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さすが最左.翼N Y Tは大/統/領の広.島訪問支持してくれたか!ということはボス選のサ○ダース旋風など、リベラル化著しいというアチラの知識層若者の理解も何とか得られそうですね( ´∀`;)=3 お返しに真/珠湾訪問くらいは何でもないよ! 軍基地攻撃と市街地攻撃、その後の数世代何十年にも及ぶ被害の大きさの違いや暗号解読済みでヨーロッパ戦線参加の口実に使いたかっただけですよね?ってのも全部飲み込んで、頭下げて献花くらいA倍は平気でやるだろうし日.本国民きっと何とも思わないから☆
しっかし中/国さん大使館員呼び出しまでしちゃうとか、反応良すぎっすよ(;´д`) 本当に覇権奪取狙うならココは大きく構えて無視しとかんと、せっかく名指し避けられたのにバレバレで威厳台無しやで? 海外に出てる華僑の皆さんも恥ずかしいやろ。・・・まぁコレで経済理由にE U陣がビビって日和んなきゃ良いんだけど(-_-;) おたくらが利益貪ってきた旧植民地だって脅かされてるんだからな? あと一.帯一.路が成った暁には押し寄せてくる漢/民族に骨の髄までしゃぶり尽くされること請け合い、ってチベッ○やウ○グルやモンゴ○先輩たちが(以下略)
映画と読書は今回もカオスな組み合わせだよー\(^o^)/
しっかし中/国さん大使館員呼び出しまでしちゃうとか、反応良すぎっすよ(;´д`) 本当に覇権奪取狙うならココは大きく構えて無視しとかんと、せっかく名指し避けられたのにバレバレで威厳台無しやで? 海外に出てる華僑の皆さんも恥ずかしいやろ。・・・まぁコレで経済理由にE U陣がビビって日和んなきゃ良いんだけど(-_-;) おたくらが利益貪ってきた旧植民地だって脅かされてるんだからな? あと一.帯一.路が成った暁には押し寄せてくる漢/民族に骨の髄までしゃぶり尽くされること請け合い、ってチベッ○やウ○グルやモンゴ○先輩たちが(以下略)
映画と読書は今回もカオスな組み合わせだよー\(^o^)/
『バードマン』素晴らしかった!てか面白シュール?(作中で批評家タビサは「ブロードウェイが忘れかけていた真のリアリズムの血を取り戻した(※ニュアンス)」云々書いてたけど、常にバードマンという過去の栄光の残像を傍らに侍らせてシュールの世界に身を浸していた主人公と映画全体の演出を考えると皮肉としか言いようがない。笑)まぁ要するに好みだったってことですわ(^ω^)b 音楽といい劇中劇のテーマやセリフといい、各キャラクターの設定や心理描写の変遷といい、シュールさとリアルさのバランスがとても繊細でよく伝わってくる。役者さんの演技も素晴らしい!本当にデキる人を配役にこだわって厳選したんだな、って感じ。初代バットマンのキートンが主役なとことか最高(笑)演技力含め、本当に良い歳の取り方をなさって!@心底感動にうち震えるo(((゜ロ゜;)))グッ 途中まで「コレ本当に米でアカデミー獲ったハリウッド作品?」と思いながら観てたけど、アメ○カ流のシリアスをお下品ネタで紛らわす場面やマイクとサムのTruth or Dareゲームのノリで「あ、アメリ○ンや・・・」と(´д`) イギリ○先輩やフラ○ス先輩はそれぞれの美学の枠やこだわりがあり過ぎてここまで色々詰めこんでブッ飛べないもんな。フ○ンス映画なんかは方向の違うカッ飛び要素もあって好きだけど。
繰り返し出てくる「何者にもなりたくない、俺でない者になりたい」という主人公のセリフに、『フライト』を思い出した。アレの主人公は「英雄か悪者か」という点に悩み続け、最後にどちらでもない本物の自分自身を見つけられた、という感想を書いたんですけど、コレもきっとテーマは同じで、「バードマンという過去の成功したムービースターでも、現在の再起を狙う落ち目の役者でもない本物の自分」を求めて、受け入れてくれる“世界”もしくは“居場所”を探して主人公はさまよい続けていたんだな、と。家族との和解、そして捨てられなかった「演じること」への執着によって彼は目覚められた。彼を取り巻く人々の弱さや必死さや優しさ、それぞれの人間味がまた良い。どんなに孤独で見捨てられたような境地にいても、人は決して一人にはなれない。少しずつ誰かに依存し、何かに支えられて立っている。それを認められるかどうかで、己の真実を見つけられるか、あるいは取り戻せるかが決まるんだなー、と改めて感じた。