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「私の子か?」
不意に、背後から低い声が聞こえた。
聞き覚えのあるその声に、肩を震わせて振り向けば、
立っていたのは一年前より一層精悍さを増したあの男だった。
立っていたのは一年前より一層精悍さを増したあの男だった。
小刻みに震えたまま声の出ない己の手から、男は赤子を抱き取った。
このまま赤子だけを連れて行ってしまうのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えれば、無意識に手が赤子の衣を掴む。
私の子。誰にも渡したくない、奪われたくない。
望まぬ子であったにも関わらず、いつの間にか芽生えていた母の情というものに
驚いて掴んだ手を見れば、男は優しくその手を払いのけてこう告げた。
驚いて掴んだ手を見れば、男は優しくその手を払いのけてこう告げた。
「大丈夫だ。母と子を引き離したりはせぬ」
その言葉に息をついて手を離した私に、男は続けて目を見張るような言葉を続けた。
「そなたを迎えに来た。……子が生まれていたとは知らなかったが、共に都へ迎えよう」
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名主とその息子は、慌てて社に飛んできた。
一年の後様変わりした社の様子に気づいたのだろう、男は荒れた社の有様を見て、顔をしかめた。
それから私の頬に手を触れ、眉根を寄せて一言
「痩せたな……」
と呟いた。それにどう答えていいか分からずに私は黙り込む。
元々一年前から、男と言葉を交わしたことはほんのわずかばかり。
無理矢理に自分を奪った男と、どんな和やかな会話が紡げるというのだろう。
それなのに、不思議と暖かな思いにつつまれるこの心は何なのだろうか。
育った島に居場所を失った私が、ようやく己を受け入れてくれる場所を
見つけたような、そんな気分に包まれていた。
見つけたような、そんな気分に包まれていた。
都への出立は、翌朝と決まった。
男の話を聞いた名主親子は舌打ちをして社を去っていった。
男の話を聞いた名主親子は舌打ちをして社を去っていった。
一年前と同じく、私に否やを言う暇は与えられなかった。
生まれ育った島で、居場所を失ったまま名主の息子に囲われるよりは、
遠い都の地で同じ立場になった方が良い……
父の愛した社を捨てて島を去る己に無理にそう言い聞かせて、私は舟に乗り込んだ。
遠い都の地で同じ立場になった方が良い……
父の愛した社を捨てて島を去る己に無理にそう言い聞かせて、私は舟に乗り込んだ。
何よりも腕の中の赤子の未来を思えば、そうするより他無いのだ。
赤子の父は、紛れもなく今我が身を腕に抱く、この男なのだから。
神より子を選んだ巫女……そう罵られても良い。
波が揺れる広い海に、私は一歩踏み出したのだ。
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都に着いたのはそれから一月余り後のことだった。
ただでさえ困難な船と馬の旅である上、子連れである。
船旅を終え辿り着いた港では、男の側近が待っていた。
私の腕の中の赤子を見て一瞬驚いたような表情を浮かべた後、すぐに笑顔を
浮かべて丁寧な挨拶を交わしてくれた彼に、久々に人の温かさに触れた気がした。
浮かべて丁寧な挨拶を交わしてくれた彼に、久々に人の温かさに触れた気がした。
男の腕に抱かれたまま、馬に揺られて都へ向かった。険しく長い道のり。
男が島に来るまでには、これほど困難な道程を経ていたのか、という新鮮な驚き。
男は何を求めて島を訪れたのだろうか。この、何不自由なく育ったであろう都の貴族は……。
顔を上げれば、目と目が合う。相変わらず鋭く冷えた眼差しだ。
「間もなく、都に着く。邸に着いたら、ゆっくり休め」
硬い声音で吐き出される、労りの言葉。
「はい……」
と答えながら、最初の日に男が告げた言葉が耳を揺らす。
『ずっと、探していた……』
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「まあまあまあまあ、お疲れになられたでしょう!
