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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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BMI標準ギリになっとるやんけ・・・本気でこれ以上は減らさないように気を付けよう。身長とかバランス的に痩せたところでスタイル良くなりようがないから不自然・不健康路線になりつつあるわー、と風呂場の鏡直視して思ったorz(今更)あとリアルに青アザできすぎて痛いから、救いようの無い運動音痴にはある程度の肉布団はガチで必要なもんだということも(´∀`)ハハッ

米ボス選()K和党候補者の「ト○ンプ支持者なんか皆アニメ見てピーしてる層!><」発言に爆笑しちゃった(ノ∀`) タカ派ポピュリストで全方位(特に同盟国まで含んだアジア)に対して正確な事実認識すらない強硬発言連発してるヤツの支持者がまさか日.本製HEN○AIアニメなんかでピーする訳ないだろ・・・な? てかアニメってそこまであらゆるジャンルが世界に浸透してしまっているのか?インターネット怖い!(´Д`;) 告白しますが、私海外サイト覗くようになるまで『ぼくピコ』とか知らなかったもん。あーゆーのが主流派・一般的だと思われたら、そりゃ日/本という国の印象自体がおかしな方向に振れるのも分かるわ。いやー、特に最近のハリウッド作品とか見てて「あれ、コレあのアニメorマンガorラノベの・・・?」と影響やオマージュを感じることが増えたな、とは思ってたけど(単に歳行って見てる作品や知識?が増えたせいもあるかもだけど)、何かそこまでウチとアメ○カというか世界の距離は縮まってんのか、とも考えて怖いような感慨深いような。
だってねー、またちょっと病み入ってるかもしれないけど正直混ざりたくないんですよ。絶対関わる必要のない逃げ場であってほしいわけ、外国には。だから受容ツールとしての英語は積極的に受け入れたし文化にも嫌悪感や抵抗は全くないけど(てかむしろ興味があるから英語も習ったり理解する努力を続けてきたわけで)、直接ネイティヴとコミュニケーション取ったり現地に留学とかぶっちゃけ考えられないしゾッとする。だってその言語を使う世界が自分にとっての現実になっちゃうじゃん。歴史や古典とか好きなのだって、相手が確実に死んでて関わり持たずに済むからだよ。でもソッチはもう「終わってしまった」ことだからそれ以上の先が無い、ってんでリアルに目の前で進んでいくけど、最小限の関わりしか持たずに済む世界(お金を払えば見て楽しませてもらえるけど、相手の目に自分が映ったり触れる必要はない、という)、ヅカやアイドルの舞台やコンサートに行くのと同じ感覚で海外メディアやフィクション、サイトや掲示板の動き見るのが好きなだけ。だから、悪いけどなるべく一定の距離を保ちたいというか・・・交わりたくないというか。日本語バリア大事、と思っちゃうんだよねー。歪んでるのは分かってるし、差別主義的な発想なのかもしれないけど(・・;)
親はやたら私が海外系の番組とか国際ニュースネタに反応するから、「そんなに外国が好きならいっそどっか留学にでも嫁にでも行ってみろ!」と怒り出すとすぐ言うけど、リアルから遠いから好きなのであって、そんな逃げ場を自ら狭めるような恐ろしいマネできるか、としか・・・(-_-;) 大体英語に興味ある系の人って「色んな国に行って世界中を見てみたい・外国人の友達を作ってコミュニケーション取りたい」という超行動派の意識高い系ばっかりでマジいたたまれない。母国語・現実からの逃避手段として切実に必要としているだけなんだが。一応中高生に教えられはするけど、発音とか酷いですもん。ちなみに現役ん時一番苦手だったのは点取りどころの発音・文法問題な!だって書いてあるコメントの意味が把握できれば良い、って認識だったからさー。熟語とか慣用句の言い回し知っとくのは大事だと思うけど、不定詞とか過去分詞とか一々やらなくてもその分ネイティヴと会話かチャットでもさせた方が良くない?と思う。たぶんその方がやってる内に何となく把握できるようになるって(´Д`) あ、ウッカリ掲示板とかに出入りすると酷いスラングやブロークンが身に付いちゃうからダメだろうけど。厳しめの英国紳士()とかにお願いして、学校単位でさ!どうかな文.科省さま?

あ、関係ないけど何故か今、井上靖の『しろばんば』が読みたくてしょうがない。歴史ものは買ってるんだけど、コレは高校の図書室で済ませたクチなんだよな(´-`) 積ん読以外にも読みたい本リストがドンドン溜まっていく・・・。(主に密林の欲しいものリストに追加、という形で。笑)やっぱブクオフ行くか、でも運が良くないと近場じゃ無さそうなのもあるなー。『S和遊女考』くらい思い入れ深いとマー○ットプレイスでも何でも使って取り寄せる気力も湧くけど、そこまでするほどのもんでもないかな、とか。(やっぱ古本はなるべく手に取って状態確認した上で買いたいじゃないですか)レマルクの『凱旋門』も読みたくてできるなら文庫で欲しいんだけど、3000円くらいするハードか古本しか無いしなぁ。あと某横綱がオススメされていた『神なるオオカミ』もハードしかなくて(;_;) こういう時にキンドル様さえあれば良いのか!と思っちゃう。すぐ読める状態になるわけだし。
でも私読みながら印象深い場面に折り目付けたり、大事だと思った言葉に線とか引きまくりながら何度も何度も戻ってページ繰り返すタイプだから、やっぱり紙の本で読みたいんだよなぁ。(図書館の本にはもちろんそんなことできないし)『敗北を抱きしめて』『けものたちは故郷をめざす』『椋鳥通信』『夜と霧』(相変わらずカオスなセレクト^^)辺りも、今更なヤツも含めて読みたかったり持っておきたくてググったんだけど、どれもハードか古本、キンドルVer.しかないんだよね。ブクオフに奇跡が舞い降りる日を期待するしかないかorz(この点、神田の近くにお住いの方が真剣に羨ましいです)

