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ちっくしょう、予想通りドツボにハマりやがった・・・!orz
えーえー早速『箱男』ポチりましたけど何かー?(゜Д゜) アイツにあんなこと言われなければもっと早く手ぇ出してたっつの悔しい!><(という責任転嫁。笑)解説がキーン先生とかもマジやばい、私が感想書くまでもなく線引いたセリフ残らず登場する上に的確かつ共感できる分析すぎて\(^O^)/ うおおコレ何て捉えれば良いの?何小説?ジャンルは? ホラーのようなサスペンスのような心理劇のような古典のような。何だこりゃ@今更。そしてもっといけないのは、最終的に男の気持ちも女の気持ちも双方理解できてしまうように感じるとこ・・・マーサー教の共感ボックスに接触したみたいに。当初男が教師という職業や妻との関係に感じていた鬱屈や、結果として虫や砂にのめり込むようになった心理についても納得するし(砂と時間と現実を重ね合わせ、生活というものの意義を定着と流動の関係性に見出していく、という)、その土地・生き方しか知らない女が砂に埋もれ行く家に執着し、そこでの生活にこそ全てを、彼女の仕合せも人生も何もかも見出している、という事実にも何故だか非常に同情めいた思いを抱いてしまう。
「砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。」と取りつかれたように砂丘をさまよっていた男が部落の罠にかけられ、逃げ出せぬ穴の中に落とし込まれたのだと気づいた時の絶望と憤りと驚愕の叫び。「ここはもう、砂に浸食されて、日常の約束事など通用しなくなった、特別の世界なのかもしれない」自分の静止が世界の動きも止めてしまったのだと、断ち切られ切り離された日常に拘泥し、女のことを「昨日も明日もない点のような心」の持ち主、部落の住民たちのことを「現代の一角にこれほどの野蛮が巣食っていようとは、夢にも思わなかった」と初め男は確かにそう捉えていた。
夜の方が生き生きと息づく部落の姿に、仮病作戦は失敗。男は余りポジティヴとはいえない教師生活のことを思い出す。「教師くらい妬みの虫に取りつかれた存在も珍しい……川の水のように彼らを乗りこえ、流れ去っていく生徒たちに対して、流れの底で深く埋もれた石のようにいつも取り残されていなければならない教師たち。希望は他人に語るものであっても、自分で夢見るものではなく、彼らは自分をぼろ屑のように感じ自虐趣味におちいるか、他人の無軌道を告発しつづける疑い深い有徳の士になりはてる。勝手な行動にあこがれるあまりに、勝手な行動を憎まずにいられなくなるのだ。」あっ、自分が基本的に教師嫌いな理由なんとなく解った気がします(´∀`)bグッ 言ってることと滲み出る本音が矛盾しまくってんだよねー。せめて生徒の前では隠せよ(笑)ってツッコんじゃう事例どんだけ目撃したことか。まぁ家教とかやって教えんのも大変なんやな、って学んだけど、彼ら志望して面倒な課程取りまくって試験受けて安定した公務員になったわけでしょ? 甘えんな(特に生徒に)、とブチのめしたくなっても(以下略)イヤ部活での過労死とかもあって本当若い先生は苦労なさってると思いますよ? でもな、そういう労働環境含め上の人間の意識というか教育界全体の雰囲気が変わらないといけない時期にいい加減さしかかってんじゃねーの?とトラウマそのいくつかを彼らに背負わされたと感じている人間としては思うわけですよ(´-`)=3
で、思い出から外の世界との繋がりを求め新聞を所望する男。「風景がなければ、せめて風景画でも見たいというのが、人情というものだろう。だから、風景画は自然の稀薄な地方で発達し(ん、パ/リのこと?)、新聞は、人間のつながりが薄くなった産業地帯で発達した(ロ○ドンですね分かります^^)」表に出たってすることがない、と言う女に思わず「歩けばいい!」と声を荒げる男。それに対して「歩きましたよ……本当に、さんざん……ここに来るまで……子供をかかえて、ながいこと……もうほとほと歩きくだびれてしまいました。」と応じる女に、初めて彼女の本心、ここでの生活に心からの安らぎを覚えているほど底知れぬ苦労の果てにたどり着いたのがこの家なのだ、という大事なポイントが見えた気がした。男はその答えに面喰い、なるほど確かに人類は「歩かないですむ自由」を求めて狂奔してきたが、今は果たして「歩かないですむ自由」に食傷した、と言えるのだろうか?と己自身に問いかける。「砂の限りない流動は、歩かないですむ自由にしがみついているネガ・フィルムの中の、裏返しになった自画像」という言葉が(((゜Д゜;)))思わず鳥肌立つっちゃうわ!
肝心の新聞を読みながら「欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実はうっかり手もふれられない、あぶなっかしいガラス細工になってしまう……だから誰もが、無意味を承知で、わが家にコンパスの中心をすえる」ってなんちゅう美しい真理の表現や。「……誰もがそんなことは百も承知でいながら、ただ自分を詐欺にかかった愚かものにしたくないばっかりに、灰色のキャンバスにせっせと幻の祭典のまねごとを塗りたくるのだ。……他人の太陽にたいする、いじらしいほどのあせりと妬み」ホントよくこの作者さん世間の現実そこまで見切っておきながら、若い時に絶望してとっとと自殺しなかったな。
同僚の組合員()教師との会話で「人生によりどころがあるという教育の仕方は、無いものをあるように思いこませる幻想教育」というのも心から同意だし(ソレで勘違いして突っ走って挫折した子、あるいはそのよりどころが見つけられない自分に絶望しちゃう子はどうすりゃ良いんだ?って話)、「けっきょく世界は砂みたいなものじゃないか……砂ってやつは、静止している状態じゃ、なかなかその本質はつかめない……砂が流動しているのではなく、実は流動そのものが砂なのだ」「自分自身が砂になる……砂の眼でもって物をみる……」この辺フラグ立ってますね(^ω^) 最終的に「生徒も砂のようなもの」と思っている時点で私の中では多分比較的波長の合う教師だったんだろうなー、と想像すると彼の“失踪”は非常に残念ですが(笑)
妻に対しては「情熱を失ったというよりは、むしろ情熱を理想化しすぎたあげくに、凍りつかせてしまった」という表現や性生活のくだりに、当時の夫婦観や家庭観、役割や周囲から求められるプレッシャーといったものを何となく感じられて二人が上手くいかなくなった理由も察せられるような。16章のラスト、主人公の心に響く声には作者の強烈な自己批判を含むのかな、と。「(教師として生徒に対し)自分が何者であるかに、目覚めさせてやるだけでも、立派な創造じゃありませんか?……おかげで、新しい苦痛を味わうための、新しい感覚を、むりやり身につけさせられる……希望だってあります!……その希望が本物かどうか、その先までは責任を持たずにね(オウオウそんなもん負ってなんかほしくないとも、ほっといてくれ!と一生徒の立場では毎度思ってましたけどね^^)……いずれ教師には、そんな悪徳なんぞ、許されちゃいないんだから……悪徳?作者のことですよ。作者になりたいっていうのは、要するに、人形使いになって、自分を人形どもから区別したいという、エゴイズムにすぎないんだ。・・・たしかに、作者と、書くこととは、ある程度区別すべきかもしれませんね……でしょう? だからこそ、ぼくは、作者になってみたかったんですよ。作者になれないのなら、べつに書く必要なんかありゃしないんだ!」
幾度も脱出を試みては失敗する主人公の「漂流者が飢えや渇きで倒れるのは、生理的な欠乏そのものよりも、むしろ欠乏にたいする恐怖のせいだという。負けたと思ったときから、敗北が始まるのだ。」という強い決意。現実にうんざりしながら部落の監視に対しても「仮に義務ってやつが人間のパスポートだとしても、なぜこんな連中からまで査証をうけなきゃならないんだ!……人生はそんな、ばらばらな紙切れなんかではないはずだ」って表現、上手いしヒシヒシ心情が伝わってくるなー(´;ω;`) 性欲についてのくだりで「そもそも飢えきった者にとっては、食物全般があるだけで、一応満腹することが保証されてから、はじめて個々の味覚も意味をもってくる。・・・純粋な性関係などというものは、おそらく死に向って牙をむきだす時にしか必要のないものだ」なるほどー、と思っちゃった(^^;
けど死の危険から逃れることのできた人間は季節的な発情からも自由になり、秩序というものがやって来て、自然のかわりに牙や爪や性の管理権を手に入れた結果、性関係も列車の回数券のような扱いになって、それが本物であるかどうかの確認がややこしく、性は証文のマントにすっぽり埋まってしまった、と。「男も女も相手が手を抜いているのではないかと暗い猜疑のとりこになり、潔白を示すために、むりして新しい証文を思いつく……どこに最後の一枚があるのか、誰にも分からない……証文は、けっきょく、無限にあるらしい」から。現代、っつーか戦後日.本人が草食系に陥ってしまっている理由が端的に表れている章ですね!(^∀^) 面倒くさすぎんの、ソコに辿り着くまでに捧げないといけない時間と金と労力。そして結婚というゴールに到り、互いによって吸い尽くされてしまう愛情。かつての獣の情欲、番をいたわる気持ちや生殖という本来の目的なんぞどこにも見えなくなってんだよ、最後には。
同僚に誘われて組合の集会に出た時の講演者のセリフがウケる(ノ∀`)「労働を越える道は、労働を通じて以外にはありません。労働自体に価値があるのではなく、労働によって労働を乗り越える……その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです。」戦後の教職員組合がガチでこんなソ/連配下としか思えない『1984』的思想を説く場と化していたとか、心から想像するだに怖ろしいな(((-_-;)))gkbr 右.翼様がギャーギャー騒ぐのも理解できる(笑)しかも主人公がソレを思い出したのが水を得るために約束させられた砂掘りをさほど苦じゃなくなってきた、と感じている時に「たしかに労働には、行先の当てなしにでも、なお逃げ去っていく時間を耐えさせる、人間のよりどころのようなものがあるようだ」と考えた末の話だなんて!
