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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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拍手ログ。『まぼろしの仮面』番外編。イヴェット視点。

拍手[4回]

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その方とお会いしたのは、わたくしが十二になったばかりのときだった。ようやく皇宮に上がれる年齢(とし)を迎えたわたくしは、一つ年下の皇女殿下のお話し相手として皇宮の中庭に入ることを許された。
 
「やぁ、君が今日から姫のお相手を務めてくださることになっているディヴリー侯爵のご令嬢?」
 
まるで大切な宝物でも抱くように、その腕に皇女(ひめ)を抱えて現れた、キラキラと輝く黄金の髪にサファイアのような瞳の青年。まるでおとぎ話に出てくる王子様のようなその方が、皇太子セドリック殿下なのだ、と一目で分かった。殿下の言葉に、彼の腕の中の皇女の表情(かお)がパッと明るいものへと変化する。
 
「セドリック、降ろして。わたくしもう自分でご挨拶くらいできるわ」
 
「はいはい。イヴェット嬢に失礼のないように、きちんとご挨拶して仲良くしていただくんだよ、リリアーヌ」
 
ポンポン、と優しく皇女の頭を撫でる優しげな手つきに、わたくしは初めて誰かを妬ましいと思う感情を知った。
 
 
~~~
 
 
セドリック様の命は、まるで“まぼろし”のように儚く消え失せてしまった。隣国エステンの王、ゲオルクに敗れて。ゲオルクはリリアーヌを己が后とし、我が国を乗っ取った。初めはその事実に憤慨していた父も、ゲオルクが後宮を開いた話を聞いた途端に態度が急変した。
 
「のう、イヴェット、そなた新帝の後宮に入らぬか? あの男はヴィラールの血を欲していると聞く。もし万が一おまえが最初の男子を生めば、皇太后となれるかもしれんぞ?」
 
呆れ返りながらもその言葉に頷いたのは、それがまたとない機会(チャンス)だと思ったから。リリアーヌと、あの男に復讐するための。わたくし自身の“まぼろし”のように儚かった“恋”を弔うための。
 
 
~~~
 
 
『ねぇ、どうしてリリアーヌと結婚なさって一年も経ちますのに、未だお手を触れられませんの?』
 
閨の中で問いかけた言葉に、あの方は笑顔でこう答えた。
 
『リリアーヌはね、私にとって何よりも大事な娘(こ)なんだ。あの娘が幼いころからずっとこの手で慈しみ、その成長を見守り、先帝陛下、今は亡き皇太后陛下と共に大切に育んできた……。だから、そう簡単に手折ってしまいたくはないんだ。しかるべき時期に、ちゃんとしたかたちで妻にしたい。だから待っているんだよ、あの娘が花開くときが来るのを』
 
皇帝に即位したばかりのセドリック様と、関係を持つ女は何人かいた。けれどその中の誰一人として、“側室”として正式に後宮に招かれた者はいなかった。先帝ユルバン陛下と同じように、セドリック様の後宮に住まうのも皇后ただ一人。リリアーヌ。セドリック様が大切に、大切に慈しみ育てた花。その花が主を裏切るというのか? 他の男に向けて芳香をまき散らし、美しい花弁を開いてみせようというのか?
 
 
~~~
 
 
「……何の真似だ、これは」
 
『もう諦めて後宮を去れ。今ならばまだ他の嫁ぎ先が見つかる』
 
父からそんな手紙を受け取ったのは、リリアーヌが二人目の皇子を生んだころだった。
 
それならばお父様、わたくしが何をしても、どんな復讐を遂げようとも、もう文句はありませんわね?
 
閨の中、すっかり寝入ったゲオルクの胸元に懐剣を突きたてようとしたわたくしの気配に、ゲオルクはさっと起き上がってわたくしの腕を押さえつける。
 
「復讐ですわ。憎い、憎い……あの方を殺した仇!」
 
更に暴れ回ろうと試みるも、強い力で抑え込まれてしまっては敵わない。わたくしは己の運命(さだめ)が此処までであることを知った。
 
「おまえといい、リリアーヌといい……セドリックというのは余程の色男であったと見える」
 
「おほほほほ!」
 
わたくしは思わず笑い出した。皇后がゲオルクをセドリック様だと思い込んでいる、という噂は聞いていた。事実、最初の子を身籠った辺りからリリアーヌのゲオルクに対する態度は一変したし、金を掴ませて口を割った皇后付き女官のカミーユもそう証言していた。
 
けれど、違う……そうね、リリアーヌ。あなたはあなたの復讐を。わたくしはわたくしの復讐を。
だってリリアーヌ、あなた気づいていないのかしら? あなたのやり方では、いつかセドリック様をも傷つけることになる。ゲオルクだけではない、あなただけではない。自分だけを見つめ、自分だけを愛するようにあなたを育ててきたあの方の心にまで牙を、爪を食いこませ、深く傷つけても良いというの? だからあなたが嫌いなのよ、リリアーヌ。美しく傲慢な皇女様! わたくしが誰よりも慕うあの方が、何よりも愛した皇后様!
 
「何だ……? 一体何が、そんなにおかしい? イヴェット」
 
どこか怯えるようにこちらを見るゲオルクの瞳の中に垣間見えるかすかな揺らぎ。ああ、リリアーヌ。きっとあなたの復讐は成功するわ。最も理想的で、最も残酷なかたちで!
 
「いいえ、別に何も。リリアーヌと……皇后様といつまでも仲睦まじゅう」
 
そう微笑んだ瞬間、わたくしの首は切り落とされた。
 
 
~~~
 
