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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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病んでる人の話を立て続けに聞いててさー(まぁ自分もなんだけど)。子育てしてる人も身近にいて色々大変なの見てきて、みんな親に期待し過ぎじゃない?って思った。親はたまたま産んでくれた人、というだけで自分とは違う人間だよね。そりゃ幼い頃は1番身近で存在や愛情を欲する相手ではあるけど、産んだからって誰もが庇護者としての役割を果たせるようになるわけじゃない。複数子供がいれば愛情は偏るかもしれないし、どうしても子供以外に大切な存在を優先してしまう人だっているだろ。世間的に見て産んどきながら無責任、とか毒親と批判されても、どうやっても理想通りには行かないですよ、人間なんだから。
私は昔から母に祖母(つまり母の親)に似ていて可愛くない、と言われており、親子だから100%上手くいくとか無いし、割と早い段階から母は初めから母という生き物ではなく別個の人間、と認識していた。母はそういうのも自分を親として認めていない、と言われているようで嫌だったみたいだけど。(どうすりゃ良かったんだ?) 家族は生活と経済面で一体化し、依存し合う共同体のような。心理面や思い出の共有という意味ではきょうだいより幼なじみの方が近しいし。母のきょうだいは双子の片割れを生まれてすぐ亡くしており、その負い目?もあってか祖母がそちらにばかり愛情を注いでいた、と彼女は感じていたらしいんですね。でも祖母が亡くなって20年くらい経ち、幼い日の思い出話聞くと十分に手間暇はかけられてきたじゃん、と思うことがしばしばあるので、そろそろ克服できてきたんじゃないかと。親子ってそれくらい近すぎて難しい関係なんだと思う。甘えるのが当たり前、親なんだからしてくれるはず、受け入れてくれるっつーのはどこぞのファンタジー、理想の幻に過ぎない。私の病みについて母は一生理解できないと思うし、というか別に誰にもわかってもらおうと思ってない。自分は一人しかいないから。つらい時に「タヒね」だの罵倒されるのはキツイけどまぁそれくらい言いたくなる、たぶん自分のせいとか責められてるように感じるんだろうな、というのも今は想像がつくし。子供が理解できない、どうすれば良くなってくれるのか、と悩みを抱えてる同世代も出てきたし、永遠の課題なんでしょうね。上手くいかなければ離れて適切な距離を見つければ良いのに。世界は親だけじゃないし子供だけでもない。大人になったら、もうそこに囚われるのは止めて医者だの施設だのどっかの団体でも何でも頼るなり、仕事使うなりで一回距離置けば良いじゃん。何で手遅れになってから愚痴り続けるの…離れれば良いのにそれについて考え続けて関係ないとこでまで病みトークするの? 私は絶対やらんぞ。話しても良いと思える相手と場所と時間が揃わなければ。根深いからな、子供欲しい願望叶わん→Aセクだから→トラウマ起点、気持ち悪っ!
正直、ラインやSNSとかのすぐ反応来る短文中心のもので家族由来のトラウマや愚痴は書くべきじゃないと思います。こういう長い文章書ける場所、誰も見てないチラ裏、あるいは同じ苦しみ持ってる人のコミュニティやそういう人達に向けてオープンに始めるサイトやブログなんかだと良いんじゃないの?と言いたいけど言えないんだよな…メンヘラ難しい(自分も)

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