片道切符と往復切符の例えも切なくて上手い><「片道切符とは、昨日と今日が、今日と明日が、つながりをなくして、ばらばらになってしまった生活だ。そんな傷だらけの片道切符を鼻歌まじりにしたりできるのは、いずれがっちり往復切符をにぎった人間だけにきまっている。」そして二回目の逃亡実行に当たり「下を見るな、下を見てはいけない!・・・下に気を取られたときが、そのまま破滅のときなのだ。」ようやく上に出た主人公は初めてこの部落の美しさを目にする。「一体この美しさの正体は何なのだろう?……自然のもつ物理的な規律や正確さのためか、それとも逆に、あくまでも人間の理解を拒み続けようとするその無慈悲さのせいなのか? ・・・美しい風景が人間に寛容である必要など、どこにもありはしないのだ。けっきょく砂を定着の拒絶だと考えた、おれの出発点にさして狂いはなかったことになる。・・・状態がそのまま存在である世界……この美しさは、とりもなおさず、死の領土に属するものなのだ。巨大な破壊力や、廃墟の荘厳に通ずる、死の美しさなのだ。・・・切符はもともと片道だけのものと思い込んでいれば、砂にへばりついてやろうなどという無駄な試みもせずにすむ。」逃げ道を探しながら女がラジオと鏡を欲しがっていたことを思い出し、「なるほどラジオも鏡も、他人とのあいだを結ぶ通路という点では、似通った性格をもっている。あるいは人間存在の根本にかかわる欲望なのかもしれない。」という分析、何か胸に刺さるわー(´Д`;)
結局部落の人々に見つかって必死に逃げる主人公の心情「瞬間というものは、いますぐ捕まえなければ間に合わない……次の瞬間に便乗して後を追いかけるなどというわけにはいかないものだ!」ってコレもなぁ。私、何回その瞬間を逃して来たかわかんねーわ、ってな(´∀`)ハハッ で、最終的には沼にハマって身動き取れなくなった主人公が追跡者たちに「助けてくれえ!」と叫びながら「決まり文句で結構……死にぎわに個性なんぞが何んの役に立つ。型で抜いた駄菓子の生き方でいいから、とにかく生きたいんだ!」ここで完全に彼の人生のオチが決まってしまったように見えた。戻って来た男をいたわる女のみじめなやさしさに、互いに傷口を舐め合うのもいいが、永久になおらない傷を永久に舐めあっていたら、しまいに舌が磨滅してしまいはしないだろうか?と感じる男。「いずれ人生なんて納得ずくで行くものじゃないだろうが……あの生活やこの生活があって、向うの方がちょっぴりましに見えたりする……このまま暮していって、それで何うなるんだと思うのが一番たまらないんだな……どこの生活だろうと、そんなこと分りっこないに決まっているんだけどね……すこしでも気をまぎらせてくれるものの多い方が、なんとなくいいような気がしてしまうんだ……」と女に逃亡の理由を打ち明ける男の言葉に、既に折れている心の変化と奇妙な共感を同時に覚える。たぶん世の中に生きている大半の人間が、自身の人生に対して納得させようと言い聞かせている言葉、あるいはそこからの逃亡を図ろうとしている理由の全てを言い表したセリフなのかもしれない。
二度目の逃亡失敗後に新聞を欲さなくなった男「孤独とは幻を求めて満たされない渇きのこと」と悟りの境地に入って来る(ノ∀`) 「反復にささやかな充足を感じていたとしても、かならずしも自虐的とばかり言いきれず、そうした快癒のしかたがあってもべつに不思議はない」と。うーん、でもだいぶ諦めに近づいちゃってるなー、と思ったら不意に届いた漫画本に爆笑してその事実に男は気づく。「恥を知るがいい。現実との馴れ合いにも限りというものがある。それはあくまでも手段であって、目的などではなかったはずだ。」でもこの両者をたやすく入れ替えてしまう、区別がつかなくなってしまうのもまた人間の特性なんだよね(´-`) ウチの野党の野合っぷり、半島の最早ご本人が亡くなって“遺族”様とやら(そんだけ痛めつけられて普通に子供を持てたなんて、素晴らしく頑健なお身体をお持ちだったんですね。笑)に補償対象が移りつつある、70年以上前の件に関しての延々と終わらない賠償騒ぎ・・・。利用団体側にもフィクション製作陣にも誰も当時の真実を知る人はいないはずなのに、醜悪なイメージのみが一人歩きして海まで越えて行くあの狂気に、同じく当時を生きておらず彼らのことをただの“外国”の一つとしか意識できないウチらが付いていけなくなるのは当然だ、と誰か早く気づかせたって?