 
「皇后様……イヴェット様が」
 
震えながらシルヴィが告げた報せに、わたくしは溜息を吐いて悲しむふりをした。ゲオルクの命を狙ってきた刺客に襲われたというイヴェット。きっと殺したのはゲオルクだろう。哀れなイヴェット。可哀想なイヴェット。わたくしと真実(まこと)の夫婦になる前、幾人かいたというセドリック様の愛人の一人。
 
「それが、あなたの復讐だったのね……」
 
静かに呟いた言葉を、聞いている者は誰もいない。腕の中の赤子をそっと揺らす。イヴェットはきっとわたくしのことを、間違っていると言うに違いない。真っ直ぐで情熱的で、いつもいつもわたくしと張り合い、嫉妬の感情を隠そうともしなかった彼女に、わたくしは好感を抱いていた。ともすれば、羨ましさを感じるくらいに。
 
「それでもわたくしは、この道しか選べない……」
 
中庭から見上げる空はあのころと同じ。けれどその空と同じ色をしていたはずのあの方の瞳を、近ごろのわたくしはすっかり思い出せなくなっていた。






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まぼろしの仮面』番外編。アデーレ視点。
長くなり過ぎてしまったので(-_-;
拍手お礼はアデーレではなくイヴェット視点を書こうと思います。

拍手[5回]


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陛下が崩御された。……いいえ、ゲオルクが死んだ。予想通りの終わりだと思った。あの皇后、リリアーヌが死んだときから。……いいえ、彼女に、出会ったときから。
 
女の嘘を見抜くことが出来るのは女だけだと言う。あたしは知っていた。あの女が、“まぼろし”なんか見ちゃいないことを。あの女に仕えていた女官……シルヴィとか言ったっけ? きっと彼女も分かっていた。あの女が、ゲオルクを先帝だと思い込んでなんかいないことくらい。
それなのに何故ゲオルクにそう思わせるような嘘を吐いたのか? 主の意図を理解したから? いいえ、あの娘は耐えられなかったのかもしれない。先帝以外の男に寄り添う主に。
もしかしたら先帝に淡い想いを寄せていたのかしら? いいえ、それも違うだろう。きっとあの娘は、“先帝と共にある主”を愛していたのだ。何の憂いも知らず陽だまりの中、巣から飛び立てぬ羽根の無い雛のように純粋無垢で汚れなき皇女であった主を。だから嘘を吐いた。主が、そしてゲオルクが“仮面”を外さぬことをいいことに、死ぬまで嘘を吐き続けた。皇后の死の前年に、流行病(はやりやまい)で世を去ったあの哀れな娘……いいえ、女は。
 
新しい皇帝の即位に伴い、前の皇帝の側室たちは全て後宮から立ち去ることを命じられた。今やあたしとマルガの二人だけの居城となってしまった広い宮をぐるりと見渡す。貧しい農村で実の親に売り飛ばされた田舎娘が、場末の娼館で客を引いていた娼婦が、ここまで上り詰めることが出来たのだ。十分じゃないか。それなのに、どうして此処を去るのが寂しいなんて思うんだろう?
あんたとの思い出の残るこの場所を、あんたの気配を感じるこの場所を、あんたの“野望(ゆめ)”そのものであったこの場所から離れてしまうことが、どうしてこんなに苦しいんだろうね、ゲオルク?
 
 
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『へぇ、あんた兵隊さんなの?』
 
『ああ、まだまだ下っ端だがな。用心棒に雇われた下級貴族のお屋敷でちょいとそこの主に気に入られてね。おかげで何とか軍隊に潜り込ませてもらったのさ。元々は名字も持たない、惨めな辺境の村のみなし子だよ』
 
ゲオルクと初めて出会ったのは、あたしが客を取り始めて三年ほどが経ったころ。あたしはまだ十代で、ゲオルクも二十歳(はたち)を出るか出ないか、という年ごろだった。
 
『あたしも似たようなもんさ。貧乏な農村育ちでね。余りに貧しくてその日の食うもんにも困る有様だから、食いぶちを一つ減らすついでに三日分の食糧が手に入る、ってなもんでこんなところに売られてきたのよ』
 
『そうか。俺も女だったらそうなってたかもしれないな。どっかの人買いにとっ捕まって、二束三文で娼館に売り飛ばされる……。まぁ、男でみなし子だったおかげで何とか“野望(ゆめ)”ってもんにも近づけた
 
危険な眼差しを帯びた男の口から漏れ出た言葉に、あたしは引き付けられた。
 
『“ゆめ”……? “夢”、ってなんだい? 王様にでもなることかい?』
 
冗談混じりに問いかけたあたしに、奴はニヤリと笑った。
 
『まぁ王様になるのは“野望(ゆめ)”の第二段階くらいだな。俺はな、こんな貧しくて小さな国じゃない、あの豊かで強大なヴィラールが欲しいんだ。あの国を俺のものにしたい。そうしてこの国と一緒にしちまえば、もうこの国の民が餓えることも、いつもいつも国境の向こうのヴィラールの村人を見てその豊かな暮らしぶりを指を加えて眺めることも一切無くなるんだ!』
 
