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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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炎と水』続編。拍手ログです。

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オンは水の民の中にあって、唯一“ヒト”と同じぬくもりを宿した異質な存在であった。
里中の皆が己を疎み、遠巻きに眺める理由を知ったのは何時のことであっただろうか。


~~~


一人の里人が落とした雪の結晶を、オンが拾った。
差し出そうとオンが拾い上げた瞬間、それは手の上で溶け消えてしまった。
里人はオンを憎々しげに睨みつけ、

『この、巫女様を誑かした恐ろしい火の神子の子が!』

と怒鳴りつけた。

水の神殿には今、祈りを捧げる巫女はいない。
そのため川は枯れ果て、雪の樹木に果実は実らず、
水の民は困窮した日々を送っていた。

己の母は、その巫女であったのか。
己の父は、水の民皆が恐れ憎んでいたと聞かされる火の神子であったのか。

皆に嫌われ、誰も近づかぬオンを独り育ててくれた老婆にその真偽を問えば、
老婆は泣きそうな顔でオンを抱きしめ、ゆっくりと首を縦に振った。
生粋の水の民である老婆にとってオンの持つ熱は毒にも等しい。
長年自分に接し続けた彼女の体が限界を迎えていることに、
オンはとうに気づいていた。

「いけません、婆様。余り僕に触れると、婆様の身体が……」

慌てて離れようとするオンに、老婆は涙ながらに真実を告げた。

「良いのじゃ、オン。おまえは抱きしめられなかった娘の、たった一人の愛し子。
娘はおまえを、おまえの父を愛していた。
例え誰が憎もうとも、わしがおまえを愛さぬはずはない。
オン、わしはおまえに感謝しておる。
おまえがいてくれたから、わしは娘をようやっと愛することができた……」

「婆様……おばあさま!」

オンの腕の中で水に還った老婆は微笑んでいた。


~~~


それから、オンは本当に“独り”になった。
毎日何をするでもなく、里のあちこちを歩き回った。
母の面影を、祖母の面影を求め続けながら。

水の里と“外の世界”との境界線。
そこで父と母は出会ったのだと聞く。
水の巫女が不在であっても、どんなことが起ころうとも決して流れを止めぬ
清らかなせせらぎは、本来ならば水の里を外界から守るために巡らされたもの。
父はそれを一目見るため、ここを訪れた。

と、その時、水が跳ねる音がした。
パシャリと音がした方を見ると、一人の美しい娘が禊をしていた。
オンも噂に聞いたことがある、この場所で禊をすることを許可されている娘は
たった一人。次代の水の巫女となることを期待されている、
水の民の長・ヒョウの娘であるレイだった。
レイはオンを一目見、くるりと踵を返した。
その一瞥は、それまで水の民がオンを見るときに必ず含まれていた
侮蔑や嫌悪の一切ない、真っ直ぐな眼差しだった。


~~~


それから度々、オンはレイの禊の場に訪れた。
初めは神聖な儀式の場に他者が現れることに眉をひそめていたレイも、
次第にオンを見つめ返す時間が長くなり、やがては言葉を交わすようになった。
くしくも同じ場所で巡り合ったオンの父母と同じように、二人は恋に落ちたのだ。

ところが、周囲は当然のようにそれを許さなかった。
レイは次代の水の巫女となることを期待された身、
そしてレイの父であるヒョウは、かつてオンの母・スイの婚約者でもあった。
ヒョウは娘との結婚を認めるにあたってオンに過酷な条件を出した。
氷の牢獄に閉じ込められたレイを、三日三晩のうちに救い出すことができたなら、
娘をオンに嫁すことを許す、という条件を。

水を操る術を持つ水の民なら簡単に

「氷よ、水に戻っておしまい」

と命じれば済むその方法を、火の神子の血を引くオンは持たなかった。
 


オンは必死に氷の壁にしがみついた。
ふうふう、と温かい息を吹きかけ、手がかじかんでも、しもやけになっても、
凍傷を起こして肌が爛れてもなお、己の熱でレイを救い出そうとした。
常ならばオンを嫌っていたはずの水の民も、オンの余りに必死な姿に胸を打たれ、

「いい加減許してやってはどうか」

とヒョウに進言する者まで現れた。
だがヒョウはそんなオンと、氷の檻の中で瞳に涙を浮かべながら
オンを見つめる娘を見て、首を横に振った。
そうして三日三晩が過ぎたとき、氷の檻の入口がようやく水へと溶けだした。
檻の中から抜け出たレイは、全身が爛れたオンの身体を甲斐甲斐しく介抱した。

 

そうして、晴れて結ばれた二人の間にはウンとキリという可愛い双子が生まれ、
オンは新しい水の民の長として、レイは水の巫女として、
水の里の繁栄を築く礎になったという。





→続編『雲と空・霧と風
 



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拍手ログです。神話風にしたかった……orz

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火の神子・エンは水の巫女・スイに恋をした。
エンはスイのために、その生み親を殺した。
エンを生み出したのは、コウとレンという双子の神だった。
火の神だったコウとレンは、沢山の地を炎で染めた。
街も、人も、動物も……沢山のものを燃やし尽くした。
エンにとっては、何の関心も持たぬ親であった。
コウとレンは、互いしか見えていなかった。
禁忌を犯し、倫(のり)を超え、神の国から追放された二神。
エンは生み落とされて後、一度も省みられることなく放っておかれた。
けれどエンは二神を恨まなかった。
哀しいとも、憎いとも思わなかった。
エンが彼らを殺したのは、ひとえにスイに会わんがため……。
 

