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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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実篤と300にイライラムカムカしてるとこだったので久々の牛読み物件キタ――(゜∀゜)――!!!!!という感じで楽しく読ませてもらいました。
カフカの亜流とか言ってゴメン、カフカともサルトルとも違うやんけカミュ。むしろこの作品に関しては阿Qをメッチャ思い出した。政情の混乱した大陸で、周囲の嫌悪と軽蔑を買っていた卑しさ故に無実の罪を着せられて「精神勝利」しながら死に赴く阿Q。法律・裁判という制度が整った欧州の植民地ア○ジェリアで一応支配層に属する白人、極めて真っ当な生活を送り、彼を庇い立てする人もある中で、ただ当時の社会における“当たり前”の情感や信仰を持ち得ないという理由だけで死刑の判決を受け、それをある種の祝福であるかのように静かに受け入れるムルソー。この二人の主人公、二つの作品は真逆の対であるかのように見せかけてある意味かなり近しい、似た心理を持ち合わせた人間像を描いているようにすら感じられた。
ムルソーが情熱や野心を失ったキッカケとして「学業を放棄せねばならなくなったとき、そうしたものはいっさい無意味だということを悟った。」という場面があるじゃないですか。つまり彼は最初から無感動で情感の無い男ではなかった。苦い現実を前にした諦観という名の自己防御反応が、彼の虚無・不幸ではないが幸福というものを感じ得ない、求めない人生観を作り出してしまったんですよ。そしてその自己防御反応が、阿Qの場合は静かな諦観ではなく傲慢な精神勝利だった、と。どちらの場合も周囲の者には全く理解されない独特で孤独な人物像を作り上げてしまう表出だったとは思う。でもコレを読んで初めて私は阿Qにも心底の同情と共感を寄せられた。何故ならムルソーにはとても近い匂いを感じたというか、彼の思考や心理状態にはスッと入っていけたから。何もおかしいところなんてない、私だって絶対に知人の死に顔なんか見たくないし、お通夜や葬儀はできるだけ仏頂面する。実感が湧かない。愛していた事実とその死にどれだけ悲しむかの関わりなんて余り意味の無いことだと思う。あと神は絶対に何があっても信じられないし、それを信じて救われることへの意味が見出せない。救われたいなんて思ってない。生きている人間様・世間の皆様になるべく迷惑をかけたくないとは考えるけど。魂なんて存在しないし、自分の罪は自分が一生背負うべきもので虚ろな自分の数少ないアイデンティティーの一部なんだからどこにも誰にも渡してたまるか、って思ってる@歪んでる自覚はあるよ!(^ω^)b
ア○ビア人を殺した瞬間に主人公が感じた幸福もこの点にあるんじゃないのかな。自分を絶対的に支配してきた太陽、彼の生きてきたアルジェ○アの大地・密かにそこでの生活に重荷を感じてきた社会の象徴を、その均衡を打ち破ることで屈服させたのだ、と。あるいはその支配領域(縛られて窮屈な人間社会・太陽の眩しさや暑さにひたすら耐え続ける生活)の外側に出て解放されたのだ、と。同時に彼は不幸のとびらをたたいたことにも瞬時に気づくわけですけど(・・;) 

第二部、“良識ある”弁護士と判事さんはちょっと可哀想やな。特に誰か一人でも無神論を唱える者がいれば彼の生が無意味になってしまう、という判事さん。いとあはれ(´Д`;) コッチとしても本当に申し訳ないと思うんだけど、どうしてもあなた方の思想を受け入れたり理解できない苦しみもまた察していただきたい。自分を罪人だという自覚すら中々持てない主人公にますます感じる阿Q臭(笑)殺されたアラビ○人さん可哀想・・・。あとマリイちゃんも可哀想(´;ω;`) 好きな人が特殊な性質の相手だと解っていて、それでも良いと結婚の約束まで取り付けた矢先にコレとか。彼女の必死さにだけ思わず涙が(つД`) 懲罰が女という欲望の対象を取り上げること、という看守の言葉はいかにもラテンらしい考え方だな、と思った。それでもムルソーはそれにさえ順応し不幸を感じなくなっていく。うんうん、わかる、っつーかやっぱり阿Qレベルだよこの自己防衛本能技術(ノ∀`)
