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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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表と裏』番外編。拍手ログ。

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「大分膨れてきたな」

王太子アンリは正妃エリアーヌの腹を撫でながら、そう呟いた。

「ええ、間もなく臨月を迎えるのですもの」

穏やかに答えるエリアーヌに、アンリは少し表情を曇らせて俯いた。

「……エリアーヌ、私はそなたに詫びねばならぬ仕打ちをした。
ずっと、謝らねばならぬと思い、今日までその機を逃してきた」

「……そのことならば、殿下がわたくしに詫びねばならぬことなど、
何一つとしてございません。全てはこの宮に住まう魔物が引き起こしたこと」

「そなたがそんなことを出来る女ではないと、誰よりも私がまず先に気づくべきだった!
それをヴィクトルに諭されて、ようやく……! いつでも、そうだ。
何をするにも、あやつの方がいつも私より素早く、機転が効く……。
本来ならば、ヴィクトルこそが王太子の座に就くべきだったのだ……」

「そのようなことはございませんわ、殿下。どうか落ち着かれませ」

震える夫の肩に、身重の妃はそっと寄り添う。

「あれは、近ごろは宮廷に姿を見せぬな」

「遠駆けに凝られているようですわ。よく馬に乗って城を出て行かれるとか」

「……おまえにも、行き先を告げぬのか?」

「それは、どういった意味にございましょう?」

弱々しく己を見上げる夫を、エリアーヌは真っ直ぐに見つめた。
アンリは自嘲するように溜息を吐いた。

「ヴィクトルは、決まって西の方角に馬を走らせる。西には……オラールの離宮がある」

「あの方は、そのような不実をなさる方ではございませんわ!」

大声で叫んだ妃を、アンリは怪訝な眼差しを投げかけた。

「そなた……“どちら”を庇ってそう言うのだ?」

エリアーヌは息を飲んだ。何も知らないと思っていた夫。
彼がもし、弟がかつて自分に寄せていた想いに、
もしくは今“彼女”に抱いている気持ちに気づいていたら――?

「わたくしは……わたくしはあの方に、愛するとはどういうことか、
真に人を想うことの意味を教えていただいたような気がするのです。
だからこそ今、こうしてあなたの隣で、
大切な宝物を授かることができたのではないかと思うのです」

「……エリアーヌ、私と君は、初めから定められて夫婦になった。
恋も知らず、愛も知らず……。私たちはお互いを嫌い合っていたわけでは決してない。
けれどどこかで、嵌められた枷から抜け出したいという思いが、
同じ囲いの中で支え合いながら育ってきたはずの私たちを
互いからあんなにも遠ざけていたのかもしれない……」

「そしてその“思い”の象徴がパメラ様だった、とあなたはそうおっしゃるのですか?」

妃の問いに、アンリは哀しく首を振った。

「いいやそれは是であり否だ。私は本当に、心から初めて人を愛した。
それが彼女だった。いいや、今でも愛している。君には心からすまないと思うが……」

「いいえ、良いのです。わたくしもあの方を愛しています。
わたくしたちにとってあの方の存在は必要不可欠なものであったのだと、
そう思っているのです。ですからあの方との出会いをもたらして下さった
全てのものに、感謝と許しを与えなければ……わたくしはそう思うのです」