まあ何と可憐な奥方様でいらっしゃること! 珠のような若君までお連れになって……!」
まあ何と可憐な奥方様でいらっしゃること! 珠のような若君までお連れになって……!」
一目で大貴族の邸宅と分かる都でも有数の広さを持つ邸の中に、
男は私を抱えたまま入っていった。
男は私を抱えたまま入っていった。
出迎えた年かさの女房は男の側近と同じく満面の笑みで私と赤子を見つめた。
向けられた好意と、耳を掠めた言葉に戸惑いがこぼれる。
「おくがた、さま……?」
呆然と呟けば、男が常と変わらぬ調子で告げた。
「そなたは既に私の正室として皆に認識されている」
どう見ても高位の貴族としか見えぬ男が、
無位無冠の娘を正妻に迎えるなどとは聞いたことがない。
怪訝な眼差しで男を見返せば、そのまま更に抱え上げられ、寝殿へと連れて行かれた。
無位無冠の娘を正妻に迎えるなどとは聞いたことがない。
怪訝な眼差しで男を見返せば、そのまま更に抱え上げられ、寝殿へと連れて行かれた。
「あの子は……!」
慌てて子の居所を問えば、男はそっと私の髪に触れて
「安心しろ、東の対にて、乳母(めのと)に預けた」
と告げた。
「乳母……?」
私が不安気に男を見返せば、彼は私の身体を強く抱きしめ、耳元で囁いた。
「明日には会わせてやる。今は……」
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男は、私を探していた――
腕の中の赤子はすうすうと寝息を立てて眠っている。冷ややかな風が頬を撫でる。
ふと、視線を上げれば、見慣れた広い海が目に入る。
いっそこのまま海に分け入ってしまおうか――
そんなことを考えながら歩み続ける私を、村の皆が遠巻きに眺めている。
かつて私を慕ってくれた人々。今はもう、声をかけてくれるのはほんの一握り。
月に一度、申し訳程度に納められる僅かな供物で、私は生きている。
それも後ろ暗いところのある名主が、己の罪悪感を払拭するためだけにしていること。
背を丸めた不恰好な小男が連れてきた、あの男の顔が脳裏に蘇る。
本来なら、あの男は私の「背の君」と呼ばれる立場にいるのだろう。
たった、十日。この小さな島に滞在しただけの男。
見るからに位高い貴族と分かる趣味の良い狩り衣を身に纏い、
整った顔立ちに冷えた眼差しを備えたあの男。
整った顔立ちに冷えた眼差しを備えたあの男。
私はこの小さな島の、ただ一つの社を守る巫女だった。
元々少ない村人から寄せられる供物に支えられた生活は余り豊かとは
言いがたかったが、人々は宮司であった父と私を敬い、慕ってくれた。
言いがたかったが、人々は宮司であった父と私を敬い、慕ってくれた。
それが壊れてしまったのは、いつからだったのだろう。
父が亡くなって三年。一人静かに社を守っていた私の元に、突然の来客が訪れた。
さる高貴なお方が、はるばる都からお忍びでやって来たのだと、名主は誇らしげに説明した。
宿の無い小さな村で一番立派な建物が私の住まう社であるから、
と頼み込まれては断ることができず、女の一人暮らしのあばら家に男を泊めた。
と頼み込まれては断ることができず、女の一人暮らしのあばら家に男を泊めた。
それがそもそもの過ちだった。名主はおそらく、男に小金を掴まされていたのだろう。
余りにも突然の嵐。部屋に入られた時点で、女に否やを言う暇は無い。
その日のうちに、私は男に蹂躙された。
三日三晩続いた狂ったような一時が過ぎ去った後、
私はそれまでの己の世界が音を立てて崩れ落ちたことを知った。
私はそれまでの己の世界が音を立てて崩れ落ちたことを知った。
男は村人の前で、私との関係を隠さなかった。
御簾の向こうの男の前で、下卑た嗤いを向ける名主。
女たちは巫女としての純潔を失った私を、白い目で見るようになった。
十日後、男は島を去った。
私には、穢れた巫女としての汚名が残っただけ。
それから更に三月、こみ上げる嘔吐感に襲われた私に、待っていたのは絶望だった。
島を去ってから何の音沙汰も無い男に嬲られた、十日間。
私の腹の中には、望まぬ命が芽生えていた。
身籠った巫女を人々はいよいよ忌避の目で見るようになり、私の居場所はますます無くなった。
例え望まぬものであったとは言え、命は命、神に仕える身であるが故に、
奪うことなどできずたった一人で子を生んだ。
奪うことなどできずたった一人で子を生んだ。
それから二月。間もなくあの悪夢のような日から一年が経つ。
あの男は現われない。文一つ、訪れる気配もない。
所詮はみやこびとの気まぐれ、捨て置かれて当然の身。
それでも何故、私でなければならなかったのか。
純潔を失っても、子を生んでも、私の巫女としての力は不思議とこの身から消えることはない。
だからこそ余計に、人々の声が、私を嫌悪する念が流れ込む。
名主の息子から、側女の話が来た。
巫女としての神聖性を失い、幼子を抱えた身で一人暮らしていくのは辛かろう、と
さも優しげに囁かれた言葉に、答えが出ぬまま数日が過ぎた。
さも優しげに囁かれた言葉に、答えが出ぬまま数日が過ぎた。
巫女としての力は失っていない、といくら訴えたところで、
子連れの巫女など見たこともない人々が到底納得するわけも無い。
子連れの巫女など見たこともない人々が到底納得するわけも無い。
人々が巫女としての自分を認めぬ今、
島において何の役割も果たさぬ自分は村人にとりただの厄介者に過ぎない。
島において何の役割も果たさぬ自分は村人にとりただの厄介者に過ぎない。
だからいっそのこと、名主の息子に囲われてしまえ、と。
島の住人としての役割を果たせ、と名主は暗に告げているのだ。
おそらくこうなることを全て分かっていて、己の寝所にあの男を誘ったに違いないのに。
恨んでいるのではない。哀しいのでもない。ただ、虚しいのだ。
私と、亡き父と、人々の間にあった絆はそんなにもちっぽけなものであったのか、と。
気がつけば、頬を涙が伝っていた。
風が一層強く吹く。赤子が目覚め、甲高い泣き声を上げた。
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