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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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『ダウン○ン・アビー』シーズン3を見る→『イミテーショ○・ゲーム』を見る→『1984』を読む→F T、Econ○mistタダ記事(笑)流し読みながら「イギ○ス人って何でこんなにひねくれてんのかなー?(´Д`)」と思わず呟いたら、母が「おいしいもの食べてないからよ!」とイキナリ返事してきた件。「え、だってイギリ○派生の(余り世界的に食文化が認められているとは言い難い)米とかNZとかOZはもっと大雑把、いや分かりやすい感じじゃん?」と言ったら「アメ○カとかはみんなで楽しく食事する文化があるでしょ!?イギ○スでのんびりアフタヌーン・ティーできる層は何%なの?ハンバーガーとサンドイッチの違い考えれば分かるでしょ!?みんなでおいしく食事を取る時間をちゃんと取らない人間は性格が歪むの!」と何故か熱心に語られたわけだが、ちょっとなるほど、と思ってしまった・・・。(まぁそんな母に育てられた私も大概マトモじゃないので正しいかどうかは微妙だけど。笑)
実際に食べ終わるまでの時間は短くても、色々こだわりがあったり「食べること」に集中しないと具こぼしたりしちゃうもんね、ハンバーガーは。対してサンドイッチはほとんど手も服も汚さずに「何かしながら」片手で掴んで黙々と食べられる。どっちの国にも行ったことない母が食における真理を突いてくるとはΣ(゜Д゜;) ウチはどんな粗食でも全員そろって「いただきます」の文化だし、料理や食事に手間暇時間を惜しまないというラテン圏は確かに芸術性豊かで、人の気質も大らかな雰囲気?ド○ツとかロシ○はどうなんだろ? 時間ない以前に作物取れない、日も当たらないロ○アが鬱に向かうのは分かるけど、ドイ○の「贅沢は敵だ!」みたいな、ひたすら芋と肉さえあれば良い、的な背景はやっぱり戦争が絶えなかったせいかなぁ。そんなこと言ったらイタリ○は、とか考えちゃうけど必殺☆バチ○ンバリアー!があったから?(´-`) 食文化から考えるお国柄というのも中々面白いかも、とちょっと思った。
あ、でも大体グルメを極めすぎる美と変態に行き着くというのは何となく感じるね! 東南・南アジアとか東欧辺りのひたすらごちゃ混ぜにして煮込んどけ料理も好きだけど、中華・ラテン(ヨー○ッパと南米両方含む)・ト○コそしてウチと、料理だけじゃなくて国や民族全体的に各々のプライドと美意識を独自の方向に進化させ過ぎてついていけない感あるよね、どこも(笑)たぶんアメ○カは色々ミックスされたからまだ良かったんだと・・・イギ○スは華僑・イ○ド系いても階級制もあるせいか、正直あんまり現地人と混じり合ってるイメージないしなぁ。でも人間の根幹を成す「食」に自信が無いからこそ、絶対的な価値観というものに縛られずに八方美人三枚舌外交の才覚が活きるのかもしれない、とソレらしい皮肉を言ってみたりして(^^;
中東や中央アジアのお料理はほとんどお目にかかる機会がないので、いつか体験してみたいです。特にモンゴ○は乙○語りと柳○教授と相撲関係のブログ・SNSで興味津々!かわいいパンの模様も見たいし、肉うどんもめっちゃおいしそう(^p^) 焼き飯と揚げ餃子にはクッ○パッド様(国際結婚された方とか、アジア系なら逆にコッチに嫁入りした方なんかも登録してたりして意外とリアル多国籍レシピが幅広く載ってらっしゃるんだぜ・・・素晴らしい時代と文明の利器に感謝(-人-))を参考にソレ「らしきもの」を作ってみたりはしたんだけど、如何せんマトンが手に入らないからどうしようもないんだよね(-_-;) 本場の味とは程遠かろう、という出来にしかならない。地元に中央アジア料理の店できないかなー?それか留学生の奥さんと偶然知り合うとか・・・カザフとかスタン系でもOKなんで・・・あ、でもそもそもあの窯が無いとパンは焼けないのかorz

※以下、時事絡みます。(辛口と病みというかセクシュアリティ?に関するネタあり)