真摯に己を見据える妃の瞳に、王太子は項垂れた。


~~~


パメラは決してヴィクトルに離宮の門を開きはしなかった。
王太子の側室ごときが第二王子を追い返す、その体裁の悪さを
いくら周囲の者に諭されても、ヴィクトルだけは宮の中に招こうとはしなかった。
彼らの不仲を知る者たちから見ればそれは、己を後宮から追い出したヴィクトルを
骨の髄まで嫌うお役御免の側室と、策謀を用いて彼女を後宮から追放した、
との不名誉な噂を取り消すために躍起になる第二王子の構図であった。

けれど誰が知っていただろうか。
馬首を返すヴィクトルの背に、どこまでも切ない眼差しを投げかけていた女の姿を!
振り返った男が離宮の窓を見上げる瞳に宿る果てなき悔恨と哀しみを!


パメラは死んだ。
最期までヴィクトルに見舞いを許さず、王太子の側室の一人として。
葬式に王族の参列は無かった。
後宮を乱した元凶、と呼ばれる女の葬儀に、王が参列を許さなかったためである。
ただ美しい花束だけが、その墓を鮮やかに彩った。

参列者が皆離宮を去り、雨が降り出した深夜。
その馬主は、ようやく離宮の中に入ることを許された。
馬を乗り捨てて駆け寄った、色鮮やかな花に囲まれた墓の前で、男は泣いた。
たった一人、いつまでもいつまでも嘆き続けた。





 



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入り乱れる四人の想い。

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「なん……だと?」
 
戦場から邸に帰還したばかりのヴィクトルはその話を聞き、己が耳を疑った。
己が戦地に行っている間に起こった宮中の変化。
兄である王太子アンリの寵愛する側室、パメラの懐妊。
そして先日、彼が戦地から帰ってきたその日に
王太子妃エリアーヌの部屋で起こった彼女の流産。
パメラの流産が王太子妃の出した紅茶のせいではないか、との疑いをかけられ、
エリアーヌは現在自室に押し込められ、処分の決定を待っているのだという。
 
「そんな馬鹿な! 義姉(あね)上が……エリアーヌがそんなことをするはずはない!
それは兄上とて、よく解っておいでのはずだ」
 
王太子妃エリアーヌと彼ら兄弟はいとこ同士だった。
幼い頃より父に連れられ王宮に出入りしていた彼女と、
アンリとヴィクトルは春も夏も秋も冬も、長い時間を共に過ごしてきた。
どちらかというと大人しい気性だったエリアーヌと、穏やかなアンリはよく並んで本を眺め、
その向こうで活発な子供だったヴィクトルが木に登り二人に声をかける。
心配そうに彼を見上げる灰色の瞳の少女と、そのすぐ傍で笑って手を振る兄の姿に、
この二人はきっと似合いの夫婦になるのだろう、とヴィクトルは幼心に思った。
エリアーヌは、彼の兄の婚約者だった。だから、彼は己の気持ちを封じ込めざるを得なかった。
兄が王となり、エリアーヌが王妃となり、二人の間に生まれた子供が王太子となる。
そんな日を夢見て、彼はその支えとなるべく軍に入り、戦功を成してきた。それなのに。
 
パメラという女が宮中にやって来たのは、一体何時のことであっただろうか。
初めは、ただの下働きの侍女の一人であった。しかし彼女は美しかった。
他人(ひと)を惹きつける天性の魅力を、艶やかな香気を放つ女だった。
 
これはよくない。この女は危険だ――
 
そう感じたヴィクトルが、侍従長にパメラの転属を申しつけたその日。
アンリはパメラを閨に召した。翌日から、既にパメラは王太子の側室となっていた。
第二王子であるヴィクトルにはどうすることも出来ない、地位と身分を得ていた。
パメラが側室となってから、アンリとその正妃エリアーヌの仲は急速に遠ざかっていった。
アンリはパメラに夢中になり、元々派手なことを嫌い、流行にも余り
興味を示さないエリアーヌは宮中でもその存在感を徐々に失っていった。
 
これでは、一体何のために彼女を諦めたというのか?
彼女と兄の幸せを願い、ひたすらに耐えてきたというのに……!
 
ヴィクトルは立ち上がった。
 
「パメラ殿の見舞いに行く。先方にそう申しつけておくように」
 
 
~~~
 
 
「パメラ! ……パメラ!」
 
アンリがピクリとも動かない白い相貌に向かって必死に呼びかけると、
閉じられた瞼が僅かに震え出し、女はその翠の瞳を徐々に見開いていった。
 
「……殿下」
 
色を失った唇から細い声が聞こえ、アンリはほっと胸を撫で下ろす。
 
「ああ、良かった。パメラ。もう何も心配はいらない。
何を盛られたかは知らないが、正妃はきちんと罰しておく。
そなたの身体の方も、最善を尽くして治療させる」
 
「え……? 妃殿下が、何か?」
 
未だ状況がよく分からない、といった表情(かお)でこちらを窺うパメラの身体を、アンリはそっと抱き締めた。
 
「……酷な事実かもしれないが、そなたと私の子は流れたのだ。おそらく
エリアーヌが紅茶に何かを混ぜたのではないか、という侍医の判断だ。
大丈夫だパメラ。おまえの身体はきっと元に戻る。子もいずれ……また作れる」
 
白い手を握りしめてパメラを見つめるアンリの言葉は、彼女の耳には届かない。
パメラの頭のなかは真っ白だった。
 
この方は、一体何をおっしゃっているのだろう! 王太子妃殿下が私に毒を盛る?
そんなことをなさるはずが無いことくらい、私はよく知っている。子を流したのは私のせい!
子の父ではないあの方を想い続け、あの方の無事なお姿を見て高揚し、
そしてあの方の想う妃殿下への嫉妬が激情となって我が子を……!
 