裁判のペレ老人の証言のくだりでムルソーが母の葬儀で泣いたか泣かなかったのか、というどうでも良いことについて、老人から「どちらの姿も見ていない」との証言を引き出した上で「これがこの裁判の実相なのだ。すべて事実だが、また何一つとして事実でないのだ!」と弁護士が叫ぶセリフ、まさに犯罪というもの、裁判というもの、世間というものの全てを言い表している言葉ではないかと感じた。誰かが筋書きを書く、それは事実でもそうでなくても構わない、ある者にとっては事実であり、また別の人間にとっては事実ではない。ただその筋書きに沿って世界は動き、歴史は創られる。不条理であってもそれが現実、人間の生きる世界というものの有様。「疑わしきは罰せず」という裁判の基本原理(とされているはずの言葉)についても思い起こした。どうも最近はネットで私刑が簡単に行えるためか、この原則は崩れつつあるようですが。んで本当の悪は何しても放置されてんのね、ずる賢くて権力か財力があれば如何ようにでも逃げられる^^そもそも自分の手は汚さないわけだしねー。某893分裂騒動でアチコチで色々やらかしてとっ捕まってる鉄砲玉要員も、結構歳いってたりして何か哀れになってしまうわ。
やがて自身が被告でありながら、その自身の意見や供述を置き去りにして進んでいく裁判に興味を失っていくムルソー。明日への期待を見出す唯一の親しい道が獄舎の独房へと化していく辺り、何とも切ない(-_-;) 「真実何かを悔いるということがかつてなかった」ムルソー。それは彼が「いつでもこれから来たるべき今日や明日に心を奪われていたから。」何て羨ましいポジティヴさと、やっぱ何らかの人として大事な欠片の欠損を感じる。でも人間なんてみんなそんなもんだよね!(え、違う?(@_@;))そんな本音を話す「情愛深い自己を示す権利、善意を持つ権利」が自分には既になくなっていた、と気づいたムルソーはまた元の無頓着な態度に戻り、当事者でありながら傍観者の境地に座り込んでしまう。判事が彼について語る「寛容と言う消極的な徳は、より容易ではないが上位に在る正義という徳に変わるべきなのです。この男に見出されるような心の空洞が、社会をものみこみかねない一つの深淵となるようなときには」このセリフ『壁』の第一部メッチャ思い出したわ(((゜Д゜;)))gkbr 公房さんのオマージュかな?まさに心の空洞で雑誌のページやラクダ吸い取ろうとした罪で裁判かけられてたしカルマ氏!その後の「あの男はその最も本質的な掟を無視するがゆえに、社会に対して何のなすところもない、またその最も基本的な反応をしらないがゆえに、人間的心情に向かって訴えかけることもできない」と続く判事の言明、「(死刑を要求するという)この苦痛な義務が、一つの至上、神聖な命令の意識と、非人間的なもの以外、何一つ読みとれない一人の男を前にして私の感ずる恐怖とによって、償われ、釣り合いがとれ、光をうける」という彼の言葉が、キリ○ト教社会っておっそろしー(((>m<;)))と改めて震えさせられちゃいましたね正直。
死刑の判決が出た後、色々それについて具体的に熟慮した上で上訴を断念し司祭の面会すらはねつけ続けるムルソー。何歳で死のうが大した違いはないし、その先の人生とそこで待つ己の考えに恐怖する気持ちにおかしいほど共感した。おうとも、長い長い未来の想像はゾッとして逃げ出したくなる行為に他ならない@病んでるんだもの!死を決意したら恋人の存在すらどうでも良くなっちゃった、この辺はブッダ嬢の発想と被るかな。自分は消えるし、死んだ人間は忘れられるものだから些細な問題、と。でも私ぶっちゃけ人の死に顔見られない理由が人生で最初に印象に残っているソレが自己処理した友人の姉(当時高校生)のもので、凄くショックだったから、というのが大きいからな。字は違うけど同名だったし、自分もまだ中学生だったので、綺麗に化粧されて痕も消されてたけどインパクトが強すぎた(-_-;) 以来どんなお年寄りのものでも、世話になった相手でも身内のでもなるべく見たくなくて、見ずに済むならそうしている。ホント失礼で申し訳ないけど。