「百人に一人、という異常者の割合を積み重ねていけば、最終的には人間は百パーセント異常だということが統計的に証明できる」という脳内弁護人の声に「正常という規律がなけりゃ、異常だって成り立ちっこないじゃないか!」とやり返す主人公。「世間には色変りの毛虫を救う義務がないと同様、それを裁く権利もない」とこの辺のやりとり、最近自分について思い悩んできたことと被り過ぎて泣きそうになる(;_;) 主人公が考える砂掘りを日課とするよりもっとましな存在理由、「それを拒否したからこそわざわざこんな所にまでやってきて……」と言う弁護人に、あ、もうコイツ負けたな、と(笑)烏を捕まえるために仕掛けた罠を確認しに行き、獲物のなさに落胆しながら「忍耐そのものはべつに敗北ではないのだ……むしろ忍耐を敗北だと感じたときが真の敗北の始まりなのだろう。」初期に比べて随分言い訳じみてきてますもん。
部落の経済事情について女に問うた男が、塩っけのある砂をコンクリ屋に売ってるという怖ろしい話を聞き、ソレあかんやろ、とダメ出しした際に女が思いっきりぶちまける「かまいやしないじゃないですか、そんな他人のことなんか、どうだって!」キーン先生と同じく私もこのセリフに胸打たれた。女をとおしてむき出しになった部落の顔。「それまで部落は一方的に刑の執行者のはずだった。意志をもたない食肉植物であり、男はたまたまそれにひっかかった哀れな犠牲者にすぎなかったはずなのだ。しかし、部落の側から言わせれば、見捨てられているのはむしろ自分たちの方だということになるのだろう。」こんな風に行政から、秩序から放り出された小さな集落が戦後、いや近代化の流れの中でどれほどあったことだろう。イヤ5年前の件一つ取ったって、そう感じている地区や被災者がどれだけいるかしれない、と正直思う。あーダメだ、この辺ホント痛い・・・orz しかし「私たちなんかこれでずいぶんよくしてもらっている方なんですよ……本当に、不公平はありませんね」って女のセリフに漂う共.産主義の香りにガクブル(((>_<;))) ロ○アも厳しい土地だからあの方向に走ったのかなー?この女とのやりとりで「はっきり敵と味方に塗り分けられていたはずの作戦地図が、あいまいな中間色で判じ絵みたいなわけの分らないものにぼかされてしまった。」男の敗北の瞬間ですね。欲しい木の種類を問われて「逃げようとしても幹につながれて逃げられず、ひらひら身もだえている葉っぱの群」を思い浮かべているあたり。
けれど男は未だこの穴の底の状況に耐え切れず、心身に異常をきたし出す。「地上への嫉妬が内部に穴をあけ、彼をコンロの上の空鍋同様にしてしまったのかもしれない。空鍋の温度は急激に上昇する。やがてその熱に耐えられなくなり、自分で自分をほうりだしてしまわないとも限らないのだ。(青酸カリ持ってるからね(^^;)希望を云々するまえに、この瞬間をのりきれるかどうかが、まず問題だった。」で、新鮮な空気欲しさに公開エッ○しろ、と言われて嫌がる女に、彼女との意識の差異を初めて認識する男。「ここまで踏みつけにされた後で、いまさら体面などがなんの役に立つだろう?……見られることと、見ることとをそれほど区別して考える必要はない……多少のちがいはあるにしても、おれが消えるためのほんのちょっとした儀式だと考えればすむことだ……それに、代償として得られるもののことも考えてみてほしい……自由に歩きまわれる地上なのだ!……おれは、この腐った水面に顔を出して、たっぷり息がしたいのだ!」彼の最後の、地上への激しい憧れの発露ですね。結局女の強固な抵抗によって叶わず、彼女の中に融け込み、賽の瓦の小石も同然になっていく己を自覚して終わっちゃうけど(*_*;
烏捕獲用に仕掛けた「希望」の仕組みで砂から水を汲み出せるかもしれない、と気づき小躍りする主人公。「砂の変化は、同時に彼の変化でもあった。彼は、砂の中から、水といっしょにもう一人の自分をひろい出してきたのかもしれなかった。」あー、完全に現状を受け入れてしまったフラグやな(´Д`;) 女とずっと欲しがってきたラジオを手に入れ、彼女が妊娠しそれが失敗に終わり(イヤな言い方ですがm(__)m)、病院に運ばれていく女のために降ろされた縄梯子。そのままそこに残していかれたソレを使い、ようやくあれほど焦れた地上に出た彼は、以前「見てはいけない!」と必死に言い聞かせていたはずの下の様子をうかがう。そしてやっと完成しつつある溜水装置の故障に気づき、穴の中へと引き返す・・・そしてその装置のことを誰かに話したい、話すとなればここの部落のもの以上の聞き手はありえまい、と逃亡のことを一旦脇に置いてしまう(フリをする)。「いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。」何という哀しい自己欺瞞の言い訳、イヤこれこそが最終的に彼が辿り着いた人生の答え、真実の居場所なのだろうか。ラストに失踪届と死亡宣告が載っているというのが、また何とも出だしからの秀逸な収斂(-m-;)パチパチパチパチ もう全力で拍手するしかないっすわ。
むしろ何でこの人ノーベ○賞獲ってないの? 川端先生より国際的な普遍性を感じるし、O江氏よりよっぽど(以下略)キーン先生は最初に選考委員会から推薦の相談を受けた時「谷崎、川端、三島を推しました」とおっしゃっていて、谷崎氏はその直後に亡くなられてしまったので日/本人最初の受賞者が川端御大になり、三島は早々に割腹してしまった、と語られていましたが・・・何故、なぜ解説でベタ褒めしながら公房さんを推薦しなかったんや!?o(´Д`;)グッ せっかく日.本人に獲らせるならトコトン日/本にしかない、日.本的な世界観やテーマを描く作家を、って意図だったのかな?(キーン先生の考えか選考委員会のリクエストかは分からんけど)二人の後はちょっと他に回さな、という面や日/本語の翻訳者に限りがあることとかもあって色々厳しかったのかな? え、でもこんな各国語に翻訳されてる云々書いてあるのに!
ハルキなんかよりよっぽど評価されてほしいよ!狐狸庵先生も含めてな!>< あんなうっすいどこにでもあるまさに「安酒」(ご自身がナショナリズムについて語ってた言葉をお借りさせていただきますよ、ちゃんと記事全文読んだ上でソレを政治的利用しまくってる隣国の本質無視して何言ってんだこいつ、ウヘァとしか感じなかったもので^^)を更に水で薄めまくった、ホント清らかでも何でもない水に近い何ものか(笑)に日.本文学の代表面してほしくないもんでね。ニシケンさんや酒見氏や、いっそ宮部や東野の方がはーるーかーに人間を、ちゃんと生きてる人間の本質を描いてると思うよ、世界的に評価される素材やレベルではないにしろね。あぁ、昔の作家ってやっぱ凄かったな。ネットもテレビもなく、発表する場や手段も限られていただけに凝縮された妄想・積もり積もった心の澱を一気に吐き出さんとするかのような情熱と緻密さと執念を感じる。日/本語ネイティヴで良かった!って思える作品に久々に出会えた。大好き!
「砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。」と取りつかれたように砂丘をさまよっていた男が部落の罠にかけられ、逃げ出せぬ穴の中に落とし込まれたのだと気づいた時の絶望と憤りと驚愕の叫び。「ここはもう、砂に浸食されて、日常の約束事など通用しなくなった、特別の世界なのかもしれない」自分の静止が世界の動きも止めてしまったのだと、断ち切られ切り離された日常に拘泥し、女のことを「昨日も明日もない点のような心」の持ち主、部落の住民たちのことを「現代の一角にこれほどの野蛮が巣食っていようとは、夢にも思わなかった」と初め男は確かにそう捉えていた。
夜の方が生き生きと息づく部落の姿に、仮病作戦は失敗。男は余りポジティヴとはいえない教師生活のことを思い出す。「教師くらい妬みの虫に取りつかれた存在も珍しい……川の水のように彼らを乗りこえ、流れ去っていく生徒たちに対して、流れの底で深く埋もれた石のようにいつも取り残されていなければならない教師たち。希望は他人に語るものであっても、自分で夢見るものではなく、彼らは自分をぼろ屑のように感じ自虐趣味におちいるか、他人の無軌道を告発しつづける疑い深い有徳の士になりはてる。勝手な行動にあこがれるあまりに、勝手な行動を憎まずにいられなくなるのだ。」あっ、自分が基本的に教師嫌いな理由なんとなく解った気がします(´∀`)bグッ 言ってることと滲み出る本音が矛盾しまくってんだよねー。せめて生徒の前では隠せよ(笑)ってツッコんじゃう事例どんだけ目撃したことか。まぁ家教とかやって教えんのも大変なんやな、って学んだけど、彼ら志望して面倒な課程取りまくって試験受けて安定した公務員になったわけでしょ? 甘えんな(特に生徒に)、とブチのめしたくなっても(以下略)イヤ部活での過労死とかもあって本当若い先生は苦労なさってると思いますよ? でもな、そういう労働環境含め上の人間の意識というか教育界全体の雰囲気が変わらないといけない時期にいい加減さしかかってんじゃねーの?とトラウマそのいくつかを彼らに背負わされたと感じている人間としては思うわけですよ(´-`)=3
で、思い出から外の世界との繋がりを求め新聞を所望する男。「風景がなければ、せめて風景画でも見たいというのが、人情というものだろう。だから、風景画は自然の稀薄な地方で発達し(ん、パ/リのこと?)、新聞は、人間のつながりが薄くなった産業地帯で発達した(ロ○ドンですね分かります^^)」表に出たってすることがない、と言う女に思わず「歩けばいい!」と声を荒げる男。それに対して「歩きましたよ……本当に、さんざん……ここに来るまで……子供をかかえて、ながいこと……もうほとほと歩きくだびれてしまいました。」と応じる女に、初めて彼女の本心、ここでの生活に心からの安らぎを覚えているほど底知れぬ苦労の果てにたどり着いたのがこの家なのだ、という大事なポイントが見えた気がした。男はその答えに面喰い、なるほど確かに人類は「歩かないですむ自由」を求めて狂奔してきたが、今は果たして「歩かないですむ自由」に食傷した、と言えるのだろうか?と己自身に問いかける。「砂の限りない流動は、歩かないですむ自由にしがみついているネガ・フィルムの中の、裏返しになった自画像」という言葉が(((゜Д゜;)))思わず鳥肌立つっちゃうわ!