パメラは両手で顔を覆った。
アンリと侍医は何を勘違いしたのか、その様子を腹の子を失った女特有の
嘆きと思い込み、彼女一人を寝台に残して静かに部屋を去って行った。
 
 
~~~
 

ヴィクトルがパメラの室への見舞いを許可されたのは、
それから十日ばかりの時が過ぎたころのことだった。
パメラは未だ臥せったまま、寝台の上でヴィクトルを迎えた。
 
「……ヴィクトル殿下、まさかあなた様にもお見舞いいただけるとは思ってもおりませんでした。
むさ苦しい格好ではございますが、どうぞご容赦下さいませ」
 
ヴィクトルはやせ衰え、憔悴しきった女の姿に驚きの表情を隠せなかった。
そんな彼の様子に、パメラは力なく笑う。
 
「私が、王太子妃殿下を陥れるために“わざと”子を流したとでもお思いになりまして?
それで、あの方の無実を証明してくれるようお願いなさりに来たのではございませんか?」
 
図星を突かれて、ヴィクトルは黙り込む。パメラは不意に彼から視線を逸らし窓辺を見つめた。
 
「この際だから申し上げます。私は元々、子を生むということが難しい身体なのです。
侍医(せんせい)からそのお話を伺った王太子殿下は、私に暫く後宮を離れて療養することを
お命じになられました。……王太子殿下とて、解っておいでなのです。
ご自分の果たすべき役割が何か……一刻も早く、子を生すことの必要性を」
 
意外とも言えるパメラの言葉に、ヴィクトルは目を瞠る。
 
「良かったではありませんか、ヴィクトル殿下。
憎い女は宮廷を去り、いずれは目を覚まされた王太子殿下が、
エリアーヌ様の軟禁も解かれましょう。全てはあなたのお望み通り」
 
微笑んで再び己を振り返った美しい女に、ヴィクトルは俯いた。
 
「そんな顔をなさらないで下さい。ヴィクトル殿下。
私はあなたをお恨み申し上げたことは一度としてございません。
……いいえむしろ、ずっとお慕いして参りましたわ。王太子殿下より、義父(ちち)より、誰よりも」

鼓膜を震わす信じがたい囁きに、ヴィクトルは思わず顔を上げた。
 
「……今、何と言った?」

男の問いに、パメラはどこか遠い目をして微笑んだ。
 
「殿下は覚えておいででしょうか?
オラールの離宮からの帰り道、橋の下で震えていた幼い乞食の娘のことを」
 
彼女の言葉に、ヴィクトルは己の記憶を必死に辿った。
彼が最後にオラールの離宮を訪ねてから、既に十年近い歳月が経過している。
あそこは彼の母が最期を迎えた場所だった。
そしてこれから、目の前に横たわるパメラが送られる場所でもある……。
 
「あの時、殿下は薄汚れた私を馬車の中に拾い上げ、食べ物と暖かい衣服を恵んで下さいました。
そうして、大量の金貨と共に近くに住む気の優しい夫婦の元に私を託して下さいました。
……結局、私はどうしても殿下に再度のお目通りを、
という願いを堪え切れずに飛び出してしまいましたけれど」

嬉しそうに過去を語るパメラに、ヴィクトルは戸惑いを隠しきれなかった。
 
「あの橋の下の娘が……何故ここにいる?」
 
パメラは、今度は自嘲するように目を背けてみせた。
 
「それは、言わずともご想像がつくのではございませんか?
私は、此処に来るためなら何でも致しました。その結果が、今度(こたび)の流産です。
軽蔑なさっていただいても構いません」
 
ヴィクトルは愕然とした。彼女が卑しい女だ、という噂は宮廷中で囁かれていたし、
彼自身もそれを信じてきた。そのような女に邪険にされる初恋の人が哀れで、
許せなくて、彼は何かにつけ彼女と対立してきた。
それが全て、自分のためだったというのなら、自分は……!
 
「全ては過ぎた話にございます。私は願いを果たし、宮中も本来の姿を取り戻すことでしょう。
どうか、今の話はお忘れ下さい。最後にお目にかかれて幸せでございました。
さようなら、ヴィクトル殿下」
 
目について離れない、毒々しいまでに艶やかな容貌を誇った女の最後の微笑みは、
どこまでも清らかで儚げなものだった。ヴィクトルはその表情(かお)を忘れられなかった。
二十年近くに渡り彼の心の一番深いところに住んでいた義姉の姿が、
すっかりパメラの姿に置き換えられてしまったかのようだった。

 
 