『何だい、それ、あんたの経験かい? ヴィラールとの国境……あそこは随分と酷い土地らしいね。辺境って言ったけど、あんたはあそこの出身なのかい。へえぇ、それでヴィラールをねぇ……。ねえねえ、教えておくれよ。あんたは一体どうやって、あの巨大な帝国を手に入れるつもりなんだい?
いいよ、誰にも言わない。あんたが気に入った。あんたに協力してあげる。あたしはこれでも売れっ妓(こ)だよ。軍の偉いさんの相手をすることだってたまにはあるさ。あんたの欲しい情報(はなし)を聞き出すことも、あんたの邪魔な奴を始末することだって、やろうと思えば出来るんだから』
 
こうしてあたしは、ゲオルクの“相方”になった。あたしは彼を一目見たときから分かっていた。自分とゲオルクが誰よりも似ていることを。きっと抜群に“馬の合う”パートナーとなれるであろうことを。そして同時に気づいてもいた。この男が愛するのはきっと自分ではない。自分がこの男に愛されるなんてことは、おそらく生涯起こり得ないであろうことを。
 
 
~~~
 
 
「アデーレ殿! マルガ殿!」
 
マルガと共にひっそりと皇宮を去るための馬車に乗り込もうとした時、声をかけてきたのは皇帝に即位したばかりのゲオルクの息子……アウグスト、陛下だった。
 
「まぁ陛下。わざわざお見送りに来てくださいましたの? もったいないことでございます」
 
深く頭を下げたあたしとマルガに、アウグストは傍らの側近に合図をし、美しい細工の施された宝石箱を差し出した。
 
「あなたとマルガ殿は父が若きころより……大変お世話になった方だと伺っております。これはせめてもの感謝の気持ち……」
 
「無理をなさることはありませんよ、陛下」
 
彼の言葉を遮って顔を上げたあたしを、アウグストの側近が睨む。無礼は承知。けれどあのゲオルクの息子に、何故このあたしが敬意を払わなければならないと言うのか? あたしは二度、ゲオルクの子供を堕ろした。そうして二度目以降は、二度と子を孕まぬ身体になっていた。でも、それで良かった。ゲオルクが欲していたのはこのヴィラール帝国の血。眼前に佇む、ゲオルクの息子とは思えないくらいお上品なアウグストの中に息づく、皇族の血だけであったのだから。
 
「あなたはお母君が嫌っていらっしゃったあたしのことをお厭いのはず。その女に、どうして別れの挨拶や餞の贈り物をなさろうとしておいでなの? お父君のご遺言にでも書かれてらっしゃったのかしら?」
 
あのゲオルクが、そんな遺言など残して逝くわけがないことくらい知っている。そしてアウグストには、母である皇后が嫌っていたからという訳だけではない、彼個人があたしを嫌うだけの大きな理由がある。
 
 
~~~
 
 
そう、あれはもう五年近く前のこと。第二皇女を身籠ったばかりの皇后の元に通い詰めのゲオルクに退屈を持て余していたあたしは、ふと思い立って心配そうに母后の部屋を見つめるアウグストに声をかけた。
 
『ねぇ、殿下、ご存じ? あれだけ仲睦まじく見えるご両親の本当のお姿を?』
 
『本当の姿? ……アデーレ殿、それは一体どういうことですか?』
 
そうして、純真で人を疑うことを知らなかった少年に教えた両親の“仮面”。夫を先帝セドリックだと信じきって接し続ける母親と、それを知りながら彼女を利用し子供を生ませ続けてきた父親。憤った少年は己が父に対してその怒りを顕わにし、ことの真偽を問い質した。皇帝と皇太子が一時的に不仲になり、ゲオルクがあたしの部屋をほとんど訪うことがなくなったのは、その直後のことである。
 
アウグストは賢い子供だ。皇帝と皇太子がいつまでも不仲でいることを公にするわけにはいかない、と表面上二人はいつの間にか和解した。彼は幼いながらに将来国を統べる者として父母の婚姻が、自分やきょうだいの誕生が国にとって不可欠なものであったことを理解せざるを得なかったのだろうし、一方で母の心の平穏のためには彼女や周囲がその道を選ばざるを得なかったことにも考え至ったのであろう。だがその後彼が父を見る目はいつも冷たく、どこか醒めたものを宿し続けていたのもまた、最後まで変わることなき事実であったのだが。それでもゲオルクが彼に皇位を譲ることを決めたのは、己に憎しみを抱きながらも“皇太子”としての態度を守り続けた息子の器量を信頼してのことであったに違いない。
 
