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『バスカヴィル家の犬』、○十年ぶりに読んだらすっごく懐かしかった!あのステッキのくだり、よく覚えてる( ´∀`))ホームズにハマるキッカケのシーン。当時はワトソンくんがスゲーまぬけな凡人に見えたけど、大多数の人間は実際にはもっと気が利かなくて厄介で、変人かつ天才ホームズの助手が務まるのは軍医の経歴と観察能力、忍耐強さに正義感、そして何より多少融通がきかなくても情に篤いワトソンくんだけなんだな、って改めて思えた。これはギャッツビーの語り手役の友人にも通じることかもしれない。普通の人間はもっと詮索好きで、あるいは自己中心的で無関心。他人のことなんか気にも止めないし、ヘビースモーカー兼ヤク中の恐怖ばっかり呼び込んでくる「天才」なんかと同居の友人なんてとても続けていられない。まぁ小学生ですから分かりやすい天才の方がヒーローに見えてしまうのは仕方ないですが(-_-;)
あと昔は遺産相続・お金の話や男女関係、殺人犯の逃亡とソレを匿う使用人の是非、といった「大人の問題」についてカーテンの影からコッソリ盗み見ているような、後ろめたさと優越感を同時に覚える特別な感覚があったんですが(借りる時に司書さんから注意を受けたせいもあったのかもしれない)、実際大人になってから読むともっと切実に登場人物に感情移入ができてしまって何か色々歳取ったなぁ、と(笑)ヘンリー卿かわいそう(´・ω・`)とか、女性陣に同情したり、チャールズ卿の恐怖がヒシヒシと生々しく伝わって来たり、同じ話読んでるはずなのに受け取る印象が全く違って不思議なもんですね。何かまたブームというか読み返したい熱が高まっているので、次にブクオフ行った時、あったら長編と『まだらの紐』入ってるヤツは買いたいなぁ。ルパンは全集あるんですけど・・・(寄付しちゃダメ!って頼んどいた(^^)b)『緋色の研究』『四つの署名』あたりが今読んだらどう感じるのか読み直してみたいでござる。
あとチェーホフの『桜の園』だっけな? 戯曲でよくやる登場人物によって見方が変わるヤツ読みたいからリスト追加。安部公房薦めてきた先輩に同時に薦められた『暗夜行路』も追加(^ω^) ちなみに今日は『人間失格』と『第四間氷期』が届きました・・・あぁ、やっちまったとも、つーかポチらずにはいられなかったの、『斜陽』の解説読んだら!>< 来月になったら地元最大級のブクオフと普通の本屋(でかめ)×2がある駅前で漁れるだけ漁ろうと思ってるんだ・・・そこで無かったら諦めて何とか稼げるようになってから徐々にゲットしていく方向で・・・というか出来ればキンド○を手に入れたい欲望が増すばかりです昨今(´-`) 著作権切れはタダで読めるし、英語の原文もかさばらない非ペーパーバックで気軽に手に入る訳だし、辞書・しおり機能もついてる上に履歴も見られるとか神か。あとはブルーライト遮断メガネを買えば完璧じゃね? そのためにも早く今の状態を脱さねば、マジで家計やばいし\(^o^)/ でも本と音楽が生きる(処理可能になるまでですけど)糧すぎて、面接等へのモチベーションや相変わらずキッツい食事や、発作だの情緒不安定になりかけそうな自分を落ち着かせる逃避手段という意味でもソッチに関してはどうしても自重できない@言い訳orz 今は『壁』読み始めたとこですがのっけからバシバシ公房ワールドというか、『砂の女』に繋がるフラグも立ちまくりで面白いです!
