[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「大分膨れてきたな」
王太子アンリは正妃エリアーヌの腹を撫でながら、そう呟いた。
「ええ、間もなく臨月を迎えるのですもの」
穏やかに答えるエリアーヌに、アンリは少し表情を曇らせて俯いた。
「……エリアーヌ、私はそなたに詫びねばならぬ仕打ちをした。
ずっと、謝らねばならぬと思い、今日までその機を逃してきた」
「……そのことならば、殿下がわたくしに詫びねばならぬことなど、
何一つとしてございません。全てはこの宮に住まう魔物が引き起こしたこと」
「そなたがそんなことを出来る女ではないと、誰よりも私がまず先に気づくべきだった!
それをヴィクトルに諭されて、ようやく……! いつでも、そうだ。
何をするにも、あやつの方がいつも私より素早く、機転が効く……。
本来ならば、ヴィクトルこそが王太子の座に就くべきだったのだ……」
「そのようなことはございませんわ、殿下。どうか落ち着かれませ」
震える夫の肩に、身重の妃はそっと寄り添う。
「あれは、近ごろは宮廷に姿を見せぬな」
「遠駆けに凝られているようですわ。よく馬に乗って城を出て行かれるとか」
「……おまえにも、行き先を告げぬのか?」
「それは、どういった意味にございましょう?」
弱々しく己を見上げる夫を、エリアーヌは真っ直ぐに見つめた。
アンリは自嘲するように溜息を吐いた。
「ヴィクトルは、決まって西の方角に馬を走らせる。西には……オラールの離宮がある」
「あの方は、そのような不実をなさる方ではございませんわ!」
大声で叫んだ妃を、アンリは怪訝な眼差しを投げかけた。
「そなた……“どちら”を庇ってそう言うのだ?」
エリアーヌは息を飲んだ。何も知らないと思っていた夫。
彼がもし、弟がかつて自分に寄せていた想いに、
もしくは今“彼女”に抱いている気持ちに気づいていたら――?
「わたくしは……わたくしはあの方に、愛するとはどういうことか、
真に人を想うことの意味を教えていただいたような気がするのです。
だからこそ今、こうしてあなたの隣で、
大切な宝物を授かることができたのではないかと思うのです」
「……エリアーヌ、私と君は、初めから定められて夫婦になった。
恋も知らず、愛も知らず……。私たちはお互いを嫌い合っていたわけでは決してない。
けれどどこかで、嵌められた枷から抜け出したいという思いが、
同じ囲いの中で支え合いながら育ってきたはずの私たちを
互いからあんなにも遠ざけていたのかもしれない……」
「そしてその“思い”の象徴がパメラ様だった、とあなたはそうおっしゃるのですか?」
妃の問いに、アンリは哀しく首を振った。
「いいやそれは是であり否だ。私は本当に、心から初めて人を愛した。
それが彼女だった。いいや、今でも愛している。君には心からすまないと思うが……」
「いいえ、良いのです。わたくしもあの方を愛しています。
わたくしたちにとってあの方の存在は必要不可欠なものであったのだと、
そう思っているのです。ですからあの方との出会いをもたらして下さった
全てのものに、感謝と許しを与えなければ……わたくしはそう思うのです」
真摯に己を見据える妃の瞳に、王太子は項垂れた。
~~~
パメラは決してヴィクトルに離宮の門を開きはしなかった。
王太子の側室ごときが第二王子を追い返す、その体裁の悪さを
いくら周囲の者に諭されても、ヴィクトルだけは宮の中に招こうとはしなかった。
彼らの不仲を知る者たちから見ればそれは、己を後宮から追い出したヴィクトルを
骨の髄まで嫌うお役御免の側室と、策謀を用いて彼女を後宮から追放した、
との不名誉な噂を取り消すために躍起になる第二王子の構図であった。
けれど誰が知っていただろうか。
馬首を返すヴィクトルの背に、どこまでも切ない眼差しを投げかけていた女の姿を!