きっと彼は良い皇帝になるだろう。あたしが死んでしまった後も、“賢帝アウグスト”、そう名を讃えられるような皇帝に。
 
 
~~~
 
 
「いいえ、私個人が思い立ってお別れの挨拶に訪れたのです。私はおそらく両親のことも、あなたのことも誤解しておりました。“まぼろし”に囚われて“仮面”の下の真実を見抜けなかったこと、私は心からあなたに……あなたと両親に詫びねばならない、と思っています」
 
真摯にこちらを見つめる“未来の賢帝”アウグストの瞳は、ゲオルクと同じ漆黒。ヴィラール皇族の持つ碧ではない。ゲオルク、やったね。あんたは遂に、本当にこの国を手に入れたんだ!
 
「皇帝陛下がこんな女に頭を下げることなんてございませんよ。それは受け取れません。あなたのお父君もお母君も、きっとそんなことなんて望んじゃいないと思いますから。ただ一つだけ……お願いしても?」
 
「何でしょうか?」
 
「あたしたちに、お父君のご霊廟に参る許可をいただきたいのです。たった一度、ほんの短い時間で結構ですので……」
 
語尾が震えて、少しだけ涙声になっちまったじゃないか。あたしともあろう者が、何てみっともない。一体どうしてくれるんだい、ゲオルク!
 
「分かりました。ただ、非常に申し訳ないことなのですが、人目につかない夜の間でもよろしいでしょうか?」
 
にっこりと微笑んだアウグストの瞳には、やはりゲオルクの面影が見える。ゲオルクの鋼のように研ぎ澄まされた冷たい眼差しとは違う、キラキラと輝く太陽のような、暖かみを帯びた優しい眼差しのはずなのに……。
 
 
~~~
 
 
「ゲオルク、最後のお別れに来たわよ」
 
それから数日後の夜、あたしとマルガはアウグストの側近に付き添われて初めてゲオルクの霊廟に足を踏み入れた。
 
「こんなに大きい、しかもヴィラール皇家の紋章が入ったお墓に眠れるなんて、あんた本当に幸せねぇ」
 
隣にはあの女……皇后リリアーヌ様も眠ってらっしゃるし、ね。
最後の言葉を口に出さないのは、あたしの精一杯の女の意地。隣に佇むマルガはあたしとは対照的に、じっと黙り込んだままだ。
 
「ねぇゲオルク、あんたが欲しがってたのはこの国でも、娼婦(あたし)たちの慰めや協力でも、お姫様の真っ直ぐな恋心でもない。あんな女の執着めいた、憎しみも愛も何もかも含んだドロドロの感情を、あんなにも激しい、醜い、そして恐ろしいものを、一番、いちばん欲しがっていたのね」
 
あたしにも、マルガにも、クリスティーネにも決して与えられなかったもの! この国の皇女にして皇后であったリリアーヌただ一人だけが、あの男に与えてあげられたもの!
 
「ゲオルク、あたし負けたなんて思ってないわ。あたしとあんたは戦友。あんたそう言ってくれたんですもの。あんたとあの女は敵だったわ。最期まで闘っていたわ。ねぇそうでしょう? だからね、いいの。あたしはあんたの戦友でいられて幸せだったんですもの。ねぇ、ゲオルク、ゲオルク……!」
 
泣き崩れたあたしの傍に、マルガがそっと寄り添った。
 
「アデーレ……姐さん、あたしはどこまでも姐さんと一緒よ。あの娼館からエステンの王宮まで、エステンの王宮からヴィラールの後宮まで、そうして此処まで、ずっと姐さんと一緒だったんですもの。離れないわ。ずっと傍にいる。そうして一緒にゲオルクを、あの人のことをずっと、ずっと語り続けましょう……」
 
マルガ。妹のようなあたしの後輩。売られてきたときから今まで、あたしたちはいつも一緒だった。そう、そしてこれからも……。
 
「そうね、マルガ。行きましょう。早く行かないと、太陽が昇ってしまうわ」

マルガにそう告げると、あたしは急いで涙を拭い、身体を起こした。 
太陽が昇れば、“夢”は終わってしまう。ゲオルクの見た“野望(ゆめ)”。ゲオルクと共にあたしたちが見た“夢”。
アウグストから約束された刻限まではまだ間がある。けれど……
 
「衛兵さん、もう結構よ。あたしたち、早く行かなくちゃならないの」
 
笑顔で霊廟から出てきたあたしとマルガを、驚いたように見張りの兵が見やる。おそらくは中から漏れるすすり泣きを耳にしていたのだろう。
 
「さぁ早く馬車を出して。夜明け前にはこの街を、この国を去りたいの。お金はありったけ出すわ。さぁ急いで! 急ぐのよ!」
 
金貨を一袋放り投げて馬丁に無茶苦茶な命を出せば、のんびりと寝こけていた彼は跳ね起きて、慌てて馬に鞭を振るった。
 
“夢”を見る時間はもうおしまい。全ては“まぼろし”。消えゆく蜃気楼。この国も、身に付けざるを得なかった“仮面”も、彼とあたしが見た“ゆめ”も、全て――
 
 
 
そうしてその後、広大なヴィラール帝国を後にし、遥か彼方へと消え去った馬車とそこに乗っていた二人の女の行方を知る者は、誰一人として存在することは無かった。






後書き


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最終話。リリアーヌの真実と愛の行方。

拍手[2回]


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それは長い長い沈黙だった。いいや、他の者にとっては一瞬に過ぎない時間だったのかもしれない。しかし俺にとってはとても長い……そして重い懺悔の時間だった。
 
「ええ、存じておりますわ、ゲオルク陛下」
 
その沈黙を打ち破ったのは、どこまでも静かに透き通るリリアーヌの声。余りの衝撃に目を見開いて彼女を見れば、リリアーヌは切なげに微笑みながら“真実”を告げた。
 
「あなたはわたくしの仇。侵略者。掠奪者。そして今のわたくしのただ一人の夫。ただ憎み続けることが、一体何になるというのです? わたくしはあなたの后となる道を、自ら選んだのです。わたくしは母から“皇后”たる者の務めを再三教え込まれました。ですからあのとき、この身に最初に子を宿したことを知った瞬間、思い出したのです。『皇后とは皇帝と並び、支え、尽くし、愛する者』だと」
 