以下、病み含む『わたしを離さないで』ドラマ版最終回などの感想と個人的な話。
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あと昔は遺産相続・お金の話や男女関係、殺人犯の逃亡とソレを匿う使用人の是非、といった「大人の問題」についてカーテンの影からコッソリ盗み見ているような、後ろめたさと優越感を同時に覚える特別な感覚があったんですが(借りる時に司書さんから注意を受けたせいもあったのかもしれない)、実際大人になってから読むともっと切実に登場人物に感情移入ができてしまって何か色々歳取ったなぁ、と(笑)ヘンリー卿かわいそう(´・ω・`)とか、女性陣に同情したり、チャールズ卿の恐怖がヒシヒシと生々しく伝わって来たり、同じ話読んでるはずなのに受け取る印象が全く違って不思議なもんですね。何かまたブームというか読み返したい熱が高まっているので、次にブクオフ行った時、あったら長編と『まだらの紐』入ってるヤツは買いたいなぁ。ルパンは全集あるんですけど・・・(寄付しちゃダメ!って頼んどいた(^^)b)『緋色の研究』『四つの署名』あたりが今読んだらどう感じるのか読み直してみたいでござる。
あとチェーホフの『桜の園』だっけな? 戯曲でよくやる登場人物によって見方が変わるヤツ読みたいからリスト追加。安部公房薦めてきた先輩に同時に薦められた『暗夜行路』も追加(^ω^) ちなみに今日は『人間失格』と『第四間氷期』が届きました・・・あぁ、やっちまったとも、つーかポチらずにはいられなかったの、『斜陽』の解説読んだら!>< 来月になったら地元最大級のブクオフと普通の本屋(でかめ)×2がある駅前で漁れるだけ漁ろうと思ってるんだ・・・そこで無かったら諦めて何とか稼げるようになってから徐々にゲットしていく方向で・・・というか出来ればキンド○を手に入れたい欲望が増すばかりです昨今(´-`) 著作権切れはタダで読めるし、英語の原文もかさばらない非ペーパーバックで気軽に手に入る訳だし、辞書・しおり機能もついてる上に履歴も見られるとか神か。あとはブルーライト遮断メガネを買えば完璧じゃね? そのためにも早く今の状態を脱さねば、マジで家計やばいし\(^o^)/ でも本と音楽が生きる(処理可能になるまでですけど)糧すぎて、面接等へのモチベーションや相変わらずキッツい食事や、発作だの情緒不安定になりかけそうな自分を落ち着かせる逃避手段という意味でもソッチに関してはどうしても自重できない@言い訳orz 今は『壁』読み始めたとこですがのっけからバシバシ公房ワールドというか、『砂の女』に繋がるフラグも立ちまくりで面白いです!
以下、病み含む『わたしを離さないで』ドラマ版最終回などの感想と個人的な話。
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やっぱり納得できない箇所がちょこちょこあったけど泣けたな。たぶん原作のルーシー先生?の人が言った「生まれてきてくれて、ありがとう」にトモが「世界って、やっぱり広いんですね」って応じるセリフとか。トモがキョウコを抱きしめて「キョウコと出会えて良かった、キョウコが傍にいてくれて良かった、キョウコが生まれてきてくれて、生まれてきて幸せ(※ニュアンス)」と告げる場面とか。日/本のドラマらしい分かりやすい演出・物語にしたんだなー、って。というかやっぱり恋愛とは全く違うけどドラマ版の陽光・クローン同士の絆が自分と幼なじみの関係に被り過ぎて泣ける(´;ω;`)←キモい。去年の最初に性自認して食べられなくなって虫けらだしタヒんだ方が良い、って打ち明けた時もそうだし、先日互いの誕生日があって交わしたメールや電話で話したこともそうだし。何か人生において相手がいない時間が考えられない存在なんだよね、重い言い方をすれば。だって一歳なるかならないかからの親友?(何て表現すれば良いのか適切な言葉がいつも見つからないんだけど(-_-;))なので。