肝心の新聞を読みながら「欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実はうっかり手もふれられない、あぶなっかしいガラス細工になってしまう……だから誰もが、無意味を承知で、わが家にコンパスの中心をすえる」ってなんちゅう美しい真理の表現や。「……誰もがそんなことは百も承知でいながら、ただ自分を詐欺にかかった愚かものにしたくないばっかりに、灰色のキャンバスにせっせと幻の祭典のまねごとを塗りたくるのだ。……他人の太陽にたいする、いじらしいほどのあせりと妬み」ホントよくこの作者さん世間の現実そこまで見切っておきながら、若い時に絶望してとっとと自殺しなかったな。
同僚の組合員()教師との会話で「人生によりどころがあるという教育の仕方は、無いものをあるように思いこませる幻想教育」というのも心から同意だし(ソレで勘違いして突っ走って挫折した子、あるいはそのよりどころが見つけられない自分に絶望しちゃう子はどうすりゃ良いんだ?って話)、「けっきょく世界は砂みたいなものじゃないか……砂ってやつは、静止している状態じゃ、なかなかその本質はつかめない……砂が流動しているのではなく、実は流動そのものが砂なのだ」「自分自身が砂になる……砂の眼でもって物をみる……」この辺フラグ立ってますね(^ω^) 最終的に「生徒も砂のようなもの」と思っている時点で私の中では多分比較的波長の合う教師だったんだろうなー、と想像すると彼の“失踪”は非常に残念ですが(笑)
妻に対しては「情熱を失ったというよりは、むしろ情熱を理想化しすぎたあげくに、凍りつかせてしまった」という表現や性生活のくだりに、当時の夫婦観や家庭観、役割や周囲から求められるプレッシャーといったものを何となく感じられて二人が上手くいかなくなった理由も察せられるような。16章のラスト、主人公の心に響く声には作者の強烈な自己批判を含むのかな、と。「(教師として生徒に対し)自分が何者であるかに、目覚めさせてやるだけでも、立派な創造じゃありませんか?……おかげで、新しい苦痛を味わうための、新しい感覚を、むりやり身につけさせられる……希望だってあります!……その希望が本物かどうか、その先までは責任を持たずにね(オウオウそんなもん負ってなんかほしくないとも、ほっといてくれ!と一生徒の立場では毎度思ってましたけどね^^)……いずれ教師には、そんな悪徳なんぞ、許されちゃいないんだから……悪徳?作者のことですよ。作者になりたいっていうのは、要するに、人形使いになって、自分を人形どもから区別したいという、エゴイズムにすぎないんだ。・・・たしかに、作者と、書くこととは、ある程度区別すべきかもしれませんね……でしょう? だからこそ、ぼくは、作者になってみたかったんですよ。作者になれないのなら、べつに書く必要なんかありゃしないんだ!」
幾度も脱出を試みては失敗する主人公の「漂流者が飢えや渇きで倒れるのは、生理的な欠乏そのものよりも、むしろ欠乏にたいする恐怖のせいだという。負けたと思ったときから、敗北が始まるのだ。」という強い決意。現実にうんざりしながら部落の監視に対しても「仮に義務ってやつが人間のパスポートだとしても、なぜこんな連中からまで査証をうけなきゃならないんだ!……人生はそんな、ばらばらな紙切れなんかではないはずだ」って表現、上手いしヒシヒシ心情が伝わってくるなー(´;ω;`) 性欲についてのくだりで「そもそも飢えきった者にとっては、食物全般があるだけで、一応満腹することが保証されてから、はじめて個々の味覚も意味をもってくる。・・・純粋な性関係などというものは、おそらく死に向って牙をむきだす時にしか必要のないものだ」なるほどー、と思っちゃった(^^;
けど死の危険から逃れることのできた人間は季節的な発情からも自由になり、秩序というものがやって来て、自然のかわりに牙や爪や性の管理権を手に入れた結果、性関係も列車の回数券のような扱いになって、それが本物であるかどうかの確認がややこしく、性は証文のマントにすっぽり埋まってしまった、と。「男も女も相手が手を抜いているのではないかと暗い猜疑のとりこになり、潔白を示すために、むりして新しい証文を思いつく……どこに最後の一枚があるのか、誰にも分からない……証文は、けっきょく、無限にあるらしい」から。現代、っつーか戦後日.本人が草食系に陥ってしまっている理由が端的に表れている章ですね!(^∀^) 面倒くさすぎんの、ソコに辿り着くまでに捧げないといけない時間と金と労力。そして結婚というゴールに到り、互いによって吸い尽くされてしまう愛情。かつての獣の情欲、番をいたわる気持ちや生殖という本来の目的なんぞどこにも見えなくなってんだよ、最後には。
同僚に誘われて組合の集会に出た時の講演者のセリフがウケる(ノ∀`)「労働を越える道は、労働を通じて以外にはありません。労働自体に価値があるのではなく、労働によって労働を乗り越える……その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです。」戦後の教職員組合がガチでこんなソ/連配下としか思えない『1984』的思想を説く場と化していたとか、心から想像するだに怖ろしいな(((-_-;)))gkbr 右.翼様がギャーギャー騒ぐのも理解できる(笑)しかも主人公がソレを思い出したのが水を得るために約束させられた砂掘りをさほど苦じゃなくなってきた、と感じている時に「たしかに労働には、行先の当てなしにでも、なお逃げ去っていく時間を耐えさせる、人間のよりどころのようなものがあるようだ」と考えた末の話だなんて!
