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陛下が崩御された。……いいえ、ゲオルクが死んだ。予想通りの終わりだと思った。あの皇后、リリアーヌが死んだときから。……いいえ、彼女に、出会ったときから。
女の嘘を見抜くことが出来るのは女だけだと言う。あたしは知っていた。あの女が、“まぼろし”なんか見ちゃいないことを。あの女に仕えていた女官……シルヴィとか言ったっけ? きっと彼女も分かっていた。あの女が、ゲオルクを先帝だと思い込んでなんかいないことくらい。
それなのに何故ゲオルクにそう思わせるような嘘を吐いたのか? 主の意図を理解したから? いいえ、あの娘は耐えられなかったのかもしれない。先帝以外の男に寄り添う主に。
もしかしたら先帝に淡い想いを寄せていたのかしら? いいえ、それも違うだろう。きっとあの娘は、“先帝と共にある主”を愛していたのだ。何の憂いも知らず陽だまりの中、巣から飛び立てぬ羽根の無い雛のように純粋無垢で汚れなき皇女であった主を。だから嘘を吐いた。主が、そしてゲオルクが“仮面”を外さぬことをいいことに、死ぬまで嘘を吐き続けた。皇后の死の前年に、流行病(はやりやまい)で世を去ったあの哀れな娘……いいえ、女は。
新しい皇帝の即位に伴い、前の皇帝の側室たちは全て後宮から立ち去ることを命じられた。今やあたしとマルガの二人だけの居城となってしまった広い宮をぐるりと見渡す。貧しい農村で実の親に売り飛ばされた田舎娘が、場末の娼館で客を引いていた娼婦が、ここまで上り詰めることが出来たのだ。十分じゃないか。それなのに、どうして此処を去るのが寂しいなんて思うんだろう?
あんたとの思い出の残るこの場所を、あんたの気配を感じるこの場所を、あんたの“野望(ゆめ)”そのものであったこの場所から離れてしまうことが、どうしてこんなに苦しいんだろうね、ゲオルク?
~~~
『へぇ、あんた兵隊さんなの?』
『ああ、まだまだ下っ端だがな。用心棒に雇われた下級貴族のお屋敷でちょいとそこの主に気に入られてね。おかげで何とか軍隊に潜り込ませてもらったのさ。元々は名字も持たない、惨めな辺境の村のみなし子だよ』
ゲオルクと初めて出会ったのは、あたしが客を取り始めて三年ほどが経ったころ。あたしはまだ十代で、ゲオルクも二十歳(はたち)を出るか出ないか、という年ごろだった。
『あたしも似たようなもんさ。貧乏な農村育ちでね。余りに貧しくてその日の食うもんにも困る有様だから、食いぶちを一つ減らすついでに三日分の食糧が手に入る、ってなもんでこんなところに売られてきたのよ』
『そうか。俺も女だったらそうなってたかもしれないな。どっかの人買いにとっ捕まって、二束三文で娼館に売り飛ばされる……。まぁ、男でみなし子だったおかげで何とか“野望(ゆめ)”ってもんにも近づけた』
危険な眼差しを帯びた男の口から漏れ出た言葉に、あたしは引き付けられた。
『“ゆめ”……? “夢”、ってなんだい? 王様にでもなることかい?』
冗談混じりに問いかけたあたしに、奴はニヤリと笑った。
『まぁ王様になるのは“野望(ゆめ)”の第二段階くらいだな。俺はな、こんな貧しくて小さな国じゃない、あの豊かで強大なヴィラールが欲しいんだ。あの国を俺のものにしたい。そうしてこの国と一緒にしちまえば、もうこの国の民が餓えることも、いつもいつも国境の向こうのヴィラールの村人を見てその豊かな暮らしぶりを指を加えて眺めることも一切無くなるんだ!』
『何だい、それ、あんたの経験かい? ヴィラールとの国境……あそこは随分と酷い土地らしいね。辺境って言ったけど、あんたはあそこの出身なのかい。へえぇ、それでヴィラールをねぇ……。ねえねえ、教えておくれよ。あんたは一体どうやって、あの巨大な帝国を手に入れるつもりなんだい?
