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戦争を知らない世代の描くお涙ちょうだいや主義主張の垣間見えるもの、あるいはミリタリー萌えは大嫌い。
でもこの作品は違った。知らないことを知らないと認めて、体験できないんだからわからない、けれど経験者がいる、思い入れがある。一所懸命調べて、考えて丁寧に丁寧に描き上げたんだな、って口数もモノローグも少ないボーッとした、当時としてはあり得なかったかもしれないくらい現代の私たちにとって「普通」の主人公の心情の移ろいに素直に共感できた。哀しいけど、人の死には慣れる。特に一気に大勢が死ぬ災害なんかだと感覚が麻痺する。仕事だってそう。一々感情移入してたらとても続けられない。父が死んでから、それより年上の人とか良い条件でもらえるもんがある人には憐れみも同情もしなくなった。私は最低だと思う。最低だ。何の役にも立たない欠陥品のくせに。助けられておきながら、あの時失血死してれば良かったとさえ考える。見たくなかったよ。震災も、父親のあんな最期も、その後の家族の姿も、自分より若い子の死も。最後の場面、バンプの『花の名』の歌詞を思い出した。「一緒に見た空を忘れても、一緒にいたことは忘れない」暑い日も雨の日も寒い日も、自転車で私の送り迎えをしていた父。別れ際にいつも泣いていた自分。記憶の器。カズオ・イシグロは記憶の保存のために小説を書くと言った。すずさんの絵のように。でも私は強くないから、リンさんの死んだら無くなるという考え方に憧れる。私が死ぬことによって消えてしまう記憶があるのは申し訳ないけど、お願いだからみんなの記憶から私の存在を消してほしい。いなかったことにしてほしい。どれだけ幸せな世界になるんだろうか。私が最初から存在しなければ良かった。ずっとそう思ってるしその考えは消えない。散骨代のための生命保険には入るけど、個人年金や10年以上かかる投資は正直言って全うできる自信がない。寄付額上げたから里親申し込めるけど、その子が成長するまでもつかわからない。怖い。終わりにしたい。終わりにしたい。欲求が治まらない。でも同じ死に方はできない。どうすりゃ良いんだ。助けてほしい。いつの時代もこの世は地獄だな。
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