片道切符と往復切符の例えも切なくて上手い><「片道切符とは、昨日と今日が、今日と明日が、つながりをなくして、ばらばらになってしまった生活だ。そんな傷だらけの片道切符を鼻歌まじりにしたりできるのは、いずれがっちり往復切符をにぎった人間だけにきまっている。」そして二回目の逃亡実行に当たり「下を見るな、下を見てはいけない!・・・下に気を取られたときが、そのまま破滅のときなのだ。」ようやく上に出た主人公は初めてこの部落の美しさを目にする。「一体この美しさの正体は何なのだろう?……自然のもつ物理的な規律や正確さのためか、それとも逆に、あくまでも人間の理解を拒み続けようとするその無慈悲さのせいなのか? ・・・美しい風景が人間に寛容である必要など、どこにもありはしないのだ。けっきょく砂を定着の拒絶だと考えた、おれの出発点にさして狂いはなかったことになる。・・・状態がそのまま存在である世界……この美しさは、とりもなおさず、死の領土に属するものなのだ。巨大な破壊力や、廃墟の荘厳に通ずる、死の美しさなのだ。・・・切符はもともと片道だけのものと思い込んでいれば、砂にへばりついてやろうなどという無駄な試みもせずにすむ。」逃げ道を探しながら女がラジオと鏡を欲しがっていたことを思い出し、「なるほどラジオも鏡も、他人とのあいだを結ぶ通路という点では、似通った性格をもっている。あるいは人間存在の根本にかかわる欲望なのかもしれない。」という分析、何か胸に刺さるわー(´Д`;)
結局部落の人々に見つかって必死に逃げる主人公の心情「瞬間というものは、いますぐ捕まえなければ間に合わない……次の瞬間に便乗して後を追いかけるなどというわけにはいかないものだ!」ってコレもなぁ。私、何回その瞬間を逃して来たかわかんねーわ、ってな(´∀`)ハハッ で、最終的には沼にハマって身動き取れなくなった主人公が追跡者たちに「助けてくれえ!」と叫びながら「決まり文句で結構……死にぎわに個性なんぞが何んの役に立つ。型で抜いた駄菓子の生き方でいいから、とにかく生きたいんだ!」ここで完全に彼の人生のオチが決まってしまったように見えた。戻って来た男をいたわる女のみじめなやさしさに、互いに傷口を舐め合うのもいいが、永久になおらない傷を永久に舐めあっていたら、しまいに舌が磨滅してしまいはしないだろうか?と感じる男。「いずれ人生なんて納得ずくで行くものじゃないだろうが……あの生活やこの生活があって、向うの方がちょっぴりましに見えたりする……このまま暮していって、それで何うなるんだと思うのが一番たまらないんだな……どこの生活だろうと、そんなこと分りっこないに決まっているんだけどね……すこしでも気をまぎらせてくれるものの多い方が、なんとなくいいような気がしてしまうんだ……」と女に逃亡の理由を打ち明ける男の言葉に、既に折れている心の変化と奇妙な共感を同時に覚える。たぶん世の中に生きている大半の人間が、自身の人生に対して納得させようと言い聞かせている言葉、あるいはそこからの逃亡を図ろうとしている理由の全てを言い表したセリフなのかもしれない。
二度目の逃亡失敗後に新聞を欲さなくなった男「孤独とは幻を求めて満たされない渇きのこと」と悟りの境地に入って来る(ノ∀`) 「反復にささやかな充足を感じていたとしても、かならずしも自虐的とばかり言いきれず、そうした快癒のしかたがあってもべつに不思議はない」と。うーん、でもだいぶ諦めに近づいちゃってるなー、と思ったら不意に届いた漫画本に爆笑してその事実に男は気づく。「恥を知るがいい。現実との馴れ合いにも限りというものがある。それはあくまでも手段であって、目的などではなかったはずだ。」でもこの両者をたやすく入れ替えてしまう、区別がつかなくなってしまうのもまた人間の特性なんだよね(´-`) ウチの野党の野合っぷり、半島の最早ご本人が亡くなって“遺族”様とやら(そんだけ痛めつけられて普通に子供を持てたなんて、素晴らしく頑健なお身体をお持ちだったんですね。笑)に補償対象が移りつつある、70年以上前の件に関しての延々と終わらない賠償騒ぎ・・・。利用団体側にもフィクション製作陣にも誰も当時の真実を知る人はいないはずなのに、醜悪なイメージのみが一人歩きして海まで越えて行くあの狂気に、同じく当時を生きておらず彼らのことをただの“外国”の一つとしか意識できないウチらが付いていけなくなるのは当然だ、と誰か早く気づかせたって?
「百人に一人、という異常者の割合を積み重ねていけば、最終的には人間は百パーセント異常だということが統計的に証明できる」という脳内弁護人の声に「正常という規律がなけりゃ、異常だって成り立ちっこないじゃないか!」とやり返す主人公。「世間には色変りの毛虫を救う義務がないと同様、それを裁く権利もない」とこの辺のやりとり、最近自分について思い悩んできたことと被り過ぎて泣きそうになる(;_;) 主人公が考える砂掘りを日課とするよりもっとましな存在理由、「それを拒否したからこそわざわざこんな所にまでやってきて……」と言う弁護人に、あ、もうコイツ負けたな、と(笑)烏を捕まえるために仕掛けた罠を確認しに行き、獲物のなさに落胆しながら「忍耐そのものはべつに敗北ではないのだ……むしろ忍耐を敗北だと感じたときが真の敗北の始まりなのだろう。」初期に比べて随分言い訳じみてきてますもん。
部落の経済事情について女に問うた男が、塩っけのある砂をコンクリ屋に売ってるという怖ろしい話を聞き、ソレあかんやろ、とダメ出しした際に女が思いっきりぶちまける「かまいやしないじゃないですか、そんな他人のことなんか、どうだって!」キーン先生と同じく私もこのセリフに胸打たれた。女をとおしてむき出しになった部落の顔。「それまで部落は一方的に刑の執行者のはずだった。意志をもたない食肉植物であり、男はたまたまそれにひっかかった哀れな犠牲者にすぎなかったはずなのだ。しかし、部落の側から言わせれば、見捨てられているのはむしろ自分たちの方だということになるのだろう。」こんな風に行政から、秩序から放り出された小さな集落が戦後、いや近代化の流れの中でどれほどあったことだろう。イヤ5年前の件一つ取ったって、そう感じている地区や被災者がどれだけいるかしれない、と正直思う。あーダメだ、この辺ホント痛い・・・orz しかし「私たちなんかこれでずいぶんよくしてもらっている方なんですよ……本当に、不公平はありませんね」って女のセリフに漂う共.産主義の香りにガクブル(((>_<;))) ロ○アも厳しい土地だからあの方向に走ったのかなー?この女とのやりとりで「はっきり敵と味方に塗り分けられていたはずの作戦地図が、あいまいな中間色で判じ絵みたいなわけの分らないものにぼかされてしまった。」男の敗北の瞬間ですね。欲しい木の種類を問われて「逃げようとしても幹につながれて逃げられず、ひらひら身もだえている葉っぱの群」を思い浮かべているあたり。
けれど男は未だこの穴の底の状況に耐え切れず、心身に異常をきたし出す。「地上への嫉妬が内部に穴をあけ、彼をコンロの上の空鍋同様にしてしまったのかもしれない。空鍋の温度は急激に上昇する。やがてその熱に耐えられなくなり、自分で自分をほうりだしてしまわないとも限らないのだ。(青酸カリ持ってるからね(^^;)希望を云々するまえに、この瞬間をのりきれるかどうかが、まず問題だった。」で、新鮮な空気欲しさに公開エッ○しろ、と言われて嫌がる女に、彼女との意識の差異を初めて認識する男。「ここまで踏みつけにされた後で、いまさら体面などがなんの役に立つだろう?……見られることと、見ることとをそれほど区別して考える必要はない……多少のちがいはあるにしても、おれが消えるためのほんのちょっとした儀式だと考えればすむことだ……それに、代償として得られるもののことも考えてみてほしい……自由に歩きまわれる地上なのだ!……おれは、この腐った水面に顔を出して、たっぷり息がしたいのだ!」彼の最後の、地上への激しい憧れの発露ですね。結局女の強固な抵抗によって叶わず、彼女の中に融け込み、賽の瓦の小石も同然になっていく己を自覚して終わっちゃうけど(*_*;
烏捕獲用に仕掛けた「希望」の仕組みで砂から水を汲み出せるかもしれない、と気づき小躍りする主人公。「砂の変化は、同時に彼の変化でもあった。彼は、砂の中から、水といっしょにもう一人の自分をひろい出してきたのかもしれなかった。」あー、完全に現状を受け入れてしまったフラグやな(´Д`;) 女とずっと欲しがってきたラジオを手に入れ、彼女が妊娠しそれが失敗に終わり(イヤな言い方ですがm(__)m)、病院に運ばれていく女のために降ろされた縄梯子。そのままそこに残していかれたソレを使い、ようやくあれほど焦れた地上に出た彼は、以前「見てはいけない!」と必死に言い聞かせていたはずの下の様子をうかがう。そしてやっと完成しつつある溜水装置の故障に気づき、穴の中へと引き返す・・・そしてその装置のことを誰かに話したい、話すとなればここの部落のもの以上の聞き手はありえまい、と逃亡のことを一旦脇に置いてしまう(フリをする)。「いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。」何という哀しい自己欺瞞の言い訳、イヤこれこそが最終的に彼が辿り着いた人生の答え、真実の居場所なのだろうか。ラストに失踪届と死亡宣告が載っているというのが、また何とも出だしからの秀逸な収斂(-m-;)パチパチパチパチ もう全力で拍手するしかないっすわ。
むしろ何でこの人ノーベ○賞獲ってないの? 川端先生より国際的な普遍性を感じるし、O江氏よりよっぽど(以下略)キーン先生は最初に選考委員会から推薦の相談を受けた時「谷崎、川端、三島を推しました」とおっしゃっていて、谷崎氏はその直後に亡くなられてしまったので日/本人最初の受賞者が川端御大になり、三島は早々に割腹してしまった、と語られていましたが・・・何故、なぜ解説でベタ褒めしながら公房さんを推薦しなかったんや!?o(´Д`;)グッ せっかく日.本人に獲らせるならトコトン日/本にしかない、日.本的な世界観やテーマを描く作家を、って意図だったのかな?(キーン先生の考えか選考委員会のリクエストかは分からんけど)二人の後はちょっと他に回さな、という面や日/本語の翻訳者に限りがあることとかもあって色々厳しかったのかな? え、でもこんな各国語に翻訳されてる云々書いてあるのに!
