの!死を決意したら恋人の存在すらどうでも良くなっちゃった、この辺はブッダ嬢の発想と被るかな。自分は消えるし、死んだ人間は忘れられるものだから些細な問題、と。でも私ぶっちゃけ人の死に顔見られない理由が人生で最初に印象に残っているソレが自己処理した友人の姉(当時高校生)のもので、凄くショックだったから、というのが大きいからな。字は違うけど同名だったし、自分もまだ中学生だったので、綺麗に化粧されて痕も消されてたけどインパクトが強すぎた(-_-;) 以来どんなお年寄りのものでも、世話になった相手でも身内のでもなるべく見たくなくて、見ずに済むならそうしている。ホント失礼で申し訳ないけど。
司祭とのやりとりの「あなたは何の希望ももたず、完全に死んでゆくと考えながら生きているのですか?」って問いにムルソーが頷いて司祭がうなだれて彼を気の毒がる理由がさっぱり分からん(´・ω・`) ソレってあかんの? 「あなたはおろさねばならぬ罪の重荷を負うている。人間の裁きには何でもない、神の裁きがいっさいだ」という司祭の信念に「私に死刑を与えたのは人間の裁きだ」と応じるムルソー、全くその通り。それでええやん。ところが司祭はしつっこく「それでは彼の罪を洗い清めることはない」んだとさー。「罪というものは私にはわからず、ただ私が罪人だということをひとから教えられただけ。私は罪人であり償いをしている。誰も私にこれ以上要求することはできない」ムルソーくんナイス返答やで!(>ω・)b 彼の返答に疲れ果てた司祭は最後に彼に神の顔を見ることを求める。そして初めてムルソー大興奮、何か月も前から独房の壁見つめてるけど何一つ現われ出るのを眼にしなかったよ、と。(ここでも『壁』元ネタっぽい描写ktkr)司祭の愛郷心?だの生活への希望や野心だののくだり、ムルソーじゃなくても正直言ってウッゼェなぁ。そういうのに惹かれない、っつーか諦めたり意味を見出せなくなった人間もいるの、信仰心の欠如のせいって言うなら勝手にそう思ってれば? 虚しくて憐れに見えても、本人が不幸を感じていない自分の分に合った人生だと考えてるならそれで十分じゃん(´Д`)ほっといてくれ!
特にカト○ックの「神父」呼び私も大っ嫌いなのでムルソーのブチ切れ「君は自信満々の様子だが、その信念のどれをとっても女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ自信がない。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また私の人生について、来たるべきあの死について。少なくともこの真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。いつも私は正しいのだ。私はまるであの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。他人の死、母の愛――そんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命――そんなものに何の意味があろう。誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。」このどうしようもなく真理を突いた言葉に救われたような気がした。社会的にどんな役割を求められても、法律や有形無形の力にどれほど縛られようが、人は自由なのだ、と。何をしても、どう生きようが、死のうが、ロクデナシだろうが自身がそれを肯定しさえすれば、受け入れられればどんな道をも選ぶ権利を生まれた瞬間から与えられていると考えて良いんだ、って。イヤできることならなるべく法は犯したくないし、周囲に迷惑はかけることも避けたいですけど、そう考えることも全て自分の選択で飛び越そうと思って超えられない壁はないのかもしれない、脱け出せない場所や価値観もないのかも、と個人的に希望を見出せた気がしたんです(・・;)
そして「今や私とは永遠に無関係になった世界への出発」を前に、司祭にぶつけた大きな憤怒によって「罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、はじめて世界の優しい無関心に心をひらいた」ムルソーくん。「これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。」何という素晴らしい一文か。・゜・(ノД`)・゜・。ウワアアン 今まで無視しててごめんなさいカミュさん!あああ読んで良かったよぅ!今後は選り好みせずに百円コーナーで海外もの名作系見つけたらチョコチョコ購入することに(以下略)ところでコレも生まれ年刊行の文庫なんだが、『斜陽』と比べるとメッチャ状態が綺麗で(@o@) 表紙も今の薄暗い感じのよりメッチャ良くない?

まさに太陽の眩しさがよく表現されてるというか。コレは当たりくじだった!