以下、話題に上がっていたオカルトネタ

タクシー怪談が卒論になんのかよ、ってツッコまれてる件、私無宗教だし魂なんてものも信じていなくて、死んだ瞬間自我を持った存在としては完全消滅、と考えてる人間だけど、強すぎる感情が力持って残っちゃう感覚は分かるよ。ってか正直ソッチ系の体験が0ではないので・・・。(精神状態が鬱だから、とか言われるけど、小さい頃からニュースの初報出たら何故か結末が分かったり詳細出る前から生々しい再現的な夢を見ちゃったり、金縛りやそういう場所に行くと「感じ」たり「憑かれ」て母や霊感ある友達に払ってもらったこともある)震災後の沿岸部は正直ホントに近づくだけで気持ち悪くなってしまって酷かったです。知ってるはずの道で意味もなくグルグル迷ってしまったことも一度じゃなかった。(目印が一切なくなってしまったせいかもしれないけど)だから、申し訳ないけど今でもソッチ方面に行く時は必ず塩を持っていく。(プラシーボ効果的な意味もあるのかもしれないけど、その方が良い体質だと言われたので。心が隙だらけのせいか「同調」しちゃいやすいらしい)
宗教信じてないのにそういう方面は信じるのか、と聞かれると元も子も無いけど、実際何回か体験しちゃってる以上はしょうがないじゃん? どうやっても一定数はそういう人種いるはずなのに、まとめてタダの精神病扱いされちゃう国の人は可哀想だな、と思うくらい(@_@;) どうやって折り合い付けてんだろ? 周囲に理解されない→ホントに狂ったり引きずられちゃったりしないのかな? たぶん宗教ってそういう「力」のコントロール法に優れたマニュアルとして求められた側面もあったと思うんですよ。本人そのものじゃなくて、ただ「力」持っちゃった情念やら何やらの暴走だから始末に負えないの。アニミズムの岩や山とかに宿るものと同じ。だからまとめて人間より「上」の力を持つもの全てを「カミ」として祀る神/道は割と納得できる発想じゃないか、と感じるのもこの点が大きいんだよね。(トップがTenno家っつーのがね・・・きっとご先祖(卑.弥呼?)はさぞかし「力」を抑え込むのが上手な家系だったんだろうなぁ)

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タクシー怪談が卒論になんのかよ、ってツッコまれてる件、私無宗教だし魂なんてものも信じていなくて、死んだ瞬間自我を持った存在としては完全消滅、と考えてる人間だけど、強すぎる感情が力持って残っちゃう感覚は分かるよ。ってか正直ソッチ系の体験が0ではないので・・・。(精神状態が鬱だから、とか言われるけど、小さい頃からニュースの初報出たら何故か結末が分かったり詳細出る前から生々しい再現的な夢を見ちゃったり、金縛りやそういう場所に行くと「感じ」たり「憑かれ」て母や霊感ある友達に払ってもらったこともある)震災後の沿岸部は正直ホントに近づくだけで気持ち悪くなってしまって酷かったです。知ってるはずの道で意味もなくグルグル迷ってしまったことも一度じゃなかった。(目印が一切なくなってしまったせいかもしれないけど)だから、申し訳ないけど今でもソッチ方面に行く時は必ず塩を持っていく。(プラシーボ効果的な意味もあるのかもしれないけど、その方が良い体質だと言われたので。心が隙だらけのせいか「同調」しちゃいやすいらしい)
宗教信じてないのにそういう方面は信じるのか、と聞かれると元も子も無いけど、実際何回か体験しちゃってる以上はしょうがないじゃん? どうやっても一定数はそういう人種いるはずなのに、まとめてタダの精神病扱いされちゃう国の人は可哀想だな、と思うくらい(@_@;) どうやって折り合い付けてんだろ? 周囲に理解されない→ホントに狂ったり引きずられちゃったりしないのかな? たぶん宗教ってそういう「力」のコントロール法に優れたマニュアルとして求められた側面もあったと思うんですよ。本人そのものじゃなくて、ただ「力」持っちゃった情念やら何やらの暴走だから始末に負えないの。アニミズムの岩や山とかに宿るものと同じ。だからまとめて人間より「上」の力を持つもの全てを「カミ」として祀る神/道は割と納得できる発想じゃないか、と感じるのもこの点が大きいんだよね。(トップがTenno家っつーのがね・・・きっとご先祖(卑.弥呼?)はさぞかし「力」を抑え込むのが上手な家系だったんだろうなぁ)

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