前に大好きだ、と書いた『Be Somebody』って曲の歌詞もこういうノリでしたし、移民社会では自己のアイデンティティー形成がより複雑に捉えがたくなっていて、特にここ数十年の激動の社会構造の変化のために中高年世代の白人・黒人層が抱える戸惑いは、学校に行けば当たり前に人種や国籍・民族的背景の多様なクラスメートがいたり、ネットで気軽に他の国や地域の仲間と繋がることのできる若者たちよりかなり大きいものなのかもしれない。そういうアメリ○社会の葛藤が作品自体に反映されたり、今回のアカデミー黒人ボイコット騒ぎや授賞式演出へのアジア系抗議という形でも表れてきているのかな、と。
個人的には正直なところ好みはヒネたヨーロッパ系やこういう複雑?シュールか重っ苦しい歴史ドラマ・戦争モノ作品ですが、アメ○カにはいかにもアメリ○ンなSFX多用、アクション満載の「俺が正義だ、U S A! U S A! o(゜∀゜)))ヒャッフー!」的なヒーローものを撮り続けてほしい、という気持ちもあり・・・そんなに大人しく自信なくしてしまわなくても良いんやで?と(笑)イヤだってそのヒーロー系も変なとこで多人種縛り出してきたり、100%オラオラ正義のヒーローアメ○カ様だぜー!のノリが薄まってウチのアニメやラノベエッセンスが微妙に加味されてたり(イヤ昔から黒澤監督の影響とかあったのは知ってますけど、パシフィック・リムとかオール・ユー・ニード・イズ・キルとかあからさまに(以下略)なのを見るとさー。ウルヴァリンもエセ日/本だったな舞台><; アベンジャーズが最後の砦か? ストーリー自体も昔みたいに絶対悪VS正義と言うより敵の事情がある程度丁寧に設定してあったり、スーパーヒーロー一人で立ち向かうんじゃなくて仲間と協力して打ち倒すみたいな展開が変わったなぁ、と思う)。見てて何か複雑な気分になるわ、最近のハリウッド映画。
『友情』は正直イライラして仕方なかった(-_-;) 何でみんなそんな独りよがりなの・・・? 男女の関係構築が面倒臭かった時代的背景によるもの? 野島も杉子もよく知りもしない相手を上っ面だけで判断して勝手に理想化しすぎだろ。よくそれで結婚とか妄想の翼広げまくれるな(@_@;) あとお公家さんが社.会主.義賛美や格差の是正が必要云々インテリエリート層の青年たちしか触れる機会の無かったであろう小説の登場人物に語らせてるかと思うと(笑)文章は綺麗で簡潔で分かりやすく読みやすい、白樺派の中ではストーリーもシンプルで解釈しやすい部類だと確かに思います。でも、ハッキリ言って好きじゃない・・・(´・ω・`) 誰にも共感できないしスッキリしない。大宮が人間できすぎて何でそんなに野島を尊敬できるのか最後まで分からなかったでござる。(「神の実在・非実在」問答で結局相手方を納得させることができなかったくだりから言っても)一人で盛り上がって勘違いして恋にのぼせてただけなのに、当の相手が実際に想いを寄せた自分の親友と魅力的な女性からの必死のアプローチを無視しきることができなかった彼を恨む資格がどこにあるの? まさに杉子の書いたところの「ありがた迷惑」そのものですよ。「ダチがおまえのこと好きだから付き合えない」なんて言われて引き下がる女がどこにいるかっての、ふざけんなよ^^#ビキビキ あとどうしてもそういう意味で好きになれない人っているからさ、私みたいな全般的に無理なAセクもいるわけだし。いやーマジで受け付けない話だったわー(*_*;
※以下病みトーク
↓
実篤に苛立ち過ぎて『異邦人』読み始めたら楽しくて仕方ない@ヒネクレ根性(ノ∀`) 何もかも受け身で情熱を持てない主人公、良いよ解るよー!そして今日も元気に胃が痛い。ホント何もしないで限界まで色々食べても減っていくのは何故なのか・・・? 昨日一昨日なんて好きな映画観て本読んでただけの世間の皆様に土下座orzレベルのヒキニートぶりで、何とか就活・娯楽(本)費用と病院・薬代くらいは賄えそうなバイトの話も来て、全くストレスフリー状態なはずなんですけどね(´・ω・`) 根本的な自己否定感や生きることが辛い意識を無くさないと何しても存在し続ける限りこの状態なのかもしれないけど、それ多分もうアイデンティティーの一部に染み付いててそれこそAセク克服して子供をさずかるレベルの奇跡でも起きない限り一生消えないと思うしな。