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熊本の皆さんがご無事で、一刻も早く救助や復旧が進むように祈ります。
近くにいる可能性があった友人(このパターン多すぎて申し訳なさすぎるけど長いこと不義理してきたm(__)m)と久々に連絡を取り、逆に今の自分の状況を打ち明けて励ましてもらったりして、何だみんなホント天使か、人間様か・・・という気持ちに改めてさせられている(;_;) 不義理への罪悪感と恐怖心から身バレ系SNS等には全く参加できていない私ですが、本当それでもこんな面倒なヤツを忘れずに付き合ってくれたり、頭ごなしに否定しないで適切な助言や思いやりの言葉をくれる友人たちの親身の優しさには物凄く頭が下がるし、彼らの存在と繋がりだけは個人としての人生で数少ない誇れるというか良かったと感じる点だと心底思う。人間様に紛れ込んで本とかニュースに触れさせてもらえた喜びとは違う意味で。私ホント外からの評価とか指摘って長く付き合った友人からのものしか中々受け入れられないからさ@我ながらホンットーにめんどくさい!(´―`)

時事ネタは、ここに来て最も原.爆投下をアメ○カ叩きの道具に利用なさっていた(『モスクワ 我が愛』だっけ? 向こうでヒットしたという、ある意味シュールな日/露合作メロドラマとか観ると良いよ☆)ロシ○様からの援護射撃ktkr(^ω^) それよか島返してもらった方がナンボでも心象アップなんですけどね↑ 原住民の骨でも出てきたらDNA鑑定に血液提供したって良いわ(笑)あ、「W W 2の結果」云々言ってるから「歴史的に~」は通用しないのか。なら言ってやろう「W W 2の時ロ○ア連邦なんてありましたっけ? P R Cなんてありましたっけ? 無 か っ た で す よ ね?^^ニッコニコニコ」本当西側の連中も何やってんだよ、全く別の国家に戦勝国の特権引き継がせるとかふざけんな、敵国条項外してもらえないウチとド○ツがどんだけ律儀にU Nにもアメ○カ様にも金払い続けてると思ってんだよ。英.米にヤルタの約束裏切られて腹立ったのは解るよ、ヨーロッパ戦線では多大な犠牲も出したわけだし。(ソレを減らそうとする国家としての努力が全く見られなかったのはつくづくゾッとする点だけど)でも日/本人の視点では中立条約一方的に破棄して降伏宣言後に火事場泥棒していったクソ野郎にしか思えないわけで、しかもそのクソ野郎がくたばって本人でもないのに息子?とやらが未だに権利主張して居座り続けながら投資しないと損するぞ、だ?ハァ?(゜ロ゜)マジポカーンとするしかないよね。中.国先輩のやることには個人的に納得というか理解の余地もあるんだけど、あの国だけは全く話ができるというか理屈が通る気がしない。中/華思想が豊かな土地と人口とそれによって集まる数多くの才や技術を持てる者の傲慢な奢りから生まれたものなら、ロ○ア人のカリスマや強い政府を求める心理は厳しい風土と歴史が培った外国・他者・社会全般への強烈な不信に基づくものなのだと思う。信頼というものに重きを置かないから、平気で裏切るし誰が相手でも残酷なことができる。大事なのも信じられるのも自分だけなんだから、裏切りすら暗黙の了解として罪には問われない価値観が出来上がっている気がする。信じる方・騙される方が悪い、じゃないですけど(^^;
また政権変わってちゃぶ台返し来そうな南もいい加減にしてほしいっすね。南シ○海のニュースとか何も見てないわけ?自分たちだって隣と領土問題抱えてる上に、現政権なってからあんだけ媚び媚びで対ウチ共闘までして同盟国(実質彼らがいなければ国が存在していないレベルの恩人と言える)の顔潰す勢いで尽くしてきたのに、北の件やI C B M設置について逆に圧力かけられたり、つれない対応食らってるわけでしょ? そろそろ気づかないと本物のバカだよ(・・;) 北のトップもただのアホボンかと思ったら強権政治始めて早数年経過してるわけだしさ・・・。