~~~

 
両親の非道にすら何も感じなかったエンに、感情をもたらしたのはスイだった。
流れる川の岸辺、水の民が暮らす里の境界で、二人は出会った。
エンは水が見たかった。
生まれたときからいつも、燃え盛る炎しか見たことの無かったエンが、
未知のものを求めて訪れた場所で初めて、エンはスイに出会った。
不思議なきらめきが流れ行く川面に見入るエンに、スイは優しく笑いかけた。
エンが初めて見る、嘲りでも媚びでもない、まっさらな笑顔。
その笑顔を見たくて、エンは度々火と水の境に赴くようになった。

スイは生まれ落ちた瞬間から、水の巫女として神殿に入った。
家族と引き離され、先代の水の巫女の下、幼い頃より修行の日々を送った。
同じ年頃の子どもが母親の腕の中に抱かれているとき、
友達と野山を駆け回っているとき、スイはたった一人、過酷な修行に耐えていた。
スイは淋しかった。
何故、自分だけが、と感じたこともあった。
けれどそれでも巫女の道を選んだのは、皆がそれを望んだから。
長い年月のうち、スイはいつの間にか“寂しい”という気持ちを忘れてしまった。
見回りに出かけた川辺で、エンに出会うまで……。
エンの瞳は、スイと同じ瞳だった。
寂しい瞳。哀しい瞳。自分でその気持ちに気づかない瞳。
だから、スイはエンに笑いかけた。
それが、村人皆が恐れていた火の神子だと知っていても。