私、昔は学校の自主研究?みたいなもので夫.婦別.姓についてのアンケート意識調査やっちゃうくらいこだわっていた人間です。ちなみにその時左向きの親にも「そもそも民/法変えないといけなくなるから今後も日.本ではほぼ無理」と言われていたので、今回の判決は予想してた。そして今は「別に職場では旧姓のまま通している人もいるし、確かに子どものこと考えると一理あるシステムかな(´-`) というか確かに書類上は色々変更とかあってややこしいけど、裁判起こす手間考えたらそこまでこだわる話でもないかも」くらいには受け入れられる自分がいる・・・コレが大人の妥協というものなのか、とかトンガリが削られた状態なのか、とか虚しくなったりもするけど、ヨソ様のリアクション見てたら何だかムカッ腹立ってきちゃってね!(^ω^#)
この、昔あれだけこだわっていた自分がフゥ、と息を吐いてある程度納得してる時にですよ?「遅れてる」だの「女性の権利を冒涜」だの好き勝手言ってくれるじゃねーかオウオウ!という気分に(以下略)大体、たかが名字ですよ? 私は延々名前が連なる欧米(+一部中/国)方式は正直あまり好きじゃない。返って呼び方混乱して覚えにくいし表記もしづらい。向こうは名前被りも多いから必要な措置でもあるんだろうけど。あと子どもが片方の姓だけ継ぐ、とか下手すると兄弟で名字違ったりしちゃうのはやっぱり何か寂しくない?(´・ω・`) とそのシステムを採用している知人の在.日ご一家を見て思った。日/本人としてはちょっと混乱するというか・・・職場や社会的に好きな名字を名乗ることが認められていて、嫁いだら必ず家で旦那の帰りを待つことが強制されたり、どちらかの家の墓に入ることが義務化されていたり、という訳じゃないんだからさー。何かこの辺り誤解を与えかねない書き方じゃない?海外というか外国語メディアさんたち・・・(;´д`)
自分の黒歴史見せつけられてる感と、最近とみに感じる自由主義者の不寛容(自分の価値観にそぐわないものは全て敵、あるいは遅れている可哀想な者と見なす傾向)をダイレクトに感じてしまって、いたたまれない気分になっちゃって(∩///∩)

幼い頃からあちこち転々としてコスモポリタンとしてしか生きられない人がいるように、ずーっと同じ土地で育って○○人としてしか生きられない人もいる。ヨー○ッパ人になろうとしているド○ツ人は昔そのヨー○ッパをめちゃくちゃにしたナ○スを思いっきり罵り、新たな「欧州人」の増加も歓迎できるだろう。けれどドイ○人としてしか生きられないド○人は、フラ○ス人としてしか生きられないフ○ンス人はどうだろうか? Br exitが現実味を増しているのはイギ○ス人がヨー○ッパ人にはなれないこと、アイ○ランド・スコッ○ランド・イング○ンド・ウェー○ズあるいはU K、もしくはアング○サクソンとしてのアイデンティティしか持てないことを強く自覚しつつあるからなんじゃないのか?
かつて日/本人はアジアに、大陸に同化しようとして結局叶わなかった。だから今も私たちは私たちの視点でしか物事を見られない、決して中.国人や半島人と同じ歴史は語れない、そうなるには日/本人ではなくなる必要があるから。大陸に大陸の見方があるように、日.本には日/本の理由があった。もし自分たちがそれを忘れてしまったら、他に誰が覚えていて語ることができるのだろう? 自分たちが消えても良い、自分たちではない存在になっても良いと思えた時に初めてソレを捨てることができる、と個人的には考えているので、日.本人が日/本人である限り、悲しいことだけどアジア(いや世界?)の「歴史認識」が完全に折り合うことは不可能なのだろうと思っています。そして日.本人は過去から現代までの歴史を通して見ても、どうやっても日/本人以外のものにはなり得ない民族だ、とも。それこそ大陸とやり合って負けて、向こうの人が大挙して押しかけて一省化・通婚が進みまくらない限り。(歪んだ教育とA Vの浸透ぶり考えるとあり得なくはなさそうなところが怖いですね(^^;)
アメ○カにも、どうやっても「アメ○カの白人」としてしか生きられない人々がいるから憎悪犯罪が生まれ、トラ○プ旋風が起こる。プー○ンの人気も、最近の若い中/国人が党のシステムを支持している、というのも正直同じ理屈だと思う。全ての人の権利を、生き方を認めること、多様性の在り方の押し付けが彼らを生み出しているのだと個人的には行き過ぎたリベラリズムについて考えてしまう。本当の自由は「偏狭な価値観」「小さな世界」で生きてきた・生きていきたい人々の存在をも許容することなんじゃないのか? それが真の多様性で、そういう人たちの守りたい思想や空間を維持できる体制を整えるのもまた「自由主義」に求められることなんじゃないか、とか考えちゃうんですよねー。