いいよ、誰にも言わない。あんたが気に入った。あんたに協力してあげる。あたしはこれでも売れっ妓(こ)だよ。軍の偉いさんの相手をすることだってたまにはあるさ。あんたの欲しい情報(はなし)を聞き出すことも、あんたの邪魔な奴を始末することだって、やろうと思えば出来るんだから』
いいよ、誰にも言わない。あんたが気に入った。あんたに協力してあげる。あたしはこれでも売れっ妓(こ)だよ。軍の偉いさんの相手をすることだってたまにはあるさ。あんたの欲しい情報(はなし)を聞き出すことも、あんたの邪魔な奴を始末することだって、やろうと思えば出来るんだから』
こうしてあたしは、ゲオルクの“相方”になった。あたしは彼を一目見たときから分かっていた。自分とゲオルクが誰よりも似ていることを。きっと抜群に“馬の合う”パートナーとなれるであろうことを。そして同時に気づいてもいた。この男が愛するのはきっと自分ではない。自分がこの男に愛されるなんてことは、おそらく生涯起こり得ないであろうことを。
~~~
「アデーレ殿! マルガ殿!」
マルガと共にひっそりと皇宮を去るための馬車に乗り込もうとした時、声をかけてきたのは皇帝に即位したばかりのゲオルクの息子……アウグスト、陛下だった。
「まぁ陛下。わざわざお見送りに来てくださいましたの? もったいないことでございます」
深く頭を下げたあたしとマルガに、アウグストは傍らの側近に合図をし、美しい細工の施された宝石箱を差し出した。
「あなたとマルガ殿は父が若きころより……大変お世話になった方だと伺っております。これはせめてもの感謝の気持ち……」
「無理をなさることはありませんよ、陛下」
彼の言葉を遮って顔を上げたあたしを、アウグストの側近が睨む。無礼は承知。けれどあのゲオルクの息子に、何故このあたしが敬意を払わなければならないと言うのか? あたしは二度、ゲオルクの子供を堕ろした。そうして二度目以降は、二度と子を孕まぬ身体になっていた。でも、それで良かった。ゲオルクが欲していたのはこのヴィラール帝国の血。眼前に佇む、ゲオルクの息子とは思えないくらいお上品なアウグストの中に息づく、皇族の血だけであったのだから。
「あなたはお母君が嫌っていらっしゃったあたしのことをお厭いのはず。その女に、どうして別れの挨拶や餞の贈り物をなさろうとしておいでなの? お父君のご遺言にでも書かれてらっしゃったのかしら?」
あのゲオルクが、そんな遺言など残して逝くわけがないことくらい知っている。そしてアウグストには、母である皇后が嫌っていたからという訳だけではない、彼個人があたしを嫌うだけの大きな理由がある。
~~~
そう、あれはもう五年近く前のこと。第二皇女を身籠ったばかりの皇后の元に通い詰めのゲオルクに退屈を持て余していたあたしは、ふと思い立って心配そうに母后の部屋を見つめるアウグストに声をかけた。
『ねぇ、殿下、ご存じ? あれだけ仲睦まじく見えるご両親の本当のお姿を?』
『本当の姿? ……アデーレ殿、それは一体どういうことですか?』
そうして、純真で人を疑うことを知らなかった少年に教えた両親の“仮面”。夫を先帝セドリックだと信じきって接し続ける母親と、それを知りながら彼女を利用し子供を生ませ続けてきた父親。憤った少年は己が父に対してその怒りを顕わにし、ことの真偽を問い質した。皇帝と皇太子が一時的に不仲になり、ゲオルクがあたしの部屋をほとんど訪うことがなくなったのは、その直後のことである。