その後、王太子妃エリアーヌは軟禁を解かれ、元の地位を復活する。
王太子アンリと彼女の間には無事に王子が生まれ、アンリの即位後太子として立つ。
オラールの離宮に送られたパメラは三年間の療養生活を経た後、突然の死を遂げる。
彼女が不必要になった“義父”、もしくは後宮の混乱を鎮めようとする
一派による暗殺だったのか、長年の無理がたたったのか……。
パメラの墓に花を捧げた王族はたった三人。
王太子アンリ、王太子妃エリアーヌ、そして第二王子ヴィクトル。
第二王子ヴィクトルは兄の即位後も自ら戦場に出て次々と武勲を打ち立て、
最期は初陣の王太子を庇い戦死を遂げることとなる。
生涯独身を貫いたヴィクトルが愛した女は果たして誰であったのか、
それはオラールの橋の袂に手向けられた薔薇の花束だけが知る真実である。





後書き
 番外編『表の裏


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中世欧風後宮ドロドロ前後編。四角関係。

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『王太子の寵姫と第二王子は仲が悪い』
 
それは、城の誰もが知る噂。
 
「まぁ、ヴィクトル殿下。随分とご無沙汰しておりますこと、ごきげんよう」
 
「これはこれはパメラ殿、お元気そうで何より」
 
後宮と通常執務が行われる正宮を繋ぐ長い長い廊下の端で、
行き合った二つの人影が、はたと足を止める。
一人は白磁の肌に金の髪をなびかせた世にも美しい一人の女。
数人の侍女にかしずかれて優雅に絹のドレスを翻すその様は、優雅にして艶めかしい。
もう一人は癖のある茶色の髪を無造作に後ろに撫でつけて、
濃い眉を不快そうにゆがめた一人の精悍な青年だった。
険しい顔には疲労の色が浮かび、筋肉の隆起が窺えるたくましい腕には幾多の傷が見える。
後宮と正宮を行き来する許可を与えられた数少ない側室の一人と、
国王という要職に就こうとする兄を軍人として支える弟王子。
緊迫した空気が、辺りを包んだ。
 
「ビゴーの戦場よりのご無事のご帰還、心よりお喜び申し上げますわ。
もっと早くご挨拶に伺わねばと思っておりましたのに、つい忙しさにかまけてしまいまして……」
 
“あなたの兄君が中々お手を放しては下さらないもので”
と暗に意味するような挑発的な視線に、男は一層眉を顰めた。
 
「それはお気づかい傷み入る。ではこれから政務に戻るので、失礼」
 
不機嫌さを押し隠そうともせずに短く告げて擦れ違うその濃い茶色の髪の毛を、
女は佇んだままじっと見つめていた。
 
ヴィクトル殿下、ご存じかしら? 私が後宮(ここ)に来たのはあなたのため。
あなたを忘れられなくて、あなたに一目お会いしたくて此処まで来た。
 
不敵に微笑む女の本心を、知っている者は誰もいない。否、ただ一人を除いて……。
パメラは仕える主の弟王子を見送った後、彼の行き来た先にある重厚な扉を思い浮かべた。
後宮の中でも最も日当たりがよく、広い場所にある正妃の部屋。
現在の国王は既に正妃を亡くしている。
よって、そこに住まうは彼女の主でもある王太子の正妃。
エリアーヌ。王太子アンリと第二王子ヴィクトルの従姉妹にして幼なじみ。
パメラに王太子の寵愛を奪われた彼女は、普段一切その室から出ることなくひっそりと暮らしている。
だがヴィクトルは、凱旋の挨拶を女たちの中で誰よりも先に彼女に伝えに行った。
パメラは両の拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込み、血が流れる。
 
「すぐに王太子妃殿下の元に使いを。
午後のお茶を是非ご一緒したい旨、お伝えしてちょうだい!」
 
後宮の実質的な権力者である主の言に慌てて侍女は走り去る。
パメラの瞳には炎が揺らぎ、いつもの余裕は消え失せていた。
 
エリアーヌ。未来の王妃。あの方の心を捉え続ける女。
私の欲しいものを、いとも簡単に手に入れる、許し難い女!
 
パメラは急いで踵を返した。
己が唯一“勝てる”であろう、その容姿を美しく整え直すために。
 
 
~~~
 