克服するもんじゃなくてそういう性として受け入れざるを得ないことは分かってるけどさ。親には中途半端に引き延ばす返事をしてもらったけど、例のお見合い的なものに関して、本当は自分自身が「もしかしたら今度こそ大丈夫なんじゃないか、何とかなるんじゃないだろうか」と迷っていたりもしていて・・・でも絶対に子作りは求められる家だから、いざ話が進んでから無理です、って恥をかかせて両家の関係をぶち壊してしまったら親にとっても取り返しがつかない痛手になるしorz 何でダメなんだろう、ってこの一点がなくなるだけでも少しは自分のこと肯定的というか、せめて中身の詰まった虫くらいには捉えられる気がするのに。
繰り返し出てくる「何者にもなりたくない、俺でない者になりたい」という主人公のセリフに、『フライト』を思い出した。アレの主人公は「英雄か悪者か」という点に悩み続け、最後にどちらでもない本物の自分自身を見つけられた、という感想を書いたんですけど、コレもきっとテーマは同じで、「バードマンという過去の成功したムービースターでも、現在の再起を狙う落ち目の役者でもない本物の自分」を求めて、受け入れてくれる“世界”もしくは“居場所”を探して主人公はさまよい続けていたんだな、と。家族との和解、そして捨てられなかった「演じること」への執着によって彼は目覚められた。彼を取り巻く人々の弱さや必死さや優しさ、それぞれの人間味がまた良い。どんなに孤独で見捨てられたような境地にいても、人は決して一人にはなれない。少しずつ誰かに依存し、何かに支えられて立っている。それを認められるかどうかで、己の真実を見つけられるか、あるいは取り戻せるかが決まるんだなー、と改めて感じた。前に大好きだ、と書いた『Be Somebody』って曲の歌詞もこういうノリでしたし、移民社会では自己のアイデンティティー形成がより複雑に捉えがたくなっていて、特にここ数十年の激動の社会構造の変化のために中高年世代の白人・黒人層が抱える戸惑いは、学校に行けば当たり前に人種や国籍・民族的背景の多様なクラスメートがいたり、ネットで気軽に他の国や地域の仲間と繋がることのできる若者たちよりかなり大きいものなのかもしれない。そういうアメリ○社会の葛藤が作品自体に反映されたり、今回のアカデミー黒人ボイコット騒ぎや授賞式演出へのアジア系抗議という形でも表れてきているのかな、と。
個人的には正直なところ好みはヒネたヨーロッパ系やこういう複雑?シュールか重っ苦しい歴史ドラマ・戦争モノ作品ですが、アメ○カにはいかにもアメリ○ンなSFX多用、アクション満載の「俺が正義だ、U S A! U S A! o(゜∀゜)))ヒャッフー!」的なヒーローものを撮り続けてほしい、という気持ちもあり・・・そんなに大人しく自信なくしてしまわなくても良いんやで?と(笑)イヤだってそのヒーロー系も変なとこで多人種縛り出してきたり、100%オラオラ正義のヒーローアメ○カ様だぜー!のノリが薄まってウチのアニメやラノベエッセンスが微妙に加味されてたり(イヤ昔から黒澤監督の影響とかあったのは知ってますけど、パシフィック・リムとかオール・ユー・ニード・イズ・キルとかあからさまに(以下略)なのを見るとさー。ウルヴァリンもエセ日/本だったな舞台><; アベンジャーズが最後の砦か? ストーリー自体も昔みたいに絶対悪VS正義と言うより敵の事情がある程度丁寧に設定してあったり、スーパーヒーロー一人で立ち向かうんじゃなくて仲間と協力して打ち倒すみたいな展開が変わったなぁ、と思う)。見てて何か複雑な気分になるわ、最近のハリウッド映画。
『友情』は正直イライラして仕方なかった(-_-;) 何でみんなそんな独りよがりなの・・・? 男女の関係構築が面倒臭かった時代的背景によるもの? 野島も杉子もよく知りもしない相手を上っ面だけで判断して勝手に理想化しすぎだろ。よくそれで結婚とか妄想の翼広げまくれるな(@_@;) あとお公家さんが社.会主.義賛美や格差の是正が必要云々インテリエリート層の青年たちしか触れる機会の無かったであろう小説の登場人物に語らせてるかと思うと(笑)文章は綺麗で簡潔で分かりやすく読みやすい、白樺派の中ではストーリーもシンプルで解釈しやすい部類だと確かに思います。でも、ハッキリ言って好きじゃない・・・(´・ω・`) 誰にも共感できないしスッキリしない。大宮が人間できすぎて何でそんなに野島を尊敬できるのか最後まで分からなかったでござる。