確かに極端な意見に対して傷ついたり、途方にくれる人がいるのは不幸なことだけど、人間誰しもそういう気持ちを味わった経験が皆無な人なんかいるはずないと思うんだ。ありとあらゆる映画や歌や小説の中で「愛、愛」と叫ばれる度に「こんな人間でゴメンナサイ・・・orz」って感じてしまう私のような人間もいるし、ていうかぶっちゃけ友達相手でも妊娠報告受ける度に「ウヘァ(´Д`;)」となってそんな自分に自己嫌悪するし、でもだからって「この繊細な心情を察して尊重してよ!」と世間に向かって訴える気は欠片も起きない。むしろその時は傷ついたり凹んだとしても、結果的に自分の分からない感情・知らない世界・異なる視点を教えてくれて感謝している。生まれてきた子たちと接するのは本当に楽しくて可愛いと感じるし(*´∀`)
権利を守ることは大切、そのために主張していくべきことも当然ある。けれど意見や表現・思想はどんなに過激なものであったとしても統制・封殺されるべきでは決して無い。少なくともリベラルを名乗る限りそんな運動はすべきでないし、民主国家である限り法律で規制するなんてあってはならないことだと個人的には考えてます。昨年だったか?仏の風刺画に怒る意見を書いたけど、自由があれば反論や反発の表明もできて、対立する側同士で議論を行うことが可能なんですよ。それって一番素晴らしいことだと思いませんか? 長年争ってきた人類の歴史の中で最も平和的で友好的な問題の解決方法と憂さ晴らし!^^ だから私は、その議論が苦手な国民性だとわかってはいるけれど(笑)自分の国にそういう体制の国家であってほしいと願うし、できることなら世界中の全ての国(特に左派を自称する人たち)に本当のリベラリズムとはどういうものか、もう一度考えてみてほしいと思う。この辺だいぶ自分でも迷ってて混乱してる点だから難しいな、とは感じますが(-_-;) 決して偉そうに言える立場じゃないし。夜中のチラ裏だから言える呟き(笑)

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私、昔は学校の自主研究?みたいなもので夫.婦別.姓についてのアンケート意識調査やっちゃうくらいこだわっていた人間です。ちなみにその時左向きの親にも「そもそも民/法変えないといけなくなるから今後も日.本ではほぼ無理」と言われていたので、今回の判決は予想してた。そして今は「別に職場では旧姓のまま通している人もいるし、確かに子どものこと考えると一理あるシステムかな(´-`) というか確かに書類上は色々変更とかあってややこしいけど、裁判起こす手間考えたらそこまでこだわる話でもないかも」くらいには受け入れられる自分がいる・・・コレが大人の妥協というものなのか、とかトンガリが削られた状態なのか、とか虚しくなったりもするけど、ヨソ様のリアクション見てたら何だかムカッ腹立ってきちゃってね!(^ω^#)
この、昔あれだけこだわっていた自分がフゥ、と息を吐いてある程度納得してる時にですよ?「遅れてる」だの「女性の権利を冒涜」だの好き勝手言ってくれるじゃねーかオウオウ!という気分に(以下略)大体、たかが名字ですよ? 私は延々名前が連なる欧米(+一部中/国)方式は正直あまり好きじゃない。返って呼び方混乱して覚えにくいし表記もしづらい。向こうは名前被りも多いから必要な措置でもあるんだろうけど。あと子どもが片方の姓だけ継ぐ、とか下手すると兄弟で名字違ったりしちゃうのはやっぱり何か寂しくない?(´・ω・`) とそのシステムを採用している知人の在.日ご一家を見て思った。日/本人としてはちょっと混乱するというか・・・職場や社会的に好きな名字を名乗ることが認められていて、嫁いだら必ず家で旦那の帰りを待つことが強制されたり、どちらかの家の墓に入ることが義務化されていたり、という訳じゃないんだからさー。何かこの辺り誤解を与えかねない書き方じゃない?海外というか外国語メディアさんたち・・・(;´д`)
自分の黒歴史見せつけられてる感と、最近とみに感じる自由主義者の不寛容(自分の価値観にそぐわないものは全て敵、あるいは遅れている可哀想な者と見なす傾向)をダイレクトに感じてしまって、いたたまれない気分になっちゃって(∩///∩)

