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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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最初に物心ついた土地の友達→幼なじみ、現実家近辺の友達→近所の子という認識。

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そんなこんなで祝日出勤(お盆?何それおいしいの?)後、近所の子達と久々に遊んだ(*゚∀゚人゚∀゚*) 色々立場と年齢は変われども、ついでに同級生の妹だったり学年もバラバラだったんだけど久々でも一瞬よねー。好きなものが違っても、職業が違っても何かノリがわかる。楽チン。
というわけで幼なじみ萌え復活という意味で『この世界の片隅に』で哲とすずが切なくてもう!。・゜゜(ノД`) 何であのシーン加えたんや・・・次回放送があれかと思うと(´;ω;`)ウッウッ すずさんが立派なセーラー服来た哲に頬染めてたわけも、相手が彼じゃないと知った時のリアクションも見合いに顔出せなかったわけも読み返すと切な深い! どっちも! これから海に出る哲にすずを娶る余裕はなく、戦争末期に適齢期の成人男子は少ないため縁談を受けざるを得なかったすずさん。テキトーに抜くところでは抜いて(遊郭通い。笑)、育った頃に執念深く名前覚えてて初恋ゲットした周作の方がやり手というか。年の功? まぁウチの祖父も祖母に対してそれやったけどな!(女学生時代の彼女を電車内でチェック→自分が大学卒業して帰郷してからツテで見合い申込み)哲もすずさんも、あの時自分たちでもどれくらいかわかんないくらい、凄く悲しくて辛かっただろうな、って。永遠の別れの間際に、あんなかたちで気づくくらい。ずっと互いに無意識の恋をしていたのに。たぶん一緒にいるのが1番互いにとって自然な「当たり前」だっただろうに。現代だったら、ケンカして遠回りしながらも何とかくっついて、大学か就職あたりでまたケンカして別れて、それっきり忘れられない相手になるか、意外なとこで再会して元鞘収まって両親を安心させるか、きっとご近所名物の微笑ましい?カップルになってたんかなー、とか。思い出してもらえないリンさんから北條夫婦に向けられる思いも切ない(T_T) 座敷わらしって日本の発想は素敵ですよね。

近所の子達に妹の結婚式の写真見せて、父の遺影と写ってる姿に「まだおじちゃんいなくなったなんて信じられない」と言われた。私には、その後に起こったことの密度が濃すぎて随分長い時間が経ったように感じる。覚えてるんだって、うちの父の声とか言葉とか口調とか。私、たまに関連することあった時に「そういえばこんなん言ってたな」過るくらいだよ。実の娘なのに。去る者は日々に疎し。彼の死で死ねなくなったから、今自分が死なないようにするために、母の生に付き合うために必死。だからそんな余裕ない。こんなに存在自体否定したい気持ちしか持ってない人間が、どうにかしてもうちょい生きるための努力をしないといけないとか不安過ぎて怖いよ。何で先にあんな馬鹿な終わらせ方したの。家族いる人間がどうして? 一生許せないし許さない。