「だから……俺を許したのか? 感情を理性で割り切って、己が心を偽って、“皇后”として皇帝(おれ)に仕えることを自らに課したと言うのか? 前皇帝の“まぼろし”を見ているという“仮面”を被って」
 
己の声が少しずつ震え出していることに気づく。例えセドリックという“まぼろし”の“仮面”を付けた俺と、“まぼろし”を求め続けたリリアーヌの間に生まれた偽りの時間であったとしても、心から愛されていると信じたあの時間は、確かにこの女を手に入れたと感じたあの瞬間は!
 
「わたくしがあなたにセドリック様の“まぼろし”を見ていると思い込んだのはあなたの方ではありませんか。わたくしは確かに“仮面”を被っておりました。けれどもそれは、皇帝を愛する“皇后”としての“仮面”です。わたくしは今でも、あなたのことを少しも許してなどおりません。ただの“リリアーヌ”としてのわたくしの中には、今この時も決して消えることの無い、あなたに対する憎悪の炎が燻っております。けれどまた、ただの“リリアーヌ”の中に、こんなにも長い時を共に過ごし、七人の子をわたくしに与えてくださったあなたへの愛情が生まれていない訳がございましょうか。わたくしを、そうまで情に薄い女だとお思いになって?」
 
ようやくむき出しにされた、リリアーヌの中でせめぎ合う矛盾した感情。涙をこぼしながらうっすらと微笑む女の頬にそっと手を伸ばす。この女に、これほどまでに矛盾した想いを植え付けたのは俺だ。俺こそが、この女の中に“まぼろし”を見続け、“仮面”を被らせ続けてきたのだ! 度重なる出産のせいだけではない、長い長い間葛藤を繰り返し疲れ果てた心が、今の彼女をこんな姿に変えてしまった。そして今まさにその“まぼろし”は、“仮面”は、彼女自身の命をも奪おうとしている! そんな俺の心の叫びを読み取ったかのように、リリアーヌは嗤った。
 
「ですからこれは復讐なのです。陛下……いいえ、ゲオルク。わたくしに“まぼろし”を見続けた、わたくしに“仮面”を被らせ続けたわたくしの憎き仇、わたくしの愛する夫! あなたの心に深く深く牙を、爪を突き立てて無様に死に絶えていくことこそが、このわたくし、ヴィラール帝国皇女にして皇后、そしてただの女であったリリアーヌの、たった一つの復讐にして、最後の愛の……あ……か、し……」
 
急に起き上がり俺に向かって叫んでみせたリリアーヌは、最後にふっと糸が切れるかのごとく寝台に沈み、その瞳を閉じた。
 
「リリアーヌ? リリアーヌ? リリアーヌ!」
 
そうしてそのまま、二度と目を開くことのなかった后の亡骸を、一晩中揺さぶり続けた俺が正気に返ったのは明くる日の朝だった。既に冷たく変わり果てたリリアーヌの身体を抱いて寝室から出てきた俺に女官たちは驚き、側近たちは慌てて葬儀の手配へと走り去っていった。
 
 
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「ヴィラールの皇帝は皇后しか愛さない……、か」
 
リリアーヌの葬儀が全て終わり、その棺が壮麗な霊廟へと納められてから一年。後宮は既に閉じられたも同然の状態となり、俺は己の野望も、何もかもを見失いかけていた。
 
愛していたのだ、彼女のことを。愛するということがどういうことか、教えてくれた初めての女、リリアーヌ。皇帝(おれ)のった一人皇后。
 
先ほど、俺は皇太子アウグストに位を譲ることを決めた。
 
「皇太子殿下は皇帝となるにはまだお若過ぎます!」
 
「陛下とて、まだまだ引退なさるには早すぎるお年であられるのに……!」
 
「うるさい! この私が、皇帝ゲオルクが決めたのだ! 逆らう者はどうなるか、分かっているであろうな!?」
 
騒ぎ立てる臣たちと、戸惑う息子を前に一方的に宣言し、会議の場を後にしてそのままこの霊廟へとやって来た。確かに、アウグストは未だ十六の若年。しかし、あのリリアーヌとこの俺の息子だ。初めは傀儡であっても、おそらく末は立派な皇帝となるだろう。
 
「リリアーヌ、おまえは酷い女だ。こうなることすら全て分かっていて、俺に対して笑顔を振りまき、俺の子供を七人も生んでみせたのか?」
 
大きな霊廟の中に木霊する声。望む女からの答(いら)えはもちろん無い。
 
「リリアーヌ、リリアーヌ、どうやらおまえが罹ったのと全く同じ病に、俺も侵されてしまったらしい。心を病むとは苦しいものだな、リリアーヌ。おまえはその病を悟られぬよう、“仮面”を被り続けていたのか? いや、それとも俺に見えていたおまえの“仮面”こそが“まぼろし”に過ぎなかったのか? どちらなのだ? リリアーヌ、リリアーヌ……」
 

