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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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おい、この余震の激しさ阿蘇山噴火する前兆だったりしないよな・・・? 九州産野菜、イヤそれ以前に原発(((゜ロ゜;)))ガクガクブルブル 近隣にお住まいの方、津波含め本当に気を付けて下さい。街中にいる場合はガラスやタイル張りの建物には絶対に近づかず、指示があるまで屋内に留まっていた方が返って安全。しばらくは出勤もフラットシューズで行かれた方が良いと思います。あとはとにかく家具固定してスリッパを傍に置き、できるだけ寝る場所周辺の危険を排除すること(落ちてきそうな飾りや照明は寄せる)、避難経路や家族と落ち合う場所の確保、伝達手段の決定と食料・ラップ・ホイル・ガスコンロ、あれば石油ストーブのキープだけはお忘れなく(-m-) 大きいの来たらすぐバスタブに水ためて、鍋でもヤカンでもあらゆる容器に汲めるだけ水組んどいて下さい。トイレの紙は流さず棄てる。手の届くとこアチコチにLEDライト設置しとくと安心。電池も買いだめしといた方が(以下略)
九州の農村地帯は瓦屋根で風通しの良い造りのお宅が多いことと思います。地震では正直言ってそれが一番怖い構造。余裕があればすぐに見直すか、ご実家がそういうお家なら逐一無事確認の連絡を入れてご近所に見回りをお願いするか、必要なら親御さんを避難させる措置も取った方が良いと思う。瓦落ちてきて頭に当たるだけでも危ないですから。どうか少しでもこれ以上の被害が起こりませんように(>人<;) こちらに住む誰もが他人事とは感じていないと思います。5年前から今まで、九州の方にたくさん助けられてきた御恩も忘れていません。頑張れ、と言われるのは辛いかもしれないけれど、今はまだ疲れてはいけない時期だと思うので、とにかくひたすら頑張れとしか言えないのが申し訳ない。

以下ヒキの(以下略)記録④m(__)m

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今月通ってる就活講座の他にハロワ連れてってくれるイベントもあるので、そっちの方にも申し込んでみた(^^)b 友人の励ましも受けたことだし、止まったら二度と立ち上がれなさそうだからな!あと二種類あるから来月ソッチ行けば良いかな、とかドチキン過ぎてファーストハロワ一人で行って色々手続きや相談できる度胸が・・・という相変わらずダメダメな事情もあり><; 今月中に講座含めて感覚掴んで今お世話になっている団体で相談→来月の就活スケジュールもちゃんちゃんと確保しておきたくて。結局バイトの話流れちゃったしな\(^O^)/ うわーん、お金・・・でも就活中大っぴらにバイトしてることは言えないだろうし、短期の派遣とか?(ちょうど今日講座の宿題でタウ○ワークもらったし。笑)家教や個別指導だと中高生相手だから確実に夜で、更に知人の紹介という形だと履歴書とか細かく提出しなくて良いのが楽だったんだよなぁ。コッソリできるというか。時間や場所や報酬も融通利くし。どっかに虫の良い話転がってないかなー@その根性がダメなんだよ、そもそも(´-`)


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震災ネタ病み

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あの夜の真っ暗な空に光り輝く星は確かに綺麗だった。今まで見たことがないくらい、澄みきった美しい星空。寒くて寒くて仕方なかったけれど、電気もつかないし燃料がいずれ尽きることも分かっていたから、我慢してガクガク震えながらすぐに逃げられる格好で何枚も毛布を重ね、復学に向けてそれまで中断していた薬を飲みまくって必死に眠った。次の日以降に待つものの過酷さを分かっていたから。地獄みたいな光景が目に入ってくるのを、今この瞬間消えようとしている命の灯がそこここにあるのを、近くで感じざるを得なかったから。でもどうしようもなかった。何もできなかった。だからせめて、次の日は何が起こっても良いように、少しでも長く動いて役に立てるように、早く寝よう、夜明けを待とう、って。あんなに震えて恐ろしかった夜はない。違う地方とはいえ、よくあの日の夜空再現する気になんかなったな。今でも怖い。あの日が近づいて、その特集ばっかりになるのが嫌で堪らなくて、海外系のニュース確認する以外はずっと本の世界に逃げてる。せっかくとりあえず社会復帰、って落ち着いた気持ちが引き戻されてしまうみたい。何で私が生きちゃってんの?って堂々巡りに。自分の存在が無力で無意味だと強く感じてしまう。結局怖くて何もできなかった。今もできない。できる気がしない。私じゃ無理だ。悔しい。逃げたい。なんで? 全部混じって気持ちがカオスに陥るんですよ。あの日とそれに関することは、整理し向き合って受け入れるということが未だに、もしかしたら一生ちゃんとした形では叶わないことなのかもしれない。