ハルキなんかよりよっぽど評価されてほしいよ!狐狸庵先生も含めてな!>< あんなうっすいどこにでもあるまさに「安酒」(ご自身がナショナリズムについて語ってた言葉をお借りさせていただきますよ、ちゃんと記事全文読んだ上でソレを政治的利用しまくってる隣国の本質無視して何言ってんだこいつ、ウヘァとしか感じなかったもので^^)を更に水で薄めまくった、ホント清らかでも何でもない水に近い何ものか(笑)に日.本文学の代表面してほしくないもんでね。ニシケンさんや酒見氏や、いっそ宮部や東野の方がはーるーかーに人間を、ちゃんと生きてる人間の本質を描いてると思うよ、世界的に評価される素材やレベルではないにしろね。あぁ、昔の作家ってやっぱ凄かったな。ネットもテレビもなく、発表する場や手段も限られていただけに凝縮された妄想・積もり積もった心の澱を一気に吐き出さんとするかのような情熱と緻密さと執念を感じる。日/本語ネイティヴで良かった!って思える作品に久々に出会えた。大好き!
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「砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。」と取りつかれたように砂丘をさまよっていた男が部落の罠にかけられ、逃げ出せぬ穴の中に落とし込まれたのだと気づいた時の絶望と憤りと驚愕の叫び。「ここはもう、砂に浸食されて、日常の約束事など通用しなくなった、特別の世界なのかもしれない」自分の静止が世界の動きも止めてしまったのだと、断ち切られ切り離された日常に拘泥し、女のことを「昨日も明日もない点のような心」の持ち主、部落の住民たちのことを「現代の一角にこれほどの野蛮が巣食っていようとは、夢にも思わなかった」と初め男は確かにそう捉えていた。
夜の方が生き生きと息づく部落の姿に、仮病作戦は失敗。男は余りポジティヴとはいえない教師生活のことを思い出す。「教師くらい妬みの虫に取りつかれた存在も珍しい……川の水のように彼らを乗りこえ、流れ去っていく生徒たちに対して、流れの底で深く埋もれた石のようにいつも取り残されていなければならない教師たち。希望は他人に語るものであっても、自分で夢見るものではなく、彼らは自分をぼろ屑のように感じ自虐趣味におちいるか、他人の無軌道を告発しつづける疑い深い有徳の士になりはてる。勝手な行動にあこがれるあまりに、勝手な行動を憎まずにいられなくなるのだ。」あっ、自分が基本的に教師嫌いな理由なんとなく解った気がします(´∀`)bグッ 言ってることと滲み出る本音が矛盾しまくってんだよねー。せめて生徒の前では隠せよ(笑)ってツッコんじゃう事例どんだけ目撃したことか。まぁ家教とかやって教えんのも大変なんやな、って学んだけど、彼ら志望して面倒な課程取りまくって試験受けて安定した公務員になったわけでしょ? 甘えんな(特に生徒に)、とブチのめしたくなっても(以下略)イヤ部活での過労死とかもあって本当若い先生は苦労なさってると思いますよ? でもな、そういう労働環境含め上の人間の意識というか教育界全体の雰囲気が変わらないといけない時期にいい加減さしかかってんじゃねーの?とトラウマそのいくつかを彼らに背負わされたと感じている人間としては思うわけですよ(´-`)=3
で、思い出から外の世界との繋がりを求め新聞を所望する男。「風景がなければ、せめて風景画でも見たいというのが、人情というものだろう。だから、風景画は自然の稀薄な地方で発達し(ん、パ/リのこと?)、新聞は、人間のつながりが薄くなった産業地帯で発達した(ロ○ドンですね分かります^^)」表に出たってすることがない、と言う女に思わず「歩けばいい!」と声を荒げる男。それに対して「歩きましたよ……本当に、さんざん……ここに来るまで……子供をかかえて、ながいこと……もうほとほと歩きくだびれてしまいました。」と応じる女に、初めて彼女の本心、ここでの生活に心からの安らぎを覚えているほど底知れぬ苦労の果てにたどり着いたのがこの家なのだ、という大事なポイントが見えた気がした。男はその答えに面喰い、なるほど確かに人類は「歩かないですむ自由」を求めて狂奔してきたが、今は果たして「歩かないですむ自由」に食傷した、と言えるのだろうか?と己自身に問いかける。「砂の限りない流動は、歩かないですむ自由にしがみついているネガ・フィルムの中の、裏返しになった自画像」という言葉が(((゜Д゜;)))思わず鳥肌立つっちゃうわ!
