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私だったらとっくにグレるか見切りつけて離れてる、って毒親のルール守って暮らして、でも自分の芯はぶれずに自力でやりたいこと貫き通し、かつ甘えたな私の相手もし続けてくれた子がいまして。私、こっち帰って来た時に彼女がいなければガチの引きこもりになっていたかもしれない。30近づくと田舎の女性は守りに入りがち。家庭を持つと遊びに行ったり夢を語るとか引きこもりの愚痴も言えない。もちろん、性的マイノリティであることを打ち明けるのも難しい。でも彼女は自由だった。親が親で、地元しか知らず実家に暮らしていたけど何にもとらわれず視野が広かった。進学どころか塾にすら行かせないと言い張るような親や自分の環境を不幸だとも考えていなかった。私の引きこもりだけではなく、自殺や殺人や園田諸々の罪に問われるような行為も「そういう人もいる、それぞれの価値基準がある」と否定しなかった。今なら「どっちもどっち」論に繋がりかねない危険な思想と言われるのかもしれないですね。でも私は否定されないことに救われたんです。彼女も遺書を書いて自殺の名所を回ったことがあり、「結局死ぬのは物凄くエネルギーがいることだから、同じエネルギーを使うなら生きた方が良い」と遠回しに諭してくれた。色んな友達が様々な方法で導いてくれたけど、就活の決定打は同じ気持ちを経験した彼女のこの一言。小中クラスが一緒だったのは1回くらい?で、高校以降は別なので今でもやりとりがあることは親くらいしか知らない。でも私は、彼女に「特別仲良しの友達」と言ってもらえて嬉しかった。旦那さんに紹介してもらえて、ご丁寧に内祝とかお子さんも抱かせてもらえて幸せだった。全てを諦めていたように見えた彼女が、毒親(本人が受け入れてるので、傍から見てそう感じるだけなのかもしれないけど)以外の家族を作ってくれて嬉しい。私にとって物心つく前から家族ぐるみで共に過ごしてきた幼なじみが、1番の親友で大事な存在でした。もしかしたら30目前での自費語学留学とか、アニメの話とか恋愛や家庭、キャリアのマウント取り無しに互いに弱味をさらしあえる相手が彼女にとっては私だけだったのかもしれない。友達が幸せになることが1番幸せ。母が「妹弟は親より大切な人を見つけるまでは心配だけど、あんたは(Aセクだが)友達を見る目は確かだから」と。そうでしょうとも!(自分によらない無駄な自信。笑) 自分のセクシュアリティとそれが判明した過程を明かしてる私に、子供の顔を見せてくれるのが嬉しい。誰かにお礼を言いたくなる。この世の全てのお母さん、彼女の旦那さん、ありがとう。末永く幸せでいてください。
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