 
「突然のお申し出でこちらも十分なおもてなしが出来るか分かりませんが……」
 
結局、エリアーヌはパメラの“お茶の誘い”を受け入れた。
 
『午後三時、わたくしの部屋をお訪ねください』
 
本来ならば側室から正室に突然の申し出をするなど無礼にあたる。
けれど現在(いま)の後宮で王太子の寵愛を欲しいままにしているのは、
正妃であるエリアーヌではなく側室であるパメラ。

パメラの誘いを断ることは王太子アンリの不興を被るということ。
何とかして王太子の世継ぎを生んでほしい、と願っている父の手前、
エリアーヌはパメラの意向を無視することは出来なかった。
己の部屋にパメラを来させたのは、正妃としての最後の意地だろうか。
三時きっかりに部屋の扉を開けて現れた美しい女を見て、エリアーヌは自嘲した。
 
可哀想ね。わたくしも、この方も。
 
そうして吐き出された少しの嫌味に、パメラは気にする風もなく優雅に礼をしてみせた。
 
「無礼は承知しておりますが、近ごろ少しも妃殿下のお姿をお見かけせずに
寂しく感じておりましたので……お会いできて嬉しゅうございますわ」
 
嫌味と嫌味の応酬。
ただひたすら王の、王太子の寵愛を求め続ける女たちが集う後宮では、こんなことはキリがない。
 
「そうでしたかしら?
ついこの間も、宮中の宴の席でお見かけしたように思いましたけれど……」
 
「ビゴーの戦での勝利を祝う宴でございましたわね。
あの時は、私はずっと王太子殿下のお傍に侍っておりまして、
中々妃殿下とお話しする時間が取れませんでしたので……」
 
エリアーヌとパメラの間を行き交う視線が、次第に険を帯びた冷たいものへと変化する。
 
「ああ、そうでしたわね。
では今日は何かわたくしに特別なお話があって、わざわざこんな誘いをくださったのかしら?」
 
「ふふっ、そういう訳でもございませんわ。
……妃殿下、先ほど此処に、ヴィクトル殿下が見えられましたでしょう?」
 
パメラの大きな翠の瞳が、エリアーヌの灰色の瞳をじっと見つめる。
 
「ええ、見えられましたわ。戦場よりの帰還のご挨拶とのことでしたが、それが何か?」
 
エリアーヌは淡々と答えた。パメラはそっと唇を噛みしめる。
 
「本来ならば此処は国王陛下と王太子殿下のみの殿方に出入りを許された後宮のはず。
ましてやあなたは王太子殿下の正妃です。
いくら殿下がお許し下さるからと言って、そう簡単に他の殿方を部屋に
お招きになるなどというお振舞いをなさることは無いのではございませんか?」
 
「……わたくしが招いたわけではありませんよ、パメラ様。
ヴィクトル殿下はわたくしにとって弟のようなもの。それは王太子殿下とてご存じです。
それに、あの方は……王太子殿下がわたくしをお気にかけてはおられないことなど、
あなたが一番よく知っておいでのはずでしょう」
 
エリアーヌの答えに、パメラはそっと溜息を吐いた。
 
「本当に、あなたはずるくていらっしゃる。全てを持っていながら、全てを失ったふりをする。
私、あなたが嫌いですわ、エリアーヌ様。あなたはどなたも愛していらっしゃらない。
愛することを知らないくせに、愛されることだけは知っている。本当にずるい、酷い方。
……だから私、絶対に生んでみせますわ。あなたより先に、王太子殿下のお子を」 
 
パメラはそう吐き捨てると、すっくと立ち上がった。その足元がゆらりとぐらつく。
 
「パメラ様! 興奮なさらないで! 誰か、誰か早く……!」
 
エリアーヌが叫び、侍女たちを呼ぶ。倒れ伏したパメラの足元には、真っ赤な鮮血が滴っていた。





後編
 


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過去に囚われる裏切り者、欧風シリアス掌編。

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―決して手にすることができないものに憧れ続ける、
それが人間というものなのかもしれない。
だが私はそんな人間の愚かさを愛しいと思う。
そしてまた、神もきっとそうなのだろう、と。
そう信じたい。                
                             J.M
 