コウとレンは、全てを知っていた。
エンの想いは、二神にとっては格好の遊び道具であった。
コウとレンは、エンに黙って水の里を攻めた。
好き勝手に火種をばらまき、泉を枯らし、水の民を死なせた。
水の民は怒り狂い、巫女を水の里の奥深くに隠した。
火の神子であるエンが、スイに会いに行くことはできなくなった。
水を失った人々はコウとレンを呪い、沢山の恨みの声が火の社を取り巻いた。
皆が、火の神の死を願っていた。
皆が、火の神子であるエンだけが、それをもたらすことが出来ると知っていた。
エンは人々の声に応えた。
スイに、もう一度会うために。
 

~~~

 
自らを崇め、讃える人々を無視して、エンは水の里に赴いた。
傷だらけになりながら、水の民からスイを攫った。
スイは結界の外でエンを待っていた。
スイは笑っていた。
そして、エンにそっと手を伸ばした。
触れた手は酷く冷たく、エンの肌を刺すような痛みが襲った。
同時にスイも、苦しそうに顔を歪めた。
それでも二人は手を取った。
誰も、知らない場所へと。
 
エンがスイを水の里に連れ帰ったのは、その翌日のことだった。
衰弱しきったスイに何が起きたか理解した水の民は、
エンを憎み、水の里から追い出した。
火の社に帰り着いた時、エンは既に瀕死の状態だった。
水の民はスイを、火の民はエンを必死で看病した。
けれども、二人の力が元に戻ることは無かった。
それから暫く時が過ぎ、スイは病みついたまま一人の赤子を産み落とした。
水の民と同じ髪、同じ瞳を持ちながら、その赤子の肌はぬくもりを宿していた。
スイはその赤子を、“オン”と名づけた。
水の民に疎まれ、気味悪がられるその子を、スイは可愛がった。
 

 
「私があなたに触れたなら、あなたは消えてしまうでしょう?」
 
「それでも、触れたいのです。この世でただ一人、愛したあなたに……」
 

 
一夜だけだと、解っていた。
命すら危うくなると解っていた。
それでも、触れずにはいられなかった。
スイはそっと枕元に佇む我が子に触れた。
火の社ではエンもまた、長きに渡り床に臥しているという。
愚かだと嗤うだろうか?
己をこの世に生み出した親を恨むだろうか?
この子はこれから、どんな生を歩むのだろうか……?
不思議なぬくもりを宿す幼子の頬をそっと撫でて、水の巫女は世を去った。
同じ頃、遠い火の社で火の神子もまた、儚く燃え尽きていった。





→続編『温と冷
 
目次(その他)
 


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結末

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私は男を待っていた。
毎夜毎夜、私の夢を訪れる、硬質な眼差しを秘めた美しい男を。
 
初めて出会った時、一目であの男だと気づいた。
ずっとずっと、逢いたくて堪らなかった夢の中の男。
父が死す前、私の生涯を決する相手だと予言を残していった相手。
あの夜、拒むことが出来なかったのはそのためだった。
男が島を去った時、あんなにも哀しかったのは……
子を宿したことが、あんなにも嬉しかったのは……
全て、私が恋をしていたから。夢の中で、あの男に。
生身の男に出会い、夢で逢うことができなくなって初めて、
私は己が男を愛していることを知った。
島を捨てたのは、男についてきたのは……私自身のため。
私自身が、男の傍にいたかったから。
けれど男の方は……私を迎えたのは、きっとほんの気まぐれ。
だから、笑うことは出来なかった。名を呼ぶことはできなかった。
私は男にとって、そんなことを求められる人間ではないと思ったから。
 
「随分長い遠回りを……していたのだな」
 
男は微笑んで、私の頬を撫でた。夢の中と同じ、暖かくて、優しい微笑みだった。
触れる手の熱さが堪らなく愛しい。夢は今、現(うつつ)へと鮮やかに変貌を遂げた。





――姦しい京雀たちのさえずりに、
「帝の母たる国母の生家として大臣家が栄えたのは、類稀なる巫女を北の方に迎えた所以」
 との噂を聞くには、今しばらくの時を待つ。



 
 
 →後書き
 


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真実

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私は女を探していた。
毎夜私の夢を訪れる、消え入りそうに儚い、その美しい女を……。
 
邸に帰った私を、暗い表情で出迎えたのは長年慣れ親しんだ女房の柚だった。
 
「どうした? 何があった?」
 
異変に気づき問うた私に、柚は強張った顔のままこう告げた。
 
「昼間に母宮様がおいでになり……北の方様と、お会いになられました」
 
“お告げ”のためとは言え、最後まで女を妻に迎えることに難色を示していた母だ、
女にとって余り良い邂逅とは言えなかったであろう。
 
「……」
 
無言で北の対に向かおうとする私に、柚から更に声がかかった。
 
「母宮様が、告げてしまわれました。北の方様に……殿の、夢占の話を。
宮様が帰られた後、北の方様は塗籠に籠もられて……」
 
柚の言葉を最後まで聞かぬまま、寝殿へ走った。
こみ上げてきたのは先帝の娘として生まれた誇りのみで生きる母への憤りと
哀れみ。決して己の前で笑わぬ女の顔が頭を過ぎり、胸が軋んだ。
 
 
 
「今戻った。……母上に、何を言われた?」
 