アウグストは賢い子供だ。皇帝と皇太子がいつまでも不仲でいることを公にするわけにはいかない、と表面上二人はいつの間にか和解した。彼は幼いながらに将来国を統べる者として父母の婚姻が、自分やきょうだいの誕生が国にとって不可欠なものであったことを理解せざるを得なかったのだろうし、一方で母の心の平穏のためには彼女や周囲がその道を選ばざるを得なかったことにも考え至ったのであろう。だがその後彼が父を見る目はいつも冷たく、どこか醒めたものを宿し続けていたのもまた、最後まで変わることなき事実であったのだが。それでもゲオルクが彼に皇位を譲ることを決めたのは、己に憎しみを抱きながらも“皇太子”としての態度を守り続けた息子の器量を信頼してのことであったに違いない。
きっと彼は良い皇帝になるだろう。あたしが死んでしまった後も、“賢帝アウグスト”、そう名を讃えられるような皇帝に。
~~~
「いいえ、私個人が思い立ってお別れの挨拶に訪れたのです。私はおそらく両親のことも、あなたのことも誤解しておりました。“まぼろし”に囚われて“仮面”の下の真実を見抜けなかったこと、私は心からあなたに……あなたと両親に詫びねばならない、と思っています」
真摯にこちらを見つめる“未来の賢帝”アウグストの瞳は、ゲオルクと同じ漆黒。ヴィラール皇族の持つ碧ではない。ゲオルク、やったね。あんたは遂に、本当にこの国を手に入れたんだ!
「皇帝陛下がこんな女に頭を下げることなんてございませんよ。それは受け取れません。あなたのお父君もお母君も、きっとそんなことなんて望んじゃいないと思いますから。ただ一つだけ……お願いしても?」
「何でしょうか?」
「あたしたちに、お父君のご霊廟に参る許可をいただきたいのです。たった一度、ほんの短い時間で結構ですので……」
語尾が震えて、少しだけ涙声になっちまったじゃないか。あたしともあろう者が、何てみっともない。一体どうしてくれるんだい、ゲオルク!
「分かりました。ただ、非常に申し訳ないことなのですが、人目につかない夜の間でもよろしいでしょうか?」
にっこりと微笑んだアウグストの瞳には、やはりゲオルクの面影が見える。ゲオルクの鋼のように研ぎ澄まされた冷たい眼差しとは違う、キラキラと輝く太陽のような、暖かみを帯びた優しい眼差しのはずなのに……。
~~~
「ゲオルク、最後のお別れに来たわよ」
それから数日後の夜、あたしとマルガはアウグストの側近に付き添われて初めてゲオルクの霊廟に足を踏み入れた。
「こんなに大きい、しかもヴィラール皇家の紋章が入ったお墓に眠れるなんて、あんた本当に幸せねぇ」
隣にはあの女……皇后リリアーヌ様も眠ってらっしゃるし、ね。
最後の言葉を口に出さないのは、あたしの精一杯の女の意地。隣に佇むマルガはあたしとは対照的に、じっと黙り込んだままだ。
最後の言葉を口に出さないのは、あたしの精一杯の女の意地。隣に佇むマルガはあたしとは対照的に、じっと黙り込んだままだ。
「ねぇゲオルク、あんたが欲しがってたのはこの国でも、娼婦たちの慰めや協力でも、お姫様の真っ直ぐな恋心でもない。あんな女の執着めいた、憎しみも愛も何もかも含んだドロドロの感情を、あんなにも激しい、醜い、そして恐ろしいものを、一番、いちばん欲しがっていたのね」
あたしにも、マルガにも、クリスティーネにも決して与えられなかったもの! この国の皇女にして皇后であったリリアーヌただ一人だけが、あの男に与えてあげられたもの!