で、ラストの海岸のシーンが日.本版としては秀逸かな、と。エミコ先生との宝箱についてのやりとりといい、出来すぎなサッカーボールが流れてくる描写といい。A瀬はるかの涙の流し方、原作のキャシーと異なり、一人で運命に立ち向かう、いや受け入れるだけの強さはキョウコには無かった。けれどトモが、宝箱に思い出を残してくれた「みんな」の存在が彼女を踏みとどまらせ、この世へ、残酷な世界の現実に最後まで身を浸し生き抜く覚悟を与えてくれた、って何とも日/本らしい結末じゃないですか? まぁ向こうはキリ○ト教規範の国で基本的に(特に絶対に苦しい入水という)自殺文化が薄い国、という事情もあるんでしょうけど。原作の方が深みと強さと光がある。けれど日.本のドラマ版は作者が作品を通して考えさせたかった、訴えかけたかったことを改めて伝えるキッカケ、導入としてはある程度良い作品と言えたのではないか、と最後三話しか見てないですが思いました@上から目線^^
イヤあの挿入歌の「Never let you go」の部分聴けただけで大満足というか物語の捉え方が全く変わった。母は「こんな話あり得ない、許せない、こんなモヤモヤする終わり方は納得できない」と怒ってましたが(ちなみに原作は私が褒め称えたため(^^;「海外ものって登場人物の思考にちっとも共感できなくてイライラする~!」と騒ぎながら少しずつ読んでいるところ)、世の中は不条理でどうにもならないことの連続や寄せ集めで、幸せだと感じる瞬間ですら誰かの、何かの犠牲の上に成り立っている。『日の名残り』のスティーブンスじゃないけれど、ずっと栄光や幸せの瞬間だけに留まることは、どんなに恵まれた人であっても生き続ける以上絶対に不可能。だからドラマ版最後のキョウコのセリフのように、それでも「生きる」ということ、生まれてきたこと、恐らく「モノ」として扱われるクローンという存在の彼女たちが誰よりも感じられるのであろう「魂」を持つ意味を、噛み締めて、受け止めて、その上で自分の人生を、命をその人なりに全うするやり方をそれぞれが真剣に模索していくべきなんだ、って。カズオ氏はそういうメッセージをこの残酷な設定の作品に託したのではないか、と。命とは何か、魂とは何か、生きるとはどういうことか。人とは、人生とは。
長寿に疲れきって移植を断る人が増えている、というエミコ先生の発言に超高齢社会を迎え、増える老老介護の末の悲惨な事件や高齢者の貧困問題・犯罪率の増加、被災地でも先を見失った自殺を含む高齢者の死亡率がはね上がっている日/本社会の現実を見て切なくなりました(´・ω・`) それでもip○細胞の実用化を必死の思いで待つ小さい子供の親御さんや、若い働き盛りの患者さんたちだっているだろうし・・・本当に、ご家族にしてみれば「Never let you go」ですよね。私、今自己処理したがってる身で本当に申し訳ないんですけど、移植ではないけれどここでも再三書いているように震災の前年、福島の某病院で輸血を受けまして。あの時献血して下さった方、もしくはそのご家族が被災されていたら取り返しがつかない、心から申し訳ない、代われるものなら代わりたい、ってどうしようもないことは分かっていてもずっとその考えが消えないんです。だからあのサッカー場にいたヒロキくんのお父さんの気持ち、その言葉に救われた先生の「勝手な自己満足」、移植を受ける患者の思いなどが、他人事とは思えずに動揺してしまった。原作は終始「提供」の犠牲となるクローン側の視点で進んでいくから、ドラマ版を見て、あの劇中歌の歌詞を改めて聴いて、そしてちょいちょい出てくる「人間」側の視点、自分も他人のこと言えないじゃんか、しかもそれをありがたがって有効活用するでもなく、あの悲劇の後もずっとダメ人間としてのうのうとただ存在し続けてしまって、どうにもマトモになれない・なる方法が分からないという現実に押し潰されて今にも消えてしまいたくなるorz
