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オンは水の民の中にあって、唯一“ヒト”と同じぬくもりを宿した異質な存在であった。
里中の皆が己を疎み、遠巻きに眺める理由を知ったのは何時のことであっただろうか。
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一人の里人が落とした雪の結晶を、オンが拾った。
差し出そうとオンが拾い上げた瞬間、それは手の上で溶け消えてしまった。
里人はオンを憎々しげに睨みつけ、
『この、巫女様を誑かした恐ろしい火の神子の子が!』
と怒鳴りつけた。
水の神殿には今、祈りを捧げる巫女はいない。
そのため川は枯れ果て、雪の樹木に果実は実らず、
水の民は困窮した日々を送っていた。
己の母は、その巫女であったのか。
己の父は、水の民皆が恐れ憎んでいたと聞かされる火の神子であったのか。
皆に嫌われ、誰も近づかぬオンを独り育ててくれた老婆にその真偽を問えば、
老婆は泣きそうな顔でオンを抱きしめ、ゆっくりと首を縦に振った。
生粋の水の民である老婆にとってオンの持つ熱は毒にも等しい。
長年自分に接し続けた彼女の体が限界を迎えていることに、
オンはとうに気づいていた。
「いけません、婆様。余り僕に触れると、婆様の身体が……」
慌てて離れようとするオンに、老婆は涙ながらに真実を告げた。
「良いのじゃ、オン。おまえは抱きしめられなかった娘の、たった一人の愛し子。
娘はおまえを、おまえの父を愛していた。
例え誰が憎もうとも、わしがおまえを愛さぬはずはない。
オン、わしはおまえに感謝しておる。
おまえがいてくれたから、わしは娘をようやっと愛することができた……」
「婆様……おばあさま!」
オンの腕の中で水に還った老婆は微笑んでいた。
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それから、オンは本当に“独り”になった。
毎日何をするでもなく、里のあちこちを歩き回った。
母の面影を、祖母の面影を求め続けながら。
水の里と“外の世界”との境界線。
そこで父と母は出会ったのだと聞く。
水の巫女が不在であっても、どんなことが起ころうとも決して流れを止めぬ
清らかなせせらぎは、本来ならば水の里を外界から守るために巡らされたもの。
父はそれを一目見るため、ここを訪れた。
と、その時、水が跳ねる音がした。
パシャリと音がした方を見ると、一人の美しい娘が禊をしていた。
オンも噂に聞いたことがある、この場所で禊をすることを許可されている娘は
たった一人。次代の水の巫女となることを期待されている、
水の民の長・ヒョウの娘であるレイだった。
レイはオンを一目見、くるりと踵を返した。
その一瞥は、それまで水の民がオンを見るときに必ず含まれていた
侮蔑や嫌悪の一切ない、真っ直ぐな眼差しだった。
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それから度々、オンはレイの禊の場に訪れた。
初めは神聖な儀式の場に他者が現れることに眉をひそめていたレイも、
次第にオンを見つめ返す時間が長くなり、やがては言葉を交わすようになった。
くしくも同じ場所で巡り合ったオンの父母と同じように、二人は恋に落ちたのだ。
ところが、周囲は当然のようにそれを許さなかった。
レイは次代の水の巫女となることを期待された身、
そしてレイの父であるヒョウは、かつてオンの母・スイの婚約者でもあった。
ヒョウは娘との結婚を認めるにあたってオンに過酷な条件を出した。
氷の牢獄に閉じ込められたレイを、三日三晩のうちに救い出すことができたなら、
娘をオンに嫁すことを許す、という条件を。
水を操る術を持つ水の民なら簡単に
「氷よ、水に戻っておしまい」
と命じれば済むその方法を、火の神子の血を引くオンは持たなかった。
オンは必死に氷の壁にしがみついた。
ふうふう、と温かい息を吹きかけ、手がかじかんでも、しもやけになっても、
凍傷を起こして肌が爛れてもなお、己の熱でレイを救い出そうとした。
常ならばオンを嫌っていたはずの水の民も、オンの余りに必死な姿に胸を打たれ、
「いい加減許してやってはどうか」
とヒョウに進言する者まで現れた。
だがヒョウはそんなオンと、氷の檻の中で瞳に涙を浮かべながら
オンを見つめる娘を見て、首を横に振った。
そうして三日三晩が過ぎたとき、氷の檻の入口がようやく水へと溶けだした。
檻の中から抜け出たレイは、全身が爛れたオンの身体を甲斐甲斐しく介抱した。
そうして、晴れて結ばれた二人の間にはウンとキリという可愛い双子が生まれ、
オンは新しい水の民の長として、レイは水の巫女として、
水の里の繁栄を築く礎になったという。
→続編『雲と空・霧と風』
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火の神子・エンは水の巫女・スイに恋をした。