肝心の新聞を読みながら「欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実はうっかり手もふれられない、あぶなっかしいガラス細工になってしまう……だから誰もが、無意味を承知で、わが家にコンパスの中心をすえる」ってなんちゅう美しい真理の表現や。「……誰もがそんなことは百も承知でいながら、ただ自分を詐欺にかかった愚かものにしたくないばっかりに、灰色のキャンバスにせっせと幻の祭典のまねごとを塗りたくるのだ。……他人の太陽にたいする、いじらしいほどのあせりと妬み」ホントよくこの作者さん世間の現実そこまで見切っておきながら、若い時に絶望してとっとと自殺しなかったな。
同僚の組合員()教師との会話で「人生によりどころがあるという教育の仕方は、無いものをあるように思いこませる幻想教育」というのも心から同意だし(ソレで勘違いして突っ走って挫折した子、あるいはそのよりどころが見つけられない自分に絶望しちゃう子はどうすりゃ良いんだ?って話)、「けっきょく世界は砂みたいなものじゃないか……砂ってやつは、静止している状態じゃ、なかなかその本質はつかめない……砂が流動しているのではなく、実は流動そのものが砂なのだ」「自分自身が砂になる……砂の眼でもって物をみる……」この辺フラグ立ってますね(^ω^) 最終的に「生徒も砂のようなもの」と思っている時点で私の中では多分比較的波長の合う教師だったんだろうなー、と想像すると彼の“失踪”は非常に残念ですが(笑)
妻に対しては「情熱を失ったというよりは、むしろ情熱を理想化しすぎたあげくに、凍りつかせてしまった」という表現や性生活のくだりに、当時の夫婦観や家庭観、役割や周囲から求められるプレッシャーといったものを何となく感じられて二人が上手くいかなくなった理由も察せられるような。16章のラスト、主人公の心に響く声には作者の強烈な自己批判を含むのかな、と。「(教師として生徒に対し)自分が何者であるかに、目覚めさせてやるだけでも、立派な創造じゃありませんか?……おかげで、新しい苦痛を味わうための、新しい感覚を、むりやり身につけさせられる……希望だってあります!……その希望が本物かどうか、その先までは責任を持たずにね(オウオウそんなもん負ってなんかほしくないとも、ほっといてくれ!と一生徒の立場では毎度思ってましたけどね^^)……いずれ教師には、そんな悪徳なんぞ、許されちゃいないんだから……悪徳?作者のことですよ。作者になりたいっていうのは、要するに、人形使いになって、自分を人形どもから区別したいという、エゴイズムにすぎないんだ。・・・たしかに、作者と、書くこととは、ある程度区別すべきかもしれませんね……でしょう? だからこそ、ぼくは、作者になってみたかったんですよ。作者になれないのなら、べつに書く必要なんかありゃしないんだ!」
幾度も脱出を試みては失敗する主人公の「漂流者が飢えや渇きで倒れるのは、生理的な欠乏そのものよりも、むしろ欠乏にたいする恐怖のせいだという。負けたと思ったときから、敗北が始まるのだ。」という強い決意。現実にうんざりしながら部落の監視に対しても「仮に義務ってやつが人間のパスポートだとしても、なぜこんな連中からまで査証をうけなきゃならないんだ!……人生はそんな、ばらばらな紙切れなんかではないはずだ」って表現、上手いしヒシヒシ心情が伝わってくるなー(´;ω;`) 性欲についてのくだりで「そもそも飢えきった者にとっては、食物全般があるだけで、一応満腹することが保証されてから、はじめて個々の味覚も意味をもってくる。・・・純粋な性関係などというものは、おそらく死に向って牙をむきだす時にしか必要のないものだ」なるほどー、と思っちゃった(^^;
けど死の危険から逃れることのできた人間は季節的な発情からも自由になり、秩序というものがやって来て、自然のかわりに牙や爪や性の管理権を手に入れた結果、性関係も列車の回数券のような扱いになって、それが本物であるかどうかの確認がややこしく、性は証文のマントにすっぽり埋まってしまった、と。「男も女も相手が手を抜いているのではないかと暗い猜疑のとりこになり、潔白を示すために、むりして新しい証文を思いつく……どこに最後の一枚があるのか、誰にも分からない……証文は、けっきょく、無限にあるらしい」から。現代、っつーか戦後日.本人が草食系に陥ってしまっている理由が端的に表れている章ですね!(^∀^) 面倒くさすぎんの、ソコに辿り着くまでに捧げないといけない時間と金と労力。そして結婚というゴールに到り、互いによって吸い尽くされてしまう愛情。かつての獣の情欲、番をいたわる気持ちや生殖という本来の目的なんぞどこにも見えなくなってんだよ、最後には。
同僚に誘われて組合の集会に出た時の講演者のセリフがウケる(ノ∀`)「労働を越える道は、労働を通じて以外にはありません。労働自体に価値があるのではなく、労働によって労働を乗り越える……その自己否定のエネルギーこそ、真の労働の価値なのです。」戦後の教職員組合がガチでこんなソ/連配下としか思えない『1984』的思想を説く場と化していたとか、心から想像するだに怖ろしいな(((-_-;)))gkbr 右.翼様がギャーギャー騒ぐのも理解できる(笑)しかも主人公がソレを思い出したのが水を得るために約束させられた砂掘りをさほど苦じゃなくなってきた、と感じている時に「たしかに労働には、行先の当てなしにでも、なお逃げ去っていく時間を耐えさせる、人間のよりどころのようなものがあるようだ」と考えた末の話だなんて!
片道切符と往復切符の例えも切なくて上手い><「片道切符とは、昨日と今日が、今日と明日が、つながりをなくして、ばらばらになってしまった生活だ。そんな傷だらけの片道切符を鼻歌まじりにしたりできるのは、いずれがっちり往復切符をにぎった人間だけにきまっている。」そして二回目の逃亡実行に当たり「下を見るな、下を見てはいけない!・・・下に気を取られたときが、そのまま破滅のときなのだ。」ようやく上に出た主人公は初めてこの部落の美しさを目にする。「一体この美しさの正体は何なのだろう?……自然のもつ物理的な規律や正確さのためか、それとも逆に、あくまでも人間の理解を拒み続けようとするその無慈悲さのせいなのか? ・・・美しい風景が人間に寛容である必要など、どこにもありはしないのだ。けっきょく砂を定着の拒絶だと考えた、おれの出発点にさして狂いはなかったことになる。・・・状態がそのまま存在である世界……この美しさは、とりもなおさず、死の領土に属するものなのだ。巨大な破壊力や、廃墟の荘厳に通ずる、死の美しさなのだ。・・・切符はもともと片道だけのものと思い込んでいれば、砂にへばりついてやろうなどという無駄な試みもせずにすむ。」逃げ道を探しながら女がラジオと鏡を欲しがっていたことを思い出し、「なるほどラジオも鏡も、他人とのあいだを結ぶ通路という点では、似通った性格をもっている。あるいは人間存在の根本にかかわる欲望なのかもしれない。」という分析、何か胸に刺さるわー(´Д`;)
結局部落の人々に見つかって必死に逃げる主人公の心情「瞬間というものは、いますぐ捕まえなければ間に合わない……次の瞬間に便乗して後を追いかけるなどというわけにはいかないものだ!」ってコレもなぁ。私、何回その瞬間を逃して来たかわかんねーわ、ってな(´∀`)ハハッ で、最終的には沼にハマって身動き取れなくなった主人公が追跡者たちに「助けてくれえ!」と叫びながら「決まり文句で結構……死にぎわに個性なんぞが何んの役に立つ。型で抜いた駄菓子の生き方でいいから、とにかく生きたいんだ!」ここで完全に彼の人生のオチが決まってしまったように見えた。戻って来た男をいたわる女のみじめなやさしさに、互いに傷口を舐め合うのもいいが、永久になおらない傷を永久に舐めあっていたら、しまいに舌が磨滅してしまいはしないだろうか?と感じる男。「いずれ人生なんて納得ずくで行くものじゃないだろうが……あの生活やこの生活があって、向うの方がちょっぴりましに見えたりする……このまま暮していって、それで何うなるんだと思うのが一番たまらないんだな……どこの生活だろうと、そんなこと分りっこないに決まっているんだけどね……すこしでも気をまぎらせてくれるものの多い方が、なんとなくいいような気がしてしまうんだ……」と女に逃亡の理由を打ち明ける男の言葉に、既に折れている心の変化と奇妙な共感を同時に覚える。たぶん世の中に生きている大半の人間が、自身の人生に対して納得させようと言い聞かせている言葉、あるいはそこからの逃亡を図ろうとしている理由の全てを言い表したセリフなのかもしれない。
二度目の逃亡失敗後に新聞を欲さなくなった男「孤独とは幻を求めて満たされない渇きのこと」と悟りの境地に入って来る(ノ∀`) 「反復にささやかな充足を感じていたとしても、かならずしも自虐的とばかり言いきれず、そうした快癒のしかたがあってもべつに不思議はない」と。うーん、でもだいぶ諦めに近づいちゃってるなー、と思ったら不意に届いた漫画本に爆笑してその事実に男は気づく。「恥を知るがいい。現実との馴れ合いにも限りというものがある。それはあくまでも手段であって、目的などではなかったはずだ。」でもこの両者をたやすく入れ替えてしまう、区別がつかなくなってしまうのもまた人間の特性なんだよね(´-`) ウチの野党の野合っぷり、半島の最早ご本人が亡くなって“遺族”様とやら(そんだけ痛めつけられて普通に子供を持てたなんて、素晴らしく頑健なお身体をお持ちだったんですね。笑)に補償対象が移りつつある、70年以上前の件に関しての延々と終わらない賠償騒ぎ・・・。利用団体側にもフィクション製作陣にも誰も当時の真実を知る人はいないはずなのに、醜悪なイメージのみが一人歩きして海まで越えて行くあの狂気に、同じく当時を生きておらず彼らのことをただの“外国”の一つとしか意識できないウチらが付いていけなくなるのは当然だ、と誰か早く気づかせたって?