慌てて寝所に駆け込み、閉ざした塗籠の内に向かって呼びかける。
女は答えない。初めこそ抵抗したものの、その後は気味が悪いくらい
大人しくこちらの成すがままに従っていた女の、初めての拒絶。
いや、初めてではない。彼女はずっと私を拒んでいた。
私の前で笑うことも、私の名を呼ぶことも、一度として無かったのだから。
巫女として神に仕える穏やかな暮らしを、私が一方的に奪った。
都の喧騒も、自由の無い貴族の生活も、無理矢理に夫となった私自身も……
全ては女にとって、忌むべきものだったのではないだろうか。
 
「そなたが望むなら……あの島に、帰しても良い。
あの島が嫌なら、心静かに暮らせる場を探そう。
どこで生きようとも、そなたと子のこれからは私が保証する。だから……」
 
姿まで、閉ざしてしまわないでほしい。
彼女に出会ったその瞬間から、彼女が夢に現われることは無くなった。
会いたくて、恋しくて。
心を手にすることは出来なくても、姿だけでも、目にしていたくて。
契りを結んだのなら正式な婚姻を披露する必要は無い、
と言う両親を説得して、攫うように都に迎えた。
 
「お命が助かったのなら……無事に厄の年を越えられたのなら、
私はもう必要ないのですか?」
 
突然、塗籠の内から響いた小さな声。
 
「何を、言っている?」
 
「本来ふさわしいご身分の……新しい北の方様をお迎えになるから、
私はもういらぬのでございましょう?」
 
女の声は震えていた。私は堪えきれず、塗籠の扉を開く。
 
「おやめくださいまし! ……来ないで!」
 
手のひらで顔を覆う女の頬には、確かに涙が伝っていた。
 
「あなたが私をお連れになったのは……
ご自分の命を守るためだということは分かっています。あなたが、
私のような女を決して愛したりはなさらないことなど……初めから……!」
 
ポロポロと涙をこぼす女の顔を、美しいと思った。
今、この女は、私のために泣いている。
 
「あなたは一度も私の前で微笑んでは下さらなかったし……
私の名を呼んでは下さらなかった……!」
 
ああ、同じだったのだ。この人もまた、己と同じ……。
 
「名を呼ばなかったのは……そなた自身の口から名を聞いたことが無かったからだ。
笑わなかったのは……そなたを不快にさせたくなかったからだ」
 
名を教えることは、相手に心を許す、ということである。
自ら名を教えた相手ではない相手に、勝手に名を呼ばれるのは
余り気持ちの良いものでは無い。だから私は、女の名を呼ばなかった。
 
「なぜ……殿が笑うと私が不快になるのですか?」
 
「そなたは私を好いていないのに……
私の傍にあるのはそれだけで不幸せなことであるだろうに、
私一人が幸せそうに笑んでいたら、不快な気持ちが増すであろう?」
 
女はキョトンとした表情で、私を見つめる。
 
「私は……己の命のために巫女を探していたのではない。
ただ逢いたかったのだ……毎夜毎夜、私の夢を訪れる美しい女に」
 
女の細い肢体を抱き寄せれば、耳元で囁く声が響いた。
 
「殿……呼んでください、私の名を。夢の中では、何度もお呼びくださったでしょう?」
 
驚いて身体を離せば、悪戯に微笑む瞳とかち合った。








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新しい日々

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「おはようございます、北の方様」
 
「今日は若君のご機嫌も大変よろしいようでございます」
 
都にやってきて一年。
男の言葉通り、私は邸の北の方……男の正室として扱われていた。
赤子には乳母が付けられ、数多くの女房にかしずかれて、
私には都の貴族の教養を身に付けるための手ほどきが行われた。
元々風流人であった亡き父から和歌や琴などの嗜みを教えられていたせいもあり、
貴族の教養を学ぶことはさほど苦痛では無かった。
邸の人々は何の身分も持たぬ、突然主の妻として現われた私に優しく、暖かかった。
 
「あの若君がこうまで女子に優しく接することが出来る方だったなんて、本当に驚きましたわ」
 
茶目っ気たっぷりに微笑んでみせたのは邸を訪れた最初の日、
私を出迎えてくれたあの年かさの女房、柚だ。
男が生まれる以前から邸に仕えていたという柚には母親のような温かみがあり、
私にとって唯一無二の腹心とも言える存在になっていた。
男は毎日この邸に帰宅した。
都の貴族は妻を大勢持ち、毎夜訪れる邸を変えると聞いていたのに、
彼にそんな様子は見られなかった。
 
「洸はどうしている?」
 
「元気に過ごしておりますわ。今日は着替えをさせようとする
柚の手から逃げ回って、皆を困らせておりましたけれど」
 
己が赤子を呼んでいた名を、そのまま幼名に用いてくれた男は、
毎夜必ずその日の様子を私に尋ねる。日々増えていった、男との会話。
 
「そうか……腹の子は、大事無いか?」
 
男の手が私の腹部をそっと撫ぜる。気がつけば私は、二人目の子を身籠っていた。
一人目の子を得た時には感じ得なかった、確かな安らぎと喜び。
 
「はい……」
 
細い手首が掴まれ、唇が重なる。男は毎夜私の元に帰り、床を共にする。
それが役目であるから拒むことは無いが、かつてはあれほど苦痛に感じていた
行為への嫌悪感が薄れていることを我がことながら不思議に思う。
 
信じても、良いのだろうか? 愛しても、良いのだろうか……?
 