 
~~~

 
ガタンッ!
 
「……ジェイコブ! 嘘だろう! お前がこんな……っ!」
 
旧友の残した手紙を読むなり、椅子から立ち上がり外套に手を伸ばそうとした彼を
留めたのは、その親友の義妹(いもうと)だった。


「ニコラス様、お待ちください! お願いです……っ。
どうかお義兄(にい)さまを……あの方を、行かせて差上げて下さい!」

普段は控えめで大人しい彼女が、必死に自分に取り縋る様を、
ニコラスは呆然と見つめた。
 
「あの方は……もうとっくに限界を迎えてらっしゃったのです。
王家が滅びた時から今まで……ずっと耐えに耐えてこられました。
お願いです、どうかもう……行かせてあげて下さい」
 
ポロポロと涙をこぼす彼女に、彼は放心したまま呟く。
 
「……君はそれで良いのか?」
 
彼女が義理の兄に寄せていた淡い想いを、彼は昔から知っていた。
 
「……はい」
 
小さな答えに、彼は絶望のため息を漏らす。
 
「奴の心が……これほどまでに追い詰められていたとは。
もう後戻りのできないところまで……」
 
親友が向かった先は、吹雪の雪原。
そこはどこまでも白く、白く、果てしなく美しい世界だろう。
そう、かつての輝きに満ちていた頃の王宮のように。
 
 
~~~

 
ジェイコブ・マンニラは北の国、ルスコの中流貴族の息子だった。
三男として生まれたが、大変な秀才であったため、
十歳の時国務大臣を務める大貴族の跡継ぎとして養子に迎えられた。
ジェイコブは国務大臣の職を継ぐべく、十五になるやならずで王宮に出仕する
ようになり、国王を始めとする王族の覚えもめでたい出世頭になった。
容姿端麗で才気煥発なこの青年貴族の将来は誰が見ても明るいものであったし、
王宮の侍女のみならず、貴族の令嬢の間でも彼は熱い視線を集めていた。
 
当時王宮の主たるは、第29代国王タハヴォ・コスティ・ルスコ。
三十代半ばの精悍な国王は、思慮深く威厳溢れる人物だった。
国王を知るものは誰もが彼を尊敬し、慕った。
タハヴォ・コスティの妃は彼より三歳年下のフローラ・シルヴェン。
清楚な美しさと優しい人柄は人々に好かれ、憧れの対象となった。
むろん、年若き青年、ジェイコブも例外ではなかった。
彼がフローラと出会ったのは、王宮へ出仕して間もなくのこと。
 
初めて政務でミスを犯し、執務室を追い出された少年が
ため息を吐きながら向かったのは王宮の中庭だった。
誰もいないだろうと思って訪れた中庭には、先客がいた。
巣から落ちたらしき鳥の雛を、そっと巣に戻そうとしている女性。
そこだけ光が射しているかのように、彼女を眩い輝きが包んでいた。
まるで一幅の絵のように、美しい情景。
こちらに顔を向けた彼女の微笑みは、穢れのない、純粋で慈愛に満ちたものだった。
 
「あら、ちょうど良いところに。
この子を戻してあげたいのだけれど、少し手伝って下さらない?」
 
その、どこまでも澄み切った声。
この日、彼の心の最も深いところに、その出来事は焼き付けられた。
永遠に手の届かない、愛しきものとして。
 
それから彼と王妃は、頻繁に言葉を交わすようになった。
王も王妃と彼の親交を知ると、積極的に彼を王妃と関わる仕事に就けるようになった。
王と王妃の彼への信頼は、日増しに高まっていった。
 
彼は、王妃を見つめているだけだった。
一回りも違う、王の妃への想いを、表に出せるわけはなかった。
王妃が王を心から愛していることは明白であったし、彼自身、王を尊敬し慕っていた。
王宮の人々皆から慕われている王妃に、いくら自分が恋をしている、
と告げたところで”特別”になれるわけではないことは解っていた。
 