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原作・ドラマ両方見た。

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「誰かに死んでほしいと思われたってこと」「また1人殺せて嬉しい?」ぜひアメリカンに読ませたいな!・・・元兵士が苦しんでることも知ってる。落とした人の子が反戦・非核活動家になっていることも、資料館の館長にアメリカ人がなったことも。でも基本的にあの国を動かしてる連中はクソだわ。人の血が通ってない。日本の政治家の突然死には正直8割方あちらさんが関わってるんじゃねーの、と思ってる。この国にとって良い悪いは別にしてね。(そこまでの覚悟を持たないとできる仕事じゃないと考えてるから) 先住民に始まり、うちらの後にもベトナム、アフガン、イラン、イラク、シリアで何やってんだよ。自分の無力さを思い知る。だから寄付だけは止めない。実質アメリカが作っときながら金を出しもしない組織に、はした金でもできないことを償いたいから。人の皮被って生まれたのにマトモな人間様として生きられない以上、これくらいの自己満足は許されて良いだろ。「なぜ寄付する?貯金しろ」だ? 他人の金の使い道に口出すんじゃねぇ!(#゚Д゚)カッ 例えアホみたいに少ない所得でも、子供も生めない、ニュースで眺める遠い世界の他人事としか感じられない罪悪感を埋める数少ない方法だから。震災の時、関西の人の反応に多少ショックを受けました。知人は心配してくれてたけど、私の地元だって知らなかったらどうだったろうか。その後の災害被災地に対して褪めた見方しかできない自分にも気づいた。「あぁ、彼らにとっては他人事だったんだ。何もうちらの状況見て対策してなかったんだ(;´д`)」って。そしてきっとシリアやパレスチナやロヒンギャほか難民の人たちから見たら30過ぎるまでこのインフラ整った国で引きこもってきて、事務所の経営上手くいかないくらいで死んじゃう私や父こそがクソ野郎、彼らの凄絶な人生を想像すらできない究極の「他人事」人間(もどき)なんだなぁ、って。それを責める権利はきっと本当は誰にもない。だってもし仮に真逆の立場で生まれていたら人間は皆そうなるはず。経験していないことはわからない。踏み込むことが傷つける。同情の押し売り。主義主張の道具に使うのはもっとダメ。だから、褪めた目で見て、「他人」として何ができるか1番ましな方法を考える。ななみにとってヒロシマは他人事だったんだろうか。
私は、戦後生まれが我がことのように語るのは許されないと思う。でも、日本人だけは忘れちゃいけないとも思う。戦勝国・被害国()の皆さんに違和感を感じているのもそこ。自分が戦ったわけでも殺されたわけでも売春させられたわけでもない。事実はどうあれ、彼らに「知る・覚えておく」権利はある。でも我がこととして捉えてはいけない。そして国全体と個人をはき違えてもいけない。歴オタとして人類史上最悪な国だと思っているイギリスの文化を、個人的にこよなく好んでいるように。体制や思想については受け入れられなくても、1番好きな外国が中国であるように。小さい頃は何者でもなかった。何も考えていなかった。アンネにハマり、ユダヤにハマり、真っ赤な父親から「日本はアンネを殺したドイツと組んで沢山残酷なことをした」+シオニズムについての薫陶は受けたけど「ふーん、それで?(´<_` )」って他人事だった。それで良いと思う。それが正しい戦後生まれの反応なのでは? 私は京都に行くまで、日本人だという自覚もTennoとこの国の根深い結び付きも右翼、所謂Tenno教徒(ことウチの国に限っては私の中でこういう認識)の存在もよく知らなかった。初めて自分は日本人で、日本人である以上常に気にしなければならないことを学んだ。何者でもないままいるのは難しい。


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父の時に口座に貯めててもしょうがないと学んだ。

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ので最低限の貯金残して国債とNISAに分散してみることに。この給料と貯蓄で(笑)って額だけどほっといても意味ないし凍結された口座から引き出すのめんどいから。あと細切れ債券なら相続人に分散しやすいかな、って。NISA非課税だしほっとけるしね。国債は絶対割れないのと1番潰れにくい投資先なので(^_^;) 将来のための資産運用なんかじゃねぇわ、あと10年生きなきゃ思うだけでゾッとするのに。寄付してるだけで母親が「将来のために貯めておけ」うるさいんですよ。生命保険があと20年で尽きるんだと。「後のことは頼んだ」って何なの? 知らんがな1番の高給取りの弟か大家族に嫁いだ妹にでも頼めよ。その頃まで生きてる自信がない。将来を考える意欲が湧かなすぎて「そもそも生きてたくないのにキャリアアップ☆なノリで転職する意味(以下略)」とかなってんのに。そりゃ待遇と仕事内容には不満タラタラですけど、別に長生きする気ないから多くは求めてないんだよな。元ヒキだから基本的に定時で帰れないと心身ともにキツいし、社保国保年金の異動手続きもめんどいし、そもそも全く存在しないやる気をアピる就活とか(´д`) めんどいから良いやー、って気持ちになってる。毎日憎しみは募るばかりだけどね。だからもうほっといてほしい。母たちが家どうするか判断するまでは生きてるから、もうホント親不幸しないってよか繋ぎのただ呼吸してる時間て感じ。まぁ元から空っぽの虫けらだったけど輪をかけて虚ろ。中身何もない。趣味で埋めてる。本当はなくても生きていけるものをギュウギュウに詰め込んでんの。自分自身がないから、「これもあれも好きなんですー」そして先々の予定入れてそこまでは死んじゃダメだ、と。限界だとは思ってないけどいつ終わっても良いと考えてるしその日が一刻も早く来ることを願ってる。存在するのがつらい。苦しい。何もかも忘れたいし忘れてほしい。最初からいなかったことにしてほしい。自分の存在が受け入れられない。苦痛だ。親には「プライドが高すぎる」「生まなきゃ良かったってことね」と言われるけど、むしろこんなチェンジリングを生ませてしまって申し訳なかった、可哀想と思ってるんだけどもう一生理解し合えないんだろうな。事前にすべて終わらせてから家族に連絡するようお願いできる葬儀屋さん、あと警察や病院の人にそういうメッセージが伝わる方法はないだろうか。遺体も骨も一切身内に見られたくない。拾われたくない。粉にして撒いて、その場所を誰にも教えないでほしい。早く土でも海でも帰りたい。家族、大事な人たちを苦しめたことにおいては死刑囚にも劣らないレベルの最低な人もどきだから。


