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とあるツイで気になるコメントがあったのでメモ。
「若い世代の脚本家は地上波洋画放送が終わった時代に育ったので洋画を見ていない」だと・・・!?それ故「外」の世界を知らなすぎて視野が狭い、みたいな。いやいやいやいやソレ言うたら、何で地上波で入らなくなったか、って言ったら衛星放送が始まっちゃったからですよー!今やCSだってあるのよ!?一日中洋画見放題だよ!?20年前レオ様にハマってたお子様としてはどんだけ夢のような時代か!気に入ってどうしても繰り返し見たいが、TV放送は延ばせるだけ出し惜しみが当たり前だったじゃないですか。(タイ○ニックなんかヒットし過ぎてロングラン上映でしたから、映画館での上映が終わってから一年以上は入らないこと確定→そう何回も映画代払えない○学生の小遣いorz)なので親に土下座してお小遣いを貯め、サントラ(ビデオ代は初めキツイもんやっぱり)→ビデオ(タイ○ニックとロ○ジュリだけ。『太陽と月に~』とかは主題が主題だけにWOW○W放送時こっそり観ました(^^;)と必死だったんすよ、当時の洋画(つーか私の場合は主にレオ様だけど。笑)ファンって。もちろんタイ○ニックでアイドル化してしまった彼にその後回ってきた役や作品が全て当たりだったわけじゃないし、彼自身も世間のイメージ通り行けば良いのか、本当にやりたい方向を選べば良いのか悩んでる感アリアリでファンとしても戸惑ったり、中高生にとっては日本の映画代って割引使っても決して安くはないので、付き合わせてしまった友達と微妙な雰囲気になってしまったこともある。それでも、映画館に通い続けてきた30前の自分の青春時代(笑)を振り返ると、「えー、何なに上の世代にはそんなこと言われちゃってんの!?(´Д`)」と衝撃というか何というか。
それにちょっと下の世代はハ○ウッドにこそ興味持つ機会は減ったかもしれないけど、例え結果として現在マイナスに振れてしまったとしても、韓.流がもたらしたものは大きかったと思います。日/本が初めてアジアに目を向け、身近な国について考えたり触れ合うきっかけになったんだもん。私たちの世代では韓/国って手軽に安く行ける買い物先、ってイメージしか正直なかった。それが、おいしい料理を知り、クサい演出がウケるんだー、ってお隣なのに随分感性に違いがあることを学んだり(笑)、まぁ嫌な面も知ることになってはしまったけど、正直アメ○カ一辺倒の時代よりは裾野が広がったんじゃないかと考えます。
あと最近のハリ○ッドを見て感じることは、ハ○ウッド自体がヨー○ッパや日.本にドンドン寄ってきているんじゃないか、ということ。作品の流れや結末見ても、ハッキリしたハッピーエンドや勧善懲悪の世界ではなく、迷い苦しむ主人公とトゥルーエンドな結末、というパターンが増えてきている気がする。ヒーロー物もそう。登場人物のセクシュアリティや人種が少しずつ今までのテンプレから変わって来ていたり、日/本のアニメみたいに一度敵に負けたところからの敗北を乗り越えて、とか自分の能力に葛藤する様子なんかも描かれるようになってますよね。
それに例えテレビで海外の暮らしや文化に接する機会が減ったとしても、動画サイトで日.本人と交流しているweabooな子たちがいたり、海外・日/本どっちにもファンがいて、まさに架け橋的な役割を果たしてくれている日.本在住のJ-Blogerさんたちの存在や、言語交換学習サイトに多国籍掲示板、SNS、まさにメディアという媒体・第三者を通さない「窓」は今の方が沢山開いていると思うんです。だから逆にテレビがそれの真似をして、「外国人目線の日/本」系の番組(別名ホルホル番組^^)を作るのが流行っちゃっているのでは? 留学しないのだってコト足りているからですよ、スカイプと長期休みがあれば(笑)こういう「自分の経験としか比べずに判断する」っていうの私もよくやっちゃうから気をつけたいなー、と思いました。
でも、ちょっと昔のいかにもアメリカ~ンなギャッツビーとかエデ○の東みたいな、あるいはミリタリーものの「うちは絶対的正義だぜ!」っていう迫力とか、古いとこまで遡れば駅馬車的なノリがハ○ウッドから薄れつつあるのは正直ちょっと寂しい気もする(´・ω・`) なんだろう、フラ○トとかアメリ○ン・スナイパー見た時の寂しさや虚しさ・・・?良い作品だったな、とは思う、思うんだけど「君は本当にアメリカ製なのかい?」みたいな(^^;イース○ウッドのミリ物にはまだその香りが残っている気がするんだけど、パ○フィック・リムのスッキリしない(様々な)キャラ同士の関係性とかさー。あ、All y○u need is killも面白かったんだけど、こうもっとハリウッドってキャラクターの関係とっととハッキリ突っ走ってたはずでしょ!? 良いんだよ、元ネタがウチだろうと気にせずブッチュウかましたって!o(゜Д゜)oとギミックとか金かかったCGの動きとかアクションはさすがだなぁ、と感心しつつも叫びたくなったりするわけですよ。だって昔の米映画って、「え、ワンシーン切り替わったらもうイチャイチャしてるんだけど、いつ何故どのタイミングがきっかけだったっけ?(ノ∀`)」って感じで目まぐるしく展開してったじゃないですか、人間関係(主に恋愛面。笑)の構築っぷりというか・・・くっついて別れて、さっき恋人死んだばっかだっていうのに白人って随分アッサリしてんなー、とよく思っていた記憶が(笑)あ、最近は多クールに渡るアメリカンドラマでそれを感じるかなぁ。毎シーズン関係性が入れ替わってキャラも増えて覚えきれない感じ(^ω^)