見ているだけで、いい。今が一番、しあわせな時――
 
まさかそれが一瞬にして崩れるなんて。
  

~~~

 
反乱の火の手は、国の西の端から上がった。
王家の評判も、政治改革の手も中々届かない辺境でそれは起こった。
民衆にあることないことを吹き込んだ略奪者たちは、わずか一年で王都まで攻め入ってきた。
もう誰も、正しき王の姿を信じようとはしない。
反乱軍の誘いを断り、王に殉じようとしたジェイコブに、王は言った。
 
「そなたは生きろ。そなたが死ねば、この国の民は放り出されてしまう。
我らがなくとも、民は滅びぬ。滅びぬ限りは、それが国だ。
どうかこの国のために、生きてほしい。我らはそれを、裏切りとは思わぬ」
 
去り際、王妃が初めに出会った時と変わらぬ微笑みを浮かべて、こう告げた。
 
「さようなら……お元気で」
 
止まらぬ涙を拭わぬまま王宮を走り去った彼が、
反乱軍の陣営に赴いたのはその翌日のことだった。
同じように寝返った親友、ニコラス・ペルヌと共に王宮を落としたのはそれから三日後。
国王夫妻は既に自害し、名だたる貴族は彼らに呪いの言葉を吐きながら斃れていった。
 

~~~

 
戦後、反乱軍が立てた新政府で、ジェイコブはかつての国務大臣と同じくらい
重要な役職に着いた。彼が反乱軍についたことで、彼の実家と国務大臣家は
処刑も財産没収も免れ、それまで通りの豊かな生活を維持できることになった。
けれども、ジェイコブの恩人たる養父母は国王と最期を共にし、
息子の寝返りに憤った実父は自害、実母は病に臥せり、
生き残った貴族や民衆には「裏切り者」と蔑まれた。
その汚名に耐えられなくなった親友、ニコラスは外交任務の名目で異国へ渡り、
国の建て直しという重い課題を一人その肩に背負った彼の側にいるのは、
義妹のミーナだけだった。
尊敬し、慕っていた人々を追い詰めた憎い“仇”と顔をつきあわせての仕事、
彼らと民衆、旧貴族との橋渡し。荒れ果てた国の現状の調査、改善方法の考案……
余りにも重く、過酷な日々を、彼はたった一人で耐えねばならなかった。
愛しい人を失った傷を抱えながら。
 
傷を癒す暇などなかった。
そればかりか、過酷な日々の中で傷は一層深まり、膿を持つようになった。
忘れられない記憶が、彼を苛んだ。愛しい人を見殺しにしてしまった過去。
自らのしあわせを、自らの手で葬り去ってしまった過去。
彼は幻想に取り付かれるようになった。
どこまでも白く美しい王宮で、懐かしい人々が自らを待ちわびているという夢に。
 

~~~

 
その年は、とくに雪の多い年だった。
邸の外に広がる、白い、白い雪景色に、彼の心は囚われた。
あそこに行けば、あの王宮に出会えるかもしれない。
慕わしい人々が、自分を待っているかもしれない。
己の心がとっくに限界を迎えていることに、彼は気づいていた。
十年の月日をかけて、国は何とか形になった。
新政府の中にも未来を担える優秀な人材が育ちつつある。
 
もう、旅立っても良いだろうか? あのひとのところへ……
 
彼は手紙をしたためた。
もうすぐ久々にここを訪れるであろう親友に宛てて。
書き終えると、壁に掛けてあった白い外套を手に取って居間に向かい、
そこにいた義妹にこう告げた。
 
「少し、出かけてくる。帰りは遅いかもしれないが、心配するな」
 
ソファに腰掛けて刺繍をしていた義妹は一瞬驚いたような顔をして、
 
「え、でも外は吹雪で……」
 
と言いかけて口を閉ざした。
義兄の真剣な眼差しの奥に潜む真意に、気づいたからだ。
彼女とて、義兄の苦悩は以前からよく知っていた。
 
「……わかりました。お気をつけて、いってらっしゃいませ。お義兄さま……」
 
涙で歪む義妹の頬を優しく撫でて、ジェイコブは微笑んだ。
あの、愛しい人の最期と同じように。
 
「……行ってくる、ミーナ」
 
彼は白銀の世界へと、馬を駆け一目散に飛び出した。
 
 
~~~

 
「……これで、良かったのだな? 奴はこれで楽に……幸せに、なれるのだな?」
 
ニコラスの呟きに、ミーナが涙で掠れた声で答える。
 
「はい、きっと。ニコラス様……」
 
一人の男の消えていった硝子越しの純白の平原を、
二人はいつまでも見つめていた。そこに確かにあるであろう、
男の心をいつまでも捉え続けた白磁の王宮を思い浮かべながら。







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