司祭とのやりとりの「あなたは何の希望ももたず、完全に死んでゆくと考えながら生きているのですか?」って問いにムルソーが頷いて司祭がうなだれて彼を気の毒がる理由がさっぱり分からん(´・ω・`) ソレってあかんの? 「あなたはおろさねばならぬ罪の重荷を負うている。人間の裁きには何でもない、神の裁きがいっさいだ」という司祭の信念に「私に死刑を与えたのは人間の裁きだ」と応じるムルソー、全くその通り。それでええやん。ところが司祭はしつっこく「それでは彼の罪を洗い清めることはない」んだとさー。「罪というものは私にはわからず、ただ私が罪人だということをひとから教えられただけ。私は罪人であり償いをしている。誰も私にこれ以上要求することはできない」ムルソーくんナイス返答やで!(>ω・)b 彼の返答に疲れ果てた司祭は最後に彼に神の顔を見ることを求める。そして初めてムルソー大興奮、何か月も前から独房の壁見つめてるけど何一つ現われ出るのを眼にしなかったよ、と。(ここでも『壁』元ネタっぽい描写ktkr)司祭の愛郷心?だの生活への希望や野心だののくだり、ムルソーじゃなくても正直言ってウッゼェなぁ。そういうのに惹かれない、っつーか諦めたり意味を見出せなくなった人間もいるの、信仰心の欠如のせいって言うなら勝手にそう思ってれば? 虚しくて憐れに見えても、本人が不幸を感じていない自分の分に合った人生だと考えてるならそれで十分じゃん(´Д`)ほっといてくれ!
特にカト○ックの「神父」呼び私も大っ嫌いなのでムルソーのブチ切れ「君は自信満々の様子だが、その信念のどれをとっても女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ自信がない。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また私の人生について、来たるべきあの死について。少なくともこの真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。いつも私は正しいのだ。私はまるであの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。他人の死、母の愛――そんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命――そんなものに何の意味があろう。誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。」このどうしようもなく真理を突いた言葉に救われたような気がした。社会的にどんな役割を求められても、法律や有形無形の力にどれほど縛られようが、人は自由なのだ、と。何をしても、どう生きようが、死のうが、ロクデナシだろうが自身がそれを肯定しさえすれば、受け入れられればどんな道をも選ぶ権利を生まれた瞬間から与えられていると考えて良いんだ、って。イヤできることならなるべく法は犯したくないし、周囲に迷惑はかけることも避けたいですけど、そう考えることも全て自分の選択で飛び越そうと思って超えられない壁はないのかもしれない、脱け出せない場所や価値観もないのかも、と個人的に希望を見出せた気がしたんです(・・;)
そして「今や私とは永遠に無関係になった世界への出発」を前に、司祭にぶつけた大きな憤怒によって「罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、はじめて世界の優しい無関心に心をひらいた」ムルソーくん。「これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。」何という素晴らしい一文か。・゜・(ノД`)・゜・。ウワアアン 今まで無視しててごめんなさいカミュさん!あああ読んで良かったよぅ!今後は選り好みせずに百円コーナーで海外もの名作系見つけたらチョコチョコ購入することに(以下略)ところでコレも生まれ年刊行の文庫なんだが、『斜陽』と比べるとメッチャ状態が綺麗で(@o@) 表紙も今の薄暗い感じのよりメッチャ良くない?