~~~
 
 
翌朝、男が出仕した後、柚が慌てて私の元へ駆け込んできた。
 
「大変でございます、北の方様!
宇治の尼宮が、本日こちらにいらっしゃると……!」
 
宇治の尼宮。
話にしか聞いたことの無い、この国で最も高貴な血を引く、男の母。
 
「……慌てても仕方ないでしょう。お迎えする仕度を」
 
突然の訪問を訝しく思いながらも、早急に邸の仕度を整え終えた頃、
先達が尼宮の来訪を告げた。
 
 
 
「鄙(ひな)の卑女(はしため)を正室に迎えるなどこの大臣家の
恥となろうとも、我が子の命がかかっていると思えば仕方の無いこと。
せめて他所に恥を晒すことの無きよう、よろしく頼みましたよ」
 
挨拶に訪れた私を一瞥するなり、ため息混じりに告げられた言葉は、
決して好意的なものではなかった。
だが向けられた悪意以上に、心に棘を刺した言葉。
 
「命がかかっている……とは、どういう訳でございましょうか?」
 
おずおずと問うた言葉に、上品な初老の尼宮は片眉を上げ、
呆れたような表情を浮かべた。
 
「そなた、聞いておらぬのか?」
 
尼宮の言に、傍らに控えていた柚が慌てて口を挟む。
 
「宮様、殿からは北の方には絶対に告げること無きよう……申し付かっておりますれば」
 
「黙りゃ!」
 
ピシャリと切り捨てた尼宮の言葉に、柚はビクリと身体を揺らして黙り込んだ。
 
「鄙つ女が何故分に合わぬ立場を与えられているか……
知らぬままでは驕りが増すだけじゃ」
 
そう言い放って尼宮が私に告げた内容は、以下のような話だった。
尼宮の息子である男が七つの頃、大臣家は次々と不幸に見舞われ、
挙句の果てに世継ぎの若君である男が高熱を出して寝込んだ。
高熱は十日に渡って続き、命もあわやとなった時、一人の占者が邸を訪れ、こう告げた。
 
『若君には前世からの呪いがかかっている。呪いを解くためには、
若君の夢に現われる巫女を妻として迎える必要があるが、
もしその巫女を厄年である二十五の歳までに見つけられなかった場合、
若君は呪いに飲まれて死ぬことになる』
 
そのため男は元服を迎えるとすぐに夢の巫女を探す旅に出るようになり、
厄年を迎える直前にようやく見つけたお告げの巫女が私なのだと言う。
そうして男は昨年、無事に厄年を抜けた。
 
「そなたを妻に迎え、子を成し、あれも無事に厄年を抜けた。
どうじゃ、そなたももう鄙つ女が見るには十分過ぎるほどの夢を見たであろう。
その腹の子を生み終えたら、仏門に入り我が子の幸福を祈る生活に
入っても良いのではないか? あれもまだ若い。
子も幼い今なら、本来ふさわしい身分の後添え候補も数多上がろうて」
 
男がお告げの年を無事に越えた今、既に役目を終えた自分は用無しである、
と尼宮は暗に告げているのだ。本来なら男の正室にふさわしくない身の上の女に、
長くその座に止まっていられては困るのだ、と。
 
「おっしゃる通り……殿にはこれまで身に余るご慈悲をいただき、心苦しく思っておりました。
今後の身の処し方につきましては、この子が生まれるまでに考えたく存じます」
 
心無い言葉が唇を滑り、脇に控えた柚が顔を歪めるのが分かった。
けれど己の心を占めていたのは、柚の顔ではなく……
宇治に戻る尼宮を見送った後、塗籠(ぬりごめ)に鍵をかけて篭った。
後から後から、涙が頬を流れる。
かつて一度だけ泣いた、故郷の島の海岸が思い出された。
あの時、海に分け入ろうとした私を、引き止めたのは男の声だった。
都に来てから出会った人々は、皆優しかった。
男が意図的にそうした人々しか私に近づけさせないようにしていたことには気づいていた。
私が寝入ってから、優しく髪を撫でる手にも、我が子に注がれる暖かい眼差しにも、
私の名を呼ぶ、切なげな声にも……
 
全ては、己の命を守るためだったのだろうか。
愛されていると、錯覚していただけだったのだろうか。
いつの間にか愛していた。
始まりは最悪。憎んだこともあった。恐ろしいと感じていた。
一度も笑顔を見たことのない、それでも唯一人の夫である男。
内側から蹴られた腹が、酷く痛んだ。





※塗籠・・・ここでは一応“鍵の付いた寝室”のような意味で使われています。

 
 


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