あと妹の遠方?転勤が決まって家族お通夜状態なんですけど、彼女としては今の彼氏と離れがたいらしく、総合職の出世捨ててまで来年には帰ってきたい、と言っていてまぁつまり結婚も視野に入れているらしいんですね。で、親が「ソレ(せっかく得た総合職を棒に振ること)はもったいないし、向こうの家業的にあの子には無理だからアンタが代わりに嫁いだら?」 みたいな冗談を(少なくとも先に結婚してほしい、という部分は間違いなく本音なんだと思う)言ってくるわけですが・・・少なくとも今は子作りできそうにありません、というカムアウトをやっぱりしておいた方が良いのかな? でももうこの歳だしな(・・;) 私が友達の子を可愛がっていると「生むなら若い内だよ~」とかやたら言ってくるし。でもAセクという言葉すら知らないだろう親はショック死するんじゃないかな。最近の余りの経済状況と妹の転勤の件で吐いて寝込みそうだし今(;´д`)←酒が入ったせい&風邪の流行&ここ最近のアレルギーと寒暖の激しさのせいもあるかと思いますが。私も色々試みようとはしたけど、こっちも吐くほど嫌なんだ接触が・・・つーか好意の時点で(以下略)なんてやっぱり伝えられないよなぁ。
で、ラストの海岸のシーンが日.本版としては秀逸かな、と。エミコ先生との宝箱についてのやりとりといい、出来すぎなサッカーボールが流れてくる描写といい。A瀬はるかの涙の流し方、原作のキャシーと異なり、一人で運命に立ち向かう、いや受け入れるだけの強さはキョウコには無かった。けれどトモが、宝箱に思い出を残してくれた「みんな」の存在が彼女を踏みとどまらせ、この世へ、残酷な世界の現実に最後まで身を浸し生き抜く覚悟を与えてくれた、って何とも日/本らしい結末じゃないですか? まぁ向こうはキリ○ト教規範の国で基本的に(特に絶対に苦しい入水という)自殺文化が薄い国、という事情もあるんでしょうけど。原作の方が深みと強さと光がある。けれど日.本のドラマ版は作者が作品を通して考えさせたかった、訴えかけたかったことを改めて伝えるキッカケ、導入としてはある程度良い作品と言えたのではないか、と最後三話しか見てないですが思いました@上から目線^^
イヤあの挿入歌の「Never let you go」の部分聴けただけで大満足というか物語の捉え方が全く変わった。母は「こんな話あり得ない、許せない、こんなモヤモヤする終わり方は納得できない」と怒ってましたが(ちなみに原作は私が褒め称えたため(^^;「海外ものって登場人物の思考にちっとも共感できなくてイライラする~!」と騒ぎながら少しずつ読んでいるところ)、世の中は不条理でどうにもならないことの連続や寄せ集めで、幸せだと感じる瞬間ですら誰かの、何かの犠牲の上に成り立っている。『日の名残り』のスティーブンスじゃないけれど、ずっと栄光や幸せの瞬間だけに留まることは、どんなに恵まれた人であっても生き続ける以上絶対に不可能。だからドラマ版最後のキョウコのセリフのように、それでも「生きる」ということ、生まれてきたこと、恐らく「モノ」として扱われるクローンという存在の彼女たちが誰よりも感じられるのであろう「魂」を持つ意味を、噛み締めて、受け止めて、その上で自分の人生を、命をその人なりに全うするやり方をそれぞれが真剣に模索していくべきなんだ、って。カズオ氏はそういうメッセージをこの残酷な設定の作品に託したのではないか、と。命とは何か、魂とは何か、生きるとはどういうことか。人とは、人生とは。