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未知のものを求めて訪れた場所で初めて、エンはスイに出会った。
スイは生まれ落ちた瞬間から、水の巫女として神殿に入った。
友達と野山を駆け回っているとき、スイはたった一人、過酷な修行に耐えていた。
コウとレンは、全てを知っていた。
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エンを憎み、水の里から追い出した。
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私は男を待っていた。
子を宿したことが、あんなにも嬉しかったのは……
全て、私が恋をしていたから。夢の中で、あの男に。
私は己が男を愛していることを知った。
私自身が、男の傍にいたかったから。
――姦しい京雀たちのさえずりに、
「帝の母たる国母の生家として大臣家が栄えたのは、類稀なる巫女を北の方に迎えた所以」
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私は女を探していた。
女にとって余り良い邂逅とは言えなかったであろう。
宮様が帰られた後、北の方様は塗籠に籠もられて……」
哀れみ。決して己の前で笑わぬ女の顔が頭を過ぎり、胸が軋んだ。
大人しくこちらの成すがままに従っていた女の、初めての拒絶。
全ては女にとって、忌むべきものだったのではないだろうか。
あの島が嫌なら、心静かに暮らせる場を探そう。
どこで生きようとも、そなたと子のこれからは私が保証する。だから……」
心を手にすることは出来なくても、姿だけでも、目にしていたくて。
と言う両親を説得して、攫うように都に迎えた。
私はもう必要ないのですか?」
私はもういらぬのでございましょう?」
ご自分の命を守るためだということは分かっています。あなたが、
私のような女を決して愛したりはなさらないことなど……初めから……!」
今、この女は、私のために泣いている。
私の名を呼んでは下さらなかった……!」
笑わなかったのは……そなたを不快にさせたくなかったからだ」
余り気持ちの良いものでは無い。だから私は、女の名を呼ばなかった。
私の傍にあるのはそれだけで不幸せなことであるだろうに、
私一人が幸せそうに笑んでいたら、不快な気持ちが増すであろう?」
ただ逢いたかったのだ……毎夜毎夜、私の夢を訪れる美しい女に」
→伍
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「おはようございます、北の方様」
私には都の貴族の教養を身に付けるための手ほどきが行われた。
貴族の教養を学ぶことはさほど苦痛では無かった。
私を出迎えてくれたあの年かさの女房、柚だ。
私にとって唯一無二の腹心とも言える存在になっていた。
彼にそんな様子は見られなかった。
柚の手から逃げ回って、皆を困らせておりましたけれど」
毎夜必ずその日の様子を私に尋ねる。日々増えていった、男との会話。
行為への嫌悪感が薄れていることを我がことながら不思議に思う。
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宇治の尼宮が、本日こちらにいらっしゃると……!」
話にしか聞いたことの無い、この国で最も高貴な血を引く、男の母。
先達が尼宮の来訪を告げた。
恥となろうとも、我が子の命がかかっていると思えば仕方の無いこと。
せめて他所に恥を晒すことの無きよう、よろしく頼みましたよ」
決して好意的なものではなかった。
だが向けられた悪意以上に、心に棘を刺した言葉。
呆れたような表情を浮かべた。
知らぬままでは驕りが増すだけじゃ」
挙句の果てに世継ぎの若君である男が高熱を出して寝込んだ。
若君の夢に現われる巫女を妻として迎える必要があるが、
もしその巫女を厄年である二十五の歳までに見つけられなかった場合、
若君は呪いに飲まれて死ぬことになる』
厄年を迎える直前にようやく見つけたお告げの巫女が私なのだと言う。
どうじゃ、そなたももう鄙つ女が見るには十分過ぎるほどの夢を見たであろう。
その腹の子を生み終えたら、仏門に入り我が子の幸福を祈る生活に
入っても良いのではないか? あれもまだ若い。
子も幼い今なら、本来ふさわしい身分の後添え候補も数多上がろうて」
と尼宮は暗に告げているのだ。本来なら男の正室にふさわしくない身の上の女に、
長くその座に止まっていられては困るのだ、と。
今後の身の処し方につきましては、この子が生まれるまでに考えたく存じます」
私が寝入ってから、優しく髪を撫でる手にも、我が子に注がれる暖かい眼差しにも、
私の名を呼ぶ、切なげな声にも……
一度も笑顔を見たことのない、それでも唯一人の夫である男。
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