(「神の実在・非実在」問答で結局相手方を納得させることができなかったくだりから言っても)一人で盛り上がって勘違いして恋にのぼせてただけなのに、当の相手が実際に想いを寄せた自分の親友と魅力的な女性からの必死のアプローチを無視しきることができなかった彼を恨む資格がどこにあるの? まさに杉子の書いたところの「ありがた迷惑」そのものですよ。「ダチがおまえのこと好きだから付き合えない」なんて言われて引き下がる女がどこにいるかっての、ふざけんなよ^^#ビキビキ あとどうしてもそういう意味で好きになれない人っているからさ、私みたいな全般的に無理なAセクもいるわけだし。いやーマジで受け付けない話だったわー(*_*;
※以下病みトーク
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実篤に苛立ち過ぎて『異邦人』読み始めたら楽しくて仕方ない@ヒネクレ根性(ノ∀`) 何もかも受け身で情熱を持てない主人公、良いよ解るよー!そして今日も元気に胃が痛い。ホント何もしないで限界まで色々食べても減っていくのは何故なのか・・・? 昨日一昨日なんて好きな映画観て本読んでただけの世間の皆様に土下座orzレベルのヒキニートぶりで、何とか就活・娯楽(本)費用と病院・薬代くらいは賄えそうなバイトの話も来て、全くストレスフリー状態なはずなんですけどね(´・ω・`) 根本的な自己否定感や生きることが辛い意識を無くさないと何しても存在し続ける限りこの状態なのかもしれないけど、それ多分もうアイデンティティーの一部に染み付いててそれこそAセク克服して子供をさずかるレベルの奇跡でも起きない限り一生消えないと思うしな。克服するもんじゃなくてそういう性として受け入れざるを得ないことは分かってるけどさ。親には中途半端に引き延ばす返事をしてもらったけど、例のお見合い的なものに関して、本当は自分自身が「もしかしたら今度こそ大丈夫なんじゃないか、何とかなるんじゃないだろうか」と迷っていたりもしていて・・・でも絶対に子作りは求められる家だから、いざ話が進んでから無理です、って恥をかかせて両家の関係をぶち壊してしまったら親にとっても取り返しがつかない痛手になるしorz 何でダメなんだろう、ってこの一点がなくなるだけでも少しは自分のこと肯定的というか、せめて中身の詰まった虫くらいには捉えられる気がするのに。
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繰り返し出てくる「何者にもなりたくない、俺でない者になりたい」という主人公のセリフに、『フライト』を思い出した。アレの主人公は「英雄か悪者か」という点に悩み続け、最後にどちらでもない本物の自分自身を見つけられた、という感想を書いたんですけど、コレもきっとテーマは同じで、「バードマンという過去の成功したムービースターでも、現在の再起を狙う落ち目の役者でもない本物の自分」を求めて、受け入れてくれる“世界”もしくは“居場所”を探して主人公はさまよい続けていたんだな、と。家族との和解、そして捨てられなかった「演じること」への執着によって彼は目覚められた。彼を取り巻く人々の弱さや必死さや優しさ、それぞれの人間味がまた良い。どんなに孤独で見捨てられたような境地にいても、人は決して一人にはなれない。少しずつ誰かに依存し、何かに支えられて立っている。それを認められるかどうかで、己の真実を見つけられるか、あるいは取り戻せるかが決まるんだなー、と改めて感じた。前に大好きだ、と書いた『Be Somebody』って曲の歌詞もこういうノリでしたし、移民社会では自己のアイデンティティー形成がより複雑に捉えがたくなっていて、特にここ数十年の激動の社会構造の変化のために中高年世代の白人・黒人層が抱える戸惑いは、学校に行けば当たり前に人種や国籍・民族的背景の多様なクラスメートがいたり、ネットで気軽に他の国や地域の仲間と繋がることのできる若者たちよりかなり大きいものなのかもしれない。そういうアメリ○社会の葛藤が作品自体に反映されたり、今回のアカデミー黒人ボイコット騒ぎや授賞式演出へのアジア系抗議という形でも表れてきているのかな、と。