 
ヴィラール帝国皇帝ゲオルクがその皇后リリアーヌの眠る霊廟で倒れ伏しているところを見つかったのは、それから数時間後のことであった。侍医ヘルマンによる手厚い治療と看護が即刻施されたものの、時既に遅く、ゲオルクは翌朝早くに事切れた。自ら毒を含んだ自殺であったとも、反皇帝一派による暗殺であったとも噂される、余りにも突然で、不可解な死に様であった。             






後書き
  番外編『まぼろしの夢』(アデーレ視点)
       『まぼろしの恋』(イヴェット視点)


追記を閉じる▲

ここからゲオルク視点。途中時間軸も一気に飛びますのでご注意。

拍手[1回]


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エステンより伴った優秀な侍医ヘルマンからリリアーヌの懐妊を聞いた瞬間、俺は己の計画が再び大きく前進したことを知り、ほくそ笑んだ。これまで葬ってきた幾人かの我が子たちも、これで浮かばれることだろう。
 
リリアーヌ。あの恐ろしく美しい毛並みをヤマアラシのごとく逆立てて俺を睨めつける、俺の后。気位高い姫君は“蛮族”たる俺の子を身籠った事実をどう受け止めているだろうか。そう楽しみに想像を巡らせながら訪れた皇后の部屋は、それまでとはすっかり雰囲気の異なるものへと変貌していた。
 
「……皇帝陛下、ようこそいらせられました」
 
出迎えた女官たちの表情(かお)は、皆一様に暗い。
 
「どうした? 何があったのだ?」
 
と問いかける前に、奥の間からリリアーヌが姿を現した。
 
「まぁ、陛下。来て下さったのね、嬉しいわ。聞いて下さい、わたくしとうとう陛下のお子を授かりましたの! 本当はわたくしが一番にお知らせしたかったのですけれど、きっとヘルマンがもう陛下のお耳にお入れしていることでしょうね……」
 
明るく、眩ゆいばかりの笑顔を振りまいてみせるリリアーヌの姿は初めて見る。彼女に最も長く仕えている、という女官のシルヴィを振り返れば、彼女は悲しそうに首を振ってこう告げた。
 
「侍医(せんせい)がお帰りになられてから皇后様は再びお眠りになり、次に目を覚まされた時には既にこのような有様でございました。畏れ多いことながらおそらく皇后様は陛下を……先帝・セドリック様と思い込まれておいでかと」
 
シルヴィの言葉に、納得してリリアーヌを見やる。子が出来たことを喜んではくれないのか、祝福してはくれないのか、と不安そうにたゆたう長い睫毛に縁取られた大きな碧い瞳。こんな眼差しを、俺は彼女から向けられたことは一度もない。こんな頼りなげな彼女を目にしたことは一度もない。俺は勝った、と思った。この高飛車な女の心を粉々に砕いてやったのだ、と。俺をセドリックと思い込んだこの女は、これから先二度と俺に逆らわず、従順で理想的な后となるだろう。そしてその姿を見た根強い反エステンのヴィラール臣民どもも、きっと俺に従うようになるだろう。俺は今にも大声を上げて笑い出したい気分だった。
 
「そうか、それはいい……。ああ、リリアーヌ、不安にさせたね。まずは君に“おめでとう”と告げるべきだった。おめでとうリリアーヌ、そしてありがとう。嬉しいよ、“私”の子供を身籠ってくれて……」
 
頬に軽く口付けをすると以前ならばすぐに手を叩き落されたものだが、“今”のリリアーヌは顔中を薔薇色に染めて、心底嬉しそうな笑みを浮かべる。
 
ああ、俺は遂にリリアーヌを支配した! この国そのものである皇后を、内からも外からも完全に手に入れてやったのだ! この『卑しい』俺、かつては名字すら持たなかったゲオルクが!
 
高らかに笑い、リリアーヌを寝台へと運ぶ俺の後ろ姿を、背後で女官たちが心配そうに見守っていた。しかしやがては彼女たちも、何が主の心の平穏にとって大切なことかを理解し、俺を、俺をセドリックと認識する主を受け入れるようになるだろう。何せ俺は紛れもないリリアーヌの夫! このヴィラール帝国の現皇帝であるのだから!
 
 
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皇后リリアーヌと俺の間には、四人の皇子と三人の皇女が生まれた。懐いてみれば、リリアーヌは実に可愛らしい女だった。元々その艶やかで美しい容姿は今まで見た数多の女たちの中で一番と言って良いほど気に入っていたし、皇女らしい気品と一見相反する家庭的な側面……料理や裁縫を好み、俺や子供たちの口に入るもの、身に付けるものを全て自分であつらえ、もしくは管理しようとする様は素直に微笑ましかった。例えそれが、俺を幼きころより慕い続けた前夫、セドリックと信じきって行われたことであったとしても。
 
 
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「陛下は最近皇后の部屋にしか行かれませんのね。寂しいわ」
 
「何よあの女、子供が出来た途端手のひら返しちゃって。陛下も陛下よね、いくらこの国の皇族の血が欲しいからって」
 
妾(おんな)たちの戯言は聞き飽きた。いつの間にか後宮は閑散とし、古くからの馴染であるアデーレとマルガを初め、ほんの少数の行くあてのない女たちだけが残る場所となり果てていた。
 