まさに太陽の眩しさがよく表現されてるというか。コレは当たりくじだった!

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カフカの亜流とか言ってゴメン、カフカともサルトルとも違うやんけカミュ。むしろこの作品に関しては阿Qをメッチャ思い出した。政情の混乱した大陸で、周囲の嫌悪と軽蔑を買っていた卑しさ故に無実の罪を着せられて「精神勝利」しながら死に赴く阿Q。法律・裁判という制度が整った欧州の植民地ア○ジェリアで一応支配層に属する白人、極めて真っ当な生活を送り、彼を庇い立てする人もある中で、ただ当時の社会における“当たり前”の情感や信仰を持ち得ないという理由だけで死刑の判決を受け、それをある種の祝福であるかのように静かに受け入れるムルソー。この二人の主人公、二つの作品は真逆の対であるかのように見せかけてある意味かなり近しい、似た心理を持ち合わせた人間像を描いているようにすら感じられた。
ムルソーが情熱や野心を失ったキッカケとして「学業を放棄せねばならなくなったとき、そうしたものはいっさい無意味だということを悟った。」という場面があるじゃないですか。つまり彼は最初から無感動で情感の無い男ではなかった。苦い現実を前にした諦観という名の自己防御反応が、彼の虚無・不幸ではないが幸福というものを感じ得ない、求めない人生観を作り出してしまったんですよ。そしてその自己防御反応が、阿Qの場合は静かな諦観ではなく傲慢な精神勝利だった、と。どちらの場合も周囲の者には全く理解されない独特で孤独な人物像を作り上げてしまう表出だったとは思う。でもコレを読んで初めて私は阿Qにも心底の同情と共感を寄せられた。何故ならムルソーにはとても近い匂いを感じたというか、彼の思考や心理状態にはスッと入っていけたから。何もおかしいところなんてない、私だって絶対に知人の死に顔なんか見たくないし、お通夜や葬儀はできるだけ仏頂面する。実感が湧かない。愛していた事実とその死にどれだけ悲しむかの関わりなんて余り意味の無いことだと思う。あと神は絶対に何があっても信じられないし、それを信じて救われることへの意味が見出せない。救われたいなんて思ってない。生きている人間様・世間の皆様になるべく迷惑をかけたくないとは考えるけど。魂なんて存在しないし、自分の罪は自分が一生背負うべきもので虚ろな自分の数少ないアイデンティティーの一部なんだからどこにも誰にも渡してたまるか、って思ってる@歪んでる自覚はあるよ!(^ω^)b
ア○ビア人を殺した瞬間に主人公が感じた幸福もこの点にあるんじゃないのかな。自分を絶対的に支配してきた太陽、彼の生きてきたアルジェ○アの大地・密かにそこでの生活に重荷を感じてきた社会の象徴を、その均衡を打ち破ることで屈服させたのだ、と。あるいはその支配領域(縛られて窮屈な人間社会・太陽の眩しさや暑さにひたすら耐え続ける生活)の外側に出て解放されたのだ、と。同時に彼は不幸のとびらをたたいたことにも瞬時に気づくわけですけど(・・;) 

第二部、“良識ある”弁護士と判事さんはちょっと可哀想やな。特に誰か一人でも無神論を唱える者がいれば彼の生が無意味になってしまう、という判事さん。いとあはれ(´Д`;) コッチとしても本当に申し訳ないと思うんだけど、どうしてもあなた方の思想を受け入れたり理解できない苦しみもまた察していただきたい。自分を罪人だという自覚すら中々持てない主人公にますます感じる阿Q臭(笑)殺されたアラビ○人さん可哀想・・・。あとマリイちゃんも可哀想(´;ω;`) 好きな人が特殊な性質の相手だと解っていて、それでも良いと結婚の約束まで取り付けた矢先にコレとか。彼女の必死さにだけ思わず涙が(つД`) 懲罰が女という欲望の対象を取り上げること、という看守の言葉はいかにもラテンらしい考え方だな、と思った。それでもムルソーはそれにさえ順応し不幸を感じなくなっていく。うんうん、わかる、っつーかやっぱり阿Qレベルだよこの自己防衛本能技術(ノ∀`)