以下タイトル作品の感想。

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いくらファンタジーとわかっていても、一応史実が元ネタなのに敵を必要以上に邪悪化したり醜く描くのは嫌いです。『ロード・オブ・ザ・リング』のモルドール兵かよ(笑)てかペルシアって元を辿ればアーリア人でそう色黒くもなかったはずだと記憶してたんだが気のせいか?(-_-;) この敵ペルシア=黒人+「魂なき」不死のアジア軍団という捉え方によって究極の人種差別的作品に仕上がってしまっているのが歴オタとして非常に残念です(´・ω・`) 軍団の装備やクセルクセスの天幕に侍る女性たち、BGMにゾウなんかの動物、どんだけアジア(アフリカもか?)ごっちゃにしてんの? で、ヨーロッパ・白人様文化の基となったギリシアの「自由」のためにスパルタ人が戦った、だと? ハイハイまさに文明の衝突ですねー、失礼で不勉強にも程がある(´д`) 不死の軍団の仮面は日.本の鎧、刀や服装にも東洋エッセンスを感じたし、女性たちやゾウはイ○ドっぽいかな? でもさぁ、ペルシア帝国の支配範囲に東アジアや南アジアが含まれてたなんて聞いたことないっつの、「100のアジアの国が~」ってセリフとかマジでいい加減にしろよ^^#ビキビキ アングロとゲルマンとラテンとスラヴの区別つかないだけで怒る連中が、明らかに肌の色も宗教も文化もかなり幅広い地域を「アジア」とまとめてくくること自体ヨーロッパ中心主義というか、正直ムカついてしょうがない。いや中東も中央アジアも東南も南もそれぞれに味があって好きだけど、ウチが同じカテゴリーにくくられるのはやっぱ精々東アジアまででしょうが、どう考えても。(モ○ゴル・ブー○ンくらいまでは見た目や宗教が近いからアリか?)しかも舞台が今「借金ガー、難民ガー、E U助けてー!><」かーらーの→「$くれるっていうからNAT○の意向なんか気にせずに中/国に港貸すことにしたわ(・ω<)テヘペロ☆」なギリ○ャ様なんだもんなぁ・・・。コレ作ったアメ○カの製作陣今頃どんな気持ちでいることやらorz 本当アゴゲの根性はどこに消え果ててしまったんでしょう? 己の責任を放棄させてしまったE Uの罪なのか? 加盟さえしてしまえばそこの偉い人たちに全てを押し付けてしまえると? それぞれに個性とプライドを維持してきた古代都市国家の礎、民主主義発祥の地としての意地はないのか!と何か現代の話に行きそうなので(以下略)とにかくキモくて理不尽でとんだガッカリ作品でした(*_*;


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さすが最左.翼N Y Tは大/統/領の広.島訪問支持してくれたか!ということはボス選のサ○ダース旋風など、リベラル化著しいというアチラの知識層若者の理解も何とか得られそうですね( ´∀`;)=3 お返しに真/珠湾訪問くらいは何でもないよ! 軍基地攻撃と市街地攻撃、その後の数世代何十年にも及ぶ被害の大きさの違いや暗号解読済みでヨーロッパ戦線参加の口実に使いたかっただけですよね?ってのも全部飲み込んで、頭下げて献花くらいA倍は平気でやるだろうし日.本国民きっと何とも思わないから☆

しっかし中/国さん大使館員呼び出しまでしちゃうとか、反応良すぎっすよ(;´д`) 本当に覇権奪取狙うならココは大きく構えて無視しとかんと、せっかく名指し避けられたのにバレバレで威厳台無しやで? 海外に出てる華僑の皆さんも恥ずかしいやろ。・・・まぁコレで経済理由にE U陣がビビって日和んなきゃ良いんだけど(-_-;) おたくらが利益貪ってきた旧植民地だって脅かされてるんだからな? あと一.帯一.路が成った暁には押し寄せてくる漢/民族に骨の髄までしゃぶり尽くされること請け合い、ってチベッ○やウ○グルやモンゴ○先輩たちが(以下略)