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この日はつらい。この季節つらい。近づくのがつらい。というか怖い。色々きれいに(更地という意味で)なると、あの日までの世界からスポーンと今の世界に飛んできたみたいな、分断された感覚じゃないですか正直。でも、同じ日付の日が何回目だ、って見るとその空白が空白じゃなくて、あの日の続きがこの世界で、あの世界にあったものはここになくて、というかもうどこにも存在しない、というのを突きつけられるんですよね。頭の中ではわかっていてもまだまだ弱っちい。
あーしかし3.11が原発の日みたいになってんの凄いムカつくなぁ。上の方針や組織に対して思うことは確かにあるけど、まず悼んで、悼ませてくれよ・・・。あと死んだ子の歳は数えても良いけど弟妹とか同級生に背負わせんのはどうかと思うわ。何か色々あっても直後に持ってた「こういう方向に進まなきゃな」っていう気合?がもうすり減ってるから、ドンドン感情の整理とか考えがまとまらなくなっている気がする。


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最初は精神的に3日、次に身体的に5日が限度だろうな。そこ乗り越えれば何とか。物理的な意味で、本当の本当に何もなくなるのは1週間。それまでもてば大丈夫だろう、って予想が裏切られた時の絶望というか。他人事とは思えない。今思えば、あの時あたりまえに「なんとかなる」を信じられて、それぞれが何とか得られたものを持ち寄って分け合うことのできた自分たちは恵まれていたんだな、とも。分け合うものすら無い状態で、情報もなく不安と苦しみでいっぱいの人たちに一刻も早く支援の手が届きますように。


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あの時のことを考える。最初は、三日経てばどうにかなるだろうと考えた。首都圏もやられててどうにもならないと分かった時、燃料が本当に足りなくなってきてうわーとなったのがその三日くらいだったから、あの時パニックが起こっていたらどんだけ恐ろしい事態になってたのか、と。実際水と灯油の盗難はあった。拡大してたらどうなってたんだろ。ギスギスして、列とか意味ないものになったら。本当に物がなくて、卵とか野菜の値段ボるのはあったし(ていうか許可ないところで販売したりもしていた) でも、分けてくれる人の方が多かった。それぞれ伝手頼ったり並んだり、別々のところに買い物に行って、その時手に入りにくいものが入れば少しずつ配ってた。ちょっと遠くの友達んちなんかは先に水でたから、ってガソリン貴重なのにわざわざ山登って届けに来てくれた。元の生活レベルの違いはあるとはいえ、何故ここまで違いが生じてしまったのか、と思う。それが普通なんだろうか。結構ショックだ。


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仏教では三回忌ですね。まだ弔うことすらできない方がいらっしゃることを思うとつらいです。失われた命が救われますように。
色々なことに失望してばかりの一年でしたが、期待していたからこそガッカリしたり憤ったりできるわけで、そういう感情の幅が戻ってきたのは良いことかな、と思ったりもします。その前はひたすら呆然として、無言か「しょうがない」かのどっちかだったから。
復興が早いのか遅いのかはよく分からないです。地域内でも外でも凄く温度差を感じる。何を重視するかは人それぞれだし、それが悲しいと思うのと同時にだから進んでいけるのかなぁ、とも思う。起こったことはなかったことにはできないから、“それ以前”を取り戻すことは不可能。元に戻るのはありえないから、“元+3.11+今+先”の在り方を何とかひねり出していかないと。難しいですね。勢いよくガーッとプラスにまで針が触れたと思ったら、いきなりマイナスの方向に逆戻りしてたりします。穴が狭まったけど深さを増した感じ。この時期は他のことを考えたり気持ちを整理するのが特にきつい。

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