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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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今日のリスト追加物件→『壁』母に公房さんハマった、と話したら「これしか出てこない」と言われた上にチェックしたあらすじがカオス過ぎて(以下略)彼の作品に関しては一つ読んだら次のポチる路線で行くわ、噛みしめたいもん・・・。あと『わたしを離さないで』(ドラマをチラッと見て気になったらしい母が最初と最後だけ読んで「イラッと来る!」と投げ捨てたため、噛み砕いて全体を解説すべく『日の名残り』より優先させることに(;´д`))の後ろに紹介されてた『青い眼がほしい』のストーリーが気になりすぎて追加。今回の「真っ白」なオスカーネタといい、人種の問題って日/本人にはどうしても理解しがたいところがあるじゃないですか、マイケル・Jのものすごい整形っぷりとかさ。

あとトラ○プさんの相変わらずの暴言ぶりにK和党の重鎮たちが遂にキレ出したとのことだが、彼マジで思い○り予算のことご存じないのかな・・・?(´-`) アメ○カとしては仮想敵国×2のすぐ傍にある、一定の人口と経済規模を備えたポチ同然の不沈空母()を手放すのはよっぽど切羽詰まらない限り損に他ならないだろうし、とりあえず同じ党内で声上げる勢力が出てきてくれたのはウチにとって良かった、と言えるのかな? ポチに拍車がかかりそうな現状を見てると、いずれ今の米ポジを狙う隣にとっては最大の邪魔にしかならない立ち位置で生き残るための道を真剣に選ばないといけないウチらが、一度思い知って自立をやっとこさ真面目に模索するというショック療法とどっちがコスト的にマシなのか、とか天秤にかけてしまったりもする(笑)

で、やっとこさ本題のタイトルの方に対し何故わりと信者気味なのかということについて。宮城県民として、例の震災後に帰化という選択をしてくれた彼に好感を覚えたからか? いや実はその前からなんですよね、だって『源氏物語』から日.本オタになったオペラ好きが悪い人なわけねーだろ!(゜ロ゜)カッ! という理屈で・・・。だってオペラなんて、ぶっちゃけ初演から今に至るまで上演され続けてるような有名どこは大概が不条理満載の悲劇ばっかりやで? バレエの方がまだマシだっつの。源氏だって生まれと容姿に恵まれただけのマザコンロリコン浮気性のクズ野郎が散々悲劇のヒーロー気取りでさまよった挙句、最後の最後に上げるだけ上げて奈落に突き落とされるだけの話。サムライやニンジャという分かりやすく格好良いアイテムから日/本にハマる外国の方は一定数いても、「世界最古の長編小説」の世界観を受け入れられる人は中々いないだろう。それなのに彼は、何とソコからウチの文化に目覚めちゃったんですよ。そしてその後学んだロ○ア語の世界・文化にはそれほど夢中になれなかった、と(ノ∀`)
オペラと源氏の世界を同時に愛せるのは、キーン先生がとりもなおさず人間の弱さと醜さをありのままに受け入れ、愛することのできる性質をお持ちだからだと思うんです。そしてそういう人間の不完全さ、もうするまい、と誓ってなお繰り返してしまう失敗や哀しみや憤り、世の無常にこそ親しみを抱き、長く読み繋ぎ語り継いできた私たちの精神に、日.本からはるか離れた縁遠い国で生まれ育ちながら共感し、その糸口に触れてくれた人なのだと感じるから、彼の言葉や語る経験には興味を引かれざるを得ない。名だたる文豪たちも横暴なG. Iの姿ばかりを目の当たりにしてきた戦後に、そんな風に心底この国に関心を抱き、理解しようと努め、またその価値観や文化自体を外の世界へ広げようとしてくれている青年の熱意に打たれて交流を持ったんじゃないのかな?
敗戦後の、何もかもが粉々に叩き壊されアメ○カ的価値観を注入されようとしていた行き場の分からない日/本にあって、それを受け入れられない、あるいは以前の自分たちの何もかもが間違っていたとしたなら一体何をどこまで残すことが許されるのか、どの道を選ぶのが正解なのか、特に元々反戦派が多かったであろう(だって戦時中は好きに妄想にふけることもできないんだもん)知識層の迷いはこの上なく深かったと思う。戦争を支持していたとしても不支持だったとしても、日.本という国や文化への愛着は、例え皮肉交じりの作品に仕立てあげるタイプの作家であっても確かに根付いていたことは、近現代純文作家の作品を読めばそこここに見受けられるから。なので、そんな混沌とした複雑な心情が渦巻く中にあって、他ならぬ彼らを作り替え、支配しようとしている国の人間で必死に日/本を、自分たちの文化を評価し残すべきだ、と訴えてくれる存在がいたということだけで彼らにとってはどれほどの励みに、救いになったことだろう、と。能を学び、あちこちの作家を訪ね、向こうでは翻訳に精を出し・・・ホントうちらがうちら自身を見失わずに済んだ恩人の一人と言っても過言ではないんじゃね?とフィ○ピンの現状とか見てると思うわ(-_-;)←関わりある方、すみません。

以下、関連するかもしれない愚痴(※自国の思想や外国への辛口含みますm(__)m)