「ゲオルク、あたし負けたなんて思ってないわ。あたしとあんたは戦友。あんたそう言ってくれたんですもの。あんたとあの女は敵だったわ。最期まで闘っていたわ。ねぇそうでしょう? だからね、いいの。あたしはあんたの戦友でいられて幸せだったんですもの。ねぇ、ゲオルク、ゲオルク……!」
泣き崩れたあたしの傍に、マルガがそっと寄り添った。
「アデーレ……姐さん、あたしはどこまでも姐さんと一緒よ。あの娼館からエステンの王宮まで、エステンの王宮からヴィラールの後宮まで、そうして此処まで、ずっと姐さんと一緒だったんですもの。離れないわ。ずっと傍にいる。そうして一緒にゲオルクを、あの人のことをずっと、ずっと語り続けましょう……」
マルガ。妹のようなあたしの後輩。売られてきたときから今まで、あたしたちはいつも一緒だった。そう、そしてこれからも……。
「そうね、マルガ。行きましょう。早く行かないと、太陽が昇ってしまうわ」
マルガにそう告げると、あたしは急いで涙を拭い、身体を起こした。
太陽が昇れば、“夢”は終わってしまう。ゲオルクの見た“野望(ゆめ)”。ゲオルクと共にあたしたちが見た“夢”。
マルガにそう告げると、あたしは急いで涙を拭い、身体を起こした。
太陽が昇れば、“夢”は終わってしまう。ゲオルクの見た“野望(ゆめ)”。ゲオルクと共にあたしたちが見た“夢”。
アウグストから約束された刻限まではまだ間がある。けれど……
「衛兵さん、もう結構よ。あたしたち、早く行かなくちゃならないの」
笑顔で霊廟から出てきたあたしとマルガを、驚いたように見張りの兵が見やる。おそらくは中から漏れるすすり泣きを耳にしていたのだろう。
「さぁ早く馬車を出して。夜明け前にはこの街を、この国を去りたいの。お金はありったけ出すわ。さぁ急いで! 急ぐのよ!」
金貨を一袋放り投げて馬丁に無茶苦茶な命を出せば、のんびりと寝こけていた彼は跳ね起きて、慌てて馬に鞭を振るった。
“夢”を見る時間はもうおしまい。全ては“まぼろし”。消えゆく蜃気楼。この国も、身に付けざるを得なかった“仮面”も、彼とあたしが見た“ゆめ”も、全て――
そうしてその後、広大なヴィラール帝国を後にし、遥か彼方へと消え去った馬車とそこに乗っていた二人の女の行方を知る者は、誰一人として存在することは無かった。
→後書き
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陛下が崩御された。……いいえ、ゲオルクが死んだ。予想通りの終わりだと思った。あの皇后、リリアーヌが死んだときから。……いいえ、彼女に、出会ったときから。
女の嘘を見抜くことが出来るのは女だけだと言う。あたしは知っていた。あの女が、“まぼろし”なんか見ちゃいないことを。あの女に仕えていた女官……シルヴィとか言ったっけ? きっと彼女も分かっていた。あの女が、ゲオルクを先帝だと思い込んでなんかいないことくらい。
それなのに何故ゲオルクにそう思わせるような嘘を吐いたのか? 主の意図を理解したから? いいえ、あの娘は耐えられなかったのかもしれない。先帝以外の男に寄り添う主に。
もしかしたら先帝に淡い想いを寄せていたのかしら? いいえ、それも違うだろう。きっとあの娘は、“先帝と共にある主”を愛していたのだ。何の憂いも知らず陽だまりの中、巣から飛び立てぬ羽根の無い雛のように純粋無垢で汚れなき皇女であった主を。だから嘘を吐いた。主が、そしてゲオルクが“仮面”を外さぬことをいいことに、死ぬまで嘘を吐き続けた。皇后の死の前年に、流行病(はやりやまい)で世を去ったあの哀れな娘……いいえ、女は。
新しい皇帝の即位に伴い、前の皇帝の側室たちは全て後宮から立ち去ることを命じられた。今やあたしとマルガの二人だけの居城となってしまった広い宮をぐるりと見渡す。貧しい農村で実の親に売り飛ばされた田舎娘が、場末の娼館で客を引いていた娼婦が、ここまで上り詰めることが出来たのだ。十分じゃないか。それなのに、どうして此処を去るのが寂しいなんて思うんだろう?
あんたとの思い出の残るこの場所を、あんたの気配を感じるこの場所を、あんたの“野望(ゆめ)”そのものであったこの場所から離れてしまうことが、どうしてこんなに苦しいんだろうね、ゲオルク?