「ヴィラール帝国に後宮はあれど、その主は皇后だけ……皇帝の心の奥に、ただ一人住まうことができるのは皇后だけ……とは、よく言ったものですわね、陛下」
 
にっこりと微笑むアデーレに、皇后の寝所へと足を急いでいた俺は苦い笑みを返した。
 
「皇后様のお加減は未だに回復なさらないとか……?」
 
「うるさい! 黙れ、アデーレ!」
 
「まぁ、怖い。初めて見ましたわ。そんなに取り乱して誰かを怒鳴るあなたなんて」
 
ここ暫くその室を訪うことの無かったかつての情婦アデーレは、俺の怒声にほんの少し寂しそうに笑い、頬をするりと一撫でして去っていった。
 
 
~~~
 
 
アデーレの言葉通り、リリアーヌは末娘であるミレーヌを生んで以来、 ずっと床に臥したままの状態が続いている。ヘルマンからも
 
『今年いっぱいもつかどうか……お覚悟なさいませ』
 
と告げられていた。
 
リリアーヌが死ぬ。俺がこの国を手に入れるために最も必要だった手駒、どんな兵士よりも、どんな参謀よりも“役に立った”俺の后(おんな)が! ……最後まで、俺を“俺”だと認識しないまま、先帝セドリックだと思い込んだまま……。そうだ、その方が都合が良い、と信じ込ませてきたのは自分ではないか。それなのに今になって感じるこの焦燥は、悔恨は一体何なのだ!? リリアーヌにとって、あの女にとって俺は一生“セドリックのまぼろし”で終わるのか? それが、多くの血を流しこの強大な帝国を乗っ取った俺への罰だというのか!?
 
「へい……か……、いらしてらしたのね」
 
枕辺に蹲る私に気がつくと、リリアーヌは衰えた身体を必死に起こそうとしてみせた。
 
「駄目だリリアーヌ、起き上がってはいけない」
 
「別に一度や二度起き上がったくらいで……運命(さだめ)からは逃れられませんわ」
 
どこか遠い目をして呟くリリアーヌの言葉が、俺の心に突き刺さる。
 
「リリアーヌ、おまえはすぐに良くなる。子供たちは皆、おまえが元気になって抱きしめてくれるのを待っている。子供たちを、私を置いて逝ってしまっても良いのか? リリアーヌ」
 
俺の言葉に、リリアーヌはクスリと笑った。
 
「あなたは別に、わたくしに置いていかれようと一向に構わないのでは?」
 
「……それはどういう意味だ、リリアーヌ?」
 
怪訝そうな眼差しを彼女に向ければ、彼女はまたゆるりと微笑んでこう告げた。
 
「……いいえ、陛下。わたくしは陛下の足枷になりたくはないのです。わたくしが言うまでもないことは承知の上で申し上げますが、どうかわたくし亡き後は遠慮なく新しいお后様を娶られて幸せにおなり下さいませ」
 
「そのような不吉なことを言うな!」
 
今にも儚く消え失せてしまいそうなその白い手を強く握りしめる。これまで誰を亡くしたときも、葬ったときもこんなことはしたことが無かった。これほどまでに胸を引きちぎられるような痛みを感じることも無かった!
 
「陛下……わたくし、幸せでしたわ。陛下の后となって、可愛い子供たちに恵まれて」
 
本当に幸せそうに微笑む、やつれきった面ざしに堪えかねて俺は叫んだ。
 
「違う、違うんだ、リリアーヌ! おまえの『陛下』は……セドリックはもう十六年も前に俺が殺した! おまえの目の前にいるおまえの夫……今の皇帝は“俺”なんだ、リリアーヌ!」







 


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変わりゆく後宮と、リリアーヌの身に起こった変化。

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ゲオルクとの婚儀から半年が過ぎた。わたくしの暮らす後宮には、ゲオルクがエステンより連れ参った妾たちが“側室”の地位を得、我が者顔で贅沢三昧の日々を送っている。そしてその“側室”の一人には、かつてわたくしの友人であった我が国の貴族の娘、イヴェットもいつの間にか加わっていた。
 
「イヴェット、どうして……どうしてあなたが!?」
 
問いかけるわたくしに、イヴェットはすまして答えた。
 
「あら、だってゲオルク陛下はわたくしを側室に取り立てて下さる、とお約束して下さったんですもの! この国の皇帝たちときたら、先代も先々代もこれほど立派な後宮をお持ちになりながら、住まわれるのは皇后陛下ただお一人。皇帝と縁(えにし)を結ぶことを望む家々や娘たちの存在など、少しもお考えくださらなかったのですもの。まぁ先帝セドリック陛下に関しては、それも仕方のないことだったのかもしれませんけれど……」
 
チラリとこちらを流し見る瞳に、先々帝の娘であった先帝皇后(わたくし)への揶揄が籠る。
 
「あなたには……ヴィラール貴族としての誇りはないのですか!? わたくしたちの国を乗っ取った、あの野蛮な皇帝の側室となることがそれほどまでに嬉しいと!?」
 
「おやおや、その『野蛮な皇帝』を夜毎受け入れている、という意味ではあなたとて同じではありませんか、『皇后陛下』」
 
背後から聞こえてきた声と、跪くイヴェットの姿に振り向けば、側室の一人であるアデーレを腕に絡ませたままのゲオルクが慇懃な笑みを浮かべて近づいてくるところだった。イヴェットはその発言にクスクスと嗤いを堪え切れずにいる。
 