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「若い世代の脚本家は地上波洋画放送が終わった時代に育ったので洋画を見ていない」だと・・・!?それ故「外」の世界を知らなすぎて視野が狭い、みたいな。いやいやいやいやソレ言うたら、何で地上波で入らなくなったか、って言ったら衛星放送が始まっちゃったからですよー!今やCSだってあるのよ!?一日中洋画見放題だよ!?20年前レオ様にハマってたお子様としてはどんだけ夢のような時代か!気に入ってどうしても繰り返し見たいが、TV放送は延ばせるだけ出し惜しみが当たり前だったじゃないですか。(タイ○ニックなんかヒットし過ぎてロングラン上映でしたから、映画館での上映が終わってから一年以上は入らないこと確定→そう何回も映画代払えない○学生の小遣いorz)なので親に土下座してお小遣いを貯め、サントラ(ビデオ代は初めキツイもんやっぱり)→ビデオ(タイ○ニックとロ○ジュリだけ。『太陽と月に~』とかは主題が主題だけにWOW○W放送時こっそり観ました(^^;)と必死だったんすよ、当時の洋画(つーか私の場合は主にレオ様だけど。笑)ファンって。もちろんタイ○ニックでアイドル化してしまった彼にその後回ってきた役や作品が全て当たりだったわけじゃないし、彼自身も世間のイメージ通り行けば良いのか、本当にやりたい方向を選べば良いのか悩んでる感アリアリでファンとしても戸惑ったり、中高生にとっては日本の映画代って割引使っても決して安くはないので、付き合わせてしまった友達と微妙な雰囲気になってしまったこともある。それでも、映画館に通い続けてきた30前の自分の青春時代(笑)を振り返ると、「えー、何なに上の世代にはそんなこと言われちゃってんの!?(´Д`)」と衝撃というか何というか。
それにちょっと下の世代はハ○ウッドにこそ興味持つ機会は減ったかもしれないけど、例え結果として現在マイナスに振れてしまったとしても、韓.流がもたらしたものは大きかったと思います。日/本が初めてアジアに目を向け、身近な国について考えたり触れ合うきっかけになったんだもん。私たちの世代では韓/国って手軽に安く行ける買い物先、ってイメージしか正直なかった。それが、おいしい料理を知り、クサい演出がウケるんだー、ってお隣なのに随分感性に違いがあることを学んだり(笑)、まぁ嫌な面も知ることになってはしまったけど、正直アメ○カ一辺倒の時代よりは裾野が広がったんじゃないかと考えます。
あと最近のハリ○ッドを見て感じることは、ハ○ウッド自体がヨー○ッパや日.本にドンドン寄ってきているんじゃないか、ということ。作品の流れや結末見ても、ハッキリしたハッピーエンドや勧善懲悪の世界ではなく、迷い苦しむ主人公とトゥルーエンドな結末、というパターンが増えてきている気がする。ヒーロー物もそう。登場人物のセクシュアリティや人種が少しずつ今までのテンプレから変わって来ていたり、日/本のアニメみたいに一度敵に負けたところからの敗北を乗り越えて、とか自分の能力に葛藤する様子なんかも描かれるようになってますよね。
それに例えテレビで海外の暮らしや文化に接する機会が減ったとしても、動画サイトで日.本人と交流しているweabooな子たちがいたり、海外・日/本どっちにもファンがいて、まさに架け橋的な役割を果たしてくれている日.本在住のJ-Blogerさんたちの存在や、言語交換学習サイトに多国籍掲示板、SNS、まさにメディアという媒体・第三者を通さない「窓」は今の方が沢山開いていると思うんです。だから逆にテレビがそれの真似をして、「外国人目線の日/本」系の番組(別名ホルホル番組^^)を作るのが流行っちゃっているのでは? 留学しないのだってコト足りているからですよ、スカイプと長期休みがあれば(笑)こういう「自分の経験としか比べずに判断する」っていうの私もよくやっちゃうから気をつけたいなー、と思いました。
でも、ちょっと昔のいかにもアメリカ~ンなギャッツビーとかエデ○の東みたいな、あるいはミリタリーものの「うちは絶対的正義だぜ!」っていう迫力とか、古いとこまで遡れば駅馬車的なノリがハ○ウッドから薄れつつあるのは正直ちょっと寂しい気もする(´・ω・`) なんだろう、フラ○トとかアメリ○ン・スナイパー見た時の寂しさや虚しさ・・・?良い作品だったな、とは思う、思うんだけど「君は本当にアメリカ製なのかい?」みたいな(^^;イース○ウッドのミリ物にはまだその香りが残っている気がするんだけど、パ○フィック・リムのスッキリしない(様々な)キャラ同士の関係性とかさー。あ、All y○u need is killも面白かったんだけど、こうもっとハリウッドってキャラクターの関係とっととハッキリ突っ走ってたはずでしょ!? 良いんだよ、元ネタがウチだろうと気にせずブッチュウかましたって!o(゜Д゜)oとギミックとか金かかったCGの動きとかアクションはさすがだなぁ、と感心しつつも叫びたくなったりするわけですよ。だって昔の米映画って、「え、ワンシーン切り替わったらもうイチャイチャしてるんだけど、いつ何故どのタイミングがきっかけだったっけ?(ノ∀`)」って感じで目まぐるしく展開してったじゃないですか、人間関係(主に恋愛面。笑)の構築っぷりというか・・・くっついて別れて、さっき恋人死んだばっかだっていうのに白人って随分アッサリしてんなー、とよく思っていた記憶が(笑)あ、最近は多クールに渡るアメリカンドラマでそれを感じるかなぁ。毎シーズン関係性が入れ替わってキャラも増えて覚えきれない感じ(^ω^)
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