映画と読書は今回もカオスな組み合わせだよー\(^o^)/

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『バードマン』素晴らしかった!てか面白シュール?(作中で批評家タビサは「ブロードウェイが忘れかけていた真のリアリズムの血を取り戻した(※ニュアンス)」云々書いてたけど、常にバードマンという過去の栄光の残像を傍らに侍らせてシュールの世界に身を浸していた主人公と映画全体の演出を考えると皮肉としか言いようがない。笑)まぁ要するに好みだったってことですわ(^ω^)b 音楽といい劇中劇のテーマやセリフといい、各キャラクターの設定や心理描写の変遷といい、シュールさとリアルさのバランスがとても繊細でよく伝わってくる。役者さんの演技も素晴らしい!本当にデキる人を配役にこだわって厳選したんだな、って感じ。初代バットマンのキートンが主役なとことか最高(笑)演技力含め、本当に良い歳の取り方をなさって!@心底感動にうち震えるo(((゜ロ゜;)))グッ 途中まで「コレ本当に米でアカデミー獲ったハリウッド作品?」と思いながら観てたけど、アメ○カ流のシリアスをお下品ネタで紛らわす場面やマイクとサムのTruth or Dareゲームのノリで「あ、アメリ○ンや・・・」と(´д`) イギリ○先輩やフラ○ス先輩はそれぞれの美学の枠やこだわりがあり過ぎてここまで色々詰めこんでブッ飛べないもんな。フ○ンス映画なんかは方向の違うカッ飛び要素もあって好きだけど。
繰り返し出てくる「何者にもなりたくない、俺でない者になりたい」という主人公のセリフに、『フライト』を思い出した。アレの主人公は「英雄か悪者か」という点に悩み続け、最後にどちらでもない本物の自分自身を見つけられた、という感想を書いたんですけど、コレもきっとテーマは同じで、「バードマンという過去の成功したムービースターでも、現在の再起を狙う落ち目の役者でもない本物の自分」を求めて、受け入れてくれる“世界”もしくは“居場所”を探して主人公はさまよい続けていたんだな、と。家族との和解、そして捨てられなかった「演じること」への執着によって彼は目覚められた。彼を取り巻く人々の弱さや必死さや優しさ、それぞれの人間味がまた良い。どんなに孤独で見捨てられたような境地にいても、人は決して一人にはなれない。少しずつ誰かに依存し、何かに支えられて立っている。それを認められるかどうかで、己の真実を見つけられるか、あるいは取り戻せるかが決まるんだなー、と改めて感じた。前に大好きだ、と書いた『Be Somebody』って曲の歌詞もこういうノリでしたし、移民社会では自己のアイデンティティー形成がより複雑に捉えがたくなっていて、特にここ数十年の激動の社会構造の変化のために中高年世代の白人・黒人層が抱える戸惑いは、学校に行けば当たり前に人種や国籍・民族的背景の多様なクラスメートがいたり、ネットで気軽に他の国や地域の仲間と繋がることのできる若者たちよりかなり大きいものなのかもしれない。そういうアメリ○社会の葛藤が作品自体に反映されたり、今回のアカデミー黒人ボイコット騒ぎや授賞式演出へのアジア系抗議という形でも表れてきているのかな、と。
個人的には正直なところ好みはヒネたヨーロッパ系やこういう複雑?シュールか重っ苦しい歴史ドラマ・戦争モノ作品ですが、アメ○カにはいかにもアメリ○ンなSFX多用、アクション満載の「俺が正義だ、U S A! U S A! o(゜∀゜)))ヒャッフー!」的なヒーローものを撮り続けてほしい、という気持ちもあり・・・そんなに大人しく自信なくしてしまわなくても良いんやで?と(笑)イヤだってそのヒーロー系も変なとこで多人種縛り出してきたり、100%オラオラ正義のヒーローアメ○カ様だぜー!のノリが薄まってウチのアニメやラノベエッセンスが微妙に加味されてたり(イヤ昔から黒澤監督の影響とかあったのは知ってますけど、パシフィック・リムとかオール・ユー・ニード・イズ・キルとかあからさまに(以下略)なのを見るとさー。ウルヴァリンもエセ日/本だったな舞台><; アベンジャーズが最後の砦か? ストーリー自体も昔みたいに絶対悪VS正義と言うより敵の事情がある程度丁寧に設定してあったり、スーパーヒーロー一人で立ち向かうんじゃなくて仲間と協力して打ち倒すみたいな展開が変わったなぁ、と思う)。見てて何か複雑な気分になるわ、最近のハリウッド映画。