・・・母が最近クロスワード系にハマってるんですけど、「大御心」という言葉が出てきただけで「さっきもおおきみ(大君だったのか大王だったのか知らないが、前者は高貴な人物の長女という意味もあったり、外交文書では将軍を示すものだったり、後者は普通にアレクサンダー大王的な使われ方も世界的にしている語ですが?)って言葉も出てきたし、この雑誌なんか右.翼っぽい><」とか顔しかめるんですね。そりゃそういう世代なの分かってますよ、昨日読んだ『砂の女』に描かれた教師たちの例を考えただけでも、まさにウチの親の世代がどんな教育を受けてきたかは想像に難くない。(国歌を「民が代」と歌えと教えられたそうな。笑)
でもぶっちゃけ古代~中世の日/本史オタでそっちの専攻に在籍していた身としては、その程度の言葉でそんな反応されてしまうとプチッと切れたくもなってしまうわけで(^ω^#) アンタ日.本人として生まれときながら自分が生まれ育った国で使われてきた語彙を否定するのか? 左右関係なく自国の歴史を知る上で外せない用語なんだが、ソレを右/翼っぽいだって? ポリティカル・コレクトネスの行き過ぎた欧米じゃないんだからさー、歴史の隠蔽だの言葉狩りだの馬鹿げたことは止めようよ。マジで『1984』の世界じゃないですか? 下手すると敬語全般禁止になるんじゃねーの、階級制の名残りとか言って(笑)タ.イなんか未だに王族・僧侶・一般人と敬語の使い分けが残ってる。それだってその土地・地域・民族そして国の立派な言語で文化で歴史の一部。消してはいけないもののはず。いくら「間違っている」として断罪されたものであっても、焚書や易姓革命のように以前のものを根絶やしにするような真似は人間として絶対にしてはいけないことだと思う。消されかかったものへの愛着を持つ人々の反動が、ト○ンプやボ○ス・ジョ○ソンへの支持、あるいはプー○ン信者のようなかたちで表れてしまうから。
見えない声は、意志は静かにしていても確かに存在して力を持つんですよ。排外主義や差別の強固な否定という「正しさ」によって実際の過去や歴史を次々「上書き/消去」していく社会になってしまったら、それをよすがに生きてきた人々はどこへ向かえば良い? 自分たちの負の歴史を受け止めるって、そういう人々の存在や、その上に成り立ってきた自分たちの恵まれた生活・富・安定の意味を噛みしめていくことじゃないのか? 忘れるのでもなじって消し去るのでもなく、ただ淡々とありのままに受け止める。その時代に生きて、今この瞬間そういう思想や行動に加担していないのなら、歪めたヴィジョン(だって当時と同じ物差しなんか現代人に持てるわけないんだから、どうやったってそうなる)を通して卑屈になるのでも正当化するのでもなく、ただ事実を知る。そしてその重みについて考える。それだけで十分なんじゃない? ホント、今でも戦争し続けながら、搾取し続けながら一方では人権だの何だの振りかざして無茶苦茶な方向に二極化していく「先進諸国」とやらは、リアル精神病者から見てもみんな残らず狂っているとしか思えない^^

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・・・母が最近クロスワード系にハマってるんですけど、「大御心」という言葉が出てきただけで「さっきもおおきみ(大君だったのか大王だったのか知らないが、前者は高貴な人物の長女という意味もあったり、外交文書では将軍を示すものだったり、後者は普通にアレクサンダー大王的な使われ方も世界的にしている語ですが?)って言葉も出てきたし、この雑誌なんか右.翼っぽい><」とか顔しかめるんですね。そりゃそういう世代なの分かってますよ、昨日読んだ『砂の女』に描かれた教師たちの例を考えただけでも、まさにウチの親の世代がどんな教育を受けてきたかは想像に難くない。(国歌を「民が代」と歌えと教えられたそうな。笑)
でもぶっちゃけ古代~中世の日/本史オタでそっちの専攻に在籍していた身としては、その程度の言葉でそんな反応されてしまうとプチッと切れたくもなってしまうわけで(^ω^#) アンタ日.本人として生まれときながら自分が生まれ育った国で使われてきた語彙を否定するのか? 左右関係なく自国の歴史を知る上で外せない用語なんだが、ソレを右/翼っぽいだって? ポリティカル・コレクトネスの行き過ぎた欧米じゃないんだからさー、歴史の隠蔽だの言葉狩りだの馬鹿げたことは止めようよ。マジで『1984』の世界じゃないですか? 下手すると敬語全般禁止になるんじゃねーの、階級制の名残りとか言って(笑)タ.イなんか未だに王族・僧侶・一般人と敬語の使い分けが残ってる。それだってその土地・地域・民族そして国の立派な言語で文化で歴史の一部。消してはいけないもののはず。いくら「間違っている」として断罪されたものであっても、焚書や易姓革命のように以前のものを根絶やしにするような真似は人間として絶対にしてはいけないことだと思う。消されかかったものへの愛着を持つ人々の反動が、ト○ンプやボ○ス・ジョ○ソンへの支持、あるいはプー○ン信者のようなかたちで表れてしまうから。
見えない声は、意志は静かにしていても確かに存在して力を持つんですよ。排外主義や差別の強固な否定という「正しさ」によって実際の過去や歴史を次々「上書き/消去」していく社会になってしまったら、それをよすがに生きてきた人々はどこへ向かえば良い? 自分たちの負の歴史を受け止めるって、そういう人々の存在や、その上に成り立ってきた自分たちの恵まれた生活・富・安定の意味を噛みしめていくことじゃないのか? 忘れるのでもなじって消し去るのでもなく、ただ淡々とありのままに受け止める。その時代に生きて、今この瞬間そういう思想や行動に加担していないのなら、歪めたヴィジョン(だって当時と同じ物差しなんか現代人に持てるわけないんだから、どうやったってそうなる)を通して卑屈になるのでも正当化するのでもなく、ただ事実を知る。そしてその重みについて考える。それだけで十分なんじゃない? ホント、今でも戦争し続けながら、搾取し続けながら一方では人権だの何だの振りかざして無茶苦茶な方向に二極化していく「先進諸国」とやらは、リアル精神病者から見てもみんな残らず狂っているとしか思えない^^

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