~~~
『へぇ、あんた兵隊さんなの?』
『ああ、まだまだ下っ端だがな。用心棒に雇われた下級貴族のお屋敷でちょいとそこの主に気に入られてね。おかげで何とか軍隊に潜り込ませてもらったのさ。元々は名字も持たない、惨めな辺境の村のみなし子だよ』
ゲオルクと初めて出会ったのは、あたしが客を取り始めて三年ほどが経ったころ。あたしはまだ十代で、ゲオルクも二十歳(はたち)を出るか出ないか、という年ごろだった。
『あたしも似たようなもんさ。貧乏な農村育ちでね。余りに貧しくてその日の食うもんにも困る有様だから、食いぶちを一つ減らすついでに三日分の食糧が手に入る、ってなもんでこんなところに売られてきたのよ』
『そうか。俺も女だったらそうなってたかもしれないな。どっかの人買いにとっ捕まって、二束三文で娼館に売り飛ばされる……。まぁ、男でみなし子だったおかげで何とか“野望(ゆめ)”ってもんにも近づけた』
危険な眼差しを帯びた男の口から漏れ出た言葉に、あたしは引き付けられた。
『“ゆめ”……? “夢”、ってなんだい? 王様にでもなることかい?』
冗談混じりに問いかけたあたしに、奴はニヤリと笑った。
『まぁ王様になるのは“野望(ゆめ)”の第二段階くらいだな。俺はな、こんな貧しくて小さな国じゃない、あの豊かで強大なヴィラールが欲しいんだ。あの国を俺のものにしたい。そうしてこの国と一緒にしちまえば、もうこの国の民が餓えることも、いつもいつも国境の向こうのヴィラールの村人を見てその豊かな暮らしぶりを指を加えて眺めることも一切無くなるんだ!』
『何だい、それ、あんたの経験かい? ヴィラールとの国境……あそこは随分と酷い土地らしいね。辺境って言ったけど、あんたはあそこの出身なのかい。へえぇ、それでヴィラールをねぇ……。ねえねえ、教えておくれよ。あんたは一体どうやって、あの巨大な帝国を手に入れるつもりなんだい?
いいよ、誰にも言わない。あんたが気に入った。あんたに協力してあげる。あたしはこれでも売れっ妓(こ)だよ。軍の偉いさんの相手をすることだってたまにはあるさ。あんたの欲しい情報(はなし)を聞き出すことも、あんたの邪魔な奴を始末することだって、やろうと思えば出来るんだから』
いいよ、誰にも言わない。あんたが気に入った。あんたに協力してあげる。あたしはこれでも売れっ妓(こ)だよ。軍の偉いさんの相手をすることだってたまにはあるさ。あんたの欲しい情報(はなし)を聞き出すことも、あんたの邪魔な奴を始末することだって、やろうと思えば出来るんだから』
こうしてあたしは、ゲオルクの“相方”になった。あたしは彼を一目見たときから分かっていた。自分とゲオルクが誰よりも似ていることを。きっと抜群に“馬の合う”パートナーとなれるであろうことを。そして同時に気づいてもいた。この男が愛するのはきっと自分ではない。自分がこの男に愛されるなんてことは、おそらく生涯起こり得ないであろうことを。
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「アデーレ殿! マルガ殿!」
マルガと共にひっそりと皇宮を去るための馬車に乗り込もうとした時、声をかけてきたのは皇帝に即位したばかりのゲオルクの息子……アウグスト、陛下だった。
「まぁ陛下。わざわざお見送りに来てくださいましたの? もったいないことでございます」
深く頭を下げたあたしとマルガに、アウグストは傍らの側近に合図をし、美しい細工の施された宝石箱を差し出した。
「あなたとマルガ殿は父が若きころより……大変お世話になった方だと伺っております。これはせめてもの感謝の気持ち……」
「無理をなさることはありませんよ、陛下」
