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最初は精神的に3日、次に身体的に5日が限度だろうな。そこ乗り越えれば何とか。物理的な意味で、本当の本当に何もなくなるのは1週間。それまでもてば大丈夫だろう、って予想が裏切られた時の絶望というか。他人事とは思えない。今思えば、あの時あたりまえに「なんとかなる」を信じられて、それぞれが何とか得られたものを持ち寄って分け合うことのできた自分たちは恵まれていたんだな、とも。分け合うものすら無い状態で、情報もなく不安と苦しみでいっぱいの人たちに一刻も早く支援の手が届きますように。
あの時のことを考える。最初は、三日経てばどうにかなるだろうと考えた。首都圏もやられててどうにもならないと分かった時、燃料が本当に足りなくなってきてうわーとなったのがその三日くらいだったから、あの時パニックが起こっていたらどんだけ恐ろしい事態になってたのか、と。実際水と灯油の盗難はあった。拡大してたらどうなってたんだろ。ギスギスして、列とか意味ないものになったら。本当に物がなくて、卵とか野菜の値段ボるのはあったし(ていうか許可ないところで販売したりもしていた) でも、分けてくれる人の方が多かった。それぞれ伝手頼ったり並んだり、別々のところに買い物に行って、その時手に入りにくいものが入れば少しずつ配ってた。ちょっと遠くの友達んちなんかは先に水でたから、ってガソリン貴重なのにわざわざ山登って届けに来てくれた。元の生活レベルの違いはあるとはいえ、何故ここまで違いが生じてしまったのか、と思う。それが普通なんだろうか。結構ショックだ。
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あの時のことを考える。最初は、三日経てばどうにかなるだろうと考えた。首都圏もやられててどうにもならないと分かった時、燃料が本当に足りなくなってきてうわーとなったのがその三日くらいだったから、あの時パニックが起こっていたらどんだけ恐ろしい事態になってたのか、と。実際水と灯油の盗難はあった。拡大してたらどうなってたんだろ。ギスギスして、列とか意味ないものになったら。本当に物がなくて、卵とか野菜の値段ボるのはあったし(ていうか許可ないところで販売したりもしていた) でも、分けてくれる人の方が多かった。それぞれ伝手頼ったり並んだり、別々のところに買い物に行って、その時手に入りにくいものが入れば少しずつ配ってた。ちょっと遠くの友達んちなんかは先に水でたから、ってガソリン貴重なのにわざわざ山登って届けに来てくれた。元の生活レベルの違いはあるとはいえ、何故ここまで違いが生じてしまったのか、と思う。それが普通なんだろうか。結構ショックだ。
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