『友情』は正直イライラして仕方なかった(-_-;) 何でみんなそんな独りよがりなの・・・? 男女の関係構築が面倒臭かった時代的背景によるもの? 野島も杉子もよく知りもしない相手を上っ面だけで判断して勝手に理想化しすぎだろ。よくそれで結婚とか妄想の翼広げまくれるな(@_@;) あとお公家さんが社.会主.義賛美や格差の是正が必要云々インテリエリート層の青年たちしか触れる機会の無かったであろう小説の登場人物に語らせてるかと思うと(笑)文章は綺麗で簡潔で分かりやすく読みやすい、白樺派の中ではストーリーもシンプルで解釈しやすい部類だと確かに思います。でも、ハッキリ言って好きじゃない・・・(´・ω・`) 誰にも共感できないしスッキリしない。大宮が人間できすぎて何でそんなに野島を尊敬できるのか最後まで分からなかったでござる。(「神の実在・非実在」問答で結局相手方を納得させることができなかったくだりから言っても)一人で盛り上がって勘違いして恋にのぼせてただけなのに、当の相手が実際に想いを寄せた自分の親友と魅力的な女性からの必死のアプローチを無視しきることができなかった彼を恨む資格がどこにあるの? まさに杉子の書いたところの「ありがた迷惑」そのものですよ。「ダチがおまえのこと好きだから付き合えない」なんて言われて引き下がる女がどこにいるかっての、ふざけんなよ^^#ビキビキ あとどうしてもそういう意味で好きになれない人っているからさ、私みたいな全般的に無理なAセクもいるわけだし。いやーマジで受け付けない話だったわー(*_*;

※以下病みトーク

実篤に苛立ち過ぎて『異邦人』読み始めたら楽しくて仕方ない@ヒネクレ根性(ノ∀`) 何もかも受け身で情熱を持てない主人公、良いよ解るよー!そして今日も元気に胃が痛い。ホント何もしないで限界まで色々食べても減っていくのは何故なのか・・・? 昨日一昨日なんて好きな映画観て本読んでただけの世間の皆様に土下座orzレベルのヒキニートぶりで、何とか就活・娯楽(本)費用と病院・薬代くらいは賄えそうなバイトの話も来て、全くストレスフリー状態なはずなんですけどね(´・ω・`) 根本的な自己否定感や生きることが辛い意識を無くさないと何しても存在し続ける限りこの状態なのかもしれないけど、それ多分もうアイデンティティーの一部に染み付いててそれこそAセク克服して子供をさずかるレベルの奇跡でも起きない限り一生消えないと思うしな。克服するもんじゃなくてそういう性として受け入れざるを得ないことは分かってるけどさ。親には中途半端に引き延ばす返事をしてもらったけど、例のお見合い的なものに関して、本当は自分自身が「もしかしたら今度こそ大丈夫なんじゃないか、何とかなるんじゃないだろうか」と迷っていたりもしていて・・・でも絶対に子作りは求められる家だから、いざ話が進んでから無理です、って恥をかかせて両家の関係をぶち壊してしまったら親にとっても取り返しがつかない痛手になるしorz 何でダメなんだろう、ってこの一点がなくなるだけでも少しは自分のこと肯定的というか、せめて中身の詰まった虫くらいには捉えられる気がするのに。


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外信ガンスルーでしょんぼリンヌ(´・ω・`) てかパナ祭りの件にせよ、最近の米メディアどしたん? ボス選真っ最中だから? まだ唯一のSuper Power様に内向きなられたら困るんですけど。肯定的に捉えるならメディアで記事書くような知識層は万が一にもト○ンプの支持者を増やすような真似はしたくないのであえて敏感な話題は避けた、無難に考えるなら中.国の激おこっぷりや、ロ○アの核不拡散牽制コメもアメリ○的に余り都合の良いネタとは言えないので刺激しないように避けた、という線は有り得るかな。でもやっぱり、彼らの中で原/爆に対して何とも表現し難い複雑な思いがあり有識者の間でもコンセンサスの形成が不完全、あるいは世論の出方が全く読めずに触れにくい問題というところがまだまだ大きいのかな、と(・・;) 日.本人として前向きに捉えるなら、必死の正当化は罪悪感の裏返しだし、それほど議論を呼ぶインパクトを、その後の彼らとの関係や街の復興を通して与えることができた事実を誇りに思うべきなのかもしれない。K田さんは特に広島の出身で思い入れ強かっただろうしね。
個人的には古代~中世日/本史オタ過ぎて(イヤ全世界・全ての人間様の歴史好きだけど、日.本人だし特に挙げるとすれば)大陸との関係にしか興味も萌えも向いてなかったけど、日/米も相当不思議で複雑な関係だなぁ、と思うよ(´―`) 色々漁っても中々他に似たような関係を構築した国家同士って思い浮かばないもん。英.米は根っこが同じだと考えれば当たり前の話だと思うし、英/仏や独.仏、あるいは英/葡みたいな例は世界中に過去から合わせて結構存在する。でもアメ○カは移民が創り上げた若い国、ウチは鎖国して一部の外国としか長い間付き合い薄かったダークホース、でイキナリ白人様の世界に殴り込みかけて悪役やって成敗されて(笑)今はその暴れ回る自分を鉄砲で撃ちぬいた新米(でもなくなってしまったけど(^^;)親分に何故か飼われる経緯になって忠実なポチ状態という。あ、そういえば砲艦脅しつけ開国もあったんだった、移民も桜も・・・そう考えるとますますカオスやな。多分一番接する文化の多い国なんだと思うけど、ぶっちゃけよく分からんというか捉えづらい。安全保障上、今のウチの国にとって最も必要で大事な国であることも、震災時の恩も、家族の救いとなった教えをもたらしてくれたり、同時にその過去に耐え難い恐怖を与えていたり、色々考えると「もういっか、どーでも☆( ´∀`)b」ってなるし基本近世以降興味薄いからぶん投げてOK、ただ今後のウチの未来と生活かかってくるから政治・経済だけはマトモに頼むわ、ってくらいの感情しか持てないんですよねー。あ、ニュース中毒の歴オタ的にスゲー面白い存在だとは感じるんだけど、アジア萌え日.本人としてはあくまで米/露は大陸との関係のコマというかエッセンス的な・・・もちろん客観的に見ればウチがアメ○カのコマであって現状の主役は米.中というのは分かってますが。