「百人に一人、という異常者の割合を積み重ねていけば、最終的には人間は百パーセント異常だということが統計的に証明できる」という脳内弁護人の声に「正常という規律がなけりゃ、異常だって成り立ちっこないじゃないか!」とやり返す主人公。「世間には色変りの毛虫を救う義務がないと同様、それを裁く権利もない」とこの辺のやりとり、最近自分について思い悩んできたことと被り過ぎて泣きそうになる(;_;) 主人公が考える砂掘りを日課とするよりもっとましな存在理由、「それを拒否したからこそわざわざこんな所にまでやってきて……」と言う弁護人に、あ、もうコイツ負けたな、と(笑)烏を捕まえるために仕掛けた罠を確認しに行き、獲物のなさに落胆しながら「忍耐そのものはべつに敗北ではないのだ……むしろ忍耐を敗北だと感じたときが真の敗北の始まりなのだろう。」初期に比べて随分言い訳じみてきてますもん。
部落の経済事情について女に問うた男が、塩っけのある砂をコンクリ屋に売ってるという怖ろしい話を聞き、ソレあかんやろ、とダメ出しした際に女が思いっきりぶちまける「かまいやしないじゃないですか、そんな他人のことなんか、どうだって!」キーン先生と同じく私もこのセリフに胸打たれた。女をとおしてむき出しになった部落の顔。「それまで部落は一方的に刑の執行者のはずだった。意志をもたない食肉植物であり、男はたまたまそれにひっかかった哀れな犠牲者にすぎなかったはずなのだ。しかし、部落の側から言わせれば、見捨てられているのはむしろ自分たちの方だということになるのだろう。」こんな風に行政から、秩序から放り出された小さな集落が戦後、いや近代化の流れの中でどれほどあったことだろう。イヤ5年前の件一つ取ったって、そう感じている地区や被災者がどれだけいるかしれない、と正直思う。あーダメだ、この辺ホント痛い・・・orz しかし「私たちなんかこれでずいぶんよくしてもらっている方なんですよ……本当に、不公平はありませんね」って女のセリフに漂う共.産主義の香りにガクブル(((>_<;))) ロ○アも厳しい土地だからあの方向に走ったのかなー?この女とのやりとりで「はっきり敵と味方に塗り分けられていたはずの作戦地図が、あいまいな中間色で判じ絵みたいなわけの分らないものにぼかされてしまった。」男の敗北の瞬間ですね。欲しい木の種類を問われて「逃げようとしても幹につながれて逃げられず、ひらひら身もだえている葉っぱの群」を思い浮かべているあたり。
けれど男は未だこの穴の底の状況に耐え切れず、心身に異常をきたし出す。「地上への嫉妬が内部に穴をあけ、彼をコンロの上の空鍋同様にしてしまったのかもしれない。空鍋の温度は急激に上昇する。やがてその熱に耐えられなくなり、自分で自分をほうりだしてしまわないとも限らないのだ。(青酸カリ持ってるからね(^^;)希望を云々するまえに、この瞬間をのりきれるかどうかが、まず問題だった。」で、新鮮な空気欲しさに公開エッ○しろ、と言われて嫌がる女に、彼女との意識の差異を初めて認識する男。「ここまで踏みつけにされた後で、いまさら体面などがなんの役に立つだろう?……見られることと、見ることとをそれほど区別して考える必要はない……多少のちがいはあるにしても、おれが消えるためのほんのちょっとした儀式だと考えればすむことだ……それに、代償として得られるもののことも考えてみてほしい……自由に歩きまわれる地上なのだ!……おれは、この腐った水面に顔を出して、たっぷり息がしたいのだ!」彼の最後の、地上への激しい憧れの発露ですね。結局女の強固な抵抗によって叶わず、彼女の中に融け込み、賽の瓦の小石も同然になっていく己を自覚して終わっちゃうけど(*_*;
烏捕獲用に仕掛けた「希望」の仕組みで砂から水を汲み出せるかもしれない、と気づき小躍りする主人公。「砂の変化は、同時に彼の変化でもあった。彼は、砂の中から、水といっしょにもう一人の自分をひろい出してきたのかもしれなかった。」あー、完全に現状を受け入れてしまったフラグやな(´Д`;) 女とずっと欲しがってきたラジオを手に入れ、彼女が妊娠しそれが失敗に終わり(イヤな言い方ですがm(__)m)、病院に運ばれていく女のために降ろされた縄梯子。そのままそこに残していかれたソレを使い、ようやくあれほど焦れた地上に出た彼は、以前「見てはいけない!」と必死に言い聞かせていたはずの下の様子をうかがう。そしてやっと完成しつつある溜水装置の故障に気づき、穴の中へと引き返す・・・そしてその装置のことを誰かに話したい、話すとなればここの部落のもの以上の聞き手はありえまい、と逃亡のことを一旦脇に置いてしまう(フリをする)。「いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。」何という哀しい自己欺瞞の言い訳、イヤこれこそが最終的に彼が辿り着いた人生の答え、真実の居場所なのだろうか。ラストに失踪届と死亡宣告が載っているというのが、また何とも出だしからの秀逸な収斂(-m-;)パチパチパチパチ もう全力で拍手するしかないっすわ。
むしろ何でこの人ノーベ○賞獲ってないの? 川端先生より国際的な普遍性を感じるし、O江氏よりよっぽど(以下略)キーン先生は最初に選考委員会から推薦の相談を受けた時「谷崎、川端、三島を推しました」とおっしゃっていて、谷崎氏はその直後に亡くなられてしまったので日/本人最初の受賞者が川端御大になり、三島は早々に割腹してしまった、と語られていましたが・・・何故、なぜ解説でベタ褒めしながら公房さんを推薦しなかったんや!?o(´Д`;)グッ せっかく日.本人に獲らせるならトコトン日/本にしかない、日.本的な世界観やテーマを描く作家を、って意図だったのかな?(キーン先生の考えか選考委員会のリクエストかは分からんけど)二人の後はちょっと他に回さな、という面や日/本語の翻訳者に限りがあることとかもあって色々厳しかったのかな? え、でもこんな各国語に翻訳されてる云々書いてあるのに!
ハルキなんかよりよっぽど評価されてほしいよ!狐狸庵先生も含めてな!>< あんなうっすいどこにでもあるまさに「安酒」(ご自身がナショナリズムについて語ってた言葉をお借りさせていただきますよ、ちゃんと記事全文読んだ上でソレを政治的利用しまくってる隣国の本質無視して何言ってんだこいつ、ウヘァとしか感じなかったもので^^)を更に水で薄めまくった、ホント清らかでも何でもない水に近い何ものか(笑)に日.本文学の代表面してほしくないもんでね。ニシケンさんや酒見氏や、いっそ宮部や東野の方がはーるーかーに人間を、ちゃんと生きてる人間の本質を描いてると思うよ、世界的に評価される素材やレベルではないにしろね。あぁ、昔の作家ってやっぱ凄かったな。ネットもテレビもなく、発表する場や手段も限られていただけに凝縮された妄想・積もり積もった心の澱を一気に吐き出さんとするかのような情熱と緻密さと執念を感じる。日/本語ネイティヴで良かった!って思える作品に久々に出会えた。大好き!
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