忍者ブログ
ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


自分の赤ん坊の頃の写真を見ていて、産休のみで職場復帰した母すげぇな、と・・・。今の妹のやつれ具合見ても、双方の実家も遠くて若い両親がよくやれたと思う。まぁ父親プーみたいなもんだったけど(笑) 生後4,5か月の頃には保育園で仲良しだった子との2ショットがあるんですよね。彼女とは2ヶ月違いだったからやっぱ乳飲み子で預けられてるわけで、当時のお母さんたちホント偉大(; ゚ ロ゚) 私が妹弟に比べてママっ子にならなかったのもその辺なんだろうな。あときょうだいに異様に憧れて子供に執着してたのも。赤ちゃんが母親に懐くのは、ゴハン(お乳)くれて面倒見てくれて1番一緒に過ごす時間が長い相手だから。下の子が産まれてヤキモチ妬くのは、今まで誰よりも自分を構ってくれていた相手が、自分だけを優先してくれなくなるから。意識ついた頃には保育園で順番こが当たり前だったし、送迎やお風呂、遊んでくれるのは父だったし・・・。母へ仕事と家事で手いっぱいで、どうしても父に予定がある時だけ、母の仕事先についていってそこの方に相手してもらったり。夜寝る前の絵本だけは母が良かったけど(父早く寝てほしさ丸出しでやる気ないので(^-^;)、送迎が母だとガッカリだった。保育園の友達≒母<保育所のお姉さんたち<保育園の先生<父だったかな、ヒエラルキー。だから、その後父が色々やらかしたり帰りが午前様続き、家族から鼻白まれるようになっても嫌えなかったし、絶対的な母擁護には回れなかった。離婚したら私は父の面倒見ようと思ってた。結局二人はどうしようもなくなっても愛し合ってて、離れらずに悲惨な結末を迎えてしまいましたが。正直、離婚を勧めたのは私だけじゃなかったみたい。実の子としてどうかと思いましたが二人ともダメになると感じてた。でも頑なに拒否されて、「そんなことになったらパパ死んじゃうでしょ!」いやしなくても死んだし。本人家族のためだったっぽいし。あーぁ。昔の父が、私の世話を一所懸命してくれていた頃の父が、今の弟に驚くほどソックリなんです。私と極めて近い状況に陥りながら、私のやることなすこと何もかもが気に入らないと口をきかない弟に。思えば父も頑固だった。私も性格が悪いのは自負しているけど、バカなことにこだわってた。家族ってなんだろ、とわからなくなってくる。私にはある意味で幼なじみ家族が時に実の家族よりずっと近しくて、理想で、憧れで。その思いは歳が離れていて物心がついた場所も育った環境も違う妹弟とは共有できないし、そういう存在がいない彼らを可哀想だな、と自分の物差しでは感じてしまう。でも、100%自分の家族は血の繋がった彼らだけだと思えない、分散してちょこっとずつ色んなとこに家族っぽい人たちがいる、と捉えてる私の方が変という見方もあるだろうし。やっぱり寄りかかれるレベルが違うし、ましてや一生独身子なし確定の身なので・・・面倒くさいんだよなぁ、ボケたり死んだ時の諸々の手続き(;´д`) だからまぁ妹とは音信途切れないようにしたいと思うけど、あんまここにいたくないなぁ。

拍手[0回]

