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ほぼ対自分向けメモ録。ブックマーク・リンクは掲示板貼付以外ご自由にどうぞ。著作権は一応ケイトにありますので文章の無断転載等はご遠慮願います。※最近の記事は私生活が詰まりすぎて創作の余裕が欠片もなく、心の闇の吐き出しどころとなっているのでご注意くださいm(__)m
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新しい日々

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「おはようございます、北の方様」
 
「今日は若君のご機嫌も大変よろしいようでございます」
 
都にやってきて一年。
男の言葉通り、私は邸の北の方……男の正室として扱われていた。
赤子には乳母が付けられ、数多くの女房にかしずかれて、
私には都の貴族の教養を身に付けるための手ほどきが行われた。
元々風流人であった亡き父から和歌や琴などの嗜みを教えられていたせいもあり、
貴族の教養を学ぶことはさほど苦痛では無かった。
邸の人々は何の身分も持たぬ、突然主の妻として現われた私に優しく、暖かかった。
 
「あの若君がこうまで女子に優しく接することが出来る方だったなんて、本当に驚きましたわ」
 
茶目っ気たっぷりに微笑んでみせたのは邸を訪れた最初の日、
私を出迎えてくれたあの年かさの女房、柚だ。
男が生まれる以前から邸に仕えていたという柚には母親のような温かみがあり、
私にとって唯一無二の腹心とも言える存在になっていた。
男は毎日この邸に帰宅した。
都の貴族は妻を大勢持ち、毎夜訪れる邸を変えると聞いていたのに、
彼にそんな様子は見られなかった。
 
「洸はどうしている?」
 
「元気に過ごしておりますわ。今日は着替えをさせようとする
柚の手から逃げ回って、皆を困らせておりましたけれど」
 
己が赤子を呼んでいた名を、そのまま幼名に用いてくれた男は、
毎夜必ずその日の様子を私に尋ねる。日々増えていった、男との会話。
 
「そうか……腹の子は、大事無いか?」
 
男の手が私の腹部をそっと撫ぜる。気がつけば私は、二人目の子を身籠っていた。
一人目の子を得た時には感じ得なかった、確かな安らぎと喜び。
 
「はい……」
 
細い手首が掴まれ、唇が重なる。男は毎夜私の元に帰り、床を共にする。
それが役目であるから拒むことは無いが、かつてはあれほど苦痛に感じていた
行為への嫌悪感が薄れていることを我がことながら不思議に思う。
 