個人的には正直なところ好みはヒネたヨーロッパ系やこういう複雑?シュールか重っ苦しい歴史ドラマ・戦争モノ作品ですが、アメ○カにはいかにもアメリ○ンなSFX多用、アクション満載の「俺が正義だ、U S A! U S A! o(゜∀゜)))ヒャッフー!」的なヒーローものを撮り続けてほしい、という気持ちもあり・・・そんなに大人しく自信なくしてしまわなくても良いんやで?と(笑)イヤだってそのヒーロー系も変なとこで多人種縛り出してきたり、100%オラオラ正義のヒーローアメ○カ様だぜー!のノリが薄まってウチのアニメやラノベエッセンスが微妙に加味されてたり(イヤ昔から黒澤監督の影響とかあったのは知ってますけど、パシフィック・リムとかオール・ユー・ニード・イズ・キルとかあからさまに(以下略)なのを見るとさー。ウルヴァリンもエセ日/本だったな舞台><; アベンジャーズが最後の砦か? ストーリー自体も昔みたいに絶対悪VS正義と言うより敵の事情がある程度丁寧に設定してあったり、スーパーヒーロー一人で立ち向かうんじゃなくて仲間と協力して打ち倒すみたいな展開が変わったなぁ、と思う)。見てて何か複雑な気分になるわ、最近のハリウッド映画。
『友情』は正直イライラして仕方なかった(-_-;) 何でみんなそんな独りよがりなの・・・? 男女の関係構築が面倒臭かった時代的背景によるもの? 野島も杉子もよく知りもしない相手を上っ面だけで判断して勝手に理想化しすぎだろ。よくそれで結婚とか妄想の翼広げまくれるな(@_@;) あとお公家さんが社.会主.義賛美や格差の是正が必要云々インテリエリート層の青年たちしか触れる機会の無かったであろう小説の登場人物に語らせてるかと思うと(笑)文章は綺麗で簡潔で分かりやすく読みやすい、白樺派の中ではストーリーもシンプルで解釈しやすい部類だと確かに思います。でも、ハッキリ言って好きじゃない・・・(´・ω・`) 誰にも共感できないしスッキリしない。大宮が人間できすぎて何でそんなに野島を尊敬できるのか最後まで分からなかったでござる。(「神の実在・非実在」問答で結局相手方を納得させることができなかったくだりから言っても)一人で盛り上がって勘違いして恋にのぼせてただけなのに、当の相手が実際に想いを寄せた自分の親友と魅力的な女性からの必死のアプローチを無視しきることができなかった彼を恨む資格がどこにあるの? まさに杉子の書いたところの「ありがた迷惑」そのものですよ。「ダチがおまえのこと好きだから付き合えない」なんて言われて引き下がる女がどこにいるかっての、ふざけんなよ^^#ビキビキ あとどうしてもそういう意味で好きになれない人っているからさ、私みたいな全般的に無理なAセクもいるわけだし。いやーマジで受け付けない話だったわー(*_*;
※以下病みトーク
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実篤に苛立ち過ぎて『異邦人』読み始めたら楽しくて仕方ない@ヒネクレ根性(ノ∀`) 何もかも受け身で情熱を持てない主人公、良いよ解るよー!そして今日も元気に胃が痛い。ホント何もしないで限界まで色々食べても減っていくのは何故なのか・・・? 昨日一昨日なんて好きな映画観て本読んでただけの世間の皆様に土下座orzレベルのヒキニートぶりで、何とか就活・娯楽(本)費用と病院・薬代くらいは賄えそうなバイトの話も来て、全くストレスフリー状態なはずなんですけどね(´・ω・`) 根本的な自己否定感や生きることが辛い意識を無くさないと何しても存在し続ける限りこの状態なのかもしれないけど、それ多分もうアイデンティティーの一部に染み付いててそれこそAセク克服して子供をさずかるレベルの奇跡でも起きない限り一生消えないと思うしな。克服するもんじゃなくてそういう性として受け入れざるを得ないことは分かってるけどさ。親には中途半端に引き延ばす返事をしてもらったけど、例のお見合い的なものに関して、本当は自分自身が「もしかしたら今度こそ大丈夫なんじゃないか、何とかなるんじゃないだろうか」と迷っていたりもしていて・・・でも絶対に子作りは求められる家だから、いざ話が進んでから無理です、って恥をかかせて両家の関係をぶち壊してしまったら親にとっても取り返しがつかない痛手になるしorz 何でダメなんだろう、ってこの一点がなくなるだけでも少しは自分のこと肯定的というか、せめて中身の詰まった虫くらいには捉えられる気がするのに。
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