「……これはこれは皇帝陛下。よもや昼間から後宮においでになるとは思いもよりませんでしたわ」
 
羞恥と憤りの限界を堪え、膝を折ってかたちばかりの挨拶をすると、彼は苦笑して未だねっとりと身体を寄せ合ったままのアデーレと含み笑いを交わしてみせた。
 
「“生粋の皇族”であらせられるリリアーヌには余り見られたくなかった姿だな……。でもこいつが明け方まで離してくれないもんだから、起きたらこんな時間になっていてね」
 
アデーレはゲオルクがエステンから伴った愛妾たちの中でも一番の古株で、元はどこぞの娼館にいた彼の情婦であったとも聞く。豊満な肉体に男に媚びるかのような下品な笑みを浮かべ、我が者顔にこの後宮の実質的な支配者であるかのごとく振る舞うこの女のことが、わたくしは嫌いだった。 父が、セドリック様が大切に慈しんできたこの宮が変えられてしまう、失われてしまう!
 
「それにしてもゲオルク、今度の王妃様……ああ違った、皇后様でいらしたわね。って、随分とお綺麗だし馬鹿じゃないのね! あのクリスティーネ王女とは大違い!」 
 
黙り込むわたくしにかけられたアデーレの言葉に、亡きエステン王女の名前が混じり、わたくしは思わず顔を上げた。
 
「あの方ったら、父王陛下が亡くなられてあたしたちが堂々と王宮に出入りするようになったら、それはもう毎日ヒステリーの嵐で! ベソベソと泣き出すわ大声で喚き散らすわ、本当にあたしもマルガも大変だったわ。ねぇ、マルガ?」
 
アデーレと同じくゲオルクがエステンから伴った側室の一人、傍らの木陰で寝そべっていたマルガがアデーレの言にゆっくりと起き上がり、頷いてみせる。
 
「そうね、王女といっても多少顔立ちや物腰がお上品、ってだけで身体も頭も使えない方だったから、あたしたちに嫉妬してたんじゃないかしら? アデーレ。でも最期は少しお可哀想だったわ。折角陛下の久しぶりのお渡りだ、って喜んでいらっしゃったのに」
 
「あっという間に毒でコロリ、ですものね! 確かにあの方は邪魔だったけど、一国の王女殿下に対してアレはいくら何でも酷かったと思うわよ、ゲオルク」
 
淡々と、まるでわたくしに聞かせてでもいるかのようにわざと丁寧に事の仔細を話している側室たちの言葉を、受け止めることを心が拒む。それではやはりゲオルクの王妃は、エステン王国のクリスティーネ王女は!
 
「こらこらおまえたち、お喋りが過ぎるぞ。リリアーヌがすっかり怯えてしまっているじゃないか。皆の者、今聞いた話は一応他言無用に。エステンなど、もうとうに滅びた国だが、一体どこに“忠義の残党”なる者が紛れ込んでいるか分からぬからな」
 
 
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クスクスと嘲笑を洩らす側室たちの間をすり抜け、何とか己の部屋に帰りついたわたくしはフラフラとソファに倒れ込んだ。やはり、クリスティーネ王女は暗殺された。自らの夫であるゲオルクに毒を盛られて! それではわたくしもいつか……
 
「……うっ……!」
 
込み上げる吐き気に手水場へと駆け込んだわたくしに、腹心の女官であるシルヴィが心配そうに駆け寄ってくる。
 
「皇后様! 大丈夫ですか? ……あのような女たちの言うことなど、気にすることはございません」
 
「ええ、そうねシルヴィ。わたくしはちっとも気にしてなどいないわ。大丈夫、だいじょう……ぶ……よ……」
 
「皇后様! リリアーヌ様! 誰か、誰かお医者様を……!」
 
 
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次に目覚めたとき、わたくしは自分の寝台の上に横たわり、枕辺にはゲオルクがエステンから連れて来た侍医のヘルマンが座っていた。
 
「皇后陛下、お目覚めになられましたか。まずは一言お祝いを。この度は、まことにおめでとうございます」
 
「一体何が……めでたいと言うのです?」
 
力の入らない身体で首だけを動かしてヘルマンに問えば、彼は笑って答えた。
 
「ご懐妊が判ったのですよ。三か月というところでしょう。皇帝陛下にとっても初めてのお子が、皇后陛下のお腹(はら)に宿るとは何ともめでたい!」
 
「……なんですって?」
 
わたくしは頭の中が真っ白になった。ゲオルクの、セドリック様を殺したゲオルクの子が、今わたくしの腹の中に! わたくしが身籠るはずだったのは、わたくしが生むはずだったのはセドリック様のお子だった。そのセドリック様と三年も夫婦として暮らしながら一度も授からなかった赤子が、たった半年で! ああ、何ということだろう。きっとゲオルクはわたくしに、皇族の女に己が長子を生ませるつもりで、これまで芽生えた命は葬ってきたのだろう。ゴットホルト王と、クリスティーネ王女と同じように! この子は大勢の命の犠牲の上に成り立っている。ああ、何ということだろう!
 
「夜には皇帝陛下もこちらにお見えになります。どうかそれまでごゆるりと休まれ、決して無茶はなさいませんよう」
 
そう告げるヘルマンの言葉に促されるようにわたくしの意識は沈み、それから二度と浮上することはなかった。








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