PR

うちの父親、私が小さい頃は親の金で学校に籍置きながらパチンコ三昧、生活は嫁の金でというクズだった。死に方もそこに至る過程も。自分も荷担したロクデナシです。でも、愛情だけは確かに信じられるくらい注いでもらった。毎日の送り迎え、お風呂、寝る前の本読み以外は大体パパ選んでたんじゃないかな。ママがお迎えの時はテンション低くてぐずらないけど、パパに送られて別れる時はギャン泣きが恒例行事で(笑) 仕事の都合で数ヶ月別れることになった時は駅のホームで盛大にやらかし、その後も保育所で少し思い出しては泣き先生たちを心配させる事態に(ノ∀`) 本当に二度と会えなくなってしまうと、日々に必死でそれどころではなくなり、というか深く考えたくないから「いないけどいる人」みたいな扱いになってるんですけどね。母がね、毎日写真の前に何やかや置くから、「いやその人もうどこにもいないよ」って言えないし自分でその現実受け止める覚悟はよくわからなくてフヨフヨしてる。だって8年前の震災だってあのまま時間止まってんだから。どんな大人に接してソイツが社会の底辺のクソ野郎でも、子供の頃に確かに自分を愛して、必要としてくれた人がいた、というのは人間にとってとても重要なことだと思う。今日、ジッドの『田園交響曲』読んでても感じました。正しいことは必ずしもその人にとっての最良ではない。でも、生きていて時間が進んでいく以上変わらないものはないから、歪みはいつか破綻する。だから誰も間違ってない。一瞬でも誰かと深く繋がっていたという記憶が、生きる力に働いてくれればな、と。ジェルトリュードの悲劇との対比で二人の子供に泣いちゃいました(TдT) あと、お父さんお母さんになりたかった犯罪者夫婦の気持ちも、一部共感しかねないからさ。子供欲しくて欲しくて可愛くて仕方ない身からしたら、虐待する親なんて絶対許せないし、そりゃ保護しちゃいますよ。でも彼らには警察や児相に届け出られない事情があるわけで・・・。私、今の仕事だって毎日何かしらやらかして「キツー(;´д`)」ってなってるから、ましてや真っ当な環境で育たず、前科持ちで住所も詐称してる人間の働き口はもっと限られることを考えると・・・。でももっともっとそういう人たちは沢山いるはずなんですよ。真っ当に子供育てるだけの稼ぎを得られない家庭が。非大卒で無資格、PCや特殊免許のスキルや資格もなかったら? 子供を育てていれば残業はしづらいし、パートや時短で働くしかないけど、それじゃ保育所入れられない。小学校入るまでの生活どうなんの? ねぇどうなんの!?という。やっぱり一応選挙行くか(-_-;)←結論

拍手[0回]


まだフィクションの題材にはしてほしくない。その後に起きた沢山のことは確かに過去だ。生きていて当たり前に起きたであろうことだから、受け入れるしかない。でもあの日だけは、過去じゃない。いつまでも過去にならない。時間が止まってる。神隠しみたいな? ある日突然、街も人もどっかにさらわれてったんじゃないかと。ひょっこり戻ってくるんじゃないかと。信じられないじゃないですか、前日までフツーに生活してた場所が丸ごとなくなるって。ブツッて絶ちきられて、それが繋がってないんだよね、自分の時間軸の中で。宮城県民あるあるで「あの日何してた?」があるんですけど、自分の体験は笑って話せても、失くしたものには触れない暗黙のタブーがある。何もなくしてない人は少ないし、暗くなっちゃうから。うちらは確かに地震多くて慣れてて、不便だから備えもそれなりにしてるし、昔から二束三文の土地に住む田舎者扱いだったので関東や西の人に比べて声も小さい。「仕方ない」と黙々受け入れる気質が根付いてると思う。あの日、揺れて最初にワンセグで見たニュースで「関東やられたらこっち支援来ないな」と真っ先に諦めたように。それでも、いくら平気に見えたってどうしようもない現実はそこにあって。変な活動に利用されたり、胡散臭いの補助金目当てに紛れ込んだりしてるけど、あの日とどう向き合って良いか分からずに、それでも生きないといけないから必死に蓋をして時だけが経った人は沢山いると思う。もう向き合わないといけないのか。考えないといけないのか? 他の地域の人にとっては風化しつつある過去だから? とても羨ましい。災害の度に何故あの日の教訓が活きていないのか憤るし、ホントその後の被災者にも意見募ってほしいよ。雨や地鳴り怖くない? 忘れられる? って。3月に合わせた特集ドラマならともかく、無関係な連ドラのキャラ背景に盛り込んでくるのは早すぎる。逆に「もう過去なんだよ」って見せつけられたり、そこの時点で止まっている自分が「まだ向き合わないのか」と責められているようで。

拍手[0回]