裁判のペレ老人の証言のくだりでムルソーが母の葬儀で泣いたか泣かなかったのか、というどうでも良いことについて、老人から「どちらの姿も見ていない」との証言を引き出した上で「これがこの裁判の実相なのだ。すべて事実だが、また何一つとして事実でないのだ!」と弁護士が叫ぶセリフ、まさに犯罪というもの、裁判というもの、世間というものの全てを言い表している言葉ではないかと感じた。誰かが筋書きを書く、それは事実でもそうでなくても構わない、ある者にとっては事実であり、また別の人間にとっては事実ではない。ただその筋書きに沿って世界は動き、歴史は創られる。不条理であってもそれが現実、人間の生きる世界というものの有様。「疑わしきは罰せず」という裁判の基本原理(とされているはずの言葉)についても思い起こした。どうも最近はネットで私刑が簡単に行えるためか、この原則は崩れつつあるようですが。んで本当の悪は何しても放置されてんのね、ずる賢くて権力か財力があれば如何ようにでも逃げられる^^そもそも自分の手は汚さないわけだしねー。某893分裂騒動でアチコチで色々やらかしてとっ捕まってる鉄砲玉要員も、結構歳いってたりして何か哀れになってしまうわ。
やがて自身が被告でありながら、その自身の意見や供述を置き去りにして進んでいく裁判に興味を失っていくムルソー。明日への期待を見出す唯一の親しい道が獄舎の独房へと化していく辺り、何とも切ない(-_-;) 「真実何かを悔いるということがかつてなかった」ムルソー。それは彼が「いつでもこれから来たるべき今日や明日に心を奪われていたから。」何て羨ましいポジティヴさと、やっぱ何らかの人として大事な欠片の欠損を感じる。でも人間なんてみんなそんなもんだよね!(え、違う?(@_@;))そんな本音を話す「情愛深い自己を示す権利、善意を持つ権利」が自分には既になくなっていた、と気づいたムルソーはまた元の無頓着な態度に戻り、当事者でありながら傍観者の境地に座り込んでしまう。判事が彼について語る「寛容と言う消極的な徳は、より容易ではないが上位に在る正義という徳に変わるべきなのです。この男に見出されるような心の空洞が、社会をものみこみかねない一つの深淵となるようなときには」このセリフ『壁』の第一部メッチャ思い出したわ(((゜Д゜;)))gkbr 公房さんのオマージュかな?まさに心の空洞で雑誌のページやラクダ吸い取ろうとした罪で裁判かけられてたしカルマ氏!その後の「あの男はその最も本質的な掟を無視するがゆえに、社会に対して何のなすところもない、またその最も基本的な反応をしらないがゆえに、人間的心情に向かって訴えかけることもできない」と続く判事の言明、「(死刑を要求するという)この苦痛な義務が、一つの至上、神聖な命令の意識と、非人間的なもの以外、何一つ読みとれない一人の男を前にして私の感ずる恐怖とによって、償われ、釣り合いがとれ、光をうける」という彼の言葉が、キリ○ト教社会っておっそろしー(((>m<;)))と改めて震えさせられちゃいましたね正直。
死刑の判決が出た後、色々それについて具体的に熟慮した上で上訴を断念し司祭の面会すらはねつけ続けるムルソー。何歳で死のうが大した違いはないし、その先の人生とそこで待つ己の考えに恐怖する気持ちにおかしいほど共感した。おうとも、長い長い未来の想像はゾッとして逃げ出したくなる行為に他ならない@病んでるんだもの!死を決意したら恋人の存在すらどうでも良くなっちゃった、この辺はブッダ嬢の発想と被るかな。自分は消えるし、死んだ人間は忘れられるものだから些細な問題、と。でも私ぶっちゃけ人の死に顔見られない理由が人生で最初に印象に残っているソレが自己処理した友人の姉(当時高校生)のもので、凄くショックだったから、というのが大きいからな。字は違うけど同名だったし、自分もまだ中学生だったので、綺麗に化粧されて痕も消されてたけどインパクトが強すぎた(-_-;) 以来どんなお年寄りのものでも、世話になった相手でも身内のでもなるべく見たくなくて、見ずに済むならそうしている。ホント失礼で申し訳ないけど。