以下映画と本の話ちょこっと。

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昨日は何故か『スター・トレック』観て『十二夜』読んで終わった(^ω^) スタトレ一作目のカンバーバッチさん若いなー!ネロの八つ当たりぶりが理不尽でヒッデェ(笑)私の船長の名前をそんなハゲに使わないで>< そしてオイシイところは結局全部アメ○カンが持っていくのだった・・・女の子にフラれてたのはGJだったけど(^^)b
エピファニーは懐かしいっすね!状態も綺麗なヤツ100円で買ったのに裏の新本定価見たら700円ってなってて、コレは演劇部とかで買わざるを得なくなった中高生にとっちゃ痛い出費だろうな、と思った(;´д`) まぁシェイクスピア古語や韻や当時の小ネタや洒落の翻訳や解釈が難しいし、そういう注釈なんかも細かく付いてるので高く付くのかもしれないですけど。登場人物たちに近い年頃に読んだ時とまた捉え方が違って、モリエール並みに爆笑しながら読んでたけど、最後の執事さん(特に今執事に入れ込んでる真っ最中だからねぇ(-_-;))やサー・アンドルーの結末に同情してしまったり歳取ったなぁ、とやっぱり感じざるを得ない\(^o^)/ オーシーノとオリヴィアが随分調子良いな、ってのは前から思ってたけど、私の大好きな『とりかえばや物語』のキャラも大体そんな感じだったから見た目が良くてそれなりの身分なら何でも通るというか、物語上の高貴な方の上品な恋愛なんてそんなもの、上っ面だけの感情が長続きすると信じられるのが滑稽さを含む“おとぎ話”の魅力なんだな、とかね。
解説でシェイクスピアの青春喜劇はここで終わって以後は悲劇の名作路線へ、って私断然そっちの方が好きですやっぱり( ´∀`)ゲッヘヘ 何か知らんが例の子供向け文学全集に含まれてた唯一のシェイクスピア作品がリア王で、それが初めての出会いだったせいかな?(本当もう寄付済だし出版社も忘れちゃったけど、どういう基準でセレクトしたのか聞いてみたい。大体全部読んだけど、既に挙げた作品以外でお気に入りだったのはトム・ソーヤーと長靴下のピッピかな。冒険系も生活モノも大好き。・・・どうしても赤毛○アンだけは大嫌いだったけど^^ 小公子<小公女派で『あぁ、無情』も岩くつ王よりカーンと胸には響かなかったなぁ(-_-;) あ、ちなみに全集の贈り主はどっかで言ったかもだけど例のクリスチャン祖父母@元教師。私が海外文学に触れるキッカケを与えてくれたことには心から感謝している)当時はバッカじゃねーの王様タヒね、三女よ何でそんなに優しくするんだ!?と子供ながらに怒ってツッコみながら読みましたが(笑)今となってはマクベス大好き、他に持ってんのはロミジュリにハムレット・・・根暗で本当にすみませんorz状態だもんなぁ。


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