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戦争を知らない世代の描くお涙ちょうだいや主義主張の垣間見えるもの、あるいはミリタリー萌えは大嫌い。

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でもこの作品は違った。知らないことを知らないと認めて、体験できないんだからわからない、けれど経験者がいる、思い入れがある。一所懸命調べて、考えて丁寧に丁寧に描き上げたんだな、って口数もモノローグも少ないボーッとした、当時としてはあり得なかったかもしれないくらい現代の私たちにとって「普通」の主人公の心情の移ろいに素直に共感できた。哀しいけど、人の死には慣れる。特に一気に大勢が死ぬ災害なんかだと感覚が麻痺する。仕事だってそう。一々感情移入してたらとても続けられない。父が死んでから、それより年上の人とか良い条件でもらえるもんがある人には憐れみも同情もしなくなった。私は最低だと思う。最低だ。何の役にも立たない欠陥品のくせに。助けられておきながら、あの時失血死してれば良かったとさえ考える。見たくなかったよ。震災も、父親のあんな最期も、その後の家族の姿も、自分より若い子の死も。最後の場面、バンプの『花の名』の歌詞を思い出した。「一緒に見た空を忘れても、一緒にいたことは忘れない」暑い日も雨の日も寒い日も、自転車で私の送り迎えをしていた父。別れ際にいつも泣いていた自分。記憶の器。カズオ・イシグロは記憶の保存のために小説を書くと言った。すずさんの絵のように。でも私は強くないから、リンさんの死んだら無くなるという考え方に憧れる。私が死ぬことによって消えてしまう記憶があるのは申し訳ないけど、お願いだからみんなの記憶から私の存在を消してほしい。いなかったことにしてほしい。どれだけ幸せな世界になるんだろうか。私が最初から存在しなければ良かった。ずっとそう思ってるしその考えは消えない。散骨代のための生命保険には入るけど、個人年金や10年以上かかる投資は正直言って全うできる自信がない。寄付額上げたから里親申し込めるけど、その子が成長するまでもつかわからない。怖い。終わりにしたい。終わりにしたい。欲求が治まらない。でも同じ死に方はできない。どうすりゃ良いんだ。助けてほしい。いつの時代もこの世は地獄だな。


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ほうれんそうどこ行った(゜Д゜≡゜Д゜)?

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唐突な配置変えに伴い苦手な上司のデスクが近づく→戦々恐々とする私と向かいの同僚→察しの良い別な上司がざわつく私たちの「いやー場所変わるんだなと思って(;´∀`)ハハハ」の一言で気づく→「大丈夫、直属の上司さんちゃんと見てくれる方だし、何かあったら私呼べば良いからね!」良い人や・・・そして誰が苦手か知られておる\(^o^)/ まぁ広くみんな苦手な相手なんだけどさ(笑) そうやって声かけてくれた上の方も最初「うぅ、厳しい・・・やっぱ私この仕事向いてないんや(´;ω;`)」って気にさせられたんだけど、仕事への真摯さとかあらゆる方面への気配りぶり、何より自他問わずの完璧主義だからそうなってるんだなー、と思うと頷かざるを得ないんだよね。ダメ出しされて凹んでも内容が正しいし、自分の知識やスキルかまだまだなのは確かだから。でも叱るとか指導するじゃなくて面倒なネタだったり、自分の機嫌で下に八つ当たってくるヤツはホント人としてどうかと思う(-_-;) だから関わりたくねぇんだよな。年齢層高い職場で独身女性少ないからそういう目で見られがちだし。もう良い歳だから(直属の上司は容赦なくそう言う。笑)キメェよ。あーもう平和な日々を送りたい・・・(;´д`) 「長くいてね」圧かかったけど正直・・・直属の上司が変わったらホント無理だったなー。次までに考えよう。


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