司祭とのやりとりの「あなたは何の希望ももたず、完全に死んでゆくと考えながら生きているのですか?」って問いにムルソーが頷いて司祭がうなだれて彼を気の毒がる理由がさっぱり分からん(´・ω・`) ソレってあかんの? 「あなたはおろさねばならぬ罪の重荷を負うている。人間の裁きには何でもない、神の裁きがいっさいだ」という司祭の信念に「私に死刑を与えたのは人間の裁きだ」と応じるムルソー、全くその通り。それでええやん。ところが司祭はしつっこく「それでは彼の罪を洗い清めることはない」んだとさー。「罪というものは私にはわからず、ただ私が罪人だということをひとから教えられただけ。私は罪人であり償いをしている。誰も私にこれ以上要求することはできない」ムルソーくんナイス返答やで!(>ω・)b 彼の返答に疲れ果てた司祭は最後に彼に神の顔を見ることを求める。そして初めてムルソー大興奮、何か月も前から独房の壁見つめてるけど何一つ現われ出るのを眼にしなかったよ、と。(ここでも『壁』元ネタっぽい描写ktkr)司祭の愛郷心?だの生活への希望や野心だののくだり、ムルソーじゃなくても正直言ってウッゼェなぁ。そういうのに惹かれない、っつーか諦めたり意味を見出せなくなった人間もいるの、信仰心の欠如のせいって言うなら勝手にそう思ってれば? 虚しくて憐れに見えても、本人が不幸を感じていない自分の分に合った人生だと考えてるならそれで十分じゃん(´Д`)ほっといてくれ!
特にカト○ックの「神父」呼び私も大っ嫌いなのでムルソーのブチ切れ「君は自信満々の様子だが、その信念のどれをとっても女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ自信がない。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また私の人生について、来たるべきあの死について。少なくともこの真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。いつも私は正しいのだ。私はまるであの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。他人の死、母の愛――そんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命――そんなものに何の意味があろう。誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。」このどうしようもなく真理を突いた言葉に救われたような気がした。社会的にどんな役割を求められても、法律や有形無形の力にどれほど縛られようが、人は自由なのだ、と。何をしても、どう生きようが、死のうが、ロクデナシだろうが自身がそれを肯定しさえすれば、受け入れられればどんな道をも選ぶ権利を生まれた瞬間から与えられていると考えて良いんだ、って。イヤできることならなるべく法は犯したくないし、周囲に迷惑はかけることも避けたいですけど、そう考えることも全て自分の選択で飛び越そうと思って超えられない壁はないのかもしれない、脱け出せない場所や価値観もないのかも、と個人的に希望を見出せた気がしたんです(・・;)
そして「今や私とは永遠に無関係になった世界への出発」を前に、司祭にぶつけた大きな憤怒によって「罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、はじめて世界の優しい無関心に心をひらいた」ムルソーくん。「これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。」何という素晴らしい一文か。・゜・(ノД`)・゜・。ウワアアン 今まで無視しててごめんなさいカミュさん!あああ読んで良かったよぅ!今後は選り好みせずに百円コーナーで海外もの名作系見つけたらチョコチョコ購入することに(以下略)ところでコレも生まれ年刊行の文庫なんだが、『斜陽』と比べるとメッチャ状態が綺麗で(@o@) 表紙も今の薄暗い感じのよりメッチャ良くない?

まさに太陽の眩しさがよく表現されてるというか。コレは当たりくじだった!

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