信じても、良いのだろうか? 愛しても、良いのだろうか……?
 

~~~
 
 
翌朝、男が出仕した後、柚が慌てて私の元へ駆け込んできた。
 
「大変でございます、北の方様!
宇治の尼宮が、本日こちらにいらっしゃると……!」
 
宇治の尼宮。
話にしか聞いたことの無い、この国で最も高貴な血を引く、男の母。
 
「……慌てても仕方ないでしょう。お迎えする仕度を」
 
突然の訪問を訝しく思いながらも、早急に邸の仕度を整え終えた頃、
先達が尼宮の来訪を告げた。
 
 
 
「鄙(ひな)の卑女(はしため)を正室に迎えるなどこの大臣家の
恥となろうとも、我が子の命がかかっていると思えば仕方の無いこと。
せめて他所に恥を晒すことの無きよう、よろしく頼みましたよ」
 
挨拶に訪れた私を一瞥するなり、ため息混じりに告げられた言葉は、
決して好意的なものではなかった。
だが向けられた悪意以上に、心に棘を刺した言葉。
 
「命がかかっている……とは、どういう訳でございましょうか?」
 
おずおずと問うた言葉に、上品な初老の尼宮は片眉を上げ、
呆れたような表情を浮かべた。
 
「そなた、聞いておらぬのか?」
 
尼宮の言に、傍らに控えていた柚が慌てて口を挟む。
 
「宮様、殿からは北の方には絶対に告げること無きよう……申し付かっておりますれば」
 
「黙りゃ!」
 
ピシャリと切り捨てた尼宮の言葉に、柚はビクリと身体を揺らして黙り込んだ。
 
「鄙つ女が何故分に合わぬ立場を与えられているか……
知らぬままでは驕りが増すだけじゃ」
 
そう言い放って尼宮が私に告げた内容は、以下のような話だった。
尼宮の息子である男が七つの頃、大臣家は次々と不幸に見舞われ、
挙句の果てに世継ぎの若君である男が高熱を出して寝込んだ。
高熱は十日に渡って続き、命もあわやとなった時、一人の占者が邸を訪れ、こう告げた。
 
『若君には前世からの呪いがかかっている。呪いを解くためには、
若君の夢に現われる巫女を妻として迎える必要があるが、
もしその巫女を厄年である二十五の歳までに見つけられなかった場合、
若君は呪いに飲まれて死ぬことになる』
 
そのため男は元服を迎えるとすぐに夢の巫女を探す旅に出るようになり、
厄年を迎える直前にようやく見つけたお告げの巫女が私なのだと言う。
そうして男は昨年、無事に厄年を抜けた。
 
「そなたを妻に迎え、子を成し、あれも無事に厄年を抜けた。
どうじゃ、そなたももう鄙つ女が見るには十分過ぎるほどの夢を見たであろう。
その腹の子を生み終えたら、仏門に入り我が子の幸福を祈る生活に
入っても良いのではないか? あれもまだ若い。
子も幼い今なら、本来ふさわしい身分の後添え候補も数多上がろうて」
 
男がお告げの年を無事に越えた今、既に役目を終えた自分は用無しである、
と尼宮は暗に告げているのだ。本来なら男の正室にふさわしくない身の上の女に、
長くその座に止まっていられては困るのだ、と。
 
「おっしゃる通り……殿にはこれまで身に余るご慈悲をいただき、心苦しく思っておりました。
今後の身の処し方につきましては、この子が生まれるまでに考えたく存じます」
 
心無い言葉が唇を滑り、脇に控えた柚が顔を歪めるのが分かった。
けれど己の心を占めていたのは、柚の顔ではなく……
宇治に戻る尼宮を見送った後、塗籠(ぬりごめ)に鍵をかけて篭った。
後から後から、涙が頬を流れる。
かつて一度だけ泣いた、故郷の島の海岸が思い出された。
あの時、海に分け入ろうとした私を、引き止めたのは男の声だった。
都に来てから出会った人々は、皆優しかった。
男が意図的にそうした人々しか私に近づけさせないようにしていたことには気づいていた。
私が寝入ってから、優しく髪を撫でる手にも、我が子に注がれる暖かい眼差しにも、
私の名を呼ぶ、切なげな声にも……
 
全ては、己の命を守るためだったのだろうか。
愛されていると、錯覚していただけだったのだろうか。
いつの間にか愛していた。
始まりは最悪。憎んだこともあった。恐ろしいと感じていた。
一度も笑顔を見たことのない、それでも唯一人の夫である男。
内側から蹴られた腹が、酷く痛んだ。





※塗籠・・・ここでは一応“鍵の付いた寝室”のような意味で使われています。

 
 

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「おはようございます、北の方様」
 
「今日は若君のご機嫌も大変よろしいようでございます」
 
都にやってきて一年。
男の言葉通り、私は邸の北の方……男の正室として扱われていた。
赤子には乳母が付けられ、数多くの女房にかしずかれて、
私には都の貴族の教養を身に付けるための手ほどきが行われた。
元々風流人であった亡き父から和歌や琴などの嗜みを教えられていたせいもあり、
貴族の教養を学ぶことはさほど苦痛では無かった。
邸の人々は何の身分も持たぬ、突然主の妻として現われた私に優しく、暖かかった。
 
「あの若君がこうまで女子に優しく接することが出来る方だったなんて、本当に驚きましたわ」
 
茶目っ気たっぷりに微笑んでみせたのは邸を訪れた最初の日、
私を出迎えてくれたあの年かさの女房、柚だ。
男が生まれる以前から邸に仕えていたという柚には母親のような温かみがあり、
私にとって唯一無二の腹心とも言える存在になっていた。
男は毎日この邸に帰宅した。