彼の言葉を遮って顔を上げたあたしを、アウグストの側近が睨む。無礼は承知。けれどあのゲオルクの息子に、何故このあたしが敬意を払わなければならないと言うのか? あたしは二度、ゲオルクの子供を堕ろした。そうして二度目以降は、二度と子を孕まぬ身体になっていた。でも、それで良かった。ゲオルクが欲していたのはこのヴィラール帝国の血。眼前に佇む、ゲオルクの息子とは思えないくらいお上品なアウグストの中に息づく、皇族の血だけであったのだから。
「あなたはお母君が嫌っていらっしゃったあたしのことをお厭いのはず。その女に、どうして別れの挨拶や餞の贈り物をなさろうとしておいでなの? お父君のご遺言にでも書かれてらっしゃったのかしら?」
あのゲオルクが、そんな遺言など残して逝くわけがないことくらい知っている。そしてアウグストには、母である皇后が嫌っていたからという訳だけではない、彼個人があたしを嫌うだけの大きな理由がある。
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そう、あれはもう五年近く前のこと。第二皇女を身籠ったばかりの皇后の元に通い詰めのゲオルクに退屈を持て余していたあたしは、ふと思い立って心配そうに母后の部屋を見つめるアウグストに声をかけた。
『ねぇ、殿下、ご存じ? あれだけ仲睦まじく見えるご両親の本当のお姿を?』
『本当の姿? ……アデーレ殿、それは一体どういうことですか?』
そうして、純真で人を疑うことを知らなかった少年に教えた両親の“仮面”。夫を先帝セドリックだと信じきって接し続ける母親と、それを知りながら彼女を利用し子供を生ませ続けてきた父親。憤った少年は己が父に対してその怒りを顕わにし、ことの真偽を問い質した。皇帝と皇太子が一時的に不仲になり、ゲオルクがあたしの部屋をほとんど訪うことがなくなったのは、その直後のことである。
アウグストは賢い子供だ。皇帝と皇太子がいつまでも不仲でいることを公にするわけにはいかない、と表面上二人はいつの間にか和解した。彼は幼いながらに将来国を統べる者として父母の婚姻が、自分やきょうだいの誕生が国にとって不可欠なものであったことを理解せざるを得なかったのだろうし、一方で母の心の平穏のためには彼女や周囲がその道を選ばざるを得なかったことにも考え至ったのであろう。だがその後彼が父を見る目はいつも冷たく、どこか醒めたものを宿し続けていたのもまた、最後まで変わることなき事実であったのだが。それでもゲオルクが彼に皇位を譲ることを決めたのは、己に憎しみを抱きながらも“皇太子”としての態度を守り続けた息子の器量を信頼してのことであったに違いない。
きっと彼は良い皇帝になるだろう。あたしが死んでしまった後も、“賢帝アウグスト”、そう名を讃えられるような皇帝に。
~~~
「いいえ、私個人が思い立ってお別れの挨拶に訪れたのです。私はおそらく両親のことも、あなたのことも誤解しておりました。“まぼろし”に囚われて“仮面”の下の真実を見抜けなかったこと、私は心からあなたに……あなたと両親に詫びねばならない、と思っています」
真摯にこちらを見つめる“未来の賢帝”アウグストの瞳は、ゲオルクと同じ漆黒。ヴィラール皇族の持つ碧ではない。ゲオルク、やったね。あんたは遂に、本当にこの国を手に入れたんだ!
「皇帝陛下がこんな女に頭を下げることなんてございませんよ。それは受け取れません。あなたのお父君もお母君も、きっとそんなことなんて望んじゃいないと思いますから。ただ一つだけ……お願いしても?」
「何でしょうか?」
「あたしたちに、お父君のご霊廟に参る許可をいただきたいのです。たった一度、ほんの短い時間で結構ですので……」
語尾が震えて、少しだけ涙声になっちまったじゃないか。あたしともあろう者が、何てみっともない。一体どうしてくれるんだい、ゲオルク!
