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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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リセットした私を、忘れずに待って受け入れてくれる友人たちは神だと思う。「生きてて良かったー」って言ってくれる。すんごい久々にごはん食べたり、突然思い立ってイベント行ったり、近況聞いて唐突にお見舞いやお祝い贈ったり。そういうことができて、関係が壊れない友人たちが場所や世代問わず存在してくれるのは本当にありがたいこと。特に私のようなクソめんどくさい不義理ヤロウに。人間何だかんだまっさらにはできないから。後は何かの時その人たちを思い出したり夢に見るくらい好きだから。「友達」という存在に絶対的な信頼があるから。(たぶん幼なじみのおかげ) かなり甘えている自覚はあります。反省しなきゃな、とも。いきなり消息絶ったり姿消しても、しばらく経ってから連絡すると応えてくれる。アホな話、真面目な話、楽しい話、色々話せる。一緒に好きなことしたり、好きなところに行ったりできる。本当に幸せだと思います。ご縁だけは手放しちゃいけない。皆、本当にありがとう。

今日ゲイの方のエッセイ本読んで、周囲の愛に恵まれ、気づけたことは本当に幸せだと心から感じたんですね。恋愛感情を理解できず性的欲求を自分に向けられることに嫌悪感を覚える自分にとっては特に。性自認は女性、子供を持つことへの欲求が強かった私は当たり前に当たり前のことをしようとして、汚いけど意味わからないまま戻しちゃったんだよね。あと過呼吸。最終的には皮膚が接触するのもだめになり、自意識過剰に陥って電車に乗るのも怖くなった。こんなんじゃだめだ、普通じゃない、おかしい、子供産めないと思って、挑戦するんだけど無理だった。子供欲しいから皆みたいにやらなきゃ、家族作らなきゃという焦りだけがあった。いざ見合いの話が進んで絶対アレをしないといけないと考えたら、パンドラの箱が空いて記憶の中から感触や感情が込み上げて食べられなくなった。20kg痩せて心配かけて、消えてなくなりたかったです。1番したかったことができないなら生きてても意味ない、と。その時、「自分のためじゃなくて私のために生きて」「死ぬエネルギーがあれば何でも出来る(のに、現状維持で諦めたまま死ぬつもりか?)」「何もかも自分で終わりにしてきたから、最期だけは自分で終えないと決めてる」とあらゆる方向から、頭ごなしに否定するのではなく、上手く引き留めてくれた友人たちには感謝してる。家族だって最終的に私がヒキの末、一生結婚せず子も持たない人種だとわかってくれてありがたいけど、本当の意味で私を自死の道から救ってくれたのは友人たち。だから私は彼らを一生尊敬し感謝する。他人だから言えたのかもしれないけど、せっかくもらった命をワケわかんない理由で粗末にしようとしてる人間にそこまで真摯に向き合ってくれる人間がどれだけいるだろうか、と考えた時点で(以下略) 私なら無理だ。毎日服と髪型を変えて、暴飲暴食で激太りした今もこの件については一生引きずる。
私はエッセイに出てくる腐女子とは逆で、体つきも性自認もごく普通の女性だから恋愛や結婚についての話題を振られることが多い。痩せてる時はアプローチ、体の方は太ってる時が多い。先日、自分を誤魔化したいばかりに既婚子なしの方の前で「子供いないなら入籍って意味なくないですか?」って最悪の発言をしてしまったんです。カムアウトして理解してもらえないのが怖くて。誰も好きになれず、そのことに気づいたのがいざ事に及んだ時で、それを認めたくなくて最終的に摂食障害とか言えるわけないじゃないですか。いっそXジェンダーだったら良かったんか?私は女性としての自分が嫌なわけじゃないけど、そういう機能を全部切り取りたい。気持ち悪い。怯えや哀しみは不安定で何もかもがハッキリ言葉に出来ず、頭の中で整理がついてからも打ち明けられなくてグルグルしてはすぐ発作起こし、食べられなくなり・・・を繰り返しましたが、病院に行って薬飲み続けて一通りの修羅場(小)を超え、妹に願いを叶えてもらえた今はほとんど表に出なくなりました。会社で一回も発作起こしてないの奇跡なんじゃないかと思う。(何回か泣きはしたし、地元で久々の痴漢に遭った時は後からパニックなったけど)ジャンキー言われても薬にはずっとお世話になります。飲まないと仕事できないし、働かないと食べてけないし。今はようやく、何故か身体中アザだらけだけどプラシーボ神袋(笑)さんのお世話になっておらず、胃液も吐いてないの自分の中で凄いこと←たぶん職場でのキャラも偽れていると・・・ちょっと変わった趣味があるな、くらいで。どこまでカムアウトすべきかは難しい。