長寿に疲れきって移植を断る人が増えている、というエミコ先生の発言に超高齢社会を迎え、増える老老介護の末の悲惨な事件や高齢者の貧困問題・犯罪率の増加、被災地でも先を見失った自殺を含む高齢者の死亡率がはね上がっている日/本社会の現実を見て切なくなりました(´・ω・`) それでもip○細胞の実用化を必死の思いで待つ小さい子供の親御さんや、若い働き盛りの患者さんたちだっているだろうし・・・本当に、ご家族にしてみれば「Never let you go」ですよね。私、今自己処理したがってる身で本当に申し訳ないんですけど、移植ではないけれどここでも再三書いているように震災の前年、福島の某病院で輸血を受けまして。あの時献血して下さった方、もしくはそのご家族が被災されていたら取り返しがつかない、心から申し訳ない、代われるものなら代わりたい、ってどうしようもないことは分かっていてもずっとその考えが消えないんです。だからあのサッカー場にいたヒロキくんのお父さんの気持ち、その言葉に救われた先生の「勝手な自己満足」、移植を受ける患者の思いなどが、他人事とは思えずに動揺してしまった。原作は終始「提供」の犠牲となるクローン側の視点で進んでいくから、ドラマ版を見て、あの劇中歌の歌詞を改めて聴いて、そしてちょいちょい出てくる「人間」側の視点、自分も他人のこと言えないじゃんか、しかもそれをありがたがって有効活用するでもなく、あの悲劇の後もずっとダメ人間としてのうのうとただ存在し続けてしまって、どうにもマトモになれない・なる方法が分からないという現実に押し潰されて今にも消えてしまいたくなるorz
あと妹の遠方?転勤が決まって家族お通夜状態なんですけど、彼女としては今の彼氏と離れがたいらしく、総合職の出世捨ててまで来年には帰ってきたい、と言っていてまぁつまり結婚も視野に入れているらしいんですね。で、親が「ソレ(せっかく得た総合職を棒に振ること)はもったいないし、向こうの家業的にあの子には無理だからアンタが代わりに嫁いだら?」 みたいな冗談を(少なくとも先に結婚してほしい、という部分は間違いなく本音なんだと思う)言ってくるわけですが・・・少なくとも今は子作りできそうにありません、というカムアウトをやっぱりしておいた方が良いのかな? でももうこの歳だしな(・・;) 私が友達の子を可愛がっていると「生むなら若い内だよ~」とかやたら言ってくるし。でもAセクという言葉すら知らないだろう親はショック死するんじゃないかな。最近の余りの経済状況と妹の転勤の件で吐いて寝込みそうだし今(;´д`)←酒が入ったせい&風邪の流行&ここ最近のアレルギーと寒暖の激しさのせいもあるかと思いますが。私も色々試みようとはしたけど、こっちも吐くほど嫌なんだ接触が・・・つーか好意の時点で(以下略)なんてやっぱり伝えられないよなぁ。
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で、ラストの海岸のシーンが日.本版としては秀逸かな、と。エミコ先生との宝箱についてのやりとりといい、出来すぎなサッカーボールが流れてくる描写といい。A瀬はるかの涙の流し方、原作のキャシーと異なり、一人で運命に立ち向かう、いや受け入れるだけの強さはキョウコには無かった。けれどトモが、宝箱に思い出を残してくれた「みんな」の存在が彼女を踏みとどまらせ、この世へ、残酷な世界の現実に最後まで身を浸し生き抜く覚悟を与えてくれた、って何とも日/本らしい結末じゃないですか? まぁ向こうはキリ○ト教規範の国で基本的に(特に絶対に苦しい入水という)自殺文化が薄い国、という事情もあるんでしょうけど。原作の方が深みと強さと光がある。けれど日.本のドラマ版は作者が作品を通して考えさせたかった、訴えかけたかったことを改めて伝えるキッカケ、導入としてはある程度良い作品と言えたのではないか、と最後三話しか見てないですが思いました@上から目線^^