幼い頃からあちこち転々としてコスモポリタンとしてしか生きられない人がいるように、ずーっと同じ土地で育って○○人としてしか生きられない人もいる。ヨー○ッパ人になろうとしているド○ツ人は昔そのヨー○ッパをめちゃくちゃにしたナ○スを思いっきり罵り、新たな「欧州人」の増加も歓迎できるだろう。けれどドイ○人としてしか生きられないド○人は、フラ○ス人としてしか生きられないフ○ンス人はどうだろうか? Br exitが現実味を増しているのはイギ○ス人がヨー○ッパ人にはなれないこと、アイ○ランド・スコッ○ランド・イング○ンド・ウェー○ズあるいはU K、もしくはアング○サクソンとしてのアイデンティティしか持てないことを強く自覚しつつあるからなんじゃないのか?
かつて日/本人はアジアに、大陸に同化しようとして結局叶わなかった。だから今も私たちは私たちの視点でしか物事を見られない、決して中.国人や半島人と同じ歴史は語れない、そうなるには日/本人ではなくなる必要があるから。大陸に大陸の見方があるように、日.本には日/本の理由があった。もし自分たちがそれを忘れてしまったら、他に誰が覚えていて語ることができるのだろう? 自分たちが消えても良い、自分たちではない存在になっても良いと思えた時に初めてソレを捨てることができる、と個人的には考えているので、日.本人が日/本人である限り、悲しいことだけどアジア(いや世界?)の「歴史認識」が完全に折り合うことは不可能なのだろうと思っています。そして日.本人は過去から現代までの歴史を通して見ても、どうやっても日/本人以外のものにはなり得ない民族だ、とも。それこそ大陸とやり合って負けて、向こうの人が大挙して押しかけて一省化・通婚が進みまくらない限り。(歪んだ教育とA Vの浸透ぶり考えるとあり得なくはなさそうなところが怖いですね(^^;)
アメ○カにも、どうやっても「アメ○カの白人」としてしか生きられない人々がいるから憎悪犯罪が生まれ、トラ○プ旋風が起こる。プー○ンの人気も、最近の若い中/国人が党のシステムを支持している、というのも正直同じ理屈だと思う。全ての人の権利を、生き方を認めること、多様性の在り方の押し付けが彼らを生み出しているのだと個人的には行き過ぎたリベラリズムについて考えてしまう。本当の自由は「偏狭な価値観」「小さな世界」で生きてきた・生きていきたい人々の存在をも許容することなんじゃないのか? それが真の多様性で、そういう人たちの守りたい思想や空間を維持できる体制を整えるのもまた「自由主義」に求められることなんじゃないか、とか考えちゃうんですよねー。

確かに極端な意見に対して傷ついたり、途方にくれる人がいるのは不幸なことだけど、人間誰しもそういう気持ちを味わった経験が皆無な人なんかいるはずないと思うんだ。ありとあらゆる映画や歌や小説の中で「愛、愛」と叫ばれる度に「こんな人間でゴメンナサイ・・・orz」って感じてしまう私のような人間もいるし、ていうかぶっちゃけ友達相手でも妊娠報告受ける度に「ウヘァ(´Д`;)」となってそんな自分に自己嫌悪するし、でもだからって「この繊細な心情を察して尊重してよ!」と世間に向かって訴える気は欠片も起きない。むしろその時は傷ついたり凹んだとしても、結果的に自分の分からない感情・知らない世界・異なる視点を教えてくれて感謝している。生まれてきた子たちと接するのは本当に楽しくて可愛いと感じるし(*´∀`)
権利を守ることは大切、そのために主張していくべきことも当然ある。けれど意見や表現・思想はどんなに過激なものであったとしても統制・封殺されるべきでは決して無い。少なくともリベラルを名乗る限りそんな運動はすべきでないし、民主国家である限り法律で規制するなんてあってはならないことだと個人的には考えてます。昨年だったか?仏の風刺画に怒る意見を書いたけど、自由があれば反論や反発の表明もできて、対立する側同士で議論を行うことが可能なんですよ。それって一番素晴らしいことだと思いませんか? 長年争ってきた人類の歴史の中で最も平和的で友好的な問題の解決方法と憂さ晴らし!^^ だから私は、その議論が苦手な国民性だとわかってはいるけれど(笑)自分の国にそういう体制の国家であってほしいと願うし、できることなら世界中の全ての国(特に左派を自称する人たち)に本当のリベラリズムとはどういうものか、もう一度考えてみてほしいと思う。この辺だいぶ自分でも迷ってて混乱してる点だから難しいな、とは感じますが(-_-;) 決して偉そうに言える立場じゃないし。夜中のチラ裏だから言える呟き(笑)

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