都の貴族は妻を大勢持ち、毎夜訪れる邸を変えると聞いていたのに、
彼にそんな様子は見られなかった。
 
「洸はどうしている?」
 
「元気に過ごしておりますわ。今日は着替えをさせようとする
柚の手から逃げ回って、皆を困らせておりましたけれど」
 
己が赤子を呼んでいた名を、そのまま幼名に用いてくれた男は、
毎夜必ずその日の様子を私に尋ねる。日々増えていった、男との会話。
 
「そうか……腹の子は、大事無いか?」
 
男の手が私の腹部をそっと撫ぜる。気がつけば私は、二人目の子を身籠っていた。
一人目の子を得た時には感じ得なかった、確かな安らぎと喜び。
 
「はい……」
 
細い手首が掴まれ、唇が重なる。男は毎夜私の元に帰り、床を共にする。
それが役目であるから拒むことは無いが、かつてはあれほど苦痛に感じていた
行為への嫌悪感が薄れていることを我がことながら不思議に思う。
 
信じても、良いのだろうか? 愛しても、良いのだろうか……?
 

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翌朝、男が出仕した後、柚が慌てて私の元へ駆け込んできた。
 
「大変でございます、北の方様!
宇治の尼宮が、本日こちらにいらっしゃると……!」
 
宇治の尼宮。
話にしか聞いたことの無い、この国で最も高貴な血を引く、男の母。
 
「……慌てても仕方ないでしょう。お迎えする仕度を」
 
突然の訪問を訝しく思いながらも、早急に邸の仕度を整え終えた頃、
先達が尼宮の来訪を告げた。
 
 
 
「鄙(ひな)の卑女(はしため)を正室に迎えるなどこの大臣家の
恥となろうとも、我が子の命がかかっていると思えば仕方の無いこと。
せめて他所に恥を晒すことの無きよう、よろしく頼みましたよ」
 
挨拶に訪れた私を一瞥するなり、ため息混じりに告げられた言葉は、
決して好意的なものではなかった。
だが向けられた悪意以上に、心に棘を刺した言葉。
 
「命がかかっている……とは、どういう訳でございましょうか?」
 
おずおずと問うた言葉に、上品な初老の尼宮は片眉を上げ、
呆れたような表情を浮かべた。
 
「そなた、聞いておらぬのか?」
 
尼宮の言に、傍らに控えていた柚が慌てて口を挟む。
 
「宮様、殿からは北の方には絶対に告げること無きよう……申し付かっておりますれば」
 
「黙りゃ!」
 
ピシャリと切り捨てた尼宮の言葉に、柚はビクリと身体を揺らして黙り込んだ。
 
「鄙つ女が何故分に合わぬ立場を与えられているか……
知らぬままでは驕りが増すだけじゃ」
 
そう言い放って尼宮が私に告げた内容は、以下のような話だった。
尼宮の息子である男が七つの頃、大臣家は次々と不幸に見舞われ、
挙句の果てに世継ぎの若君である男が高熱を出して寝込んだ。
高熱は十日に渡って続き、命もあわやとなった時、一人の占者が邸を訪れ、こう告げた。
 
『若君には前世からの呪いがかかっている。呪いを解くためには、
若君の夢に現われる巫女を妻として迎える必要があるが、
もしその巫女を厄年である二十五の歳までに見つけられなかった場合、
若君は呪いに飲まれて死ぬことになる』
 
そのため男は元服を迎えるとすぐに夢の巫女を探す旅に出るようになり、
厄年を迎える直前にようやく見つけたお告げの巫女が私なのだと言う。
そうして男は昨年、無事に厄年を抜けた。
 
「そなたを妻に迎え、子を成し、あれも無事に厄年を抜けた。
どうじゃ、そなたももう鄙つ女が見るには十分過ぎるほどの夢を見たであろう。
その腹の子を生み終えたら、仏門に入り我が子の幸福を祈る生活に
入っても良いのではないか? あれもまだ若い。
子も幼い今なら、本来ふさわしい身分の後添え候補も数多上がろうて」
 
男がお告げの年を無事に越えた今、既に役目を終えた自分は用無しである、
と尼宮は暗に告げているのだ。本来なら男の正室にふさわしくない身の上の女に、
長くその座に止まっていられては困るのだ、と。
 
「おっしゃる通り……殿にはこれまで身に余るご慈悲をいただき、心苦しく思っておりました。
今後の身の処し方につきましては、この子が生まれるまでに考えたく存じます」
 
心無い言葉が唇を滑り、脇に控えた柚が顔を歪めるのが分かった。
けれど己の心を占めていたのは、柚の顔ではなく……
宇治に戻る尼宮を見送った後、塗籠(ぬりごめ)に鍵をかけて篭った。
後から後から、涙が頬を流れる。
かつて一度だけ泣いた、故郷の島の海岸が思い出された。
あの時、海に分け入ろうとした私を、引き止めたのは男の声だった。
都に来てから出会った人々は、皆優しかった。
男が意図的にそうした人々しか私に近づけさせないようにしていたことには気づいていた。
私が寝入ってから、優しく髪を撫でる手にも、我が子に注がれる暖かい眼差しにも、
私の名を呼ぶ、切なげな声にも……
 
全ては、己の命を守るためだったのだろうか。
愛されていると、錯覚していただけだったのだろうか。
いつの間にか愛していた。
始まりは最悪。憎んだこともあった。恐ろしいと感じていた。
一度も笑顔を見たことのない、それでも唯一人の夫である男。
内側から蹴られた腹が、酷く痛んだ。





※塗籠・・・ここでは一応“鍵の付いた寝室”のような意味で使われています。

 
 

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