振り返った男が離宮の窓を見上げる瞳に宿る果てなき悔恨と哀しみを!
パメラは死んだ。
最期までヴィクトルに見舞いを許さず、王太子の側室の一人として。
葬式に王族の参列は無かった。
後宮を乱した元凶、と呼ばれる女の葬儀に、王が参列を許さなかったためである。
ただ美しい花束だけが、その墓を鮮やかに彩った。
参列者が皆離宮を去り、雨が降り出した深夜。
その馬主は、ようやく離宮の中に入ることを許された。
馬を乗り捨てて駆け寄った、色鮮やかな花に囲まれた墓の前で、男は泣いた。
たった一人、いつまでもいつまでも嘆き続けた。
追記を閉じる▲
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
王太子妃エリアーヌの部屋で起こった彼女の流産。
その向こうで活発な子供だったヴィクトルが木に登り二人に声をかける。
この二人はきっと似合いの夫婦になるのだろう、とヴィクトルは幼心に思った。
そんな日を夢見て、彼はその支えとなるべく軍に入り、戦功を成してきた。それなのに。
興味を示さないエリアーヌは宮中でもその存在感を徐々に失っていった。
エリアーヌが紅茶に何かを混ぜたのではないか、という侍医の判断だ。
嘆きと思い込み、彼女一人を寝台に残して静かに部屋を去って行った。
ヴィクトルがパメラの室への見舞いを許可されたのは、
それから十日ばかりの時が過ぎたころのことだった。
パメラは未だ臥せったまま、寝台の上でヴィクトルを迎えた。
むさ苦しい格好ではございますが、どうぞご容赦下さいませ」
それで、あの方の無実を証明してくれるようお願いなさりに来たのではございませんか?」
お命じになられました。……王太子殿下とて、解っておいでなのです。
憎い女は宮廷を去り、いずれは目を覚まされた王太子殿下が、
エリアーヌ様の軟禁も解かれましょう。全てはあなたのお望み通り」
私はあなたをお恨み申し上げたことは一度としてございません。
……いいえむしろ、ずっとお慕いして参りましたわ。王太子殿下より、義父より、誰よりも」
鼓膜を震わす信じがたい囁きに、ヴィクトルは思わず顔を上げた。
男の問いに、パメラはどこか遠い目をして微笑んだ。
オラールの離宮からの帰り道、橋の下で震えていた幼い乞食の娘のことを」
そうして、大量の金貨と共に近くに住む気の優しい夫婦の元に私を託して下さいました。
……結局、私はどうしても殿下に再度のお目通りを、
という願いを堪え切れずに飛び出してしまいましたけれど」
嬉しそうに過去を語るパメラに、ヴィクトルは戸惑いを隠しきれなかった。
パメラは、今度は自嘲するように目を背けてみせた。
彼自身もそれを信じてきた。そのような女に邪険にされる初恋の人が哀れで、
許せなくて、彼は何かにつけ彼女と対立してきた。
どうか、今の話はお忘れ下さい。最後にお目にかかれて幸せでございました。
さようなら、ヴィクトル殿下」
どこまでも清らかで儚げなものだった。ヴィクトルはその表情を忘れられなかった。
すっかりパメラの姿に置き換えられてしまったかのようだった。
一派による暗殺だったのか、長年の無理がたたったのか……。
→後書き
番外編『表の裏』
追記を閉じる▲
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
行き合った二つの人影が、はたと足を止める。
数人の侍女にかしずかれて優雅に絹のドレスを翻すその様は、優雅にして艶めかしい。
濃い眉を不快そうにゆがめた一人の精悍な青年だった。
国王という要職に就こうとする兄を軍人として支える弟王子。
もっと早くご挨拶に伺わねばと思っておりましたのに、つい忙しさにかまけてしまいまして……」
女は佇んだままじっと見つめていた。