姪っ子よりも、本当は何より妹が一番可愛い。自分がしんどくても、何でもやってあげたくなる。赤ん坊は確かに可愛いけど、それが主な理由だわ。気なんか遣うんじゃないよ、里帰り出産してる分際で、って。彼女が産まれてきてくれた時、神様と両親から贈り物をもらったと思った。私は既に性的なトラウマを2,3度経験した後だった。恋愛のトラウマはその年にガツンと来たけど、恋愛の「れ」の字もわからないほど幼く、妊娠・出産期の母に中々言えずに限界まで黙ってた(笑) さすがにモノが壊れて泣きながら帰らざるを得ない事態になってバレたけど(^_^;) あの時遭遇して声かけてくれたカップルさん、ありがとう・・・素直に甘えられない子供ですまんかった。あからさまに何かあったことが丸わかりな(ランドセルの中身ぶちまけられ後)見知らぬ小学生が泣いてるとこに声かけるのって凄く勇気がいることだと思うし、二人が良い親になってくれてることを願うわ(-人-) 恥ずかしさの余り強がって「大丈夫」と逃げちゃってごめんなさい。本当は親にも言わないつもりだったんだけど、家について割れた筆箱や箸箱の理由聞かれたら、それまでの経緯含め涙腺が決壊してしまってねー。自分が情けないったら。以後一生「好きとは?」って悩み続ける人生だよ┐(´д`)┌ 首謀者日本で2番目・・・ノーベル賞的にはトップの大学に行ったし。賢い人も偉い人も信じられない土壌形成☆
弟が産まれた年に初めて子供の作り方を知り、物凄くショックを受けた。そのことを、今になって母と妹の前でスルッと喋れた。小学校中学年にもなればある程度知識もつく。高学年にもなれば体の準備が整う子もいるし、性教育も始まるし・・・ついでに高校の時は鼻血吹きました(笑) もうね、ショックだった時点で気がつくべきだったんですよね。頑張って克服しようとエロ本読み漁るより、何故ショックだったのか、同じことの追体験が平気なのか自分自身と向き合うべきだった。『きのう何食べた?』ドラマで主人公が言っていた「あのまま上手くやれていたら傷つける人を増やすばかりで怖かった」と全く同じ。どうしても子供が欲しいばかりに、色んな人を巻き込んでしまったのかと後悔しています。ついでに自分のトラウマも無駄に増やした\(^o^)/ 過呼吸や吐き癖はつけるべきじゃないと思います。ちょっとしたことでも「そうなりそう」ってだけで怖いもん。休みやすくて既婚女性の多い職場で、経歴は伏せて付き合うのが楽。妹夫婦は理想のパパママ像だと思う。いつまでも幸せなおじいちゃんおばあちゃんになってほしい。母や父や、私の分まで。そして弟の心が回復しますように。休職中なのに反応がないのが気になる(´・ω・`)

拍手[0回]


姪が出ない胸を吸おうとして困る、と言ったら「これを機に母性本能が目覚めて家族が欲しくなるんじゃない?」と。彼女は私の人生のほぼ全てを知ってるし、その上でセクシュアリティを打ち明けて、「嘘だぁ」と言われた相手でもある。私が傷つけた相手も好きだったアイドルのことも知ってるから、アレができないということが信じられないと。それでも、私がどうしても子作りができないという事実だけは受け止めてお子さんに「ケイトは2番目のママだからね」と言ってくれた人でもある。一所懸命、結婚や恋愛に興味がない人を紹介してくれようとしたり。小さい頃から習い事一緒に習ったり、お揃いの物を好んだ彼女。まだヒキっていた私に、「100歳まで友達だからね」と結婚式のスライドで流してくれた彼女。死にたいと打ち明けた時、「自分自身がいらなくても私にはあなたが必要だから、私のために生きて」と言ってくれた。きっと彼女は、私と結婚や出産、育児の喜びや悩みを共有したかったんだと思う。だから、強い言葉で否定はできない。傷ついても、同じくらい救われてきたから。何より子どもが、家族が欲しかったので姪の誕生には喜びや安堵と同じくらい心を抉られます。誰にもわかってもらえないとは思わないし、私も他人の気持ちがわからないのでわかってほしいとも思わない。ただ、自分がどうにもならないことを諦めきれていないのだという実感がひたすらつらくて苦しいだけ。

歳の離れた妹を寝かしつけるために私が替え歌した子守唄を、母が名前を姪に入れ替えて歌っていた。ぐずりっぱなしで中々寝つかない姪にその歌を歌うことの意味を、あと恥ずかしくて歌えない妹は多分理解できないんだろうと思う。ずっときょうだいが欲しかった私にとって妹の誕生は特別で、オムツ替えも頑張ってやってた。(弟にはおしっこ引っかけられて断念。笑)沐浴中に出されてトラウマになったり、大きいお風呂で溺れさせかけたり。チャイルドシートの義務づけがなく、両親が前方に乗る決まりだった我が家では車で後部座席の妹弟の面倒を見る係は私だったこと、姪すら妹ほどには可愛くないし、彼女を追い詰めるくらいなら少し休ませてやれ、いくらでも代わってやるくらい思ってる。

拍手[0回]