イヤあの挿入歌の「Never let you go」の部分聴けただけで大満足というか物語の捉え方が全く変わった。母は「こんな話あり得ない、許せない、こんなモヤモヤする終わり方は納得できない」と怒ってましたが(ちなみに原作は私が褒め称えたため(^^;「海外ものって登場人物の思考にちっとも共感できなくてイライラする~!」と騒ぎながら少しずつ読んでいるところ)、世の中は不条理でどうにもならないことの連続や寄せ集めで、幸せだと感じる瞬間ですら誰かの、何かの犠牲の上に成り立っている。『日の名残り』のスティーブンスじゃないけれど、ずっと栄光や幸せの瞬間だけに留まることは、どんなに恵まれた人であっても生き続ける以上絶対に不可能。だからドラマ版最後のキョウコのセリフのように、それでも「生きる」ということ、生まれてきたこと、恐らく「モノ」として扱われるクローンという存在の彼女たちが誰よりも感じられるのであろう「魂」を持つ意味を、噛み締めて、受け止めて、その上で自分の人生を、命をその人なりに全うするやり方をそれぞれが真剣に模索していくべきなんだ、って。カズオ氏はそういうメッセージをこの残酷な設定の作品に託したのではないか、と。命とは何か、魂とは何か、生きるとはどういうことか。人とは、人生とは。
長寿に疲れきって移植を断る人が増えている、というエミコ先生の発言に超高齢社会を迎え、増える老老介護の末の悲惨な事件や高齢者の貧困問題・犯罪率の増加、被災地でも先を見失った自殺を含む高齢者の死亡率がはね上がっている日/本社会の現実を見て切なくなりました(´・ω・`) それでもip○細胞の実用化を必死の思いで待つ小さい子供の親御さんや、若い働き盛りの患者さんたちだっているだろうし・・・本当に、ご家族にしてみれば「Never let you go」ですよね。私、今自己処理したがってる身で本当に申し訳ないんですけど、移植ではないけれどここでも再三書いているように震災の前年、福島の某病院で輸血を受けまして。あの時献血して下さった方、もしくはそのご家族が被災されていたら取り返しがつかない、心から申し訳ない、代われるものなら代わりたい、ってどうしようもないことは分かっていてもずっとその考えが消えないんです。だからあのサッカー場にいたヒロキくんのお父さんの気持ち、その言葉に救われた先生の「勝手な自己満足」、移植を受ける患者の思いなどが、他人事とは思えずに動揺してしまった。原作は終始「提供」の犠牲となるクローン側の視点で進んでいくから、ドラマ版を見て、あの劇中歌の歌詞を改めて聴いて、そしてちょいちょい出てくる「人間」側の視点、自分も他人のこと言えないじゃんか、しかもそれをありがたがって有効活用するでもなく、あの悲劇の後もずっとダメ人間としてのうのうとただ存在し続けてしまって、どうにもマトモになれない・なる方法が分からないという現実に押し潰されて今にも消えてしまいたくなるorz
あと妹の遠方?転勤が決まって家族お通夜状態なんですけど、彼女としては今の彼氏と離れがたいらしく、総合職の出世捨ててまで来年には帰ってきたい、と言っていてまぁつまり結婚も視野に入れているらしいんですね。で、親が「ソレ(せっかく得た総合職を棒に振ること)はもったいないし、向こうの家業的にあの子には無理だからアンタが代わりに嫁いだら?」 みたいな冗談を(少なくとも先に結婚してほしい、という部分は間違いなく本音なんだと思う)言ってくるわけですが・・・少なくとも今は子作りできそうにありません、というカムアウトをやっぱりしておいた方が良いのかな? でももうこの歳だしな(・・;) 私が友達の子を可愛がっていると「生むなら若い内だよ~」とかやたら言ってくるし。でもAセクという言葉すら知らないだろう親はショック死するんじゃないかな。最近の余りの経済状況と妹の転勤の件で吐いて寝込みそうだし今(;´д`)←酒が入ったせい&風邪の流行&ここ最近のアレルギーと寒暖の激しさのせいもあるかと思いますが。私も色々試みようとはしたけど、こっちも吐くほど嫌なんだ接触が・・・つーか好意の時点で(以下略)なんてやっぱり伝えられないよなぁ。
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