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仕事柄、人付き合いにおいても割りきった共感、相手の感情に自分を寄せるempathyは大切だと思うんだけれども、そもそもとっかかりのsympathyを得るためには経験値がないとダメだろ、と思う。もちろん実体験が一番大きいけど、最悪本や映画やアニメというフィクションでも良い。キャラに感情移入するところから始めて、想像力を膨らませていく。そうしないと「相手」が主体のempathyの表現なんてできない。過去の全てがなければ、この人はきっと今こういう気持ちでいる、と想像して「だから何?」ではなく先回りして状態を察することなんてできなかった。他人に言えないことは沢山あるし、ずっと死にたいと思ってきて今も死んだら塵芥にしてもらって遺物は全て燃やして存在を抹消してほしいとは考えてるけど、とりあえずこれまでを無駄だとは思わなくなれたかも。いや後悔は一生すさまじく付きまとうし、思い出すと苦しいし哀しいけど。自分や身内が病気になった時、死んだ時。どういう状況でどんな気持ちだったか、どんな言葉をかければ良いか、かけてほしかったか。本当はトラウマ持ちの精神安定剤ジャンキーなことも、傷隠すために髪伸ばしててウィッグ経験ありなことも、隠してるけどだからこそ他人様のシリアスな場面にも少しは寄り添えるようになったのかな、と。
今度は祖父との別れが近そうです。あの歳までよく生きたと思う。尊敬します。

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同行の友人「カンディンスキーまでは理解できるけど、それ以降の現代アートはちょっとね・・・」←カンディンスキー好きなの知ってて気遣ってくれた(笑) まぁそれは同意だわ。芸術を風刺や批判の道具にしたいならもうちょっと解説不要なくらいシンプルに、あるいはマンガレベルに降りてきてほしい。ありのままに心をさらけ出した抽象画こそシュルレアリスムの真髄ではないか。文字や曲線や模様を混ぜ合わせてタイトルだけ意味深にしてどうすんだよ。クレーやカンディンスキーは彼らの時代や背景も含めて訴えかけてくるものがあるよ。でも戦後に物心ついて西ヨーロッパで育った世代が薄っぺらな紙一枚にちまちま描いて社会風刺・高尚な芸術です、ってちゃんちゃらおかしい。カフカや安部公房を読んだことあるか? あの闇と苦しみの中から生まれた暗澹たる滑稽さ、カラッとした絶望の深み。もしくはクレーのあの鮮やかな色彩から滲み出る哀しみ。今、評価されているアートとは・・・?ってなった。あ、奈良美智は好きだよ。心のまま描いてる感じするから。一応あの女の子たちに含めた反骨精神?含め、うんうん(*-ω-)ってなる。
しかし印象派=モネという日本人の図式は相変わらず(以下略) 他の画家のポスカ全然売ってないやんけ! モネ・ミュシャ・ゴッホ・ピカソ次点でルノアール・ロートレック・レンブラント(最近)にしか興味ないんか皆。シャガール好きの母への土産探しに苦労しました(-_-;) 自分の好きな作家はほぼ全滅で諦めたよ! あとInspirationは霊感じゃなくて「着想」または「影響」と訳すべきと思う。何回も解説文の「霊感」に吹きかけた(笑) やっぱり自然を描いた絵か、心象風景ありのままの抽象画が好きですね。静物や写実的な人物画は好きじゃない。自然に対して抱く気持ち、土地への愛着は時代や国が変わっても同じなんだな、っていうのと、この人の目には世界がこう見えていたのか、って絶対にわからない視点を形に残してもらえて覗けることが嬉しい。自分に見えているものは自分にしか見えず、他者の視点というのは絶対に共有できないものですから。だから本読むのも好き。知らない人の家にお邪魔して冒険させてもらうようなもんだと思ってる。やっぱり人が好きなんですね、生き物として。憧れてもいるし。一所懸命苦しみながら生きて、誰かに自分の思いを伝えたいけどできなくて、だからどんなに恥ずかしくて辛い作業でも作品としてはきだすしかなかった。そうして生まれてきた芸術を、作り手を何て勇気のある、一方で可哀想な人たちなんだろうと尊敬します。それだけ繊細で傷つきやすく、不器用で一般的なコミュニケーション能力に欠けたところのあった人たちなんだと思うから。戦前までは他の生き方を選べたなら、その方が楽だったと特に展示されていた画家たちの背景を見ると感じる。でもこの道しか歩めなかったんだな、って。凡人であることは幸せなことだと、最近つくづく考えます。