「分かりました。ただ、非常に申し訳ないことなのですが、人目につかない夜の間でもよろしいでしょうか?」
にっこりと微笑んだアウグストの瞳には、やはりゲオルクの面影が見える。ゲオルクの鋼のように研ぎ澄まされた冷たい眼差しとは違う、キラキラと輝く太陽のような、暖かみを帯びた優しい眼差しのはずなのに……。
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「ゲオルク、最後のお別れに来たわよ」
それから数日後の夜、あたしとマルガはアウグストの側近に付き添われて初めてゲオルクの霊廟に足を踏み入れた。
「こんなに大きい、しかもヴィラール皇家の紋章が入ったお墓に眠れるなんて、あんた本当に幸せねぇ」
隣にはあの女……皇后リリアーヌ様も眠ってらっしゃるし、ね。
最後の言葉を口に出さないのは、あたしの精一杯の女の意地。隣に佇むマルガはあたしとは対照的に、じっと黙り込んだままだ。
最後の言葉を口に出さないのは、あたしの精一杯の女の意地。隣に佇むマルガはあたしとは対照的に、じっと黙り込んだままだ。
「ねぇゲオルク、あんたが欲しがってたのはこの国でも、娼婦たちの慰めや協力でも、お姫様の真っ直ぐな恋心でもない。あんな女の執着めいた、憎しみも愛も何もかも含んだドロドロの感情を、あんなにも激しい、醜い、そして恐ろしいものを、一番、いちばん欲しがっていたのね」
あたしにも、マルガにも、クリスティーネにも決して与えられなかったもの! この国の皇女にして皇后であったリリアーヌただ一人だけが、あの男に与えてあげられたもの!
「ゲオルク、あたし負けたなんて思ってないわ。あたしとあんたは戦友。あんたそう言ってくれたんですもの。あんたとあの女は敵だったわ。最期まで闘っていたわ。ねぇそうでしょう? だからね、いいの。あたしはあんたの戦友でいられて幸せだったんですもの。ねぇ、ゲオルク、ゲオルク……!」
泣き崩れたあたしの傍に、マルガがそっと寄り添った。
「アデーレ……姐さん、あたしはどこまでも姐さんと一緒よ。あの娼館からエステンの王宮まで、エステンの王宮からヴィラールの後宮まで、そうして此処まで、ずっと姐さんと一緒だったんですもの。離れないわ。ずっと傍にいる。そうして一緒にゲオルクを、あの人のことをずっと、ずっと語り続けましょう……」
マルガ。妹のようなあたしの後輩。売られてきたときから今まで、あたしたちはいつも一緒だった。そう、そしてこれからも……。
「そうね、マルガ。行きましょう。早く行かないと、太陽が昇ってしまうわ」
マルガにそう告げると、あたしは急いで涙を拭い、身体を起こした。
太陽が昇れば、“夢”は終わってしまう。ゲオルクの見た“野望(ゆめ)”。ゲオルクと共にあたしたちが見た“夢”。
マルガにそう告げると、あたしは急いで涙を拭い、身体を起こした。
太陽が昇れば、“夢”は終わってしまう。ゲオルクの見た“野望(ゆめ)”。ゲオルクと共にあたしたちが見た“夢”。
アウグストから約束された刻限まではまだ間がある。けれど……
「衛兵さん、もう結構よ。あたしたち、早く行かなくちゃならないの」
笑顔で霊廟から出てきたあたしとマルガを、驚いたように見張りの兵が見やる。おそらくは中から漏れるすすり泣きを耳にしていたのだろう。
「さぁ早く馬車を出して。夜明け前にはこの街を、この国を去りたいの。お金はありったけ出すわ。さぁ急いで! 急ぐのよ!」
金貨を一袋放り投げて馬丁に無茶苦茶な命を出せば、のんびりと寝こけていた彼は跳ね起きて、慌てて馬に鞭を振るった。
“夢”を見る時間はもうおしまい。全ては“まぼろし”。消えゆく蜃気楼。この国も、身に付けざるを得なかった“仮面”も、彼とあたしが見た“ゆめ”も、全て――
そうしてその後、広大なヴィラール帝国を後にし、遥か彼方へと消え去った馬車とそこに乗っていた二人の女の行方を知る者は、誰一人として存在することは無かった。
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