エリアーヌ。王太子アンリと第二王子ヴィクトルの従姉妹にして幼なじみ。
だがヴィクトルは、凱旋の挨拶を女たちの中で誰よりも先に彼女に伝えに行った。
午後のお茶を是非ご一緒したい旨、お伝えしてちょうだい!」
正妃であるエリアーヌではなく側室であるパメラ。
エリアーヌはパメラの意向を無視することは出来なかった。
寂しく感じておりましたので……お会いできて嬉しゅうございますわ」
ただひたすら王の、王太子の寵愛を求め続ける女たちが集う後宮では、こんなことはキリがない。
ついこの間も、宮中の宴の席でお見かけしたように思いましたけれど……」
あの時は、私はずっと王太子殿下のお傍に侍っておりまして、
中々妃殿下とお話しする時間が取れませんでしたので……」
では今日は何かわたくしに特別なお話があって、わざわざこんな誘いをくださったのかしら?」
……妃殿下、先ほど此処に、ヴィクトル殿下が見えられましたでしょう?」
ましてやあなたは王太子殿下の正妃です。
いくら殿下がお許し下さるからと言って、そう簡単に他の殿方を部屋に
お招きになるなどというお振舞いをなさることは無いのではございませんか?」
ヴィクトル殿下はわたくしにとって弟のようなもの。それは王太子殿下とてご存じです。
それに、あの方は……王太子殿下がわたくしをお気にかけてはおられないことなど、
あなたが一番よく知っておいでのはずでしょう」
私、あなたが嫌いですわ、エリアーヌ様。あなたはどなたも愛していらっしゃらない。
……だから私、絶対に生んでみせますわ。あなたより先に、王太子殿下のお子を」
追記を閉じる▲
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
―決して手にすることができないものに憧れ続ける、
留めたのは、その親友の義妹だった。
「ニコラス様、お待ちください! お願いです……っ。
どうかお義兄さまを……あの方を、行かせて差上げて下さい!」
ニコラスは呆然と見つめた。
王家が滅びた時から今まで……ずっと耐えに耐えてこられました。
お願いです、どうかもう……行かせてあげて下さい」
もう後戻りのできないところまで……」
十歳の時国務大臣を務める大貴族の跡継ぎとして養子に迎えられた。
ようになり、国王を始めとする王族の覚えもめでたい出世頭になった。
王宮の侍女のみならず、貴族の令嬢の間でも彼は熱い視線を集めていた。
ため息を吐きながら向かったのは王宮の中庭だった。
この子を戻してあげたいのだけれど、少し手伝って下さらない?」
と告げたところで”特別”になれるわけではないことは解っていた。
~~~
我らがなくとも、民は滅びぬ。滅びぬ限りは、それが国だ。
どうかこの国のために、生きてほしい。我らはそれを、裏切りとは思わぬ」
反乱軍の陣営に赴いたのはその翌日のことだった。
国王夫妻は既に自害し、名だたる貴族は彼らに呪いの言葉を吐きながら斃れていった。
~~~
重要な役職に着いた。彼が反乱軍についたことで、彼の実家と国務大臣家は
処刑も財産没収も免れ、それまで通りの豊かな生活を維持できることになった。
息子の寝返りに憤った実父は自害、実母は病に臥せり、
生き残った貴族や民衆には「裏切り者」と蔑まれた。
国の建て直しという重い課題を一人その肩に背負った彼の側にいるのは、
義妹のミーナだけだった。
彼らと民衆、旧貴族との橋渡し。荒れ果てた国の現状の調査、改善方法の考案……
どこまでも白く美しい王宮で、懐かしい人々が自らを待ちわびているという夢に。
~~~
邸の外に広がる、白い、白い雪景色に、彼の心は囚われた。
そこにいた義妹にこう告げた。
二人はいつまでも見つめていた。そこに確かにあるであろう、
男の心をいつまでも捉え続けた白磁の王宮を思い浮かべながら。
追記を閉じる▲