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避難指示とか出されても、あの大震災経験してんだから避難所の悲惨さと自宅の安全性や危険度はわかってるし備えもしてるわ。黙れエリアメール!今日はヘラヘラ街中出掛けましたが午後には棚すっからかんでお店閉鎖してました。それで良し。30年生きてりゃ水害・地震4~5回は経験してるからね宮城県民! 関東で半泣きの年寄りと一緒にして舐めんじゃねぇ! 小学校低学年で腰まで水に浸かりながら徒歩で帰宅したわ。地震で天井降ってきたりー、だから8年前も「すぐバスタブに水溜めろ!」っつって3日は水汲まなくて済んだし。防災教育や避難訓練も熱心な方だと思います。そして何より あ き ら め が早い(笑) だって陸奥だもの(´・ω・`) 期待するだけ無駄なのよ。対応してくれないならうるっせーメール流すな、1番安全な場所と避難のタイミングわかってる県民どもだ。死にたい・死んでも良いと思ってる人は死なせてあげてください。1人生き残るより、その方がどれだけマシだったか、可哀想な死に方した人だってわんさかいた・・・いやこれからもいるだろうよ、現在進行形だもん。この島に暮らす以上は仕方ない。

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買ったBD途中で再生できなくなっても、録画してて皿に焼いたヤツ全く観られない状態でも新しいの買う気になれないのは、父が最期に録画して、死んだその日の明け方まで見ていた番組が残っているせい。馬鹿みたいですよね。数は少ないけど、この歳にもなれば一定数親亡くしてる人はいる。でもさ、本人もわかって家族も知ってて闘病の末亡くなった人、事故に巻き込まれた完全な被害者、どちらの立場にもなれず突然喪った家族はどう克服すれば良いんだろう。後悔は消えません。何度も繰り返して気づいていたから。私なんか留年→休学→退学→引きこもりでいくら負担かけたか分からない。死ぬつもりだったことは、今振り返るとハッキリしてたんです。本当は私が最初の子じゃなければ、いやそもそも産まれてなければこの夫婦はもう少し幸せだったんじゃないか、と両親に対して思ってる。どうしようもないことは分かってるけどね。他人に迷惑をかけずに死にたい。旦那や子供なしに死ぬのはそれだけでクッソ面倒なのは仕事で学んだ。後見人依頼するのにバカみたいにお金がかかることも、結局婚姻や血の繋がりがなければどうしようもないことも。とにかく働けなくなったら一瞬で死にたい。処分を認めてくれるならどこの政党でも良い。

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